人目を避け、息をひそめるように暮らしていたのだろうか。 その男性の姿を日中に見かけることは、同じ団地の住人でさえほとんどなかった。 身長約160センチ。 色白で、少しこけた頬。 その男性こそが、20年前に「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」を名乗り、日本中を震撼(しんかん)させた神戸連続児童殺傷事件の加害男性(34)だった。 東京都足立区。 埼玉県との都県境に近い団地の一室で、加害男性は平成27年冬から昨年1月までの数カ月間生活していた。 「夜になると、サドルに穴が開いたぼろぼろの自転車で出かけていた」。 同じ棟に住む男性は、加害男性らしき人物の印象を語る。 「『何か不気味な人だ』と話す住人もいた。 2~3カ月で、すっと忍者みたいに消えていった」 姿をくらますきっかけとなる出来事が、昨年1月にあった。 週刊文春の記者から直撃取材を受けたのだ。 それから数日のうちに、加害男性は入居時と同様、ひっそりと退去していった。 だが2月になって「元少年A、33歳」という見出しの近影写真とともに記事が掲載されると、ピンと来た住民も少なからずいた。 「もう団地にはいない。 住人が怖がるので話題にするのを避けている」。 自治会長は言葉少なに語った。 逃げる記者を追い回す 愛媛、徳島、神奈川、静岡、そして東京…。 9年10月に収容された関東医療少年院(東京都府中市)での矯正教育を経て、16年3月に仮退院した加害男性。 その後、どこに居住しているかをめぐっては、多くの噂が飛び交った。 懐疑の目を向けられては転居を繰り返したのか、27年6月に犠牲者遺族に無断で、「元少年A」という匿名で出版した手記「絶歌(ぜっか)」には、日雇いや少年院で身につけた溶接工の仕事で食いつなぎ、ネットカフェや簡易宿泊所を転々とする日々がつづられている。
次のAは中学3年時の、殺害に及んだあとに訪れた、あまりにも異様な性衝動についてさえ記述している。 殺害現場となった「タンク山」から切断した頭部を風呂場に持ち込むと、 〈この磨硝子(すりがらす)の向こうで、僕は殺人よりも更に悍ましい行為に及んだ。 (略)おそらく、性的なものを含めた「生きるエネルギー」の全てを、最後の一滴まで、この時絞りきってしまったのだろう〉 14歳の少年は死者の冒涜という、人として考えられる最も罪深い行為で、恍惚感を味わったというのだ。 一連の残忍な犯行の動機に関しては、逮捕後の精神鑑定で「性的サディズム」という言葉により説明されている。 それから18年、「文学風」に色づけし、自己陶酔的に動機を説明したA。 逮捕後、家庭での親密体験の乏しさを指摘されたAは関東医療少年院で、主治医を両親に見立てた「疑似家族計画」により、社会復帰への適応能力を更生するプログラムが施されている。 「この母親役を務めた女医はAの実母よりも3歳年下だが、細面の美人だった。 当初は異性に関心を持たなかったAが、しだいにこの女医に心を開いていったのです」(法務省関係者) ところが、Aが少年院に入って2年目に思わぬ出来事が起こる。 別の少年がこの女医についての悪口を言い、それを耳にしたAが暴れだしたのだ。 「Aは豹変し、奇声を上げてそばにあったボールペンをつかむと、この少年の目に突き刺そうと大立ち回りを演じたのです。 それまで性的興奮を得るのに残虐な行為に及んでいたAの関心が、初めて女性に向けられたという治療の進捗を感じさせたところではあります。 しかし、安直に凶暴な手段に訴える点では、まだ治療が必要であることも明らかになりました」(法務省関係者) その後、プログラムを終了したAは04年3月に少年院を仮退院した。 しかし、その後も再び事件を起こしていたのだ。 「仮退院しても保護観察中だったAは、定期的にカウンセリングに通っていた。 その途中、少年院でAの母親役を務めた女医に性的興奮を抱き、押し倒してしまったのです。 母子としての信頼関係が深まるにつれて、医師を母親ではなく異性と見た末に及んだ行為でした」(医療ジャーナリスト) Aは前述のとおり、05年1月1日に本退院する。 美人女医はAの身元引受人となるが、その存在は手記で触れられることは一切なかった。 しばらく都内に潜伏していたAは、同年8月に〈電車を乗り継ぎゆかりもない土地へ降り立つ〉と、地方都市へ1人旅立つ。 現地で建設会社の契約社員として2年ほど勤務していたことも記されている。 この電話の主は、愛媛・松山市のヘルス嬢Pさん。 「私のお客さんで年齢も見かけも酒鬼薔薇にソックリな人が来ていたんです。 太い眉とつり上がった目が、事件当時に出回った写真の顔と同じでした。 お店では『自分は長い間幽閉されていた』と話していました」 Pさんに接触すると、この男の一風変わったプレイが明らかとなった。 「プレイ前にはいつも『愛するママへ』と書かれた手紙を渡されました。 シャワーを浴びたあとは、『ママ、だっこして』と甘えてきて、動物のように私の顔を舐め回すんです。 だけど、いつも射精に達することはありませんでした」 手紙の筆跡は脅迫状に酷似していた。 またPさんが証言したこの男の住居は、Aの母がいたこともある地方都市にあった。
次の人目を避け、息をひそめるように暮らしていたのだろうか。 その男性の姿を日中に見かけることは、同じ団地の住人でさえほとんどなかった。 身長約160センチ。 色白で、少しこけた頬。 その男性こそが、20年前に「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」を名乗り、日本中を震撼(しんかん)させた神戸連続児童殺傷事件の加害男性(34)だった。 東京都足立区。 埼玉県との都県境に近い団地の一室で、加害男性は平成27年冬から昨年1月までの数カ月間生活していた。 「夜になると、サドルに穴が開いたぼろぼろの自転車で出かけていた」。 同じ棟に住む男性は、加害男性らしき人物の印象を語る。 「『何か不気味な人だ』と話す住人もいた。 2~3カ月で、すっと忍者みたいに消えていった」 姿をくらますきっかけとなる出来事が、昨年1月にあった。 週刊文春の記者から直撃取材を受けたのだ。 それから数日のうちに、加害男性は入居時と同様、ひっそりと退去していった。 だが2月になって「元少年A、33歳」という見出しの近影写真とともに記事が掲載されると、ピンと来た住民も少なからずいた。 「もう団地にはいない。 住人が怖がるので話題にするのを避けている」。 自治会長は言葉少なに語った。 逃げる記者を追い回す 愛媛、徳島、神奈川、静岡、そして東京…。 9年10月に収容された関東医療少年院(東京都府中市)での矯正教育を経て、16年3月に仮退院した加害男性。 その後、どこに居住しているかをめぐっては、多くの噂が飛び交った。 懐疑の目を向けられては転居を繰り返したのか、27年6月に犠牲者遺族に無断で、「元少年A」という匿名で出版した手記「絶歌(ぜっか)」には、日雇いや少年院で身につけた溶接工の仕事で食いつなぎ、ネットカフェや簡易宿泊所を転々とする日々がつづられている。
次の