リスペクトおじさん…爆笑。 それはさておき、 おそらくそのころはまだダソン?金持ちの息子も小さい感じで、ずいぶん前の話? おっさんも、あそこに入り(地下)住み始めて間もなくのころのことだと思っています。 なので、おそらくおなかがすいて食べ物探しに出てきた、覗いてみたのではないでしょうかねぇ。 そのころはまだ、精神的にも軽症だった? 健全な人のように、地下にずっといるのが息苦しくなることもあるでしょう。 ちょっと覗いてみたら、運悪く子どもに見られたので、それ以降、閉じこもり、モーリス信号だけで生き始めたのではないかと。。。 大体 普通の人間の心理心境では、あんな窓もない、コンクリートに囲まれた新鮮な空気もない、地下なんかに1日でもいたら頭おかしくなると思います。 あんな地下が 心地いいなんて言う、思う +頭に電気のスイッチ毎日のように?打ち付けているくらいの時点ですでに、あのおっさんは精神的におかしかった人のように思いますねぇ。 関係ない話ですが、あの監督は自分が若い時に、やはり貧乏で、金持ちの家に家庭教師をしに行ったバイトをしていたみたいです。 そういう自分の経験もあの映画に反映されているように思いました。 韓国って国は差がすごいから、ああいう金持ち、貧乏のからみ、のし上がりをネタにしたTVドラマや映画が多いように感じます。
次のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。 ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。 今週評論した映画は、(2019年12月27日公開)。 今夜扱うのはこの作品……。 『殺人の追憶』『グエムル-漢江の怪物-』『スノーピアサー』などなどのポン・ジュノ監督最新作。 全員が失業中の貧しい家族が、IT企業を経営する富裕な家族にパラサイト(寄生)を始めたことから思わぬ事態に発展していく。 主演はポン・ジュノ監督と4度目のタッグとなるソン・ガンホ。 共演は『最後まで行く』などのイ・ソンギュンなどなど。 第72回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール(最高賞)を受賞。 そして 第92回アメリカ・アカデミー賞で作品賞、監督賞を含む6部門、主要部門ですからね、ノミネートされるなど、世界中で高い評価を集めております。 アジア映画でアカデミー作品賞にノミネートされたのは初、ということでございます。 ということで、この『パラサイト 半地下の家族』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。 ありがとうございます。 メールの量は、 「とても多い」。 先週の『フォードvsフェラーリ』に続きメールの数は多め。 そして先週以上に絶賛評が多く、 全体の9割が褒めでございました。 褒めている人の主な意見は、「前半は笑いながら見ていたが、後半からどんどんすごいところに連れて行かれ、最後はズドンと重い宿題を渡された」「すさまじい脚本で、今もその要因を引きずっている」とかですね、「家、町並み、演技、小道具……画面に映るすべてが完璧。 ポン・ジュノ監督の最高傑作。 いや、韓国映画史上でも最高傑作では?」などなどございました。 一方、主な否定的な意見は、「ラストに納得がいかない」「格差社会へのメッセージとしては弱いのでは?」とか「映画の中でのフィクションラインが曖昧で乗れない」などがございました。 現代における金持ち描写の最高峰だと思います」(byリスナー) ということで、代表的なところをご紹介しましょう。 「オレンジエコー」さん。 「『パラサイト 半地下の家族』、ウォッチしてきました。 期待以上の名作かつ怪作で、ポン・ジュノ監督の新たなステージではないかと思います。 (半地下に住んでいる貧乏な家族と金持ち家族の)どちらの家族にも愛着を持てるからこそ、誰にとっても他人事ではないと感じさせる脚本やキャストはもちろんのこと、何と言っても美術や撮影が素晴らしかったです。 監督の過去作では『団地』や『列車』という箱庭を用いて社会を描いてきましたが、今度は『家』という最小単位。 多くの映画で空虚に描かれがちな豪邸や、そこでの暮らしが、スタイリッシュで温かみもありながら、どこか奇妙で滑稽。 つまり本当の意味で美しく描かれ、 あの家が登場人物みんなにとってのファム・ファタールであるという説得力が半端なく、現代における金持ち描写の最高峰だと思います。 他にも魅力を挙げればきりがありませんが、 『映画を好きでよかった。 圧倒的感謝です!』と感じさせてくれる最高の映画体験でした」という。 たしかに、金持ち描写っていうのをさ、説得力ある感じで……しかもね、その映画の中身とちゃんとリンクさせてっていうのはね、意外と難しいことかもしれませんね。 それを見事にやっている、というご意見がございました。 一方ですね、「ポコターン」さん。 この方はイマイチだったという方。 「自分にとってこの映画のリアリティラインはあまり合わない感じでした。 娯楽作品として見れば過不足なく手際のよい物語の語り口、適切な演出でポン・ジュノ作品を初めて見た自分でも実力は十分に伝わってきます。 しかしながら、下層階級の家族が上流階級の家庭に食い込んでいくというお題目のために都合の良い展開が多すぎるなと感じました」。 それでいろいろと書いていただいて……「自分にとってこの映画は全体的にフィクショナルすぎてふわふわした印象でした」というご意見でございます。 というところで皆さんね、メールありがとうございます。 今回のムービーウォッチメン用に。 TOHOシネマズ日比谷で2回、見てまいりました。 だから計4、5回はもう繰り返し見てる感じだと思いますけど。 ということで、平日昼にも関わらずですね、この日比谷も、ご年配の方々を含め、かなり埋まっていて。 実際に配給会社の方もね、 「記録的ヒットだ」というようなことをおっしゃっているようです。 もちろん、さっきから言ってるようにもう世界的に高い評価を得ているということもありますし、日本の出ている映画評なども本当に……たしか週刊文春のシネマチャートでも全員満点とか、軒並み超高評価。 僕も満点を付けましたし。 とにかくすごい圧倒的な前評判の高さに加えて、実際の作品自体がですね、確かになるほど、誰の目から見ても明らかな形で、 まずはストレートにむちゃくちゃ面白いんですよね。 映画としての語り口、まさに極上だし、途中には、見た誰もが度肝を抜かれるであろう仕掛けも用意されている。 その上、痛烈な社会批評と、最後にはそのね、皆さんがおっしゃっているように、ドスンと腹に来る余韻が残るという。 要はあらゆる意味で、ぶっちぎりでハイレベルな1本なので。 これに今、ちゃんと日本でも観客が集まっているっていうのは、とてもいいことであるという風に、私も嬉しく思います。 脚本・監督のポン・ジュノ。 長編デビュー作、2000年の『ほえる犬は噛まない』から本当に、すでに「ああ、これはすごい才能だな」という感じでしたけど。 僕がやってきた映画時評の中ではですね、2009年の『母なる証明』。 これ、ウィークエンド・シャッフル、シネマハスラー時代の2009年11月23日に扱いましたが。 その後、ポン・ジュノさんはですね、フランスのグラフィックノベル、バンド・デシネ原作で、豪華ハリウッドスターたちをキャスティングした『スノーピアサー』、2013年の作品であるとか、それに続いてやはり豪華ハリウッドスターが多数出演、Netflixでもう莫大な金額をかけて作った『オクジャ』っていう、これは2017年の作品と、要するに世界進出モードのSF大作、というのが続いたわけですが。 まあの『パラサイト』で、久々にその韓国のね、ドメスティックな社会の現実をアイロニカルに描き出す、という、言わば十八番の路線に回帰した、という風に言えると思います。 まあ今年、この番組でも1月8日にオンエアーいたしました、ポン・ジュノさんとソン・ガンホさん、今回の『パラサイト』のタイミングで私、インタビューをさせていただきました。 これ、みやーんさんの非公式書き起こしもね、読めますから。 こちらも読んでいただきたい。 で、そこでポン・ジュノさんがおっしゃっていたのは、企画自体は『オクジャ』よりも前に始まっていたというのもあって、外国か韓国かという制作環境の違いというよりは、やっぱり制作規模…… 「作品のサイズ」が、『殺人の追憶』『母なる証明』のように、自分にぴったりなサイズに今回戻ってきた、という気持ち、その部分が大きい、ということをおっしゃっていました。 そこがすごい印象的でしたね。 まあ笑いまじり、冗談まじりのムードでしたけど、「これからはずっと小さい映画を作っていきたい。 大きい映画は作りたくない!(笑)」なんてことをおっしゃってましたけどね。 実際のところ、今回の『パラサイト』はまあ、そのインタビュー中でもおっしゃっていたようにですね、実は大掛かりなところは超大掛かり、お金もしっかりかかった一作なのは間違いないのですが……という。 それが映画としての、普遍的な、誰が見てもわかる面白さとか、誰が見てもわかる深みとか凄さとして結実している、っていうことなんですね。 まあその意味で、 前からむちゃくちゃすごかったのに、はっきりさらにすごくなった、というのが今回の『パラサイト』だと言えると思います。 まず、その話の構造がですね……ああ、ちなみに今日も決定的なネタバレはもちろんしないようにします。 ポン・ジュノさんもね、いろんなところで「(ネタバレ)しないでください」っておっしゃっていますから。 決定的なネタバレはしませんけども、もちろんいろんなディテールだとか、「こういう場面がありました」なんてことは触れるので。 全く情報を入れたくない方は……まあ、ふと聞いちゃっている人もいるでしょうから。 『パラサイト 半地下の家族』が評判になっているから、全く情報を入れずに行きたいという方はね、追い追いね、タイムフリーであるとかラジオクラウドとかで追い追い聞いていただく。 まあ、その間はね、他にもいろんな楽しい局が、楽しいラジオをやっていると思いますんでね(笑)。 フフフ、なんてことを言うんだろう、私はね(笑)。 ということでまずね、今回の『パラサイト』。 話の構造がそもそも今までのポン・ジュノ作品に比べてものすごくシンプルですよね。 親子4人、定職がないまま綱渡り的な生活をしている貧しい家族がいて。 その彼らの貧しさの象徴というか、まあ韓国に実際に多くあるというその半地下の住居っていうのがあるわけです。 これ、パンフレットに載っている町山智浩さんの文章によればですね、元は北朝鮮の攻撃に備えた防空壕だったものが住居として使われるようなったということらしいんですね。 で、この「元は北朝鮮の攻撃に備えるための……」っていうのは、ご覧になった方はすでにお分かりでしょうが、後半に出てくるアレと呼応している、ということがございますよね。 ちなみにこの家族が貧しくなってしまったきっかけとして、お父さんが事業に失敗して、その事業というのが 「台湾カステラ」のお店を出したという。 これもやっぱり実際に韓国で近年流行って、それでバタバタッと潰れていったという、そういう実際の事実をベースにしているというのがあります。 で、まあとにかくその職がほしいという家族4人がですね、それぞれ身分を偽って、ある超お金持ちの家に入り込んじゃうと。 前半は、彼らが次々と策略・謀略を仕掛けていって。 まあこの策略・謀略も、主人公家族がしきりと 「計画がある」「プランがある」ということを口にするんですけども。 これがラストに行くにしたがって、その「計画」という言葉がですね、僕には計画がある、私には、俺には計画があるっていうのが、 重い意味を持ってくる……というあたりも、ご覧になった方はお分かりのあたりだと思いますね。 まあ、とにかくとある「計画」を持って策略・謀略を仕掛けていって、金持ち一家たちがまんまと、間抜けにも騙されていく、というプロセスを、デフォルメされたコメディタッチで、非常にコメディタッチで見せていくわけですね。 まあ一種のコンゲーム物的な面白さと言いましょうかね、騙して潜入していくという、コンゲーム、詐欺物ですね。 その面白みがある。 よくある話。 それこそ前述のインタビューの中でも触れたキム・ギヨン監督の、1960年のまさに韓国映画クラシック『下女』とかですね。 これ、ポン・ジュノさんも言及していましたけども、階段の使い方とかを含めて、本作に大きく影響を与えている、これは間違いないことでしょうし。 まあ『小間使の日記』とかですね、『テオレマ』とかも入れてもいいかもしれませんね。 ジャン・ルノワールの『素晴らしき放浪者』とかも入れてもいいのかな、とか、いろいろとあるわけです。 個人的には、「家族ごとパラサイトしてくる」っていうこの感じは、『魔太郎がくる!! 』にですね、そういうエピソードがあるんですよ。 それをちょっと連想したりしましたけどね。 あとは同じ藤子不二雄Aさんの作品だと、『ひっとらぁ伯父サン』とかも、家にパラサイトしてくる、乗っ取られる話ですよね。 まあ、ともあれ前半はそんな感じで、ある意味観客も、いわばジャンル的安心感の枠内で、楽しく見られるわけですよ。 「ああ、まあまあ、乗っ取ってくる感じね。 ああ、面白い、面白い」って。 その行く先が見える感じで楽しめるわけです。 ただ、それでもですね、単に主人公家族がブルジョワ一家をまんまと篭絡して痛快だ、となるだけではなさそうだな、というような、 フッとハシゴを外されるような瞬間も、実はいくつか事前に周到に仕掛けられていて。 たとえば、ソン・ガンホ演じる、この半地下の家族のお父さんがですね、先方の金持ちの家の奥様……これ、チョ・ヨジョンさんが、 黒木瞳的奥様感と言いましょうか、その奥様と2人きりになって、ある秘密を共有する、という場面。 これ、これまでのそういう入り込み物、家族入り込み物、異物入り込み物なら、ここで奥様側も「ドキッ!」っていうね。 主人にはない何かワイルドみにドキッ!みたいな、そういう展開になりがちなところを、実際にここで彼女が返してくる反応というのは……というあたり。 そして、それを受けてのソン・ガンホさんの物言わぬリアクションがまた、おかしくも哀しい、っていう感じが本当に最高なんですけども。 あるいは、やはりソン・ガンホさんのお父さんと、金持ち一家の主であるパク社長。 これ、演じてるイ・ソンギュンさんね。 『最後まで行く』という、僕はすごい好きな映画がありましたけど。 あれでも主演をされてましたが。 それがですね、まあパク社長に向けてそのソン・ガンホが、 「奥さんを愛していらっしゃいますもんね」って、まあお世辞半分に言っていることなんだけど、それに対して思いのほか、冷めた反応が返ってくる、ってあたり。 これもやっぱり、終盤と呼応していますね。 「奥さんを愛していらっしゃいますもんね」っていうこのセリフね。 というあたりで、 「あれ?」っていうね、その今までの入り込み物の温度感とはちょっと違うのか?っていう、フッとそういうハシゴを外されるような瞬間が、用意されてはいる。 まあ、とにかく一見、まんまとブルジョワ一家に取り入っていく半地下家族、というのが前半なわけです。 それをいいことに、堂々と家族団らんの酒盛りを始める一同、という。 なんですけど、その全面ガラス張りのリビングっていうところで、まずちょっと不安が募りますよね。 見てるだけでね。 なんか、「見られちゃう」感じがするし。 そして、外が激しい雷雨になる、それと共にですね、 物語全体が、想像もつかなかった方向に一気に転がりはじめていく!というのが、まさにこの映画の、キモ中のキモなわけですね。 特にやっぱり、「あっ、何かが……決定的に何かがおかしい方に行く」っていうきっかけが、 「人物の、思ってもいなかった角度の姿勢」というのが、ポン・ジュノっぽいですよね。 そんな姿勢!? っていう。 この空間でその姿勢はない!っていうことが起きてる、っていうあたりだと思います。 当然、ちょっとここから先の話は、具体的には言いませんけども。 何が起こるかは具体的に言いませんが、ただちょっと抽象的な説明の仕方を重ねますけども。 ポン・ジュノ作品、これまでも非常に印象的だった、 「闇の奥に何かがある」っていうショット。 「奥に何かがある」っていう感じはすごく今までも印象的に使われてきたんですけど、今回はさらにその闇の奥にですね、要するにその得体の知れない領域に、主人公家族も我々観客も、まさにカメラと共に、文字通り 「連れて行かれてしまう」っていう作りになってるわけです。 これまでもポン・ジュノ作品、既存のジャンル的なその予想の範囲を超えて、最終的に、 得体の知れない領域に行ってしまう、という作品ばかり撮ってきました。 見終わってみると「何だ、この感情は?」とか。 「最高の映画だし、最高に面白かったけど、 今、どんな気持ちになれと……?」っていうね。 言葉で説明できないところに連れて行かれる、っていうのは今までもありましたけど、今回の『パラサイト』は、 それがストーリー、そして映画としての語り口と、シンプルに一致しているんですね。 主人公のその家族たちと観客もですね、要は今まで「こうだ」と思っていたような物語世界が、実は全く違う本質を持ってることがはっきりしてしまう。 それによって世界の意味がひっくり返るような感覚を、主人公家族と同時に我々観客も、直接的に味わうことになるわけです。 今まで思ってたような世界じゃなかった。 そして先ほど言いました、ポン・ジュノさんとソン・ガンホさんへのインタビューでも触れた通り、ここに至って、その大邸宅のですね、すごく印象的にある階段であるとか、その上下の構造。 あるいは、あの金持ちの家に行くために、まあ坂を登ってくるわけですよね。 その、地理的な構造。 つまり、階段や坂を介した上下の構造が、 物語的なテーマと実は直結してたんだ、ってことに、我々観客はそこで気づくわけです。 「ああ、『半地下』の家族って、そういうことか!」みたいなね。 で、もちろんポン・ジュノ映画、これまでも、地形の高低差とかそういうのを、印象的に使ってきました。 たとえばそうだな、『母なる証明』だったらね、あの死体が置かれていた、あの2階の屋上の、高台のところから見晴らした街とか、そういうのは使ってましたけど。 今回の『パラサイト』は、それがストーリーやテーマと、シンプルに直結している。 まさに映画ならではのストーリーテリング、っていうのがすごくスマートにできてるとか。 またですね、やはりこれまでもポン・ジュノ作品が際だって上手かった、 非常にミニマルなシチュエーションなんだけど、それを最大限のスペクタクル、サスペンスに仕立て上げてしまう手際。 小さなシチェーションなのに、すごいでっかいサスペンス、スペクタクルがある。 ですけど今回の『パラサイト』の中盤はですね、まさにそのテクニックの、拡大・連発版ですね。 まあその、要は 「家屋内かくれんぼ」だけでですね、これだけハラハラドキドキ、しかもいろんな引出しで(ハラハラドキドキ)させられるだけでも、まあやっぱり半端な腕じゃないですし。 しかも今回の『パラサイト』では、その家屋内かくれんぼのハラハラドキドキにもですね、テーマと直結した、やっぱりそこでも上下の構造……上にいる人、下にいる人、そしてクライマックスの布石となる 「匂い」という、非常に残酷なモチーフを絡めてきてるわけで。 二重、三重にすごいわけですね。 ちなみにこの、匂いというくだり。 半地下住居のその匂いというのはですね、韓国の方は割と「ああ、あの匂いか」ってわかるような、結構具体的なものとしてあるらしいんですけどね。 でも、(そうした認識を共有していない他国の観客である)我々にとっては、やっぱり僕がインタビューの中でも言った通り、映画においては不可視な「匂い」というのを使って差別というものを表現されると、もうこっちはどうにもできない…… 「お前は臭い」と言われるとどうにもできないっていう、残酷な差別の構造として、やっぱりこれは非常に演出として生きている。 ともあれ、さっきから言ってるように、高低差によって示されたその社会の構造。 そのまさに、まさに文字通り「下流」にいる者たち同士がですね、構造全体の不条理には怒りが向かず……なんならそっち、構造全体の不条理に関して諦めちゃってるから、(劇中のセリフ通り) 「リスペクト!」までしちゃってですね。 それで、その下にいる者同士で、食い扶持を確保するために争い合うっていう、そういう悲しい、でもぶっちゃけこれが現実にはやっぱりよく噴出する構造でもある、というその展開の果てに……プラス、もちろんさっきのインタビューでも触れた、一大スペクタクルシーンが用意されています。 これはもう、 「ああ、ここがこんなスペクタクルになっちゃうのか!」という見せ方。 しかもそれがやっぱりテーマとも直結している、というその展開の果てにですね。 ここは元のシナリオ以上に、「ソン・ガンホが演じる」説得力によって、よりくっきりしたメッセージが込められたものに変わったらしいんです。 要するに、とある人物の行動が、シナリオではもっと、どういう意志でやったものかが曖昧だったのが、 ソン・ガンホが演じるならこれは説得力を持たせられるんだ、ってことで、はっきりと意志を持ってとある行動を取る、というクライマックスへと突入していく。 インタビューでポン・ジュノさんもおっしゃっていた通りですね、このシンプルな語り口と構造を、真に豊かなものにしているのはやっぱり、そのさっき言ったソン・ガンホさんとかを含めて……もちろん、見事というほかない美術や撮影、それら全てを緻密にイメージボードを書いてコントロールしているポン・ジュノ演出はもちろんなんですけど、やっぱり、ソン・ガンホさんをはじめとする俳優陣の力、というのが当然、大きいわけです。 中でも家政婦役を演じたイ・ジョンウンさんは実は監督の過去作では…… ソン・ガンホさんね、その、のほほんとした親父から、終盤にかけて特に……笑顔が完全に消えるんですね。 そのシリアスなトーンっていうところの演技はもちろん見事なものですし。 あとやっぱりソン・ガンホは、声がいい、というあたり……特にラスト周辺で、それ(声のよさ)が非常に、抜群に生かされるのは、その半地下ファミリーの息子、チェ・ウシクさん演じる息子さん。 オープニングと対になった、そのラストショット。 オープニングと同じく、その半地下で、カメラがグーッと下りてくると、その息子の顔になる。 まさにポン・ジュノ映画の幕切れにふさわしい、あの眼差しですね。 あれも見事なものでしたし。 パク・ソダムさん演じる娘もですね、非常にストリート感、ゲットー感っていうのと、転じて、演技としてのハイソな知性みたいなものを、本当に見事に演じ分けられてて、素晴らしかったですし。 あとお母さん。 チャン・ヘジンさんのね、元ハンマー投げメダリストっていう、あのなんか「太いキュートさ」って言うんですかね? 図太いキュートさという。 あれも本当に見事なもんでしたしね。 あと、今回一番実は重要なのは、追い出される家政婦役。 ムングァンという役の、イ・ジョンウンさん。 彼女は、『母なる証明』の、被害者の女子高生のお葬式のシーンで、母親に食ってかかる、一番目立っていたあの女の人。 あるいはですね、 『オクジャ』のあの生き物の、鳴き声を演じている(!)。 だからその、ポン・ジュノさんの信頼が非常に厚い女優さんなんだけども。 今回も、本作のある意味一番、要の役ですね。 「おもしろうてやがて哀しき……」っていうあたり。 そして、ネタバレできないので詳しくは言えませんが、やっぱり 「リスペクト!」なあの人。 要するにその、さっき言った社会の不条理な構造に関して、諦め切った人。 その思考の、狂気性、ピュアさも込みで、見事に体現されてますね。 あの人の佇まい……バナナの食べ方! まあもちろんね、金持ち家族も素晴らしい。 金持ちの娘・ダヘさん。 チョン・ジソさんですか。 普通にアイドル的に、なんか「坂道」にいそうだな、みたいな感じで、すごいかわいかったですけどね。 元々すごかったポン・ジュノがさらにすごい一本を撮ってしまった! そんな感じでですね、まあちょっとネタバレできない範囲も多かったんでね、このぐらいにしておきますが。 ラストに向けて、語りの位相がシフトしていくあたり。 この人のナレーションか、と思ったら、この人のナレーションになっている、という風に、語りの位相がシフトしていくことによって、現実と想像の境がどんどん淡く、曖昧になっていく……かと思いきやの、さっき言ったその、オープニングと対になった着地で。 そして音楽も、ちょうどそこで着地、っていう。 この、 ドスンと来る余韻。 結局やっぱり、現実に(作中の問題提起を)持って帰らされる。 「で、あなたたちは……?」って来るわけですね。 ということで、面白さ、そして語り口のシンプルさ、スマートさ、深さ。 驚き、サプライズもある。 そして、ユーモアと残酷さもある。 撮影とか美術とか音楽の質の高さもある。 もちろん、演技の素晴らしさもある。 とにかくすべてが、あらゆる面ですごいレベルというか。 もう、これだけ絶賛するしかないのが、本当に悔しいぐらいなんですが。 だって、褒めるところしかないんだもん!っていう。 元々すごかったポン・ジュノが、さらにさらにすごくなって帰ってきた、すごい1本を撮ってしまった。 そんな1本。 そりゃあ当然、劇場でウォッチしてください! (ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画はです) 以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。 (ガチャパートの前)ポン・ジュノ作品は、細かいところのキャスティングの 「顔チョイス」が本当にセンスいいことで知られているんですけども。 今回は特にね、 あの、終盤の刑事。 本当、あいつの顔が出てきた時に、「いやー、やっぱりポン・ジュノの顔選び、最高!」って思いましたけどね(笑)。 5MHz/AM954kHz、PCやスマートフォンはで。 聴き逃しはで一週間前まで、それより過去はで。 スマホの方はを使うとより快適にお聞き頂けます。
次の1965年から始まった「百想芸術大賞」は、創設時は映画と演劇を対象とする総合芸術賞だったが、74年の第10回大会からテレビ部門が新たに加わった。 02年の第38回から演劇部門を廃止し、現在までその体制は維持している。 6月3日にソウルで行われた「大鐘賞映画祭」(第53回)と同様に、今回は新型コロナ感染拡大を防ぐため、無観客で開催された。 映画部門で最多受賞となったのは「」。 大賞、作品賞、男性新人賞3部門を獲得している。 そのなかでも、パク・ミョンフンの新人賞受賞は、韓国国内のみならず、海外でも話題を呼んでいる。 46歳での新人賞について「一生に1度しか取れない賞なので、非常に感謝しています。 監督、そして全ての役者、スタッフの皆さんに、この賞を捧げます」と胸中を吐露した。 パクの父は、闘病の末、今年4月に亡くなっている。 授賞式では、その父とのエピソードも明かされた。 「実は、世界で初めて『』を鑑賞したのは、私の父です。 監督が、闘病中だった父に、先行して見せてくれたんです。 父は非常に喜んでいました。 素敵な思い出を作ってくださった監督、本当にありがとうございました。 最後に『』を愛する世界中の人々に、『Respect』という言葉を送りたいと思います!」とコメントを残した。 また、90年代の韓国を舞台に、思春期の少女の揺れ動く思いや家族との関わりを繊細に描いた「」(6月20日公開)は、監督賞と女性助演賞()の2部門で受賞。 は「第53回大鐘賞映画祭」に続き、映画部門の男性最優秀演技賞。 ただし、対象作品は「大鐘賞映画祭」の決め手となった「白頭山(原題)」ではなく、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領暗殺の裏側を描いた「南山の部長たち(原題)」である。 そして、女性最優秀演技賞に輝いたのは、監督作「」(20年内公開)のだった。 テレビドラマ部門は、Netflixで配信されている作品が席巻。 大賞に選ばれたのは「椿の花咲く頃」で、脚本賞、男性最優秀演技賞()、男性助演賞()を含む4冠を達成。 日本国内の韓流ブームに再び火をつけた「愛の不時着」は、が女性助演賞、ダブル主演を務めるヒョンビンとがTiKToK人気賞、ソ・ジヘがBAZAAR Icon賞を獲得。 「梨泰院クラス」のは、女性新人賞を受賞した。
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