私はプロテスタントのクリスチャンです。 永遠という言葉に惹かれ、回答させて頂こうと思いました。 聖書から拙いですが、関連箇所をご紹介します。 まず旧約聖書の「伝道者の書」3章11節には、 次の様な記述があります。 『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。 神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。 ・・・』 動物の中で「永遠」を意識して生きている種があるかは私には分かりませんが、 人間は確かに永遠を考える事ができます。 それは聖書によれば、万物の創造主である神がその思いを与えているからという事です。 また新約聖書ヨハネの福音書3章16節には、 『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 』 とあります。 これを聖書全体を踏まえて簡単に言い換えますと、 神はひとり息子のイエスを身代わりにされた程、私達を愛している。 イエスは私たちが神に犯している罪の代償である死を、 十字架にかかる事で払って下さった。 また三日目によみがえる事で、これが神から出た真実であると証明された。 この罪のゆるしと復活を信じる者は、誰でも死後さばきに会わず、 永遠のいのちを持つ事ができる。 当然の事ですが人間がある事物を、 肯定するなら存在する、 否定するなら存在しなくなる、 というのは間違いだと私は思います。 私たちが肯定しようが否定しようが、 事実は事実であり、存在するものは存在します。 自分が宇宙の莫大な時間の中でほんの一瞬、 偶然に存在していると考える事もできます。 しかし私はこの神の訪れと復活を目撃した人々の証言=聖書を信じ、 永遠があるという方に賭けてみようと思いクリスチャンになりました。 12年目ですが、神との歩みに満足しています。 長文恐縮でした。 読んで下さりありがとうございます。 こんばんわ。 私も「永遠は存在しない」と思います。 けれども「永遠がない、すなわち全てのモノがいつか壊れるか?」といったらそれも違うでしょう。 たとえば恋愛を見てみましょう。 出会った当初の焦がれるような思いを、お互いに持ち続けることは不可能ですよね。 すなわち「永遠は存在しない」。 けれども、その焦がれるような気持ちがなくなったからといって、すなわち2人の関係は終わりなのでしょうか? 違いますよね。 焦がれるような気持ちが、やがて穏やかな思いやりに変わったり、より相手を必要とするようになったり…。 気持ちは変化し続け様々な形を見せながら、それでも2人の関係は続いていくのです。 「出会った当初の2人の関係」は永遠ではありません。 でも、それがすなわち「2人の関係の破綻」とはならないと思います。 これを永遠と思えるか。 それとも「出会った当初の2人のままでいられないなら、永遠は存在しない」と思うかは…。 それは人によるのではないでしょうか? Q ふと悩んでしまったので質問をしてみます。 周囲での恋愛を見ていると失恋をしている方は大勢いらっしゃいますが、 皆様次に相手を見つけたり新しい恋に踏み出していたりする方が多いですよね。 つまり自分を今好いてくれている人がいたとしても、 結局別れて時が経てばその人は別の相手を見つけてその人に恋をするということですよね。 もし別れていなくても、他の異性に目移りをされる可能性もあるわけですよね。 そう考えると永遠の恋愛なんてものはこの世に存在しないのではないかと思ってしまいます。 告白を受けてもそれが何だか薄っぺらいものに感じられてしまい、 告白してもらえて嬉しい感情もありますが相手に失礼とは分かりつつも失望してしまう自分もいます。 皆様はどのように考えていらっしゃいますか? 皆様からすればくだらない事と思いましたがご意見を伺いたいと思い質問致しました。 A ベストアンサー たとえ一人の人を愛し続けるにしても、その形は変容し続けるものです。 仲の良い夫婦でも、その時の愛情は結婚する以前と同じであるということはありません。 それは薄れる場合もありますが、熟成される場合もあります。 本来、恋愛とは自らの願望であったり、恋愛観であったり、 それを相手に投影させることに始まります。 そのうまることのない隙間に、夢を見たり、失望をしたりするものだと思います。 あなたへの告白もそうした空虚なものの上に成り立っています。 それに永遠を求めること自体が間違いだと思います。 しかし、熟成させること、深めることは可能です。 今の時間を凍結させるのではなく、未来に向かって進化させていく努力が必要だと思います。 Q 永遠は存在するのでしょうか? ふと、永遠はあるのだろうかと疑問を持ちました。 ・人間は勿論、永遠じゃないですよね。 100年後には皆死んでしまいます。 ・地球も永遠じゃない。 いつかは跡形もなく無くなるかもしれない。 ・人間の考え出した(発見した)数式や思想はどうだろうか。 でも人間がいなくなれば使われること が無くなる。 これも永遠じゃない。 しかし人間がいなくても、思想はまだしも数式などはあるようなもの ではないか?でも人間が見つけない(認識できない)と、やはり無いようなものではないか。 (なんか永遠じゃなくて存在のような話になっていますが、ご容赦ください) でも一方ではこういう永遠はあるのでは?と思いました。 ・「私は今22歳だ。 もう21歳に戻ることは永遠に出来ない」 確かに、これは永遠です。 でも上で挙げた永遠とは違う気がします。 私が疑問に思っている 永遠は「ずっと続くもの」と考えていますが、22歳の例の永遠は「過ぎ去ったことに対するもので それがもう未来には来ないもの」だと思います。 と、いうわけで私が出した結論は「未来永劫ずっと続くものは存在しない。 永遠は無い」ということです。 しかし、少ない脳みそで考えたのでまだ疑問が残ります。 永遠は存在しますか?あるのなら何か例を挙げて頂けれると嬉しいです。 言葉足らずな面もあると思いますが、よろしくお願いします。 永遠は存在するのでしょうか? ふと、永遠はあるのだろうかと疑問を持ちました。 ・人間は勿論、永遠じゃないですよね。 100年後には皆死んでしまいます。 ・地球も永遠じゃない。 いつかは跡形もなく無くなるかもしれない。 ・人間の考え出した(発見した)数式や思想はどうだろうか。 でも人間がいなくなれば使われること が無くなる。 これも永遠じゃない。 しかし人間がいなくても、思想はまだしも数式などはあるようなもの ではないか?でも人間が見つけない(認識できない)と、やはり無いようなものではない... A ベストアンサー 幻想なんかじゃないですよ。 それに永遠の愛があるか、ないか、なんて 誰かが定めるものじゃなくって結局ひとそれぞれなんじゃないでしょうか? ないと思ったらない、 あると感じているひとは確かにそこにあるんですよ。 私はそれが感じられない人は可愛そうな人だな・・・って思います。 私は家族愛こそ、やはり永遠の愛、究極の愛だと思ってますよ。 夫に、子供にって見返りを期待しないただ無償の愛を与えますよね?それと同時に同じだけの愛をもらってると思うんです。 それは永遠ですよ。 (あ、別に変な宗教入ってるとかじゃないですよ!(笑)) 不倫、浮気・・・いるでしょうねそういう人も、沢山。 でも私のまわりには、ただ無償に家族を愛している、愛されている人が沢山いますよ。 きっと彼らは言葉になんかしなくても「永遠の愛」を身をもってかんじてるはずですよ。
次の情熱と勢いで突き進む若い頃なら、永遠の愛を信じて恋愛したこともあったでしょうが、年齢を重ねていくうちにそれがどれだけ難しいことかを実感するようになります。 仲睦まじい老夫婦を見かけると永遠の愛もあるのかなと期待したくなりますが、ここに行きつくまでにどれだけの試練を乗り越えてきたのだろうと考えると、やっぱり自分には無理だと思ったり・・・。 婚活で壁にぶち当たってしまうと、結婚って何?愛って何?…と、どんどん悩みが膨らんでしまうことがあります。 『人の気持ちなんていつ変わるか分からないものだから・・・』と諦めの気持ちを持ちながらも、生涯のパートナーと出会うために婚活をしているという矛盾で苦しむこともあるでしょう。 ここでは、永遠の愛とは何を指しているのか、そもそも本当に存在するのかを考えていきたいと思います。 ・あると信じて頑張ってきたけどやっぱりなかった ・永遠の愛なんて不要。 お金のほうが欲しい ・浮気をされてばかりだから恋人を信じられない ・そもそも永遠なんてない ・努力したら手に入るというものではない ・永遠の愛ではなく情があるだけ ・長年連れ添っても会話すらない夫婦はいくらでもいる ・永遠の愛かどうかなんて死ぬまで添い遂げないと分からない ・信じるだけ無駄。 人は必ず裏切るもの ・愛情は3年でなくなるといわれているし、その通りだと思う 永遠の愛はないと主張する人は大きく分けると、過去の恋愛経験が影響しているか、もしくは「永遠」という表現に引っかかっているかかのどちらかのようです。 過去にさんざん浮気をされた人からすれば、永遠の愛を信じても辛いだけでしょう。 それに時間は限られているのに永遠には限りがないですから、そんなもの実際には存在しないと考えるのも確かに・・・という感じです。 永遠の愛はある派の意見 ・永遠の愛はあるというか、あると信じたい ・あるとは思うけど死ぬまで永遠の愛かどうかは分からない ・努力の賜物なので、2人次第で永遠の愛を手に入れられると思う ・永遠に別れなんかこないと思える人と結婚できた ・肉体がなくなったとしても魂は永遠 ・クリスチャンなので信じている 目に見えない力を信じている人もいれば、絶え間ない努力の先にあると考える人もいます。 どうせなら永遠の愛を信じたい! 婚活中の身からしたら、永遠の愛を目指したい!婚活は悩んで立ち止まることも多いですから、努力の先に希望はあると信じたいですよね。 上で挙げた永遠の愛はある派の考えの中で、唯一目に見える形だったのが「努力の賜物」というもの。 永遠の愛は信じる信じないではなく、神がかったものではなく、お互いの絶え間ない努力の先にあるものだとしたら、結婚後、どんな努力が必要になるのか知りたくありませんか? 【予習】永遠の愛を手に入れるために努力すること7個 永遠の愛の「永遠」についての解釈は色々ありますが、ここでは「結婚30年以上の仲良し老夫婦」をイメージしてずっと仲良くいられる秘訣を厳選しました。 両親や周りの夫婦をみて、自分なりに何となく結婚生活を思い描いているとは思いますが、何となくではなくもう少し具体的にしていきます。 結婚生活にはどんな努力が必要なのでしょうか。 1.家事を分担し、無理せず楽に続ける努力 新婚さんや付き合い始めのカップルには全く想像もつかないと思いますが、家事の分担が上手くいかずにそれが溝となって離婚・・・という夫婦は少なくありません。 夫婦ゲンカに発展しやすいですし、お互いの育った環境や考え方が違うので、どこまでやれば家事をやったと言えるのかの基準も違っています。 しかも、共働きの時代とはいえ、家事は女性がするものと考えている男性は多いですから『奥さんがやってくれるはず』とぐうたらしていたら、奥さんの不満がチリも積もれば・・・となり、いつか必ず爆発してしまいます。 家事くらいで・・・と思っているのなら、もっと具体的に家事の内容を思い返してみてください。 家事分担については、明確なルール化が必要です。 気付いたほうがやればいいなんてアバウトに決めてしまってはだめ。 気付く人がいつも奥さんだったら損ばかりです。 家事スキルは女性だけが負担するものではありません。 夫婦で一緒に上げていくものだと受け止めましょう。 家事は毎日のことですから楽にするための仕組みを作ることも大切です。 料理をしながら簡単な洗い物は済ませておくと効率が良いですし、時短できる家電を取り入れるのもおすすめです。 2.仕事と家庭を両立する努力 仕事と家庭の両立といっても、実際にはバランスがとても難しいです。 仕事が忙しいと家に帰ってきても眠るだけ・・・とか、自分時間を過ごすだけになってしまいがち。 夫婦の時間はいつでも取れるからと後回しにされがちなのです。 仕事と家庭の両立ができなかったという後悔は、男性が圧倒的に感じていることです。 男は働いてさえいればよいとか、家庭内で問題が起こっても仕事を言い訳に逃げることも多いです。 仕事と家庭を同じくらい重要だと考えていなかったために、家族に見離されってしまった男性は非常に多いのです。 稼がないと生きてはいけません。 ですが、家族のために働くのなら、家族の理解やサポートを得られながらのほうがより仕事に集中できると思います。 仕事と家庭を同列に考え、短い間隔で家族時間を持つことが大切です。 3.お互いの価値観を理解する努力 これ・・・長く一緒にいると忘れがちになってしまうことなんです。 生活すると考え方・価値観の違いなんて数え切れないほど見つかります。 同じだー!という部分が圧倒的に少ないでしょう。 付き合って日が浅いうちは違いが新鮮で刺激的だったと思います。 できるだけ理解してあげようとも思っていたはず。 ですが、慣れてくると次第に非難したり否定したりといったことが多くなってしまうものです。 結婚生活はお互いの価値観に理解を示したうえで、合わせたり、合わせてもらったりとバランスを取っていく必要があります。 どちらかがそれを忘れてしまうと一気にバランスが崩れるので、日々の積み重ねを怠ってはいけないのです。 4.会話をする努力 努力しないと会話ができないという状況を想像できない人も多いかもしれませんが、ろくに会話をせず一日を終えることは案外簡単にできてしまうのが夫婦です。 仕事から帰ってきて休息や趣味など自分時間に充ててしまえばあっという間に一日は終わってしまいます。 相手のことを全て分かった気になり、空気のような存在になることが裏目に出てしまった形ですね。 スマホゲームに没頭したいけどその前に夫婦の時間、SNSを更新したいけどその前に夫婦の時間・・・というように、先に2人の時間を満喫することがおすすめです。 平日は短時間、休日はゆったりする午前中は夫婦のための時間といった習慣作りも大切にしてください。 また、おはよう、ただいま、おかえり、おやすみ、ありがとう、ごめんねといった言葉のやり取りもこまめであることが夫婦円満の秘訣ともいわれています。 日本人は下手だとよく言われます。 毎日なんてハードルを上げ過ぎることはせずとも、誕生日とか記念日など相手への感謝を伝えやすい場面で「好きだよ」くらいは言えるといいですね。 5.肯定する努力 上の価値観と多少重なる部分はありますが、相手を肯定する努力も欠かせません。 「そんなの間違っている」「あり得ない」といった否定ワードはできるだけ避けましょう。 たとえば、珍しく料理を振る舞ってくれた旦那さんに対して、あれも違うこれも違うとダメ出しばかりしてしまったら、次はきっとありません。 結果ではなく過程をみて肯定的な表現に言い換える努力。 外では普通にできるのに家では全く気を使わない人は多いです。 「思ったことをいつでも口にしていい」という人間関係なんてありません。 6.夫婦でも親でもない時間を持つ努力 恋人期間中は、友達付き合いや趣味といった自分時間を持つ機会もしっかり持っていたのに、結婚すると職場と家の往復だけになって個人として楽しむことが減ってしまうのもよくある話です。 親になるとよりその傾向は強くなってしまうでしょう。 ですが、自分時間を持てないストレスを蓄積させてしまうと、家族のために犠牲になっていると感じるようになり、それを更に放置してしまうと何のために生きているのだろう・・・?と追い詰められてしまいます。 家庭を持つと犠牲になる部分は確かにありますが、自分時間を持てないほど毎日忙しいのか?といえばそんなことはないですよね。 お互いの時間も充実させてこそ、夫婦関係も円満でいられるということを覚えていてください。 7.ケンカを速やかに沈静化させる努力 夫婦ゲンカはお互いの新たな一面に気付けたり、悪い習慣を改善するきっかけになることも多いので、何が何でも避けるべきことではありません。 ただ、何日も何週間も続いてしまうような大ゲンカや夫婦関係の悪影響となってしまうので、いかに早くお互いの感情を静めるかは大切にしたいところです。 話し合いではなくケンカにまで発展した場合、どちらが正しいかを明らかにしようとしても感情的になるだけ。 見るべきは2人の考えが違っている点です。 どっちが悪いではなく、「こんな違いがあったんだね、どうしたら埋められるだろう?」という流れを作るようにしてください。 そして、ケンカした時の約束事をつくっておくことがとても大切です! たとえば・・・ ・翌日に持ち越さない ・ケンカ中でもおはよう、いってきますの挨拶は欠かさない ・メール・LINEで謝る ・先に謝るほうを決めておく ・空腹時にケンカは避ける ・自分の悪いところを謝る ・ケンカ中に過去のケンカは持ち出さない ・「別れる」「離婚」などNGワードを決めておく ポイントはケンカの規模をできるだけ小さくすることと、長引かせないことです。 まとめ 永遠の愛を手に入れる方法は、情熱的に愛し合うとか何があっても愛を貫く覚悟といったドラマチックな展開ではなく、毎日小さなことを積み重ねていった先にあるようです。 当たり前のことほどありがたみを忘れてしまうものですが、それをいかにこまめに思い出すかがカギ。 【相手への思いやりと感謝】、そして【あなた個人としての主張・価値観】の黄金比率を探っていきましょう。 一生が終わろうとする瞬間に『この人と一緒に生きられた人生は最高だったな』と思えたら最高ですよね。
次の永遠なんてない この世に永遠なんてない。 きれいな花もいつかは枯れてしまうし、 可愛らしい赤ん坊もしばらくすれば薄汚いオッサンになる。 イケイケの会社もそのうち失速するし、 炊きたてのごはんも放っておけば冷めてしまう。 生あるものはいつしか滅びる。 悲しいことだけど、永遠に続くモノなんてない。 ないんだ。 いま一番永遠に近い存在、アカギと鷲巣 永遠なんて存在しないけど、限りなく永遠に近いものがあるとすればコレだろう。 アカギと鷲巣だ。 「カイジ」で有名な福本伸行の作品「アカギ」において、二人はお互いに血を取り合う鷲巣麻雀で果てしない戦いを繰り広げている。 鷲巣が初登場したのは1998年発売の第8巻、先月、最新32巻が発売された。 つまり、アカギと鷲巣は1998年から2016年までかれこれ18年に渡って麻雀を打ち続けている。 正確には 途中地獄に行ったりしてたので、ずっと麻雀してたわけではない。 読んでない人からすると、 途中地獄に行った、と言われても困惑するだけだろうけど、まあとにかく18年以上ずっと戦い続けている。 1998年といえば… 1998年といえば、 Googleが設立された年。 アカギと鷲巣が麻雀したり地獄に行ったりしてる間に、Googleはゼロから時価総額世界一位の座をAppleと争うほどの巨大企業に成長したのである。 アカギと鷲巣がすごいのかGoogleがすごいのかわからないが、それだけの時間二人は戦い続けている。 1998年といえば、 宇多田ヒカルがデビューした年。 宇多田がファースト・アルバムで日本一の売上を記録したときも、結婚したときも、離婚したときも、また結婚したときも、人間活動しているときも、オレンジ色の夕日を隣で見てるときも、ありがとうと君に言われてなんだかせつなくなってるときも、アカギと鷲巣はずっと麻雀したり地獄に行ったりしているのである。 劇中ではたった一晩の出来事、数時間の出来事が、1998年から2016年まで18年間連載されているのだ。 そして今も戦いは決着していない。 結末は決まっている 実は勝負の結果はすでに分かっている。 「アカギ」と同じ福本伸行の作品「天」の最後で年老いたアカギが死んでいく姿が描かれている。 鷲巣麻雀でアカギは死なない。 最終的にはアカギが勝つ。 それが結末だ。 まあ、鷲巣麻雀でアカギが死んで、実はその後活躍したのはニセアカギ二世でした、とかだったらそれはそれで面白いけど。 惰性もいいものだよ 現在のアカギの評判はすこぶる悪い。 本当に悪い。 「引き伸ばしが酷すぎる」という意見が大多数。 確かに分かる。 分かるよ。 初期の「アカギ」のヒリヒリした緊張感はどこいったんだ、と自分も思う。 死ねば助かるのに… とか言ってた頃はこんなことになるとは思ってなかった。 それでも、惰性でダラダラ引き伸ばされている「アカギ」も、そんなに嫌いじゃない。 変わり続ける時代の中で、めぐりめぐる季節の中で、ずっと同じような戦いを繰り広げている二人を見るとなんかホッとする。 最新32巻も良かった。 鷲巣に振り込んだら死んでしまう状況で、危険牌の北を、 アカギ「切るさ!そこに切る理由があれば…!」 安岡「は?理由?命を賭けて切る理由…理由って何?」 アカギ「それはこの北が」 アカギ(ニヤリとする) アカギ「邪魔だからさ!」 とか名言っぽいセリフとともに切るアカギ。 あの頃の緊張感はもうないけど、変わらねえなあ…と思う。 永遠に続くと思っていたこち亀が終わってしまった今、アカギと鷲巣はずっと仲良くケンカし続けていて欲しい。 もう少し(あと2年くらい?)で終わりそうな感じもするけど…。 やっぱり永遠なんてなかったんだ…。
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