タップできる目次• 大人になる その定義は、考え方によって全くことなるため答えがありません。 そして、答えがないものを考えても仕方ありません。 、昨年9月で20歳になり完全に「成人」です。 今年で21歳となり、誰も文句のつけようがない「大人」になったと思っていました。 定義上は。 ただ、何か心の中で「 自分はまだ大人になりきれていない」というしこりがあったのです。 人に、親に甘えてばかり。 やろうと思ったことも中途半端。 これからの人生についても考え中…。 積み重ねることは出来たのは「年齢」だけ。 それ以外、高校生の頃からほとんど成長していないのではないか?周囲の同級生を見ていると、みな雰囲気が違うように見えて焦ります。 別に、わたしが現在無職だからとかではないしょう。 それ以前の精神的な成長がありません。 これではただの『子供』のままです。 でも、 『大人』ってなんでしょう?どうやったらなれるんでしょう? シカマル秘伝 今回は、その答えに近づくヒントを得ました。 漫画で、ラノベで。 今回の登場人物。 主人公はナルトではなく、奈良シカマル。 今回、あらすじは関係ありません。 無事にハッピーエンド。 感想は、「シカマル、デートの約束出来てよかったね!」とでも言っておきましょうか。 なにかを諦めて、もっと大事なモノを見つけること……。 戦いが終わって終盤、六代目火影はたけカカシが今回の主人公、奈良シカマルに問います。 「大人になるってどういうことなのかなぁ?」 「 なにかを諦めて、もっと大事なモノを見つけること……。 なんて感じじゃないスかね」 「ナルトみたいに子供の時からひとつのことに真っ直ぐにむかってゆけるヤツもいるが、 大半のヤツは悩みながらになにかを諦め、それでも歩き続けて、そうやって最後にはなにか大事なモノを見つけてそれにむかって生きるんじゃないっスかね」 この言葉にビビッときました。 息抜きの本だからと油断していましたが、すぐにこの言葉をメモ。 諦めるは悪だと思っていた 「諦める」と聞くだけでマイナスなイメージがあります。 小さいころから、「諦めるな!」という励ましの言葉を受けて生きてきましたから。 わたしが好きな歌の中に、というタイトルがあります。 夢をかなえるゾウというドラマの主題歌になったもの。 その歌詞の中には、「 負けたら終わりじゃなくて やめたら終わりなんだよね」というフレーズが。 かの有名なナイチンゲールも、「 諦めなどという言葉はわたしの辞書にはない」と名言を残しています。 やっぱり、諦めてはいけません。 夢は追い続けるべき。 継続は力です。 が、念のため「諦める」という意味を調べました。 そこには、「 明らかに見極める」という意味があるらしいです。 しかも、仏教用語が由来に。 〈参考:〉 例を挙げるのが難しいので、引用させていただきます。 我々は、自分の苦悩は、社会が悪いから、あの人のせいだからしょうがないといって、「あきらめる」ことでよしとする。 逆に、それは自分の欲望、無知に基因すると「諦める」ことができれば、現状を受け入れ、解決の方法をみつけやすい。 先ほどのシカマルが放った言葉が、このことを伝えたかったのかはわかりません。 しかし、わたしはこう捉えることにしました。 どうしても達成できないことが人生にはたくさんあります。 ひたすら、あきらめずにがむしゃらにもがくのも良いでしょう。 しかし、「大人」になるには諦めも肝心。 なぜ、達成できなかったのか?納得して断念する。 そうしているうちに、本当に大切なものが見えてくる。 まとめ 何を諦めるか?これを見つけるのにも苦労することでしょう。 人間、そう簡単には諦めきれませんから。 『大人』になるということは、そのような決断を下せる人間になるということではないでしょうか。 もし、諦めるべき局面に出くわしたときは……。 しっかりと納得して断念し、シカマルのようにこう言ってやりましょう。
次のそうですか? お父さんを彷彿として、ほろりとしちゃって、 泣きゃあしなかったけど、泣きそうになったなぁ。 お父さんは、 自分の書きたいことを書く、という人だったけど、 途中から、「生き方」について話すという ジャンルの仕事をはじめたよね。 それはきっと、ご自身がからだを 悪くしてからのことだったと思う。 溺れてからでしょうね、やっぱり。 (註:1996年8月、毎年夏に海水浴に訪れていた 伊豆の海で、吉本隆明さんは溺れました。 そうだね。 きっとその前は、生き方について 何か人に言うなんてことは なかったと思うんだ。 しゃべってないと思う。 吉本隆明さんとを 作らせてもらったのも、ちょうどそういう時期だった。 いま、こうしてまほちゃんが自動的に、 「そのジャンル引き継いでるんだ!」と思ったよ。 読んで楽になるし、真剣にもなれる。 隆明さんとそっくりだよ。 それはぜんぜん、 自分では思ってなかったです。 そうなの? お父さんに言われたことと同じだなぁ、 とか思わなかった? 思わなかったです。 たぶんお父さんは 私が何を考えてるかを ほんとうにはよく知らなかったし、 深いところでは知っていても わからなかったような気がする。 そうだね。 うん、そうですね。 でも、この本のうしろのほうに出てくる話とか 「吉本さんも、すっかり同じこと言ってたぞ」 と思ったよ。 まほちゃんは自分がおとなになった瞬間を はっきりと覚えてる、って本に書いてたよね。 もし自分にああいうことがあっても、 見すごしてたと思う。 そうですか? ちいさくいろんな段階はあったんだろうけど、 ぼくがおとなになったのは 50すぎてからです。 まほちゃんは、もうすぐ50になる? いま、51歳です。 あ、なってる! うん、いつの間にか。 50は、おとなにならざるを得ない年齢ですよね。 「子どもが生まれたら、おとなになりました」 という人がよくいるけれども、 そうなっても、親にはなれないよね。 自動的になることって、ないと思う。 うーん、でも、うちのお父さんは 私が48歳になったときに、 「48歳ですよ」 と言ったら、 「君も立派なおばあさんになったな」 って(笑)。 「昔だったら、48は もう立派なおばあさんだ」 と言われて、 「すいませんねぇ」 と応えたのをよく覚えてます。
次のこんにちは、みんなの科学研究所の蛯原ようすけと申します。 おとなとこどものやさしい理科と科学のブログです。 ネコさんの目の色というと、瞳孔 どうこう のまわりの虹彩 こうさい の色のことになります。 瞳孔 どうこう は私たちと同じで、黒い瞳ですが、ネコさんの瞳孔 どうこう は、 まぶしい時には小さくなって、薄暗いときには、大きくなりますね。 ネコさんの写真を撮る時に、瞳が大きい写真を撮るのは、大変ですね。 私たちヒトは、瞳孔 どうこう の色がいろいろありますが、ネコさん場合には、瞳孔 どうこう は同じで、、瞳孔 どうこう のまわりの虹彩 こうさい の色がいろいろあります。 ネコさんの目の色、つまり虹彩 こうさい の色は、生まれたての時から大人になるまでにも変化するようです。 これは、虹彩 こうさい に含まれるメラニン色素のせいだと言われています。 生まれたての時はメラニン色素が少ないから、ブルーの目の色で、だんだんメラニン色素ができてきて、茶色っぽくなっていくようです。 ネコさんの目の色は、虹彩 こうさい に含まれる、メラニン色素がどこまでできるかによって決まることになります。 さて、あのネコさんはメラニン色素はここまで、このネコさんはメラニン色素はここまで・・と、どうやって決まっているのでしょうか。 ちょっとここで、話を遺伝子(いでんし)の話に飛ばします。 私たちを含めて生きものの大前提として、遺伝子(いでんし)に書いていないことは起きないというルールがあります。 生きものの細胞1つ1つの中に遺伝子(いでんし)が含まれていて、 遺伝子(いでんし)によって、この細胞は目になる、この細胞は、手になる・・とすべて決められています。 遺伝子(いでんし)は、私たちが意識しなくても生きていけるように、ホルモン系、自律神経系を働かせています。 遺伝子(いでんし)には、大量の化学文字が書かれています。 数十億文字あると言われています。 大量の化学文字が書かれている遺伝子(いでんし)ですが、通常は10%くらいしか機能してないと言われています。 休んでいる遺伝子(いでんし)が目覚めて、いままで動いていた遺伝子(いでんし)が休み始めるということもあります。 これは、住んでいる環境が変わった時に起きやすいことが分かっています。 私たちの場合でも、日本ではまあまあ普通の人だったのが、アメリカに行ったら、人が変わったように成果を出し始めた、というような時は、日本にいるときに休んでいた遺伝子(いでんし)がアメリカに行ったことで目覚めて、人が変わったように成果を出し始めることができるようになったと言えるのです。 植物でもおきます。 普通に土に種をまいてトマトを育てたら、10個のトマトの実ができたのに、同じ種で、水耕栽培で当てる光の色を調節するなどした場合には、100個のトマトの実ができたということがおきているのです。 遺伝子(いでんし)に書いていないことは起きないというルールのはずなので、 トマトの種の遺伝子(いでんし)の中には、もともと100個のトマトを実らせる情報も書いてあったということになります。 さて、話題をネコさんに戻します。 ネコさんの目の色を決める、虹彩 こうさい に含まれるメラニン色素の量は、 必ずどこかの遺伝子(いでんし)の中に書かれています。 ネコさんが住んでいる環境によって、 メラニン色素の量を決める遺伝子(いでんし)が目をさましたり、 休んだりしていると考えられます。 出身地の違いによってのネコさんの、目を覚ました遺伝子(いでんし)が違ってくるので、 メラニン色素の量が違ってくるようになるのですが、 現在では、いろんな出身地のネコさんどうしで交配をたくさんやってきたので、 出身地が良くわからなくなってしまって、 メラニン色素の量と出身地の関係も良くわからなくなってしまいました。 さて、ネコさんの目の色が変わるのは、 生きものは、遺伝子(いでんし)に書いていないことは起きないというルールのせいらしいと分かったとしても、どうして、目の色を変えるようにする必要があったの?とギモンが湧きます。 なにか、そうしたほうが都合が良かったんだろうという理由がありそうです。 生きていく上で都合がいいように、目を覚ます遺伝子 いでんし を決まった、のではないかと思われます。 目の色を変えるようにしたら、視力がよくなったとか、獲物をとらえるために都合が良かったとか、残念ながらまだ分かっていません。 生きものの目のコトは、調べるのがなかなか難しいようです。 ネコさんに、これ見える?って聞いても、答えてくれませんからね。 どういう環境にしたら、どの遺伝子 いでんし が目を覚まして、 ネコさんの虹彩 こうさい に含まれるメラニン色素の量をここまでだよと決めているのか、 残念ながらまだ分かっていませんが、今後わかってくるだろうと思われます。 現在は、子孫を残していく時に、遺伝子(いでんし)のコピーミスがおきたせいだとも言われていますが、確かなことはまだ分かりません。 他の動物の目がどうなっているのか、何が見えているか、 私たちに見えない光の紫外線(しがいせん)やX線が見えているのか・・・ 遺伝子 いでんし の研究は盛んに行われています。 今後の研究で分かってくると思われます。 生きもののことは、調べていくと、そうなっていたんだとしくみは分かるのですが、 じゃぁ、どうして、そういうしくみにする必要があったの? となると、なかなかむずかしい問題で、いろんな答えの可能性、仮説があります。
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