この春から放送中のNHK連続テレビ小説『エール』。 もうすぐ2ヵ月になりますが、誰もが楽しく見られる、良質なドラマになっていると思います。 主人公は、作曲家の古関裕而(こせき ゆうじ)がモデルの古山裕一(窪田正孝)ですが、オペラ歌手を目指している妻・音(二階堂ふみ)との「夫婦物語」であり、幼少期から音楽に親しんできた2人の「音楽物語」でもあるという、絶妙な合わせ技が効いているのです。 「早稲田祭り」だった、今週の『エール』 今週は、よく知られた早稲田大学の応援歌『紺碧の空』の「誕生秘話」といった展開で、完全に「早稲田祭り」でしたね。 その上、今週「実は既婚者でした」の報道で話題となった、『あさイチ』の近江友里恵アナウンサーが早稲田出身で、しかも応援団に所属していたことがあるというので、「朝ドラ受け」も一層盛り上がっていました。 確かに、古関裕而が作曲した『紺碧の空』は、とてもいい応援歌です。 早慶戦が好きで、学生として、次に教員として、さらに保護者というか親としても、長年、神宮球場の慶應応援席に座ってきました。 実は古関裕而、戦後には慶應の応援歌も作っています。 『我ぞ覇者』という曲なのですが、残念ながら、歌った回数はあまり多くありませんし、歌詞もすぐには思い出せません(笑)。 そうそう、裕一の妻・音を演じている二階堂ふみさん。 在籍年数は多くなっていますが、今も総合政策学部所属の「塾生(現役の慶應生)」です。 ちなみに、卒業した慶應OB・OGは「塾員」と呼ばれます。 「塾生」の二階堂さん、『我ぞ覇者』はともかく、『若き血』のほうは、一度くらい歌ったことがあるかもしれません。 「応援歌」から「軍歌」へ 21歳の古関裕而と、18歳の妻・金子(きんこ)が東京へやって来たのは、1930年(昭和5年)9月のことでした。 10月には、「コロムビアレコード(ドラマではコロンブスレコード)」の専属作曲家となります。 そして、新応援歌『紺碧の空』が神宮球場で初めて歌われたのは、翌31年(昭和6年)春の早慶戦。 ドラマの通り、2勝1敗で早稲田が勝利しました。 さて、当時の時代背景に注目してみましょう。 同じ31年の9月、「満州事変」が起こります。 さらに32年1月に「第1次上海事変」。 そして3月には「満州国」の建国が宣言される。 つまり、ここから日本という国が軍事色を強めていく時期でした。 レコード会社も、時代に合った音楽を提供していくことになります。 いわゆる「軍歌」や「時局歌」です。 古関裕而たち専属作曲家には、曲数のノルマがあります。 当然、業務として「軍歌」も「時局歌」も作るわけです。 『満州征旅の歌』、『起てよ若人』、『肉弾三勇士の歌』などですが、やがて古関は、このジャンルでの代表作となる大ヒットを放ちます。 「盧溝橋事件」から「日中戦争」へと突入していった、37年の作品です。 古関が作った、軍歌のタイトルの一部を挙げてみます。 『少壮空爆少年兵』、『華やかなる突撃』、『皇軍入城』、『南京陥落』、『黄河を越えて』、『形見の日章旗』、『銃後県民の歌』・・・。 コロムビアレコードが、「軍歌の覇者」というキャッチコピーを付けたほど、古関は軍歌のヒットメーカーとなりました。 さらに1941年(昭和16年)12月8日、つまり太平洋戦争の開戦当日の夜には、JOAK(後のNHK)のラジオ番組「ニュース歌謡」で、古関が書いた『宣戦布告』なる曲が放送されたのです。 こうした活動は、敗戦まで続けられました。 「軍歌の覇者」をどう描く? では、果たしてこのドラマでは、「軍歌の巨匠」「軍歌の覇者」だった古関をどう描くのでしょうか。 それが気になります。 もちろん主人公は「古山裕一」ですが、ドラマ開始時に登場した『オリンピック・マーチ』も、『紺碧の空』も、紛れもない古関裕而の作品であり、見る側にとっては、基本的に「古山、ほぼイコール古関」と言っていいでしょう。 「古山裕一は『紺碧の空』は作ったけれど、架空の人物なので、『露営の歌』は作りませんでした」というわけにはいきません。 前述のように、レコード会社の専属作曲家としての「業務」だったことは事実です。 では、戦時中もしくは戦後の古関の中に、いかなる「葛藤」があったのか、なかったのか。 また戦場へと駆り出された若者たちは、「戦時におけるエール(応援)」としての古関の軍歌を、どのような思いで聞き、そして歌ったのか。 さらに、「戦時放送」という形で戦争にかかわり続けた、当時唯一の放送局であるJOAK。 その果たした役割や意味を、現在のNHKは、そして制作陣は、どう捉え、どのように表現していくのか。 実録ドラマの中の「戦争と音楽」。 そして「戦争とメディア」。 しっかりと見つめていきたいと思います。
次のこちらの動画は2015年のものですが、はっきりと「作曲:古関裕而」と記されていますね。 (動画を3分40秒まで進めでもらうと曲が始まります) 古関裕而さんが作曲したときにはすでに6つの応援歌 「紺碧の空」の第1〜6応援歌 があったそうですが、その6つの応援歌よりもこの曲が良い曲だったということでしょう。 【エール】他の早稲田大学応援歌は? 古関裕而 古山裕一 が作曲したもの 「紺碧の空」がメインの応援歌として歌われていますが、その他にもたくさんの応援歌があります。 その中には古関裕而さんが作曲した応援歌もいくつかありました。 早慶讃歌• ひかる青雲• 永遠なるみどり 古賀政男 木枯正人 が作曲したもの そして、古関裕而さんが作曲した曲だけでなく、エールではライバルとして描かれてる古賀政男(木枯正人)さんが作曲した曲もありました! 「人生劇場」 この曲は応援歌ではなく、早稲田大学の第二校歌として歌われています。 ライバルとして切磋琢磨した裕一と正人の作曲した曲が現代にも残っていると思うと嬉しいですよね^^ 【エール】早稲田大学応援歌の実在モデルとエピソードは同じ? エールの物語では、小山裕一の幼なじみである佐藤久志のいとこが、早稲田大学の応援部に在籍しているという繋がりで、裕一が作曲を任されることになりました。 佐藤久志のモデルである伊藤久男さんは、オペラ歌手を目指した時期もありましたが後に流行歌手として活躍されました。 お互いの人生に影響を与えた存在であることから、古関裕而さんと伊藤久男さん、そして野村俊夫さん 村野鉄男 の3人は後に「福島の三羽ガラス」と呼ばれるほどになります。
次の2020年5月18日からNHK朝ドラ「エール」では窪田正孝さん演じる主人公の古山裕一(こやまゆういち)がなんと早稲田大学の応援歌である「 紺碧の空 こんぺきのそら 」の作曲に挑みます。 「紺碧の空」は早稲田大学の応援歌という設定で、前の週にいきなり古山裕一の元に、ごつい応援団員たちが押し寄せてくるラストシーン。 これから面白くなりそう!!という予感でわくわくしますよね。 そんな早稲田大学の「紺碧の空」なのですが・・・なんと実在する曲なんです。 応援団長の田中陸さんも実在する人物だと言われています。 そして、「紺碧の空」を作曲したのも、古山裕一のモデルになった実在の作曲家の古関裕而さん!そう、実話のエピソードなんです。 今回は朝ドラ「エール」に登場する早稲田大学の応援歌「紺碧の空」について、また古関裕而さんの実話の作曲エピソードをご紹介していきます。 入学式の動画ですが、非常に盛り上がっていますね。 そしてこんな動画も。 なんと!!!結婚式の余興に。 それだけ早稲田大学にとって重要な盛り上がる歌であることがわかります。 そしてツイッターでも朝ドラでエピソードが放送される直前、こんなツイートが多数です。 自粛生活で、思うように活動できないと思いますが、今回の朝ドラで大盛り上がりできそうですね。 そんな「紺碧の空」は作詞は当時の 応援部が学内募集した歌詞の中から選ばれたんです。 当時の西條八十教授が、なんと1文字の修正もせずに選出したのは、当時の高等師範部3年の「住治男」さん。 そう作詞は有名な作詞家さんではなく、当時の学生さんだったんです。 そしてその詞に主人公の古山裕一のモデルになった実在の作曲家である古関裕而さんが作曲することに。 昭和2年の出来事です。 戦前のことだったんですね。 今回はそんな「紺碧の空」の古関裕而さんが作曲のエピソードをご紹介していきます。 スポンサーリンク 「紺碧の空」の朝ドラ「エール」のあらすじは?古山裕一が作曲の依頼を受ける では、まずは、朝ドラエールでの「紺碧の空」のネタバレあらすじをご紹介していきます。 竹取物語のコンクール受賞という輝かしい功績のある古山裕一。 不況により、イギリス留学はなくなってしまいますが、音と結婚することができ、また音のおかげで「コロンブスレコード」と作曲家として契約することに。 ここから、バンバン名曲を作るはずが・・・そう簡単にはいきません。 コロンブスレコードとは、年俸3千5百円というかなり高額な契約。 これは、ヒット曲を作って還元しなければならないということです。 そして、最低でも月に2曲は作らなければなりませんでしたが、裕一の作った曲はすべてボツになってしまいます。 なかなか曲が作れないまま月日が流れていく裕一は追い詰められていきます。 そんな中、手を差し伸べたのが・・・なんと裕一の小学校の同級生である佐藤久志(山崎育三郎)。 音と同じ音楽学校に通っているのですが音から裕一が苦悩している話をきき・・・佐藤久志が紹介したのがこの応援歌作曲の話です。 早稲田野球部といえば、ライバルは慶応。 早慶戦で早稲田が連敗をし始めたのは、慶応大学が新しい応援歌「若き血」ができてからという早稲田大学の学生たち。 応援団長の田中隆は、心湧きたつような新しい応援歌を作りたい!!!!と思い、裕一に作曲を依頼しました。 すでに「紺碧の空」というタイトルと詩は決まっていました そして・・・期限はなんと2週間。 この応援歌への取り組みが、裕一のターニングポイントとなる重要なエピソードです。 ではこのエピソードは実話なのか?以降でご紹介していきます。 スポンサーリンク 「紺碧の空」の古関裕而の作曲の実話エピソードとは? 「紺碧の空」作曲のきっかけは早稲田と慶応の対決? では「紺碧の空」の作曲エピソードのご紹介をしていきます。 「紺碧の空」が作曲された、昭和2年。 当時、早稲田大学のライバルである、慶應義塾応援歌「若き血」が一世を風靡していました。 早慶野球戦は昭和2年、3年と慶応大学が全勝していて、4年の3勝3敗をはさみ、昭和5年も慶応が春秋4連勝と絶好調。 以下、第18話のあらすじなのですが・・・ 古山家に、早稲田大学応援部の団長(三浦貴大)たちが押しかけてくる。 早慶戦で慶応に連敗を喫した早稲田の応援団員たちは、慶応義塾の新しい応援歌「若き血」が歌われだしたことから連敗が始まったと考えて、自分たちにも心沸き立たせるような新しい応援歌が必要だと考えたのだ。 早慶戦まで2週間。 公募ですでに決定している「紺碧の空」の詩に、曲をつけてほしいとお願いされた裕一(窪田正孝)だが、曲は出来ず…。 引用元: 本当に実話なんですね! 慶応義塾大学の勢いに、早稲田大学はただ圧倒されるばかりで、早慶戦の勝敗が大学内の雰囲気を大きく左右していたそうです。 確かに今でも野球は非常に盛り上がりますが当時は更に大学内でもウエイトが置かれていたイベントだと思います。 タイトルと詩決まった状態で、作曲家を探していました。 しかし・・・作曲家がなかなか決まりません。 慶応義塾の「若き血」に勝てる応援歌を作ってもらわなくてはいけません。 誰でもよいという訳ではありませんでした。 スポンサーリンク どうして古関裕而が紺碧の空を作曲?伊藤久男が関係? ではどうして「紺碧の空」を古関裕而さんが作曲することになったのでしょうか? エール」の佐藤久志(山崎育三郎)のモデルである伊藤久男が関係していました。 伊藤久男さんと古関裕而さんは、同じ福島出身でした。 古関裕而さんの妻で、音(二階堂ふみ)のモデル、古関金子さんと同じ音楽学校に通っていたこともあり、ふたりは交流を持つようになります。 その伊藤久男さんの従弟に伊藤戌さんという人物がいて、その方が早稲田応援部の偉い人だったんです。 伊藤久男さんから紹介された、そして作曲家の古関裕而さんに「紺碧の空」の依頼することになったそうです。 当時、ドラマの「コロンビアレコード」のモデルの「 日本コロンビア」専属だった古関裕而さん。 ただ、輝かしいコンクール優勝という経歴はあるものの、 古関裕而さんはまだ当時無名で、応援歌にお金を使えない早稲田にしてみれば、願ったりの人物だったようです。 もちろん経歴はありませんでしたが「( 古関裕而には)未来はある!!」と 古関裕而さんを見込んで「紺碧の空」の作曲を依頼した早稲田大学の関係者たち。 この方々の見る目も名曲誕生に大きくかかわってきたんですね。 ちなみに、当時まだ21歳という若さの 古関裕而さん自身も、この依頼を喜んで受けたそうです。 もちろん、応援歌など作曲した経験のない古関さんは、最初は苦労したようで、ピッタリしたリズムが全く浮かびませんでした。 特に「覇者覇者ワセダ」の歌詞の旋律は何回も書き直したというエピソードがあります。 そして苦悩しながらも「紺碧の空」が完成しました。 ちなみに、当時、 「少し難し過ぎる」との批判も一部あったとのことです。 しかし、歌っているうちに「これでいける!」という事になり互いに胸をなでおろしたそうです。 本当に苦労して出来上がった名曲なんですね。 スポンサーリンク 紺碧の空を 古関裕而が作曲した結果・・・ では、もちろん素敵な歌ができたことはわかるのですが、早稲田大学の慶應義塾大学との早慶戦の結果はどうだったのでしょうか?? なんとこの応援歌ができたことで、 早稲田は5連敗を免れたんです。 すごいですね。 歌の力って驚きです。 そして先ほど見てもらった通り、「紺碧の空」は早稲田の応援歌として定着します。 早稲田大学のホームグラウンドでは、早稲田に点数が入るたび、みんな起立して肩を組み「紺碧の空」を歌ったとのこと。 そして現在でも歌い継がれる名曲となったんです。 ちなみに「紺碧の空」なんと早稲田大学の第6応援歌だったんです。 しかし、今では第1応援歌に格上げ。 認められるのは当たりまえですね。 この作曲がきっかけとなり、 古関裕而さんは以降多くの名曲を世に送り出して天才作曲家への道を進んでいきます。 「紺碧の空」の古関裕而の作曲で実在のまとめ コロンブルレコードで倒れてしまうほど、苦悩する古山裕一を大きく変えるきっかけになる、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」は、モデルとなった 古関裕而さんの実話であることがわかりました! コロナ感染騒動で少しくらい雰囲気の日本の朝を盛り上げてくれそうな応援歌の完成! 是非朝ドラ「エール」を見て元気になりましょう。
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