昔から、ひとの人生には楽なときもあれば、苦しいときもあるものです。 楽なときはいいのですが、苦しいときは当然誰でもつらいものです。 こんな人生いやだ、とか、いっそ生まれ変わりたい、などと考えたことがある方も多いでしょう。 そんな時、友人や家族のなぐさめや助言はとてもうれしいものです。 それによって救われることもよくあるでしょう。 けれども家族や友人がすぐそばに居ないときや、時には周囲の助言が逆に気に障ったりということもありますね。 古今東西の偉人の名言は、人生のいろいろな場面で、まるで自分の気持ちを分かってくれているかのような助言や力ぞえとなってくれるものが本当にたくさんあります。 つらい時や何かで思い悩んでいるときなど、きっとそのときの人生の糧となるような名言や格言があるはずです。 「重要なことは人が何を持って生まれたかではなく、与えられたものをどう使いこなすかである」 アルフレッド・アドラーはオーストリア生まれの医師、精神科医で、「個人心理学」の創始者です。 劣等感、劣等コンプレックス、優等コンプレックスなどの心理用語を始めて使った人でもあり、原因論ではなく目的論を主張し、同時代の著名な心理学者フロイトやユングらと袂を分かちました。 過去のトラウマにこだわるよりも、それを今どう捉え、何を目的としていくかが重要なのだと主張しました。 自身の生まれや過去について自分がどう考え、それとどう付き合っていくかという態度が人生を変えていくカギだ、というアドラーのメッセージも人生の助言に加えてみてはいかがでしょう。 「人は心がゆかいであれば終日歩んでもいやになることはないが、こころに憂いがあればわずか一里でも嫌になる。 人生の行路もこれと同じで、人はつねに明るく愉快なこころを持って人生の行路を歩まねばならぬ。 」 イギリスを代表する劇作家、詩人で、『ロミオとジュリエット』、『オセロ』、『ハムレット』など歴史に残る数々の傑作を残しました。 シェイクスピアの人間の心理描写は時代と文化の枠をこえて、ひとびとの心にうったえるものがあります。 彼のことばは、時空をこえて今の私たちの生活のなかにあっても、なるほどと納得させてくれるものがあります。 このシェイクスピアの名言は、私たちの人生は明るく楽しむものだと思い出させてくれるのではないでしょうか。 彼にはすばらしい夢がありましたね。 彼の夢とメッセージは今でも人々のこころに残って、その支えともなっています。 このメッセージを聞くたびに、悲しいときでも希望がわいてくるのではないのでしょうか。 」 南アフリカの政治家、活動家でノーベル平和賞受賞者のマンデラの不屈の闘志は今でも平和をのぞむ人々の希望の光です。 長い投獄生活のなかでも消えなかった闘志の炎はこのような楽観的な心がまえがなければ、続かなかったかもしれません。 何かを成し遂げようとして途中でくじけそうになったとき、ネルソン・マンデラのこの言葉を思い出して、彼の楽観な心がまえと闘志を思い出してみてはどうでしょう。 多くの場合、人は自分の人生やその現状について、こうなったのは自分のせいではなく、他の人や物ごとが原因であると無意識にも考えているようです。 例えば、この現実は家族や社会が悪いからだとか、人生がうまくいかないのは運命か神のせいだ、とかです。 しかし、自分の現実がうまくいかないのが他者のせいだと考えているうちは、裏を返せば、自分には自分の現実を創造していく力がないのだと言っているのと同じことなのです。 これはつまり、本気で人生を変えようと思うならば、まずはそこから考え直していく必要があるのだという金言です。 歴史の時空や文化を越えて、世界のさまざまな分野の先人たちがすばらしい名言や格言を残してくれています。 ふだん自分だけでは思いつかないような発想や英知に富んだものもあれば、その時まさに悩んでいた自分の気持ちを察してくれるかのような助言もあったりします。 ひとりぼっちで悩んでいたと思ったのに、時代も国もまったく違う人たちが同じような困難や問題と向き合っていたのだと知るだけでも、何かほっとするようなときもあるでしょう。 ほんの一言の名言に救われることもあるかもしれません。 もしそういうことがあったなら、今度はあなたが他の誰かにそのことばを伝えてあげてみてはいかがでしょう。 きっとそれも素晴らしい人生の糧となるのではないでしょうか。
次の苦しい、、、 人生にはどうしようもないくらいに苦しく思える時があるかもしれない。 どうして、こんなことが起こるんだ!! 一体、どうしろって言うんだ!! この状況からどう抜け出せるって言うんだ!! そんな苦しみの中にあっても一筋の光を見出すことができると心の奥底から何か希望とでも呼べそうな温かいものが湧き上がってくるんだよね。 わずかな心の温度の上昇。 真っ暗闇の中にいる時、この わずかな温度の上昇がどれだけ勇気を与えてくれることだろう。 僕は、苦しい中にあってそれを実感することができた。 だからこそ、今日のブログは同じく苦しみの中にある人にとってわずかでも心の温度を上げてくれるものとなることを願って、綴っていきますね。 スポンサーリンク この記事に書かれていること• 苦しい時の乗り越え方~名言から乗り越える秘訣を学ぼう 今日、ご紹介したい名言は 日野原重明さんの名言。 105歳まで生き、生涯現役医師として生き抜いた日野原さんの言葉だからこそ、心の奥底に響く言葉なんじゃないだろうか。 『 愛する事は信じることであり信じることは待つということなのです』 愛することは信じること 信じることは待つということ この「待つ」という「愛」 「信じる」という「愛」によって救われる人が一体どれだけいることだろう?? この言葉の前にはこんな言葉も綴られていました。 『もう二度と立ち上がれないと思ってもどんな戦地の跡にも必ず花が咲くのです』 必ず花は咲くんだよね。 どんなに荒んでしまった戦地の跡であっても、必ず花は咲くんだよね。 同様に、どんなに荒んでしまった心であっても、必ず花は咲くんだよ。 ただ、花が咲くためには「待つ」ことが必要なんだね。 その心にある無限の可能性を信じて、信じて、信じて、ただひたすらに待つ。 愛を持って「待つ」ことができると、必ず花は咲くんだ。 それは思っていたよりも早いかもしれない。 或いは、随分と時間がかかるのかもしれない。 いずれにしても、花が咲くその時まで愛をもって待つことが大切なんだね。 自分の可能性を心の底から信じるんだよ。 そして、目の前にある大切なことと向き合いながら待つんだよ。 愛を持って待つことができると、必ず花は咲くんだ。 どうすることもできない苦しみからも抜け出すことができるんだよ。 「待つ」ということを学ぼう 「待つ」ということを学ぶためには、こんなイメージを描いてみるとよいかもしれません。 それは、海や川で溺れた時のこと、、、 溺れた時、どうしたら助かる可能性が高くなると思いますか?? それはね、 何もしないこと。 どのように何もしないのかと言ったら、、、 海や川で溺れた時、通報してから救助隊が駆けつけるまでおよそ8分かかると言われています。 だから、その8分間をいかに過ごすかがポイントとなるのだけど、一番助かる可能性があるのは 「背浮き」なんだよね。 「背浮き」ってのは、浮いてじっと待つということ。 どうして浮いて待つのがいいのかと言ったら、服を着て溺れた場合、それなりに泳げる人であっても服を着たまま泳ぐことはとっても大変なことだからなんだ。 そこで登場するのが 「背浮き」 人間の体ってね、空気を吸えば 全体の2パーセントは水の上に浮くようにできているんだよ。 つまり、その2パーセントをどの部位にするかってのが大切なんだ。 もしも呼吸のできる口や鼻が水面上に出ていれば、ちゃんと呼吸ができるから溺れることはないよね。 でも、もがくとどうなるか、、、 といったら、その2パーセントの部位が手になってしまうんだよ。 もがいて水面に出ようと手を上に伸ばしてバタバタする。 でも、手をバタバタさせて水面上に手を出しちゃっているから、残り98パーセントに含まれてしまった顔はもう水面上に出ない、、、 その結果、本当に溺れてしまうんだよね。 これが溺れる仕組み。 もがけばもがくほどに溺れてしまうんだよ。 だから、溺れそうになったら何もしないのが一番。 もうひとつポイントをあげるならば、ちゃんと仕組みを知った上で何もしないことが一番!! 人間の体の2パーセントは水面上に出ることを知った上で何もしない。 何もしなければ、救助を待つことができるんだね。 心も同じなんだよ。 どうしようもなく苦しい時、もがいてもがいて苦しくなってしまうんだね。 本当はね、もがかなければいいんだよ。 もがくのやめて、あとは何もしない。 何もしなければ、心全体の2パーセントはちゃんと浮かんでいるんだよ。 つまり、 どんなに苦しかろうと2パーセントは絶対大丈夫!!ってこと この2パーセントは絶対大丈夫!!ってことを知った上で、じっと待つんだよ。 必ず道は開くんだ。 必ず花は咲くんだ。 さあ、「待つ」というイメージはできたろうか?? じっと待つというのは、 自分の内側にある可能性を信じて待つことなんだ。 とことん可能性を信じてごらんよ。 浮かび上がっている2パーセントが信じる心であれば絶対大丈夫だよ。 でも、浮かび上がっている2パーセントが焦りや不安であれば溺れてしまうかもしれない。 だからね、信じるんだ。 愛を持って信じるんだ。 そして、じっと待とう。 あなたは大丈夫だから。 苦しいからってもがかない みんな苦しい時にもがいてしまうから余計に苦しくなってしまうんだね。 でも、苦しくてもがいて慌てふためくことは、自分の中にある可能性を信じていないようなものなんだ。 もう私はダメだ、、、 私にはもうどうすることもできない、、、 もう私は終わった、、、 それじゃあ、自分で自分の可能性を絶っているんだよ。 どんな時にも自分を見捨てちゃいけないよ。 自分を信じること。 どこまでも自分を信じることこそが、自分に愛をもって接することなんだよ。 信じて、信じて、信じて、花が咲くその時までじっと待とう。 待つ覚悟ができたら、あとはただ、目の前のことと一つひとつ丁寧に向き合っていくだけだよ。 さあ、もう一度、名言を復習しよう。 『 愛する事は信じることであり信じることは待つということなのです』 もう二度と立ち上がれないと思ってもどんな戦地の跡にも必ず花が咲くのだから。 スポンサーリンク まとめ 『苦しい時の乗り越え方』 信じて、待つこと。 ・名言から乗り越える秘訣を学ぼう ~日野原重明さんの名言~ 『 愛する事は信じることであり信じることは待つということなのです』 ・無限の可能性を信じて、愛を持って「待つ」ことができれば、必ず花は咲く。 ~待つことができれば、どんな苦しみも終わる ・水の中に溺れたとしても空気が入っていれば体全体の2パーセントが浮かぶように、どんな苦しみの中に溺れたとしてもその心の2パーセントは浮かぶ。 ~その心の可能性を信じることができれば、大丈夫!! ・苦しいからってもがかないことが大切。 ・自分を信じ、ただじっと待とう。 登録はこちらから(無料で登録できるよ!) 現在、こちらの配信は終了し、 ツイッターではなまる言葉を配信してます。
次の人生が辛い(5) それはあまりたいした問題じゃない。 私はいつもこの「それはたいした問題じゃない」という哲学を持ってきた。 流れに身をまかせれば、どんなに弱い人でも岸に流れ着く。 自分が行きたいところに焦点を当てるんだ。 しかし最悪の場合さえも明るさを失わず、明日に希望をも持つように努力することは出来るのです。 じっと我慢するか、勇気を出して追い払うかのいずれかである。 今日も耐えられるでしょう。 明日のことは考えないようにしています。 I stood yesterday. I can stand today. And I will not permit myself to think about what might happen tomorrow. その方向を彼らに選ばせたものが初めは単なる偶然にすぎなかったかもしれぬにしても、少々の理由ではその方向を変えるべきではない。 というのは、旅人たちは彼らの望むちょうどその場所に行けなくても、少なくとも最後にはどこかにたどりつき、それはおそらく森の真ん中よりはよい場所であろうからである。 過去の姿や願望は忘れるのです。 Face reality as it is, not as it was or as you wish it to be. The longer I live, the more I observe that carrying around anger is the most debilitating to the person who bears it. Even if our efforts of attention seem for years to be producing no result, one day a light that is in exact proportion to them will flood the soul. 誰もがもっている過去の不幸は忘れなさい。 Reflect upon your present blessings of which every man has many — not on your past misfortunes, of which all men have some. We forge the chains we wear in life. Never confuse a single defeat with a final defeat. 表面的に流されている生活に魂が苦しんでいると気付かなくてはならない。 Each of us bears his own Hell.
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