祇園祭 疫病。 2020祇園祭コロナで中止!宵山や山鉾巡行、ちまきと屋台についても

祇園祭 概要

祇園祭 疫病

神賑わいは人 観光客 を引き寄せるもの? 祇園祭は日本三大祭 天神祭、神田祭 のひとつ、かつ京都三大祭 葵祭、時代祭 のひとつに数えられる、全国的にも有名なお祭りです。 祇園祭の一部イベントが中止に 祇園祭は八坂神社の疫病退散の神事としての歴史があり、2020年は新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、すでに 祇園祭メインの「山鉾巡行」「神輿渡御」の中止が決定しています。 また予定されていたその他の神事は感染拡大防止の対策仕様に形を変えて行うことが表明されており、粛々と神事を執り行う方向で調整が現在進んでいます。 今年の祭りは歴史に残る一年となりそうだ。 疫病退散の「神賑わい」は多くの人を引き付ける? 2020年4月20日に祇園祭の中止を発表したのは祇園祭山鉾連合会の木村理事長で就任1年目の最初の祇園祭を自らの「山鉾巡行」「神輿渡御」の中止発表とともに迎えた。 本来、山鉾巡行とは疫病をもたらす疫神をお囃子や踊りで引き付けて山鉾に集めるという「神賑わい」の側面があります。 この「神賑わい」もいつしか、全国だけでなく、世界中で有名となり、神のみならず、多くの観光客という人をも引き付ける魅力ある夏祭りとなっていたのです。 皮肉にも疫病退散の神事が多くの人が密集することを避けるために中止になったのである。 過去には実施できず延期もあったが今年は? 祇園祭は疫病との戦いの歴史でもあり、明治期には4回もコレラの流行によって祇園祭の開催延期や前倒し実施をしたこともあります。 今年もそうすればいいのでは?と考えてしまいますが、そうはいかない事情が現代にはあるようです。 例えば秋に移行しようとした場合、1ケ月もの長丁場の祇園祭を10月や11月に実施しようにもこの時期、京都は年間で最大の行楽シーズンを迎え、道路の使用許可がまずおりない事情もあるようだ。 そもそも明治期とは時代が異なる、ということでしょう。 山鉾町34それぞれの考え方 スポンサーリンク 山鉾連合会は山鉾を出す34の山鉾町から成り、実施するに際しての決めごとはこの34の山鉾町の代表者を集めて行われます。 今年初の代表者会議では実施賛成派と実施反対派との間で罵声怒号が飛び交い、会場が静まり返るシーンもあったとか。 華やかなイメージの祇園祭ですが、熱い思いが代表者の心の内には秘められてるんですね。 連合会が実施したアンケートでもそれぞれの意見が分かれる形となった。 新型コロナウィルスの拡散防止への思いこそ全員が共通のものでしたが、全体のうち30町は「開催に向けてできることをやる」、残り4町については「祭自体をやめるべき」と意見がわれる結果となった。 いずれにせよ新型コロナウィルスとの戦いのなかで、各山鉾保存会で執り行う神事も八坂神社での神事同様に関係者のみで行うなどの対応に迫られている。 「長い歴史の中でいろんな形で臨機応変に開催をしてきた 祇園祭。 今年の祭りをどのように実施するのか?が今後に繋がる大事な決断となる」と木村新理事長はコメント。 まさにその通りだと思います。 コロナが与えた祇園祭の本義を考え直す時間 祇園祭は2019年に創始から1150年の節目の年を迎えたのです。 2019年は祇園祭発祥の地である八坂神社と境外の末社と旅社に3基の神輿が集結して江戸時代まで行われていた「神輿渡御」を再現する形で行われました。 残念ながら2020年は神輿は出さない状態で 神輿庫内で飾り付けのみを行う予定になっているといいます。 参拝自体は受け付けるものの人の密集を避けるために様子を見て神輿庫の扉を閉めてしまうといいます。 「山鉾巡行」は58年ぶりの中止ですが、この「神輿渡御」は昭和21年以来74年ぶりの中止。 やむを得ない一面もあると思うのですが、「祭りの本義とは何ぞや?」を考え直すいい機会になる、と前向きな関係者もいらっしゃいます。 また、八坂神社の森宮司も「本義を継承して時代に即した祭りのあり方に変化しながら今日の祇園祭がある」とおっしゃていたのが印象的でした。 まとめ 既に中止が決まった2020年の 祇園祭「山鉾巡行」と「神輿渡御」。 観光としての祇園祭のメインでもあったので誠に残念ですね。 6月上旬には詳細を決定するとのことですが、それまでは調整期間で34町関係者の意見も集約して決めるとのこと。 今回の祇園祭の一部イベントの中止は今我々ができることを粛々と行い、終息後の生活に備える時期なんだと考えさせられるいい機会なのかもしれません。

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2020京都の「祇園祭」大幅な神事縮小でも行われること

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京都府南東部,に鎮座するの。 7月1日の吉符入(きっぷいり)から 31日の境内社疫神社の夏越祓(なごしのはらい)まで 1ヵ月にわたる大で,17日の 33基の巡行で知られる。 もとは旧暦 6月の祭りで,(ぎおんごりょうえ)またはと呼ばれてきた。 には神輿のへの渡御とそれに供奉するなどの行列の祭りであったが,初期頃に山や鉾が登場し始め,江戸時代には 33基の山鉾に固定した。 祭りは 3基の神輿が四条御旅所に渡御する 17日夕刻のと,神輿がそれぞれ別の経路で還御する 24日夕刻の還幸祭を中心に行なわれ,17日の午前中に,24日の午前中に花傘がある。 17日(旧暦 6月7日)を前祭(さきまつり),24日(旧暦 6月14日)を後祭(あとまつり)と呼び,山鉾は前祭に 23基,後祭に 10基と分かれて巡行していたが,1966年以降前祭にすべての山鉾が巡行し,後祭には花傘巡行を行なうようになった。 山鉾巡行の前夜()には,各山鉾町内の旧家で通りに面してを並べる習慣があり,屏風祭の名がある。 山鉾は 1979年に国のにされ,2009年には UNESCOのに登録されたが,2016年に「山・鉾・屋台行事」の一つとして,他の 32の祭りとともに一括登録された。 例年7月1日から1カ月間行われる。 大阪の、東京のとともに「り」の一つに数えられている。 山鉾 やまぼこ とよばれる大型のが京都の中心部を練り歩くのが特徴で、暑い時期にもかかわらず、毎年数十万人の見物客が訪れる。 祇園祭は、平安時代の869年 貞観11年 、都で疫病が大流行したことに端を発する。 この災いを払おうと、平安京の広大な庭園である神泉苑に当時の国の数である66の鉾を立て、神に祈ったのが始まりとされている。 この時代、神の怒りや悪霊こそが疫病の原因だという認識があり、祇園祭はそれらを鎮める「祇園御霊会 ごりょうえ 」として行われた。 祇園とはスサノオノミコトの別名であり、祇園祭は、この荒ぶる神の怒りを鎮めるためとも、神の力にすがり悪霊を退散させる祭りとも言われている。 祭りのクライマックスは、山車が練り歩く「山鉾巡行」のある17日。 32基の山鉾が京都のメーンストリートに集結し、にぎやかに引き回される。 山鉾巡行に先駆け、ちょうちんに照らされた山鉾が「コンコンチキチン」という祇園囃子 ばやし とともに町に飾られる「宵山 16日 」「宵々山 15日 」も幽玄で見事だ。 山鉾はどれも けんらん で、ベルギーや西陣織などのタペストリーやきらびやかな飾り金具で飾られているが、このような華やかさが見られるようになったのはの乱以降。 祇園祭は1467年に起こった応仁の乱で一時期途絶えていたが、乱後、京都の街の復興とともに、祇園祭も1500年ごろ町衆の手によって再興され、在の形に近づいた。 経済が発展した江戸時代には「祇園祭礼図屏風 びょうぶ 絵」に描かれるほど盛大で華麗なものとなっていった。 現在、山鉾のうち29基は重要有形民俗文化財に指定されている。 祇園祭は、京都だけでなく、全国にもある。 祇園祭が厄よけの祭りであったこと、スサノオノミコトを祭神とする神社がに数多く存在することなどと関連しているようだが、どの地域の祇園祭も、京都のそれに倣い、山車や神輿 みこし が町を練り歩くケースが多い。 高野朋美 フリーライター / 2009年 出典 株 朝日新聞出版発行「知恵蔵」 知恵蔵について の解説 7月1〜29日の京都市の祭。 祇園御霊会,祇園会とも。 869年に疫病退散を祈願して鉾 ほこ 66基を神輿 みこし とともに神泉苑に送ったのがはじめといわれ,室町時代には今日の形がととのった。 1日が吉符 きっぷ 入りで,10日夜には神輿洗いがあり,16日の宵山を経て17日に山鉾の巡行が行われる。 鉾7基,山13基が,稚児 ちご や はやしかた をのせ,疫病よけの粽 ちまき をまきながら進む。 鉾や山は江戸時代一流の絵師,彫物師,織師の手になる名品で,舶来の織物なども用いられている。 山鉾の巡行のあと3基の神輿が八坂神社から四条京極の御旅所 おたびしょ へ移る。 23日は後の宵で,24日に9基の山の巡行があり,神輿も神社に帰る。 28日夜再び神輿洗いがあり,29日済奉告祭で祭が終わる。 毎年7月17日から24日まで行われる。 以前は祇園会 え あるいは祇園御霊会 ごりょうえ ともいった。 東京の神田祭、大阪の天神祭とともに三大祭に数えられている。 起源は、平安時代の869年(貞観11)に全国に疫病が流行したため、これを八坂神社の祭神素戔嗚尊 すさのおのみこと (牛頭天王 ごずてんのう )の祟 たた りとして、勅命により6月7日全国の国数に準じて鉾 ほこ 66本を立て、同月14日洛中 らくちゅう の男児が神輿 みこし を奉じて神泉苑 えん に集まり、御霊会を修して除疫を祈ったことによるとされるが、970年(天禄1)あるいは975(天延3)の6月14日に行われた御霊会から始まるという説もある。 応仁 おうにん の乱(1467~1477)で一時中絶したが、またおこり、江戸時代に山鉾の飾り付けなどに豪華を競った。 明治以後は7月17日(前祭)と24日(後祭)の両日に山鉾 やまぼこ 巡行が行われたが、1966年(昭和41)に合併されて17日のみとなった。 現在は24日に花傘巡行が行われる。 祭りは前夜16日の宵山 よいやま と当日17日の山鉾巡行が中心であるが、それに先だち、吉符入 きっぷいり (神事の打合せ)、くじ取式(山鉾巡行順位の決定)、神輿洗、稚児 ちご 社参などの儀がある。 神輿洗は7月10日の夜、氏子総代世話方らが大松明 たいまつ 、提灯 ちょうちん を振りかざして神輿を奉じ、四条大橋の中央で神職が榊 さかき を鴨 かも 川に浸して神輿にそそぎ終わって還幸する。 また11日ごろからは、山鉾の組立て(鉾建・山建)も始められ、毎夜町内の人々が集まって祇園囃子 ばやし を奏する。 16日の宵山には、家々の軒に神灯がともされ、青簾 あおすだれ をかけ、由緒ありげな緞通 だんつう を敷き、屏風 びょうぶ を巡らしてその華麗さを競うことから、屏風祭の俗称さえある。 鉾と山にも提灯が吊るされて、いっそうの美観である。 この宵は遠近から集まった群衆で埋まり、祭りは最高潮に達する。 翌17日、午前中は山鉾巡行で、長刀鉾 なぎなたぼこ を先頭に32基の山鉾がくじで定められた順序に従い、祇園囃子ではやしながら四条烏丸 からすま から四条通、河原町通、御池通を巡り、御池新町にて解散、帰町する。 途中、四条堺 さかい 町でくじ改めが行われる。 午後は夕刻より3基の神輿が氏子区内を巡行し、四条京極の御旅所 おたびしょ に渡御する。 山鉾巡行の長刀鉾、函谷 かんこ 鉾、放下 ほうか 鉾、船 ふね 鉾、岩戸 いわと 山の五つは抽籤 ちゅうせん によらず一定の順序がある。 鉾は前記のほか鶏 にわとり 鉾、月 つき 鉾、菊水鉾、綾傘 あやがさ 鉾の8基(1985年四条傘鉾が復活したが、巡行には未参加)。 山棚は岩戸山のほか占出 うらで 山、牛天神 うしてんじん 山(油天神 あぶらてんじん 山)、太子 たいし 山、白楽天 はくらくてん 山、伯牙 はくが 山、郭巨 かっきょ 山、山伏 やまぶし 山、霰 あられ 天神山、木賊 とくさ 山、芦刈 あしかり 山、孟宗 もうそう 山、保昌 ほうしょう 山、北観音 きたかんのん 山、南観音山、鯉 こい 山、橋弁慶 はしべんけい 山、役行者 えんのぎょうじゃ 山、黒主 くろぬし 山、八幡 はちまん 山、鈴鹿 すずか 山、浄妙 じょうみょう 山、蟷螂 とうろう 山の23基。 祇園囃子は往還の調べを異にし、また鉾と山それぞれで曲を別にする。 鉾の上層には10歳くらいの男児1人が厚化粧し、頭に金冠を頂き、羯鼓 かっこ を手にして上る。 これを「鉾の稚児」という。 24日、午前中に花傘巡行がある。 10余基の傘鉾を中心に、氏子団体が鷺舞 さぎまい 、田楽 でんがく などを整え、御池寺町を出発し、寺町通、四条通、神幸 みゆき 通を通り、本社に到着。 本殿前でそれぞれ舞踊の奉納が行われる。 午後は神輿の還幸が行われ、3基の神輿が四条御旅所から氏子区域を巡って本社に還御する。 八坂神社の祇園祭は、祓 はら いを中心とする夏祭りの形式の源流とされる。 また祭事形式、祭囃子、山鉾の構造などの各面で、他の祭礼に与えた影響は大きい。 [菟田俊彦] なお、2009年(平成21)「京都祇園祭の山鉾行事」としてユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に単独で登録されたが、2016年には日本各地の山車 だし の巡行を中心とした祭礼行事33件をとりまとめた「山・鉾・屋台行事」の一つに含まれる形で、改めて登録された。 [編集部] 【御霊信仰】より …この両社は全国各地に散在する御霊神社の中でもとくに名高く,京都御所の産土神(うぶすながみ)として重要視された。 京都の(ぎおんまつり)もその本質はあくまでも御霊信仰にあり,本来の名称は〈祇園御霊会〉 略して祇園会 であって, 祇園社 の社伝では869年 貞観11 に天下に悪疫が流行したので人々は祭神の(ごずてんのう)のたたりとみてこれを恐れ,同年6月7日,全国の国数に応じた66本の鉾を立てて神祭を修め,同月14日には神輿を神泉苑に入れて御霊会を営んだのが起りであるという。 また,903年 延喜3 に九州の大宰府で死んだ菅原道真の怨霊 菅霊(かんれい) を鎮めまつる信仰も,御霊信仰や雷神信仰と結びつきながらとして独自の発達を遂げ,京都の北野社 北野天満宮 をはじめとする各地の天神社を生んだ。

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京都の夏の風物詩「祇園祭」きっかけは疫病の流行だった(THE PAGE)

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境内は見事な桜が咲く円山公園に繋がっており、そこから高台寺や清水寺まで歩いて行けます。 八坂神社のご祭神は素戔嗚尊 すさのをのみこと をはじめ、十三柱の神様が鎮座。 舞妓さんもお参りをするには宗像三女神が祀られており、美しくなるといわれている美容水が湧き出ています。 人気のお社、大国主社(おおくにぬししゃ)には縁結びの神様の大国さまと白うさぎ像が祀られており、珍しいお社では苦難を断ち切り、未来を切り開く「刃物社」があります。 祇園祭といえば山鉾巡行が思い浮かびますが、あくまでも山鉾は露払い。 祭りの本体は神輿です。 また祇園とは「祇園精舎」の略で寺院を意味します。 写真:境内に一基だけ八坂神社の元の名前「祇園社」と名前が残る石灯籠があります。 元は「(ごりょうえ)」と言い、神泉苑に国の数である66本の鉾を立て疫病退散を願ったことが祇園祭のはじまりです。 2020年は新型コロナウイルスにより神事以外中止ですが、ができます。 夏越大祓や大祓式などの呼び方があり、茅の輪を左、右、左とくぐってからお参りをします。 通常、茅の輪の設置が早い神社でも6月からですが、八坂神社では新型コロナウイルスの疫病退散祈願として3月から設置をしました。 八坂神社の茅の輪の由来 八坂神社御祭神、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)が南海に旅をされた時、一夜の宿を請うたスサノヲノミコトを、蘇民将来は粟で作った食事で厚くもてなしました。 蘇民将来の真心を喜ばれたスサノヲノミコトは、疫病流行の際「蘇民将来子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると約束されました。 その故事にちなみ、祇園祭では、「蘇民将来子孫也」の護符を身につけて祭りに奉仕します。 写真:新型コロナウイルス対策で鈴緒は触れないようにあげている。 京都市内では6月30日にあちこちでが行われます。 茅の輪くぐりをしたり、人形に息を吹きかけ災厄を移し小川に流します。 2020年は色々な祭事が中止となっておりますが、夏越祓は境内で行われるため密の心配が少なく催行されるところもあります。 近くの神社で茅の輪くぐりをして罪穢れを払い、疫病退散を願ってはいかがでしょうか。 京都の夏越祓にお越しの際には暑気払いの(みなづき)をお土産にするのもオススメです。

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