井の中の蛙大海を知らずとは? まず言葉の整理をすると、井の中=井戸の中 蛙=カエル 大海=大きな海 です。 「井戸の中に住むカエルは自分の住む井戸以外に大きな海があることを知らない」という意味になり、自分の狭い知識にとらわれてしまい物事の判断ができなくなってしまうことを表しています。 由来としては、中国の「荘子 秋水篇」のようで次の話がもとになっています。 井の中の蛙と海のことを語ることはできない、住処のことしか知らないからである。 夏の虫も、氷のことを語ることはできない、夏の時季しか知らないからである。 心の曲がった人や何かを極めた人と「道」の事を語ることはできない、ある教条にとらわれているからである。 この話の初めの部分から「井の中の蛙大海を知らず」は来ているようです。 日本で付け足されたものが、、、 ここまでのことから中国のお話が日本に伝わり、ことわざになっていることが分かりますが今回の本題である「されど空の青さを知る」という部分は触れられていません。 どうやらこの「されど空の青さを知る」という部分は中国から伝わった後、日本で付け加えられたものみたいです。 「狭い世界で生きているからこそ、見えるものがある」といった意味があり、この他にも「空の深さを知る」、「天の高さを知る」などがあるようです。 同じような意味の言葉がある 井の中の蛙大海を知らずの 類義語として次のような言葉があります。 ・針の穴から天を覗く 針のような小さい穴からでは少しの天井しか見えないというように、自分の狭い見識をもとに、大きな事柄について勝手な推測をするという意味。 ・夏の虫氷を笑う 夏の間だけ生きている虫は、世間に氷というものがあることなど知らないように、それを笑うということで、見聞の狭い人間が傲慢に構えるという意味。 ・夜郎自大 自分の力量を知らない人間が、仲間の中で大きな顔をしていい気になっていること。 ・葦(よし)の髄(ずい)から天井を覗く 葦の茎の管を通して天井を見ても全体が見えないように、狭い見識に基づいて物事を判断するということ。 それぞれ少しずつ意味が違いますが、狭い見識や見聞にとらわれて物事が見えてないという点では、同じ意味の言葉として扱えると思います。 まとめ 「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」というのは 狭い知識にとらわれず多くのことを知るべきだ。 という意味とは逆に、狭い世界にいるからこそ見えるものがある。 という日本人の知恵が付け加えられた内容になっていました。 どちらの意味も筋が通っていて納得できるものになっていましたね! 今回は雑談という形で紹介しましたがいかがでしたか?ことわざ自体、普段あまり使うことはありませんが昔の人の知恵や教訓を学ぶことは良いことかと個人的に思います。 また興味のある内容のものがあれば紹介したいと思います。 みなさんを気になったことなどあれば調べてみてください! それでは今回はここまで!また次の記事でお会いしましょう!.
次のこの作品は、2011年に大ヒットしたテレビアニメ『 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』や、2015年に公開されたアニメ映画『 心が叫びたがっているんだ。 』などで知られる、長井龍雪 ながいたつゆき 監督のオリジナルストーリーの最新作です。 将来の進路を決める大事な時期なのに、受験勉強もせず、暇さえあれば大好きなベースを弾いて音楽漬けの毎日。 そんなあおいが心配でしょうがない姉・あかね。 二人は13年前に事故で両親を失った。 当時高校三年生だったあかねは恋人との上京を断念して、地元で就職。 それ以来、あおいの親代わりになり、二人きりで暮らしてきたのだ。 あおいは自分を育てるために、恋愛もせず色んなことをあきらめて生きてきた姉に、負い目を感じていた。 姉の人生から自由を奪ってしまったと…。 そんなある日。 町で開催される音楽祭のゲストに、大物歌手・新渡戸団吉が決定。 そのバックミュージシャンとして、ある男の名前が発表された。 金室慎之介。 あかねのかつての恋人であり、あおいに音楽の楽しさを教えてくれた憧れの人。 高校卒業後、東京に出て行ったきり音信不通になっていた慎之介が、ついに帰ってくる…。 高校生時代の姿のままで、過去から時間を越えてやってきた18歳の金室慎之介。 思わぬ再会から、しんのへの憧れが恋へと変わっていくあおい。 一方で、13年ぶりに再会を果たすあかねと慎之介。 せつなくてふしぎな四角関係…過去と現在をつなぐ、「二度目の初恋」が始まる。 そのことを長井龍雪 監督、そして、脚本の岡田麿里さん、総作画監督の田中将賀さんに伝え、全員一致で決定したそうです。 さんからコメントを いただきました! 「作品に寄り添いつつも、自分らしさも出せたすごい素敵な一曲になっていると思いますので、ぜひ楽しみにしていただけたらと思います」 — 映画『空の青さを知る人よ』 soraaoproject あいみょん:コメント 脚本を読ませていただいた時、しんのやあおいと同じく音楽をやっている身として共感できる部分や、青春の淡い痛さみたいなものが自分にもあったなと感じました。 監督やスタッフの皆さんに曲を聞いていただいた時に、「この楽曲と寄り沿いながら映画を作っていきたい」と言ってくださり、映画づくりの一員として携われたことを、とてもありがたいなと思いました。 楽曲制作の最初に映画のタイトルまるまる使った曲を作りたいという話をしていたので、作れたことを嬉しく思っています。 今回の楽曲「空の青さを知る人よ」は、 2019年 10月2日にリリースが決定しています。 映画の公開が10月11日ですので、それに先駆けて発売されるということですね。 そして 先着の予約特典は、お馴染みの「 あいみょんクリアファイル」となっています。 無くなり次第終了&一部店舗で取り扱いがない場合有り・・。 空の青さを知る人よ• 空の青さを知る人よ Instrumental• 公開されているショートバージョンでは、サビのみ。 ですので、フルサイズで公開後は、考察内容が変わってくるかもしれませんが、現時点ではサビのみの解釈をしていきたいと思います。 ちーなーみーにー!! あくまで考察や解釈は、個人の見解なので、あまり 断定的な表現は避けていきたいと思います。 笑 関ジャムに あいみょん が出演した時も、多くの人が考察&深読みをあいみょんにぶつけていましたが… ことごとく「いや、、違います。 」って一刀両断されていたので、 笑 深いようで、シンプル! そして、ストレートなようで回りくどく、官能的! そんなあいみょんをイメージしながら考察していきたいと思います。 私は、太陽に赤く照らされて、真っ赤に染まった状態の空を連想しました。 この景色って綺麗ですよね….。 溢れ出す輪に表現された光。 ここでの 光は何を意味するのでしょうか? ところで、特報のラストあたりで 『井の中の蛙大海を知らず.. されど空の青さをしる。 この言葉は「狭い世界に生きて広い世界のことを知らない」という意味のことわざですが、実は後になって「されど空の深さを知る」という続きが作られたそうです。 「狭い世界で一つのことを突き詰めたからこそ、その世界の深いところまで知ることができた」ということをあらわしています。 まだ作品を見たわけではないので、この言葉が映画作品中のこの楽曲と、どう関わってくるのかは分かりませんが、主人公の心の変化を表しているのかもしれませんね。 ただ、このイメージだと、井戸の中から見上げた光は、しっかりと輪になっていますよね。 この輪になった光に照らされることで、本当の自分が照らし出されたのか..。 ここでの「 青く滲んだ」は、もしかすると「 蒼く」の意味かもしれません。 忘れたくても忘れられない、心に留めておけないあの日の思い出。 時がたつほど、何度も思い出してしまう。 なんだか淡く切ない雰囲気が、たっぷりな作品の予感ですね 笑 ちなみに、脚本家の岡田麿里さんは、「自分以上になれない自分を、目を逸らさず見つめるための物語」と語っています。 そして、かつて音楽に明け暮れていた、あいみょん自信をそこに投影させているのかもしれませんね。
次の実は制作は2017年…? 今回紹介していく 「裸の心」はドラマ 「私の家政婦ナギサさん」主題歌に起用された楽曲。 あいみょんさんは楽曲に寄せて以下のようにコメントしています。 この曲ができたのは 2017年。 いつかいつか、と思っていた楽曲。 ようやく聴いてもらえる日が来ました。 この曲をリリースできることが本当に嬉しいです。 もう作詞作曲した時のことや、当時の心情をあまり覚えてなくて、それが理由か分からないけれど、トオミヨウさんから届いたアレンジを聴いて涙が出ました。 ツアー中のホテルのベッドで何度も何度も何度も聴いたし、当時の私は一体なにを思ってこの曲を作ったのかを知りたくなりました。 今回シングル曲でバラードのリリースは初めてですし、ドラマへの 「起用」という形も初めてで、新鮮な気持ちと、緊張してます。 でも、楽しみです。 沢山の人に受け止めて欲しいなぁ。 タイアップではありますがドラマのために書き下ろされたわけではなく、2017年に完成していた楽曲が 「起用」される形で今回お披露目されることとなったようです。 あいみょんさん自身も作曲当時のことを覚えておらず、アレンジを聴いて涙を流したという 「裸の心」。 一体当時の彼女はどんな思いで楽曲を製作したのでしょうか。 スポンサーリンク 歌詞 いったいこのままいつまで 1人でいるつもりだろう だんだん自分を憎んだり 誰かを羨んだり いつかいつかと 言い聞かせながら 今日まで沢山愛してきた そして今も この恋が実りますように 少しだけ少しだけ そう思わせて 今、私 恋をしている 裸の心 抱えて バイバイ愛しの思い出と 私の夢見がちな憧れ 優しくなれたよ 少しね 強くもなれたみたい どんな未来も 受け止めてきたの 今まで沢山夜を越えた そして今も この恋の行く先なんて 分からない 分からない ただ想いを 今、私 伝えに行くから 裸の心 受けとめて 恋なんてしなきゃよかったと あの時も あの夜も 思っていたの 今、私 また恋をしている 裸の心 震わせて この恋が実りますように 少しだけ少しだけ そう思わせて 今、私 恋をしている 裸の心 抱えて 作詞:あいみょん 歌詞の意味・解釈 1番 いったいこのままいつまで 1人でいるつもりだろう だんだん自分を憎んだり 誰かを羨んだり とにかく すべてが真っすぐで、ただありのままに 恋する女性の心の内を歌い上げた楽曲 「裸の心」。 冒頭では、 なかなか恋が成就しなかった過去を振り返りながら 思いの丈を語ります。 誰かを愛していたのに、傷つけたり素直に慣れなかったりした自分を憎んで。 幸せそうに街を歩く誰かを羨んだりもして。 一体いつまで私は一人でいるつもりなんだろう。 一体私はどうなりたいんだろう。 自らの人生に思いを巡らせ、誰に尋ねるでもなく、ふとそんなことを考える主人公。
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