〔甲〕原告の主張 一 請求の原因 [1] 1 原告は昭和38年3月28日、合成樹脂のパイプ、板等の製造販売を業とする被告(以下、会社ともいう)に雇傭され、その後、会社の長浜工場及び本社営業部で勤務し、会社から賃金として毎月20日の支払日に別表一の1項記載の本給、職能給及び地域手当の支払を受けた。 [2] 2 ところが、会社は同年6月28日以降、原告を従業員と認めず、原告の就労申出を受け容れない。 したがつて、原告は会社に対し同年7月以後の賃金の支給を受ける権利を失わなかつた。 そして、会社の従業員が組織し、原告が加入している三菱樹脂労働組合(以下、組合という)は会社との間において、原告と同時に会社に採用され、原告と同種、同額の賃金の支払を受けていた大学卒業の従業員につき、賃金改訂に関し別表一の2ないし4項記載の各期間ごとに、それぞれ該当欄記載の賃金を支給すべきことを、また夏冬各期の一時金に関し別表二記載の各時期に、それぞれ該当欄記載の一時金を支給すべきことを協定したから、原告は右協定にしたがつた賃金及び一時金の支給を受け得べき筋合であつた。 [3] 3 よつて、原告は被告との間において労働契約に基く権利を有することの確認を求めるとともに、被告に対し昭和38年7月1日から本件口頭弁論終結の日たる昭和42年4月3日まで、以上の賃上げを考慮して算出した賃金計1,212,189円並びに昭和38年から昭和39年まで夏冬各期及び昭和40年の夏期の一時金計226,100円の総計1,438,289円の支払を求める。 二 抗弁に対する答弁 [4] 被告主張の後掲抗弁事実中、会社が大学卒業の学歴ある原告を管理職要員とすべく3カ月の試用期間を設けて採用し、また昭和38年6月25日原告に対し口頭で本採用拒否の意思表示をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。 [5] 原告と会社との雇傭契約における3カ月の試用期間は会社主張の目的で設けられたものではなく、会社の業務遂行上、必要な知識経験を積み、その経過后、単独の事務処理能力をたくわえさせるため設定された、いわば見習期間にすぎない。 即ち、原告は当初から本採用されたものであるから、会社が原告に対し本採用拒否の意思表示をしても、法律上、意味がない。 また、仮に、原告が会社に対し、その主張のような虚偽の事実を申告したとしても、それは会社が、あえてしようとする学生運動に仮託した思想信条による差別待遇に対する正当な自衛手段であつたから、なんらの違法性がなく、これを理由に雇傭契約を取消し得べきいわれはない。 三 再抗弁 [6] 1 仮に、会社が原告に対し解雇の意思表示をなしたものとしても、元来、使用者が試用中の労働者の雇傭継続を不当とする基準は、もつぱら当該労働者が試用期間中に提供した労働力の評価に存すべきところ、原告は試用期間中、誠実に勤務し、その提供した労働力に、なんら指弾される点はなく、ほかに、原告を解雇すべき合理的理由はなかつたから、会社がなした右意思表示は、その恣意に出たものであつて、無効というべきである。 [7] 2 また、会社がなした解雇ないし雇傭取消の意思表示は結局、会社が原告の学生運動に対する関心及び経験から推測した原告の思想、信条を理由とする差別待遇であるから、右意思表示は、いずれも労働基準法第3条に違反し、公序に反する事項を目的としたものであつて、無効である。 3(被告主張の解雇理由に対する反駁) [8] 被告主張の後掲 三 の1の事実は否認する。 同2の事実中、原告が昭和37年9月東北大学法学部在学中、入社を志望し、会社の面接試験において、その担当者に対し「学資を稼ぐため、大学の生活部の一部門たる生活協同組合(以下、生協という)で、アルバイトに従事した」と答えたこと、会社が原告と、その卒業を待つて雇傭契約を結んだことは認めるが、その余の事実は否認する。 同3の冒頭の事実は否認する。 同3の 1 の事実中、東北大学川内分校学生自治会が大学当局の承認を得ていなかつたことは不知、その余の事実は否認する。 同 1 の1の事実中、原告が被告主張の日時に上京したことは認めるが、その余の事実は否認する。 上京の目的は生協代表として国会に請願することにあつたものである。 同2の事実中、デモに参加したことは認めるが、右デモは公安当局の許可を得て行われたものである。 同3ないし6の事実は否認する。 同 2 の事実中、生協が学外団体であることは否認する。 即ち、東北大学学友会は、その教職員及び学生を構成員として、文化、体育及び生活等の各部に分かれているが、昭和33年中、生活部経営の売店を改組して法人格のある生協を設立した。 そして、生協の組合員は同大学教職員及び学生に限られるとともに、その役員は、すべて学友会の生活部員によつて占められていたのであつて、少くとも、生協は大学内部においては、学友会生活部の一部門として取扱われ、学生出身の専従役員に対しては、毎月4,000円の手当を支給していたのである。 原告は会社の面接試験にあたり、会社の担当者に対し、その意味において生協が学友会生活部の一部門たることを明示したものである。 同4の事実中、会社が入社志望者の学生運動に関し、その実践活動を重視していたことは不知、その余の事実は否認する。 〔乙〕被告の主張 一 請求原因に対する答弁 [9] 原告主張の前掲請求原因事実1の事実は認める。 同2の事実中会社が原告を従業員として取扱わず就労申出を受け容れないこと、組合と会社との間に原告主張のような協定が締結されたことは認める。 二 抗弁 1(解雇) [10] 会社は大学卒業の学歴ある原告を将来の管理職要員として採用したものであつて、右採用にあたつては原告に、その適格があるか否かを全人格的に判定するため調査に要する3カ月の試用期間を設け、その期間中の解約権を留保するとともに、右権利の行使をしないで右期間を経過することを停止条件として本採用する旨の合意をなしたが、昭和38年6月25日原告に対し口頭で同月28日の試用期間満了とともに本採用を拒否する旨の意思表示をし、これによつて雇傭契約上、留保した解約権を行使した。 2(詐欺による雇傭の取消) [11] 仮に右意思表示が解雇としての効力を生じないとしても、原告は後記のように過激な学生運動に従事したのに、会社をして、そのような事実がなかつたものと誤信させて雇傭されようとし、あえて会社に対し右事実を秘匿する虚偽の申告をして会社を欺罔し、これによつて会社に雇入れられたから、会社は昭和38年6月25日原告に対し口頭で雇傭契約を取消す旨の意思表示をした。 三 再抗弁に対する答弁(解雇の理由) [12] 原告主張の前掲再抗弁事実は否認する。 会社が原告に対してなした解雇の意思表示は次の事由によるものである。 [13] 1 会社は毎年、大学卒業者を管理職要員として採用するにあたつて、その職責に適する人格、識見並びに能力を正確に評価するため志望者に対し、面接試験を実施し、とくに、これに先だち「学校又は自治会、運動、文化部等、学内諸団体委員、部員の経験」、「社会文化政治団体等、学外団体委員、部員の経験」及び「自己の信奉する主義思想」という記載欄を設けた身上書の用紙を交付して、記入を求めたうえ、面接試験においては、これに関連した事項を質問し、これを、その他の調査資料と比照して採否を決定しているが、さらに採用内定者に対しては、その大学卒業と同時に3ヵ月の試用期間を定め、右期間内に必要な調査を遂げて、本雇傭の採否を決定する条件で雇傭契約を結んでいた。 そして、原告は同月下旬会社の面接試験を受けたが、その担当者たる本社総務課長田幡義勝の質問に対し「学資を稼ぐため、大学の生活部の一部門たる生協でしているアルバイトに忙しく、学生運動に参加する時間的余裕がなかつたし、興味もなかつた」と答えた。 [15] そこで、会社は原告の提出した身上書の記載及び面接試験における陳述を事実であると信じたため、その他の資料と総合して、原告の採用を内定し、その大学卒業を待つて原告と雇傭契約を結んだ。 [16] 3 ところが、その後の調査によつて、原告の身上書の記載及び面接試験における陳述は学生運動並びに生協における役員活動に関し事実に相違することが判明した。 即ち、 [17] 1 原告は東北大学在学中、同大学内の学生自治会としては最も尖鋭な活動を行ない、しかも大学当局の承認を得ていない同大学川内分校学生自治会に所属し、その中央委員の任にあつたが、昭和35年前期後期における右自治会の委員長石川信、副委員長長梶浦恒男、昭和36年前期における右自治会委員長塩川宇賢らが採用した運動方針を支持し、当時その計画、実行した日米安全保障条約(以下安保という)改定反対運動を推進する等、各種の違法な学生運動に参加した。 例えば、原告は、[1]昭和35年5月21日東北大学全学代表として他の7名とともに上京し、アメリカ大使館及び内閣総理大臣官邸等に対して安保改定阻止を訴えるデモに参加して、警察官との間に紛争を惹起し、[2]同年5、6月、仙台市内で実施された同様趣旨の無届デモに参加し、[3]同年6月以降、安保改定反対運動のため上京し、[4]同月仙台高等裁判所構内において前記梶浦恒男らとともに無断集会を開き、かつ折から登庁中の裁判所職員に対しピケを張り(梶浦は、そのため住居侵入の罪に問われて有罪判決を受けた。 )、[5]昭和36年6月前記塩川宇賢及び石川信らとともに当時、国会で審議中の政治的暴力行為防止法(以下、政暴法という)案反対及び池田内閣打倒をスローガンとする無届デモを敢行し(塩川及び石川は宮城県条例及び道路交通法違反の故をもって起訴され有罪判決を受けた。 )、[6]昭和37年9月憲法改正に関する公聴会阻止を趣旨とするデモに参加するため上京した。 [18] 2 原告は右大学の生活部から月4,000円の手当を得ていた事実がなく、また原告のいうように同大学組織の一部ではなく、純然たる学外団体にすぎない生協において昭和34年7月理事に選任されて、昭和38年6月まで在任し、かつ、その組織部長の要職にあったものである。 [19] 4 そして、原告がなした右虚偽事実の申告は情状がきわめて悪質である。 [20] 即ち、東北大学川内分校学生自治会は、いわゆる全学連に所属するが、全学連は、その主張実現のためには、官憲の制止を冒して暴力的な行動に出ることを辞さず、また善良な一般市民の社会生活を妨害して憚らない集団であつて、昭和35年には、その過激な実践活動も極点に達した。 かような集団に所属して反社会的活動を敢行する者は、その思想、信条の如何にかかわらず、会社の管理職要員として不適格というべきであるから、会社はこれに鑑み、昭和36年以降、大学卒業見込の入社志望者については在学中、学生運動に関し、どのような実践活動をしたかを知るべく、これに関連する事項の申告を求め、この点を採否決定の重要資料とし、しかも、これが事実であることを前提として、その後の調査を進めたうえ信頼関係を前提とする雇傭契約を締結しているのであるから、入社志望者も右契約締結における信義則上当然に正確な申告をなすべく要請されるものである。 加えて会社はかねがね入社志望者に対し右事項につき虚偽の申告をした場合には採用を取消すべき旨を予告しているのである。 [21] しかるに、一方、原告は当時、会社の営業目的に格別興味があつたわけでも、会社と特殊な関係にあつたものでもなかつたから、原告のような東北大学の卒業見込者ならば就職に関して引く手あまたの状況にあつたことに徴しても、虚偽の申告をしてまで、会社に採用される必要があつたものではないのに、東北大学川内分校学生自治会に所属して、積極的に違法な学生運動に参加しながら、その点に関し、会社に対し全く虚偽の申告をして会社を錯誤に陥らせて、採用されたものであつて、会社の信頼を裏切るも甚しい。 一 雇傭契約の成立 [1] 原告が東北大学法学部卒業後、昭和38年3月28日合成樹脂のパイプ、板等の製造販売を業とする会社に管理職要員たるべく3カ月の試用期間を設けて雇傭されたことは当事者間に争がない。 そして、右雇傭における試用期間の意義につき検討すると、証人久野賢の証言により真正に成立したものと認める乙第3号証及び右証言並びに弁論の全趣旨によれば、会社が昭和33年6月就業規則の付属規定として制定した見習試用取扱規則は当該年度に学校を卒業して新に会社に採用された、いわゆる定期採用者については、採用直後の3カ月以内を見習期間とし、その間に業務を見習わせ、原則として右期間経過後、本人の志操、素行、健康、技能、勤怠等を審査のうえ、本採用の可否を決定し、本採用者に対しては右期間終了の翌月1日付の辞令を発行し、なお別段の定めがある場合の外、見習期間を社員としての勤続年数に通算すること等を規定し、大学卒業の新規採用者についても、会社は見習期間中に管理職要員としての教育を施すため本社、各支店、長浜工場等に配置し、会社内外の各種行事に参加させて業務内容の説明、指導を受けさせているが、むしろ、集団生活を通じて同僚との理解を深め、また会社の雰囲気に馴れさせることに傾き勝ちのため、各自の勤務状態を観察するのは必ずしも容易でなく、大学卒業の新規採用者で見習期間終了後に本採用されない事例は、かつて、なかつたこと、また一方、会社は大学卒業者を雇傭するについて、契約書の作成及び辞令の交付をせず、ただ本採用にあたり、当人の氏名及び職名並びに配属部署を記載した辞令を交付するに止つていることが認められる。 [2] 右の事実によつてみても、会社が原告との雇傭につき、試用期間を設けたのは、これによつて契約の効力発生又は消滅に関し条件又は期限を付したものと解するのは相当でなく、むしろ、他に特別の事情がない限り、右雇傭の効力を契約締結と同時に確定的に発生させ、ただ右期間中は会社において原告が管理職要員として不適格であると認めたときは、それだけの事由で雇傭を解約し得ることとし、諸般の解約権に対する制限を排除する趣旨であつたものとみるのを相当とする。 二 雇傭契約終了の有無 [3] 会社が昭和38年6月25日原告に対し口頭で同月28日の試用期間満了とともに本採用を拒否する旨の意思表示をしたことは当事者間に争がないが、右は前記約旨によれば雇傭解約の申入をなしたものというべきである。 [4] 一 そこで、被告主張の解雇事由について判断する。 [5] 1 原告が昭和37年9月東北大学法学部在学中、会社への入社を志望したことは当事者に争がなく、成立に争のない乙第1号証1、2、証人田幡義勝の証言並びに原告本人尋問の結果(ただし、後記措信しない部分を除く)によれば、原告は直ちに会社から身上書用紙の交付を受け、その「学校又は自治会、運動文化部等、学内諸団体委員、部員の経験(名称期間)」の欄には「放送部(1年時)、学友会生活部員(1〜4年時)」と、「社会文化政治団体等、学外団体委員、部員の経験(名称期間)」の欄には「なし」と、「現在在学中の学資の調達方法」の欄には「生活部員手当4,000円」とそれぞれ記載したほか、所要事項を記入し、その他の必要書類と一括して会社に提出し、次いで同月下旬、会社の面接試験を受け、その際、担当者たる本社総務課長田幡義勝からなされた学友会生活部における活動内容に関する質問に対し、「生活部の一部門である生協でアルバイトに従事した」と答え(その答弁内容は当事者間に争がない)、生協の規模等及び生活部員手当4,000円に関する質問に対し、「生協は従業員70名位で運営され、市価より安い学用品等を学生に提供する厚生施設であるが、原告は生協でアルバイトをして月4,000円の手当を得ていたものである」と答え、また「学生運動をやつたかね」という質問に対し、「学生運動には興味がない。 生活部が忙しく、実際行動も、なにも、やつていない」と答えたことが認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果は信用しない。 [6] ところで、被告は原告の身上書の記載及び面接試験における回答が生協における役員活動並びに学生運動に関し事実に相違すると主張するから、とりあえず、その当否を追つてみる。 1 (生協活動) [7] a 原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第3号証の6、7及び証人内館晟の証言によれば、東北大学学友会の一部を成す生活部は学生に対する食事、書物その他の物資の廉価な供給を目的とするが、実際上は、その事業を生協に委託して行なつていることが認められ、成立に争のない甲第2号証の1、第4号証、乙第5号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第1号証、第2号証の4、証人内館晟の証言並びに原告本人尋問の結果によれば、生協は東北大学及びその学内諸団体の職員並びに学生及びこれに準じる者を組合員とする法人であつて、右組合員に対する物資の供給、協同施設の利用及びその生活改善等を事業目的として、同大学構内においてのみ行動を行ない、その理事には右大学学友会生活部所属の学生から選出される2名を加え、これに対し毎月一定額の手当を支給していること、そして原告は同大学在学中、昭和34年7月4日から昭和38年6月18日まで生協の理事に選任され、その組織部長を兼任し、これにより生協から月4,000円の手当の支給を受けていたことが認められる。 [8] b したがつて、東北大学学友会生活部と生協との右のような関係並びにその間における原告の地位にかんがみると、原告が、その生協活動に関してなした身上書の記載並びに面接試験の回答は若干、説明不足のきらいは、あるにしても、必ずしも真実に副わないものとはいうを得ないし、まして、ことさらに虚偽の申告をしたものともいうを得ないのである。 2 (学生運動) [9] a 成立に争のない乙第14号証の5ないし8、証人伊藤和生の証言により真正に成立したものと認める乙第12号証並びに原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和35年5月21日生協の代表として安保改定阻止東北大学全学会議代表団の一員となつて上京し(上京の事実は当事者間に争がない)、同月26日東京都内で「安保批准阻止、岸内閣打倒、国会解散」のスローガンのもとに革新政党、労働組合等を中心とする国民会議の名によりデモ行進及び国会に対する請願の形で行なわれた大衆の政治運動に参加したが、その際全学連主流派は国会周辺において官憲との間に世人の耳目を聳動させるような抵抗を示したこと、原告は同月20日及び26日の両日仙台市内で、右同趣旨のスローガンのもとに東北大学川内分校及び川内東分校学生自治会の学生1,500ないし2,000名によつて行なわれた街頭デモ行進に、生協の代表として参加し、また同年6月4日仙台高等裁判所構内で労働組合及び右学生自治会によつて右と同趣旨の全国統一行動の一環として行なわれた集会に参加したが、右集会参加者の一部は同裁判所職員の登庁を阻止すべく、坐り込みを行なつたこと、さらに原告は昭和36年6月頃政暴法制定反対闘争のため川内分校学生自治会の幹部等の指導によつて行なわれた仙台市内における街頭デモ行進に参加したことが認められる。 [10] そしてまた、成立に争のない乙第14号証の1ないし4及び第三者の作成にかかり、当裁判所が真正に成立したものと認める乙第7号証、証人伊藤和生の証言により真正に成立したものと認める乙第9ないし第11号証によると、当時、川内分校学生自治会は被告主張のように同大学当局の公認しない組織であつて、全学連に加盟し相当、積極的な活動を行なつていたものであること、原告は右大学在学中、昭和35、6年頃右学生自治会の執行部の選挙に際し、全学連の一派に属する塩川宇賢らを候補者として推薦する趣旨を記載したビラに推薦者として名を連ねたことが認められる。 [11] もつとも、被告は、原告が同学生自治会の中央委員であつた旨を主張するが、右主張事実は乙第9ないし第11号証、証人久野賢、田幡義勝及び柴田栄一の各証言によつても、いまだ、これを認めることができず、他に右事実を肯認するに足りる証拠はなく、また、前出乙第14号証の1ないし8並びに原告本人尋問の結果(ただし、後記措信しない部分を除く)によると、原告はもともと前記のような過激な政治活動を含む学生運動を自ら企画指導、率先実行したものではなかつたこと、即ち、従前から必ずしも学生運動に関心がなかつたものではないが、昭和34年頃から東北大学において従前、学生運動に興味がなかつた学生間にも、安保批准を中心として左右両陣営の対立が激化した政治的動向に関心を示し、政府の方針に反対する気運が昂まり、学生自治会の主催する各種の運動に参加し、これによつて、しばしば盛大なデモ行進が実施されるようになり、時には、そのような状態が約1カ月にわたつて続くこともあるという情勢のもとで、さような学生運動に共鳴するところがあつて、学生自治会又は生協の一員として、その決定に進んで従つたものであつて、それ以上に積極的活動を行なつたものではないことが認められ、原告本人の右認定に反する供述は信用することができず、乙第13号証の1ないし5及び乙第27号証によつても右認定は左右されない。 さらに、原告が前記のような学生運動中に発生した官憲に対する抵抗その他の実力行動自体に身を投じ又はこれを助勢したことを認めるに足りる証拠はない。 なお、被告は原告が昭和35年6月以降には安保改定反対運動のため、越えて昭和37年9月にも憲法改正に関する公聴会阻止を趣旨とするデモに参加するため、それぞれ上京した旨を主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠はない。 [12] それはともかく、以上認定の事実によれば、原告は社会的、政治的問題につき相当の関心を有し、又川内分校学生自治会が行なつていた現実の学生運動に少くとも共鳴感を抱いて参加したものというべきである。 [13] b してみると、原告が会社の面接試験において「学生運動をやつたかね。 」という質問に対してなした「学生運動には興味がない。 生活部が忙しく、実際行動も、なにも、やつていない」という回答は、少くとも昭和35、6年(原告の第2学年在学前後)の過去の事実に関する限り虚偽の申告にあたるであろうが、右面接試験の行なわれた昭和37年9月(原告の第4学年在学中)における事実につき虚偽の申告をしたものとは必ずしも、いうを得ないであろう。 このことは学生運動の実際行動の面については、さきに説示した証拠関係に照し、説明を付加するまでもないところであり、また学生運動に対する興味という心境の面についても、精神上、激しい発達過程にある大学生が過去において、いかなる思想的心境にあつたにしても、それが即ち今日のものであるとは限らないことに想到すれば、自ら理解されて、しかるべきところである。 もつとも、右質問応答をみると、原告は過去の事実に関しては正面からの回答を避けたやに思われるが、その内容において、きわめて簡単な問答の間に原告の悪意を読み取るのは余りにも酷である。 [14] そうだとすれば原告が経歴等に関してなした身上書の記載及び面接試験における回答が事実に相違し、その間に格別の悪意が介在する旨の被告の主張は理由がない。 [15] 2 そして、証人久野賢の証言によれば、会社は原告の試用期間中に、原告が大学内外でなした前記行動を探知し、これを資料として原告を管理職要員として不適格であると判定し本採用を拒否したものであることが認められるが、前記認定によれば、原告が生協活動をなしたのは東北大学在学中の全学年にわたつた一方、学生運動に参加したのは、その第2学年在学の前後に限られていて、その後に及んだ事迹のみるべきものはない(それは学生運動に対する関心が薄れたことによらないものとも限らない。 )のであるから、原告の生協活動が違法な、もしくは不当な事業に属するものであれば格別、また原告の学生運動が、その後も継続されたことを疑うに足りる事情があつたのであれば格別、さもない限り、管理職に要求される資格につき消極的資料とするに足りないものと考えるのが相当である。 したがつて、会社が前記資料だけで原告の適性を否定したのは早計にすぎ、にわかに首肯し得るものではない。 [16] 二 さらに考察を進めると、さきに説示したように会社は原告に対し、試用期間設定の趣旨に基き原告が管理職要員として不適格であると認める限り、それだけの事由で雇傭を解約し得る地位にあつたものであつて、解約権に対する諸般の制限を免れていたというべきであるが、その解約権の行使につき一般法理による制限を排除さるべきいわれはない。 [17] ところで、会社が原告につき管理職不適格の判定をするにいたつた経緯には一応、宥恕さるべき点もないわけではないけれども、前記の筋合からすれば、なお調査に疎漏が存したと推認して妨げなく、右判定は結局、主観の域を出なかつたものというべきであるから、一方、原告が従属的労働者である事実と対比するときは、会社がなした雇傭の解約申入は、なお、その恣意によるものと認めるのが相当であつて、解雇権の濫用にあたるものとして、効力を生じるに由がないものである。 [18] 三 なお、被告の雇傭契約の詐欺による取消の主張は原告が会社を欺罔して雇傭されたことにつき、これを肯認し得ないことは、さきに説示したところから明らかであるから、右主張は採用することができない。 [19] そうだとすれば、被告の雇傭契約終了原因に関する主張は、すべて理由がないから、原告は、なお会社に対し雇傭契約上の権利を有するものというべきである。 三 賃金関係 [20] 原告が雇入後、試用期間満了まで会社から賃金として毎月20日の支払日に別表一の1項記載の本給、職務給及び地域手当の支払を受けたこと、そして原告が右期間経過後、会社に就労すべく申入れて労務を提供したが、会社が雇傭関係の終了を理由にその受領を拒否して今日に及んだことは当事者間に争がないから、原告は、その後の昭和38年7月1日以降、本件口頭弁論終結の日たる昭和42年4月3日までにも右と同額の賃金債権を取得したものというべきであり、その金額が総計1,032,339円となることは計算上、明らかである。 [21] なお、原告は、右期間中に原告の加入する組合と会社との間に組合員の賃金改訂及び一時金支給に関する協定が成立した旨を主張するが、右協定の具体的内容については、なんら主張立証がないから、右協定を根拠に原告の賃金及び一時金債権を確定する由がないのである。
次の位置づけ [ ] 精神の自由は、生命・身体の自由と並び、人間の尊厳を支える基本的条件であると同時に存立の不可欠の前提ともなっている。 思想・良心の自由は、それが宗教的信仰として表れるときは、科学的真理の探究として表れるときは、その外部への伝達として表れるときはという形をとる。 国際法としては(第18条)が思想・良心の自由について定めている。 なお、日本は1979年に国際人権規約B規約を批准している。 西欧諸国において思想・良心の自由はとして捉えられ、また特に良心の自由は宗教の自由の内容あるいはそれと不可分一体のものとして捉えられてきた。 の第4条は「信仰、良心の自由並びに宗教及び世界観の告白の自由は、侵されることがない」と規定する。 また、 ()は、良心及び信仰の自由、思想及び信条の自由、表現の自由、集会の自由、結社の自由を基本権として保障している。 日本 [ ] 大日本帝国憲法 [ ] 大日本帝国憲法には思想・良心の自由を特に保障する規定はなかった。 日本国憲法 [ ] 日本国憲法は思想・良心の自由についてに規定を置いている。 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。 思想と良心の関係 [ ] 思想と良心の関係についての見解は多岐にわたる。 は「思想」を「人があることを思うこと」、「良心」を「人が是非辨別をなす本性により特定の事実について右の判断をなすこと」とした。 ただ、日本国憲法第19条は思想と良心を並記して同列に自由を保障することとしていることから、両者の概念の区分は無用であると解されている。 なお、後述のように「思想の自由」と「良心の自由」を区別し「良心の自由」を「信仰の自由」と捉える見解もある(最大判昭和31・7・4民集第10巻7号785頁裁判官補足意見)。 「思想及び良心」の範囲については限定説(信条説)と広義説(内心説)が対立する。 限定説は「思想及び良心」を宗教上の信仰に準じる、、、信条など個人を形成するあらゆる精神作用を含むが、単なる事実の知・不知のような事物に関する是非弁別の判断は含まないとする説である。 謝罪広告事件の最高裁判決で裁判官は補足意見として「憲法の規定する思想、良心、信教および学問の自由は大体において重複し合っている。 要するに国家としては宗教や上述のこれと同じように取り扱うべきものについて、禁止、処罰、不利益取扱等による強制、特権、庇護を与えることによる偏頗な所遇というようなことは、各人が良心に従って自由に、ある信仰、思想等をもつことに支障を招来するから、憲法一九条に違反するし、ある場合には憲法一四条一項の平等の原則にも違反することとなる。 憲法一九条がかような趣旨に出たものであることは、これに該当する諸外国憲法の条文を見れば明瞭である。 」と述べている(最大判昭和31・7・4民集第10巻7号785頁田中耕太郎裁判官補足意見)。 限定説に対して広義説は、本条の保障の対象となるものとならないものの明確な区別が可能か疑問であり、本条による保障の対象をこのように限定すべき理由はないとして、憲法第19条の思想・良心の自由の対象は内心の事由一般に及ぶとする。 信教の自由との関係 [ ] 思想・良心の自由は、それが宗教的信仰として表れるときは()と重複する (最大判昭和31・7・4民集第10巻7号785頁田中耕太郎裁判官補足意見)。 との関係については、一般法と特別法の関係にあり信仰の自由については後者が優先して適用されるとする説と、これらの区別は相対的で明確に区別しえるわけではないとして相互に重複するとする説 がある。 なお、そもそも日本国憲法第19条で保障する思想・良心の自由のうち「良心の自由」は諸外国憲法等の用例からいって信仰の自由を指しているとする見解もあり、謝罪広告事件の最高裁判決で裁判官は「思想の自由に属する本来の信仰の自由を一九条において思想の自由と併せて規定し次の二〇条で信仰の自由を除いた狭義の宗教の自由を規定したと解すべきである」とし「日本国憲法だけが突飛に倫理的内心の自由を意味するものと解すべきではない」と補足意見を述べている(最大判昭和31・7・4民集第10巻7号785頁栗山茂裁判官補足意見)。 この「良心の自由」を信仰の自由と解する見解に対しては、西欧諸国における「良心」の解放は教会権力からの解放と同義であったからであり、決して狭く限定された信仰の自由が追求されたものではなく沿革に照らしても妥当でないという批判がある。 表現の自由との関係 [ ] 内心における精神活動がいくら自由でも、その外部への表明の自由がなければほとんど意味をなさないから、外に向かって表明する自由が要請される。 この点から、さらに日本国憲法第19条は内心の精神活動の所産を外部に表明する自由も保障しているとする学説もあるが、日本国憲法は表現の自由をで一般的・包括的に保障しており、思想・良心が外部に表明される場合には他者の権利や利益との関係から一定の法規制を受けざるを得ず内心領域にとどまる場合とは性質を異にするものであるから第19条とは区別して考えることが解釈上適当と解されている。 ただし、憲法21条(表現の自由)の基礎には当然に憲法19条(思想・良心の自由)があるから、表現内容自体への規制は厳格に考えるべきことが要請され、表現行為への規制が実際には特定の思想に対する規制の意味を持つような場合には憲法19条の問題を生じる。 思想・良心の自由の保障 [ ]• 特定の思想の強制の禁止 国が特定の思想を強制し勧奨することは憲法19条によって禁じられる。 思想を理由とする不利益取扱いの禁止 国が特定の思想を有することまたは有しないことを理由に刑罰その他の不利益を加えることは憲法19条によって禁じられる。 また、思想を理由とする差別はにも違反する。 沈黙の自由• 国が内心の思想を強制的に告白させたり何らかの手段によって推知することは憲法19条によって禁じられる。 単なる知識や事実の知不知は原則として本条の問題とはならず、裁判で本人が見聞きした事実を証言することを強制しても原則として本条に違反しない。 民事上の名誉毀損の救済方法としての謝罪広告を命じることと憲法19条の関係については学説上も見解が対立している。 謝罪広告事件で最高裁は「単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のもの」は憲法19条に違反しないとしたが、この判決でも裁判官が「私は憲法一九条の「良心」というのは、謝罪の意思表示の基礎としての道徳的の反省とか誠実さというものを含まない」として憲法19条の問題ではないとの補足意見を述べたのに対し、裁判官は「国家が裁判という権力作用をもって、自己の行為を非行なりとする倫理上の判断を公に表現することを命じ、さらにこれにつき「謝罪」「陳謝」という道義的意思の表示を公にすることを命ずるがごときことは、憲法一九条にいわゆる「良心の自由」をおかすものといわなければならない」と反対意見を述べている(最大判昭和31・7・4民集第10巻7号785頁)。 私企業が従業員の採用にあたって志願者の思想やそれに関連する行動を調査することについては、私人相互間での憲法第19条の適用も含めて論争がある。 で最高裁は憲法第19条の規定等について「私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない」とし「企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであって、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもって雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできない」と判示した(最判昭和48・12・12民集第27巻11号1536頁)。 関連判例 [ ] 日本では、人の内心領域について思想・良心の自由として一般的に直接保障する例は比較憲法的にはそれほど多くはない。 謝罪広告事件• 新聞紙等に謝罪広告を掲載することを命ずる判決は、単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまるものであれば、代替執行によって強制しても合憲であるとした。 (日本国憲法19条を根拠とする反対意見あり)• 憲法19条は私人間の適用を予定していないから、特定の思想・信条を持つ者のを拒んでも憲法19条に違反しない。 (最判昭和63・7・15判時1287号65頁)• のにの経歴を記載しても、それは思想・信条を記載したものではないから、憲法19条に違反しないとした。 (最判平成8・3・19民集50巻3号615頁) 脚注 [ ]• 374. 芦部信喜『憲法学III人権各論 1 増補版』有斐閣、2000年、298頁。 佐々木惣一『日本国憲法論改訂版』有斐閣、1952年、298頁。 376. 377. , p. 375. , p. 378. , p. 380. 381. , p. 382. , p. 383. , p. 384. , pp. 384-385. 最高裁判所大法廷判決 1956年7月4日 民集10巻7号785頁、、『謝罪広告請求』。 最高裁判所大法廷判決 1973年12月12日 、、『労働契約関係存在確認請求』。 参考文献 [ ]• 著 『良心の自由 アメリカの宗教的平等の伝統』 慶應義塾大学出版会 発行、2011年(原作英語版 2008年)• ウィリアム・ウッダード 著 『天皇と神道 GHQの宗教政策』 サイマル出版会 発行、1988(原作英語版 1972年)• 樋口陽一、佐藤幸治、中村睦男、浦部法穂『注解法律学全集 1 憲法I』青林書院、1994年。 関連項目 [ ]•
次の三菱樹脂事件(試用期間) 三菱樹脂事件 事件の経緯 大学を卒業して、3ヶ月の試用期間を設けて会社に採用されました。 その後、その従業員が大学在学中に、学生運動に参加していたことが明らかになりました。 これにより、会社が採用試験の際に提出を求めた身上書に、従業員が虚偽の記載をしていたこと、記載すべき事項を秘匿していたこと、また、採用面接でも虚偽の回答をしていたことが発覚しました。 従業員のこのような言動は、民法(第96条)にいう詐欺に該当するもので、管理職要員として不適格であると会社が判断し、試用期間の満了と共に従業員の本採用を拒否しました。 これに対して従業員が、本採用の拒否(解雇)の無効を主張して、会社を提訴しました。 三菱樹脂事件 判決の概要 思想・信条の自由を保障する憲法第19条、法の下の平等を保障する憲法第14条は、国と個人の関係を規律するもので、会社と個人の関係を規律するものではない。 また、同時に憲法では、第22条で営業の自由、第29条で財産権の行使を保障している。 したがって、会社が自己の営業のために従業員を雇用する際は、法律による制限がない限り、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件で雇い入れるかは、会社が自由に決定できる。 会社が特定の思想・信条を有する者の雇入れを拒んでも、違法にはならない。 また、労働基準法第3条は、従業員の信条を理由として、賃金その他の労働条件について差別することを禁止しているが、これは雇い入れた後の労働条件であって、雇入れそのものを制約する規定ではない。 このように、会社には雇用の自由があり、思想・信条を理由として雇入れを拒んでも違法にはならないから、会社が従業員の採否を決定する際に、従業員の思想・信条を調査し、これに関連する事項の申告を求めても違法にはならない。 そのうえ、本件は、会社が従業員の思想・信条そのものを調査したものではなく、従業員の過去の行動を調査したもので、なおさら違法ということはできない。 しかし、会社が行った本採用の拒否は雇い入れた後の解雇であって、これを雇入れの拒否と同視することはできない。 会社は、従業員の雇入れは自由に行えるけれども、一旦従業員を雇い入れた後は自由に解雇することができない。 また、労働基準法第3条は、信条による労働条件の差別的な取扱いを禁止しているが、特定の信条を有することを理由として解雇することは、差別的な取扱いとして、この規定に違反する。 ところで、本件雇用契約は、試用期間中に従業員が管理職要員として不適格であると認めたときは解約できる旨の解約権が留保されていた。 このような解約権の留保は、大学卒業者の新規採用に当たって、採否決定の当初は、会社の管理職要員としての適格性の有無に関連する事項について必要な調査を行い、適切な資料を十分に集められないため、後日の調査や観察に基づいて最終的な決定を留保する趣旨で設けられる。 そのため、留保解約権に基づく解雇は、通常の解雇とは異なり、前者の場合は後者の場合より広い範囲で解雇の自由が認められる。 しかし、留保解約権の行使は、その趣旨、目的に照らして、客観的に合理的な理由が存在し、社会通念上相当であると認められる場合にのみ許される。 つまり、会社が、採否決定の当初は知ることができず、又は、知ることが期待できないような事実を、採用決定後の調査や観察によって知ることとなり、その者を引き続き雇用することが適当でないと判断することが、解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的に相当であると認められる場合に限って、留保解約権を行使できる。 したがって、会社が解雇理由として挙げている学生運動への参加の事実の秘匿等について、それが客観的に合理的な理由となるかどうかを判断するためには、従業員に秘匿等の事実があったかどうか、学生運動に参加した内容・態様・程度、特に違法行為があったかどうか、秘匿等の動機や理由等に関する事実関係を明らかにする必要がある。 そして、従業員の入社後の行動や態度、人物評価等に及ぼす影響を検討し、これらを総合して合理的な理由の有無を判断しなければならない。 三菱樹脂事件 解説 試用期間中は労働契約の解約権が留保された状態と考えられていて、通常の(本採用後の)解雇より広い範囲で解雇の自由が認められます。 ただし、試用期間中の解雇であっても(留保解約権を行使する場合であっても)、解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的に合理的な理由が存在し、社会通念上相当と認められる場合でなければ、有効と判断されません。 つまり、採否を決定した当初は知ることができず、又は、知ることを期待できないような事実が、試用期間中に発覚し、そのような事実を知っていたら採用しなかったという程度の理由が不可欠で、また、その事実関係も明らかにする必要があります。 試用期間の適用を受けるか受けないかによって、解雇の有効・無効の判断が分かれるケースも十分あります。 労働契約法を制定する際の研究会では、従業員に試用期間を適用する場合は、そのことを書面で明示することが検討されていました。 最終的には労働契約法には取り入れられませんでしたが、取り入れられなくても、実際に、試用期間であることを従業員に明示していなければ、通常の解雇と同一視され、広い範囲で解雇の自由が認められない可能性が高いです。 ところで、この裁判は高等裁判所に差し戻されて、その後、会社が解雇を撤回して、従業員が職場に復帰する方向で和解が成立しました。
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