バイオ 4 リメイク。 【朗報】 バイオ4、リメイク決定

【噂】「バイオハザード4」リメイクが2022年に発売?開発はバイオRE3開発にも携わったm

バイオ 4 リメイク

によると、バイオハザード2と3のリメイクに続き、複数の開発元がバイオハザード4のリメイク版を開発中で、2022年にリリースとの事です。 開発は、プラチナゲームズの元代表である南達也氏が設立した大阪を拠点とする新しいスタジオM-Twoスタジオとの事。 このバイハザード4のリメイクにはオリジナル作品のゲームディレクターである三上晋治氏は歓迎したようです。 しかし、三上氏自身はこのプロジェクトのオファーを辞退したそうですが、リメイクの方向性については非公式ながらアドバイスをしているようです。 リメイクを担当するMーTWOスタジオは、既に2018年から開発を始動しており、著名なインサイダーDusk Golem氏によると、「バイオハザード4リメイクは、シリーズの過去2作のリメイク版よりも開発チームの規模が大きく、カプコン社内の「バイオハザード2」と「デビル メイ クライ 5」チームからのサポートも含まれているとのことです。 開発者のM-Twoは、「バイオハザード3」のレビュースコアが前作よりも全般的に低かったことから、「バイオハザード3」のフィードバックに注意を払っていると報じられています。 M-Twoの創業者である南氏は、バイオハザード3のエグゼクティブプロデューサーを務めていますが、少なくとも他の4つのスタジオがこのゲームの制作に協力しています。 レビュー集計サイトのによると、2005年に発売されたバイオハザード4は、カプコン史上最高のゲームであり、さまざまなプラットフォームでの売り上げは合計で750万本を達成しています。 2000年代の最も影響力のあるゲームの一つと評価されており、キャラ後方からのTPS視点は、ギアーズオブウォーやデッドスペースの開発者もバイオハザード4から影響を受けたと発言しており、数多くのゲーム開発者にも影響を与えたゲーム史に残る名作と言えるでしょう。 バイオハザード4は、それまでのシリーズを大胆に見直し、限られた弾薬などサバイバル要素を抑え、緊張感とスピード感のあるアクション色の強いゲーム性になりました。 ゾンビはカルト宗教信者に置き換えられ、独特の異様な雰囲気を持った世界観の作品になっていて、特に米国ではバイオハザード全作の中で1番人気があるとも言われています。 2005年の発売から15年の間に、バイオハザード4は何回も移植やリマスター化がされてきましたが、完全なリメイクという形はありませんでした。 ゲームキューブで発売された直後にPlayStation2版、モーションコントローラーでの独特の操作の任天堂Wii版が2007年に発売されました。 HDリマスターは、2011年にPS3、Xbox360、PCで発売され、2016年にXboxOne、PlayStation4用に発売されました。 そういった中で、バイオハザード4は満を持してリメイク化という事になります。 元のバイオハザード4開発チームのメンバーの多くはカプコンに残っていますが、そのメンバーが今回のバイオ4リメイクに関与しているかどうかは不明だそうです。。 開発者の1人がVGCに明かした話によると、バイオ4のリメイクは新人の若手が監督していると語ったようです。 バイオハザード3リメイクは、バイオハザード4の最初のリードコーダーである坂田氏(プラチナゲームズのもう1人のベテラン)が、ディレクターを務めたようです。 プロデューサーの小林博之もカプコンに在籍しており、バイオハザード6の開発に携わっています。 バイオハザード4のオリジナルディレクターである三上晋司は、ベセスダのGhost Wire TOKYOで多忙な為に辞退したようです。 情報提供者によるとM-TwoスタジオのMーTWOという名前は、当初カプコンとプラチナゲームズの両方で密接に協力していた三上氏と南氏の苗字のMからとってMが2つでMーTWOという事らしいです。 更に、VGCの信頼できるインサイダーよると、バイオハザード8は現行のPS4、XboxOneに加えて次世代機であるPS5、Xbox Series Xで2021年に発売される予定との事。 この事から、2019年のバイオハザード2リメイク、2020年4月のバイオハザード3リメイク、そして2021年にバイオハザード8、2022年にバイハザード4リメイクとバイオハザードシリーズ作品が、4年連続での発売となります。 カプコンは既存の人気シリーズタイトルの新作を重点的に取り組んできました。 2019年1月にリリースされたバイオハザード2リメイクは、現在全世界で400万本以上売れ、カプコンの予想を超えた大ヒットとなりました。 しかし、バイオハザード3リメイクは、前作よりも大きく下回る出足となりました。 コロナウィルスの影響も多分にあったので、現状自宅待機の方が多い中で売上は確実に上昇するでしょう。 2020. 16 追記:その後カプコンは4月13日に、バイハザードRE3が5日間で200万本突破(その内50%がDL販売)した発表し、好調な販売記録でスタートしています。 1番リメイク化を待ち望んでいた傑作バイオハザード4のリメイク情報は嬉しいニュースです。 かなり具体的な話まで出ているので、もう間違いなく水面下で開発が進行しているんでしょう。 海外では1番人気とさえ言われているバイハザード4なので、リメイクにも力が入るでしょうね。 2020. 30 update カプコンは先日、 2021年3月にバイオハザード25周年を記念したゲームを計画していることを明らかにしています。 25周年というアニバーサリーでバイオ8というより、海外でも人気の高いバイオ4リメイクの方が良いような気もします。。 もしかすると、バイオ4リメイクが先に来る?という可能性もゼロではないかもしれません。 正直なところ、私はバイオハザード8よりバイオハザード4リメイクの方が楽しみかもしれません。

次の

【噂】バイオハザード4のリメイクの開発が進行中?RE2、RE3リメイクより大きなチームで開発中か

バイオ 4 リメイク

チーズバーガーでわかるレベルの高いグロテスク表現と演出によるホラーらしさ 2. 原作のゲームシステムを現代風に再解釈した愛のあるリメイク 3. おまけモードややりこみ要素なども原作に近い 4. だからこそ発生する、完成度の高いリメイクならではの問題 1. チーズバーガーでわかるレベルの高いグロテスク表現と演出によるホラーらしさ 最初のカットシーンに登場する、トラック運転手のチーズバーガー。 『バイオRE2』は、1998年にPlayStationで発売された『バイオハザード2』のリメイクとなるタイトルだ。 ゲームエンジンは『バイオハザード7 レジデント イービル』でも使われた「RE ENGINE」が採用されており、それによって特に不気味な表現は一流のものとなっている。 チーズバーガーですらこのレベルなのだから、クリーチャーになればもっと気合が入っているというわけだ。 上記画像を見てほしい。 これはゲーム開始直後に出てくるチーズバーガーなのだが、とにかくマズそうだろう。 しかし、冷えて固まったチーズや湿気でヘタったバンズなど描写は優れており、見てすぐにチーズバーガーであるとわかる。 チーズバーガーですらこのレベルなのだから、クリーチャーになればもっと気合が入っているというわけだ。 ラクーンシティを徘徊するゾンビたちはいまにもこちらに噛み付いてきそうで種類も豊富、音を聞き分けて襲いかかってくるリッカーは、むき出しの脳みそを見せつけて恐怖心を煽ってくる。 生き残りすべてを始末しようとするタイラントはグロテスクさこそないものの、殺し屋という雰囲気がにじみ出ているのだ。 クリーチャーの不気味さに目がいきがちだが、主人公たちの汚れ描写の丁寧さにも注目したい。 新米警官のレオン・S・ケネディと、兄を探して街へやってきたクレア・レッドフィールドは、そんなクリーチャーだらけになってしまったラクーンシティで命を掛けて戦わなければならない。 いや、プレイヤーもまたラクーンシティに恐れおののくひとりだろう。 「ゲーム・オブ・ザ・イヤー 汚い部門」に必ずノミネートされるであろうレベル。 音楽による演出も秀逸だ。 ときにBGMは鳴り止み、環境音だけが流れる。 割れた窓に吹き込む雨風の音だけが聴こえる廊下で、プレイヤーは慎重にスティックを倒さねばならない。 なぜならリッカーが出てくる場面では、たいていそういった息を呑ませるような演出が発生するからだ。 もし見つかってしまった場合、静けさはヤツの叫び声で引き裂かれ、鼓動が早まるのを感じるだろう。 このほかにもタイラントに追われているときは足音が常に聞こえたり、主人公たちが濡れると服についた水滴を払ったりと、雰囲気作りは抜群である。 かつてのラクーンシティが現代のトップレベルの技術で描き直されており、「ゲーム・オブ・ザ・イヤー 汚い部門」に必ずノミネートされるであろうレベルまで高められている。 部位欠損が明らかに規制されているとわかるシーン。 ただし、グロテスクな描写に関して一部規制があるのは残念である(Z Versionでも日本版では規制が存在する)。 ここまで雰囲気がよく作られているのだから、余すところなく見たいというのが正直なところだ。 原作のゲームシステムを現代風に再解釈した愛のあるリメイク とはいえ、『バイオRE2』は単なるホラーゲームというわけではない。 むしろ恐怖という意味では『バイオハザード7 レジデント イービル』のほうが優れている。 では『バイオRE2』はどういう作品なのかというと、原作どおり、探索とアクションを活かしたゲームシステムになっているのだ。 マップ画面も非常に進歩しており、施設やアイテムの有無のみならず、行けない場所にはどんな障害があるのか、あるいは部屋にアイテムが残っているか否かもわかる。 レオンとクレアは、ゾンビだらけのラクーンシティを脱出するため、あるいは事件の真相を知るため警察署を探索し、あるいはクリーチャーから逃れて下水まで行き、手がかりや武器を探すことになる。 ときには謎が立ちはだかることもあり、それを解くことによって道が開かれていく。 謎解きに関しては原作からかなり変更が加えられており、おおむね簡略化されている。 物語を進めるだけならいくつか最低限の謎を解けばいいが、ロッカーの鍵など細かい部分を解決すればアイテムが手に入るという作りだ。 よほどのパズル好き以外には受け入れられるであろう変更点で、むしろ、カメラワークと操作方法が変わったことによる影響のほうが大きい。 原作となる『バイオハザード2』は、かつてのバイオらしい固定カメラ&ラジコン操作である。 しかし『バイオRE2』はキャラクターの背後にカメラがあるビハインドビュー、いわゆるTPSのような視点になった。 こうなると原作とは異なりゾンビの頭部などを自由に狙えるようになるし、移動も思ったようにできるようになり、ゲームプレイそのものが大きく変わってしまうわけだ。 『バイオRE2』はシステムこそ変えたがプレイ感覚は変わっていない。 ただ、『バイオRE2』はシステムこそ変えたがプレイ感覚は変わっていない。 自由に射撃ができるようになったものの、ゾンビはかなりタフになり特殊な倒し方をしないと復活するようになった。 すると、プレイヤーはいくつかの選択を迫られる。 貴重な銃弾を使って徹底的に倒すか、あるいはナイフや手榴弾といった緊急回避アイテムを使って切り抜けるか、もしくは回復アイテムをたくさん使って強引に進むか、だ。 手持ちのアイテムとにらみ合い、どの手段を取るか考えるリソース管理というのは、それこそかつての『バイオハザード』や『バイオハザード2』のころのゲームプレイと変わりない。 持てるアイテムの数にも制限があるため、身軽にしてアイテムをたくさん回収するか、あるいは重装備で安定を取るか悩むのもゲームプレイの醍醐味だし、原作の雰囲気をそのまま受け継いでいる。 「使い終えた鍵などのキーアイテムを捨てる」なんて別に引き継がなくていい要素まであるのには笑ってしまった。 ゲームシステムを変えたことによる利点もある。 原作でタイラントと遭遇した場合は強力な武器を使って倒すのが基本だったのだが、『バイオRE2』ではまず倒せないようになっている。 おまけにストーカー規制法に余裕で引っかかるレベルでしつこく追ってくるため、探索にかなりの緊張感を与える刺激的なスパイスとなっているわけだ。 『バイオRE2』は原作と比べて敵の攻撃を回避する方法が多いため、こういったことも可能になっているのである。 また、ストーリーは要点こそ同じだが、グラフィックもゲーム内容も解像度が上がったため理解しやすく、かつ派手になっている。 しかし原作をプレイしたのならば「あのシーンだ」とニヤリとできる箇所も多く、愛をもって『バイオハザード2』をリメイクしたことが痛いほど伝わってくるのだ。 もっとも、「レオンが恋人と別れてやけ酒をして大遅刻した」なんてところまで変わってしまったようだが。 やりこみ要素やおまけモードなどもかなり原作に近い 『バイオRE2』のストーリーは、レオンとクレアが同時に警察署などを探索して脱出を目指すといったものになっている。 そのためまずひとりの主人公でクリアすると、「New Game(2nd)」としてもうひとりの主人公の視点で遊べるようになる。 原作でこれはザッピングシステムと呼ばれており、片方の主人公がとった行動がもうひとりに反映されたり、あるいは互いに物語が補完されるような形になっていた。 しかし『バイオRE2』ではこのあたりがほとんどカットされており、通常ゲームと2ndの違いは、序盤の展開・謎解きの答え・タイラントの出現タイミング・エンディングの流れ程度になっている。 『バイオRE2』ではザッピングシステムが事実上なくなっている。 どちらのキャラクターを先に選んだとしても基本的にストーリーは同じだし、原作のように通常と2ndで戦うボスが異なるなんてこともなく、最初と最後以外は流れが変わらない。 つまり、『バイオRE2』ではザッピングシステムが事実上なくなっており、これはマービンがゾンビ化するくらいに残念だ。 とはいえ、早くクリアして高ランクを目指すことで隠し武器やコスチュームが手に入るなんてものは健在だし、ゲーム内実績を達成するために短めのストーリーを何度も遊べるやりこみ要素は変わらない。 難易度もスタンダード以下は現代風にオートセーブがあるものの、ハードコアになるとそれがなくなるうえインクリボンでセーブ回数が限られるタイプになる。 敵もかなり強くゾンビに噛まれただけでDANGER状態に陥るため、「バイオハザード」というもので緊張感を味わいたい人にはうってつけの難易度だ。 「The 豆腐 Survivor」の主人公である豆腐。 豆腐ならではのぷるぷる感や角が欠けるダメージ演出もやたらとレベルアップしている。 特徴の関西弁も健在。 そしてクリア後には、特殊部隊の生き残りとなる「The 4th Survivor」や、なぜか木綿豆腐として脱出計画を遂行する「The 豆腐 Survivor」といった原作から引き継いだミニゲームが待っている。 こちらも限られた装備でいかにゴールを目指すかという肝心な部分は変わらず、しかしながら豆腐がやたらとリアルだし、クリアすると豆腐のように「ほんまかいな!」と言いたくなること間違いなしの嬉しいおまけ要素まであるのだ。 だからこそ発生する、完成度の高いリメイクならではの問題 グラフィックや演出はかなり磨き直され、ゲームシステムも現代風に変更はありつつもきちんと原作の楽しさを再現できている。 やりこみ要素も忘れていないし、『バイオRE2』はほとんど非の打ち所がない完璧な作品だろう。 リメイク作品として見れば、10点満点のMasterpieceを与えてもいい。 リメイク作品として見れば、10点満点のMasterpieceを与えてもいい。 ただ、それはあくまで『バイオハザード2』のリメイクとして捉えた場合だ。 私は確かに熱中して『バイオRE2』を遊んだし、あらゆるオマージュに口角を上げ、新しくなった部分に感心した。 そして一通り遊び終えたあとに、とてつもない物足りなさを覚えた。 そう、『バイオRE2』にひとつだけ問題があるとすれば、それは『バイオハザード2』の完璧なリメイクだということだ。 原作はそもそも20年以上も前に発売されたタイトルで、レオン編とクレア編があるもののマップは同じで謎解きもかなり似通っている。 やりこみは一部の物好きが遊ぶタイムアタックだとか、あるいは本編の要素を流用したちょっとしたものだ。 いや、それは当時のPlayStationのゲームであれば許された。 しかし2019年は、10数時間、何10時間もずっと新鮮な景色が広がる大作ゲームがゴロゴロ転がっている時代なのである。 後日、サブキャラクターのエピソードを描く無料DLC「THE GHOST SURVIVORS」が配信されるので、それがあればもう少し本作の評価は上がるかもしれないが、いずれにせよ2019年のゲームとして物足りなさは否めないだろう。 『バイオRE2』は本当に『バイオハザード2』の良質なリメイクであり、それ故に原作を大きく越えるインパクトを残すことはできていない。 それが、本作にたったひとつだけ足りないものである。 より磨かれた不気味すぎるグラフィック• 現代風にしつつも原作の雰囲気を感じさせるゲームシステム• タイラントをはじめ、より心を揺さぶる恐怖演出• やりこみ要素までしっかりと原作再現されている• クレアの口が悪くなっている 短所• 暗すぎてわかりづらい箇所もある• ザッピングシステムがなくなった• 良くも悪くもあくまでリメイクである 総評 最初に出てくるチーズバーガーを見た瞬間に理解できるように、『バイオRE2』は質感や演出をとてつもなく強化し、それでいながらゲームシステムの触感を残しつつ現代風にアレンジした傑作といえる。 しかしこれはあくまで1998年にPlayStationで登場し世間に衝撃を与えた『バイオハザード2』のリメイクでしかなく、2019年で新たな革命を起こすかのような完全新作タイトルというわけではないのだ。

次の

『バイオハザード RE:2』レビュー、リメイク作品としては文句なしの傑作

バイオ 4 リメイク

このゲームでホラーゲームとしての可能性を極限まで表現し尽くしたからこそ、思いっきり別の方向へ振り切ることが出来たのが『バイオハザード4』なのではないかと思っている。 ちなみに、このリメイク版『biohazard』はむしろPS版の初代『バイオハザード』を知っている人にこそ遊んで欲しい一本である。 一作目を知っている人ほど、ひっかかるように巧妙に仕掛けが設計されているため、 初代を知り尽くしていればいるほどに怖い。 もちろん初代を知らない人でも充分楽しめるし、今はPlayStation 4でHD版が発売されているので、ぜひとも遊んでみて欲しい。 『biohazard HD REMASTER』(画像はより) だいぶ話がそれたので戻そう。 なぜ初代『バイオハザード』は怖いのか。 なぜリメイク版『biohazard』はシリーズでも傑出して怖いのか。 そしてなぜ『バイオハザード4』は怖くなくなったのか。 そもそもゲームにおける「恐怖」とはなにかについて考えてみよう。 初代バイオの「音響表現」の先進性 初代『バイオハザード』における最も有名なシーンと言えば、序盤も序盤に発生する、特に何もない廊下で 突如ゾンビ犬に襲われるシーンではないかと思う。 このシーンがここまで怖い理由は、その巧みな 「音」の使い方にある。 このシーンの「音」の扱い方の優れている点として、当時としてはまだ珍しかった 環境音を主体にして、音の空間を設計しているというのが挙げられる。 懐古的な形で過去のゲームミュージックを称揚し、現在のゲームミュージックを非難する論調はしばしば散見される。 だが、実はゲームの表現能力が向上することで、常にBGMを鳴り響かせる必要がなくなり、 「環境音のみで遊ばせるシチュエーション」が結構な頻度であるゲームが増えたのを指摘する人はあまりいない。 実際、最新の3DCG表現を駆使した美麗な映像のゲームが、現在も根強い人気を誇る8bitの表現とどう違うかを考える上で、 プレイヤーキャラクターがどのような「音」を放っているかはとても重要なポイントだ。 そもそも、8bit時代に 「足音」を立てているプレイヤーキャラクターはどれほどいただろうか。 FPSで足音が鳴らないゲームと鳴るゲームがあるのはなぜか。 実は、プレイヤーキャラクターが発生させる「音」とは、世界とキャラクターの 「境界」を表現するものでもある。 だから、そのゲームが世界を どのような思想によって表現しているのかを考える上で、プレイヤーキャラクターの放つ「音」は非常に重要なのである。 初代『バイオハザード』と同年に発売された『スーパーマリオ64』。 本作では、「スーパーマリオシリーズ」では初めてマリオの足音が聞こえる仕様になっている。 (画像はより) 『バイオハザード』が1996年当時、ホラーゲームである以前に、単体のゲームとして他から抜きん出ていた要因として、この 「音」の扱いの先進性がある。 とにかく余計な箇所で無闇にBGMを鳴らさないように抑制を効かせ、 静寂に満ちた空間を作る。 そして、そこにプレイヤーキャラクターの 足音や衣ずれの「音」を発生させ、プレイヤーにじっくりとその「音」を聞かせることでプレイヤーキャラクターとの 一体感を高める。 その一方で、敵キャラクターが発生したあとはキッチリBGMを鳴らしたりしているのだが、敵を倒すとそれはまた鳴り止む。 ゲームにおける「音」の 静と動の緩急の使い分けが、とにかく巧みなのだ。 そう、まずは『バイオハザード』は、当時としては 次世代的な映像表現と音響表現を駆使することで「ホラー」という形の 次世代的なゲーム体験を作り出したゲームであると言える。 だが、『バイオハザード』はただ新しい技術を駆使して作ったゲームというわけでもない。 非常にゲームとしての骨格が優れた、ベーシックな佇まいを備えたゲームでもあるし、非常に上手い形で ゲームと映画の折衷を行ったゲームでもあるのだ。 というわけで、次に『バイオハザード』がいかにゲームとして優れた設計をしていたのかについて考えてみよう。 伝説の犬「ガシャーン」が期待させた「恐怖」 話をもう一度ゾンビ犬に戻すと、あの犬は単体の表現としても優れているだけでなく、ゲーム全体にとっても非常に大事な機能を果たしている。 それは、 ゲーム上のほぼ全ての空間に対して、同じような「びっくり」の仕掛けが発生しうるという可能性を付与する機能である。 汎用性の高い空間で仕掛けを発生させて、ユーザーに対して、この衝撃は他のあらゆる空間で発生しうることを無言の内に告げる。 すると、先にどんな仕掛けが待ってるかなんて知る由もないプレイヤーは、その後のあらゆる空間に対して常に注意しなければならなくなる。 『バイオハザード』の制作者は、冒頭に最大の衝撃を与えることで、その後の全ての空間に対して「可能性」という一種の 「呪い」をかけたのである。 この仕掛けは隠しキャラクターを隠すことで、世界に対して「可能性」を与え、プレイヤーが抱いてしまうであろう 「期待」をゲーム的にデザインした『 ゼビウス』と同様の仕掛けと言える。 『ゼビウス』 C BANDAI NAMCO Entertainment Inc. しかし、そこでプレイヤーに与えられる態度は、『ゼビウス』が非常に 「能動的」な解釈のゲームへと誘うものだったのに対して、『バイオハザード』は極めて 「受動的」に恐怖に包み込まれていくという点で、全くの対照をなしている。 これが『ゼビウス』と『バイオハザード』の意外な共通点であり、根本的な違いでもある。 ちなみに、リメイク版『biohazard』がシリーズでも傑出している理由は、この 「恐怖」への「期待」を煽るデザインが非常によく出来ているからに他ならない。 例えば、このリメイク版では、シリーズで唯一、倒したはずのゾンビが復活してくる。 しかも、クリムゾンヘッドというパワーアップしたゾンビとして、である。 この要素の追加によって、一度倒したゾンビがずっと横たわり続けるという 禍々しいビジュアルが足されただけでなく、 いつ倒したゾンビが復活するのかわからないという「可能性」も足された。 起き上がるモーションの禍々しさも含めて、とにかく素晴らしい追加要素なので、未体験の人はぜひとも体験することをオススメしたい。 (より) このように『バイオハザード』は、ゲームが持つ本質的な機能性を巧みに駆使して、それを「恐怖」という形に結実させていることがわかる。 だが、その一方で『バイオハザード』には、逆の方向性の演出もある。 それはゲーム的要素に必ずしもそぐわない 「映画的要素」を導入して、それを「恐怖」という形に落とし込んでもいるのだ。 次はその話をしてみたい。 固定カメラシステムで発生する「ホラー映画的身体感覚」 『バイオハザード4』以降は廃止したものの、『バイオハザード』の代表的なシステムとして、 「固定カメラ切り替えシステム」というものがある。 これは『 アローン・イン・ザ・ダーク』で既に採用されていたシステムをより洗練させたもので、移動する位置によって カメラが自動的に切り替わることにより、場面ごとにダイナミックな見た目や俯瞰した見た目など、作り手側による、 画面のコントロールが可能になった。 映画でいうところの 「カット割り」の概念をゲーム的に取り入れたシステムだとも言えるだろう。 『アローン・イン・ザ・ダーク』(画像はより) このシステムを全面的に採用し、カメラの操作をプレイヤーに許さず、視点を限定することで、『バイオハザード』は意図的に カメラの死角をデザインすることが可能になった。 見えるところを作り手側がコントロール出来るようになったことで、より恐怖の「演出」をしやすくなったのである。 こうやって書いていくとメリットの多い良いシステムのようだが、このシステムには大きな問題がある。 操作している画面がプレイヤーの意図を全く介さずに大きく切り替わるので、 方向感覚の維持や空間の把握が著しく困難になるのだ。 土地勘や地図的な感覚が非常に生成され辛い、 ゲームの特性を裏切るようなシステムなのである。 どういうことか説明しよう。 僕の考えでは、そもそも映画やアニメといった映像メディアと、自らキャラクターを操作するゲームというメディアの違いを考えるとき、 地図的な空間把握の必要性の有無というのは大事な論点である。 プレイヤーキャラクターを操作するタイプのゲームは、煎じ詰めれば ほとんどの時間を空間の移動に費やしている。 そのため、地形が複雑になればなるほど地図の重要性は高まるし、地図的な形での空間把握はゲームをプレイする人なら、誰しも無意識的に行っていることではないかと思う。 ある種のゲームはプレイヤーの体内に 土地勘を生成するものだ。 それに映像表現における重要な技術である「カット割り」が、そもそも方向を瞬間的に変えてしまうことで、見る人の方向感覚を著しく狂わせる。 その結果、 映像表現は「土地勘」を生成しづらい。 新宿を舞台にした映画をどれだけ観ても、初めて来る人が新宿を自由に歩くことは難しいだろう。 だが、『 龍が如く』をプレイすれば、歌舞伎町はある程度歩けるのではないか。 歌舞伎町を模した架空の町、神室町を舞台とした「龍が如く」シリーズ (画像はより) 話を戻すと、『バイオハザード』はこういう映像表現の 「空間把握の困難さ」という致命的な欠点を抱え込んでいるのは間違いない。 だが、それゆえに『バイオハザード』というゲームは、 「ホラー映画的な身体感覚」をゲームで再現することに成功したのだ。 ……と言うと、なんだか難しいことを言っているみたいだが、なんてことはない。 この 観てるこっちがじれったくなる感じを『バイオハザード』ではゲーム的な形で体験することが出来る。 普段はすんなり開けられたはずのドアが、モンスターに追いかけられて焦っていると上手く開けられずに死んだり、瞬間的に視点が変わるもんだから自分がどっちに進んだらよいかの判断に狂いが生じて、逃げ損ねて死んだり……そういう経験は『バイオハザード』をやった人なら、誰しも一度はあるのではないだろうか。 そして『バイオハザード』がホラーゲームとして傑出していたのは、このように映像的な特性でもってゲームの特性に 揺さぶりをかけることで、より恐怖をかき立てていたからである。 『バイオハザード』は土地勘を生成しづらい「映像メディア」の特性と、土地勘を生成することに長けている「ゲームメディア」の特性の両方を組み合わせることで、成立したゲームである。 それに対して、 『バイオハザード4』があまり怖く無くなった理由は、そのような揺さぶりをなくしたからだと考えるとわかりやすい。 初代『バイオハザード』が「映像」と「ゲーム」の折衷によって、ホラー映画的な身体感覚を再現していたのに対して、『バイオハザード4』は どこまでもゲーム的なのである。 ここで言いたいのは、あくまでも映画とゲームの持つ特性の違いを把握することで見えてくるものがあるということである。 それに、アニメの舞台になった実在の場所を自ら訪れる「聖地巡礼」という行為などは、自らの体内に土地勘を生成していくことで、アニメ体験を再構成する行為だと言えるかもしれない。 なぜ我々はホラーゲームを遊ぶのか ここまで初代『バイオハザード』における「恐怖」の仕組みについて考えてきたが、最後にまとめよう。 このゲームがホラーゲームとして傑出してるのは、当時再先端だった ハードの表現力を最大限活かしつつ、 ゲーム本来の特性を把握した上で、それを時には利用し、時には抑制し、さらにはそれを ねじ曲げてまでも、「恐怖」のためのデザインを施しているからである。 BGMが無いから環境音に耳を澄ませてしまう。 どの部屋でいつ敵が出て来てもおかしくない状況が構築されているから常に油断せずに気を張りつめてしまう。 見えない箇所があるからこそ、そこへの想像がかき立てられてしまう。 空間が把握できているようで実は把握しづらく構成されているから、肝心な場所でドアのノブすら満足に回せなくなってしまう……。 だが、そんな不快な感情であるはずの「恐怖」に支配されるのは、本当にただ「不快」なだけの時間だと言えるのだろうか。 移動するだけで緊張がみなぎる洋館を探索し、彷徨い歩くとき、それは己の持てる能力を出来る限り発揮しようとする、 「充実した時間」でもあるのではないだろうか。 なにせ今は何も起こっていなかったとしても、次の一歩を踏み出すときには 「起きて欲しくない何か」が起きているのかもしれないのだから。 そのとき我々は、目は凝らすしかないし、耳は澄ますしかない。 たとえ不快であったとしても これほどまでに濃密な体験はそうそう味わえるものではないだろう。 だからこそ 不快な体験を通して快楽を得るという大いなる矛盾をはらんだホラーゲームというジャンルを、我々はプレイしてしまうのではないだろうか。 本当は初代『バイオハザード』の恐怖を味わい尽くしたあとに見えてくる「自由」についてとか、 加山雄三や 鈴木史郎はなぜ揃って「バイオハザード」を愛するのかとか、初代が人間の身体感覚をある種狂わせる形で恐怖のための「空間」を演出していたのに対して、最新作の『 バイオハザード7 レジデント イービル』はある意味最も人間の身体感覚に寄り添う、VRという形でホラーゲームを作ろうとしていて、それがどうなるかなども語っておきたかったのだが、だいぶ長くなってしまった。 『バイオハザード7 レジデント イービル』 (画像はより) この辺はまた別の機会に改めるとして、ここでこの文章を終わるとしよう。

次の