レナウン。 レナウン、8,700万円足りずに民事再生 事業譲渡の可能性も

2期連続赤字で窮地 名門「レナウン」に買収話が急浮上|日刊ゲンダイDIGITAL

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HMS レナウン(時) 基本情報 建造所 フェアフィールド社 運用者 艦種 級名 艦歴 発注 1914年12月30日 起工 1915年1月25日 進水 1916年3月4日 竣工 1916年9月20日 除籍 1948年 その後 1948年スクラップとして売却 要目(()内は近代化改装後のデータ) 31,988トン 32,000 37,410トン 242. 0 m 幅 27. 4 m (31. 3 m) 9. 7 m (9. 1cm42口径MkI連装砲 3基 11. 4cm45口径MkI及びMkIII連装両用砲 10基 2ポンド8連装 3基 12. 7㎜4連装機銃 4基 45. 7cm水上 8基 カタパルト 1基 - 1945年 38. 1cm42口径MkI連装砲 3基 11. 4cm45口径MkI及びMkIII連装両用砲 7基 2ポンド8連装ポンポン砲 3基 2ポンド8連装ポンポン砲4連装 1基 40㎜4連装機銃 1基 20㎜連装機銃 20基 20㎜単装機銃 28基 装甲 舷側 229 mm 甲板 127 mm 砲塔 178 mm() 279 mm(前盾) 司令塔 76 mm - 254 ㎜ 2基 目次• 1916年9月に竣工したが、に参加できず、の残り2年間はに所属してで活動した。 第一次世界大戦後は修理の後、1920年から21年にかけてエドワード皇太子(後の)の巡幸に使用され、と、などを訪れる(日本のアパレルメーカーのの由来も皇太子を乗せて訪日したこの船にちなんでいる)。 1923年から1926年にかけて第一次近代化改装を行い、砲撃とに対処するためを増設した。 10年間に及ぶ活動の後、レナウンは再び改装作業に入る。 上部構造は大規模な改修が行われ、と前檣は前時代的な三脚檣から近代的な塔型艦橋に更新され前檣は軽微な三脚檣として新造された。 二本の煙突はそのままだが副砲は10. 2cm3連装から11. 4cm連装へと更新され、も最新の8連装型に更新され対空火力が強化された。 また、2番煙突の基部は格納庫となり、後檣と格納庫の間に射出が中央部甲板上に首尾線と直角に埋め込まれた。 水上機とは船体中央部甲板の左右に設置されたにより運用された。 この改装作業は勃発の直後、に終了した。 しかし、上部構造物の更新や対空火器の更新に伴う重量増加により、本艦の浮力は船体に追加されたをもってしても不足し、が沈下した影響により凌波性と速力が改装前に比べ低下した。 それでも既存戦艦に比べてレナウンの高速性は、第二次世界大戦において運用上の長所となった。 1939年後半にはの探索のため南大西洋に派遣される。 1940年4月には沿岸への敷設作戦()を支援する。 同月9日には沖でドイツ、と遭遇し、グナイゼナウに打撃を与えた。 1940年後半から41年にかけてレナウンはを拠点とするに所属して活動し、及びに戦略的存在として影響を与えた。 この間レナウンは、1940年11月に(への戦闘機輸送任務)に参加。 1940年12月20日、、などとともにジブラルタルから出撃()。 地中海で戦艦やマルタからの船団と合流して12月24日にジブラルタルに戻った。 12月25日、大西洋で兵員輸送船団がドイツの攻撃を受け、レナウンはアーク・ロイヤル、8隻とともに直ちに出撃した。 この出撃の際、レナウンでは大波によって被害が生じ、12月30日にジブラルタルに戻るとに入った。 次の作戦はで、レナウンはマルタへの船団を護衛した。 1941年1月7日、レナウンは戦艦マレーヤ、空母アーク・ロイヤルなどと共にジブラルタルから出撃し 、途中で船団と別れて1月11日にジブラルタルに戻った。 1月31日、マレーヤ、アークロイヤルなどとともに出撃()。 この作戦はのダム攻撃と攻撃であり、前者はアーク・ロイヤル搭載機によって実施されたが後者は悪天候のため実施されず、艦隊は2月4日にジブラルタルに戻った。 中止になったジェノヴァ攻撃はと名を変えて再び実行され、レナウンなどは2月6日に出撃した。 攻撃は2月9日に行われ、レナウンは15砲弾125発を発射した。 2月12日、ドイツ潜水艦および航空機による攻撃を受けたの救援を命じられ、レナウンはアーク・ロイヤル、シェフィールド、駆逐艦5隻とともに出撃。 だが、同日中に命令は変更となり、シェフィールドのみが救援へと向かいレナウンとアーク・ロイヤルはを護衛することになった。 船団の護衛を2月21日にまで行い、25日にジブラルタルに戻るとレナウンはドックに入った。 3月2日にドックから出ると地中海で訓練を行った。 3月8日、護衛中の戦艦マレーヤが作戦()中のドイツ巡洋戦艦と出会い、それを受けてレナウンは出撃して船団と合流ししばらく護衛を行った。 3月16日、今度は護衛中の戦艦がドイツ巡洋戦艦と遭遇し、それらがへ向かったとの報告を受けてレナウンも船団から離れてその捕捉に向かった。 3月20日、アーク・ロイヤル搭載機が以前にドイツ巡洋戦艦に捕獲された3隻のタンカーを発見。 レナウンはそのうちの2隻を捕捉したが2隻とも自沈した。 その後もドイツ巡洋戦艦を捜索したが成果は無く、3月24日にジブラルタルに帰投した。 4月になるとマルタへの航空機輸送作戦()に参加し、それから4月8日から16日までアーク・ロイヤル、シェフィールドなどとともにドイツ巡洋戦艦のいるブレストの封鎖にあたった。 5月には追撃戦に参加した。 1942年から43年にかけてに所属した後、レナウンは東洋艦隊に加わり、に派遣される。 1944年から45年にかけてを拠点として活動し、を牽制した。 レナウンは第二次世界大戦を生き残った唯一のであり 、大戦後は本国沿岸で短期間活動したが、ににするため売却された。 主な活動 [ ]• ビスマルク追撃• 攻撃作戦 ギャラリー [ ]• 第1次改装:1923年7月 - 1926年9月• 第2次改装1936年9月 - 1939年8月• 116• 117• The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948, p. 118• The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948, p. 120• The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948, p. 121• The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948, pp. 121-122• The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948, p. 122• The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948, p. 123• The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948, p. 126• 127• 128• The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948, pp. 128-129• 129• The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948, p. 130• イギリス海軍の「レパルス」及び、巡洋戦艦に分類されることもあるドイツ海軍の、のはいずれも戦没している。 参考文献 [ ].

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名門レナウンの破綻 昭和のビジネスモデルを温存したツケ

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「レナウン HP」より バブル期に世界最大のアパレルメーカーだった レナウンがコロナの谷を滑落した。 債権者のレナウン子会社、レナウンエージェンシー(東京・江東区)が5月15日、民事再生法を申請。 東京地裁に受理された。 「自ら民事再生法申請をしたのではなく子会社(債権者)に申請されるという体たらくぶり。 親会社、 山東如意科技集団との調整がつかず、経営陣は主体的に動けなかった」(民事再生法に詳しい弁護士)。 レナウン側から見れば「(子会社に)民事再生法を申し立てられた」ということになる。 負債総額は138億7900万円だ。 関係者によると、5月15日が支払期日の手形(合計)8700万円の決済ができなくなったためだという。 1902年に大阪で繊維卸売業を始める。 戦後のグループの創設者は尾上清氏。 磯田一郎頭取の娘、園子さんと2番目の夫、黒川洋氏を結びつけたキューピット役を尾上氏が演じたことで知られている。 住友銀行・イトマン事件を取材している時に会ったレナウンの元役員(故人)がこう証言してくれた。 「レナウンの尾上さんと磯田さんは長い付き合いです。 47(昭和22)年にレナウンを創立した時からメインバンクは住友銀行。 2人は親友でしたね」 黒川氏が設立したジャパンスコープは「表向きはファッション関係ですが、本当の設立目的は別だった」(同)。 この取材で食い込んだ住友銀行の元役員は、「推量ですが」と断った上で、「(磯田、尾上の)2人の利益をプールする会社ではなかったのか。 政治資金など、ここから出そうと考えていた」と解説してくれた。 しかし、尾上氏はジャパンスコープが産声を上げた1カ月後に亡くなっている。 住友クレジットサービスはジャパンスコープからノベルティを仕入れるようになり、アサヒビールにもノベルティを納入していた。 アサヒビールの樋口廣太郎社長(当時)は元住銀副頭取で磯田派だった。 尾上氏が亡くなったのは88年。 日本医科大学付属病院で2月9日未明、肺炎で亡くなった。 この時点でレナウングループは51社。 売上の合計は4000億円。 資本金はトータルで300億円。 従業員は2万2000人を擁していた。 ちなみに直近の2019年12月期(決算期を変更したため10カ月の変則決算)の売上高は502億円。 2期連続となる純損失(67億円の赤字)を計上した。 19年12月末時点の従業員数は905人である。 尾上氏、イコール、レナウンの時代 尾上氏にはいくつものエピソードが残っている。 1961年、「これからはテレビの時代だ」とテレビ番組の提供スポンサーになることを指示。 小林亜星氏作曲の「ワンサカ娘」が誕生。 一世を風靡した。 67年、NETテレビ(現テレビ朝日)系で「日曜洋画劇場」のスポンサーとなる。 映画評論家、淀川長治氏の解説が秀逸だった。 テレビCM「イエイエ」がACC(全日本CM協議会)でグランプリを受賞した。

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地獄がついにきた…レナウンショックが倒産連鎖を引き起こす コロナ破綻はこれから爆増する

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アパレル大手、レナウンのロゴマーク。 レナウンは民事再生手続きに入る(東京都江東区、5月15日撮影) Photo:JIJI 老舗アパレルのレナウンが民事再生手続きに入り経営破綻した。 レナウンの破綻をめぐっては新型コロナウイルスの影響、EC(電子商取引)事業への出遅れ、さらに中国の山東如意科技集団見限り説など諸説ある。 しかし、真因は別にある。 もちろん、それは正しいし、直接的にはレナウンの53%の株を保有している山東如意の香港子会社から売掛金53億円を回収できず、山東如意自らが苦境に陥る中で、レナウンを踏み台にして経営破綻の引き金を引いたからだろう。 百貨店業界なのだ。 「どんなもの持ってきてくれたの。 これ、あまり売れないんじゃない。 まあ、いいや。 検討するから」 ある日の百貨店バイヤーと大手アパレルの担当者とのやり取りだ。

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