世間の反応 まあ、河井夫妻は、 「議員バッジを付けたゴロツキ」なのは以前より明らかなので、 国会閉会後と言わず、今日にでも逮捕して欲しい。 そして1億5千万円を出せと指示したのは、 安倍か、二階か、明確にして欲しい。 このコロナ国難で、 総理以下、与党国会議員が「反社」だらけって 憲政史上最悪な状況に、 やはり国民は真剣に「覚悟を決めて」選挙に行くべきだ、と思った。 1億5千万の出所に迫られる前に、 安倍さんは捜査を終了させ不起訴にしたいんだと思う。 もし起訴されて有罪になる可能性が濃くなったら、 諦めて自民党本部の関与も洗いざらい吐きそう。 そうさせないために、 何としても検察法庁法の改正と施行前の改正法を絡めた無茶な法解釈とかで稲田さんと黒川を交替させ、 不起訴に終わらせる必要があるって事かな。 広島県政のドンは誰?名前は? 案里議員と密接な関係を築いていた「広島県政のドン」とは誰なのでしょうか? そこで、広島県政のドンというワードで検索してみたものの、この呼称で呼ばれている議員は存在していなかったのです。 ただ、このワードで検索すると、「檜山俊宏」議員のWikipediaが上位にヒットします。 しかし、檜山議員が「広島県政のドン」と呼ばれている事実はありません。 デイリー新潮によると、広島県政のドンは既に古希(70歳の祝い)を迎えているため、年齢は70歳以上です。 この点だけで言えば、檜山議員の年齢(75歳)と一致しています。
次の引用:Amazon 河井克行氏の生家は 2020年現在も広島県三原市に残っているそうで、現在も 入居者募集中のようです。 河井克行氏の生家は、当時お風呂がついていませんでしたが、近所の方の証言を元に推測すると 現在はお風呂が設置され昔よりは住みやすくなったのではないでしょうか…。 家賃などは不明ですが、 築年数もかなり経過していることから恐らく安価で入居できそうですね。 そして家の防犯面に関しては少し心配ですが、隣に大家さんが住んでいますし何かあったら大家さんの家に駆け込めばOKというところでしょうか。 河井克行の実家の薬局が軌道に乗り出したのはいつから? 河井克行氏の生家を見る限り、 河井克行氏が幼稚園時代の頃は少なくとも実家の薬局経営は軌道に乗っていなかったのではと推測されます。 ここからは完全に私の推測ですが、 河井克行氏の実家の薬局が軌道に乗り始めたのは河井克行氏が小学4〜6年生の頃からではないかと思われます。 というのも、河井克行氏が 「俺は育ちが違う」と後輩に言いふらしていたのも 小学生時代ですし、 中高一貫校の受験や 慶應義塾大学への入学を考えるとやはり 小学校中学年くらいから実家の薬局が軌道に乗り出したのではないかと思われます。 河井克行が生家から引っ越すことになった理由も薬局絡み? 河井克行氏の生家や薬局経営のことについて色々調べていたところ、もしかしたら 河井克行氏が生家から引っ越すことになった理由も薬局経営が関係しているのではないかと思いました。 そもそも 河井克行氏の両親は広島県三原市に住んでいた頃は薬局経営をしていなかったのではないでしょうか。 薬局経営の年収はやはり立地によって大きく異なるそうです。 ちなみに河井克行氏が引っ越し後に通っていた小学校は広島県広島市に所在します。 広島県三原市と広島県広島市の距離はおよそ71キロあります。 71キロを毎日通勤することは当時かなり困難だと推測されることから、 河井克行氏の両親は立地のいい場所で薬局を開業するために広島県三原市から広島県広島市に引っ越し薬局経営を始めたのではないかと思われます。 そして薬局経営は大成功!両親の年収がアップし、河井克行氏は私立中学へ入学。 最終的には慶應義塾大学まで進学したという感じではないかな?と思いました。 もし、広島県三原市に住んでいたときに河井克行氏の両親が薬局経営を考えなかったら河井克行氏は国会議員として選ばれることもなかったかもしれませんね。 現在河井克行氏の両親が経営していた薬局がどうなってしまったのかはわかりませんが、河井克行氏の人生の転機は両親の薬局経営が成功したことに間違いなさそうです。
次のスポンサーリンク 自民党の河井克行前法相、妻の案里さん夫妻の秘書2人が先月、公選法違反(買収)の罪で起訴されていますが、その後も続けられた調査で、夫妻が県内の首長や地方議員らに現金を配った可能性があるとの疑いがもたれていましたね。 そして、今日、安芸太田町の小坂真治町長が、河井案里議員が初当選した去年の参院選をめぐり現金20万円が入った封筒を渡され、受け取っていたことを明らかにしました! これは、言い逃れできない状況になってきましたね… 複数の関係者は地検の任意聴取に対し、選挙運動は克行氏が実質的に仕切り、「金のことは克行氏が全て握っていた」と証言。 克行氏の2017年、14年の衆院選でも同様に違法な報酬額が払われていたとも説明している。 地検は複数回、夫妻を任意で聴取。 克行氏が報酬額決定などに関与したかどうかも調べている。 色々とマスコミに取り上げられているのは妻の案里さんですが、実は裏で全てを操っているのは夫の河井克行氏とも言われています。 そこで、今回は「河井克行の悪評スキャンダルがヤバイ!出身高校大学と経歴や嫁も」と題して、河井克行氏の悪評スキャンダルや、出身高校大学と経歴や嫁の案里さんについて調べてみました。 Contents• 河井克行の悪評スキャンダルがヤバイ! 【安倍元補佐官暴力沙汰】元秘書が暴力とパワハラを告発 河井克行首相補佐官 聞けば聞くほど地元の評判は散々 「もっと速く走れ!」と運転席蹴る どうして政権の中枢を担うのは、こうも破廉恥な連中ばかりなのか(日刊ゲンダイ) — KK Trapelus 河井克行氏について調べてみると「パワハラ」や「セクハラ」という悪評が見つかりました。。 これはどのような事なのでしょうか? 2016年の事になりますが、元秘書に対する傷害事件とパワハラ疑惑を「週刊文春」に公表されています。 運転手に暴行 今回「週刊文春」に実名告発したのは、1999年4月から7月にかけて地元・広島市で河井補佐官の秘書兼運転手を務めたN氏(74)。 運転手になった直後から河井氏の暴力が始まり、ハンドルを握る左腕を革靴のまま蹴りつけられ、全治14日間の大ケガをしたという。 しかし、2000年にN氏自身が河井克行氏の選挙ポスターを切り裂くなどし、器物損壊て現行犯逮捕。 地元での悪評 河井克行氏のパワハラに我慢しきれず事務所を辞めた秘書は100人は超えていると言われています。 「私も『国会議員の車の運転席の後ろが汚れてるのはなんでか知ってる? 蹴るためさ』と言われ、途端に恐ろしくなりました。 二面性を持っているのです」 地元のタクシーの会長は下記のように語っています。 「うちは河井事務所から配車の要請があっても、一切お断りしています。 河井先生が乗務員の運転席を蹴るわ、人を人とも思わないような暴言を吐くからです。 『もっと速く走れ!』と法定速度以上を出すよう要求され、危うくスピード違反に加担させられそうになった乗務員もいました。 もうコリゴリですわ」 小学生時代のアダ名は「スネ夫」 河井克行氏は子供のころから性格が悪いと言われ、ついたあだ名が「スネ夫」! 実家は薬局経営で当時から裕福な家庭で育った河井克行氏は、周囲のに「僕と君らは育ちが違う」のような事を言うタイプだったようです。 やはり悪評がありながらも、支持する方が多い事も現実なのでしょうか? 「河井補佐官が選出された広島3区は昔から自民党が強い地盤です。 当然、有権者も悪評を耳にしたことはあるはずですが、他に選択肢がないので、渋々、一票を投じているのでしょう。 小選挙区制の弊害です」 このような意見もありますが、真相は分かりません。 河井克行の出身高校大学と経歴 『美しい、豊かな、華やかな、輝きと活力に満ちた新元号を期待しております』 — 河井克行 katsukawai プロフィール 名前:河井克行(かわい かつゆき) 生年月日:1963年3月11日) 出身地:広島県三原市 出身校:広島学院中学校・高等学校 慶應義塾大学法学部政治学科(専攻、東南アジアの国際政治) 好きな食べ物:広島お好み焼き、麺類 所属政党:自由民主党 慶應義塾大学法学部政治学科卒業という事で、お勉強はできる方のようですね! 1985年には大学を卒業し、松下政経塾に入塾します。 1990年には松下政経塾を卒塾し広島県に帰郷します。 経歴 1988年:米国オハイオ州デイトン市行政管理予算局国際行政研修生 1990年:同塾卒業 1991年:広島県議会議員選挙、初当選〔広島市安佐南区〕 1996年:衆議院議員総選挙、初当選〔広島県第三区選挙区〕 2003年:衆議院議員総選挙、二期目当選〔比例中国ブロック〕 2004年:外務大臣政務官に就任【第二次小泉内閣】 2005年:衆議院議員総選挙、三期目当選〔広島県第三区選挙区〕 外務大臣政務官に再任【第三次小泉内閣】 自由民主党国会対策副委員長に就任 2006年:自由民主党国防部会長に就任 2007年:法務副大臣に就任【第一次安倍改造内閣】 法務副大臣に再任【福田内閣】 2008年:自由民主党副幹事長に就任 2009年:衆議院議員総選挙、四期目当選〔比例中国ブロック〕 自由民主党国会対策副委員長に就任 2011年:自由民主党組織運動本部地方組織・議員総局長に就任 衆議院外務委員会筆頭理事に選任 2012年:自由民主党副幹事長に就任 衆議院議員総選挙、五期目当選〔広島県第三区選挙区〕 衆議院外務委員長に選任 2013年:自由民主党総務会副会長に就任 2014年:衆議院議員総選挙、六期目当選〔広島県第三区選挙区〕 2015年:内閣総理大臣補佐官に就任【第三次安倍改造内閣】 2016年:内閣総理大臣補佐官に再任【第三次安倍第二次改造内閣】 2017年:自由民主党総裁外交特別補佐に就任 衆議院議員総選挙、七期目当選〔広島県第三区選挙区〕 2018年:自由民主党総裁外交特別補佐に再任 2019年:法務大臣に就任【第四次安倍第二次改造内閣】 河井克行が嫁あんりを操ってる? 広島の恥さらし 河井夫妻 河井克行 河井あんり 『税金ドロボー』 — Mさん。 皆さん、ご存じのように、奥さまの河井案里さんも議員さんでいらしゃいます。 河井克行氏は、ご自身の選挙の手伝いをする奥さまに「君には才能がある」と立候補を強く勧めたと言われています。 公職選挙法違反の疑いや、贈収賄の疑いなどで追い詰められている、奥さまの河井案里さんですが… 実は色々な違反行為は全て河井克行氏の指示ではないかとも言われています。 河井案里さんの公職選挙法違反の疑いがマスコミに取り上げられてから法務大臣を、わずか1カ月で辞任しています。 当時、河井案里さんは科学技術振興事業団(現・科学技術振興機構)に勤務していらっしゃいました。 まとめ いかがでしたか? 今回は「河井克行の悪評スキャンダルがヤバイ!出身高校大学と経歴や嫁も」と題して、河井克行氏の悪評スキャンダルや、出身高校大学と経歴や嫁の案里さんについて調べてみました。 奥さまの公職選挙法違反の問題から始まり、次から次へと不正が問題となっている河井克行氏と奥さまの河井案里さんですが、明るみにでた問題が、今後どのようになって行くのかに注目が集まっています。
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