あらすじ [ ] 亡き両親に代わって育ててくれた祖母・久仁子()の入院を機に東京へ出てくることになった澪()。 都会の空気に馴染めないでいたが「目の前のできることから、ひとつずつ」という久仁子の言葉をきっかけに、亡き父の親友であった三沢京介()が経営する居候先の銭湯を手伝うようになる。 映画監督志望の緒方銀次()、OLの島村美琴()ら、昔ながらの商店街の人たちとの交流も生まれ、都会の暮らしの中に喜びを見出し始めたある日、その場所が区画整理によりもうすぐなくなることを聞かされる。 その事実に戸惑いながらも澪は、「しゃんと終わらせる」決意をするー。 キャスト [ ]• 宮川澪 -• 緒方銀次 -• 島村美琴 -• 新井稔仁 -• 井関夕 -• 三沢京介 -• 宮川久仁子 -• ジャスミン -• 店長 -• 石田妃菜 -• 上野七海 - 小林萌夏• 銭湯の常連客 - 桜まゆみ スタッフ [ ]• 監督 -• 脚本 - 、末木はるみ、佐近圭太郎• 脚本協力 - 石井将、角屋拓海• 主題歌 - 「光の方へ」• 撮影 - 平野礼• 照明 - 稲葉俊充• 録音 - 伊豆田廉明• 音響効果 -• 美術 - 安藤秀敏、菊地実幸• ヘアメイク - 菅原美和子• 衣装 - 田口慧• 編集 - 伊東航平• スチール - 阿部裕介• 音楽 - 加藤久貴• 配給 -• 制作 -• 製作 -• 協力 - 、、 出品 [ ]• 第41回 特別招待 第39回モスクワ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した『』に続き、2作連続での正式上映。 本作の舞台となった銭湯「伸光湯」は東京都に実在する銭湯だった。 映画撮影時は営業していたが、経営者の高齢化のため映画公開1ヶ月前に廃業となった。 実際に再開発が迫り立ち退きが決定しているの商店街をメインロケ地としている。 劇中のドキュメンタリーパートに出演しているのは実際の立石の商店街の店主や客である。
次の映画『わたしは光をにぎっている』のあらすじ 「言葉は光だ」 東京へ越してきた宮川澪は、どうしても都会に馴染めなかった。 そんな時、祖母・久仁子の「目の前の出来ることから、少しずつ」という電話越しの言葉を聞いて、居候先の銭湯を手伝い始める。 それから街の人との交流も生まれ友達も出来た。 やっと馴染んできたと思っていたが、街の再開発で銭湯が閉店することに。 銭湯も消え、街も消える。 耐え難い事実を前に、澪は「しゃんと終わらせる」決意をする。 映画『わたしは光をにぎっている』のキャスト・スタッフ 監督・脚本 監督・脚本は、 中川龍太郎監督です。 2014年『愛の小さな歴史』が東京国際映画祭・スプラッシュ部門にノミネート、翌年『走れ、絶望に追いつかれない速さで』も同部門で上映され、2年連続入選を最年少で果たします。 本作も、モスクワ国際映画祭に特別招待されるなど注目を集めています。 キャスト 宮川澪 松本穂香 三沢京介 光石研 緒方銀次 渡辺大知 島村美琴 徳永えり 宮川久仁子 樫山文枝 主人公・宮川澪を 松本穂香さんが演じます。 松本穂香さんの自然体な雰囲気が本作と絶妙にマッチし、光石研さんの力強さが全体を支えています。 それでいて後半は松本穂香さんの内にある強さが宮川澪として現れ、作品に厚みが感じられます。 主題歌 主題歌は、 カネコアヤノの 「光の方へ」です。 2016年に初の弾き語り作品『hug』を、2018年にアルバム『祝祭』を発表し、第11回CDショップ大賞の入賞作品に選ばれました。 主題歌「光の方へ」は本作のために書き下ろされています。 【ネタバレ】映画『わたしは光をにぎっている』の感想・考察 「場所」と「居場所」 中川監督がインタビューで語っているように、この作品は「場所」をテーマとした作品です。 ですが、それは単なる物理的な場所だけではありません。 「おじいちゃんが脱衣所を覗いている」 このシーンは本作において、一つの象徴的なシーンであった気がします。 この行為は銭湯という「場所」においては確かにアブナイ行為であり、他者の「居場所」を侵す行為です。 ですが、自分の「居場所」を得るために何でも排除する行為は、同様にアブナイ行為と言えます。 なぜなら、「居場所」を侵されるという感覚は実に主観的なモノだからです。 それは居場所を失った人が他者を排除する事件を起こし、連日世間を騒がせている様子を見れば分かるでしょう。 この「場所」と「居場所」の差異を意識しながら、再開発のシーンを観ると本作は一層厚みを増してきます。 銭湯や商店街、映画館といった「場所」が取り壊される事で、街に住む人々の「居場所」が一瞬で失われてしまう。 ただの「場所」も誰かの「居場所」。 後半のドキュメンタリーシーンはまさしくその様子を描いていました。 「居場所」が烈しい暴風によって失くなった時、僕等はどうすればいいのか。 この作品は、 「しゃんと終わらせて、そこで掴んだ微かな光を信じて歩いていく」大切さを教えてくれます。 光とは何か 「宮沢澪がお風呂に手を入れ、水に反射した光を掬う。 」 このシーンは、本作のタイトルを具現化して表現した印象的なシーンでした。 澪はあの場所で光を掴んで握り締めます。 それは澪が居場所を掴んだ瞬間なのかもしれません。 また「言葉は光」というセリフに凝縮されていたように、光は突如語りかけてくるものです。 僕等は光っている状態にはあまり注意を払いません。 だからこそ、光ったその瞬間にしっかり握りしめる必要があります。 本作にはカメラや天使といったモチーフが度々登場していました。 それは 「水のように変わっていく社会で、瞬間的な光を握り締めて、揺るがない居場所を捉える視座」を訴えているように感じました。 さいごに 何気ない日常に差し込む光を捉えた 映画『わたしは光をにぎっている』について書きました。 ストーリーの良さはもちろん画の構成もさすが中川監督でした。 ぜひ、ご覧ください!.
次のCONTENTS• 監督を務めたのは中川龍太郎。 前作『四月の永い夢』(2018)では「世界4大映画祭」の一つであるモスクワ国際映画祭・コンペティション部門に選出され、国際映画批評家連盟賞とロシア映画批評家連盟特別表彰のW受賞を果たしており、『わたしは光をにぎっている』もモスクワ国際映画祭に特別招待・ワールドプレミア上映されました。 詩人としても活躍する中川監督ならではの映像描写、心象描写が見どころです。 久仁子が病に倒れ、民宿を閉じることになったからでした。 東京に向かった澪を迎えたのは、今は亡き澪の父の古い友人・三沢京介。 下町で銭湯の「伸光湯」を営む中年男性です。 建物の中の一室に下宿し始めた澪は地元のスーパーで職を得ます。 「伸光湯」の常連で自主映画を撮っている緒方銀次とOLの島村美琴は、澪のために就職祝いの席を設けてくれます。 しかし、他人に対して思ったことをすぐに言えず、曖昧な態度をとってしまう澪にとってスーパーの仕事は向いておらず、すぐに辞めてしまいます。 次の仕事もなかなか決まらない中、澪は少しずつ「伸光湯」の手伝いをするようになります。 相変わらず他人と積極的に話すことはない澪ですが、こつこつと浴室の清掃をする彼女の姿を見て、京介は清掃のコツや窯の焚き方などを教えていきます。 番台に座り始め、常連客とも少しずつ言葉を交わせるようになり、やっと居場所を得た澪。 しかしある夜、泥酔して帰ってきた京介から「伸光湯」を含む町の一角が都市再開発のために立ち退きを迫られていることを告げられます。 居心地の良い場所となった街が、消えゆくあることを知らされ言葉を失う澪。 その時、電話が鳴ります。 まとめ 主演を務めた松本穂香のナチュラルな演技がまず最初に目につきます。 ここ数年で一気にブレイクした彼女ですが、今までは意外に戯画化されたちょっと特殊な状況の映画が続きましたが、今回は等身大のキャラクターを演じることで、その地力を感じさせます。 松本は完成した『私はひかりをにぎっている』を観た後、「 自分の出演作で初めて泣いた」とのこと。 肩の力が抜けた本作でのキャラクターは、どこか本人に共通する部分があったのかもしれません。 そして、 彼女がナチュラルなままでいられるのは、渡辺大知や徳永えり、樫山文枝など実力派の共演陣、何よりも名バイプレイヤー・光石研の巧さがあってこそといえます。 すさまじい量の出演作によって、光石はもはや日本映画にとって「当たり前」の存在となりつつあるため忘れがちですが、彼の巧さはやはり稀有な存在です。 強面な役柄が続いていますが、今回の光石研は普通の下町のオヤジを好演しています。 透明度の高いシンプルな物語ゆえに、演者たちの魅力はより際立って感じられます。
次の