大崎洋 吉本興業会長 出典: プロフィール 名前:大崎洋(おおさき ひろし) 生年月日:1953年7月28日 出身:大阪府堺市 高校:大阪府立泉北高等学校 大学:関西大学社会学部卒業 職業:吉本興業ホールディングス会長・前社長 経歴 大崎氏は関西大学に2浪して入りました。 吉本に入社した理由は、当時サーファーだったために私服で通勤可能な会社だったから選んだそうです。 同期入社3人のうち、ひとりは、なんば花月と人気者の桂三枝(現・文枝)や売り出し中の明石家さんまさんを担当、もうひとりは、うめだ花月と絶頂期の横山やすし・西川きよし、勢いのあった島田紳助・松本竜介を担当しました。 そして、自身はうめだ花月より格下と見られていた京都花月に配属され、「ミスター吉本」と呼ばれた木村政雄さんの下で猛烈にしごかれることになります。 大崎氏の経歴はWikipediaによれば次のようなものです。 1978年 吉本興業株式会社に入社 1980年 吉本興業東京支社(当時は東京事務所)へ上司の木村政雄と共に異動 1982年 吉本興業東京支社(当時は東京事務所)から大阪の吉本総合芸能学院の担当社員へ異動 2000年 株式会社ファンダンゴの取締役に就任 2001年 吉本興業の取締役、株式会社アール・アンド・シーの取締役に就任 2002年 株式会社有明スタジオの取締役に就任 2006年 吉本興業取締役副社長に就任 2009年 吉本興業代表取締役社長に就任 引用: 上記の経歴には未記載ですが、現在の吉本社長は岡本昭彦氏で、大崎氏は会長になっています。 また一時期、「ガキ使」でお馴染みの藤原寛さんが吉本の社長になったという話も聞かれましたが、それは「吉本興業ホールディングス株式会社」ではなく、その子会社の「吉本興業株式会社」になります。 そしてその藤原氏は、おそらく岡本昭彦氏が社長に就任してからでしょうが、いつの間にか「副社長」に降格されているようです。 大崎洋と明石家さんまとのエピソード 明石家さんまはかねてから60歳になったら芸能界を引退する、としていました。 しかしさんまのギャラは吉本全体の8分の1ともいわれ、辞められては困る会社によってご機嫌取りをされて引き止められている状態です。 また「先代の林(裕章)社長には育ててもらった恩があるが、現在の(おそらく発言当時は大崎社長)社長にはお世話になっていないから、好きな時に辞めさせてもらう」と言っていました。 しかし義理堅いさんまはそれでも自分が抜ければ大きな穴ができると分かっているため、なかなか辞めるにやめられず、一説には島田紳助が辞めた時、「自分の力で紳助を復帰させるので、その代わり60歳で引退させてほしい」と言ったといいます。 紳助の引退会見直後、大崎氏に相談されたさんまは「俺に任せろ」と言い、関西ローカルなどで「紳助は復帰してもいい」などと発言して紳助復帰への空気作りをしていました。 しかし結果的にそれには成功せず、引退できなかったさんまは現在でも現役で活躍しています。 またさんまの「いつでも辞める」発言は、もう一つには「俺に代わる若手を育成しろ」という会社へのメッセージだと解釈している業界人も多いようです。 大崎洋とダウンタウンのエピソード 大崎氏はダウンタウンの初代マネージャーとしても有名です。 大崎氏が初めてダウンタウンを見たのは、1982年に『吉本総合芸能学院(NSC)』が開校し、大崎氏が同学院の担当になった時だといいます。 ダウンタウンはNSCの一期生でした。 それを見て、大崎洋はダウンタウンのネタの運びやしゃべり方の間、手振り身振りの表現力、何よりも発想の突拍子さに衝撃を受けたといいます。 大崎氏とダウンタウンとの興味深いエピソードとして次のようなものがあります。 最初はもちろん無名のダウンタウンのスケジュールは真っ白でした。 会社からも相手にされていないダウンタウンでしたが、大崎氏は彼らのマネージャーを引き受けます。 それでも2人は『これは仕事と違いますやん。 大崎さんと打ち合わせしているだけですやん』とは言わずに『ありがとうございます』と受け取って、時間どおりにやってきて、3人で一生懸命黙々とネタ作りに励んだ」 引用: 新人のころから鼻っ柱が強くて生意気だったと専ら言われているダウンタウンですが、意外にも健気な一面があったそうです。 またある日、松本人志と大崎氏は一緒にスポーツジムに行くと、そこで25メートルのプールがあって、2人でそこに入ったとき、ふっと「今は一緒に過ごしているけど、売れるようになったら僕の言うことなんか聞いてくれなくなるなぁ。 でも、松本が間違った方向へ進もうとしていたら、絶対にとめなければいけない」と思ったといいます。 そこで「25メートル1回も息継ぎせずに潜水したら、将来俺の言うことを聞いてくれるか?」と尋ね「ええ、いいですよ」と約束させました。 実は元水泳部で潜水はお手のものだった大崎社長。 泳ぎきった大崎社長は松本にそのことを約束させることに成功。 この日の約束は、後に果たされることとなる。 「ある出来事があって、松本が頑として首を縦に振らなかったときに『あのときのプールの約束、今使うわ』と言って。 松本は『えーっ、こんなときにですか……』と言いながら『わかりました』と苦笑していましたね(笑)」 引用: またまだ松本が映画を撮っていなかった時、楽屋で、「これから本出したり、映画撮ったりいろんなことしような」と話しかけると松本はこう返したといいます。 「大崎さん、何でそんなこと言うんですか。 僕は金持ちの家に生まれたわけでもないし、運動神経がいいわけでも、ギターが弾けるわけでもない。 やっとお笑いっていうものを見つけて、100メートル走を一生懸命、走ろうとしているのに。 走り幅跳びもしなさい、棒高跳びも、て」 引用: しかし結果的に松本人志さんは映画を何本か撮ることになります。 大崎洋が登場するダウンタウンのドッキリ動画 またダウンタウンの番組に出演している吉本社員といえば「藤原」さんが有名ですが、かつては大崎氏もダウンタウンの番組で、浜田と松本が大ゲンカするというドッキリ(下の動画)に仕掛け人として登場しています。
次の4月18日から21日にかけて、沖縄県で開催された吉本興業が主催するエンターテイメントの祭典「島ぜんぶでおーきな祭 第11回沖縄国際映画祭」。 大手お笑い事務所として知られる吉本だが、近年は同イベントの他、全国47都道府県に所属芸人を定住させる「あなたの街に住みますプロジェクト」など、地域活性化に向けた事業を多数推進している。 このほど、沖縄国際映画祭の期間中に、吉本興業代表取締役会長・大崎洋氏へインタビューを実施。 吉本だからできる地域活性化について、沖縄国際映画祭について、さらには、自身の半生を振り返っての思い出、今後挑戦したいことなどを語ってもらった。 大崎:2010年12月30日の夜、今の社長の岡本くん(岡本昭彦氏)と銭湯のサウナに入っている時に、たまたま備え付けのテレビで「地方が疲弊して若者の働き場所が減っていっている」というニュースを見ました。 そこで思いつくままに「おかもっちゃん、これ、47人契約社員を雇って何かしたらええんちゃうの?」と提案すると、岡本くんもサウナの中で暑くてボーっとしてたからだと思うんですけど、「あぁ、いいっすよね~、はい、はい」って言うてくれて(笑)。 それが、そもそものきっかけでしたね。 大崎:そうです。 年が明けて2011年1月4日より会社のホームページで求人を出して、同年4月1日に入社式を迎えました。 ところが、この間に3. 11があって。 入社式は、20数名の新卒採用の子たちと、47人の契約社員の合同でやったんですけど、一人ひとり挨拶をする時に、バタバタっと集めた47人の子たちのほうが堂々と胸を張って「地域のために、故郷のために、日本のために頑張ります」ってスピーチしていましたね。 中には、涙を浮かべながらしゃべってくれた子もいて。 それを見て、今の若者は云々かんぬんという人は多いけれど、僕らの世代よりも素晴らしいなと思いました。 そこで、その若い子たちを呼んで「地元に帰らないか? 君の実家どこ?」と聞いて「秋田県のナントカ村です」と答えたら「じゃあ、その実家、明日から吉本興業秋田事務所で」みたいな提案をしましたね。 大崎:全員頑張ってくれています。 47人の住みます芸人と47人の契約社員たちが若い力で臆面もなく市役所や知事さんのところに訪れて「僕ら吉本です! 昨日から住んでます!」って挨拶して、他にも、地元の青年会や商店街のお店を尋ねて回ったりもしました。 そうやって地道に活動していくうちに、地元の方々にすごく可愛がっていただくようになりましたね。 住みます芸人の中には、コミュニティFMでレギュラー番組を獲得した子もいたり、どっかの店のおばちゃんから「コロッケ毎日食べてもええで!」って言ってもらう子もいたり、地元企業の慰労会にゲスト出演して漫才をやるコンビがいたり……その当時、一番稼いでいた子で月収80万ももらっていました。 これから地域の色々な課題を解決するために、住みます芸人や社員たち、地元の方々、ITのスタートアップ企業、あるいは様々な知見を持っている霞が関の方々、どこかの大学の人とかを結びつけながら、やっとスタートをきれるかなっていうイメージですね。 大崎:お笑いの会社がやれることって、みんなを笑顔にできる場をつくることやと思うんですよ。 もちろん、既存のお笑いビジネスは本業中の本業として大事にしながらも、この時代にあったプラットフォームを設けることで、多くの人が楽しく過ごせたり、新しいつながりを持てたりもしているので、昔よりも社会性を帯びてきたのではないかとも思います。 大崎:その通りです。 沖縄には強力な観光産業があるものの、それ以外の産業がなかなか生まれにくいという土壌があります。 だからこそ、エンターテイメントの産業を創出できるような島にして、沖縄の子ども・若者がもっと夢持って生きていけるような環境をつくっていきたいですね。 《こじへい》.
次の雨上がり決死隊・宮迫博之さんとロンドンブーツ1号2号・田村亮さんが『闇営業』の謝罪と吉本興業の問題について会見を開きました。 その会見の影響は、とても大きいものとなり、お笑い芸人たちが様々な反応を見せています。 会見を観た、ダウンタウン・松本人志さんは 「松本 動きます」 とツイートし、会見のあった夜には、吉本興業の会長・社長と会合しています。 会見翌日放送の『ワイドナショー』は、急遽生放送となり、松本人志さんを中心に『闇営業問題』について取り上げました。 その中では、吉本興業の大崎洋会長と松本人志さんの会話も明かされ、2人は親密な関係であることが明らかになっています。 そこで今回は、吉本興業の大崎洋会長の経歴プロフィールを調査し、松本人志さんとの関係を調査してみました。 中井秀範さん(吉本興業総合企画室室長、吉本音楽出版取締役、日本音楽事業者協会理事などを務めている。 実は正式な初代マネージャーは大崎洋さんではなく中井さんだという話も)• 新田敦生さん( 新保町花月館長を務めている) の2人がいます。 1980年代にダウンタウンのマネージャーは、 中井秀範さん・大崎洋会長・新田敦生さんの3人が務めていたということですね。 大崎洋会長が、ダウンタウンのマネージャーを終えた後、他の誰かのマネージャーになった情報はありませんでした。 ただ、大崎洋会長は1982年から2000年までの間、NSCで多くのお笑い芸人の育成に携わってきています。 大阪でダウンタウンが売れると、東京進出をサポートし、 ダウンタウンメインの番組のプロデューサー も務めました。 大崎洋会長が、ダウンタウンのことを一番近くで見てきて、よく知る人物といっても過言ではないでしょう。 2000年 株式会社ファンダンゴの取締役に就任 2001年 吉本興業の取締役、株式会社アール・アンド・シーの取締役に就任 2002年 株式会社有明スタジオの取締役に就任 2006年 吉本興業取締役副社長に就任 2009年 吉本興業代表取締役社長に就任 2019年 吉本興業代表取締役会長に就任 と、吉本興業、ならびに複数の子会社に取締役として就任し、2019年には吉本興業の取締役会長に就任しました。 2019年7月22日の吉本興業・岡本昭彦社長の記者会見の中で 『闇芸人問題』で吉本興業・大崎洋会長と岡本昭彦社長は50%減俸処分 としたことを明かしています。 吉本興業・大崎洋会長と松本人志の関係をチェック! 反社会勢力との会合に出席し、『闇営業』をしていたことが判明した宮迫博之さん・田村亮さんら芸人たち。 金銭授与があったのかという件に対して、一度は 「受け取っていない」 と虚偽の説明をしていたことが問題となり、謹慎処分となっていました。 その後、2019年7月19日に吉本興業が宮迫博之さんの契約解消を発表。 その翌日の2019年7月20日には、宮迫博之さんと田村亮さんが吉本興業を通さず、個人で謝罪会見を開いたのです。 謝罪会見で明らかになったのは、吉本興業の岡本昭彦社長がパワハラをしていたのではないかという疑惑です。 この会見を受けて、ダウンタウンの松本人志さんが吉本興業の大崎洋会長と岡本昭彦社長と会合しました。 その内容は、2019年7月21日の生放送『ワイドナショー』で松本人志さんが言及しています。 この会合で、大崎洋会長が 「もし、これ以上問題が大きくなるようなら、自分の進退は考えないといけない」 と自身の進退について考えているということを、松本人志さんは知らされました。 これについて『ワイドナショー』の中で ウチの兄貴なんでね。 大崎さんがいなくなったら僕は辞めますね。 と語っていましたよ。 1982年に吉本総合芸能学院(NSC)開校時の担当社員となった大崎洋会長は、 無名時代のダウンタウンの2人の兄貴分・マネージャー的存在として業界のイロハを教えた人物。 無名時代のダウンタウンの2人は、スケジュールが真っ白だったそうです。 『マネージャーとの打ち合わせ』というスケジュールしか入っていないスケジュールを渡された2人は、お礼を言って受け取り、きちんと時間どおりに打ち合わせ場所にやってきて、3人で一生懸命黙々とネタ作りに励んでいたそうですよ。 ダウンタウンの2人が今後売れることを見越して、コントの練習をし、コントの練習もきちんとスケジュール化して、• 芸人としてのスキルアップ• 時間厳守などのルール を徹底させていたのですね。 コントも芸人2人だけにさせるのではなく、マネージャー自ら一緒に練習をしていたことは、すごいですよね。 大崎洋会長が、 本気でダウンタウンを育てていた ということがよく伝わるエピソードです。 2人でスポーツジムに行った際に、25mプールを見た大崎洋会長はふと 「売れるようになったら(松本人志さんが)自分の言うことを聞いてくれなくなるなあ」 と、思ったといいます。 それと同時に、 「松本が間違った方向へ進もうとしていたら、絶対にとめなければいけない」 と。 そして水泳が得意だった大崎洋会長は、松本人志さんにある提案をします。 「25mを1回も息継ぎせずに潜水したら、将来俺の言うことを聞いてくれるか?」 と松本人志さんに聞くと、松本人志さんは快諾。 大崎洋会長は見事泳ぎ切りました。 その後、ある出来事に対して、松本人志さんが頑として首を縦に振らなかったときに 「あのときのプールの約束、今使うわ」 と言い、言うことを聞いてもらったそうです。 気になる内容についてはわかっていません。 しかし、昔の約束を互いに覚えていて、きちんと約束を守ったところからも、2人の信頼関係がうかがえます。 しかし、周囲からは 「こんな暗いやつらがどこで練習してるんだろう?」 と思わせるくらい、当時から漫才が上手かったそうです。 彼らは、マネージャーの大崎洋会長と一緒に漫才の練習を一生懸命していたのです。 スポンサーリンク まとめ 吉本興業の大崎洋会長は、岡本社長と同じく ダウンタウンの元マネージャー でした。 大崎洋会長は、二浪の末に関西大学社会学部に進学。 大学卒業後に吉本興業に入社した理由は、 『私服通勤だから』 『まとまった休みがとれると思っていたから』 という安易なものでした。 それほど、ダウンタウンは大崎洋会長に心酔しているのですね。 今回、大崎洋会長は50%減俸という処分を受けているので、進退問題には発展しない模様です。 今後は、ダウンタウンと一緒に、また力を合わせて吉本興業を盛り上げてもらいたいものですね。
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