「 山田恵一」はこの項目へされています。 貴族院議員については「」をご覧ください。 獣神サンダー・ライガー(じゅうしんサンダー・ライガー、 Jushin Thunder Liger、 - )は、の元。 最終所属は。 その正体は (やまだ けいいち、 - )であるが 、の選手名鑑では非公開となっている。 出身地は宅もしくは。 通称は「 世界の獣神」。 血液型AB型。 獣神サンダー・ライガー プロフィール リングネーム 獣神サンダー・ライガー 獣神ライガー 鬼神ライガー ハラキリ・ハカタ2号 マスクド・イエロー マスクドC. U-L C. U CATS-THUNDER TAMA C. しかし、上はあくまで正体不明であり、ライガーも「 山田は死んだ。 の風になった」と発言している。 誕生日は11月30日と目にするがこれは間違いで、実際は11月10日生まれである。 一方で、テレビ中継ではデビューの対戦の実況のが「あの山田恵一が獣神ライガーの中に入っているのではないかという」「(浴びせ蹴りを出した後に)骨法炸裂、やはり山田か」などと隠さない姿勢の実況をしていた。 その後もしばしば山田の名を出し、1991年の決勝(対戦)では、「山田恵一が獣神サンダー・ライガーになったのは周知の事実」とまで言ってしまっている。 試合中にマスクを剥がされて、素顔がむき出しになったこともある。 また、バラエティ番組や対談等における出演の際には紹介されたプロフィールや、自身の経歴として語った若手時代の内容が山田のものだったこともある [ ]。 さらに、2013年12月発売の『G SPIRITS』誌に掲載されたによるインタビューでライガーは、「素顔時代の自分があるから、その後のライガーがあるわけだし、専門誌に"獣神ライガーに生まれ変わります"って素顔で永井豪先生と一緒の写真が掲載されたこともありますからね。 本名だって知られてるじゃないですか。 隠すものは何もありませんよ」と語った上で、自らの山田時代の活動を回顧しており 、ライガーはギミック上ほど正体を隠そうとはしていない。 新日本の道場が完成したときに、練習に遅刻したにが激怒して乱闘になった際に、山田と思わしき人物が他の選手と共に制止している姿がテレビに映っている [ ]。 永井側からの発信では、ライガーの中身が山田であることは『永井豪のヴィンテージ漫画館』で明記している。 2020年1月5日の引退試合後に行われたライガー・永井が並ぶ記者会見でも永井から「当時の山田選手」という発言があった(ライガーも「もういいだろ?わかってるんだから!」と爆笑しながら語っていた)。 来歴 ここではライガーと関係が深く、そのライガーの正体とされるの山田恵一の経歴も記載している。 山田 恵一 プロフィール リングネーム 山田 恵一 フジ・ヤマダ 本名 山田 恵一 ニックネーム シューティングスター リバプールの風 あすなろ戦士 飛燕 身長 170cm 体重 95kg 誕生日 1964-11-10 (55歳) 出身地 所属 スポーツ歴 トレーナー デビュー 引退 1月頃に消息を絶つ 山田恵一 出身。 に憧れ、プロレスラーを志す。 広島電機大学付属高等学校(現:)在学時からで頭角を現し、にも出場した。 身長が低いため日本ではプロレスラーになれないと考え身長制限のないメキシコ行きを決断。 高校卒業後の83年6月下旬から7月上旬にに滞在中、そこで出会ったを通じてを紹介してもらい、山本から入団を許可される(「高校卒業後新日本の入門テストを受験し、体力テスト等は合格基準を満たしたが、身長が低かったために不合格にされた後に渡墨した」というのは事実ではなく、実際はテストを受験していないどころか、履歴書すらも送っていない )。 3月3日、戦でデビューした。 当時の世代で体格的に恵まれていない選手がジュニアヘビー級でヘビー級に通用するパワーを兼ね備えた選手は獣神サンダー・ライガー(山田恵一)が最初の選手と言っても過言ではなく、この事からも並大抵ではない努力、努力の典型的な選手として古きファンからは尊敬に値する見方をされている。 第1回において決勝戦で小杉に敗れ、優勝を逃す。 だが、この頃から若手らしからぬテクニックを魅せ、で同じく若手であったにフォール勝ちし、海外遠征から凱旋帰国したにもエビ固めで勝利する。 さらにも経験。 とも対戦し、善戦するもKOで敗れる。 第2回で優勝を果たしてから海外修業も経験する。 遠征中は「 フジ・ヤマダ」のリングネームを名乗り、(初代の正体)から、で世界ヘビーミドル級王座を獲得するなど活躍した。 この時期の新日本ジュニア戦線は、、、、、、から高田伸彦(現:)、、の、海外からはなど錚々たるメンバーが揃う第2期黄金期であり、山田もその一翼を担っていた。 その影で山田は、の通称「藤原教室」で源流の関節技を、また同時期に若手の船木優治(現:)と共に、当時まだあまり知られていなかった新進の格闘術「」をいち早く学んでいる。 身長のハンデを埋めるため新日本プロレスでもトップクラスの練習量を誇り、通常の興行が行われる場合に若手は雑務に追われることが多い中、会場設営、のスパーリングパートナー、藤原教室、グッズ販売、自身の試合、先輩レスラーのセコンド、更にわずかな空き時間を見つけては階段ダッシュと7時間以上動きっぱなしということも日常茶飯事だった。 しかし、1月のイギリス遠征中に消息不明になったとされている。 獣神サンダー・ライガー 獣神サンダー・ライガー。 4月24日、でアニメ「」とのタイアップ企画で獣神ライガーが戦でデビューした。 ライガースープレックス(獣神原爆固め)で勝利を収めると、翌月の5月25日にはを破り、を獲得し第9代王者となった。 前半はIWGPジュニアヘビー級王座を巡り、(現:佐野巧真)、、、2代目、野上彰(現:)らと激闘を展開。 これ以降、ライガーは日本ジュニア界の中心人物とて活躍していくことになる。 当時、新日本プロレスと提携していたのメジャー団体にも何度となく遠征しており、、、、、、、などと対戦。 12月27日にはにおいて、とのシングルマッチも行われた。 また、他団体との交流戦、対抗戦が盛んになると、ライガーも積極的に動いて他団体選手の新日本参戦に尽力し、、等と団体の垣根を越えて協力し、ついににを開催、成功を収めた。 その一方で、ライガーは新日本内部のジュニア活性化も行い1990年代中頃からサムライ、らと組み、一世代下の、、らと戦った(もっとも、カシンは一世代下であるがカシンが偏屈な性格であることと覆面レスラーという共通点もあり、ライガー側となっていた。 特に、ワイルド・ペガサス(ペガサス・キッドから改名)、2代目ブラック・タイガーの4名は「ジュニア・フォーホースメン」(当時で一斉を風靡していたユニット「」にちなむ)と呼ばれ、1990年中-後半のジュニアを牽引する。 またWCWにも遠征し、ベルトも獲得した。 その出で立ちと実力から人気を博した。 7月3日、へ参戦し当初はサムライ、金本、らと共に出場すると思われていたが、、らと出場。 以降、ライガーは三人と共に ( Control Terror Unit 略称 : C. U)を結成し、を果たす。 ライガーも一時、率いる ブラック・ニュー・ジャパン( Black New Japan 略称 : BNJ)というヘビー級の新軍団と合流したが、2006年半ばにBNJが自然消滅になったため、再び独立ユニットとして活動するようになる。 3月26日、ライガーはに参戦しの保持するに挑戦して勝利し、第7代王者に輝いた。 4月17日にの挑戦を受け初防衛に成功 するが、7月1日にと対戦して敗れ、王座から陥落した。 6月26日、ライガーは新日本本社にて会見を開き、C. Uの解散を発表する。 解散の理由として「ユニット結成の目標として掲げていた「ジュニア制圧」が達成し、ユニットに括られて活動するよりも新たな道を個人で進んでいく方がいいんじゃないか」とライガー自身が語っており、プロレスのユニットとしては珍しいメンバー全員の見解が一致した上での発展的解散となった。 8月26日にC. U解散興行を行い、その後、ライガーは長州、蝶野らが率いる に合流した。 1月4日、にてデビュー20周年記念試合を行い、かつて幾度も死闘を繰り広げたとタッグを結成し金本浩二、組と対戦、最後は雪崩式垂直落下式ブレーンバスターで金本からピンフォールを奪った。 2月15日には4年ぶりにが保持するIWGPジュニア王座に挑戦。 ライガーも普段見せないムーンサルトプレスやライガーボムなどを解禁し挑んだが、最後はタイガーのデストロイ・スープレックス・ホールドで敗れた。 5月3日、にて、が保持するに挑戦し空中胴締め落としでカサスからピンフォール勝ちを収め、第16代王者に輝いた。 6月よりに遠征し、同団体が主催するに参戦。 一回戦でカサスを、二回戦でを、準決勝戦でを破り決勝へと進出した。 8月13日、決勝戦にてと3本勝負で対戦し、勝負は3本目にまで持ち越されたが最後はソンブラを丸め込み、ピンフォール勝ちを収め優勝した。 12月10日、に参戦し、アゼリアルの保持するJAPWライトヘビー級王座に挑戦。 自身の他に、、、バンディート・ジュニアが参戦した6WAYイリミネーションマッチで激突し、最後はとなったアゼリアルからピンフォール勝ちを収め、第25代王者に輝いた。 9月よりCMLLに遠征し、11月18日、CMLLミドル級王座の防衛戦の相手としてと対戦したが、敗戦し王座から陥落した。 よりとタッグを組む機会が増え始め、ライガーもジュニアタッグ戦線に参入し始める。 この試合でライガーはタイチからマスクを引き裂かれ、素顔を半分まで晒される被害に遭い、最後は鈴木からピンフォール負けを喫した。 ライガーも再びタイチよりマスクを破壊されてしまうが、その下からが施された鬼神ライガーが姿を現し、タイチに対して、テーブルに向けてのパワーボムで報復を開始、最後はタイガーがTAKAからピンフォール勝ちを収め第32代王者組となった。 棚橋がテリブレからピンフォール勝ちを収め、第34代王者組に輝いた。 一方でNOAHが主催するではタイガーとのタッグで出場。 試合終盤で相手側のセコンドに就いていたの介入に遭うと、最後はトンガからピンフォール負けを喫してしまい王座から陥落した。 12月7日、NOAH主催のGREAT VOYAGE 2013 in Tokyo vol. 2014年 - 2020年 10月13日、ライガーはにて、社長のにの次期挑戦者として指名される形でリングに登場した。 この日、ライガーは同王座の防衛に成功したに対して「アイム・ベリーストロング」とコメントし、対戦を受諾した。 11月8日、にてNWA世界ジュニアヘビー級王座を保持するオーエンズと対戦する。 ライガーはこの試合に勝利を収め、第90代王者に輝いた。 ライガーもこの試合でデスペラードからピンフォール負けを喫すると、試合後に自身のコスチュームとマスクの角をハサミで切り裂かれる被害に遭った。 1月5日、NEW YEAR DASH!! にて、NWAジュニア王座の初防衛戦の相手としてデスペラードと対戦した。 ライガーも鈴木軍のタイチ、TAKAの介入で苦戦を強いられていたが、ライガーの救援に駆け付けたタイガーが二人を排除し、最後はピンフォール勝ちを収めて初防衛に成功した。 その後、2月14日、で前王者のオーエンズ 、3月22日、Road to INVASION ATTACK 2015でタイガー の挑戦を退けて防衛回数を積み重ねていったが、4月13日、アメリカのネバダ州・ラスベガスにて行われたCasino Royale 2015にて、に敗れ王座から陥落した。 同月29日、レスリング火の国にて新王者となったアンソニーを相手に王座奪還に挑むが、アンソニーのセコンドに就いていたサープに急所攻撃を見舞われ、アンソニーからはNWAジュニアベルトで殴打されると最後はライガーがピンフォール負けを喫してしまい、王座奪取はならなかった。 7月16日、ライガーはの傘下団体であるの収録において、GMであるから8月22日に行われるに出場し、と対戦する事が発表された。 新日本プロレスの所属選手でNXTに出場するのは史上初であり、大元のWWEを含めると1985年に新日本プロレスと当時のWWFが提携を解消して以来、約30年ぶりの新日本プロレス所属レスラーの出場となった。 試合では序盤より優勢に進めて場外にいるブリーズへ、そしてリング上でライガーボムを決めて勝利した。 2016年4月10日、ライガーはINVASION ATTACK 2016にて対のIWGPジュニアヘビー級王座の後防衛を果たしたKUSHIDAからの次期挑戦者に指名を受け、5月3日のレスリングどんたく 2016にて約6年ぶりにベルトに挑戦した。 2017年のBEST OF THE SUPER Jr. 24シリーズで「今シリーズ限りでのBOSJ卒業」を表明した。 ライガーもAブロックにエントリーして最終戦まで全敗と苦戦するが、最終戦でタイチから価値ある1勝をもぎ取り、1勝6敗の成績でBOSJに別れを告げた。 2019年3月7日、前日の旗揚げ記念日でのIWGP Jr. タイトルマッチ対石森戦の敗戦翌日に現役引退を表明し、ライガーの引退試合は翌年1月のドーム興行で行われることが発表された。 発表直後、日本で関連語句がTwitterトレンド入りし、アメリカでも「Liger」というワードがトレンドに入った。 2020年1月5日、14、2日目の試合を最後に現役を引退した。 ライガーの引退興行では永井が改めて正体が山田恵一であることに触れた。 引退に際してライガーは、世田谷区野毛にある寮の管理人として若手選手らのサポートに回る予定が示された。 また、『』ならびに動画配信サービス『』における放送席解説は引退後も継続となり、引退から5日後のファンタスティカマニア大阪大会で『怒りの獣神』が流れる中リングに登場し、引退後初めて放送席に加わった。 2020年3月16日、入りすることが発表された。 獣神サンダー・ライガー(左)と(右)。 ライガーは、「ジュニアの象徴」と呼ばれ、2011年現在新日本プロレスのジュニアの現場監督でもある。 また、ベテランでありながら新日本プロレス選手寮に自身の個室を持ち(会社にちゃんと寮費を納めているという。 )、年間200日程度は若手に交じって単身赴任生活している。 一方で、ライガー自身の「田舎で子供を育てたい」という要望から1995年に妻の実家に近い内に移住し自宅を構えている。 2015年には『ランド』の企画で自宅を公開した。 マスコミ批判・レスラー批判など時に遠慮のない歯に衣を着せぬ発言もするが、個人的感情というよりもプロレスそのものに対する誇りから放たれている。 それ故レスラーの戦い方やスタイルにしても、しっかりとした1個性として作りあげられているものならば、国内外のメジャー・インディを問わずたとえ敵対関係にあっても寛容な姿勢を見せ、他団体との交流や新日本参戦に自ら積極的に行動して橋渡し役になる場合が多い。 他団体のリングに乗り込む際は率先してを演じ、相手側ファンの罵声を浴びて会場の熱気を盛り上げる。 ただし、2006年にに参戦した際には、ヒールユニットののとのの抗争の流れからの参戦ということもあり、以前の赤いマスクを付けたベビーフェイスとして登場している(この時、新日本ではC. Uとして活動していたので黒マスクを着用していた。 自分の源流である新日本プロレスには強い愛着を見せており、近年多く出版されるようになったプロレス暴露本などで新日本プロレスの凋落を批判するOBに対し、本隊から離れている時にあっても「選手は一生懸命やっている。 観客が来なくなるような発言は控えてほしい」と述べている。 器械体操をやっていた経験からシューティングスタープレスなどの難易度の高い空中殺法を開発したり、小柄な体格にもかかわらず垂直落下式ブレーンバスターを必殺技として定着させたりと、流行技の発信源になっている。 長年新日本のジュニアを支えあってきたエル・サムライとタッグを組むことが多く、IWGPタッグやジュニアタッグリーグで優勝している。 少年時代はの大ファンであった。 後にタッグながら対戦している。 マスクはマイナーチェンジを含めて、たくさんの種類がある。 また、毎年1月4日に行われる新日本プロレスの興行では毎年のように違う配色のコスチュームで登場する。 マスクは口元だけが破けやすく、その状態で試合を行うこともある。 プライベートでは大のとして知られる。 AKIRAがに出演した際、控え室で野上にいきなり(作品内の架空言語)で話しかけ困惑させたことがある。 その他にの栽培や工芸なども嗜み、非常に多趣味な人物として有名。 釣りも趣味としており、遠征中に事前に調べておいたポイントへ足を運ぶこともある。 手先が器用で、趣味のひとつにやなど特撮系キャラクターのフィギュア造型があり、石粉粘土を使った本格的なものである。 試合や練習、遠征の合間を見つけて作っているため、完成に1年以上掛かることもあるという。 本人曰くウルトラマンなどヒーローより敵側の方が好きで、特にゴジラなどの恐竜型怪獣を好んで制作している。 『大改造!! 劇的ビフォーアフター』で道場のリフォームを依頼した際、職人から工芸の腕を「プロ並み」と評価され、道場の表門に埋め込むライオンのエンブレムを制作した。 井上や柴田らがデビューしたころから、タイトル戦にあまり絡まなくなり、スーパージュニアなどの大舞台で若手に勝ちを譲る場面もある。 覆面レスラーであることに強い誇りを持っており、練習中も簡易マスクを着用している。 また、結婚した時も素顔・本名での披露宴とは別に、マスコミ向けに覆面・獣神サンダー・ライガー名義で披露宴を行っている。 ライガーのマスクを被ってからもアメリカやメキシコに頻繁に遠征を行っており、海外での知名度も高い。 の第1回放送にも登場し、オープニングマッチでと対戦している。 他団体に上がった際の場の雰囲気に合わせる能力にも長け、などでは宇宙大戦争に参加してに水やパイをぶつけたり、との対戦では腕を使用したりとコミカルな路線にも対応出来る。 マスクから見える毛はかつては自身の毛であったが「」(本人談) 現在はマスクに直接植毛されている。 プライベートマスク等では毛がついていないものもある。 近年は『』(系列)など、テレビバラエティ番組への出演もこなしている。 『水曜日のダウンタウン』をはじめとするが手がけるTBS系列の番組 にはよく出演している。 淳と頻繁に共演する、、はライガーの「ちょっとした罰ゲーム」を頻繁に受けており、「怒りの獣神」のイントロが流れるとスタジオに緊張が走る。 のとは同じ高校の先輩後輩である。 クロちゃんが『』(TBS系列、放送)のあるコーナーでルール違反をしたため、お仕置きのためスタッフと一緒に自宅アパートを襲撃した際に判明した。 12月にを開始した。 同僚レスラーの紹介から、食生活に至るまで幅広い書き込みを行っている。 有名な試合• 1990年6月12日に行われたとの異種格闘技戦では、通常とは異なるデザインのマスク(目元と口元の開口部が通常のマスクより大きい。 )が使用された。 しかし、それが裏目に出たか、2Rに青柳にマスクを半分以上破られることになった。 3R開始時自らマスクを脱ぎ捨て、素顔で最後まで試合を行った。 実況の辻よしなりからは、「獣神サンダー・ライガー、山田が生まれ変わって名付けた名前」「獣神サンダーライガー改め山田恵一」「獣神サンダー・ライガーのコスチュームを身にまとった山田」「ライガーとしては初の異種格闘技戦だが山田としては様々な選手と戦った」(概略)などと語られ、客席からは「山田」コールがされた。 逆上したライガーの責めはえげつなく、「を抜いた」と形容された。 試合は負けたが、橋本相手に勝利に近付く場面もあった。 この時見せたビルドアップされた肉体は、身長170cm未満の選手で100kgに満たないジュニアヘビー級クラスの選手の中で、ヘビー級のパワーを持つ『唯一』の選手とも絶賛されている。 2019年10月に鈴木みのるとの試合でも披露した。 10月20日、と戦ったときにムタに覆面を破られたが、覆面の下には素顔ではなく白いペイントが施されていた。 さらにライガーが自ら上半身のコスチュームを破ると、胸部にもペイントがされていた。 奇声を上げ、毒霧を吐き、凶器を使う通常と違うファイトスタイルから一部雑誌では「狂神ライガー」と呼ばれた。 この名前はプロレスゲーム『闘魂烈伝』などでも用いられていたが、新日本プロレスの公式ウェブサイトでは「 鬼神ライガーと後に呼ばれる様になった」とギミックに若干の修正が行われている。 なお、この時は白銀のコスチュームを使用しており、ライガー曰く「あの時だけ」の一度きりの配色である。 また、直前の試合でトラブルがあり、このマスクを被って試合をしたこともある(体は普段の赤白のコスチューム。 2006年にとのシングルで復活させているが、最初から「鬼神ライガー」というネームでマスクを被らずに登場した。 海外では、邪神ライガーと表記されていることもある。 2012年にも登場し、相手に毒霧、凶器、テーブルなどを使用し勝利した。 2019年9月の大会の6人タッグにおいても7年ぶりに登場し、抗争中の鈴木に対して毒霧を噴射するなど大暴れし、反則負けとなった。 この鬼神ライガーのペイントは、によるとライガーがのファンだった事からキッスのペイントを真似ているらしい。 試合前にマスクの盗難に遭い、エル・サムライのマスクを被って試合をしたことがある。 その際の雑誌掲載時の見出しは「獣神サンダーサムライガー!? 」だった。 ちなみに、その試合では対戦相手のに借り物のサムライマスクを破かれてしまい、二重三重の災難となった。 1月4日の東京ドーム大会にて金本と対戦。 かねてから新日本ジュニアの過剰な安定化に苦言を呈していたライガーが、遂に実際の行動に移した。 奇襲に近い試合の組み立てで、僅か3分56秒で金本を一方的にノックアウトした。 だがこの後、ライガーの行動に反感を抱いた他のジュニア戦士達に集中攻撃を受ける事になる。 の大阪ドーム大会にてバトルライガーとしてと対戦した際にマスクを剥がされるも、長州を始めとするセコンド達により頭に掛けられたタオルを払い除け、堂々と「素顔」を曝け出したままとやりあった。 (この時、辻アナウンサーは実況で山田恵一の名前を連呼していた。 11月30日にに参戦。 ルールで鈴木と対戦した。 この時のライガーは飾りの少ないマスク姿、タイツもより動きやすいようトランクスタイプで登場した。 ライガーもゴングの瞬間に突進し浴びせ蹴りを見舞うというプロレス魂を見せ付けた。 結果は敗れたものの、鈴木を再びプロレスに開眼させそれ以降、鈴木は総合格闘技からプロレスに戻った。 タイトル履歴 ライガーは、IWGPジュニアヘビー級王座を11回獲得しており、の優勝3回(「TOP OF THE SUPER Jr. 」含む)と共に同タイトルの最多記録である(2005年6月現在)。 また、「BEST OF THE SUPER Jr. VIII」では、大会史上初の全勝優勝を達成。 4月にはジュニア・オールスター戦「SUPER J-CUP」を実現させ、第2回、3回と自身も優勝している。 第4回もスペル・デルフィンらと組み出場している。 (本戦は若手中心のトーナメント。 : 11回(第9代、11代、13代、15代、18代、21代、26代、29代、32代、35代、37代)• 優勝(1992年)• 優勝 : 2回(1994年、2001年)• 優勝(1986年)• (第8代)• (第7代)• 英連邦ジュニアヘビー級王座 : 2回(第6代、10代)• (第2代)• (第16代)• 優勝(2010年)• : 2回(第56代、90代)• JAPWライトヘビー級王座(第25代)• 世界ヘビーミドル級王座(第4代)• ブリティッシュJカップ 優勝(2017年)• 1995年度 優勝• 2000年度 優勝 以下は第3代として戴冠。 後にの単独防衛戦で敗れたため、ジュニア7冠王座となる。 (第29代)• (第8代)• (第56代)• (第39代)• (第30代)• (第31代)• WWA世界ジュニアライトヘビー級王座(第8代)• 英連邦ジュニアヘビー級王座(第10代)• 新人賞(1985年)• 殊勲賞(1994年)• : ロメロ・スペシャル。 ライガーの最も多用する。 稀に も使用している。 下記、雪崩式をフィニッシュに用いていた時代は繋ぎ技の扱いであったが、新日ジュニアはぬるま湯発言、ブラックライガーの登場以降にフィニッシュ・ホールドとして復活させている。 文字通りで仕掛ける垂直落下式のブレーンバスター。 頭から落とす危険な技を忌避する風潮がファンを含めて浸透し出した頃から、危険な技を流行らせた原因の一端は自分にもあるとしてほぼ封印状態となった。 骨法の技で、ライガーはほぼ利き手の左手で使用する。 相手の顎を下から打ちぬく アッパー掌底やマウント状態から放つ マウント掌底のバリエーションもある。 ライガーはこの技をプロレス流にアレンジし、至近距離から連発したり、カウンターの一撃や串刺し式、ダイビング式、飛び技を狙うコーナーの相手にジャンピング式で繰り出すなど多様なバリエーションを見せている。 バラエティー番組出演のほとんどは芸人にお仕置きで掌底を喰らわす役目がもっぱらで「気をつけ! 歯食いしばれ! 歯食いしばれ!いくぞ」と言いお見舞いする。 (ルー・テーズ・プレス) ダッシュしてきた相手の胴を自らの両足で挟み込みながら前に倒れこんで押し倒し、上になった体勢のままフォールを奪う技。 2009年頃からフィニッシュ・ホールドとして多用されている。 ライガーはこの技をカウンターで素早く使うため、プレス技というよりもの色合いが強い。 打撃技 いわゆる骨法の技。 前方の相手に向かって前方宙返りする勢いで片足を振り上げ、踵で相手の頭部を打つ。 コーナーにもたれかかった相手に追打ちで決める場合が多いが、稀に避けられてふくらはぎを強打することも。 投げ技 のように相手を抱え上げ、そのままの要領で前方に向かって叩き付ける技。 垂直落下式ブレーン・バスターに代わるフィニッシュ・ホールドとして開発されたが、後に隠し技的な存在となった。 の要領で抱え上げてから、垂直落下式ブレーンバスターのように脳天から落とす。 フィッシャーマンズ・スープレックスを元にライガーが開発した技で、こちらも雪崩式で繰り出すものを一時期フィニッシュに用いていたが後にほぼ封印状態となっている。 (雪崩式垂直落下ブレーン・バスターに比べ、使用頻度は高い。 ) ジャンピング・ボムとほぼ同型だが、ライガーの場合は相手をマットに叩きつける際に空中で相手の両腕を足でロックし、さらに腰を落として後方に体重をかけるようにして叩きつける工夫がなされている。 ジャンピング・ボムの使用はの方が数年早いが、デビルを含めたジャンピング・ボムの呼称としてライガー・ボムの名が浸透している。 相手を持ち上げた状態で走り込んでから叩き付けるライガー・ボム。 平成中期頃にフィニッシュ・ホールド、繋ぎ技として用いられたが、後に使用されなくなった。 ヘビー級と対戦時、相手を持ち上げられなかった時等に使用している。 スイング式の使用や、過去に 雪崩式をフィニッシュ・ホールドに用いていた時期もある。 雪崩式に応用したのはライガーが最初で、以降、空中戦を得意とするジュニア選手を中心に定着していく。 公開当初はそのままフォールの体勢に入っていたが、徐々に投げっぱなし式のような形へと変化していった。 素顔時代にフィニッシュとして愛用していた技。 ライガーは、の影響を受けてから投げ捨て式を多用するようになった。 トップロープから相手を一回転式で投げる雪崩式も時々使用している。 ライガー・スープレックス(獣神原爆固め) 背後から自分の右手で相手の左手をつかみ、自分の左手で相手の左足を抱えて投げ固める技。 小林邦昭とのデビュー戦、IWGPジュニア王座初戴冠の馳浩戦でフォールを奪った技だが、それ以降はほぼ使っていない。 素顔時代のライガーの得意技でもあるあすなろスープレックスII(飛燕原爆固め)の改良したものだが、あすなろがジャーマン・スープレックス・ホールド型だったのに対し、ライガー・スープレックスは実際はライガー・バックドロップ・ホールドである。 左手で放つことが多い。 1990年代にはダイビング式も稀に使用していた。 関節技 骨法の技で、腕を絡め取る関節技。 骨法を習っていた時に一時期使っていたが、現在は使われていない。 ちなみに、同名の技を同じ新日本所属のが使用しているが、こちらはパワーボムに近い技であり全くの別物である。 ゲーム等では、「獣神鬼殺し」の名義となっている。 相手が関節技に秀でた相手の場合、対抗してこの技を狙う時が多い。 また潰しあいになるときも仕掛ける。 こちらも上記同様潰し合いになるような試合や格下相手のシゴキ試合のような場面でよく用いられる。 スタンド状態から巻き込んで極める巻き込み式も使用。 ライガーはこの技を仕掛けた際すぐさまヘッドシザーズに移行することもある。 主に1980年代から1990年代頃まで使用していた。 ほとんどは胴締め式で極める。 獣神ライガー時代にはこの技とドラゴン・スリーパーの複合技を披露していた。 時として悲鳴が上がるほど思い切り締め上げることがある。 昔から時々使用している。 テレビ中継の際解説のマサ斎藤から「ライガーは体が小さいから威力が弱い」と苦言を呈されていた(腕十字も同様のコメント)。 (ムルシェラゴ) 自分は片膝状態で、立てた片膝の方向に相手の頭が来るように、うつぶせ状態で両肩に相手を横抱き。 自分の首を支点に相手の両足を四の字に交差し伸ばしたほうの足を腕で捕える。 相手の胴を内側に折り曲げるようにして片膝状態の内股部分に相手頭部が来るように固定。 相手の重みを自分の両肩で受け、その重さを使って四の字にした相手の膝関節を極める。 首を支点に使った足4の字固めのバリエーションの一つ。 滅多に使わない技。 にロメロ・スペシャルを仕掛けるライガー。 (吊り天井) 初期のライガーは正調ロメロスペシャルを良く使っていたが、後年はほとんど吊り天井に行く前の段階でサーフボードの腕を外して、そのまま相手の首をドラゴン・スリーパーに捕らえるパターン(変型)が主流となっている。 全盛期は正調ロメロ・スペシャルから変型への連携を良く見せていた。 他にも過去に腕を外した際にチンロックで絞り上げるロメロ・チンロックも見せている。 2017年1月、ロメル・スペシャルを使用した事件が発覚した際には、報知新聞が「吊り天井固めを得意技とするプロレスラー」としてライガーを取り上げ、コメントを掲載している。 変形カンパーナ グラウンド状態で極める変形。 この技からキャメルクラッチあるいは変形カベルナリアに移行する事が多い。 昔から時々使用している。 仕掛けた後フロントネックロックや羽根折り固め、ハンマーロックを併用して使用する場合もある。 固め技 相手の肩に側面から飛びついて前方回転して極める。 肩車状態の時に後方に方向転換して極める後方回転式や飛びついた際にホイップして極めるホイップ式も使用。 最近では使用していない。 あまり見せないが時々使用している。 、 よく自分から相手に飛びついて極めることが多かった。 フランケンシュタイナーはリング上やエプロンあるいはリング上からのエプロン付近でパワーボムを仕掛けられたときに返し技で使用することもあった。 最近は使われていない。 昔からよく使用している。 カウンターでカニ挟みから移行して極める連携も見せている。 ロープワークから相手のラリアットをかいくぐり飛び付いて決めることが多い。 関節技としても使用する事があり、その場合若干極め方が違った。 ヘビー級と対峙する時などに時折使用している。 飛び技 コーナーポストから飛ぶ形と、ロープを潜りリングから飛ぶ形の2パターンで用いていた。 1995年のサムライと組んだ対金本・大谷戦でコーナーポストから見舞った際、頭から落ち脳腫瘍を起こして欠場しており、復帰後はエプロンを走って仕掛けるパターンを多用するになった。 エプロン版はスライディングキックからの連携で使用される事もある。 セカンドロープの反動を利用する形と、コーナーポストから飛ぶ形の2パターンで用いていた。 ウルティモ・ドラゴンが日本に持ち込み流行り技となった1990年代中頃に使用していた。 ダイビング・ヘッドバッド 1990年代初頭までは頻繁に使用していた。 ライガーの使用するコーナーからリング内への飛び技では最も使用頻度が高く、長年愛用している。 若手時代の代表的なフィニッシュ・ホールドの一つであったが、後に使用機会が減少、ほぼ封印状態となる。 しかし1990年代中頃、ヘビー級戦線へ不定期参戦していた時期に「ヘビー級の選手との体重差を埋めるため」として再び使用するようになった。 跳躍する際に体が斜めに流れる癖があり、しばしば「ライガー独特のムーンサルト」と表現される。 それ以来長らく使用していなかったが、2000年代後半頃から再び使用し始めている。 ある試合中にバク転を披露した際も体が斜めに流れ、これについてVHS闘魂Vスペシャルvol. 5のゲスト解説時に田中ケロから「バク転斜めになってたよ」と指摘された。 それにライガーは「片耳の鼓膜が破れているから、それで平衡感覚がないのかもしれない」と返答しており、本人はまっすぐ跳んでいるつもりだという。 素顔時代の凱旋帰国時に披露したオリジナル技で、自身が開発したこの技の元祖であるが、過去に数回しか試合で使用されておらず、滅多に見ることの出来ない技となっている(しかし、得意技として紹介されていることが多い)。 ライガーに変身以降封印していたが1月31日の佐野戦で封印を解いた。 ライガー曰く「バック宙してるのに前に飛んで行く、僕にもちょっと分からない不思議な技」「のが使う南斗水鳥拳をモチーフにした」と、雑誌でのインタビューで答えている。 年齢的な衰えから封印したのではないか、という説に関しては「充分練習すれば今でも出来ると思うが、とにかく危険な技なのでもうやらない」と返答した。 命名者は田中ケロ。 トップロープからのローリング・セントーン(ヴァルキリー・スプラッシュ)に更に180度の捻りを加え、ボディ・プレスの体勢で着地するという、非常に高難度の技である。 シューティング・スター・プレス披露後の雑誌での道場取材で「スターダスト・プレスはもう出来ている」と発言したことでその披露が待たれていたが、再び海外に出た当人が行方不明となったことで技の名前だけが先行していた。 実際に使用されたのは1996年1月4日に東京ドームで行われた対金本戦の1回のみ。 後の雑誌インタビューでライガーは、「元々はのと同型の飛び技を予定していたが、既に披露されてしまったために新たに試合で披露したような複雑な形になった」と答えている。 そのためかプロレスゲーム『』ではフェニックススプラッシュと同型で収録されている。 後に新日本プロレスの後輩である内藤哲也が復活させるまで、ライガー自身を含め使い手がおらず幻の技と化していた。 ライバル ライガーは、自身のライバルとして以下の二人を挙げている。 同期入門で、1990年代初頭にを巡って抗争を繰り広げた。 二人の激しい試合を見た先輩レスラーが「お前らそのうちどっちかが死ぬぞ」と言ったエピソードも残っている。 また、引退会見では「あの人がいなかったら、今の獣神サンダーライガーはない」とも語っている。 その後、佐野はへ移籍し新日とUインターの対抗戦ではライガーの希望で両者のシングルが組まれ、名勝負の再現として注目を集めた。 試合でも佐野がU系のレスラーとしては異例のやを出し、勝利した。 のライガーデビュー20周年記念試合では、タッグを結成した。 この試合の2日後、自身のフェイスブック上で現役引退を表明した。 新日本に練習生として留学した後に ペガサス・キッドとして来日。 ライガーからIWGPジュニア王座を奪取した。 にはで対決し、ライガーが勝利してペガサスがマスクを脱いだ。 その後もIWGPジュニア戦やベスト・オブ・ザ・スーパージュニアでの激闘、ジュニア・フォー・ホースメンの結成などで時には味方、時には敵としてライバルストーリーを紡いでいったがクリスの移籍で疎遠となった。 そしてにクリスが死去し、二人の再戦は実現できなくなった。 それ以降、ライガーはインタビューなどでクリスとの思い出を聞かれても「自分の中で大切に取って置きたい」との考えから一切語らないようにしている。 入場テーマ曲 Gonna Fly Now(映画『』のテーマ) 素顔の時代に使用。 怒りの獣神(、アニメ『』前期OP) ライガーの代表的な入場テーマ。 ライガーとなって以降、ほぼ一貫して使用している。 ライガー自身は「プロレスラーの入場曲で、唯一歌える曲だから」と語ったことがある。 では「権利上の都合」による楽曲の差し替えまたは消音対応の対象曲となっていたが、2016年5月3日開催の放送分以降からは「権利上の都合」の対象外となり、そのまま流されるようになった。 「クイズ正解は一年後」などバラエティ番組の罰ゲーム担当として入場する際にも使用される(ほぼイントロのみしか流れない)。 奇跡の獣神(弘妃由美、アニメ『獣神ライガー』後期OP) タイアップ先のアニメのOP曲変更に合わせて使用された。 しかし、前期OPに比べて「客のノリが悪くなる」という理由で、非常に短期間で『怒りの獣神』に戻された。 Thuhn-Der にて使用。 ハラキリ・ハカタ2号のリングネームを名乗ったときに使用されたテーマ曲。 地獄ロック(アニメ『』のテーマ) 2006年に非道とのシングルで鬼神ライガー時に使用。 途中から鬼神ライガーと化した2012年にも試合後タッグパートナーのの曲が流れたあと使用されている。 プロレス以外の活動 ライガーは、の入場時に一緒にカレーダンスを踊ったり、「」では覆面をつけているにもかかわらず、のエアーものまねをしてみたり、「全身タイツ隊」のメンバーとしても出演しメンバーと同じ奇妙な動きを見せるなど芸達者な一面もある。 また、ライガーは上記のようなテレビ出演やで人生相談コーナーを持っていたりしたこともあるなど、リングの外での活躍も多い。 「」「所さんのただものではない」などのクイズ番組や「」のテレフォンショッキング(オースマン・サンコンからの紹介)に出演したこともある。 2006年10月から2007年3月にかけては番組「」に準レギュラー出演していた。 (ただし、番組内でボーナス絵柄のに苦戦する様子などが放送されていることから、ライガー自身はパチスロは素人である模様。 2006年5月20日放送のでの対戦のを務めた。 2007年2月24日放送の「」に出演した。 そこで、「僕、閉所恐怖症なんです」と自分の短所を告白した。 2007年7月16日放送の「」では、仕掛け人として素の姿(バックショットのみ。 )で出演した。 2010年11月10日放送の「」で、県境を日本一多くまたぐ道路「」をリングネームと語呂が似てるということでレポートした。 2011年4月29日から、九州地区ローカル()で、との冠番組「」が不定期放送されている。 2012年2月6日・3月26日放送の「」に出演しなどに挑戦。 2012年6月12日放送の「」で「街で顔を指されるまで帰れませんバスツアー」に出演、以降もお仕置き人として不定期で出演していた。 2012年8月24日放送の「」の「人気プロレスラーが大集合! こんなイカつい俺たちだけど意外とおちゃめなんですよSP」では、武藤に頭の毛は自分と同じ感じと暴露されている。 2013年6月2日放送の「」の2時間スペシャルでは新日本プロレスリングの選手達が住む寮のリフォームを依頼。 2014年5月21日放送の「」において「ロメロスペシャル 相手の協力なしでは成立しない説」の仕掛け人として出演した。 また、8月6日放送分では第2弾として「ロメロスペシャル 整体中にかけられても気づかない説」の仕掛け人として出演した。 2014年10月23日放送の「」では、人望ゼロの「しくじり先生」として登壇、先輩としての立ち振る舞いの授業を行った。 2015年9月18日放送の「」では、「薄毛代表」で出演した。 2018年2月23日放送の「」に出演し趣味の料理を披露、スタジオでを振る舞った。 全身コスチューム姿のまま買い出し、調理を行う場面も見られた。 ライガーパーク(2018年3月30日 - 、CSテレ朝チャンネル2) - MC• ファミリープロレス!! (2018年8月19日、テレビ朝日) - 生徒および解説者• 2018年11月4日放送の「」でを訪れる。 そのそつのないロケテクニックはに絶賛された。 他には2013年からTBSで年末に放送されている「」に、スタジオおよび一年後の正解発表の罰ゲーム執行人として毎年登場している。 ドラマ出演• 「覆面」(1991年5月30日、)主演 - 獣神サンダー・ライガー 役• 『獣神サンダー・ライガー 怒りの雷鳴 FIST OF THUNDER』(1995年2月21日、)主演 - 獣神サンダー・ライガー 役• (2009年6月9日、フジテレビ) - 二郎 役• (2016年、) - 葵伝二郎の父 役 2019年12月 スーツ姿• 時代のあだ名は「ハチ」、「ハチ公」、「ハチベエ」。 新日本プロレスのレスラーは抗争や因縁を進める時は「潰す」や「殺っちゃう」という語彙を多用するが、ライガーが10年以上使い続けているのは「ぶち殺す」という表現である。 プロレスはリング上で繰り広げられる「芸術」であると述べたことがある。 当初は武藤がライガーになる予定だったが、武藤が難色を示したため変更となった、という話がある。 新人育成のために船木と共に少々過激なことをしていたと告白している。 」というもの。 ライガーはこれを「どれだけ必死になれるかを試している」として、「ここで出てこられたヤツは大丈夫。 しかし、出てこられないとふたを開け、『おまえはもう田舎に帰れ。 プロレスラーには向いていない。 』と諭した」と、週刊プロレスの取材で語った。 藤波を尊敬しており、藤波が作ったのメンバーだった。 鈴木とのパンクラスルールでの試合に敗れた後、に総合格闘技の弟子入りを懇願する姿がCS中継でながされた。 これを「パフォーマンス」と受け取ったからはリング上から批判をされている。 しかし、ライガーは自宅のある九州での道場に入門し、試合や巡業の合間に練習を続け、2011年には紫帯を取得。 そのことがにて特集された。 柔術の試合は「新日本プロレスの契約選手なので他で怪我をする危険性のあることは難しい」と行わない方針とのこと。 小学校の頃、将来は動物園の飼育員になりたかったらしい。 非常に悪戯好きである。 後輩のがトイレに入ったところへロケット花火を打ち込むなどエピソードは枚挙に暇が無いが、井上には悪戯を見破られて大変悔しそうにしていたというエピソードも。 鈴木とは家族ぐるみの付き合いであり、ライガーが帰宅した際に鈴木がライガーの子供とリビングで寛いでいた事もある(子供を取られたライガーは、仕方なしに愛犬と戯れていた)。 フジテレビのドラマ『』の『覆面』というエピソードに出演している。 (ライガーの声は声優のが吹き替え。 作中では、試合中に首の骨が折れ即死の状態であった主人公に憑依して試合をした。 妻はのファンで、飼い犬に「デルフィン」という名前をつけるほど。 また、過去にで行われたプロレスラーの夫人特集でインタビューに答えたことがあり、二人の馴れ初めや自宅でのライガーの過ごし方等を答えている。 福岡市長とは旧知の仲で、自宅でお手製の道場ちゃんこを振舞ったこともある。 (高島市長は元KBCのアナウンサーで、ワールドプロレスリングの実況も担当していた。 には、TVCMで度々水平チョップを見舞っている。 海外における英語表記には、揺れが目立つ。 ただし、海外では多く「獣神」を「JUSHIN」と綴るのに対し、新日本プロレス公式サイトやビデオ『闘魂Vスペシャル』シリーズ、著書『獣神サンダーライガーの肉体改造術』などでは「J YUSHIN」と綴っている。 なお、ローマ字での「じゅ」は訓令式でもヘボン式でも「zyu」か「ju」であり、「jyu」と綴られることはない。 に「」で連載された「スープレックス山田くん」(監修:、作画:)の主人公のモデルになっている。 マスクをしているが、故に他人に表情を読み取られることがないため、テレビ番組の収録中に仮眠を取っていたことがある。 『THE WRESTLER BEST 1000』P144(1996年、)• Wrestlingdata. com. 2017年1月25日閲覧。 30』、2013年、)P32• 『永井豪のヴィンテージ漫画館』 2015年、148-149頁、154頁。 なお初単行本化は1998年12月で、連載期間は1995年-1998年。 Wrestlingdata. com. 2017年1月25日閲覧。 Wrestlingdata. com. 2017年1月25日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2007年3月26日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2007年4月17日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2007年7月2日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2007年6月26日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2008年2月17日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2008年4月13日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2008年7月21日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2009年1月4日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2009年2月15日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2010年5月3日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2010年8月16日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2010年12月11日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2011年8月27日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2011年11月21日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2012年6月10日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2012年6月16日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2012年7月22日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2013年7月5日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2013年7月29日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2013年9月14日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2013年12月7日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2014年10月13日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2014年11月8日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2014年12月19日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2015年1月5日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2015年2月14日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2015年3月22日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2015年4月14日閲覧。 新日本プロレス公式サイト. 2015年4月29日閲覧。 Wrestlinginc. com. 2015年7月16日閲覧。 WWE. com. 2015年8月22日閲覧。 日刊スポーツ 2020年1月5日21時38分(2020年1月6日閲覧)• WWE. com. 2020年3月17日閲覧。 劇的ビフォーアフター• 「プロレス 愛してます!」2015年9月30日放送• 例として『』『』『』『』『』など。 燃えろ!新日本プロレスvol. 54「新日事件簿番外編II こんな驚愕ありえねぇ!遺恨サプライズ!! 「ナイフ」のやりとりは、後述する2019年の鈴木みのる戦前後でも用いられた。 闘魂V3 vol. 5の解説にて。 対戦相手は本来はの予定であったが、健介の負傷と新日本フロント陣との対立により不可能(その後、健介は新日本プロレスを退団。 )となった所に、ライガーが強烈に対戦をアピールして実現に至った。 闘魂烈伝Vスペシャルの「長州力vs獣神サンダー・ライガー」戦より• 報知新聞(2017年1月28日)• 「ライガー、oz VS ノートン、ヒロ斎藤」戦の試合序盤でライガーがヒロとの試合中にバク転をした後、解説でのやりとりで言っている。 ただし作中でフェニックススプラッシュを使うキャラがいるがそれとは入り方が逆方向である。 2019年12月10日閲覧。 2019年12月10日閲覧。 この当時のリングネームは 佐野巧真と名乗っていたが、この2連戦のみ本名且つ新日本時代のリングネーム 佐野直喜として東京ドームのリングに上がった。 2020年1月12日閲覧。 日本語. AbemaTIMES. 2018年8月16日閲覧。 日刊大衆 2016年11月20日. 2016年12月15日閲覧。 「JUSHIN」をダブルクオーテーションで囲むかどうかが大きな違いである。
次の獣神サンダー・ライガーが故郷広島での最終試合に臨み、「最後まで走り続けたい」と完全燃焼を約束した。 6人タッグ戦でサンダー・ライガー、飯伏幸太と組み、オカダ・カズチカ、YOH、SHO組と対戦。 同級生が多数駆けつける中、YOHにロメロスペシャルなど技をたたみかけ、IWGPヘビー級王者オカダは掌底を決めるなど熱い闘争心を見せつけた。 試合後、広島のファンに向けてリング上であいさつしようとすると大画面のスクリーンにメキシコの覆面レスラー、ドラゴン・リー改めリュウ・リーが登場。 リーはビデオメッセージで「同じリングに立てれば、光栄です。 あなたと戦いたい」と未定となっている1月5日の引退試合での対戦を求めた。 ビデオが終わり、あらためてマイクを持ったライガーは「今のメッセージは彼からの挑戦状だと僕は受け取りました。 彼は新日ジュニアの最前線を走っている男だと思います。 ただ、ぼくは戦いたい人、もう1人います。 首のけがから復帰したばかりのあの選手です」と、具体名は出さないものの、昨年7月の首の負傷から約1年半ぶりに戻ってきた高橋ヒロムを指名。 「なんなら、2人まとめてかかってこい」とタッグ戦も歓迎した。 あらためて満員の客席に向かい、あいさつは続く。 「ドーム大会が終わったら、わたくし獣神サンダー・ライガーは引退いたします。 この僕が生まれ育った広島で試合をするのも、きょうが最後になります。 きょうこの会場に学生時代の友人や、お世話になった方々がたくさん来てくれました。 心より、この広島に、心より、感謝します。 31年間、獣神サンダーライガーを応援していただき、本当にありがとうございました。 1月の4日、5日までまだ試合はあります。 最後までライガーは走り続けたいと思いますので、それまで応援よろしくお願いします」と一語一語かみしめるように話し、花道では深く頭を下げた。 バックステージでは、高橋ヒロムを指名した理由について、「彼は新日ジュニアを背負って、それでも余りある素質。 このタイミングで帰ってきてくれたんだから」と説明。 「新日本ジュニアの最前線を体感したい」「たたきのめしてほしい」と求める一方で、「ただ、勝ったらわかんないぞ。 どうしよう」とも。 翻って現役続行もあるのではとの問いには「世界中から非難受けるぞ」と笑いながら否定した。 人気NO・1力士は誰だ? 今年も大相撲総選挙を実施します。 photo• 相撲・格闘技 秋山準DDT移籍「思うことあるが男は黙って尽力」 []• プロレス [6月28日 0:34]• 格闘技 [6月27日 20:01]• 大相撲 [6月27日 7:40]• プロレス [6月27日 0:07]• 大相撲 [6月26日 18:44]• 大相撲 [6月26日 16:27]• ボクシング [6月26日 15:25]• ボクシング [6月26日 14:57]• コラム [6月26日 10:00]• ボクシング [6月25日 22:13]• 大相撲 朝乃山、無心で挑め大関場所/大ちゃん大分析 []• 大相撲 [6月27日 7:40]• 大相撲 [6月26日 18:44]• 大相撲 [6月26日 16:27]• 大相撲 [6月25日 19:43]• 大相撲 [6月25日 17:54]• 大相撲 [6月24日 18:07]• 大相撲 [6月24日 15:42]• 大相撲 [6月24日 8:00]• 大相撲 [6月23日 22:48]• 大相撲 [6月23日 9:01]• プロレス 秋山準DDT移籍「思うことあるが男は黙って尽力」 []• プロレス [6月28日 0:34]• プロレス [6月27日 0:07]• プロレス [6月25日 8:28]• プロレス [6月25日 0:00]• プロレス [6月25日 0:00]• プロレス [6月24日 1:14]• プロレス [6月23日 0:00]• プロレス [6月22日 22:52]• プロレス [6月22日 22:09]• プロレス [6月22日 17:11]• ボクシング 大橋ジム王者清水ら無観客興行でPCR検査実施 []• ボクシング [6月26日 15:25]• ボクシング [6月26日 14:57]• ボクシング [6月25日 22:13]• ボクシング [6月25日 18:38]• ボクシング [6月25日 18:10]• ボクシング [6月25日 10:18]• ボクシング [6月24日 13:52]• ボクシング [6月24日 13:52]• ボクシング [6月23日 19:35]• ボクシング [6月20日 19:05]•
次の(画像は「」より引用) 山田恵一というプロレスラーを知っているだろうか? 新日本プロレス所属のトップレスラーであります。 ただ、新日本プロレスの公式サイトを覗いてもらい、所属選手のプロフィールを 観てもらうと、どこを探しても山田恵一というプロレスラーは見つからない。 じゃあ、新日本プロレス所属の元プロレスラーなのか? いやいや、現在も新日本プロレス所属のレスラーであり、現役選手であり ながら、すでにレジェンドの選手と言われているほどである。 一般的に言っても、プロレスを観ない方でも、この山田恵一というレスラーを 観たことがあるはず。 知名度は、現在の新日本プロレス所属選手の中でもトップクラスで、 もしかしたら棚橋選手や真壁選手を上回るくらいあるかもしれない。 では、この山田恵一という選手の正体に付いて迫っていこうと思います! 目次• 山田恵一はリヴァプールの風になった!? まず、 山田恵一という選手はリヴァプールの風となったと言われています。 ・・・意味が分からないかもしれませんが、とにかくリヴァプールの風に。 そして、 山田恵一が生まれ変わったのが、獣神サンダー・ライガーなんですね。 (画像は「新日本プロレス公式サイト」より引用) いきなり中の人の暴露かい!と思われるかもしれませんが、山田恵一なる人物が 獣神サンダー・ライガーなのは周知の事実であり、先の「リヴァプール~」 発言はライガー自身の言葉なんですね。 まあ、ことあるごとに、実況アナウンサーの辻よしなりさんが、ライガーが 山田恵一であると実況しているんですよね。 ライガー自身も数度、マスクを破られてしまって、素顔で戦ったことがあり ますし、ライガー自身もマスクの下を隠すってことに固執はしていないのが 事実。 ただ、ライガーは山田恵一という正体を隠しているわけではないんですが、 マスクマンとしての愛着はかなり持っている模様。 獣神サンダー・ライガーの功績を振り返る 獣神サンダー・ライガーは設定としては27歳。 現在の山田恵一 ちなみに、中の人である山田恵一選手は52歳であり、かなりのベテランである のが分かりますね。 ちなみに、ライガーは永井豪さんの原作アニメ『獣神ライガー』とのタイアップ して生まれたレスラー。 アニメでは獣神ライガーから、ファイヤーライガー、獣神サンダー・ライガー へと変化しており、それに伴ってライガーもリングネームが変わっていった らしいですね。 獣神サンダー・ライガーは、これまで11度のIWGPジュニアヘビー王座につき、 IWGPタッグ王座は6回と、もの凄い実績を残しているレスラー。 そして、ライガーの凄いところは、メジャーどころに所属しいる選手の中には、 インディーズ団体へ批判的な、下に見ているといったほうがいいかな、態度を とる選手がいる中で、インディーズ団体へのリスペクトがあるところ。 団体と言うか、本気でやっているプロレスラーにリスペクトがあるのかな? そういう姿勢を見せているため、他団体への参戦も多く、インディーズ団体へも 参戦、そのベルトを獲得するなどをしているため、今まで獲ったタイトルは 膨大な量になっています。 ちなみに、他団体へ参戦するときは、ライガーはヒール役に徹したりし、 その団体を盛り上げることに手を抜かない。 まさに、プロレスラーとして鏡とでも言える存在。 ジュニアの象徴と呼ばれるのは伊達ではない! ジュニアレスラーとして、数々の実績を残してきたライガーですが、 活躍はジュニアに留まらず、いちレスラーとして活躍してきました。 ライガーは並大抵でない努力の結果、ジュニアでいながら、ヘビー級選手に 負けないパワーを得たと言われています。 いま、ジュニアとヘビーの選手が同じリング上に立つってのは、全然珍しく ないので、ライガーの凄さが伝わりにくいのですが、当時は、ジュニアと ヘビーは完全に分けられていた。 タイガーマスクが凄かったとしても、アントニオ猪木とどちらが強いという 議題さえだされることはなかったに違いないです。 それを打ち破ったのが、ライガーだったわけですね。 1994年には橋本真也選手と勝負し、勝利まであと一歩というところまで 追い込む場面もあり、まさにジュニアの新しい時代を作ってきたのは間違い ないでしょうね。 スポンサーリンク ライガーの家族や嫁、プライベートについて 獣神サンダー・ライガーの中の人である、山田恵一選手は、平均的な日本人と して結婚されているようです。 子供さんもいるようですが、奥さんは一般の方のようでして、情報は出て いないようです。 以前、博多大吉さんが、テレビで新日本プロレスのクイズ番組で準優勝で、 優勝はライガーの奥さんだったと言っていたので、テレビ出演はあるのかも しれませんね。 クイズ番組で優勝するくらいですから、奥さんのプロレスファンという噂は 本当みたいですね。 ちなみに、ライガー自信が田舎で子供を育てたいという考えがあったようで、 福岡に移住して自宅を建てているそうです。 そのため、 現在も新日本プロレスの選手寮に、ちゃんと寮費を納めて単身赴任 生活をしているそうです。 以前、ビフォー・アフターや、他の番組でライガーの個室が移されているのを 何度か観ていますね。 ライガーのプライベートで忘れてはいけないのが、その手先の器用さから フィギュア造詣の趣味を持っているんですね。 特撮マニアとしられていて、ゴジラやウルトラマンなんかを、作っている ようなんですが、もうプロ級の腕前なんですよね。 ちなみに、現在の道場の門に埋め込まれえいるライオンのエンブレムも ライガー作だそうです。 インディーズ団体との交流も 積極的に行っており、まさに日本のジュニアレスラーの象徴である。 獣神サンダー・ライガーは若い頃は、もの凄い努力の塊だったみたいですね。 若手時代、巡業となれば会場設営や、先輩レスラーのお世話、試合中の セコンドや警備など、とてつもなく忙しい中、少しでも時間の空きをみつけて 階段ダッシュや、できるトレーニングをしていたそうです。 ライガーの昔について、若手に厳しかったとか、シゴキが酷かったという 話も聞きますが、たぶんこれは本当のことなんでしょうね。 ただ、これは苛めてやろうというのではなく、自信が厳しいトレーニングを やっていただけに、若手にも強要してしまったのかもしれないのではない でしょうか? まあ、仲良く付き合って裏の顔を見たわけではないのですが、テレビなんかの ライガーを観ていると、極悪人っていう感じではないんですがね。
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