パン を ふん だ 娘 ラスト。 トラウマ級の恐怖…「パンをふんだ娘」がネットで話題 「相変わらずの不気味さ」「頭から離れない」:イザ!

スペイン巡礼18日目!パンをふんだ娘のトラウマとキリストの肉体

パン を ふん だ 娘 ラスト

投稿者: ニッキ - インドネシアの話。 「貧しい家から出て行って大出世した男が貧相な母を嘲笑う。 母は『謝らなければおまえは石になる』と呪う。 男は石になる」。 アンデルセンの「パンを踏んだ娘」に似ている。 「世界名作全集」は所詮「欧米名作全集」なのですね。 …と言いたい所だがやっぱアンデルセンはただものではない。 ちゃんと続きがある。 「パンを踏んで地獄に堕ちました。 終わり。 」という話を聞かされた子供が「女の子がかわいそう!」と泣き出す。 そして子供はやがて老女になり死の間際に「わたくしも娘のようなことをいたしませんでしたか?高慢ではありませんでしたか?どうかお見捨て下さいませんように」とお祈りをして息を引き取る。 そこで初めて娘は改心し…と。 インドネシアだけでなく世界中にその類の教訓話はあるのでしょう。 多分著者も子供の頃それを聞いて…「それだけでいいの?」と。 パンを踏んだ娘には「インゲル」という名前があるがその心を動かした人の名前はどこにも記されていない。 名もなき者がテロリストや哲学者や宗教者より人の心を動かしてしまうという素晴らしさ。 でもこれ原題は「海つばめ」じゃなかったかな?「パンを踏んだ娘」の方が分かりやすくて営業向きだけど著者はがっかりでしょう。 ポエジーがないから。 「神様〜」とか「人間中心〜」とかそういう所が苦手なんですが、やっぱすごいな、と。   靴を汚したくなくて白いパンを踏んだため、泥の中に沈んでしまった『パンをふんだ娘』とか、病気の男の子のために咲いた花(『天使』)とか、解説のいうところの「深い宗教的な諦念」が感じられます。   『人魚姫』は子供の頃は、助けてくれた人魚姫から王子を奪うなんて、隣の国の王女はひどい!と思っていたんですが、今読むと徹頭徹尾、人魚姫の片思いですね。   「王子のへやの外のビロードのクッションで寝てよろしい、というおゆるしが出ました。 」なんていう一文もあって、これってセクシャルなメイドみたいなものじゃないの?(倉橋由美子版では人魚姫は愛人として書かれてるとか。 ) 王子にとって人魚姫は結婚相手どころか、恋愛対象ですらなかったのでは。  人魚姫が王子を殺しに行くのが、新婚初夜のあとのふたりの天幕だというのもなんだか気持ち悪い。   さらに、人魚姫は海の泡になって終わり、ではなくて、泡から空気の精となり、300年のあいだ、よい行いをすると、「不死のたましい」を授かり、神さまの国へのぼっていけるというラストでした。 妹は「なにその苦行」と言ってましたが、ほんとだよ。   一方で、『野の白鳥』でエリザがさまよう森の描写の美しさとか、子供向けの本ではわからなかったアンデルセンの魅力も感じられた巻でした。   以下、引用。   「小さい時、よくわたしの前かけをふみつけたけれど、大きくなったら、わたしの心をふみつけはしないかと、それがしんぱいだよ。 」  世の中のすべてのものは、紙の上に描きうつすことができるものだということを、青銅のイノシシにおそわっていたからです。 しかも、フィレンツェの町は、そのページをくる人にとっては、一さつのりっぱな絵本なのです。   こうして、大きい天使も小さい天使も、みんな声をそろえてうたいました。 祝福を受けたあのよい子も、引っ越し日のがらくたものやくずの中にまじって、せまい暗い通りに投げすてられた、ひからびた、みすぼらしい野の花も、みんないっしょに。   王子は姫に、いつまでも、ここにいるようにといいました。 そして、王子のへやの外のビロードのクッションで寝てよろしい、というおゆるしが出ました。   小鳥のことを、だれよりも深く思いやって、どうかしてなぐさめてあげたいと思っていたヒナギクのことは、だれひとり思いだす人はありませんでした。   「だが、わしの読んだ本というのは、日本のえらい天子さまよりおくられてきたものじゃ。 うそいつわりであるはずはない。 」  それというのも皇帝が、心臓のあるほうのがわを、いちばん上だと思っていらしったからです。 そうです。 心臓は皇帝の場合でも、左がわにあるんです。   まわりの草のなかやコケの上には、なん百という���タルが、みどりいろの火のように光っていました。 手でそっと一本の枝にさわりますと、まるで流れ星のように、ふってきました。  .

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パンを踏んだ娘

パン を ふん だ 娘 ラスト

新美南吉の「百姓の足、坊さんの足」という話を思い出しました。 子供の頃に図書室で読み、怖いような、ですが非常にインパクトのある結末で、いまだに心に残っています。 こういう、ある種の宗教的な話は、人間の行いそのものを問うているのであって「環境が悪かった」とか「状況がそうさせたから」など全く関係ないように思います。 要は、悪い条件や環境「にも関わらず」どういう行いをしたか、その一点のみに重点を置いています。 どちらかというと、主人公は悪い環境にあり教育もない状況が常で、「にも関わらず」良い行いする、というのが定型です。 また、犯した罪は感情的には赦される事はあっても、社会的にはやはり許されない、という強めの「戒め」です。 シンデレラが継母からひどく虐げられていたからと言って、お姉さんにパンを投げつけていてはお話にならないでしょう。 あと、シンデレラについても、欧米のおとぎ話が有名ですが、世界各国に古くから似たような原型はあり、やはり現代版のようにきらびやかなものでは全くないです。 世の中は、原始に近づくほど、本質的に厳しいものです。 ユーザーID: 5396810756• 学ぶランキング• 貧しくても? 少女のころ読んで強く心に残り、数年前に読み直しました。 トピ主さまの書いておられる「ラストで母親が突き放すような態度を取った・・」との部分がよく分かりませんが。 私が子供のころに読んだ本は、パンを踏んだために恐ろしい沼底に吸い込まれたインゲルガ、純真な少女の祈りによって、鳥になって沼を離れ天に向かっていく・・というラストでした。 自分の心の中に潜む虚栄心とそれに対する罰。 罪を犯した人を思うたった一人の祈りによって、人間の魂は救済されるんだという希望・・そのような感情が強く残りました。 、、そう、私はこの本を読むたびに、インゲルの中に自分自身を見るような思いがして、両親に対する申し訳なさがこみあげてくるのです。 両親が汗水たらして稼いだお金を、恐らくは虚栄心のために湯水のように使っていた若いころの私。 大人になった今でも、この物語は私の持つ虚栄心を戒めて、謙虚でつましい人生を送るようにと語りかけてきます。 トピ文の答えにはなっていないかもしれませんが、この物語の私なりの解釈を書かせていただきました。 よい機会を与えてくださって、ありがとうございます。 ユーザーID: 9800016972• 「パンを踏んだ」は キリストをふみつけにしたという事でもあるのです。 ですからインゲルは「地獄」へ引き摺りこまれた(突き落とされた)のです。 本来であればその地獄は身動きも出来ず意思表示も出来ず、その状態からの「開放」はありません。 ですが、悔い改める事により「終わりの無い地獄」から開放される事が許されたのです。 もしスズメになったインゲルが天の声の言うとおりにしなかったら、途中で地獄に戻されたのかしらね。 パン屋のおかみさんに振り払われたスズメはは「天の高みを目指して飛んでいった」と最期には有ります。 どういうことか? 「真に許された」ということなのではありませんか? 「天の声」は「美しい姿にもどしてやる」とは言っていません。 「許されるだろう」と告げています。 キリスト教でいうところの「許し」とは「天に迎えてもらう」ことですから、天の高みを目指して飛んでいった」は許された事を表現しているんですよ。 なのであれはあれでハッピーエンドなのです。 もともと宗教観なくして読むには難しい物語だとおもいますよ。 ユーザーID: 9973449745• TVは原作と違う事があるから やはりアンデルセンの原作を読まれた方が良いと思います。 アンデルセン童話にはキリスト教のバックボーンがあり、「パンを踏んだ娘」も宗教的な要素があります。 私があの話の中で感動するのは、パンを踏んで沼の中に落ちた娘を皆が責めたり悪く言う中で、一人の女の子だけが「可哀想だ」と言って泣く所です。 この話は、漫画家の萩尾望都さんも若い頃の作品で感動的に描いています。 アンデルセンの童話は深く、人生や無償の愛や、人間の悲しみを描いたものが多いです。 「マッチ売りの少女」「人魚姫」も有名ですが、大人になってから読んでみると、本当に深い物語です。 あとお薦めは「あの女は役立たず」かな。 一度、童話集を読んでみられてはと思います。 ユーザーID: 0812824243• もともと高慢で打算的な娘だったような 原作者のアンデルセンは「キリスト教の倫理観による説教的な話」「死ぬ事により苦しみから解放され、天に召される話」をいくつも書いています。 「赤い靴」、「マッチ売りの少女」、「人魚姫」など。 パンを踏むのは食べ物を粗末にするだけでなく、神様の体を踏みつける行為。 さらに娘は孤児の時から高慢で「美しい自分はお金持ちの家にもらわれるべき」と考えており、パン屋の養女という立場に不満でした。 お金持ちの家に奉公に行くのも、娘はお金持ちに取り入って、甘い汁が吸えるのを期待しています。 その後も高慢でパン屋の夫婦を見下し、ついに罰を受けて、水に沈んでも反省しません。 やがて娘は自分の罪を理解し悔いたので、「人に顧みられない地味な鳥の姿になり、他の鳥の為に自分が踏んだパンと同じ量のパンくずを集める事」で許されて、天に召されました。 勧善懲悪とはまた違うと思いますが、娘に気の毒な要素は無かったと思います。 ユーザーID: 6215174746• 萩尾望都さんのマンガで初めて知りました 原作を探したのですが、見つからなかったです(40年前) その後、NHK版を観ましたが、すごくクールって言うか、ドライって言うか 冷たいお話になっててビックリしました なので、萩尾望都さんのマンガを読んだ感想で お母さんは亡くなる寸前までインゲを心配してました みんながインゲの悪行(神様のおかげで食べられるパンを踏んだ事) を噂しているのを知りつつ 「でも母さんは悲しいよ」って亡くなるんです 冷たくはなく、一人の母親としてインゲを心配してました でも、インゲは何が悪いのかが心底わからない それどころか、インゲは自分の悪い所を注意してくれなかった周りの人を呪うばかり 悪い子の見本として、インゲの話は伝説になります 子供達もインゲが大嫌いです けれど最後の最後に、あるこどもが泣きながら 今でも沼の底に縛りつけられているインゲを思って言いました 「インゲがかわいそうなの」って 今まで自分を悪く言う人はあっても、インゲの為に泣いてくれた子供はいなかった そこで初めてインゲは、心から自分のした事を神様に謝るのでした 子供の純粋な気持ちが気付かせてくれたのでしょう 漫画では、たった一言「神様!」でしたが、心に沁みいるシーンです (さすが望都様!) インゲは感謝を知らないから不幸だったんだ、って思いました インゲに限らず、神様や周りの人に感謝が出来ない人間は良くないって事でしょうね (あくまでも萩尾望都マンガに限ります) ユーザーID: 2964158450• 「白い鳥になった少女」 皆様、レスありがとうございます。 私の感じたことを率直に書かせて頂きました。 失礼等ありましたら、平にご容赦願います。 加奈子様 >ぜひアンデルセン童話を読んでみてください >あの娘の魂は許され浄化しています 浄化とは思いませんでしたが、仰ることは理解します。 本好様 >いくら説教の要素が強い話でも、娘の頭が悪過ぎと思いました。 私もそう思いましたが、あえて、そのような設定にしてあるのだと、その部分は受け流しました。 でも、そこまでして、娘にパンを踏ませて、なおかつあのようなことにするのは何故だろうと思いました。 毬様 >周囲の人のせいで、元々は性格が良かったのにひねくれてしまったという設定ではなく、物心ついた頃から既にひどかったという設定ですよ。 性格が、いつ、どのようにして作られるかといった点で、同じ事をお考えになられたのかなあ、と受け止めました。 ピアノ様 >世の中は、同じくらい冷徹であり、社会でルールを守って生きてゆくというのは、そういう事だからです オオカミ少年の物語もそうですが、社会なるものが完全でありうるのか、その点で、問題意識がちがうのかなあ、そう受け止めました。 ユーザーID: 3463711135• 野ばら様2017年6月26日5:31まで拝読しました レスありがとうございます。 私の感じたことを率直に書かせて頂きました。 失礼等ありましたら、平にご容赦願います。 ルナ様 >こういう、ある種の宗教的な話は、人間の行いそのものを問うているのであって「環境が悪かった」とか「状況がそうさせたから」など全く関係ないように思います。 このお話では、環境や状況は、悪いものではなかったと理解しています。 >また、犯した罪は感情的には赦される事はあっても、社会的にはやはり許されない、という強めの「戒め」です。 また、これは、時代が違うので一概にはいえませんが、罪と言えるほどのことかも疑問に思います。 >世の中は、原始に近づくほど、本質的に厳しいものです。 そのこと自体は、必ずしも、肯定できることではないようにも思います。 視点を社会に置かれていると思われることから、私との捉え方の違いが出てきているように思いました。 井戸端様 >現代なら間違いなく問題児… 恣意性、その完全な排除が可能であれば・・・。 と考えてしまいます。 野ばら様 >トピ主さまの書いておられる「ラストで母親が突き放すような態度を取った・・」との部分がよく分かりませんが。 これは、私の心象で、作品(TV放送を含め)には明瞭な記述がなかったのかも知れません。 機会があれば、確認してみたいと思います。 >大人になった今でも、この物語は私の持つ虚栄心を戒めて、謙虚でつましい人生を送るようにと語りかけてきます。 素敵な受け止め方をされている、そう思いました。 ユーザーID: 2545842020• とりあえず拝読し終わりました レスありがとうございます。 とりあえず、レス頂いた分は、全て拝読しました。 ほっとしています。 失礼等ありましたら、平にご容赦願います。 ICHICO様 >キリストをふみつけにしたという事でもあるのです。 洗礼において、パンをキリストの肉体に、赤ワインをキリストの血と見立てるお話と理解してよろしいでしょうか。 >なのであれはあれでハッピーエンドなのです。 う〜ん、 >もともと宗教観なくして読むには難しい物語だとおもいますよ。 そうなのかも知れませんが、私は、 >パン屋のおかみさんに振り払われたスズメはは「天の高みを目指して飛んでいった」と最期には有ります。 このスズメ(娘)に、寂しさを感じてしまいました。 そらまめ様 >私があの話の中で感動するのは、パンを踏んで沼の中に落ちた娘を皆が責めたり悪く言う中で、一人の女の子だけが「可哀想だ」と言って泣く所です。 そうなんですね。 >この話は、漫画家の萩尾望都さんも若い頃の作品で感動的に描いています。 探して読んでみます。 >一度、童話集を読んでみられてはと思います。 ペローしか読んだ事がないので、気に留めておきます。 ユーザーID: 3463711135• ヘイズル様2017年6月28日0:59まで拝読しました 皆様、レスありがとうございます。 私の感じたことを率直に書かせて頂きました。 失礼等ありましたら、平にご容赦願います。 スズ様 >原作者のアンデルセンは「キリスト教の倫理観による説教的な話」「死ぬ事により苦しみから解放され、天に召される話」をいくつも書いています。 このあたり、不勉強を恥じ入るばかりです。 >勧善懲悪とはまた違うと思いますが、娘に気の毒な要素は無かったと思います。 >さらに娘は孤児の時から高慢で この部分に、私は、この娘の不幸があったのでは、と考えています。 ここに来るまでの過程に気の毒な要素があったのでは、と考えています。 見つからない様 >萩尾望都さんのマンガで初めて知りました 読んでみようと思っています。 >今まで自分を悪く言う人はあっても、インゲの為に泣いてくれた子供はいなかった 私の問題点の中心も、そこにあります。 ヘイズル様 >萩尾望都さんの初期短編「白い鳥になった少女」 作品名を教えて頂き、感謝します。 検索の手間が省けました。 ユーザーID: 2545842020• すみません。 ちょっと気になったので。 と書いてありますが、私には、その「トピ主さんの感じたこと」が読み取れませんでした。 「ラストの母親の突き放すようなセリフ」って、どれのことでしょう? 動画がネットにあったので、最初から最後まで見てみましたが、そのセリフが見当たりません。 最初は(書いてないのだから、わからない。 この投稿はスルーしておこう)と思ったのですが。 どうも、トピ主さんは、ご自分の感じたことが、「反感を買った」から、うまく話が通じないんだと思ってらっしゃるような、ご様子。 いや、違うんです。 トピ主さんの感じたことが、率直に書かれていないから、どう感じたのかわからないのです。 で、最初の疑問に戻りますが。 「パン屋のおかみさんに振り払われたスズメ」 「ラストの母親の突き放すようなセリフ」って、このシーンのことでしょうか? いや、だって。 「母親」も何も。 スズメがインゲだとは知らないじゃないですか。 母性を発揮するわけがありません。 まさか、このシーンのことだとは、夢にも思いませんでした。 作品の話をするのなら、もっと具体的な記述をお願いします。 特に、この作品みたいに、いろいろなバージョンがある話は、どの作品のどの部分だか、はっきり書いてもらわないと、話が通じません。 ちなみに。 私はトピ主さんの投稿を見て、検索しまくりましたよ。 少しでも理解しようとして。 バカなことをしましたね。 最初からトピ主さんに「それは具体的にどの作品のどのセリフですか?」と聞けば良かったですね。 ユーザーID: 2118379016• 感謝しています この物語に違和感を感じたのは、親が問題視されていないからでした。 そして、それは、現代日本のいじめの問題の対処も同じである >皆様のなかで、私と同じような読み方をされた方、いらっしゃいますか。 この問いかけの真意は、そのような事でした。 アンデルセンは、時代(1805年〜1875年)や国(デンマーク)が違いますから、当然、私の読み方は違っているだろう事は、承知していました。 もっとも、子供が大人の管理下に置かれる近代の範疇には、入るのかも知れません。 但し、そのような事ではなく、現代の日本において、この物語を読めば何が見えてくるか、それが関心としてある事でした。 ニュアンスは違え、私の趣旨を汲み取ってくれた方もいらっしゃったと勝手ながら思っています。 分かりづらいトピにも関らず、レスを下さり、感謝しています。 ありがとうございました。 ユーザーID: 2545842020• 問題意識の違いだと思います さらしな様 レスありがとうございます。 >最初からトピ主さんに「それは具体的にどの作品のどのセリフですか?」と聞けば良かったですね。 この話を「おとぎの部屋」で見たときに、何で親は叱らないんだろう、と思いました。 この子は、どうせ叱ってもだめだから、と思っていたとしたら、随分と酷い話だ、そう思いました。 その心象が、作品の中にも書かれていると、自分の中で勘違いを引き起こしたように思います。 >どうも、トピ主さんは、ご自分の感じたことが、「反感を買った」から、うまく話が通じないんだと思ってらっしゃるような、ご様子。 う〜ん、問題意識の違いだと思います。 ユーザーID: 2545842020• ちょっと分からない部分が多いです。 教えて下さい。 古くなった食パンを、毎日、庭にくる雀にあげてる中年男性です(大笑い)。 こう言う話題って好きなので、トピに興味が湧いたのですが、分からないところが多いので、先に主に質問です。 捜したら、それっぽい影絵のお話が動画サイトにありました。 どんなシーンですか? 母親というのは、実の母親ですか? それとも育ての母親の方ですか? 原作の方の話しですが、養女になったんでしたっけ? パン屋さんに奉公に出されたのでは? もしかしてNHK教育放送の「おとぎの部屋」でのお話が、養女だったのではないですか? 以上、宜しくお願いします。 ユーザーID: 8456412029• でも、アンデルセンのお話って、どれも何故か暗いんですよね。 自信の生い立ちが、大変に貧しかったからと言われてますが、私は暗すぎて子供には奨めたくないです。 天国に召されたからハッピーエンドというのは、キリスト教の方々なら納得されるのかもしれませんが、今時の子供には悲しい結末になっちゃいますもの。 もし可能でしたら、アンデルセンの作品で「ある母親の物語」というのがありますので、そちらに目を通されればと思います。 アンデルセンにとっての母親象と、彼が考える幸せって何なのかが分かります。 私が子供に読ませたくない理由も理解できると思います。 アンデルセンの話で、好きなのは・・・・裸の王様ですね。 ありゃ子供に読んんで聞かせたい一冊の代表。 で・・・話し戻って、パンを踏んだ娘ですが、私が娘の母親だったら奉公やら、ましてや養女なんかに出しません。 性格が悪かったら、ひっぱたいてでも性根を直します。 どうにも子供の性格が直らないなら、自分の性格が腐っていると認識して、自分を叩き直します。 パンを踏んだりしたら、半殺しですね。 あ、他の子供がお菓子を踏んでも地獄に落ちなかったのは、貧しくない家の子だったからでしょうね。 で、踏んだパンが沈んでいって、子供が地獄に落ちそうになったら、それより早く救い上げてのけます。 地獄の蛇や蛙? 私は爬虫類は平気です。 ユーザーID: 8456412029• 知識が 文学を批評するには、トピ主さんの知識が少ないように思います。 >もっとも、子供が大人の管理下に置かれる近代の範疇には、入るのかも知れません。 近代以前の方が、子供は大人な管理下に置かれていました。 もっと言えば、村や部族といった、今の家族よりやや大きめの共同体の完全な管理下です。 これは民俗学を履修した人間なら誰でも知っています。 ただ、現代において、物語を個人がどのように読み取ろうと自由です。 現代は、思想が自由で、思想自体は子供であろうと大人であろうと誰の管理下にも置かれていません。 トピ主さんのように「教えなかった大人が悪い」という捉え方も、「人のせいにする」日本の現代特有な風潮の中では有り得る事でしょう。 そういうのは「着眼点の違い」とか「観点の違い」といいます。 「問題意識の違い」ではありません。 全体を通して問題について書かれていますので、どの切り口で見るかに過ぎないからです。 「親が教えなかった」事だけが、この物語の主題ではないはずですから。 ユーザーID: 4755890912• これ以上は、不毛に思えます une fille様 レスありがとございます。 >文学を批評するには、トピ主さんの知識が少ないように思います。 そんなつもりはありませんが、そう受け取られる部分もあったかも知れません。 >「親が教えなかった」事だけが、この物語の主題ではないはずですから。 そんなことを書いたつもりはないんですけども、どこで、そう思われたのでしょうか。 私は、親を不問にしているのが問題だ、みたいなことを書いたのだと思います。 けっこう、難しい事を書いたつもりですよ。 そのため、 「皆様のなかで、私と同じような読み方をされた方、いらっしゃいますか。 」 このように、とりあえず、限定的な問いかけにさせて頂きました。 もちろん、レスを限定する意図ではなく、単なるお断りにすぎませんが。 ユーザーID: 3463711135• アンデルセンのモチーフのひとつ 平清盛が、取り締まりに、禿童をつかいますね。 現代に当てはめれば、少年警察官ですが、ありえない事だと思います。 西洋の例は省略しますが、日本や西欧でも、子供は、大人とは違う力を持つものとして、畏敬の念を持たれていたと理解しています。 専門の学者でもなく、素人なりに、拾い読み的に学んできた程度ですが。 >これは民俗学を履修した人間なら誰でも知っています。 よろしければ、少し、具体的に書いていただけませんか。 私が知らないことは当然あるので、それを知りたく思います。 >現代は、思想が自由で、思想自体は子供であろうと大人であろうと誰の管理下にも置かれていません。 これは、いささか、疑問です。 おそらく、このあたりに問題意識の違いがあるように思います。 ユーザーID: 3463711135• レスに対し「不毛」は失礼だと思いますよ さらしなさんの御疑問、 >最初からトピ主さんに「それは具体的にどの作品のどのセリフですか?」と聞けば良かったですね。 に対して、ちゃんと答えてないのでレス者の皆様、レスのしようがないのでしょう。 私も何の作品なのか、分かりません。 一般的に児童文学は、その時代で結構書き換えられて出版されるものです。 NHK教育放送の「おとぎの部屋」というのは、主の子供の頃の話しでしょう? 何年頃ですかと伺いましたが、ちゃんと主は答えてくれてません。 どんな読み方なのか、全然、理解できませんが、児童文学ですから子供中心なのがお約束です。 シンデレラだって、意地悪な継母の存在など問題外ですよね。 単に継母が意地悪でしたというだけであって、もし優しい継母だったら、どんなに良かったでしょうにねぇ・・・・、だから坊や、お前も優しい継母になるよの、って読み聞かせる母親はいないでしょう?(笑い) もしも、主は比較的古い児童文学を題材にして、現代に渦巻いている親子関係の問題を浮き出させようとするのは、とても良い試みですが、残念ながらトピ主には荷が重すぎた感じがします。 ユーザーID: 8456412029• すずめ(娘)に寂しさをおぼえる トピ主は、パン屋のおかみさんに振り払われ天にのぼるすずめ(娘)に寂しさをおぼえると仰っておられるが、それであってるのだと思います。 西洋って日本に比べ犯した罪の重さってものにシビアな気がします。 日本特有の「みそぎ」の感覚?西洋にはないのではないでしょうか? いくら神に許されたとしても、ちょっと容姿が良いからと調子のって親の気持ちも考えず、事もあろうかパンを踏んという暴挙に出たことは消しようのない事実。 それを表したのがラストのパン屋のおかみさんに振り払われ1人寂しく天にのぼる。 なのだと思いますよ。 違うか? ユーザーID: 5202785901• 過去に対してのものではなく、未来に対するものです.

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トラウマ級の恐怖…「パンをふんだ娘」がネットで話題 「相変わらずの不気味さ」「頭から離れない」:イザ!

パン を ふん だ 娘 ラスト

新美南吉の「百姓の足、坊さんの足」という話を思い出しました。 子供の頃に図書室で読み、怖いような、ですが非常にインパクトのある結末で、いまだに心に残っています。 こういう、ある種の宗教的な話は、人間の行いそのものを問うているのであって「環境が悪かった」とか「状況がそうさせたから」など全く関係ないように思います。 要は、悪い条件や環境「にも関わらず」どういう行いをしたか、その一点のみに重点を置いています。 どちらかというと、主人公は悪い環境にあり教育もない状況が常で、「にも関わらず」良い行いする、というのが定型です。 また、犯した罪は感情的には赦される事はあっても、社会的にはやはり許されない、という強めの「戒め」です。 シンデレラが継母からひどく虐げられていたからと言って、お姉さんにパンを投げつけていてはお話にならないでしょう。 あと、シンデレラについても、欧米のおとぎ話が有名ですが、世界各国に古くから似たような原型はあり、やはり現代版のようにきらびやかなものでは全くないです。 世の中は、原始に近づくほど、本質的に厳しいものです。 ユーザーID: 5396810756• 学ぶランキング• 貧しくても? 少女のころ読んで強く心に残り、数年前に読み直しました。 トピ主さまの書いておられる「ラストで母親が突き放すような態度を取った・・」との部分がよく分かりませんが。 私が子供のころに読んだ本は、パンを踏んだために恐ろしい沼底に吸い込まれたインゲルガ、純真な少女の祈りによって、鳥になって沼を離れ天に向かっていく・・というラストでした。 自分の心の中に潜む虚栄心とそれに対する罰。 罪を犯した人を思うたった一人の祈りによって、人間の魂は救済されるんだという希望・・そのような感情が強く残りました。 、、そう、私はこの本を読むたびに、インゲルの中に自分自身を見るような思いがして、両親に対する申し訳なさがこみあげてくるのです。 両親が汗水たらして稼いだお金を、恐らくは虚栄心のために湯水のように使っていた若いころの私。 大人になった今でも、この物語は私の持つ虚栄心を戒めて、謙虚でつましい人生を送るようにと語りかけてきます。 トピ文の答えにはなっていないかもしれませんが、この物語の私なりの解釈を書かせていただきました。 よい機会を与えてくださって、ありがとうございます。 ユーザーID: 9800016972• 「パンを踏んだ」は キリストをふみつけにしたという事でもあるのです。 ですからインゲルは「地獄」へ引き摺りこまれた(突き落とされた)のです。 本来であればその地獄は身動きも出来ず意思表示も出来ず、その状態からの「開放」はありません。 ですが、悔い改める事により「終わりの無い地獄」から開放される事が許されたのです。 もしスズメになったインゲルが天の声の言うとおりにしなかったら、途中で地獄に戻されたのかしらね。 パン屋のおかみさんに振り払われたスズメはは「天の高みを目指して飛んでいった」と最期には有ります。 どういうことか? 「真に許された」ということなのではありませんか? 「天の声」は「美しい姿にもどしてやる」とは言っていません。 「許されるだろう」と告げています。 キリスト教でいうところの「許し」とは「天に迎えてもらう」ことですから、天の高みを目指して飛んでいった」は許された事を表現しているんですよ。 なのであれはあれでハッピーエンドなのです。 もともと宗教観なくして読むには難しい物語だとおもいますよ。 ユーザーID: 9973449745• TVは原作と違う事があるから やはりアンデルセンの原作を読まれた方が良いと思います。 アンデルセン童話にはキリスト教のバックボーンがあり、「パンを踏んだ娘」も宗教的な要素があります。 私があの話の中で感動するのは、パンを踏んで沼の中に落ちた娘を皆が責めたり悪く言う中で、一人の女の子だけが「可哀想だ」と言って泣く所です。 この話は、漫画家の萩尾望都さんも若い頃の作品で感動的に描いています。 アンデルセンの童話は深く、人生や無償の愛や、人間の悲しみを描いたものが多いです。 「マッチ売りの少女」「人魚姫」も有名ですが、大人になってから読んでみると、本当に深い物語です。 あとお薦めは「あの女は役立たず」かな。 一度、童話集を読んでみられてはと思います。 ユーザーID: 0812824243• もともと高慢で打算的な娘だったような 原作者のアンデルセンは「キリスト教の倫理観による説教的な話」「死ぬ事により苦しみから解放され、天に召される話」をいくつも書いています。 「赤い靴」、「マッチ売りの少女」、「人魚姫」など。 パンを踏むのは食べ物を粗末にするだけでなく、神様の体を踏みつける行為。 さらに娘は孤児の時から高慢で「美しい自分はお金持ちの家にもらわれるべき」と考えており、パン屋の養女という立場に不満でした。 お金持ちの家に奉公に行くのも、娘はお金持ちに取り入って、甘い汁が吸えるのを期待しています。 その後も高慢でパン屋の夫婦を見下し、ついに罰を受けて、水に沈んでも反省しません。 やがて娘は自分の罪を理解し悔いたので、「人に顧みられない地味な鳥の姿になり、他の鳥の為に自分が踏んだパンと同じ量のパンくずを集める事」で許されて、天に召されました。 勧善懲悪とはまた違うと思いますが、娘に気の毒な要素は無かったと思います。 ユーザーID: 6215174746• 萩尾望都さんのマンガで初めて知りました 原作を探したのですが、見つからなかったです(40年前) その後、NHK版を観ましたが、すごくクールって言うか、ドライって言うか 冷たいお話になっててビックリしました なので、萩尾望都さんのマンガを読んだ感想で お母さんは亡くなる寸前までインゲを心配してました みんながインゲの悪行(神様のおかげで食べられるパンを踏んだ事) を噂しているのを知りつつ 「でも母さんは悲しいよ」って亡くなるんです 冷たくはなく、一人の母親としてインゲを心配してました でも、インゲは何が悪いのかが心底わからない それどころか、インゲは自分の悪い所を注意してくれなかった周りの人を呪うばかり 悪い子の見本として、インゲの話は伝説になります 子供達もインゲが大嫌いです けれど最後の最後に、あるこどもが泣きながら 今でも沼の底に縛りつけられているインゲを思って言いました 「インゲがかわいそうなの」って 今まで自分を悪く言う人はあっても、インゲの為に泣いてくれた子供はいなかった そこで初めてインゲは、心から自分のした事を神様に謝るのでした 子供の純粋な気持ちが気付かせてくれたのでしょう 漫画では、たった一言「神様!」でしたが、心に沁みいるシーンです (さすが望都様!) インゲは感謝を知らないから不幸だったんだ、って思いました インゲに限らず、神様や周りの人に感謝が出来ない人間は良くないって事でしょうね (あくまでも萩尾望都マンガに限ります) ユーザーID: 2964158450• 「白い鳥になった少女」 皆様、レスありがとうございます。 私の感じたことを率直に書かせて頂きました。 失礼等ありましたら、平にご容赦願います。 加奈子様 >ぜひアンデルセン童話を読んでみてください >あの娘の魂は許され浄化しています 浄化とは思いませんでしたが、仰ることは理解します。 本好様 >いくら説教の要素が強い話でも、娘の頭が悪過ぎと思いました。 私もそう思いましたが、あえて、そのような設定にしてあるのだと、その部分は受け流しました。 でも、そこまでして、娘にパンを踏ませて、なおかつあのようなことにするのは何故だろうと思いました。 毬様 >周囲の人のせいで、元々は性格が良かったのにひねくれてしまったという設定ではなく、物心ついた頃から既にひどかったという設定ですよ。 性格が、いつ、どのようにして作られるかといった点で、同じ事をお考えになられたのかなあ、と受け止めました。 ピアノ様 >世の中は、同じくらい冷徹であり、社会でルールを守って生きてゆくというのは、そういう事だからです オオカミ少年の物語もそうですが、社会なるものが完全でありうるのか、その点で、問題意識がちがうのかなあ、そう受け止めました。 ユーザーID: 3463711135• 野ばら様2017年6月26日5:31まで拝読しました レスありがとうございます。 私の感じたことを率直に書かせて頂きました。 失礼等ありましたら、平にご容赦願います。 ルナ様 >こういう、ある種の宗教的な話は、人間の行いそのものを問うているのであって「環境が悪かった」とか「状況がそうさせたから」など全く関係ないように思います。 このお話では、環境や状況は、悪いものではなかったと理解しています。 >また、犯した罪は感情的には赦される事はあっても、社会的にはやはり許されない、という強めの「戒め」です。 また、これは、時代が違うので一概にはいえませんが、罪と言えるほどのことかも疑問に思います。 >世の中は、原始に近づくほど、本質的に厳しいものです。 そのこと自体は、必ずしも、肯定できることではないようにも思います。 視点を社会に置かれていると思われることから、私との捉え方の違いが出てきているように思いました。 井戸端様 >現代なら間違いなく問題児… 恣意性、その完全な排除が可能であれば・・・。 と考えてしまいます。 野ばら様 >トピ主さまの書いておられる「ラストで母親が突き放すような態度を取った・・」との部分がよく分かりませんが。 これは、私の心象で、作品(TV放送を含め)には明瞭な記述がなかったのかも知れません。 機会があれば、確認してみたいと思います。 >大人になった今でも、この物語は私の持つ虚栄心を戒めて、謙虚でつましい人生を送るようにと語りかけてきます。 素敵な受け止め方をされている、そう思いました。 ユーザーID: 2545842020• とりあえず拝読し終わりました レスありがとうございます。 とりあえず、レス頂いた分は、全て拝読しました。 ほっとしています。 失礼等ありましたら、平にご容赦願います。 ICHICO様 >キリストをふみつけにしたという事でもあるのです。 洗礼において、パンをキリストの肉体に、赤ワインをキリストの血と見立てるお話と理解してよろしいでしょうか。 >なのであれはあれでハッピーエンドなのです。 う〜ん、 >もともと宗教観なくして読むには難しい物語だとおもいますよ。 そうなのかも知れませんが、私は、 >パン屋のおかみさんに振り払われたスズメはは「天の高みを目指して飛んでいった」と最期には有ります。 このスズメ(娘)に、寂しさを感じてしまいました。 そらまめ様 >私があの話の中で感動するのは、パンを踏んで沼の中に落ちた娘を皆が責めたり悪く言う中で、一人の女の子だけが「可哀想だ」と言って泣く所です。 そうなんですね。 >この話は、漫画家の萩尾望都さんも若い頃の作品で感動的に描いています。 探して読んでみます。 >一度、童話集を読んでみられてはと思います。 ペローしか読んだ事がないので、気に留めておきます。 ユーザーID: 3463711135• ヘイズル様2017年6月28日0:59まで拝読しました 皆様、レスありがとうございます。 私の感じたことを率直に書かせて頂きました。 失礼等ありましたら、平にご容赦願います。 スズ様 >原作者のアンデルセンは「キリスト教の倫理観による説教的な話」「死ぬ事により苦しみから解放され、天に召される話」をいくつも書いています。 このあたり、不勉強を恥じ入るばかりです。 >勧善懲悪とはまた違うと思いますが、娘に気の毒な要素は無かったと思います。 >さらに娘は孤児の時から高慢で この部分に、私は、この娘の不幸があったのでは、と考えています。 ここに来るまでの過程に気の毒な要素があったのでは、と考えています。 見つからない様 >萩尾望都さんのマンガで初めて知りました 読んでみようと思っています。 >今まで自分を悪く言う人はあっても、インゲの為に泣いてくれた子供はいなかった 私の問題点の中心も、そこにあります。 ヘイズル様 >萩尾望都さんの初期短編「白い鳥になった少女」 作品名を教えて頂き、感謝します。 検索の手間が省けました。 ユーザーID: 2545842020• すみません。 ちょっと気になったので。 と書いてありますが、私には、その「トピ主さんの感じたこと」が読み取れませんでした。 「ラストの母親の突き放すようなセリフ」って、どれのことでしょう? 動画がネットにあったので、最初から最後まで見てみましたが、そのセリフが見当たりません。 最初は(書いてないのだから、わからない。 この投稿はスルーしておこう)と思ったのですが。 どうも、トピ主さんは、ご自分の感じたことが、「反感を買った」から、うまく話が通じないんだと思ってらっしゃるような、ご様子。 いや、違うんです。 トピ主さんの感じたことが、率直に書かれていないから、どう感じたのかわからないのです。 で、最初の疑問に戻りますが。 「パン屋のおかみさんに振り払われたスズメ」 「ラストの母親の突き放すようなセリフ」って、このシーンのことでしょうか? いや、だって。 「母親」も何も。 スズメがインゲだとは知らないじゃないですか。 母性を発揮するわけがありません。 まさか、このシーンのことだとは、夢にも思いませんでした。 作品の話をするのなら、もっと具体的な記述をお願いします。 特に、この作品みたいに、いろいろなバージョンがある話は、どの作品のどの部分だか、はっきり書いてもらわないと、話が通じません。 ちなみに。 私はトピ主さんの投稿を見て、検索しまくりましたよ。 少しでも理解しようとして。 バカなことをしましたね。 最初からトピ主さんに「それは具体的にどの作品のどのセリフですか?」と聞けば良かったですね。 ユーザーID: 2118379016• 感謝しています この物語に違和感を感じたのは、親が問題視されていないからでした。 そして、それは、現代日本のいじめの問題の対処も同じである >皆様のなかで、私と同じような読み方をされた方、いらっしゃいますか。 この問いかけの真意は、そのような事でした。 アンデルセンは、時代(1805年〜1875年)や国(デンマーク)が違いますから、当然、私の読み方は違っているだろう事は、承知していました。 もっとも、子供が大人の管理下に置かれる近代の範疇には、入るのかも知れません。 但し、そのような事ではなく、現代の日本において、この物語を読めば何が見えてくるか、それが関心としてある事でした。 ニュアンスは違え、私の趣旨を汲み取ってくれた方もいらっしゃったと勝手ながら思っています。 分かりづらいトピにも関らず、レスを下さり、感謝しています。 ありがとうございました。 ユーザーID: 2545842020• 問題意識の違いだと思います さらしな様 レスありがとうございます。 >最初からトピ主さんに「それは具体的にどの作品のどのセリフですか?」と聞けば良かったですね。 この話を「おとぎの部屋」で見たときに、何で親は叱らないんだろう、と思いました。 この子は、どうせ叱ってもだめだから、と思っていたとしたら、随分と酷い話だ、そう思いました。 その心象が、作品の中にも書かれていると、自分の中で勘違いを引き起こしたように思います。 >どうも、トピ主さんは、ご自分の感じたことが、「反感を買った」から、うまく話が通じないんだと思ってらっしゃるような、ご様子。 う〜ん、問題意識の違いだと思います。 ユーザーID: 2545842020• ちょっと分からない部分が多いです。 教えて下さい。 古くなった食パンを、毎日、庭にくる雀にあげてる中年男性です(大笑い)。 こう言う話題って好きなので、トピに興味が湧いたのですが、分からないところが多いので、先に主に質問です。 捜したら、それっぽい影絵のお話が動画サイトにありました。 どんなシーンですか? 母親というのは、実の母親ですか? それとも育ての母親の方ですか? 原作の方の話しですが、養女になったんでしたっけ? パン屋さんに奉公に出されたのでは? もしかしてNHK教育放送の「おとぎの部屋」でのお話が、養女だったのではないですか? 以上、宜しくお願いします。 ユーザーID: 8456412029• でも、アンデルセンのお話って、どれも何故か暗いんですよね。 自信の生い立ちが、大変に貧しかったからと言われてますが、私は暗すぎて子供には奨めたくないです。 天国に召されたからハッピーエンドというのは、キリスト教の方々なら納得されるのかもしれませんが、今時の子供には悲しい結末になっちゃいますもの。 もし可能でしたら、アンデルセンの作品で「ある母親の物語」というのがありますので、そちらに目を通されればと思います。 アンデルセンにとっての母親象と、彼が考える幸せって何なのかが分かります。 私が子供に読ませたくない理由も理解できると思います。 アンデルセンの話で、好きなのは・・・・裸の王様ですね。 ありゃ子供に読んんで聞かせたい一冊の代表。 で・・・話し戻って、パンを踏んだ娘ですが、私が娘の母親だったら奉公やら、ましてや養女なんかに出しません。 性格が悪かったら、ひっぱたいてでも性根を直します。 どうにも子供の性格が直らないなら、自分の性格が腐っていると認識して、自分を叩き直します。 パンを踏んだりしたら、半殺しですね。 あ、他の子供がお菓子を踏んでも地獄に落ちなかったのは、貧しくない家の子だったからでしょうね。 で、踏んだパンが沈んでいって、子供が地獄に落ちそうになったら、それより早く救い上げてのけます。 地獄の蛇や蛙? 私は爬虫類は平気です。 ユーザーID: 8456412029• 知識が 文学を批評するには、トピ主さんの知識が少ないように思います。 >もっとも、子供が大人の管理下に置かれる近代の範疇には、入るのかも知れません。 近代以前の方が、子供は大人な管理下に置かれていました。 もっと言えば、村や部族といった、今の家族よりやや大きめの共同体の完全な管理下です。 これは民俗学を履修した人間なら誰でも知っています。 ただ、現代において、物語を個人がどのように読み取ろうと自由です。 現代は、思想が自由で、思想自体は子供であろうと大人であろうと誰の管理下にも置かれていません。 トピ主さんのように「教えなかった大人が悪い」という捉え方も、「人のせいにする」日本の現代特有な風潮の中では有り得る事でしょう。 そういうのは「着眼点の違い」とか「観点の違い」といいます。 「問題意識の違い」ではありません。 全体を通して問題について書かれていますので、どの切り口で見るかに過ぎないからです。 「親が教えなかった」事だけが、この物語の主題ではないはずですから。 ユーザーID: 4755890912• これ以上は、不毛に思えます une fille様 レスありがとございます。 >文学を批評するには、トピ主さんの知識が少ないように思います。 そんなつもりはありませんが、そう受け取られる部分もあったかも知れません。 >「親が教えなかった」事だけが、この物語の主題ではないはずですから。 そんなことを書いたつもりはないんですけども、どこで、そう思われたのでしょうか。 私は、親を不問にしているのが問題だ、みたいなことを書いたのだと思います。 けっこう、難しい事を書いたつもりですよ。 そのため、 「皆様のなかで、私と同じような読み方をされた方、いらっしゃいますか。 」 このように、とりあえず、限定的な問いかけにさせて頂きました。 もちろん、レスを限定する意図ではなく、単なるお断りにすぎませんが。 ユーザーID: 3463711135• アンデルセンのモチーフのひとつ 平清盛が、取り締まりに、禿童をつかいますね。 現代に当てはめれば、少年警察官ですが、ありえない事だと思います。 西洋の例は省略しますが、日本や西欧でも、子供は、大人とは違う力を持つものとして、畏敬の念を持たれていたと理解しています。 専門の学者でもなく、素人なりに、拾い読み的に学んできた程度ですが。 >これは民俗学を履修した人間なら誰でも知っています。 よろしければ、少し、具体的に書いていただけませんか。 私が知らないことは当然あるので、それを知りたく思います。 >現代は、思想が自由で、思想自体は子供であろうと大人であろうと誰の管理下にも置かれていません。 これは、いささか、疑問です。 おそらく、このあたりに問題意識の違いがあるように思います。 ユーザーID: 3463711135• レスに対し「不毛」は失礼だと思いますよ さらしなさんの御疑問、 >最初からトピ主さんに「それは具体的にどの作品のどのセリフですか?」と聞けば良かったですね。 に対して、ちゃんと答えてないのでレス者の皆様、レスのしようがないのでしょう。 私も何の作品なのか、分かりません。 一般的に児童文学は、その時代で結構書き換えられて出版されるものです。 NHK教育放送の「おとぎの部屋」というのは、主の子供の頃の話しでしょう? 何年頃ですかと伺いましたが、ちゃんと主は答えてくれてません。 どんな読み方なのか、全然、理解できませんが、児童文学ですから子供中心なのがお約束です。 シンデレラだって、意地悪な継母の存在など問題外ですよね。 単に継母が意地悪でしたというだけであって、もし優しい継母だったら、どんなに良かったでしょうにねぇ・・・・、だから坊や、お前も優しい継母になるよの、って読み聞かせる母親はいないでしょう?(笑い) もしも、主は比較的古い児童文学を題材にして、現代に渦巻いている親子関係の問題を浮き出させようとするのは、とても良い試みですが、残念ながらトピ主には荷が重すぎた感じがします。 ユーザーID: 8456412029• すずめ(娘)に寂しさをおぼえる トピ主は、パン屋のおかみさんに振り払われ天にのぼるすずめ(娘)に寂しさをおぼえると仰っておられるが、それであってるのだと思います。 西洋って日本に比べ犯した罪の重さってものにシビアな気がします。 日本特有の「みそぎ」の感覚?西洋にはないのではないでしょうか? いくら神に許されたとしても、ちょっと容姿が良いからと調子のって親の気持ちも考えず、事もあろうかパンを踏んという暴挙に出たことは消しようのない事実。 それを表したのがラストのパン屋のおかみさんに振り払われ1人寂しく天にのぼる。 なのだと思いますよ。 違うか? ユーザーID: 5202785901• 過去に対してのものではなく、未来に対するものです.

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