日本政府の反応は「先冷後熱」 中国・武漢市から始まった新型コロナウイルス感染症は、1月に入って中国国内で爆発的に広がった。 その後、欧州、米国が感染の中心となり、直近ではロシアや南米で感染者が急増している。 日本では、3月に入って本格的に感染者が増え始め、いまだ終息の気配はない。 当初の日本政府の新型コロナウイルス対策について、台湾や香港では「遅すぎる」と不安視する声や批判までもが飛び交っていた。 それは日本に住む台湾人・香港人も同様で、政府の対応に悲観的な反応が出ていたものだ。 「(1月頃は)日本では誰もが普通に出勤し、新型コロナのことを『中華圏の特殊な病気』と見ていたように思います」、そう語るのは台湾から来日して4年の呉秋燕(ご・しゅうえん)さん(30代)だ。 呉さんによると当時、日本人の同僚の関心は薄く、「中国はなんだか大変そう」程度の認識しかないように感じられたそうだ。 そんな「対岸の火事」ムードに変化が生じたのは2月のことである。 横浜に入港したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号での集団感染が注目されたのだ。 連日、ニュースで大きく取り上げられるようになり、呉秋燕さんはようやく日本人がこの問題に関心を持ち始めたと感じたという。 その後、日本国内で市中感染が疑われる例が増加し、国内でも本格的な対策が取られるようになった。 この一連の流れは、日本在住の台湾人や香港人に「日本政府は『先冷後熱』」という印象を与えたという。 「先冷後熱」とは、最初は冷たく後に熱くなる、転じて「最初は無関心なのに後から慌て出す」ことを指す。 たとえば彼が2月初めに乗った東京行きの飛行機では、全ての乗客が自主的にマスクをつけており、また各所でアルコール消毒が積極的に行われていたという。 蔡さんは、日本政府は初期段階のウイルス封じ込めに自信があったのではないかと感じているそうだ。 中国から広がった新型コロナウイルスは、近場の日本ではなく、欧米諸国で急激に広まった。 その原因として指摘されているのは、欧米におけるソーシャルディスタンスの近さと手洗いなどの衛生習慣があまり根付いていなかった点である。 日本はもともと、友人同士であってもハグやボディタッチが少なく、人と人との距離がある程度、保たれている。 さらに手洗いやうがいの習慣も根付いている。 もし新型コロナウイルスの感染力が当初言われていたように季節性インフルエンザのようなものであれば、日本での感染拡大はここまで深刻にはならなかったかもしれない。 筆者は2月に来日して東京での生活をスタートしたが、その時点では、日本にはまだ「オリンピック前夜」を楽しむムードがあり、報道もオリンピック開催に向けてのものが中心だった。 新型コロナウイルスについては「新型インフルエンザのようなもの」という紹介にとどまり、対策はテレビで手洗いの励行が呼びかけられていたくらいだ。 そして、もし感染したとしても、ほとんどの人が軽症で回復するため心配はないと言われていた。 筆者は、それまで住んでいた台湾と日本との意識の違いに驚いた。 不満があっても国民は「仕方ない」 そんな日本の新型コロナウイルスに対する呑気(のんき)な反応は、日本の台湾人社会に不安を与えた。 2月、まだ武漢など新型コロナの感染拡大地域からの入国制限が行われていなかった頃は、街中で中国人観光客を目にすることも多く、それだけで台湾人は不安を感じたという。 同時に中国人観光客による「マスクの爆買い」もよく見かけた。 「当時、ドラッグストアなどでは、個数制限なくマスクを購入できました。 1月25日を中心とした旧正月期間、彼女は香港に帰省せず日本で過ごしていたが、多くの中華系の人達がマスクを買いあさる姿を目撃したそうだ。 1月末の段階で、陳さんの同僚のうち外国籍の同僚はすでに新型コロナウイルスについて多くの議論を交わしていた。 しかし、その時期に職場が部分的にテレワークを導入したところ、日本人の同僚は驚いていたという。 陳さんは「香港はSARSを経験していますが、日本人にはその経験がありません。 だから今ひとつ実感がなかったのかもしれません」と振り返った。 日本社会の新型コロナへの反応の鈍さは、日本人の気質も関係しているのではないだろうか。 台湾人に比べて日本人は不満をはっきり表現することが少なく、最終的に「仕方ない」と受け入れる傾向にあるのではないだろうか。 その例として、蔡秉諺さんは2011年の東日本大震災を挙げる。 当時、蔡さんは東京勤務で、大災害のなかでも、多くの日本人が冷静に行動するのを目の当たりにした。 蔡さんは、新型コロナ流行下でも状況は同じだと感じている。 「日本人には、ものごとを『仕方ない』と受け入れる傾向が強くあると感じます。 個人の感情、生活、学校や職場などあらゆる場所で『仕方ない』という言葉が使われていませんか?」 日本は台風、地震、火山の自然災害に繰り返し襲われてきた。 そんな日本で育まれた「逆境を受け入れる」文化は、自然災害時の混乱を防ぐという点ではプラスに働いていると言える。 しかし、今回の新型コロナのような未知の感染症の流行に際しては、国民の危機感を薄れさせてはいないだろうか。 感染症の流行で必要なのは、「流れに身を任せる」ことではなく、初期段階での政府による有効な対策と適切な呼びかけである。 それがなければ感染の封じ込めは不可能だろう。 マニュアル重視の日本 2003年のSARSを経験した台湾では、初期段階でどんな対策が取られたのだろうか。 SARSは台湾と香港で多くの犠牲者を出した。 その後、台湾では「伝染病防治法(感染症予防治療法)」が制定されている。 同法では、感染症の流行発生後、政府はただちに高レベルな対策と警戒を行い、必要に応じて即時に指揮センターを開設、あわせて指揮官を任命するよう定めているのだ。 これが意味するのは、台湾では感染症の拡大防止策の重要性が軍事作戦と同等の最高レベルに引き上げられたということである。 SARSの時に台湾に住んでいた人には、感染拡大の初期段階で自然と警戒や自主的な対策が身に付いていると言える。 さらに台湾と香港では以前から中国共産党の情報隠ぺいの可能性が「あって不思議ではない」という意識があったため、新型コロナでは多くの日本人より早く「何かおかしい」と察することができたのだ。 日本では1月末に新型コロナウイルス感染症対策本部が設置されたが、それでも台湾人や香港人が「遅い」と感じた理由を呉秋燕さんはこう分析する。 それは日本ではマニュアルが重視されがちだという点だ。 言い換えると、手順書がなければ官僚が判断を下せないということが、対応の遅さの原因ではないかということである。 確かに、手順書ありきでは新しい感染症が流行する度に、その対策を1から研究・構築する必要があり、スピーディな意思決定は望めないだろう。 新型コロナウイルスの感染拡大が、ここまでの事態になるとは誰も想像しなかった。 それは日本人だけでなく、日本に住む台湾人や香港人も同じだ。 現在、日本の新型コロナ対策は大変慎重に進められていると言える。 日本政府は布マスクの全世帯配布と全居住民への一律10万円の特別定額給付金をもって、市民の不安と経済的損失の緩和をはかろうとしているのだ。 特別定額給付金の対象は日本人だけでなく、4月27日の段階で3カ月以上の在留資格を持ち、住民票の届け出をしている場合、外国人も対象となる。 だが香港出身で、長年、日本に住む陳さんは、10万円を受け取るつもりはないという。 彼女は、政府はまず困っている人を助けるべきだと考えているためだ。 確かに日本の一斉給付方式が、どれほど効果があるのかは疑問だ。 限られた資源は本当に助けを必要としている人に優先的に分配されるべきではないだろうか。 筆者は、もし台湾や香港で同じように定額給付が行われるとしたら「なぜその金額なのか」「そのやり方は公平か」と議論されるのではないかと考える。 だが日本では一部の抗議の声を除いて政治家も国民も給付額が妥当なのかどうかについて、特に何も感じていないように見受けられるのだ。 これも「仕方ない」ということなのだろうか。 日本と台湾、そして香港の新型コロナウイルスへの反応には違いがある。 その背景にはそれぞれの歴史があり、単純に比較するのは公平とは言えないだろう。 たとえば感染症対策に法的な根拠を必要とするのは、台湾も日本も同じだ。 新型コロナ流行前に既に法整備されていた台湾に対して、日本は3月に入って改正新型インフルエンザ特措法が成立したという点も、両者の対応の違いに影響していると言えるだろう。 また、具体的な対策についても性質が異なる。 日本の対策が比較的寛容であるのに対し、台湾の対策は厳しい罰則が設けられ、まるで中学や高校の校則のように厳格だ。 この違いは両者の歴史的、文化的な背景が影響していると言えるだろう。 最後に、今回、話を聞かせてくれた日本在住の台湾人と香港人が口をそろえて言うのは、日本社会は当初新型コロナウイルスに対し無関心に見えたが、感染が拡大するにつれ態度が変わり今では多くの人が自粛生活に協力しているということだ。 この経験は、今後、日本がまた新たな疾病に立ち向かうとき、これまでにない最高レベルの対策がなされることにつながるはずだ。 日本だけでなく、世界中の国家がこの新型コロナから教訓を学び取る必要があるだろう。 バナー写真=新型コロナウイルス感染拡大により、外出自粛が続く大型連休中の東京・渋谷のスクランブル交差点、2020年5月2日(時事).
次の朝日新聞は主要7カ国(G7)について、それぞれ10万人当たりの累計感染者数と感染の有無を調べる検査件数を比較した。 検査件数は各国の政府発表に基づいた。 米国は各州の発表をまとめた民間の集計値を用いた。 また、累計死者数は、世界的にみて比較的被害が抑えられているアジア・オセアニア地域の国々を選び、10万人当たりの人数を比べた。 この結果、日本はG7で、10万人当たりの感染者数が13・2人で最も少なかった。 英国は1日20万件の検査をめざし(日本の目標は1日2万件)、自宅などへ約80万件分の検査キットを郵送している。 実際に個人が検査したかが不明なため、今回の比較時に郵送分は含めていない。 ただ、含めた場合は1・5倍近い5013・0件まで増える。 また、10万人当たりの死者数は、アジア・オセアニア地域の多くの国々で日本の0・64人より少なかった。 たとえば、初期の水際対策が奏功した台湾の累計死者は7人で、10万人当たりでは0・03人だった。 英オックスフォード大に拠点を置き、各国の感染データなどを集計している団体「Our World in Data」によると、日本は5月23日時点で100万人当たりの感染者数が世界208カ国・地域のうち多い順から136番目。 同じく死者数は94番目だった。 中東を除いたアジア地域で日本よりも死者数が多かったのはフィリピンとモルディブだけだ。 一方、欧州疾病予防管理センター(ECDC)がまとめた各国データを朝日新聞が集計したところ、日本は、G7の中で最も感染拡大の速度を抑え込めていた。 感染者が人口1千万人当たり1人以上になってからピークに達するまで、米国やフランス、ドイツが35日前後だったのに対し、日本は52日だった。 また、G7で1日当たりの新規感染者数の推移をみると、最も多かった時期で、米国やイタリアは1千万人当たり900人を超えていたが、日本は50・9人(4月17日)だった。 新型コロナウイルスを抑え込んだかに見える日本の状況を、海外メディアは驚きと共に伝えている。 強制力のない外出自粛やPCR検査数の少なさにもかかわらず、日本で感染が広がらなかったことに注目し、「不可解な謎」「成功物語」などと報じている。 引用元:.
次の日本政府の反応は「先冷後熱」 中国・武漢市から始まった新型コロナウイルス感染症は、1月に入って中国国内で爆発的に広がった。 その後、欧州、米国が感染の中心となり、直近ではロシアや南米で感染者が急増している。 日本では、3月に入って本格的に感染者が増え始め、いまだ終息の気配はない。 当初の日本政府の新型コロナウイルス対策について、台湾や香港では「遅すぎる」と不安視する声や批判までもが飛び交っていた。 それは日本に住む台湾人・香港人も同様で、政府の対応に悲観的な反応が出ていたものだ。 「(1月頃は)日本では誰もが普通に出勤し、新型コロナのことを『中華圏の特殊な病気』と見ていたように思います」、そう語るのは台湾から来日して4年の呉秋燕(ご・しゅうえん)さん(30代)だ。 呉さんによると当時、日本人の同僚の関心は薄く、「中国はなんだか大変そう」程度の認識しかないように感じられたそうだ。 そんな「対岸の火事」ムードに変化が生じたのは2月のことである。 横浜に入港したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号での集団感染が注目されたのだ。 連日、ニュースで大きく取り上げられるようになり、呉秋燕さんはようやく日本人がこの問題に関心を持ち始めたと感じたという。 その後、日本国内で市中感染が疑われる例が増加し、国内でも本格的な対策が取られるようになった。 この一連の流れは、日本在住の台湾人や香港人に「日本政府は『先冷後熱』」という印象を与えたという。 「先冷後熱」とは、最初は冷たく後に熱くなる、転じて「最初は無関心なのに後から慌て出す」ことを指す。 たとえば彼が2月初めに乗った東京行きの飛行機では、全ての乗客が自主的にマスクをつけており、また各所でアルコール消毒が積極的に行われていたという。 蔡さんは、日本政府は初期段階のウイルス封じ込めに自信があったのではないかと感じているそうだ。 中国から広がった新型コロナウイルスは、近場の日本ではなく、欧米諸国で急激に広まった。 その原因として指摘されているのは、欧米におけるソーシャルディスタンスの近さと手洗いなどの衛生習慣があまり根付いていなかった点である。 日本はもともと、友人同士であってもハグやボディタッチが少なく、人と人との距離がある程度、保たれている。 さらに手洗いやうがいの習慣も根付いている。 もし新型コロナウイルスの感染力が当初言われていたように季節性インフルエンザのようなものであれば、日本での感染拡大はここまで深刻にはならなかったかもしれない。 筆者は2月に来日して東京での生活をスタートしたが、その時点では、日本にはまだ「オリンピック前夜」を楽しむムードがあり、報道もオリンピック開催に向けてのものが中心だった。 新型コロナウイルスについては「新型インフルエンザのようなもの」という紹介にとどまり、対策はテレビで手洗いの励行が呼びかけられていたくらいだ。 そして、もし感染したとしても、ほとんどの人が軽症で回復するため心配はないと言われていた。 筆者は、それまで住んでいた台湾と日本との意識の違いに驚いた。 不満があっても国民は「仕方ない」 そんな日本の新型コロナウイルスに対する呑気(のんき)な反応は、日本の台湾人社会に不安を与えた。 2月、まだ武漢など新型コロナの感染拡大地域からの入国制限が行われていなかった頃は、街中で中国人観光客を目にすることも多く、それだけで台湾人は不安を感じたという。 同時に中国人観光客による「マスクの爆買い」もよく見かけた。 「当時、ドラッグストアなどでは、個数制限なくマスクを購入できました。 1月25日を中心とした旧正月期間、彼女は香港に帰省せず日本で過ごしていたが、多くの中華系の人達がマスクを買いあさる姿を目撃したそうだ。 1月末の段階で、陳さんの同僚のうち外国籍の同僚はすでに新型コロナウイルスについて多くの議論を交わしていた。 しかし、その時期に職場が部分的にテレワークを導入したところ、日本人の同僚は驚いていたという。 陳さんは「香港はSARSを経験していますが、日本人にはその経験がありません。 だから今ひとつ実感がなかったのかもしれません」と振り返った。 日本社会の新型コロナへの反応の鈍さは、日本人の気質も関係しているのではないだろうか。 台湾人に比べて日本人は不満をはっきり表現することが少なく、最終的に「仕方ない」と受け入れる傾向にあるのではないだろうか。 その例として、蔡秉諺さんは2011年の東日本大震災を挙げる。 当時、蔡さんは東京勤務で、大災害のなかでも、多くの日本人が冷静に行動するのを目の当たりにした。 蔡さんは、新型コロナ流行下でも状況は同じだと感じている。 「日本人には、ものごとを『仕方ない』と受け入れる傾向が強くあると感じます。 個人の感情、生活、学校や職場などあらゆる場所で『仕方ない』という言葉が使われていませんか?」 日本は台風、地震、火山の自然災害に繰り返し襲われてきた。 そんな日本で育まれた「逆境を受け入れる」文化は、自然災害時の混乱を防ぐという点ではプラスに働いていると言える。 しかし、今回の新型コロナのような未知の感染症の流行に際しては、国民の危機感を薄れさせてはいないだろうか。 感染症の流行で必要なのは、「流れに身を任せる」ことではなく、初期段階での政府による有効な対策と適切な呼びかけである。 それがなければ感染の封じ込めは不可能だろう。 マニュアル重視の日本 2003年のSARSを経験した台湾では、初期段階でどんな対策が取られたのだろうか。 SARSは台湾と香港で多くの犠牲者を出した。 その後、台湾では「伝染病防治法(感染症予防治療法)」が制定されている。 同法では、感染症の流行発生後、政府はただちに高レベルな対策と警戒を行い、必要に応じて即時に指揮センターを開設、あわせて指揮官を任命するよう定めているのだ。 これが意味するのは、台湾では感染症の拡大防止策の重要性が軍事作戦と同等の最高レベルに引き上げられたということである。 SARSの時に台湾に住んでいた人には、感染拡大の初期段階で自然と警戒や自主的な対策が身に付いていると言える。 さらに台湾と香港では以前から中国共産党の情報隠ぺいの可能性が「あって不思議ではない」という意識があったため、新型コロナでは多くの日本人より早く「何かおかしい」と察することができたのだ。 日本では1月末に新型コロナウイルス感染症対策本部が設置されたが、それでも台湾人や香港人が「遅い」と感じた理由を呉秋燕さんはこう分析する。 それは日本ではマニュアルが重視されがちだという点だ。 言い換えると、手順書がなければ官僚が判断を下せないということが、対応の遅さの原因ではないかということである。 確かに、手順書ありきでは新しい感染症が流行する度に、その対策を1から研究・構築する必要があり、スピーディな意思決定は望めないだろう。 新型コロナウイルスの感染拡大が、ここまでの事態になるとは誰も想像しなかった。 それは日本人だけでなく、日本に住む台湾人や香港人も同じだ。 現在、日本の新型コロナ対策は大変慎重に進められていると言える。 日本政府は布マスクの全世帯配布と全居住民への一律10万円の特別定額給付金をもって、市民の不安と経済的損失の緩和をはかろうとしているのだ。 特別定額給付金の対象は日本人だけでなく、4月27日の段階で3カ月以上の在留資格を持ち、住民票の届け出をしている場合、外国人も対象となる。 だが香港出身で、長年、日本に住む陳さんは、10万円を受け取るつもりはないという。 彼女は、政府はまず困っている人を助けるべきだと考えているためだ。 確かに日本の一斉給付方式が、どれほど効果があるのかは疑問だ。 限られた資源は本当に助けを必要としている人に優先的に分配されるべきではないだろうか。 筆者は、もし台湾や香港で同じように定額給付が行われるとしたら「なぜその金額なのか」「そのやり方は公平か」と議論されるのではないかと考える。 だが日本では一部の抗議の声を除いて政治家も国民も給付額が妥当なのかどうかについて、特に何も感じていないように見受けられるのだ。 これも「仕方ない」ということなのだろうか。 日本と台湾、そして香港の新型コロナウイルスへの反応には違いがある。 その背景にはそれぞれの歴史があり、単純に比較するのは公平とは言えないだろう。 たとえば感染症対策に法的な根拠を必要とするのは、台湾も日本も同じだ。 新型コロナ流行前に既に法整備されていた台湾に対して、日本は3月に入って改正新型インフルエンザ特措法が成立したという点も、両者の対応の違いに影響していると言えるだろう。 また、具体的な対策についても性質が異なる。 日本の対策が比較的寛容であるのに対し、台湾の対策は厳しい罰則が設けられ、まるで中学や高校の校則のように厳格だ。 この違いは両者の歴史的、文化的な背景が影響していると言えるだろう。 最後に、今回、話を聞かせてくれた日本在住の台湾人と香港人が口をそろえて言うのは、日本社会は当初新型コロナウイルスに対し無関心に見えたが、感染が拡大するにつれ態度が変わり今では多くの人が自粛生活に協力しているということだ。 この経験は、今後、日本がまた新たな疾病に立ち向かうとき、これまでにない最高レベルの対策がなされることにつながるはずだ。 日本だけでなく、世界中の国家がこの新型コロナから教訓を学び取る必要があるだろう。 バナー写真=新型コロナウイルス感染拡大により、外出自粛が続く大型連休中の東京・渋谷のスクランブル交差点、2020年5月2日(時事).
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