先日、ウッチャンナンチャンがフジテレビ『27時間テレビ』の司会に内定したとの報道があった。 今や南原清隆は『ヒルナンデス!』の総合司会として、お昼の顔として降臨。 そして内村光良も『世界の果てまでイッテQ!』をはじめ、多くの人気番組にレギュラー出演している。 そんな絶好調のウッチャンナンチャンであるが、かつては死亡事故という不運な形で自身の冠番組が終了したことがあった。 大人気だった『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』 その冠番組とは『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』。 1990年からスタートし、出川哲朗、勝俣州和なども出演していた人気コント番組だ。 かなり作り込まれたコントが特徴的であり、『スターウォーズ』パロディコントを放送した時は、全米映画協会から「パロディの枠を超えてコピーになっている」とクレームが入るほどだった。 また、同番組の人気キャラクターだった内村と女性タレントちはるが扮するマモー・ミモは大人気になり、千葉マリンスタジオにファンが一目見ようと3千人以上が詰めかけたほど。 死亡事故が発生 突然の打ち切りに… しかしそんな絶頂期に突然の終わりを迎える。 番組収録中に死亡事故が起こってしまったのだ。 事故が起きたのは1993年6月24日。 人気コーナー「やるやらクエストII」の収録中、ゲストとして参加した香港の人気バンドBEYONDのメンバー黄家駒と内村がステージ上約2. 7mの高さから転落。 内村はこの時のことを「後ろから崩れるような音が聞こえ、気がついたら転落していた」と振り返っている。 幸いにも内村は全治2週間の怪我で済んだが、黄家駒氏は事故から1週間後に亡くなる。 これを受け同年7月1日、フジテレビの記者会見で番組の打ち切りが正式に発表されたのだった。 事故以降のウッチャンナンチャン 出演数が激減! 内村は事故後、自身のラジオ番組『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』で復帰を果たす。 その放送前の記者会見では「彼の分まで頑張っていきたい。 残されたメンバーも僕らで役に立つことがあったら、また仕事をしたい」と涙ながらに謝罪。 不運なことにその後のウッチャンナンチャンは、自分たちにまったく過失がないにもかかわらず、テレビ出演が激減してしまった。 しかしその後、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!! 』や『笑う犬の生活』など数々の人気番組にレギュラー出演し、高視聴率を連発。 見事にその輝きを取り戻したのだった。 外部サイト.
次の<ネットでの声> 「フジテレビそのものを解体すべき wwwwwww」 「なんやらっていうスギちゃん御用達の占い師のとおり,「来年」の方が仕事が多いっていうのはこういうことだったのかな。 テレ朝系番組のレギュラー獲得確実でしょ。 」 「出演者が大怪我してまでバラエティやるくらいなら、コントや漫才でとことん下品なことしてくれる方が全然良い」 「何で、警察が動かないのよ!!!!!!!!!!」 「スギちゃんにしてもなんかしようとして自爆だろ!たった10メートルから飛び込みしただけなのにさ」 「 タモリ倶楽部とか、一切危険なことをしなくても面白いぞ。 」 「ウンナンの番組では、香港の人気歌手が転落死したよね、バラエティではないわ…」 「とりあえず来年一年はテレ朝で責任持ってスギちゃんに仕事を廻せ wwwwwww」 「そういう事故に繋がるコーナーほど大味で何の面白みもなかったりする。 」 「笑いを取るために調子乗って大けがをやらかす。 最近の芸人は売れることや面白いことを優先して自分の命を蔑ろにする。 死んだら元も子もないけどね」 「 3ヶ月後、退院したときにブームが去っていなければいいんだが」 記事出処: ウンナン、そして今まだ放送されている、めちゃイケまで収録中などに死亡事故が起きていたんですね。 笑いと危険は隣りあわせなのかもしれませんが、ここまで重傷なケガにつながる様な事故が増えている中、内容も検討して製作してほしいですよね。 めちゃいけの事故は2001年10月23日午後6時40分ごろ、港区台場のフジテレビ本社で、めちゃイケ収録の準備中にセットが倒れ、作業をしていた美術スタッフの松井信幸さん(25)が下敷きになり、松井さんは頭を強く打って死亡した。 この日の収録は11月10日放送予定分で、現場にタレントはいなかった。 警視庁東京水上署の調べによると、松井さんがほかのスタッフ2人と番組で使う高さ約3メートル、 重さ100キロ以上の門を組み立てていた際、門が突然倒れた。 ほかの2人にけがはなかった。
次の12月2日に放送されたスペシャル番組では「単位上等!爆走数取団」と「抜き打ちテスト」の2つの名物企画が復活、第2部(夜7時~9時)は平均視聴率12. 1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)という今年最高の数字を記録した。 しかし、いくら数字を取ろうが打ち切りは決定事項。 残り3カ月あまり、前を向いて全力で駆け抜けるしかないのだ。 そんな、フジテレビひいてはテレビ界を代表する名番組の終了に、業界人たちは何を思うのだろうか。 それぞれの立場から聞こえてきた声をお伝えしたい。 まずは、放送作家のA氏だ。 「演者の発言やトピックスを(1)(2)……とナンバリングして銀色のプレートの上に出すテロップ表示は、当時どの番組のディレクターもマネしていました。 そうした『パッケージ』、つまりは『世界観が番組にとって大事だ』ということを強く示してくれた代表的な番組だと思います。 ただ、2010年に番組の顔だった岡村隆史が体調不良で出演を見合わせたときが潮時だったのではないでしょうか。 これを契機に新メンバーのオーディションが行われ、応募者のなかには今人気の若手コンビ・カミナリなどの逸材もいたのですが、なぜか通りませんでした。 続いて語るのは、テレビ局関係者のB氏だ。 「今年1月から、番組開始20周年を記念して人気デュオ・ゆずにつくってもらった『タッタ』がオープニングテーマとして流れています。 去年11月、2人だけの弾き語りライブ『ゆずのみ』に番組メンバーが大挙して訪れ、曲の制作を依頼して実現したものです。 ただ、私はそのライブ現場にいたのですが、突然やってきた番組メンバーに対して、会場を埋める約5万人のゆずファンからは『なんで来たんだ』という空気すら漂っていて、『めちゃイケ』にとってはアウェー状態でした。 そのとき、『番組が終わるのも、そう遠い話ではないな』と感じましたね」 また、B氏は「幅広い層に人気のゆずを取り込むことで、認知度の再向上や視聴率アップを期待したのでしょうが、数字にはほとんど影響しませんでした」と付け加える。 続くC氏は、約20年の間さまざまな番組のディレクションを手掛けている人物だ。 「残念ながら、『めちゃイケ』はレギュラー陣を増やす前に番組としては終わっていたと思います。 長年フジの番組にかかわってきましたが、そもそも局や局員自体の質がヤバく、沈む船から脱出する感じで、私は数年前に離れました。 『めちゃイケ』もフジも好きだったので残念ですが、おそらくフジは二度と浮上することはないでしょう」 まさにフジの趨勢を体現してきた『めちゃイケ』。 (文=編集部).
次の