極論かもしれませんが、そこから出てくる音楽は、半分くらいは奈保子さん固有のものであっても、もう半分はもはや「河合奈保子」を超えた普遍的・抽象的な何かになっています。 良い音楽があるとすれば、ジャンルを問わず、そういうものであろうと私は思っていますが。 (奈保子さんはご自分でそのことをよくわかってらっしゃるのだと思います。 後期の自作曲ばかりのアルバムには、ちょっと極端な方向に走っているものもあって、ファルセットばかりの無表情な歌が詰まった「Calling You」や「ブックエンド」では、もう歌い手としての「河合奈保子」の一切を消し去ろうとしているかのようです。 この潔癖性は、2006年に発表された歌のないアルバムの予告なのかもしれません。 ) その後、サビのリピートとなり、その前半をデュエットで、後半を五輪さんが歌います。 「五輪真弓はさすがね」というオバサマ方の声が聞こえてきそうです。 五輪真弓が、五輪真弓の歌を、五輪真弓に対して一般の人たちが抱くイメージそのままに、つまり五輪真弓でしかやれないような独特の節回しで歌うのですから、当然と言えば当然ですね。 しかし、あえて言いましょう。 確かな耳を持つ人ならば、前半の河合奈保子の紡ぎ出す音楽にこそ心を奪われるであろう、と。 次元が違うんですよね、音楽の。 奈保子さんのは、もう、人間の口から発せられる音楽ではなく、天上から音楽の女神が舞い降りてくる類いのものです。 だから、比べること自体がナンセンス。
次の今回の1曲セレクトは「デビュー〜Fly me to love〜」河合奈保子です。 まずはデータです。 ・タイトル デビュー〜Fly me to love〜 ・アーティスト 河合奈保子 ・作詞 売野雅勇 ・作曲 林哲司 ・編曲 鷺巣詩郎 ・リリース日 1985年6月12日 ・発売元 コロムビア ・オリコン最高位 1位 ・売上げ枚数 16. 1万枚 ・THE HITCHART HOT30最高位 7位 ・ベストテンランクイン期間:1985年6月24日〜7月15日付 えー、今回も、マクラ無しで、のっけから本題・・・。 河合奈保子の「デビュー」ね。 この曲っていったら、やっぱし、オリコン初登場1位かなぁ。 まあ、この当時になると、「初登場1位」なんて、ぜんぜん珍しい現象ではなくなっていたけど、「河合奈保子」として、シングルでは、後にも先にも、この曲での「初登場1位」が最初で最後でございます。 その前に、河合奈保子って1位取ってたのか? って思われる御仁、あなたは、必ずしも間違っていない。 そそそ、河合奈保子って、「陰に隠れた」存在って、いつだって感じがしたもんね。 トップアイドルであって、トップアイドルでない(なんのこっちゃ・・・)存在だったりして。 そんな、「不安定」な立ち位置にいたのが、このヒトだったりするからねぇ。 だからね、この曲が1位を取った時は、ワタシもまーったく、信じられなかったですよ。 うーん、でも、今だから、なるほど・・と思うけど、単にリリースの谷間に運良くはまった・・・ってところもあるんだよな。 この曲が初登場した、1985年6月24日付ランキングのベスト3 ・1位 デビュー/マンハッタンジョーク /河合奈保子 51,650枚 ・2位 今だから /松任谷由実・小田和正・財津和夫 48,320枚 ・3位 夢絆 /近藤真彦 42,350枚 うーん、この時の週間売上げ枚数「51,650枚」って言うのがビミョウで、1週前のリリースだったら、松任谷由実・小田和正・財津和夫の強力タッグの「今だから」と、まっちの「夢絆」に阻まれて、1位取れなかったし、1週後だったら、中森明菜の「SAND BEIGE」に阻まれて、1位取れなかったし・・・・っていう、ビミョウな狭間週に、運良く「紛れ込んだ」って感じだったんだよな。 もちろん、幸運なリリース週ばかりが1位とれた理由じゃないけどね。 またまた、この時の週間売上げ枚数「51,650枚」っていう数字。 これ、河合奈保子のシングルの週間売り上げ枚数の最高の数字なんだよね。 ま、1位なんだから、それまでの最高の数字・・・っていうのも、おかしくは無い話だけど、売上げレベルが高い週だと、それでも1位取れないこともあるからねぇ、一概にも言えないわけで。。。 たださ、いきなり、この売上げ枚数になったのも、一見すると不自然な感じもしたよなぁ。 何分、その前の「ジェラストレイン」、そのまた前の「北駅のソリチュード」の週間売上げ枚数の最高が3万枚も行かなかったんだから・・・。 それが、いきなり5万枚強? これは如何に・・・・ 当時、1位獲得が信じられなかったのは、このことがあったからなんだけどさ。 「マンハッタンジョーク」・・・映画「ルパン三世。 バビロンの黄金伝説」の主題歌だわな。 アニメ系に詳しい方は、こっちは知ってるかも知れんなぁ・・・ ・・・って具合に、通常の河合奈保子ファン以外にも、レコード買ったってヒトがいたから・・・なんだろうね、この時の数字は・・・。 もちろん、それだけじゃなく、「デビュー」自体の曲もよかったからなぁ・・・っていうのは、個人的な感想かな・・・。 いや、正直言うと、当時、この曲、あんまり聴いた印象がないんだよなぁ・・・。 この曲、聴いても当時の「映像」が脳裏に浮かんでこないぞよ。。。 よく、聴くようになったのは、最近だねぇ。。 個人的に、この曲でいいのは、単純に、清清しくて生理的に気持ちいい曲だからなぁ。 ジメジメした、この季節、こういう、カラッと清清しい曲って、一服の清涼感があっていいよね。 それと、途中で挟まってくる、ブラスの合の手かな。 曲にスピード感を持たせていて。 それよりなにより、素直なんだよね、この曲。 河合奈保子って、この曲以前、少なくとも1984年3月の「微風のメロディ」以降、素直な曲が少なかったからなぁ。 まあ、挑戦というべき時代だったんだろうけど、大人っぽい曲が続いてたからね。 ここで、一度原点に立ち返っ見よう・・・ってことで、タイトルも「デビュー」。 そして素直な曲に戻ったってところなんだろうな。 なんか最近アップされた動画ばっかだなぁ。。。 もしかするとすぐに消されるかも知れん。。。 よろしかったら、ポチッと押してね.
次の芸能界デビュー 河合奈保子さんは、子供の頃は内気だったと語っていたようですが 芸能界への憧れがあったようで、中学2年の時に その当時のデビュー番組「スター誕生! 」に応募しています。 しかし、書類選考で落選。 このオーディションで見事、優勝を勝ち取り、翌年1980年に 「大きな森の小さなお家」で歌手デビューを果たします。 当時「西城秀樹の妹」という触れ込みで、大々的に宣伝されてのデビューでした。 河合奈保子って人気あったの? 河合奈保子さんはデビュー曲「大きな森の小さなお家」はすぐにヒット。 歌番組「ベストテン」や、バラエティー番組に引っ張りだこのアイドルとして急成長します。 河合奈保子さんがデビューする少し前にデビューしているのが 80年代アイドルを代表する絶対的エース松田聖子さん。 河合奈保子さんは、松田聖子さんを追いかける立ち位置ながらも、 一歩先行く松田聖子さんと人気を二分するほどか? と思わせるほどの勢いがありました。 河合奈保子さんといえば、 どうしても、忘れてはいけないのは、 世の男性の目を釘付けにした その当時のアイドルでは、隠しがちであった豊満なバストでしょう。 河合奈保子さんの印象といえば、とにかく、巨乳!! くるくるっとした愛らしい瞳の、かわいらしいベビーフェイスに 反しての豊満ボディーには、男性の目が釘付けにならずには いられませんでした。 今のアイドルのように、自ら胸を露出するなんてことは 絶対にありえない時代ですので、 河合奈保子さんの着る衣装も、かわいらしい路線のものばかりでしたが、 巨乳がいつも、ワンピースに収まりきらない感じ。 (笑) 胸のボタンが、歌っているときにはじけ飛んだ。 なんて逸話も残っているほどです。 元気に体を揺らしながら歌うたびに 胸がユッサユッサと揺れる姿は、男性には、たまらなかったようですね。 芸能人の水着運動会なんてものも、放映されていて、大人気の番組。 (今ではセクハラ論争になりそうで考えられませんが) ここで、河合奈保子さんが披露するビキニ姿は、 なかなかの迫力ものでした。 代表曲としては 「ヤング・ボーイ」や「スマイル・フォー・ミー」 竹内まりやさん作曲の「けんかをやめて」など、数々のヒット曲があります。 河合奈保子さんは、歌唱力も抜群で、とてもきれいな歌声です。 河合奈保子さんのテレビでの受け答えの印象は、 意地悪な質問にでもいつも、目をクリックリッとさせながら 元気に「ハイッ、ハイッ」と返事をする 素直な女の子。 という印象。 彼女がムッとした場面や、怒った場面など、 放映されたこともなかったですし、 マスコミの評判もよくて、 いつでも笑顔でいる。 と報道されたりしていました。 歌も、受け答えも、いつも一生懸命で、真摯な態度。 そんな性格が高評価だったのか、なぜか、 松田聖子さんのようなアンチがあまり存在せず、松田聖子さんとは正反対。 悪くマスコミに書かれたことなどなかったようです。 (松田聖子さんは、アイドルの中では、もう、別格の地位にいたので、アンチも多かったのでしょうね。 ) 紅白には6回出場しています。 ということは、大体、デビューから6年目くらいには人気に陰りが・・・。 ということですね。 (アイドル乱立時代の紅白6年出場は実は凄いかも) アイドルアイドルしていた時代から、少し大人っぽい印象に 変わっていった頃から 河合奈保子さんは、自分で歌を作るようになっていきます。 が、彼女の作った曲はヒットしていないと思います。 (彼女の作詞作曲の実力が如何ほどなのかは、正直わかりません・・・) どうしても、デビュー後数年の勢いに比べると、人気がどんどん落ちていき、 ヒット曲も出なくなっていたんですが、 それでも、ずっと河合奈保子さんが、曲作りをしている。 という報道は、時々されていました。 1996年に結婚。 河合奈保子さん担当のヘアメイクアーティスト金原 宜保さんと結婚。 その後は、引退したかのように、名前を聞くことがなくなりました。 事実、 河合奈保子さんは、結婚、出産を機に、芸能界の第一線から退かれていたので ずっと、表立って話題になることもありませんでしたが 河合奈保子さんの娘であるKahoさんが2013年に歌手デビューした時、 再び、親子ともども、脚光を浴びることとなります。 河合奈保子と娘kahoの現在 河合奈保子さんの現在 河合奈保子さんは、結婚後、オーストラリアで子育てをされており、 息子さんと娘(Kahoさん)がいらっしゃいます。 2008年12月21日付の竹内まりやさんのブログ「Pholog」に 6年ぶりに再会した記事が写真付きで掲載されてます。 この画像を見る限りでは、昔と変わらない、かわいらしい感じの印象。 気になる方は、竹内まりやさんのブログで「お久しぶりです!」の記事を見てみてください。 若い頃、どちらかというとぽっちゃり系な河合奈保子さんだったので、 もしかしたら、おばさん化して、中年太り? と、思ったら、ほっそりしていて、おばさんどころか、かわいらしい姿。 う~、さすがは、アイドル。 すごいぜ! 娘kahoさんのデビュー 河合奈保子さんの娘のkahoさんは、 自分で曲を作るシンガーソングライターとして、 2013年にデビューを果たしています。 デビュー曲は、堀北真希さん主演のドラマ「ミス・パイロット」の主題歌 「every hero」。 驚くのは、この時のkahoさんの年齢。 当時14歳という若さに加え、 作詞・作曲も手掛けるということで、 宇多田ヒカルの再来として、ビッグ新人鮮烈デビュー! と、話題になりました。 娘kahoさんの現在 しかし、母親の河合奈保子さんは「学業の方に専念して欲しい」という 希望があったようで、 そのこともあってか、歌手活動は現在、「引退状態」であるようです。 一部では、オーストラリアで理系の大学に通っているとの報道もありますが、 真意はわかっていません。 今でも人気な河合奈保子さん 河合奈保子さんは、年齢でいえば、50代半ばですが、 若かりし頃の姿が 未だに週刊誌などで、特集を組まれ、 近年販売された写真集やアルバムも、今もって売れているという人気ぶり。 最近は、80年代アイドルが、歌番組などに出演するのも ブームなようなので、河合奈保子さんの姿も見てみたいファンも多いのでしょうが、 他のアイドルのように、姿を出さないのが、河合奈保子さんらしいような 気もしますし、 それが、逆に人気の秘密なのでしょう。 まとめ 今でも人気な80年代アイドルの河合奈保子さんと、その娘kahoさんに せまってみました。 河合奈保子さんがどれほどの人気だったのか、 娘のkaho さんのデビュー曲や、 お二人の現在の状況についても お伝えしました。 最後までお読みいただきありがとうございました。
次の