図37-1 最古の真核生物といわれるコイル状のグリパニア・スピラリス Grypania spiralis。 21億年前のアメリカの地層から見つかった、肉眼で見える最初の生物(七宗・日本最古の石博物館所蔵)。 真核生物がどのようにして生まれたかに関する水素仮説をで紹介した。 水素仮説では、その後ミトコンドリアに進化した共生体は、最初は酸素呼吸をするものではなかった(図32-3)。 この共生体は、水素仮説のモデルとなっているようにブドウ糖を水素分子と二酸化炭素に分解してエネルギーを取り出すヒドロゲノソームと、酸素を使ってブドウ糖を二酸化炭素と水に分解してエネルギーを取り出すミトコンドリアの2つの系統に分かれた。 後者が「酸素呼吸」と呼ばれるものであるが、ほかの方法にくらべて格段に効率がよいので、現在の真核生物のほとんどはこちらを採用している。 この2つの系統のあいだの分岐は、真核生物進化のごく初期に起ったものと思われる。 このようなミトコンドリアの進化に最初の全球凍結後の大酸化事変が関わっている可能性が高い。 そもそも最初の真核生物がいつ出現したかは不明であるが、酸素呼吸するミトコンドリアの進化は、酸素濃度の上昇がなければ起らなかったであろう。 それが正しければ、全球凍結という大量絶滅がなかったら現在地球上で繁栄している動物や植物などが誕生することはなかったことになり、地球上では細菌類や、たとえ真核生物が生まれたとしても、酸素呼吸を行なわない原生生物だけの、われわれヒトから見ると寂しい世界が今でも続いていることになったはずである。 しかし、全球凍結をもたらしたそもそものきっかけがシアノバクテリアであったことを考えると、これら一連の事件の始まりは、シアノバクテリアの進化にあったといえる。 複数回の全球凍結は、そのたびに生物の大量絶滅をもたらした。 現生生物の祖先たちは、度重なる大量絶滅の時代を生き抜いてきたわけであるが、大量絶滅のあとにはいつも生き延びたものの爆発的な進化が見られた。 このことは、阿蘇の放牧地などで野焼きを行なうと、そのあと植物が勢いよく育つのと似ている。 最後の全球凍結「マリノアン氷期」が終わった6億3500万年前から始まり、5億4200万年前まで続くのが「エディアカラ紀」である。 以前は6億3500万年前以前を一括して「先カンブリア時代」と呼んできた。 時代区分の指標となる化石が見つからなかったからである。 しかしながら、次第にそのような時代の化石が見つかるようになり、もっと細かく時代区分をする必要に迫られた結果、2004年になって国際地質科学連合 IUGS は、先カンブリア時代最後のおよそ9300万年間を「エディアカラ紀」と呼ぶことにした()。 全球凍結の時代を細々と生き延びた生物は、氷の時代が終わると多様な生物群としていっせいに現れた。 これがエディアカラ生物群である。 1946年に南オーストラリア・アデレードの北へ約500kmのエディアカラ丘陵で初めて化石として発見されたこの生物群は、それまでの生物にくらべて非常に大きく、なかには1mを超えるものもあった。 また扁平で体積のわりに表面積が広いという特徴をもつ。 エディアカラ生物は、南極大陸以外のすべての大陸で見つかっており、その大部分は5億8000万年前~5億4100万年前のものであるが、最近になって中国貴州省の陡山沱(Dosuahntuoドウシャントウ)層から6億3500万年前~5億5100万年前のさらに古い化石が見つかっている。 図37-2aのカルニオディスクスは、植物の葉のようなかたちをしているが、サイモン・コンウェイ・モリスによると下に伸びた茎のような部分を海底に固定して、水に揺れながら広い葉状部で海中を浮遊する餌を食べていたという。 彼によれば、このような動物は次のカンブリア紀の化石のなかにも見出すことができ、現在のウミエラ(図37-3)につながる系統だという。 ウミエラはサンゴやイソギンチャクの仲間で刺胞動物門に分類される動物である。 また図37-2bのディッキンソニアは左右対称のからだをもち、この標本では前後がはっきりしないが、コンウェイ・モリスによるとしばしばはっきりした前部をもつという。 もしもこの解釈が正しいとすると、ディッキンソニアは餌を求めて前方に移動する運動性を獲得した結果、前後の方向性が生まれ、左右相称になった最初の動物だったことになる。 図37-3 ウミエラ(刺胞動物門、花虫綱、八放サンゴ亜綱)。 しかしながら研究者のなかでは、一見左右相称に見えるこれらの構造は、その後の左右相称動物のものとは異なるものだという意見が多い。 ディッキンソニアは一見左右相称に見えるが、よく見ると、左右の体節構造が中心線のところで互い違いになっており、厳密な左右相称にはなっていない。 エディアカラ生物群が現生動物の系統かどうかも、よくわからない。 中国科学院南京古生物学研究所の陈哲Chen Zheらのグループは、そこでバクテリアによって形成されるバイオフィルムが層状に重なった微生物マットに残された動物が動き回った跡と思われる化石を発見した。 このように生物のからだそのものではなく、生物の活動の痕跡が地層中に残されたものを「生痕化石」という。 灯影層の微生物マットに残された生痕化石には、3種類のものがある。 微生物マットの下に掘られたトンネル、マット表面を通った跡、それにマットに垂直に掘られた穴である。 これらの痕跡は、自分の力で活発に動き回る能力をもった動物がエディアカラ紀に存在していたことを示している。 陈哲らは、これらの痕跡を残した動物が、左右相称動物だったと考えている。 系統樹の根元近くから分岐したカブトクラゲやクシクラゲなどの有櫛(ゆうしつ)動物は、以前は刺胞をもったクラゲやイソギンチャクなどと一緒に腔腸動物門に分類されていたが、2つのグループは別系統であることが明らかになり、前者は有櫛動物門、後者は刺胞動物門とそれぞれ独自の門に分類されるようになった。 有櫛動物門、海綿動物門、それに刺胞動物門を含むそのほかの動物との系統関係に関してまだ論争が続いていてはっきりしないので、ここではこの3者が同時に分かれたように描かれている。 これらの動物門は「二胚葉性動物」と呼ばれる。 この中から、左右相称の三胚葉性動物が生まれる。 図37-4 動物界の系統樹マンダラ。 赤い円は、およそ5億4200万年前から始まったカンブリア爆発の時期を示す。 クリックすると大きな図が表示されます。 先に図37-2で示したようなエディアカラ生物群は、現在の動物(多細胞動物)の系統かどうかはっきりしないと述べたが、多くの研究者は動物のなかの二胚葉性動物で、たぶん刺胞動物に近いものであったと考えている。 もしエディアカラ生物群が動物だとしたら、なぜ原生代の最後の時期になってはじめてこのような大型(1m近く)の動物が現れたのだろうか。 前回示したでは、22億2000万年前の最初の全球凍結のあとでそれまでは現在の100万分の1程度だった大気中の酸素濃度が急速に上昇し、現在のレベルまで達したあとで多少低下して、現在のおよそ100分の1程度で落ち着いた。 その後、およそ6億5000万年前の全球凍結のあとになって再び上昇し、最終的にほぼ現在と同じレベルの酸素濃度になった。 エディアカラ生物群はその頃に現れたものである。 動物が生きていく上で酸素は重要である。 動物の運動性は効率の良い酸素呼吸によって支えられている。 酸素濃度が低いあいだは大きなからだの動物は生まれないと考えられる。 なぜならば、酸素をからだの表面から取り入れるとすれば、からだが小さければ体重あたりの表面積が広いのでなんとかやっていけるが、からだを大きくすると取り入れられる酸素量が足りなくなるのだ。 ところが原生代最後のエディアカラ紀になると、大型動物の生存が可能な環境が整えられたと考えられる。 エディアカラ生物群は扁平なものが多く、表面積対体重の問題を解決するには有利なかたちではあったが、それ以前には目で見える大きさの動物の化石がなかなか見つからないことを考えると、酸素濃度の上昇が動物の進化に大きな影響を与えたのは確かであろう。 有櫛動物門、海綿動物門、それに刺胞動物門が分岐したあと、刺胞動物門から「左右相称動物」が分かれた。 左右相称動物は、初期の動物が運動性を獲得し、捕食のための口が前にでき、前後の軸が生じた結果として左右の対称性が生まれたと考えられる。 有櫛動物と刺胞動物の多くはクラゲと呼ばれるが、彼らは浮遊生活をする。 彼らにも多少の運動性はあるが、左右相称動物はもっと積極的に運動できるようになってから生まれた。 系統的には左右相称動物の棘皮動物には放射対称のものが多い。 そのようなものでも、幼生は左右対称であり、彼らの祖先が左右相称動物だった面影は残っている。 5億5100万年前~5億4100万年前の中国の灯影(デンイン)層でそのような左右相称動物が残したと思われる生痕化石が見つかっているのである。
次のプテリディニウム 学名:Pteridinium sp. (プテリディニウムの一種) 分類:不明 時代:先カンブリア時代 体長:30cm 発掘地:南アフリカ ナミビア共和国 学名の意味:羽毛のようなもの 口が無いのにどうやって・・ プテリディニウムは、先カンブリア時代の浅い海にすんでいた生物です。 真ん中に仕切りが付いた舟のような形をした生物です。 笹舟とかカヌーみたいな形だったようです。 photo by : 浅い海の底で、堆積した細菌類(緑藻か?)に埋もれて暮らしていたと推測されています。 海底の有機物を食べていたのではないか、とされていますが、前後左右、上下、裏表も不明、目や口もありません。 口がないのにどこから食べたんでしょう?。 もちろんおケツの穴もないので、どこから出したのかも不明です。 細菌類や藻類やから栄養をもらっていたのかもしれません。 植物みたいに光合成ができたのかもしれません。 どんな姿だったのか、描いてみました。 図鑑だと仕切りのフチが仕切り板のような感じで描かれてれています。 化石を見ると、仕切りはスソの広がった低めの三角かな?。 謎の本体 プデリディニウムの化石。 一個体の大きさは20~30cmくらいです。 次の時代の古生代カンブリア紀の生物(多くが数cm)が小さいのが不思議に思えるくらいのデカさです。 この化石、実はプテリディニウムの本体の化石ではありません。 チキンライスの画像で例えたら、ライス型がプテリディニウムの本体で、この化石はチキンライスのほう。 エディアカラ動物群の化石の多くは本体の化石ではなく、かたどりした中身や痕跡の化石なのです。 この時代の生物の多くの生物は柔らかい軟組織でできた体を持っていて、化石としてほとんど残っていないため、どんな姿だったかよくわからず、復元図も描く人によってバラバラなのです。 エディアカラ生物群とは エディアカラ生物群とは、それまで微生物サイズだった生物から、目に見えるほどの大きい生物が現れ、化石として見つかるようになった最初の生物たちの総称です。 現生のどの生物グループにも分類できない(近い系統の生物はいない)と考えられているため「哺乳網 ナントカ目 カントカ科」みたいな分類はされず、「エディアカラ生物群」とか「ベンド生物」とよばれます。 エディアカラ生物群という名前は、南オーストラリアのアデレードにあるエディアカラ丘陵から最初の化石が見つかったため「エディアカラ生物群」と呼ばれます。
次のさて、エディアカラ動物群とは何ぞや?という所ですが、 体長が1メートルを超える地球上初めての大型生物と言われており、平べったい体をしているのが特徴のようです。 ザイラッハーという博士が、エディアカラ動物群は動物でも植物でもなく、その当時にしか存在していなかった生物群であるとし、それを先カンブリア時代末の地質時代名(ヴェンド紀)にちなみ、ヴェンド生物群(Vendobionta)と命名しました。 その構造はエアーマットのような小さな袋状の部屋が集合した独特の構造(キルト構造という)で構成されていました。 動物でも植物でもない中間形態それがエディアカラ動物群ようです。 さてさて、このエディアカラ動物群ですが、どんな生物がいるのでしょうか。 座布団の様なディキンソニアは体長が120cmもあり海底をゆっくりと這うように移動していたと言われています。 ディキンソニア(さんよりお借りしました) 昆布の様なチャルニアは、海草のようで、高さが2mもあったようでうす。 海底に生え、そこから動くことはできず、葉のようにみえる部分をゆらゆらさせていました。 動物でも植物でもないエディアカラ生物群の特徴を持っており、光合成共生バクテリアからエネルギー源をもらっていたのではないかと考えられています。 チャルニア(さんよりお借りしました) このようになかなか面白い形の動物が生息していたようですね。 これらは全て軟体性の動物で地球最古の 多細胞生物 であるとも考えられているようです。 一方で先に出てきたザイラッハー教授はヴェンド生物は、 巨大な単細胞の生物であったと提唱しています。 1㎡の単細胞生物って・・・・・ちょっと不思議ですが。 動物でも植物でもない、そして、単細胞かも多細胞かも議論の余地がある・・・色々な意味で謎に包まれた生物です。 エディアカラ生物群は、地球全体が氷に覆われていた時期(スノーボールアース)の直後に出現し、その大部分がカンブリア紀の始まる前に絶滅してしまい、現存する生物とはつながらないようです。 現在まで進化の糸が続かず絶滅してしまった生物は、エディアカラ生物群にとどまらず無数にいたのでしょう。 現代まで生物は外圧に適応しようと様々な戦略を練ってきた。 そしてそのほとんどが失敗していった。 このエディアカラ生物群からはその一旦を垣間見る事が出来ます。 アーカイブ•
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