リスデミロマンティック。 【超個人的考察】リスロマンティックも悪くないんじゃない??【リスロマ必見】恋愛と処世術

中学生の頃のリスロマンティックの体験談

リスデミロマンティック

中学生の頃のリスロマンティックの体験談 この記事では、僕が中学生だった頃の自身の「リスロマンティック」の体験談を紹介したいと思います。 この体験談は、今から10年以上も昔のことで、当時は「リスロマンティック」という言葉はありませんでした。 でも、今振り返ってみると、あれはそういうことだったのかな、と思います。 中学生の頃、僕には同い年の女子でずっと好きだった子がいました。 家も近所で、同じ小学校から中学校に通い、少しロングヘアーの真面目で優しい女の子。 クラスが一緒で席が近かったときの些細な会話をきっかけに、彼女の笑顔やしぐさを意識するようになりました。 その頃の僕は、中学生と言えどまだまだ子供で、その女の子と付き合いたいとか性的な関係を持ちたい、といった欲求もなく、ただただ「好き」でいることが幸せで、彼女が他の男子と話していると嫉妬したり(もちろん本人には言いませんが)、友人づてで「お前のことが好きらしいよ」と噂を耳にしては一喜一憂。 特に自覚していたわけではありませんが、「こんな日々が一生続けばいいな」と思っていたのかもしれません。 何かを手に入れる、ということではなく、好きだなあと思ったり、ちょっとした駆け引きがあったり、嫉妬したり、不安になったり、席替えのたびに胸が高鳴ったり、僕にとっては「それ」が恋愛の全てでした。 しかし、その調和はあるとき揺さぶられ、崩れていきます。 冬のある日のこと、彼女が、僕のことを「好き」だと告白してくれたのです。 本来なら、それは幸せの絶頂のはず。 確かに、僕も一瞬嬉しかったものの、告白を受けた途端に怖くなっていきました。 ドリカムの曲に、「好きだけじゃだめなんだ」という歌がありましたが、あの歌とはちょっと意味は違うものの、まさに「好きだけじゃだめなんだ」ということを突きつけられた日でした。 DREAMS COME TRUE『好きだけじゃだめなんだ』 結局、僕はその告白から逃げました。 僕が彼女のことを好きだということも彼女は知っていたでしょうし、もしかしたら両思いで付き合えると信じて告白してくれたのかもしれません。 でも、僕はその申し出を断りました。 告白で僕も混乱しましたが、彼女も混乱したと思います。 彼女とは、それから10年近く話すことはありませんでした。 成人を過ぎてから、同窓会で会ったときに、普通に話せてほっとしたのを覚えています。 彼女の告白によって僕の気持ちが「冷めた」というよりも、夢から「覚めた」という感覚に近いかもしれません。 現実を突きつけられ、「彼女を好き」という感情以前に「好き」そのものが遠いものになりました。 そのときの感覚や、感情の理由はうまく言葉で表現できませんが、「好きであること」は、その先の目的がなければいけないのだ、という「大人の恋愛」が当時の僕にとっては重くのしかかってきました。 付き合ったり、触れ合ったり、デートを重ねたり、記念日を祝ったり、喧嘩したり、そして、その先には結婚があって、家庭を築く。 その「目的」のための、その「ゴール」のための、始まりとしての「好き」でなければいけない、と 思うと、急速に「好き」という感情が持てなくなっていきました。 また、それは僕が、恋愛に対してプラトニックで無垢なものを求めすぎた、というのもあるでしょう。 よくリスロマンティックでは、二次元アニメのように「想像の世界」で相手のことを好きであることと「現実」とのギャップで拒絶反応が生まれる、ということも原因となりうると言われています。 僕自身の理想と現実の落差というだけでなく、彼女の理想と僕自身が知っている「僕」の現実との落差にも抵抗感を覚えたのです。 いずれにせよ、僕は耐え難くなって彼女の想いから逃げました。 本当かどうかは分かりませんが、ただ、傷つけてしまったな、という後悔もあり、余計に「好き」が怖くなりました。 それから数年して、克服したと言えるかどうかわかりませんが、徐々に「好き」という感情自体は(将来を見据えた「好き」には未だに馴染めませんし、未来を想像すると怖いことには変わりありませんが…)戻ってきました。 恋愛というのは「普通」からの逸脱なので、「普通」の恋愛、というのは矛盾のように思いますし、「克服」というのもおこがましいですが、仮にリスロマンティックの克服法を自分の経験に照らし合わせて説明するとすれば、いきなり美しい「完全」を求めないことが大切なのかな、と思います。 恋愛のゴールは、「結果」より「過程」に。 これはどんな勉強やスポーツでもそうで、だから、もしリスロマンティックや、あるいは「蛙化現象」に悩んでいる場合は、今は恋愛からいったん離れたほうがいいかもしれません。 そして、趣味など何か別のことに没頭したり、新しいことを始めてみて、結果よりも「積み上げていくこと」そのものを大切にする時間を持ったほうがいいと思います。 そしたらきっと人間同士の関係性も、恋愛も、小さな過程が大事なんだと思えるようになります。 そうして未熟者同士、お互いに傷つきながら、一歩ずつ二人だけの関係性を築いていく、その道程がなによりも尊いことだという風に思えたら、リスロマンティックも薄まっていくでしょう。

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【漫画】リスロマンティックとは?好きだけど両思いになりたいわけじゃない!|漫画でわかるLGBTQ+ / パレットーク|note

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中学生の頃のリスロマンティックの体験談 この記事では、僕が中学生だった頃の自身の「リスロマンティック」の体験談を紹介したいと思います。 この体験談は、今から10年以上も昔のことで、当時は「リスロマンティック」という言葉はありませんでした。 でも、今振り返ってみると、あれはそういうことだったのかな、と思います。 中学生の頃、僕には同い年の女子でずっと好きだった子がいました。 家も近所で、同じ小学校から中学校に通い、少しロングヘアーの真面目で優しい女の子。 クラスが一緒で席が近かったときの些細な会話をきっかけに、彼女の笑顔やしぐさを意識するようになりました。 その頃の僕は、中学生と言えどまだまだ子供で、その女の子と付き合いたいとか性的な関係を持ちたい、といった欲求もなく、ただただ「好き」でいることが幸せで、彼女が他の男子と話していると嫉妬したり(もちろん本人には言いませんが)、友人づてで「お前のことが好きらしいよ」と噂を耳にしては一喜一憂。 特に自覚していたわけではありませんが、「こんな日々が一生続けばいいな」と思っていたのかもしれません。 何かを手に入れる、ということではなく、好きだなあと思ったり、ちょっとした駆け引きがあったり、嫉妬したり、不安になったり、席替えのたびに胸が高鳴ったり、僕にとっては「それ」が恋愛の全てでした。 しかし、その調和はあるとき揺さぶられ、崩れていきます。 冬のある日のこと、彼女が、僕のことを「好き」だと告白してくれたのです。 本来なら、それは幸せの絶頂のはず。 確かに、僕も一瞬嬉しかったものの、告白を受けた途端に怖くなっていきました。 ドリカムの曲に、「好きだけじゃだめなんだ」という歌がありましたが、あの歌とはちょっと意味は違うものの、まさに「好きだけじゃだめなんだ」ということを突きつけられた日でした。 DREAMS COME TRUE『好きだけじゃだめなんだ』 結局、僕はその告白から逃げました。 僕が彼女のことを好きだということも彼女は知っていたでしょうし、もしかしたら両思いで付き合えると信じて告白してくれたのかもしれません。 でも、僕はその申し出を断りました。 告白で僕も混乱しましたが、彼女も混乱したと思います。 彼女とは、それから10年近く話すことはありませんでした。 成人を過ぎてから、同窓会で会ったときに、普通に話せてほっとしたのを覚えています。 彼女の告白によって僕の気持ちが「冷めた」というよりも、夢から「覚めた」という感覚に近いかもしれません。 現実を突きつけられ、「彼女を好き」という感情以前に「好き」そのものが遠いものになりました。 そのときの感覚や、感情の理由はうまく言葉で表現できませんが、「好きであること」は、その先の目的がなければいけないのだ、という「大人の恋愛」が当時の僕にとっては重くのしかかってきました。 付き合ったり、触れ合ったり、デートを重ねたり、記念日を祝ったり、喧嘩したり、そして、その先には結婚があって、家庭を築く。 その「目的」のための、その「ゴール」のための、始まりとしての「好き」でなければいけない、と 思うと、急速に「好き」という感情が持てなくなっていきました。 また、それは僕が、恋愛に対してプラトニックで無垢なものを求めすぎた、というのもあるでしょう。 よくリスロマンティックでは、二次元アニメのように「想像の世界」で相手のことを好きであることと「現実」とのギャップで拒絶反応が生まれる、ということも原因となりうると言われています。 僕自身の理想と現実の落差というだけでなく、彼女の理想と僕自身が知っている「僕」の現実との落差にも抵抗感を覚えたのです。 いずれにせよ、僕は耐え難くなって彼女の想いから逃げました。 本当かどうかは分かりませんが、ただ、傷つけてしまったな、という後悔もあり、余計に「好き」が怖くなりました。 それから数年して、克服したと言えるかどうかわかりませんが、徐々に「好き」という感情自体は(将来を見据えた「好き」には未だに馴染めませんし、未来を想像すると怖いことには変わりありませんが…)戻ってきました。 恋愛というのは「普通」からの逸脱なので、「普通」の恋愛、というのは矛盾のように思いますし、「克服」というのもおこがましいですが、仮にリスロマンティックの克服法を自分の経験に照らし合わせて説明するとすれば、いきなり美しい「完全」を求めないことが大切なのかな、と思います。 恋愛のゴールは、「結果」より「過程」に。 これはどんな勉強やスポーツでもそうで、だから、もしリスロマンティックや、あるいは「蛙化現象」に悩んでいる場合は、今は恋愛からいったん離れたほうがいいかもしれません。 そして、趣味など何か別のことに没頭したり、新しいことを始めてみて、結果よりも「積み上げていくこと」そのものを大切にする時間を持ったほうがいいと思います。 そしたらきっと人間同士の関係性も、恋愛も、小さな過程が大事なんだと思えるようになります。 そうして未熟者同士、お互いに傷つきながら、一歩ずつ二人だけの関係性を築いていく、その道程がなによりも尊いことだという風に思えたら、リスロマンティックも薄まっていくでしょう。

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【LGBTとは?】現状や理解するための基礎知識などを詳しく解説!

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「みんな恋愛感情を持ったからには付き合いたいもんだと思ってたわ。 でも、実際は違うんだね。 中には恋愛感情は持っていても両想いになりたいとは思わないって人が一定数いるんだね。 友達がまさかのそんな人でびっくりしたわ。 」 そうよねえ、世の中にはいろんな人がいるのよね。 オニギリス! 脱マンネリストのオニギリです! 今回もよろしゅう!! 今回の話題は「両想いになりたいと思わないリスロマンティックってどんな人達なのか?」という話です。 全ての人が恋愛感情を持ったら必ず両想いになりたいと思うだろうと思ったら大間違いなんですね。 実は、恋愛感情をもっても相手と両想いになりたいとは思わないリスロマンティックという人がいるんです。 なんか、自分がいいなと思ったとたんにそれまで仲良くしていた人が急にそっけなくなったとかいうのは相手がリスロマンティックだからかも? では、ゆるりとおおくりします。 リスロマンティックってどんな意味? さて、冒頭でお話しした通り「相手に恋愛感情をもっても両想いになりたいとは思わない」という人たちをリスロマンティックといいます。 リスロマンティックって不思議な言葉です。 だって、ロマンティックはともかく「リスってなんや?」て感じですしね。 正直、「リスってあれやん、ドングリ好きなあの可愛い動物か?」て印象を受ける人もいるかもしれないです。 さて、もう少しこの言葉について深く見てみましょう。 リスロマンティックは英語ではlithromanticと記述され、この語は「石」を意味する接頭辞lithがromanticに結合したもので、lanというタンブラーユーザーの方により作られたようです。 なので、lithromanticはstone sexual identityといわれることもあります。 なお、ここでいうstoneの意味はいわゆる俗語に相当する意味合いのようで以下のブログでそのニュアンスが語られている模様。 参考 このブログにおいてstoneについてこのような記述がありますね。 As if it was obvious, immediately legible. As if you could read our nuances embedded in that one word, instantly. As if we all mean exactly the same thing. But when we do, when we sit down with a lover and name ourselves as stone usually a bit nervously , we often say that one word as if it could hold all the parts of us not seen. Almost as if it was magic. wordpress. そしてブログに著者は、STONEが生来のものかは上掲記事の執筆時点 2014年5月9日)で不明であるとも言っています。 ブログ内では上記記述以外にも具体的に「stoneという状態」がどんな時に起こるのか、またこの状態の詳細についての記述がありますね。 どうやら、リスロマンティックという言葉はまだ学術用語としての地位を獲得しているわけではなさそうです。 なお、lithromanticは akoiromantic や apromantic とも言い換えられる模様。 余談でした。 リスロマンティックとはどんな人なのか? さて、ではここからはリスロマンティックとはいったいどんな人たちなのかを具体的に見ていきましょう。 リスロマンティックとはどの性別に対して恋愛感情を持つかに関する傾向である恋愛的指向 Romantic orientation)の一種。 また、上述したように当事者間で用いられている恋愛感情に関するアイデンティティを表す用語の一種です。 ただ、一般には性的対象と恋愛的対象の両方を含む概念として捉えることが多いという。 ちなみに性的指向と混同しやすいものとして性的嗜好がありますけど、全く別物なので注意! リスロマンティックは相手から恋愛感情を向けられることを望まない、ないし必要としません。 また、相手と相互的な関係になった際に恋愛感情が失われる人もいれば恋愛感情が失われない人もいるといいます。 そして、海外サイト「aromantic wiki」ではリスロマンティックの特徴について以下の様な記述があります。 ・Feeling romantic attraction that fades upon being reciprocated ・Feeling romantic attraction but preferring not to act on it ・Experiencing discomfort upon entering a romantic relationship with a crush ・Loss of interest in potential or actual partners when they romantically initiate ・Fantasizing about romance but preferring it only in theory, not in practice 引用 これを日本語訳してみたのが以下 不正確だったらすいもはん)。 相互的な関係になると恋愛感情が覚めてしまう• 恋愛感情を感じるがそれに従って行動はしない• 情熱的な恋愛関係になると不快感を感じる• 恋愛を始めると潜在的、ないし現在のパートナーへの興味を失う• ロマンスについて空想するものの、原則として現実的ではない恋愛を好む んー、なんかすごくプラトニックやなあ。 リスロマンティックでも恋愛はするし結婚もする リスロマンティックの人は上述したように恋愛感情を向けられることを望まないです。 しかし、それが「恋愛しない」とか「結婚しない」ということと同義ではありません。 実際のところ、リスロマンティックの人であってももちろん人によりますが、恋愛もするし結婚もするんですね。 中には両想いを望まずとも居心地の良い関係になるために交際するというケースもあるとか。 また、経済面や制度面で利益がある、ライフスタイルが一致してる等々の理由から結婚、高裁に至る場合もあるといいます。 リスロマンティックの人々は実に複雑な人間関係を築くんですね。 なお、リスロマンティックの人が相手から恋愛感情を向けられるとかえって相手のことを気持ち悪く感じるようになってしまうのは蛙化現象によるものでしょう。 もちろん、この蛙化現象は非リスロマンティックの人でも起こりますし、上述したようにリスロマンティックの人であっても起こらないこともあります。 蛙化現象について詳しくは以下からどうぞ。 おわりに この記事は「両想いになりたいと思わないリスロマンティックってどんな人達なのか?」と題しておおくりしました。 世の中にはあまり知られていないだけで実に多様な恋愛的指向の人が存在してます。 そして、さらにそこに性自認、つまり自分が男性であるか女性であるかという意識の違いまで問題となってきますね。 本当に人間って色々です。 この世界にはいろんな人がいるということを理解できると、世界は面白いんだなあっておもえるもの。 そして、いろんな人との交流を通じて人生を豊かにしていくチャンスにも恵まれますね。 いろんな人と仲良くなるチャンスをつかむため、人間について色々と理解を深めていきたいものです。 では! 参考記事等.

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