アガシと最初の結婚 ブルックは1997年に、人気テニス選手のアガシと結婚します。 (Pinterestより) 幸せの絶頂という感じだったのですが、なんと、この結婚の後アガシの方が 選手として不調になってしまい、 わずか2年で離婚してしまいます。 結婚のせいではないでしょうが、タイミングが悪かったのでしょうね。 アガシとの間に子供はありませんでした。 ブルック・シールズの現在の旦那は 離婚した1999年に、ブルックは脚本家でプロデューサーのクリス・ヘンチー氏と出会っています。 こんな美女がひとりになったら、放っておきませんよねw 出会った翌年 メキシコのバケーション中にプロポーズされて、 その翌年の2001年に再婚したそうです。 (Pinterestより) こちらは5年ほど前のブルックの50歳のバースデー記念の家族写真。 とても幸せそうですね。 (Daily Mailより) 不妊治療と産後うつに悩みながらも前向きに 夫妻はなかなか子供に恵まれず、不妊治療を受けていたそうです。 ブルックが36歳のときに体外受精を勧められ、 つらい人工授精を7回も繰り返して 「もうこれで最後にしよう」と思った時妊娠に成功し、 2003年に長女のローワンちゃんを授かったのだそうです。 さぞかしうれしかったことでしょうね。 セレブなら、代理出産や卵子提供を受けての出産も考えられましたが、 ブルックは自分の子がほしかったのでしょうね。 しかし、2005年にひどい産後うつになってしまい、 その体験を『Down Came the Rain(原題)』という自伝で赤裸々にシェアしたところ、 多くの米国女性の共感を呼びました。 そして、産後うつを乗り超えて2006年に40歳で次女グリアちゃんを出産! ブルックは3人目を強く望んでいたそうですが、 旦那さんは反対だったのだとか。 産後うつで苦しむブルックを見ていたから、 妻を思ってのことなんでしょうね。 brookeshields がシェアした投稿 — 2020年 4月月19日午前9時41分PDT グリアちゃんにモデル業を押し付けたくないブルック 次女のグリアちゃんは現在14歳。 ブルックとローワンちゃんの12歳当時の写真を並べたのがこちら。 もうモデル然とした貫禄が備わってるんですよね。 Pinterestより 3年前のインタビューでブルックは、 グリアちゃんが最近モデル業に興味を持っていると明かしていました。 でも、親からそれを押し付けたくはないのだそうです。 子供たちには年齢相応の体験をしていくことが大切で、 ある日突然とんでもないプレッシャーの元に 放り込むことはしたくないのだとか。 newidea. comより それにしても子供たち、さすがブルックの血を引いてこの年で背が高いですよね。 ブルックは身長180cm以上あるんですが、あまり変わらないですね(汗) ブルックはまだ自分の意思のない赤ちゃんの時にモデルデビューして、 気づけばキッズ界のスーパーモデル級だったのですから 子供たちには子供時代を大切にしてほしいと考えているのでしょうね。 でも、グリアちゃんが自分の意思でモデルを目指したいと決心したら、 きっと協力は惜しまないと思いますよ。 (娘のローワンちゃん、グリアちゃんと。 Daily Mailより) グリアちゃんが芸能デビューしたら話題になること間違いなしですが、 今は家族だけでそっとしておいてあげたい気がします。 ところで、ブルック・シールズの若い頃は、芸術的に綺麗でしたよね。 皇太子時代の天皇陛下もファンだったとか?! そんな若い頃のブルックの素敵な画像をこちらでたっぷりご紹介しています。
次のブルック・シールズのプロフィール 本名 クリスタ・ブルック・カミール・シールズ(Christa Brooke Camille Shields) 生年月日 1965年5月31日 出身地 アメリカ合衆国、ニューヨーク市 職業 モデル、女優 身長 183㎝ 体重 不明 ブルック・シールズの家系はスゴイです。 父親はレブロンの重役であり、ローマの銀行家であり、貴族と言われるトルトニア家の血筋を引いている方です。 一方、母親は元女優と言うことですので、両親の経歴を見るだけで、いかにブルック・シールズが高貴な方であるのかよくわかりますよね? ブルック・シールズは母親の管理のもと、生後11カ月でアイヴォリー石鹸のモデルに起用されることになりました。 しかしその後、両親は離婚してしまいますが、ブルック・シールズはアメリカでトップクラスの(No. 1と言っても過言ではない)高額ギャラを得ることとなり、まさに超売れっ子の人気子供モデルとなるのでした。 ブルック・シールズの経歴 ブルック・シールズが映画デビューをしたのは1977年のホラー映画「」ですが、主人公ではなかったようで、主人公の妹役として出演していました。 1978年には「」という有名な映画で、なんと12歳の娼婦役を演じてかなり話題になりましたね。 このルイ・マル監督の「プリティ・ベビー」で一躍スターに躍り出たブルック・シールズは、15歳の時には、ジーンズのCMモデルにも起用されました。 このジーンズはかの有名なカルバンクラインのジーンズですので、当時ブルック・シールズがいかに人気者であったのかわかります。 1980年には「」、1981年には「」と立て続けにヒットを飛ばし、映画界に貢献しました。 作品にも恵まれ、世界的に人気を呼んだ女優であり、いわゆる美人の代名詞にもなりました。 その人気振りはかなり白熱したものでした。 20歳の時にエッセーを出されておられますが、ご存知でしょうか?タイトルは「」ということですが、ちょっとベタなタイトルのような気もしますが、ブルック・シールズの真面目さがにじみ出ているような気がしますね。 プリンストン大学在学中にはフランス文学を専攻していたそうですが、真面目な学生生活を送られていたとは思いますが、1987年卒業時までに 一人の俳優とお付き合いを続けていたようです。 という俳優です。 1997年4月19日には、という男子プロテニスのスーパースターと結婚。 結婚までに4年ほど交際期間がありました。 交際開始から結婚に至るまである程度お付き合いされている期間がありますので、お互い結婚には慎重だったということでしょうか? しかし、その当時のブルック・シールズはテレビのシリーズもの、「 ハロー・スーザン」(Suddenly Susan)に出演しており、大人になってからはあまりパッとしなかった女優業の方も、再び盛り上がりを見せてきた頃でした。 ところが、アガシ選手の方は不調続きとなり、テニス生命が危ぶまれるというところまでひどくはなくても、徐々に下降気味になっていったのでしょうね、、、最終的には、アガシとは 1999年4月に離婚することとなり、結婚生活は2年しか続かなかったということです。 アガシと離婚後、2001年にはさっそく次のお相手が見つかりました。 というテレビ・プロデューサーとこの年の4月、再婚しました。 この頃、「 ワンダフル・タウン」というバーンスタインのミュージカルの主演を務めましたが、これがなかなか好評だったようです。 ブルック・シールズは2003年に ローワン(長女)を出産したのですが、その後、うつ状態になっていたことがあるそうです。 抗うつ剤の パキシルという薬を使ったことを公にしたブルック・シールズは、俳優の トム・クルーズに名指しで批判されたという話もあります。 この批判がきっかけで、トム・クルーズの人気や評判は下がる結果となってしまったようですが、ブルック・シールズにしてみれば、いわれのない中傷と言えます。 しかしその後、トム・クルーズの方から謝罪をし、ブルック・シールズとの仲は元通りに修復できたようです…不思議なことに、ブルック・シールズの二女の グリアとトム・クルーズの二女は同じ日に同じ病院で誕生したそうですので、お2人には何か因縁めいたものも感じます。 ブルック・シールズは 故マイケル・ジャクソンとも仲が良く、2人は子供の頃から付き合いがあったとのことです。 2009年のマイケルジャクソンの追悼会においては、ブルック・シールズが涙を見せてスピーチをする姿が全世界に配信されました。 ブルック・シールズと言えば、 親日家でも知られ、日本でもCMでよく登場することもありました。 珍しいところでは、フジテレビの「 新春スターかくし芸大会」に参加し、和太鼓の演奏にチャレンジされていたこともあります。 当時皇太子、現・天皇陛下もブルック・シールズのファンであると公言されていましたし、実際の交流もあったようです。 ブルック・シールズの豊胸施術疑惑 ブルック・シールズの少女時代はそれはそれは美しかったですが、彼女のバストが今すごいことになっています! 現在、53歳のブルック・シールズの胸があまりに大きくなっているので、豊胸したのではないか?という疑惑が浮上しているのです。 アメリカのテレビ番組エクストラに出演の際、ブルック・シールズは長いロングヘアを下したスタイルで、深緑のノースリーブでボディコンシャスのワンピース、靴はヌードカラーのパンプスといういでたちで、スタイル抜群の彼女にはとても似合ってはいたのですが、爆乳を強調するかのような衣装はかつてのブルック・シールズのイメージとはかなり違っており、不自然さが感じられます。 ブルック・シールズのイメージは凛とした知的な美しさなので、爆乳の胸部を強調したり、セクシーさを売りにするような装いはあまり似合わないのではないかと思うのですが、これも人それぞれの好みですので、ボディコンで胸を強調したような服装も好きだという男性も多くいるでしょう。 もともと美少女を売りに人気絶頂となったブルック・シールズですが、加齢とともに顔や体がややごつくなっていると思われている節もあるようです。 肉体的に男性化したような感じと、顔をいじったかのような整形疑惑も浮上し、話題となった時期もありますが、その時のブルック・シールズの顔や体型は本当に別人のような感じでした。 現在は、顔は以前のような美貌に近くなっておりますが、体の方はマッチョ感が依然漂い、しかも、豊胸施術疑惑が持ち上がるほど爆乳化していますので、久しぶりにブルック・シールズを見た人は驚くかもしれません。 ブルック・シールズに限らず、元祖スーパーモデルと言われるも最近はのような見た目であると噂されており、更年期を境に女優もモデルもマッチョ体型になり、見た目が男性化するのは避けようがない現実なのかもしれません。 最後までお読みいただき、有難うございました。
次の2度にわたる結婚、離婚、不妊治療、産後うつ病など経験したブルック・シールズさん ブルック・シールズさんは、本名をクリスタ・ブルック・カミール・シールズ(Christa Brooke Camille Shields)といい、アメリカ合衆国ニューヨーク市出身のモデル、女優です。 そんなブルック・シールズさんの人生は結婚・離婚、不妊治療、そして流産という壮絶な人生であり、第一子の出産後には産後うつになってしまい、自殺を考えたそうです。 ブルック・シールズさんの経歴、芸歴は? ブルック・シールズさんは、レブロンの重役で、ローマの銀行家・貴族のトルトニア家の血を引く父親(イタリアの公爵・メディチ家の血を引く)と、元女優の母親の下に生まれました。 そして、母親のマネジメントで、わずか生後11か月歳の時にアイヴォリー石鹸(Ivory)のモデルに起用され、その後に両親は離婚し、ブルック・シールズさんはアメリカで一番の高額ギャラを得る人気子供モデルとなります。 ブルック・シールズさんの父方の祖父であるフランク・シールズさん(1909年 — 1975年)は、1930年代前半に活躍して国際テニス殿堂入りしたほどのテニス選手です。 その後は、1930年代後半に3年間ハリウッド俳優としても活動した人物でした。 フランク・シールズさんの2番目の妻(ブルックの祖母)の兄にあたる第5代チヴィテッラ=チェシ公アレッサンドロ・トルロニアの妻のベアトリス・デ・ボルボン・イ・バッテンベルグは、スペイン国王フアン・カルロス1世の伯母です。 そのため、血縁関係こそ無いものの、ブルック・シールズさんはスペイン王家とイギリス王家の遠縁にあたることになります。 また、父方の曽祖父の第4代チヴィテッラ=チェシ公マリノ・トルロニアはアメリカ東部の上流階級の女性と結婚したが、その女性の兄弟の孫が女優のグレン・クローズさんです。 元々このトルロニア家は、18世紀にフランスのオーベルニュ地方で枢機卿をしていた人物の給仕係として、ローマに連れて来られたフランス人の貧しい元農民を始祖としています。 そして、その人物の息子や孫がローマで実業家・銀行家に転身して大成功したことで、18-19世紀にかけてローマとヴァチカンを支配することになった成り上がり者の一族ですが、婚姻を通じて中世からローマを支配した名門貴族のオルシーニ家・ボルゲーゼ家と親戚になったことで、彼らを通してメディチ家・エステ家・旧イタリア王家のサヴォイア家とも遠戚になりました。 また、父親の再婚相手の前夫はアメリカの名家オーチンクロス家出身なので、この家を通して作家のゴア・ヴィダル・ジャックリーン・ケネディさんとも系譜が繋がっています。 ホラー映画「Alice, Sweet Alice」で主人公の妹役で映画デビュー ブルック・シールズさんは1977年、ホラー映画「Alice, Sweet Alice」で主人公の妹役で映画デビューし、1978年にはルイ・マル監督の「プリティ・ベビー」で12歳の娼婦を演じて、大きな話題となりました。 15歳の時にはカルバンクラインのジーンズのCMに起用されましたが、年少にしては悩殺的な演技が問題となったため、CBSは放送中止にしました。 ブルック・シールズさんは、1980年の「青い珊瑚礁」や1981年の「エンドレス・ラブ」などにより、世界的に人気を集め、美人の代名詞とされるようになり、また、20歳の時にはエッセー「私のライフ・スタイル」を出版しました。 プリンストン大学では仏文学を専攻しており、1987年に卒業しましたが、学生時代には、俳優のディーン・ケインさんと交際していました。 ブルック・シールズさんは1997年4月19日、男子プロテニス選手のアンドレ・アガシさんと4年間の交際を経て結婚しました。 当時のブルック・シールズさんはテレビ・シリーズの「ハロー・スーザン」に出演中で、成人後低迷していた女優業は再び充実してきていたところでしたが、アガシさんのテニスは不調に陥ってしまい、結局、2人は2年後の1999年4月に離婚しました。 ブルック・シールズさんは、アガシさんとの離婚後、2001年4月にテレビ・プロデューサーのクリス・ヘンチーさんと再婚し、最近においては、バーンスタインのミュージカル「ワンダフル・タウン」の主演などがあり、好評を博しました。 ブルック・シールズさんは2003年に長女(ローワン)を出産しましたが、前述の通り、その後はうつ症状になりました。 ブルック・シールズさんは、抗うつ薬のパキシルを使用したことを公表しましたが、2005年5月にサイエントロジー信者であるトム・クルーズさんがこれを名指しで批判しましたが、このトム・クルーズさんの発言はいわれのない中傷であり、そして彼の評判を下げる結果となりました。 ただ、ブルック・シールズさんは、後日トム・クルーズさん自身から謝罪を受け、2人の仲は回復しており、奇しくも、ブルック・シールズさんの二女(グリア)とトム・クルーズさんの二女(実子)は同日に同じ病院で誕生しました。 2回目の結婚後、中々子宝に恵まれなかったブルック・シールズさんは不妊治療として体外受精を行ったそうなのですが、その回数は7回にも及んだそうです。 人工授精などとは違い、母体への影響も大きい体外受精を7回も行ったのはとても大変だったはずで、しかも結果的に高齢出産ですから、ブルック・シールズさんへの心身への負担は相当のものだったのではと思われます。 また、その体外受精を行っていく中で、ブルック・シールズさんは流産も経験しました。 そのことからブルック・シールズさんの心のストレスは限界まで達してしまっていたのです。 そうして、めでたく38歳の時に第一子が生まれるも、今までの負担が一気に解放され、心のバランスが乱れてしまったのか、産後うつになり、自殺を考えるまでになってしまったのです。 しかし、そんなブルック・シールズさんを支えてくれたのは旦那さんでした。 旦那さんの支えによってブルック・シールズさんは快方に向かい、40歳で第二子を授かるところまで心身が回復したのです。 現在では、50歳を超えた年齢となっているブルック・シールズさん。 2度にわたる結婚、離婚、不妊治療、産後うつ病など、色々なことがあった今までの人生でしたが、結果的に子供と旦那に恵まれましたので、素敵な人生だといえるのではないでしょうか。
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