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新年おめでとうございます

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あすびよ

超マイナーな本BBSに訪れてくださるみなさまの本年のご多幸をお祈りいたします。 そして、大森さんにはぶじ試験を終えられるよう、木精のマジックパワー(?)もお送りしておきましょう……エイッ! 本年も、旧年にまして超マイナー路線をばく進する所存ですので、ご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。 本BBSは、イチゲンさんの訪問お断りではなんらありませんが、定期的に、継続して書き込んでくださる方の新規参加を歓迎いたします。 同じ宗教といっても、関心のありかが大森さんや私とは異なっていてもさしつかえありません。 少なくとも、そのお話に耳を傾けて自分なりのお返事を差し上げることだけはお約束させていただきます。 神学論争をしたり、何らかの結論を出すことは目指しておらず、異教間の対話それ自体を目指しているつもりです。 昨年12月、私より若いご母堂を病気で亡くされたフィギュアスケーター、浅田真央さん。 母危篤の報を受け、カナダから、大会への出場を急遽キャンセルして帰国しましたが、間に合いませんでした。 ただ、葬儀から幾日もたたないクリスマスの全日本選手権には出場し、みごとに優勝を果たしました。 メンタルな要素の強いこの競技で、ご母堂の死を乗り越えて自分の演技をすべり切ったことは、まことに感嘆に値します。 昨年8月、私はこの氷上の舞踊家についての小文をここで書きましたが、その後、フィギュアスケートの映像を努めて見るように心がけてきました。 ようやく6種類のジャンプが見分けられるようになってきたところです。 ことしは、この競技についての感想をまた何か書ければいいなと思っています。 昨年の小文を書いた時点では全然知らなかったのですが、浅田真央さんて、単に傑出したスケーターであるばかりでなく、人気スポーツ選手の枠をはるかに超え出た、国民的なスターだったんですね。 彼女は今21歳、この21年間で、あいにく私は我が家で計21時間ほどしかテレビを見ていないため、去年の夏まではお名前しか存じ上げませんでした。 国民的なスターの存在を知らないというのは、ギルティですね。 昨夏、私は彼女を「日本を象徴する女神のようだ」と書きましたが、その後、彼女をまさに女神としてあがめるファンが大勢いらっしゃることを知って、びっくりしました。 真央さんを崇拝することだけを目的とするブログが無数にあるんですよ。 それも、これはほとんど宗教現象ではないかと思わせるほどのものが…… ことし、私は、現代日本宗教論として浅田真央さんについて書くことになるかもしれませんね。 それにしても、ほんとうにお美しい。 さて、女っ気のぜんぜんない、バンカラな大森さんの文章の反動でしょうか、なぜか私は女性について書きたくなってしまいます。 「沖縄のことばが日本語とは独立した言語であるなら、木精はなおも沖縄を、なぜメインテーマにするのか?」とのご下問を大森さんからいただきました。 これ、ちょっとバカみたいなお答えをすることになって恐縮なんですが、私の場合、関心を持つという以前に、沖縄を愛しているんです。 沖縄の女性たちを愛しており、彼女たちの歌と踊りを愛しています。 沖縄の男たちに対しても、ほとんど、あこがれの思いを持っている気がします。 それは高尚な愛でもなければ、かといって低俗な愛でもなく、とにかく愛してしまっている自分が今ここにいるというのが私の出発点です。 沖縄は「原日本」なのか、それとも日本とは別の独立国なのか、それは私にとって後からやってくる二義的な意味づけにすぎません。 それが日本であるから愛するとか、日本でないから愛さないといった話ではないんです。 それが日本であろうがなかろうが、愛するものをより一層深く愛したいという単純な動機しか私は持ち合わせていません。 とにかく、そこに沖縄があって、愛さずにはいられない、それだけです。 そして、浅田真央さんは沖縄の人ではありませんが、これまた彼女を愛さずにはいられない自分がまず初めにありきです。 ミーハーなんですね。 さて、沖縄に固有の文字体系はありません。 中国との外交関係の中で朝貢貿易を営んできた琉球国は、当然のことながら公用文書を漢文で書いていますが、日本から移入された平仮名も多数混用されています。 ただ、琉球国時代の文学については、琉球語の発音を写すのに便利な日本のかな文字が中心に用いられています。 例えば、琉球王府が16~17世紀に編集した歌謡集『おもろさうし』(岩波文庫上下巻)は、わずかな漢字を交じえながらも全編が平仮名表記されており、第1巻の巻頭の歌は次のように表記されています。 (赤字が本文。 その下は訳。 右は原本の印影。 原本の平仮名には、漢字を仮名表記に用いるいわゆる変体仮名が含まれているので注意。 ) きこゑ大きみぎや (太陽神が憑依した)聞得大君(=王国最高の神女)が おれて、あすび、よわれは (この地に)降りて(神遊びを)遊びよわれば(し給うたからには) てにが、した、 天が下(を、国王は安らかに) たいらけて ちよわれ 平らげて(=治めて)ちょわれ(=ましませ) とよむせたかこか 鳴響(とよ)む霊力(せ)高子(だかこ=聞得大君)が しよりもりくすく 首里杜(の)聖地(ぐすく)(に降りて神遊びをいたしましたので) またまもりくすく 真玉杜(の)聖地(ぐすく)(に降りて神遊びをいたしましたので) 1行目の末尾「ぎや」が典型的ですが、これは日本語の助詞「が」です。 ところが、首里の発音では gya に近かったのでしょうね。 その発音に近づけるため、「ぎや」と仮名表記されていますが、実際には助詞の「が」です。 岩波文庫版を校注された外間守善(ほかま・しゅぜん)先生は、この歌について、「太陽神に成り変わった聞得大君が、国王に国を治める霊力を授ける国家的儀礼のおもろ」と注記されています。 その国家的儀礼が、王の即位式1回限りのものだったか、毎年恒例で行われていたのかはわかりませんが、その儀礼の中でこの歌が歌われ、(王の妹または妻である)聞得大君がその歌に合わせてお城の中の聖域で舞い踊るとき、太陽神が聞得大君に乗り移ってきて、その太陽神の霊力が、聞得大君の歌と踊りを通して国王に賦与されます。 そして、国王はその霊力をもとにして、天の下を平和に治めることができるのだと歌われています。 つまり、沖縄の人気歌手、南沙織さんがミニスカート姿でニコッとほほ笑みながら「17才」を歌うと、それを聴いていた男の子たちがたちまち元気になるのと全く同じなんですね。 5行目の「 せ」=霊力が、聞得大君(南沙織さん)から、琉球国王(少年たち)に受け渡されるのです。 とはいえ、現天皇に琉歌(8・8・8・6の30音の沖縄の定型歌)を進講なさった外間先生は、そのようにはおっしゃっておられませんが……。 また、沖縄には漢字や仮名以外に、民衆がじぶんたちでこしらえた原始的な絵文字や数字もありました。 そして、藁算(ばらさん:藁を結ぶ本数や形で数をあらわす)という計数法はなくてはならないものだったようです。 (下の図版が藁算と絵文字) 上の絵文字は日本最西端の与那国島で明治時代まで用いられていたものです。 私の直感では、これらの絵文字は物流(租税の貢納を含む)との関係を深く持っているように感じられます。 藁算に限らず、これらの絵文字もまたその背後に物資の流通・交易が予感されるのです。 いささか唐突な連想と思われるかもしれませんが、この絵文字を見ていて私が思い出すのは、韓国・北朝鮮の民と沖縄の民との交流の深さです。 日本という国家がこの地域へ張り出してくることによって、それ以前のこの交易圏が隠ぺいされ、破壊され、また消滅していったことは高い蓋然性をもって推論されます。 ただ、やや強引なこの連想には、浅田真央さんのライバルと目され、バンクーバー冬季五輪で彼女が銀メダルだったときに金をとった韓国のキム・ヨナさんのことを、日本の真央さんファンがとても悪く言うことが影響しているかもしれません。 反キム・ヨナ感情と、保守的な日本人の間で高まりつつある嫌韓感情とが結びついて、真央さんファンがあまたのブログで韓国・北朝鮮を悪く言い過ぎることに、正直なところ、私は胸を痛めています。 ご存じのとおり、韓国の反日感情の強さはハンパなものではありませんが、それに反発して嫌韓に走ってしまうのではなく、真正面からこの反日感情を解いていく努力を日本はすべきだというのが私の揺るがぬ立場です。 その点、私は、世の多くの「真央信者」たちと同一歩調に立つことはできません。 民族的に異質であっても、文化交流の上では深い関係を持っていた琉球・日本・朝鮮の関係が思い出されるべきです。 さて、また、弥生時代後期、沖縄沿海で採取されたゴホウラやイモガイといった大きな貝は、沖縄で原加工を施された半製品の形で現鹿児島県に運ばれています。 薩摩の住民たちはそれを腕につける宗教的装飾品の貝輪として完成させ(右写真)、それが九州北部を経由して本州に運ばれています。 弥生時代の墓地ばかりでなく、近畿地方の大古墳からもこの沖縄原産・薩摩加工の貝輪が多数出土していますし、北海道の釧路地方からもこの沖縄原産の貝輪が出土しています。 ちなみに、クシロという語は貝輪の意味だそうです。 すなわち、弥生時代に、すでに沖縄から北海道にまで到達する貝輪の流通ネットワークが成立していたのです。 私が、この美しくてじつに見事な貝輪からぼんやりとイメージするのは、「大域言語」と「小域(土着)言語」とのゆるやかな二重言語状態です。 少なくとも、沖縄本島の船乗りたちは薩摩の人間と会話ができるだけの大域言語を持ち、薩摩の人間は九州北部の人間と会話できるだけの大域言語を持ち、九州北部の人間は……そうやって、弥生時代にはすでにそうした大域流通の言語と土着言語との多重化が生じ始めていたのではないか? 日本語なら日本語という単一の言語を古代日本に想定するのは、現代における言語のありようを古代に投影してしまうアナクロニズムではないのか? そんな思いが(暴風のように)胸をよぎります。 そして、さらに想像を膨らませますと、沖縄の古謡の基本をなす対句構造は、実は、大域言語と小域言語で同じ意味の語彙を対句化しているのではないか、対句は、大域言語を知らない人がそれを覚えるための単語帳の機能を持っていたのではないかという、以前から私が抱いている「妄想」と深く結びついてくるのです。 ヘブライ語聖書の対句構造も同じことだと思われます。 言いかえるなら、 対句とは、2つの言語を重ね合わせる技法なのです。 日本語の「わたし」と英語の「I (アイ)」を並列させて対句化すること、それは今日の日本の若者たちが普通に歌っている歌詞そのものではないでしょうか? 宮古島の狩俣神歌、大森さんにも伝わるところがあった由、いささかほっとしています。 あのような神歌にシンパシーを感じるのは私ぐらいしかいないのでは? との心配を常々していたためです。 リーディングをとりあえず終えた「ヤーキャー声」は、実は、その枕の部分をなす神歌が別にあって、それとセットになることで一つの歌とみなされています。 そちらのリーディングも行った上で、「神の一人称」についてさらに考えていきたいと思っています。 【沖縄関係図版の出典】 (掲載順) 仲原善忠・外間守善編『校本おもろさうし』(1965年 角川書店) 沖縄大百科事典(1983年 沖縄タイムス社) 笹森儀助『南島探検』(明治27年刊 国書刊行会 1971年) 木下尚子『南島貝文化の研究・貝の道の考古学』(1996年 法政大学出版局).

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『おもろさうし』における動詞の活用(三)

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琉球最古的歌谣集。 探究古代琉球历史、民族、宗教、语言的重要资料。 凡22卷。 歌谣主要以平假名书写,亦混杂少许汉字。 为短自2行、长及40行的韵文,广泛地采用对句,此被认为是琉歌的源流。 包含大量现今未被使用的琉球古语。 《お母ろ御さうし》目录: 第一:きこゑ大きゞがおもろ,首里王府の御さうし,嘉靖十年; 第二:中城越来おもろ,首里王府の御さうし,万暦四十壱年五月廿八日; 第三:きこゑ大君かなし,おもろ御さうし,天启三年癸亥三月七日; 第四:あおりやゑさすかさの,おもろ御双纸,天启三年癸亥三月七日; 第五:首里天きやすへあんじおそいがなし,首里おもろ御さうし,天启三年癸亥三月七日; 第六:ゑより大君、せんきゞ、君がなし,もゝとふゞあがり,きゞのつんしのおもろ御双纸,天启三年癸亥三月七日; 第七:首里天きやすへあんじおそいがなし,はひのおもろ御さうし,天启三年癸亥三月七日; 第八:首里天きやすへあんじおそいがなし,おもろねやがり,あかいんこがおもろ御双纸,天启三年癸亥三月七日; 第九:首里天きやすへあんじおそいがなし,いろ/\のこ祢りおもろ御双纸,天启三年癸亥三月七日; 第十:ありきゑとのおもろ御さうし,天启三年癸亥三月七日; 第十一:首里ゑとお母ろ御さうし,天启三年癸亥三月七日; 第十二:いろ/\のあすびおもろ御さうし,天启三年癸亥三月七日; 第十三:舩ゑとのお母ろ御さうし,天启三年癸亥三月七日; 第十四:いろ/\のゑさお母ろ御さうし,天启三年癸亥三月七日; 第十五:首里天きやすへあんじおそいがなし,うらおそいきたゝんよんたむざおもろ御さうし,天启三年癸亥三月七日; 第十六:首里天きやすへあんじおそいがなし,胜连具志川おもろ御さうし,天启三年癸亥三月七日; 第十七:恩纳より上のおもろ御さうし; 第十八:首里天きやすへあんじおそいがなし,志ま中おもろ御さうし,天启三年癸亥三月七日; 第十九:ちゑ祢んさしきはなぐすく,おもろ御さうし,天启三年癸亥三月七日; 第二十:くめすおもろ御さうし,天启三年癸亥三月七日; 第廿一:くめの二まきりおもろ御双纸,天启三年癸亥三月七日; 第廿二:みおやたいりおもろ御双纸。 又、とよむせだかこか。 又、ゑよりもりくすく。 又、まだまもりくすく。

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