『男はつらいよ』のシリーズでも、吉永小百合さんの演じた歌子さんのマドンナの作品が好きだった。 それで歌子さんの気持ちで歌言葉にしてみました。 そう友達と旅行の時かな 北陸の街にあなたはいたの ただ楽しくて 笑ってた そうあの時 悩んでたの 彼との結婚とか父のこととか でも あなたといると とても素直に要られたの 私が何かを決めて 前に進む時に そう寅さんあなたがいつも いつも背中を押してくれる それから何年も経ったある日 私は彼を亡くして 生きる希望すら失いかけてた 津和野の彼の実家にいた時 寅さんあなたが突然に 目の前に現れたの とても驚いたけど とても嬉しかったの 寅さんと話してたら いつしか迷いも消えてた そして一人で歩いて行く そんな勇気がもらえたの あれから私も頑張ったよ 小さな島で子どもたちと 走り回り 保育士として ここまで生きてこられた もう何十年も経ったのね また会いたいなぁ いままでのこと いっぱいあなたに話したい 私が何かを決めて 前に進む時に そう寅さんあなたがいつも いつも背中を押してくれる ねえ 寅さん あなたに会いたいの またぶらっと ここに来てくれないかな 寅さん いま 何処にいますか あなたとまた会えますか あゝあなたに会いたいなぁ あゝ寅さんに会いたいなぁ 歌子より 寅さんへ 〜よっさん〜 池之内画伯がスケッチブックに描いた落書きを売って、とら屋に残した7万がありました。 後日さくらさんが、わざわざ画伯のご自宅まで出向き返却されていました。 返却されたのは、画伯ご自身が食されたうな重の代金の残金となる6万数千円であろうと思われます。 でも、相手は日本屈指の... 大画伯、さらにはとら屋さんが被った迷惑料その他と割り切れば、別に無理してお返ししなくてもいいのでは、と私は思うのですが・・・。 同じようなことが、22作でもありました。 旅先で、博さんの父上のお財布から、寅さんが帰りの汽車賃を拝借したようでした。 でも、それもさくらさんから後日お返しされていました。 ほっとする一瞬です。 車家の方々は本当に律儀です。 これが首尾一貫とした山田監督のお考えなのですね。 初めて男はつらいよを観たのは、ハイビスカスの花らしいのだが、リアルタイムでの記憶には無い。 勿論、今では全作(アニメ版、ドラマ版も含む)視聴済み。 その中で一番は中々難しいが、やはりこの作品は、完成度がずば抜けている。 おそらく五指に入るくらいに。 備中高梁を舞台に、寺と... 寅をかけたのかは分からないが、坊主になった寅さんが騒動を巻き起こす。 なのに何故か爽やかな視聴感になる。 それこそ、ある意味理想の映画ではないだろうか?映画史に残るような銘作は、そのような作品が多い。 だから男はつらいよが半世紀も愛されているのだろうし、新作も作られるのだろう。 寅さん、ありがとう。 当時 母親を亡くしたばかりで 落ち込んでばかりはいられないからと父親が映画に誘ってくれました。 当時私が観たかった流行りのアメリカ映画と ハシゴで観たこの映画。 大画面で繰り広げられる笑いと温かさに包まれ なんとも ほんわかとして... 映画館を出たものです。 帰りに 父親が 寅さんの湯の平荘での焼香のシーンなど 面白かったなぁと笑って何度も話してた事を思い出します。 その五年後にその父親も亡くなり、懐かしさも相まって 寅さんの作品を観るようなり、ほぼ全作ハマってしまいました。 今では2人の息子も大ファンです。 寅さん作品を観るたびに 懐かしい故郷に帰ったかのような なんとも言えない温もりと元気を貰っています。 人としての道理や優しさ、家族愛、今の時代だからこそ 若い人たちにも観てほしいと思える作品ばかりです。 この花も嵐も寅次郎は、若き日の沢田研二さん演じる親孝行の三郎青年と田中裕子さん演じる蛍子ちゃんの恋愛模様と2人を応援しつつ蛍子ちゃんに想いを寄せる寅さんをユーモラスの中にもせつなさが盛り込まれ た作品です。 また九州大分、別府の湯けむり風景が 素晴らしく旅情感満載です。 笑いあり涙ありの最高な寅さん。 これからも ずっとずっと大好きです。 寅次郎の深さというか、愛というか、アメリカ嫌いだった寅次郎が最後にマイコーへ伝えたセリフに心が打たれます。 どれだけ己の境遇が不幸であろうが、愛するひとと結ばれない悲しみを背負っていようが、困っているひとや落ち込んでいるひとを見たら自分そっちのけで放って置かないのが寅次郎。 その言葉... はなんの根拠も無いはずなんです。 けれども、寅さんに励まされたら思わず笑みがこぼれちゃうくらい粋でカッコいいんです。 「いいか、へこたれるんじゃないぞ。 今にきっといい事あるからよ。 おめえなら幸せなれるからよ。 」 って。 誰にでもそんな風に励まして、元気づけてくれる寅次郎。 さくらにフラれたマイコーを気遣ったラストが忘れられません。 いつまでも心響いてます。 そんなひとを側で感じられる思いでした。
次の「渥美さんは2~3本前の(48作目から前の)『寅さん』から本当につらそうでした。 「本番!」の声が掛かると、一所懸命気力を振り絞って芝居に望みましたが、待ち時間やテストの間、私に向かってしんどそうに、「俺、もういいよ」なんて、何度も力なく言ったりしました。 山田さんも(山田洋次監督)ハラハラしながら、そんな渥美さんを見守っていたと思います。 倍賞千恵子「お兄ちゃん」廣済堂出版より引用。 ()で補足説明。 第47作「男はつらいよ 拝啓車寅次郎様」でのロケで滋賀県長浜に2週間滞在した最終日での自身も俳優をする傍ら、渥美清の付き人をされていた篠原靖治さんとの風呂場での会話の一部。 渥美「そうだな、でもな、シノ、おれはもうできないぞ」 渥美さんがポツンとそう言うんです。 篠原「どうしてですか」と尋ねても。 渥美「いやぁ、もうできない。 おれはできない」 低い声でそう繰り返すんです。 それからちょっとした間がありました。 篠原「困りますよ、渥美さん、私だって生活かかってるんです。 渥美さんが出来なくなっちゃったら、私も困りますよ」 私がわざと冗談めかして言うと、突然、渥美さんの声の調子が変わって。 渥美「でもな、シノ。 おれはガンなんだヨ!」 おどけたような高い声で言うんです。 一瞬、背中を流す手が止まりました。 身体がふつうではないのは、しばらく前から気づいていました。 しかし、まさかガンとは・・・そんなはずはない、きっと何かの間違いと思いながらも、思わず声が詰まっていました。 篠原靖治「生きてんの精いっぱい」主婦と生活社出版 より一部引用 渥美清さんが自身がガンである事を家族以外に打ち明けたのは、自分に近く、自分と同じC型肝炎であった篠原さんだけだったようです、渥美さんと篠原さんとの会話にも出てきますがC型肝炎を発症すると、動くのも嫌になるほど途轍もなく疲れると、お互いの体調を語りあっています、ですから渥美さんの体調不良の初期はC型肝炎による肝臓のダメージから来る極度の疲れ、そしてガンが肺に転移とありますのでC型肝炎の悪化から肝臓ガン、そして最後には肺に転移したということだと思います、渥美さんは若い頃、結核で生死をさまよい片方の肺を切除してますから、ガンの肺転移は致命的だったと思います、渥美さんの周囲もわかる体力低下は、1989年8月公開 第41作「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」以降でしょう、1989年12月公開 第42作「男はつらいよ ぼくの伯父さん」で満男の恋をメインにした脚本になったのは渥美さんの体力を考えた負担軽減の為の映画作りですからね。 渥美清さんが亡くなったのが1996年8月4日68歳です、遺作である第48作「男はつらいよ 寅次郎紅の花」1995年12月公開。 最後まで自身の病状を隠し続けた壮絶な役者魂には頭が下がります、今でこそ有名人がガンを公表することはありますが、当時のガンの世間一般のイメージは「死」公表したり、何処かに情報が漏れれば確実に「男はつらいよ」は終了です、ガン患者を無理やり映画に出すなんて酷いと世間の批判を浴びるのは分かり切っています、それに人情喜劇である「男はつらいよ」です、ガンを公表した人が主役である映画を笑って見られる人も居ません、そして渥美さんが映画に出続けた最大の理由はファンが待っている事、それと「男はつらいよ」は松竹を支えたドル箱映画であり、山田組の撮影スタッフも毎年の「男はつらいよ」で生活している、ほとんどの映画撮影スタッフは臨時雇いのようなものですから映画が終われば失業です、渥美さんは映画出演を辞めても経済的には困りませんが、松竹という会社の利益はともかく、長年一緒に映画を作ってきた肉親のようなスタッフ達が経済的に困るだろうという優しい心遣いもあったと思います。
次の出典:映画「男はつらいよ」 <御前様 笠智衆さん の腕の中で、気持ちよく寝ている満男役の赤ちゃん> 1969年6月撮影当事、縁があって3月に生まれたばかりの赤ちゃんに出演依頼がやって来たのです。 その赤ちゃんは1969年3月15日生まれで、お名前は石川雅一さんと言います。 「男はつらいよ」ファンの私も見落としていました! 当初予定シーンは、御前様 写真中央の笠智衆さん が満男を抱っこして、寅さんからの葉書を見ている源ちゃん 佐藤蛾次郎 を叱るシーンで、御前様の声「こら!」に反応して抱っこしている満男役の赤ちゃんが泣くという予定でした。 しかし撮影直前にお乳を飲んだ満男役の赤ちゃんは、御前様に抱かれながら寝てしまい泣くことが出来なかったようです。 「男はつらいよ」の満男役の俳優さんは3人だとばっかり思っていて、最後のシーンに満男役が初登場するシーンが赤ちゃんの時からあったなんて気が付きませんでした。 Sponsored Link 満男の大学は何処?満男は結婚はしたのか? 満男の大学 満男役が吉岡秀隆さんになり、16作目の では、浪人生だった満男が、では大学に合格しています。 大学生になった満男は大学が自宅から遠いので下宿を望んでいました。 満男が勝手に下宿先を見つけ、両親に相談もせずに引越を計画しているシーンがあります。 このシーンから満男が浪人生活から、大学に合格して大学生になっていたことが分かります。 では満男のマドンナ泉ちゃんが、母親の入院のために東京駅から名古屋へ突然旅立つことになった時、さくらが満男の大学へ連絡した時に大学名が判明します。 満男が東京から八王子まで通っていた大学は 『城東大学の経済学部経営学科』でした。 満男がさくらからの電話連絡を受けて、八王子から泉ちゃんが待つ東京駅まで大急ぎで向かいます。 新幹線の出発間際に到着して、無事に泉ちゃんを見送る事が出来るのですが、このシーンは「男はつらいよ」では珍しくハラハラドキドキするシーンで、満男のほろ苦い青春ドラマが展開していました。 満男は結婚はしたのか? 満男役にもマドンナ 「男はつらいよ」は、主役の寅さんにマドンナが現れ、恋心を抱いてそして寅さんが失恋するのが定番ストーリーですが、実は寅さんの甥っ子の満男にもマドンナが現れていたのでした。 満男役が吉岡秀隆さんになってからマドンナが現れます。 泉ちゃんと菜穂ちゃんの2人です。 菜穂ちゃん役は牧瀬里穂さん、泉ちゃん役は後藤久美子さんです。 tora-san. 泉ちゃんの父が不倫で母と別居するなど、家庭が少々複雑で全体的に明るさに欠けるので、満男とはそんなにも相性はよくない気がします。 満男役は何だかんだ言っても明るくて屈託がなくて、いざという時にリードしてくれるくらいの強い女性がいいと思います。 菜穂ちゃんはナヨナヨしている満男にはぴったりではないと私は思います。 もちろん、泉ちゃんとは から4作品連続で付き合った長い歴史があるし、満男を一番必要としているのは菜穂ちゃんよりも泉ちゃんなのは言うまでもないのですが、やはり「お似合い」というのは何ものにも勝つと思います。 恋愛に不器用な満男 では泉ちゃんは名古屋から上京し満男に、見合いして結婚するか悩みを相談するのですが、満男はそれは良縁だと結婚を勧めてしまいます。 満男は本心と異なる事を行動してしまいます。 その後、泉ちゃんが満男の真意を正して、満男は泉ちゃんへ「愛している」と叫び、一件落着します。 でも結局、満男の結婚は実現できずに「男はつらいよ」は最終作を終えてしまいました。 ナヨナヨしている満男は、寅さんに似て不甲斐ないくらい恋愛が下手です。 でも男は本心とは反対の行動をついつい取ってしまいませんか?好きな女の子にいたずらをしたり、話しかけられても知らないふりをしたりします。 私は寅さんが旅に出たくなる気持ちがよく分かります。 「男はつらいよ」のおさらい 『男はつらいよ』は、山田洋次監督で主演は渥美清(あつみ きよし)さんが演じる「寅さん」が、主人公の下町人情コメディ映画。 全48作も上映されて、『一人の俳優が演じたもっとも長い映画シリーズ』として、ギネスブックにも認められている名作中の名作です。 満男役について 寅さんを演じる渥美清さんが体調を悪くした から、さくらと博の子供の満男が主役のサブストーリーが、作られることになりました。 満男は1969年 昭和44年)ので誕生しています。 「男はつらいよ」第1作目から第48作までの26年の間、満男役を演じる俳優は、中村はやとさん、沖田康浩さん、そして吉岡秀隆さんが演じていました。 まとめると以下のようになります。 中村はやとさん ー 第1作~第8作、第10作~第26作• 沖田康浩さん ー 第9作• 吉岡秀隆さん ー 第27作~第48作 満男役の俳優さんの中で映画の中で出番が多かったのは、中村はやとさんで25作品の「男はつらいよ」に出演されています。 吉岡秀隆さんは22作品です。 初代の満男役は中村はやとさんが、中学受験のために吉岡秀隆さんにバトンタッチしました。 吉岡秀隆さんが満男役で「男はつらいよ」に出演したのは、 からです。 吉岡秀隆さんは言わずと知れた、倉本聰の北の国からで純役を演じた俳優さんです。 ナヨナヨとした独特の雰囲気、やや高めの声の演技が満男役の演技にピッタリですね。 出典:Amazonは1981年10月9日から1982年3月26日に放送された全24話のTVドラマ。 TVシリーズが終了後もドラマスペシャルとして2002年まで8話が放映された。 満男役の吉岡秀隆さんは、小学4年生から「北の国から」に純役で出演しており、吉岡秀隆さんの代表作品の1つになっています。 コトー診療所」で、「男はつらいよ」の満男役と「北の国から」の純役とは全く違う演技をしていました。 離島医療の問題に真っ向から挑戦して、島民の信頼を得て医師としての仕事を全うする演技が「Dr. コトー診療所」で観ることが出来ました。 医師なのでナヨナヨしている満男と純とは違って、大きな声でセリフを言って頼りになる演技をしている所が印象的でした。 吉岡秀隆さんも子役から役者歴が長い俳優さんと認識したドラマでした。 コトー診療所」はこちらから観られます。 ナヨナヨしていない吉岡秀隆さんを観てみたくないですか? Sponsored Link 満男役のまとめ 満男役の真相は!• 満男役を演じたのは3人ではなかった!満男役の赤ちゃんが存在していた!• 満男役は東京都八王子の『城東大学の経済学部経営学科』に通っていた!• 満男役は恋愛が下手で結婚していなかった! 「男はつらいよ」ファンは、満男役には3人が演じていたと信じていましたが、実は4名の方が演じていました。 1作目の満男役の赤ちゃんが存在していたとは気付きませんでしたね! 満男役が通っていた大学は八王子の『城東大学の経済学部経営学科』でした。 「とらや」の跡取りである寅さんが当てに出来ないので、満男がお店の経営を継ぐ事を考えて経済学部を選んだのではないかと私は考えました。 満男役は主人公の寅さんに似て、恋愛が下手で奥手です。 それ故自分の気持ちをストレートに表現できず、相手の女性に気を揉ませてしまい、結局結婚出来ずに、「男はつらいよ」が最終作を迎えました。 渥美清さんの体調が悪くなくて続編が製作されていれば、もしかして満男は泉ちゃんと結婚するシーンあったかも知れません。 1969年 昭和44年 に第1作が公開されてから、幕を閉じる1995年 平成7年 の第48作まで、同じ登場人物でドラマが繰り広げられます。 寅さんを演じている渥美清さんは、68歳の若さで1996年 平成8年 に亡くなり「男はつらいよ」は第48作で途絶えてしまいます。 体調が悪くなった42作目あたりから、甥の満男を主役にしたドラマが作られて、「男はつらいよ」シリーズは年2本作っていたのを年1本に減らしていました。 私は人情もの映画を避けて、SFXが屈指された洋画を中心に観ることが多かったのです。 でも「男はつらいよ」がBSテレビで放送していた事がきっかけで、全作を観ることにしました。 「男はつらいよ」はいいなあ。 「男はつらいよ」を観れば元気になって明日からまた ぼちぼちやってくか、と前向きな気持ちになれます。 「男はつらいよ」の主人公の寅さんにどうして惹かれるのか? 恋と失恋を繰り返して一年中旅に出ているし、でも寅さんが葛飾柴又に帰って来るととらやの家族と、街全体が元気に明るくなっているのです。 理由なんかよく分からないけど「男はつらいよ」はいい映画だなあっと思います。
次の