A ベストアンサー 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義 右派リバタリアン で、それ以後を新保守主義 ネオコン といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン 左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法 戦争など過激な改革を許容する を執ると言う主義 です。 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで 高福祉政策 」などが有ります。 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。 そして変える方向 変えない方向 が自由か統制かで分類できます。 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。 自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共... Q 皆様、こんにちは。 最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。 他にも『解任』などもあったりして どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。 gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。 『更迭』は他の人に変える事とでてきます。 これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか? なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。 よろしくお願い致します。 Q 私は社会人歴7年、ひととおりのビジネスマナーはまあまあ覚えていたつもりなのですが、実は未だにちょっと分からないことがあります。 例えば、仕事上で相手の会社に電話をかける際、はじめに目的の人物以外が電話に対応する場合のはよくあることですね。 振り返って思い出してみると地元の人たちで「おられますか?」を使うのを殆ど聞いたことが無い気がします。 どちらかと言えば、他県、それも関西方面の人たちが「おられますか?」をよく使っていたような…。 私は新社会人当時、関西の言葉を話す社員が多い会社にいたので、「おられますか?」は耳に馴染んでいて、今でもその時々によって「いらっしゃいますか?」と合わせて半々に使います。 A ベストアンサー 学校文法的に言えば、 敬語には尊敬語、謙譲語、丁寧語の三種類があります。 「おる」は謙譲語です。 したがって、これに尊敬語の助動詞「られる」をつけるのは間違いです。 ということになります。 私もそのように教えられた覚えがあります。 しかし、「おる(をる)」は元々謙譲語というより丁寧語であって、これに「られる」という助動詞をつけて尊敬の意味を表わすことは、何ら間違いではないと言う説もあります。 このことについて、説得力のある説明をしているサイトを見たことがあります。 文部省や国語審議会の言うことなど、学問的にさほど権威があるとも思えません。 ただ、学校の試験などでどう答えるか、ということが問題ならば、彼らのいうことが金科玉条ですが。。。 alc. html A ベストアンサー めどはやまと言葉ではないでしょうか。 もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。 広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく 不親切です。 朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。 解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、 ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。 目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です) A ベストアンサー 「物書き」のひとりです。 まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか わる 」がないことです。 常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。 音訓表に無いものの代表的なもの よく使われるもの として「全 すべ て」「画 えが く」「〇〇に依 よ れば/拠 よ れば」などが思いつきます。 本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められているのみです。 それも「かかわる」でなく「かかる」です。 「人命に係 かか る問題」「係 かか り結び」など。 前者は、「人命にかかわる問題」のように表記されることもありますが、この場合 常用漢字の基準では 「係わる」でなく「かかわる」です。 結論としては、「それにもかかわらず」などにおける「かかわらず」は仮名書きが無難でしょう。 漢字の場合は「拘わらず」が正しいといえます。 ただし、パソコンでは「関わらず」と変換されることが多いようですネ。 漢字の場合、「関係」という言葉があるように、「関わる」と「係わる」の用法はほとんど区別がつきません。 一般的に言えることは、「関わる」「係わる」は肯定的にも否定的 「関わらない」「係わらない」 にも使いますが、「拘わらず」は、肯定的に用いられる例が少ない、ということです。 ただし、肯定的な「拘わる」が誤りだと言っているのではありません。 念のため。 「物書き」のひとりです。 まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか わる 」がないことです。 常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。 音訓表に無いものの代表的なもの よく使われるもの として「全 すべ て」「画 えが く」「〇〇に依 よ れば/拠 よ れば」などが思いつきます。 本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められてい...
次の顔のパーツは認識できても、顔全体の認識がうまくできない「相貌失認」。 重症になると、自分の顔が、自分であることも認識できなくなります 私たちが他人を見るとき、最初に目が向くのはどこでしょう? あからさまにジロジロと視線を向ける事はないでしょうが、おそらく顔だと思います。 「いや、俺はまず〇〇を見るよ」と言う人だって、いきなり声をかけられたら、お顔が拝見できないほどグラマーでもない限り、やはり顔を見るのではないでしょうか。 ただ、顔を見ても、相手が誰だがわからないことはありませんか? 相手の勘違いという場合もありますが、自分が忘れてしまった場合は非常に気まずいものです。 人の顔の記憶力の程度は人それぞれ。 一度見た顔は決して忘れない人もいれば、顔を覚えるのは非常に苦手という人もいます。 記憶力も個性と言えば個性ですが、社会生活上は、人の顔の認識力はよいに越したことはありません。 もしも、相手が以前一回しか会ったことがないのに、自分のことをよく覚えていたら、なかなか感激しませんか? 反対に、何回も同じ場にいた相手が自分の顔を覚えていなかったら……? 人によっては侮辱されたような気さえするかもしれませんし、気分を害してしまうこともあるでしょう。 実は、顔の認識能力が一般的水準と著しく異なる、「相貌失認」と呼ばれる病気の場合があるのです。 個人の悪気や気持ちではなく、そのような病気があることはぜひ知っておきたいものです。 以下で、相貌失認の症状と原因についてわかりやすく解説します。 相貌失認の原因 相貌失認では、目、鼻、口など、顔の構成パーツは認識できるものの、それらが合わさって構成される「顔」の全体像が認識できません。 いささか不思議な印象を持たれるのではないでしょうか。 実は、人の顔を認識するためには、一つ一つのパーツを認識するより、はるかに複雑な情報処理が脳内で行われています。 実際、「顔を読む」という言い方があるように、私たちは相手の顔を見れば、機嫌が良いのか、それとも、怒っているのか相手の感情がわかります。 また、大抵の場合、相手の大体の年齢も分かりますし、注意深く様子を伺えば、相手が次に言うことまで見当がついたりします。 ただ、顔の認識が意外に難しくなる場合もあります。 人の顔を決して忘れないという人であっても、もしも、出された写真が上下さかさまであったならば、たとえ写真の中の人物が自分のよく知っている人物であっても、一瞬戸惑ったりするでしょう。 仮の想像ですが、脳内の視覚情報処理に問題が生じているため、顔のイメージが途中で、上下さかさまになってしまえば、相貌失認が起こるはずで、こうした想像でも、相貌失認が起こり得る病気である事が実感できるのではないでしょうか? 相貌失認の原因ははっきりわかっていませんが、左の下側頭葉皮質という部分と、左側頭葉内の視覚連合野という部分のつながりが悪くなっているとも考えられています。 相貌失認の症状 相貌失認の症状自体は、脳内の視覚情報処理に関する、どの箇所に問題が生じているかにより、内容が違ってきます。 一般的な症状は以下の通りです。 テレビや映画を鑑賞中、登場人物のスジがつながらない• ついさっき会ったばかりの相手でも、場所が変わると、先ほどの人だとわからなくなってしまう• 相手を顔ではなく、主に、声や歩き方、鼻の大きさなど特徴ある顔のパーツ、服装などで判別してしまう 相貌失認の程度は日常生活に問題がないものから、非常に深刻な場合まで幅広いです。 相貌失認の歴史と患者数 相貌失認 prosopagnosia)という語自体は、1947年にドイツの神経学者Bodamerが、頭部外傷後、家族や友人の顔を認識できなくなった若い男性を報告したのが最初です。 ギリシア語で顔を意味するprosoponと一般的な医学用語である失認 agnosia という語を合成してつけられた病名です。 それから数十年間、相貌失認は、極めて珍しい疾患と考えられていました。 Bodamerが報告したように、頭部外傷やアルツハイマー病など、脳内の器質的病変によって生じる二次的な病気だと考えられていたのです。 しかし、80~90年代には、先天的な相貌失認もあることが知られるようになりました。 頭部外傷後など、二次的に相貌失認を発症した場合は、以前との違いに自分や周りの人がすぐ気付きます。 しかし生まれつきの場合は、顔の認識能力が一般と異なっていることに自分でも気づきにくいものです。 このため、先天的相貌失認の存在が目立たなくなっているだけで、最近では先天的相貌失認は決して珍しい疾患ではないとも言われています。 人口の2%近い人が実は相貌失認と言われることもあります。 相貌失認の治療法・対処法 残念ながら、相貌失認には、現在のところ根本的な治療法がありません。 自分自身が相貌失認の場合は、相手の声や服装の傾向、顔の特定のパーツに意識を向けるなど、相手を顔以外の部分で上手に識別できるよう、工夫するしかありません。 そして、相貌失認という病気が存在することが認知されるのは、とても大事なことだと思います。 「あの人とは何度も会っているのに、また知らんぷりされた」などという誤解でお互い嫌な思いをするのは望ましくないでしょう。 また、もしも相貌失認であるならば、自分の状態と病名について周囲に明言しておけば、無用なトラブルを避けられるのではないでしょうか。
次の「拝見」の正しい使い方は、「拝見します」です。 「拝見する」といった意味の敬語を使う際には、ついつい「拝見いたします」と言ってしまいがちになりますが、それは厳密にはNGとなるのです。 ですから、これから「拝見する」といった敬語を使う際には、「拝見します」という風にシンプルに使っていくと良いでしょう。 でもなぜ、「拝見いたします」はNGなのでしょうか? 「拝見いたします」は二重敬語になる 「拝見いたします」は、二重敬語になります。 ですから、「拝見いたします」というのはNGなのです。 「拝見」が既に、「見る」の謙譲語となっています。 それなのにそこに、「する」と言う言葉の謙譲語である「致す」が入ってくると、謙譲語に謙譲語がついて二重敬語になり、回りくどくなってしまうのです。 ですから、シンプルに「拝見します」と使うのが一番なのです。 「拝見させていただきます」も敬語としては間違い 「拝見いたします」がNGということは、当然、「拝見させていただきます」も敬語表現としては間違いになります。 「拝見させていただく」も、「拝見」と「させていただく」という謙譲語がくっついた言葉となっているので、これも当然二重敬語と言えます。 ですから、回りくどい表現になってしまうので、敬語表現としては正しくないのです。 二重敬語は相手をバカにしていると思われる そもそも二重敬語だと何故いけないのかと思う方もいるでしょう。 多少回りくどくなったとしても、丁寧に表現しているのだから良いではないかと思うものですが、あまりに丁寧にしようとすると、相手はバカにされていると感じてしまう場合があるのです。 よって、二重敬語は良くないとされています。 こんな理由から、拝見を使う際にも、二重敬語にならないように気をつけないとならないのです。 「拝見」は自分が見る時にだけ使う 「拝見する」という敬語は、謙譲語です。 という事はつまり、自分を下げて相手を高めるような言葉だと言えるのです。 それがどういう事かと言いますと、その言葉を自分以外に対して使ってしまうと、すごく失礼になってしまうのです。 例えば上司などに「こちらの書類は拝見されましたか?」と聞くと、逆に上司を下げて自分を高めている表現になってしまうのです。 自分以外には「ご覧になる」という表現が適切 謙譲語である「拝見する」は、自分にしか使えない敬語です。 では、「見る」という意味の敬語を自分以外に使いたいときにはどのような表現をしていくのが良いのでしょうか?自分以外の人が「見る」を敬語で表現するのであれば、「ご覧になる」や「ご覧くださる」等が適切です。 こちらの書類は「ご覧くださいましたか?」と聞けば、相手を高めているので失礼になることはありません。 「見る」の敬語である「拝見する」は二重敬語にならないように自分に対して使う 「拝見する」という敬語の正しい使い方のご紹介でした。 「拝見する」を敬語として使う際には、二重敬語にならないように気を付けて、自分だけに使うようにしてください。 そうすれば自然と正しい使い方をしていけることでしょう。 ちょっとした言葉遣いの違いで印象が悪くなるのがビジネスの世界ですので、ぜひ参考にしてみて下さい。
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