串は地元海産物、肉、野菜などの約30種。 ご予算に応じることも可能。 創作串揚げの旨さをご賞味下さい。 本桜の一枚板で作ったカウンターに12席。 ジャズが流れる空間で、お洒落な時間をお楽しみ頂けます。 生野菜、お口直しの大根おろし、デザートが付き、お茶づけ、おむすびなどのメニューもございます。 お飲み物は、焼酎、ワイン、日本酒なども数多く揃えております。 お目安といたしまして、串12本で3000円。 おまかせで揚げて参りますので、よろしい処でストップをおかけ下さい。 お昼のコースはご予約様のみ、税込み3000円で串14本、生野菜、ソフトドリンク、お食事(おむすび、お茶漬け、白飯から選べます)、デザート付きでとてもお得な内容となっております。 ぜひ、創作串揚げの旨さをご賞味下さいませ。
次のまず、「行くつもり」についてですが、この言葉は「積り」から進化してきた言葉です。 「積り」のもともとの意味は現在と同じ意味で使われていて、「積み重なっていること」を指します。 このような言葉の歴史から、「~行くつもりです」という表現は、『意思』を表していますが、「以前から思っていた」という意味が込められているようになりました。 次に、「行こうと思う」についてですが、この中の「う」という言葉は、平安時代の頃は、「む」と言っていたようです。 その頃は、「仮に起こったら」という意味だったそうです。 その後、いろいろな変化があったらしいのですが、江戸時代の頃、言葉が「う」に変わり、動詞の未然形という言い方の「行か」に付いて「行かう」となり、『意思』を示す表現となりました。 その後、江戸から明治にかけて、「行かう」から「行こう」に音の変化が起きたようです。 「行こうと思う」は、『意思』を表します。 この場合、「以前から思っていた」でも、「以前は思っていなかった」でも、どちらでも構いません。 上に述べたことから、2つの言い方に「他の違いはない」と言えると思います。 ですが、言葉は少しずつ進化していくものです。 私には、「行くつもりよりも、行こうと思いますの方が少し意思が強いような感じも受けますが、、、、」 とは思えませんが、もしかしたら、いつかは、「行こうと思いますの方が少し意思が強い」 というようになっていくかもしれません。 A ベストアンサー こんにちは。 以前書いたもののコピーですが。 4 V-てから 「~あとで」と同じく、時間的前後関係を表しますが、より「順序」という 意味合いがあります。 ふたつの事柄のうち、どちらが前か後かを述べる場合は、 「~あとで」でも「~てから」でもいいのですが、順序が決まっている事柄の 場合は、「~てから」の方がぴったりします。 買物をしてから、映画を見ました。 これが終ってから、あちらの仕事に取りかかろう。 歯を磨いてから朝御飯を食べますか、朝御飯を食べてから歯を磨き ますか。 見てから読むか、読んでから見るか。 ピカッと光ってから、どーんと音が聞こえる。 以上の例では「~あとで」でも言えますが、以下の例ではどうでしょうか。 切符を買ってから中に入る。 ちょっと口をすすいでから歯を磨く。 準備運動をよくしてから、泳いでください。 これらは、「~あとで」で言えないことはありませんが、少し不自然です。 これらの「AてからB」のAは、Bをするために必要なことで、「あと」にす るのでは無意味な場合です。 また、時間の経過を表す場合も、「~あとで」は不自然です。 夜が明けてから人家を探そう。 (?あとで) 秋が来てから、急に人通りが多くなった。 占領が終わってからでも、もう50年近くの時間が過ぎた。 最初の文明が生まれてから1万年。 「だ」が付いて文末に来る場合もあります。 「~のN」の形にもなります。 乾杯は会長が来てからだ。 起こすのは医者が来てからでいい。 そのあとのことは、まずやってみてからの話だ。 「V-てからでないと、~ない」という表現がよく使われます。 まずモノを見てからでないと、何とも言えませんね。 入会金を払ってからでないと、アクセスできません。 それから、「Aのあと今まで に 」「A以来ずっと」の場合も「~てから」 が使われます。 勉強を始めてから、多くのことを学びました。 生れてから、ずっとこの町に住んでいます。 パソコンもウインドウズになってから、多少使いやすくなった。 「AてからBまで」の形にもなります。 小学校に入ってから大学を出るまで、ずっと机の前に座っていた。 小学校に入ってから大学を出るまでの16年間 「は/も/より」などの副助詞をつけることもできます。 来てからは/も 来てからさえ も 来てからより も ここに移ってからは、時間がゆったりと流れるようです。 こんにちは。 以前書いたもののコピーですが。 4 V-てから 「~あとで」と同じく、時間的前後関係を表しますが、より「順序」という 意味合いがあります。 ふたつの事柄のうち、どちらが前か後かを述べる場合は、 「~あとで」でも「~てから」でもいいのですが、順序が決まっている事柄の 場合は、「~てから」の方がぴったりします。 買物をしてから、映画を見ました。 これが終ってから、あちらの仕事に取りかかろう。 歯を磨いてから朝御飯を食べますか、朝... A ベストアンサー 「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。 「~やら~やら」には意味が二つあります。 1 名詞の並列 例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。 2 どちらか決めがたいことをあらわす。 例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。 それに対して「~とか~とか」には、 1の名詞の並列の意味しかありません。 それでは 「スーパーでパンやら牛乳やら買った。 」 と 「スーパーでパンとか牛乳とか買った。 」 は完全に同じ意味でしょうか? ここから先は、個人の語感によって、或いは世代によっても意見が分かれそうな部分ですが、 私は「パンやら牛乳やら」からは、並列の意味に加えて、「いっぱい」や「必要もないのに」という印象を受けます。 「パンとか牛乳とか」の方は並列の意味に加えて、ちょっとあいまいに表現しようという気持ちが感じられます。 これは例文を変えてみるともうちょっとはっきりするかもしれません。 1「バーゲンでコートやらスカーフやらいっぱい買ってしまった。 」 2「バーゲンでコートとかスカーフとかいっぱい買ってしまった。 」 1の方がいっぱい買ってしまった感が強いような気がします。 2の方は普通の並列ですが、この言葉を言う人によっては、本当はコートとスカーフ以外に重要なものを買ったんだけどそれをわざとぼかして言っているような感じも受けるかもしれません。 1「彼女の気を引くために、バッグやらアクセサリーやらプレゼントした。 」 2「彼女の気を引くために、バッグとかアクセサリーとかプレゼントした。 」 これも、1の方があれこれたくさんプレゼントした感じがよく出てると思いますがいかがでしょう。 2は素直な人が話しているなら単なる並列。 ものをはっきり言わない人が話しているなら、ひょっとしたら車もプレゼントしているかもしれません。 とまあ、こんなところです。 前にも書きましたが、ここまで来ると、個人の語感や世代によって感じ方はさまざまだろうと思います。 色々な回答がつくといいですね。 「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。 「~やら~やら」には意味が二つあります。 1 名詞の並列 例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。 2 どちらか決めがたいことをあらわす。 例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。 それに対して「~とか~とか」には、 1の名詞の並列の意味しかありません。 それでは 「スーパーでパンやら牛乳やら買った。 」 と 「スーパーでパンとか牛乳とか買った。 」 は完全に同じ意味でしょうか?... A ベストアンサー 「たら」「れば」「なら」には、本来的には以下の 1 、 2 、 3 のような違いがあると思います。 ただ、慣用的には、その違いが不明瞭になり、同じような意味で使われてしまっているというのが現状だと思います。 ですから、例に挙げられたものについては、慣用的視点での意味の違いはあまりないでしょう。 1 「れば」は、現在形の仮定です。 この仮定は、普通の仮定です。 (例)気温が下がれば、寒くなる。 2 「たら」は、過去形の仮定です。 2つの用法があります。 一つ目は、過去に起こったことに対する仮定です。 すなわち、現実には起こらなかったことに対する仮定です。 (例)もし、彼が事故に合わなかったら... (実際には事故に合った) もう一つの用法は、現在、または、未来に対する仮定です。 この仮定は本来は、実際には起こる可能性が非常に低いこと(あるいは、感情として絶対起こって欲しくないこと)を仮定する場合に用います。 (例)もし、彼が死んだら、生きていけない。 (例)もし、空を飛べたらどんなに楽しいだろう。 3 「なら」は、「動詞等終止形+(の)+なら」あるいは「名詞or名詞句」+「なら」として使います。 意味的には、仮定というより、「~~の場合は」的な意味になります。 (例)赤なら止まれ、青なら渡れ。 (例)飲むなら乗るな、乗るなら飲むな。 (例)歩くなら良いが、走るならごめんだ。 以上の3つの違いを中国の方に説明する場合は、以下のような関係になると思います。 1 「れば」=如果 ruguo 2 「たら」=万一 wanyi 3 「なら」=的時候 deshihou 以上です。 「たら」「れば」「なら」には、本来的には以下の 1 、 2 、 3 のような違いがあると思います。 ただ、慣用的には、その違いが不明瞭になり、同じような意味で使われてしまっているというのが現状だと思います。 ですから、例に挙げられたものについては、慣用的視点での意味の違いはあまりないでしょう。 1 「れば」は、現在形の仮定です。 この仮定は、普通の仮定です。 (例)気温が下がれば、寒くなる。 2 「たら」は、過去形の仮定です。 2つの用法があります。 一つ目は、過去に起こったことに対する仮... Q 私は中国人で、日本語を勉強中です。 「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。 皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。 中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。 疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。 また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。 「を通じて」の「一年を通じて」、「一生を通じて」、「生涯を通じて」のような使い方はさておき。 「を通じて」 1.秘書を通じて社長との面会を乞う。 2.学生会を通じて、学校側に意見を出した。 3.テレビを通じて広告をする。 4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。 「を通して」 1.書物を通して世界を知る。 2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。 3.仲人を通して娘の縁談を進める。 4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。 また、質問文に不自然な箇所がありましたら、併せてご指摘いただけますと幸いです。 どうか、よろしくお願い致します。 私は中国人で、日本語を勉強中です。 「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。 皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。 中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。 疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。 また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。 「を通じて」の「一年を... A ベストアンサー 他の方(No. 4の方)にもお答えいただいて、よかったです。 私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。 2でも少し書きましたし、No. という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に) 意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。 (でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど不自然な文ではないです。 ) なぜそう思うのかはよくわからないのですが、以下の理由があると思います。 ・「臨床実践」という言葉を聞き慣れない。 医学の世界ではどうか知らないが、普通の日本人が使うような言葉ではない( 4のご回答でも指摘がある。 ) ・「臨床実践」「治療経験」・・・四字の漢語が二つもあって、重苦しい印象を受ける。 更に「積み重ねる」があることによってごてごてした印象を受ける。 私なら、もっと軽い感じに、 「実践的な臨床経験を積み重ねる。 」 「臨床経験を積み重ねる。 」 「臨床の経験を重ねる。 」 「臨床の実践経験を積む。 」 などなどでもよさそうに思います。 4の方もおっしゃっている通り、質問の例文に関しては、 2と 4は、似ているようです。 改めて、いくつか意見を述べておきます。 一つ目は、 「民主的論議」「文化交流」などの長めの漢語があると「をつうじて」で、 「仲人」というような和語だと「をとおして」の傾向があるのではないか、 ということです。 (短めの漢語は、中間。 ) 二つ目は、 「を通じて」というのが、何か形式的な印象を与える、ということです。 「仲人をつうじて」とはあまり言わないような気がしますが、 もし「仲人をつうじて」と言えば、何か仲人を(人ではなくて)道具のように扱っている感じがします。 三つ目は、 「を通じて」は、二つのものの間に「何かが挟まっている」が、その間に挟まっているものそのもの(秘書、書物、・・・)を重要視せず、二つのものの関係を重要視している。 「をとおして」は、「間に挟まっているもの」を重要視している、ということです。 四つ目は、 「を通じて」という表現は、公式であり外向きであるが、 「をとおして」という表現が、ややくだけた表現だということです。 これらは、「まあそんな気がするかな」程度の意見なので、きちんと詳しく検討する必要があるだろうと思います。 改めて考えても、 2 3も、 4のご回答も、みんな正しいような気がするのです。 4では >「通して」という場合,文字通り「それを通り道にして」という意味があるように思います.(q304さんの 3のご意見と矛盾してしまうのですが...あくまで私の個人的印象です.) とのご指摘がありますが、必ずしも矛盾とまでは言えず、別のご指摘かもしれません。 3では >「秘書を通じて」というのは、秘書を、単にそういう地位とか役割のようにとらえていて、 >(秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている。 ) >具体的な人を思い浮かべていないんじゃないかな、 >ということです。 の 「秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている」 というのは、"単なる" に意味の重点があって、 「秘書に重きをおかない」という意味です。 ところで、質問では、 「皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。 中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。 」 とありますが、 この著者自身、本当に使い分けすべきと考えているのでしょうか。 他の方(No. 4の方)にもお答えいただいて、よかったです。 私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。 2でも少し書きましたし、No. という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に) 意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。 (でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど... A ベストアンサー 格助詞「に」と「と」の違いですね。 この質問は過去に2,3回ありましたのでその1つを1部付け加えて回答しておきます。 「に」「と」はともに帰着または結果を表しますが、ニュアンス的には少し違いがあります。 「雨が降れば川になる」というのは平板で当然の帰結としての言い方の場合は「に」 「蛇行を繰り返し小川や多くの支流を集めて大河となる」のように紆余曲折を経る場合は「と」です。 「すったもんだの末、結局彼が村長となった。 また、「へと」と 「へ」との違いについての質問にも私が回答したのがありますので参考にしてください。 html A ベストアンサー 使い分は、慣用によるところが大きく、明確なルールがあるとは言えません。 大まかには次の使い方でいいと思います。 「代だい」 何かと交換に支払う(または、受けとる)お金を表わす。 商品(経済的に価値のあるもの)に対して支払う金額であることが多い。 電話代、バス代、ガソリン代、部屋代、電気代、ガス代、お茶代、バイト代 「料りょう」 何かの利益(サービスなど)を受けた(または、与えた)ことに対して支払う(または、受けとる)お金を表わす。 あらかじめ決まった一定の値段である場合が多い。 使用料、レンタル料、入場料、紹介料、授業料、送料、サービス料、延滞料 「費ひ」 (自分または相手が)何かをするために必要なお金を表わす。 支払わなければならない(または、用意しておかなければならない)お金という意味合いがある。 医療費、教育費、交通費、学費、会費、生活費、食費、交際費 「賃ちん」 労働や借りものに対して支払うお金を表わす。 家賃、電車賃、手間賃、運賃、船賃 借賃 会社での使い分けはこれまでの慣用に従うしかありません。 電話代でも電話料でもどちらがあっているということはありません 今まで電話代であればこれからも電話代でいいと思います。 使い分は、慣用によるところが大きく、明確なルールがあるとは言えません。 大まかには次の使い方でいいと思います。 「代だい」 何かと交換に支払う(または、受けとる)お金を表わす。 商品(経済的に価値のあるもの)に対して支払う金額であることが多い。 電話代、バス代、ガソリン代、部屋代、電気代、ガス代、お茶代、バイト代 「料りょう」 何かの利益(サービスなど)を受けた(または、与えた)ことに対して支払う(または、受けとる)お金を表わす。 あらかじめ決まった一定の値段で... A ベストアンサー 疑問文ではなく、平叙文で説明します。 「結婚式にこの服を着ていくのは、おかしい」 この表現は、他の服を着ていくのはおかしいかもしれないしおかしくないかもしれない、ということを含意しています。 つまり取り敢えず、この服についてだけ述べています。 論理的には「結婚式にこの服を着て行くのはおかしくない」ということだけが否定されています。 「結婚式にこの服を着ていくのが、おかしい」 この表現は、他の服を着ていかないのはおかしくない、ということを含意します。 つまり「結婚式にこの服を着ていくのはおかしくない」と「結婚式に他の服をきていくのはおかしい」が否定されています。 「マリアさんは プレゼントを選ぶのが 上手です」 これは、いわゆる象鼻長文です。 「マリアさんは プレゼント選びが 上手です。 」 この表現はプレゼント選びでないことが上手でないことを含意します。 プレゼント選び以外のことが話題になっていなければ問題ありませんが、何か他のこと、例えば御祝いの挨拶のことも話題になっているときには差し障りのある表現です。 「マリアさんは プレゼント選びは 上手です。 」 この表現はプレゼント選びでないこと、例えば御祝いの挨拶は上手かもしれないし上手でないかもしれない(そのことは私にはわからない)、ということを含意します。 したがって御祝いの挨拶は誰が?ということも話題になっていれば問題はありませんが、プレゼント選び以外のことが話題になっていないときには、「マリアさんはプレゼント選び以外は下手だ」というふうに受け取られてしまう恐れがあります。 疑問文ではなく、平叙文で説明します。 「結婚式にこの服を着ていくのは、おかしい」 この表現は、他の服を着ていくのはおかしいかもしれないしおかしくないかもしれない、ということを含意しています。 つまり取り敢えず、この服についてだけ述べています。 論理的には「結婚式にこの服を着て行くのはおかしくない」ということだけが否定されています。 「結婚式にこの服を着ていくのが、おかしい」 この表現は、他の服を着ていかないのはおかしくない、ということを含意します。 つまり「結婚式にこの服を... A ベストアンサー 「らしい」は「伝聞」を表すわけではありません。 たとえば『大辞泉』の「らしい」の項の「2」にあるように、 「2 伝聞や推量に基づく婉曲 えんきょく な断定の意を表す。 yahoo. 「伝聞」でなく「婉曲な断定」(1.3の用法もありますが)なのです。 たまたま根拠になる事柄が人から聞いたことである場合もありますが、自分で判断したことに基づいて言う場合もあります。 「明日雨が降るらしい」は、雲の動きから自分で判断した場合もいえます。 「彼女結婚したらしい」も、今までしていなかった指輪をしているのに自分で気づいてそういうこともできます。 これに対して「(伝聞のほうの)そうだ」は、人から聞いたことにしか使いません。 「(様態のほうの)そうだ」なら、「らしい」同様に、自分で判断した場合にも、「雨が降りそうだ」と言えます。 「らしい」は「伝聞」を表すわけではありません。 たとえば『大辞泉』の「らしい」の項の「2」にあるように、 「2 伝聞や推量に基づく婉曲 えんきょく な断定の意を表す。 yahoo. 「伝聞」でなく「婉曲な断定」(1.3の用法もありますが)なのです。 たまたま根拠になる事柄が人から聞いたことである場合もありますが、自分で判断したことに基づいて言う場合もあります。 Q 辞書で調べたけど、一つの疑惑が生まれました。 辞書によると、 じゅう ぢゆう 【中】 1 期間を表す語に付いて、その間ずっと、その期間の初めから終わりまでなどの意を表す。 ここで聴解テストでぶつかった例文を出しますけど 例1. 女性: それ、今日中にしなければならないの。 男性: いいえ、そういうわけでもないんですけど。 例2. 女:ええと、あさっての午後は授業があるんですが。 男:じゃ、午前中にしようか。 ここの「今日中」と「午前中」それぞれはどの「中」でしょうか。 また、自分勝手な考えですけど、「中」の後に「に」の有無によって、意味は変わるのでしょうか。 例えば:「今日中」と「今日中に」。 辞書で調べたけど、一つの疑惑が生まれました。 辞書によると、 じゅう ぢゆう 【中】 1 期間を表す語に付いて、その間ずっと、その期間の初めから終わりまでなどの意を表す。 A ベストアンサー 「~中」の読みは「じゅう」「ちゅう」に分かれます。 意味は継続と期限の2つに分けてみると解りやすいと思います。 「世界中」のように場所を表すのもありますが、ここでは時を表す継続と期限に絞って整理してみましょう。 「じゅう」と読むもの 継続:一年中、一日中、一晩中、 期限:今日中、明日中(あすじゅう) 「ちゅう」と読むもの 継続:勤務中、会議中、留守中、就寝中 期限:今日中(こんにちちゅう) このように見ていくと一般的傾向として漢語系の語には「ちゅう」と発音し、和語系であれば「じゅう」と発音するのではないでしょうか。 しかし、「来月中」などは2通りの発音があります。 ・来月中(ちゅう)には完成します。 (期限) ・来月(じゅう)公演しています。 (継続) ご質問の「今日中」は「きょうじゅう」「こんにちちゅう」ともに 期限と考えられます。 ・今日中に仕上げます。 継続の意味を表すには ・きょう一日中開かれています。 のような 言い方になると思います。 「午前中」は 「午前中、診察します」は継続か期限なのかとなれば複雑になりますね。 前後の文脈によります。 「~中」の読みは「じゅう」「ちゅう」に分かれます。 意味は継続と期限の2つに分けてみると解りやすいと思います。 「世界中」のように場所を表すのもありますが、ここでは時を表す継続と期限に絞って整理してみましょう。 「じゅう」と読むもの 継続:一年中、一日中、一晩中、 期限:今日中、明日中(あすじゅう) 「ちゅう」と読むもの 継続:勤務中、会議中、留守中、就寝中 期限:今日中(こんにちちゅう) このように見ていくと一般的傾向として漢語系の語には「ちゅう」と発音し、和...
次の「つもり」という言葉を普段口にしたことはありますでしょうか。 「~したつもり」や「~するつもり」など過程の上で想定するときに使う言葉であります。 しかしこの「つもり」という言葉は普段目上の方やビジネスシーンなどの相手に敬意を払うべき場では適切な言葉であると言えるのでしょうか。 言えないのであれば普段から失礼な言葉を上司に使っていたかも、なんてことになってしまいます。 手遅れになる前に、相手に言葉を伝える際は適切な言葉を選び、相手に不快感を与えずに自分の言葉を相手にしっかりと伝えられるように考えていきましょう。 丁寧語 丁寧語で「つもり」という言葉を用いる際はどのように使えることができるでしょうか。 丁寧語であれば「つもりです」と言うように変えるだけで相手に丁寧な印象を与えることができます。 もっと丁寧に伝える際は「おつもり」というように「お・ご」を単語頭につけて相手に伝えることができます。 そうすると「おつもりです」というようになります。 この場合、自分がそう考えている場合には「お・ご」を付けないようにしましょう。 相手に自分が偉いと言うように感じさせてしまいかねません。 相手が主語に当たる場合や第三者が「このようにするつもり」という事を相手に伝える際に「おつもりです」と使えると良いでしょう。 尊敬語 尊敬語で「つもり」という言葉を使う際、どのように言い伝えることができますでしょうか。 尊敬語を使う際は相手が想定している事なので、相手に対して聞く際に「つもり」という事を使うという事になります。 相手に対して「つもり」を使い際は尊敬語としては「おつもりですか」と言うように伝えてしまうと目線が同じとして捉われてしまい、失礼に聞こえてしまう言葉になります。 相手が主語として「つもり」を適切な形に直すのであれば、他の言い方で「このようにする予定ですか」と変えたりする必要が出てきます。 「つもり」という言葉自体、相手に対して使うのではなく、自分に対して想定できる範囲のことを聞くものなので少し相手に対して使うのは失礼と捉われかねない言葉になります。 謙譲語 想定を相手に伝える際はやはり自分の事が多い事でしょうから、相手には謙譲語で話す「つもり」はビジネスシーンでも使う頻度の高い言葉である事と言えます。 その際、「つもり」を「~したいと思っている」という考えから「思う」の謙譲語「存じる」を用いて「したいと思っている」=「つもり」とし、「所存」という言葉が適していると言えます。 「つもり」の敬語での使い方 ここまでで「つもり」をどのように敬語表現として表すことができるかを紹介していきました。 ではどのような定義で各敬語表現として今まで言い表すことができたのでしょうか。 その事を考えない限り、適した敬語表現に「つもり」を変化させることが難しくもなってきてしまいます。 敬語とは具体的にどのようなものなのか、どのような定義で言葉を変化させることができるのかを考えて、「つもり」という言葉を適切な敬語表現に変化させることができるのかを考えていきましょう。 敬語の種類 敬語とはどのようなものなのか、序盤で触れた通り「丁寧語・尊敬語・謙譲語」の3種類があります。 この3種類全てが敬語という枠になっています。 それぞれ定義分けがされていて、丁寧語は単語頭に「お・ご」を付けて単語そのものを丁寧に表し、語尾には「ですます」を付けることによって言葉全体を優しく締めくくるような言葉遣いを指します。 尊敬語・謙譲語は主語が相手側かこちら側かによって使い分ける必要があり、敬語の中でもこの「尊敬語・謙譲語」の使い分けが難しく、大切なものとなってきます。 相手が主語の場合は尊敬語を用いることで相手を敬い、持ち上げたような言い方で表現することができます。 逆に謙譲語はこちら側が主語になり、こちら側を下げた言い方をすることで相手の立場を上げるような言葉遣いの事を指します。 使い方 では実際に「つもり」を適切に使えるように場面別で考えていきましょう。 口頭で「つもり」を相手に伝える際は親しい仲であればそのままの形でも良い事でしょうが、知人などであれば最低でも丁寧語として使っていきたいところです。 口頭で「つもり」を丁寧語で相手に伝える際は「つもりです」と自分の事に対して伝えることができます。 相手のことに対して「つもり」という言葉を使うとなると、「こうするつもりですか」と言うようになり、相手に「浅はか」という印象を与えかねなくなってしまうので、注意が必要です。 メールでの使い方 メールにおいて「つもり」という言葉を用いるためにはどのように言葉を敬語表現として変化させることができますでしょうか。 メールにおいて「つもり」を使う際は相手に感情が伝わりにくいものとなるため、親しい仲以外には尊敬語・謙譲語を適切に使って相手に伝えることが重要になります。 その際はメールにおいての構成も忘れずに考え、挨拶から始まり相手に意思表明として「つもりです」と言うように伝えるようにしましょう。 相手本人の事に対して意思を問う「つもり」という言葉はメールでも避けることが望ましいです。 「つもり」を敬語表現するときの例文 丁寧語 丁寧語で「おつもりです」という言葉に直されることを敬語の使い方で知る事ができたことでしょう。 ではどのように文として丁寧語で作る事ができるのかを考えていきます。 「私は今日買い物をするつもりです」というように相手に丁寧に伝えることができます。 しかし「これからお昼休みにするつもりです」と上司に伝えるとなると、敬語表現に欠けることになります。 親しい仲や知人に壁を感じさせずに丁寧に伝える敬語が丁寧語に当たるため、いくらフレーズが敬語表現であるからと言っても使う場面は考えていきましょう。 尊敬語 では相手の想定「つもり」を敬語表現として言い伝えられる訳ですが、どのような文として構成することができるのか考えていきましょう。 「あなたはこうするおつもりですね」というような言葉や「このようにするおつもりですか」というような表現になってしまう訳ですが、意思まで問うてしまうこの表現はやはりこのままの言葉の使い方では失礼に当たる事がニュアンスとして感じることでしょう。 謙譲語 「つもり」と想定しているのこちら側で相手に伝える際はこちら側が主語であるので謙譲語として目上の方やビジネスシーンでは使う事ができます。 謙譲語で相手に「つもり」を用いる際は「所存」と直すことができるので、「この後帰宅する所存でございます。 」というような表現や、「お昼を取らせて頂く所存でございます」というように謙遜表現として相手に伝えることができます。 謙譲語で相手に伝える際は「こちらではこのようにする所存でございますが」と言うように相手には好都合である事柄を聞くことにも使える言葉にもなります。 「つもり」の別の敬語表現例 「つもり」という言葉を用いずに相手に「この後こうしよう」という事を伝える際に、「する予定でございます」という言葉で言い換えることができます。 この後の想定なので「予定」という言葉で言い換えることができる訳ですが、「する予定でございます」という表現では「予定していること」を謙譲語として相手に「ございます」で言い伝えることができます。 自分がどのようにするつもりなのかを相手に謙遜して伝える際に言い換えられる言葉であります。 こちら側に対して予定なので謙譲語として言い表すことができますので、この「予定」に丁寧語「お・ご」を単語頭につける必要もありません。 予定しております 「する予定でございます」に対して「予定しております」ではどのように変わってくるものでしょうか。 単語として分けると簡単ではありますが、「ございます」は「います・あります」の謙譲語でありますが、「おります」は「ございます」と同じ意味の「いる・ある」の尊敬語に当たります。 よって相手方の予定に対して尊敬語を用いて「予定」を伝える際には「予定しております」と言うように言い伝えられるという事になります。 主語がどちら側に当たるかによって動詞の伝え方も異なり、相手に「~する予定でございます」と伝えるか「~することを予定しております」と伝えるかで異なってくるのは日本語の難しい部分でもある事でしょう。 「つもり」を相手に適切に.
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