クィア ベイ ティング。 クィア

ユーリ!!! on ICE : ひとつめの言葉は夢

クィア ベイ ティング

クィア・ベイティング Queerbaiting とは、LGBTQを話題作りに利用すること。 同性愛関係だと思わせぶりな事を言ったりやったりしつつも、実際には同性愛者ではないというケースが当てはまるそうです。 例えば カンバーバッチとフリーマンが演じたシャーロックホームズとワトソンの関係がクィア・ベイティングなんだとか。 カンバーバッチのホームズとフリーマンのワトソンは、ただの男同士の友情を超えた同性愛を仄めかす描写があったそうです。 しかし、シリーズが終わっても何もなかったので「釣り」だったと批判されたとのこと。 カルバンクラインがレズビアンを思わせる女性2人を出演させ、キスさせるPV動画を公開したところ その1人はベラ・ハディッドという異性愛者でミュージシャンの男と付き合っている事から、 本当は同性愛者じゃないのにそのふりをしていると批判されたようです。 とは言え、カルバンクラインは謝罪はしたものの、このPVを削除していません。 別に異性愛者が同性愛者を演じても構わない訳で……。 カルバンクラインのケースは「同性愛者特権」の問題じゃないんですかね……。 同性愛者の役は同性愛者だけが演じる権利がある、という発想が背後にある訳ですよね。

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アリアナ・グランデが怒られる理由「クィア・ベイティング」って何?|イチカワユウ|note

クィア ベイ ティング

あなたがこう言う 「おいで、ベイビー 君って可愛いね」と 大丈夫 私はあなたのベイビーじゃない 「たとえそっちが私を可愛いと思っても」 王冠を戴いた私を見てもらわないとね このくだらない町を支配するつもりだから 皆が私に頭を下げるのよ 一人ずつ、次々と 一人ずつ、次々と 曲のタイトルは、ベネディクト・カンバーバッチ主演のドラマ『SHERLOCK/シャーロック』に登場する最大の敵モリアーティが放ったセリフ。 ビリーは同曲のMVで、憧れのアーティストでありビリーのファンだという村上隆とコラボ。 アルバムの多くの曲を、兄フィネアスの寝室に置かれた、村上隆が作ったキャラクターのクッションの上に寝そべって作ったビリーにとっては夢のようなできごと。 MVにはビリーが作ったオリジナルキャラクター、(ブロシュ)も登場する。 youtube. 通常ミュージックビデオはMVを得意とする監督が構成や演出を提案するけれど、ビリーは構成や演出はもちろん、カメラカットにまで明確なビジョンを持つアーティスト。 しかも自分のイメージにぴったり合うためなら何でもするというこだわりぶりで、同曲MVでの口からクモがはいでるシーンも実際にビリーが行なったこと。 ビリーが初めてMVで肌を見せた「ベリー・ア・フレンド」では、背中に大量の注射器を刺されるシーンをどうしても本当にやりたいとごねてチームをそう。 一旦水位が上がり始めて 天国が見えなくなってしまったら 神様は自分のチームに悪魔を加えたくなるはず あなたの揉み消し工作も そろそろ限界 人間ってホント愚かだよね なぜ私達は彼に救いの手を差し伸べているのかな? 自分で自分に毒を盛っておきながら ずいぶんマジメなテーマかと思うかもしれないが、欧米では、政府や企業に規制を求める地球温暖化デモは大人よりもティーンのあいだの方が活発。 地球温暖化を信じる人の割合も、人間が原因であると考える人の割合も、他の世代よりもミレニアル世代の方が10%多く、問題意識が高いことがピュー研究所の調査で分かっている。 あたたはもう、分かり過ぎているんじゃないの 私があなたを傷つけるのは、あなたが私にそうさせる時だけ 私を友達呼ばわりしながら、そばに繋ぎ止めておくのね (「折り返しかけて」) パーティが終わったら電話するわ この曲を聴くときは、パーッと遊んでいるときに恋人から電話で怒られたときの苦々しい気持ちを想像してほしい。 この曲は、束縛しがちな彼氏にビリーが留守電で別れを告げる2017年の曲「パーティー・フェイバー(party favor)」のなのだという。 MVで両目から黒い涙を流すシーンは、ファンに贈られたアートがになっていて、リアリティにこだわったビリーは目にチューブをつけて黒い液体を流す姿をさせた。 あまりにアイコニックなこのスタイルは、2019年のハロウィンで人気となりそう。 私に何を求めているの? なぜ私から逃げないの? 何を疑問に思っているの? 何を知りたいの? なぜ私を恐れていないの? なぜ私のことを気に掛けるの? 眠りに落ちたら、私達は 何処に行くの? ビリーが歯科矯正を外すときに録音した歯科機材の音が使われるなど、ビリーと兄フィネアスの独特の音楽づくりが表れている同曲について、ビリーは、 「それがアーティストだろうが、知ってる人だろうが、考えだろうが、自分が持つ愛をすべて捧げるほどハマる対象がいた場合、自分自身への愛は残らないでしょ。 それってすごく危険なこと。 そうなっている自分自身が他人のベッドの下のモンスターである気分になるの。 表現が難しいけど、この曲もアルバムも、愛が強すぎるのは愛がないことよりも悪いことだって伝えているの」と語る。 悪いけど、もう私を救うのは無理 悪いけど、どうすればいいか分からない 悪いけど、出口はないの 落ちて行くだけ Mm、下に向かって 友達に電話して 愛してるって伝えよう 会えなくなるのは寂しいけれど 後悔はしていない メンタルヘルスの問題に自ら悩まされてきたビリーは、自殺防止団体Seize The Awkwardのキャンペーン動画に登場して、 「私だって今でも、大丈夫でいられるように学んでいる途中」「経験してきたからこそ、少しの心の拠り所が大きな意味を持つと思っている」などと、自身の経験を通してメンタルヘルスで悩む人だけでなく周囲の人にも訴えかけて称賛された。 ビリーの出演動画の確認できる。 この曲の存在価値は、聴いた人を闇にひきずるのではなく、気持ちを共有して寄り添うことにある。 ビリーはツアーのトロント公演で、 「これはうつ病と、その…あまり良くない結果について歌った曲。 (中略)この曲を聴いて落ち込んでほしくない。 私のもとにあなたを引き寄せて精神的なハグになってほしい」と語った。 違うでしょ 私を屋上に連れて行って 心配いらないって言ったよね 私に何を求めているの? 何も訊かないで ちょっと待って 分かっていないんじゃないの、私はあなたにふさわしくないって ねえベイビー、私あまり気分が良くないの 良い子にしてた女の子達は皆、地獄行き 口を閉ざして、チャンスを伺う あの人達って一体何なんだろう 私は正に悪い奴だってこと 「ミュージックビデオは消音で聴いても心に響くべき」などと、深いを持つアーティストであるビリー。 アルバムの最後の3曲は続けて読むと文章になるようにしたかったそうで、「リッスン・ビフォア・ユー・ゴー(行く前に聞いて)」、「アイ・ラブ・ユー(愛してる)」、「グッドバイ(さようなら)」は、そんなこだわりをもとに選曲された。

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クィア ベイ ティング

「・ベイティング(queerbaiting)」という言葉があるそうだ。 ・ベイティングは搾取か、それとも進歩の表れか|NEWS JAPAN 「」というのは、ここでは非(具体的には、同性愛または)のこと。 ようするに、「同性愛」とあえて明確に規定しないでおきながら、あからさまに「同性愛」をほのめかす表象を用いることで、同性愛当事者、あるいは同性愛表象を好むユーザーを惹きつけよう(釣ろう)とするといった、ややこしいが、ありふれた商業戦略を示す言葉である。 日本では、いわゆる 「百合営業」がそれに該当するだろうか。 とはいえ「百合営業」を手放しで賛美する気にもなれないのは、そのようなあからさまに「同性愛」を連想させる表象を用いる一方で、 当人たちはガチの「同性愛者」ではないというお約束(暗黙の了解)があるためだろう。 ともすればそれはに象徴される、に根差した「ホモネタ」の類と見分けがつかない。 もっとも芸能人、とくにアイドルが、自身のを明確かつ対外的に表明することはあまりない(その意味で、後述する馬場ふみかがリンク先の記事に出したコメントは珍しい。 もっとも彼女はアイドル枠ではないのかもしれないけど)。 そこへきて、彼女たちが「者(非同性愛者)」であることを自明とする議論は、むしろ至上主義の内面化を露呈してしまいかねない。 また、それこそ「理論」の文脈においては、そのような非の《可能性》を示唆することが、ともすれば《人間のは常に流動・可変する》といった政治的やにも結び付けられがちだ。 しかしそれはそれで、他人のを自分の言いたいことのために利用している感が否めず、鼻白んでしまう。 いずれにせよ「百合営業」についてそれほど目くじらを立てる必要はないだろう。 同性愛者の方々に失礼! と目くじらを立てるのも、のガーなどと過度な期待や意味性・観念性を求めるのも、どこか頭でっかちな気がする。 が、それを「作品」という形で世に問うとなれば、話は別だ。 離婚や仕事で忙しく彼氏を作らない女性が増えている中で、最後には女性同士で一緒に暮らそうなど、男女の関係が限界にきているように感じます。 本質的には分かり合えない、生き物が違うものといるより、分かり合える種族と一緒にいた方が有意義じゃないか。 女子がトイレに手を繋いでいくことの延長であり、 イイ男がいたらみんなで共有するくらいあってもいいんじゃないかと思います。 (後略)」 タイトルて 「百合」というキーワードを掲げておきながら(しかも馬場ふみか演じる主人公の名前も 【篠原百合】……)、脚本の は 《女性同士の恋愛を描くつもりは全くありません。 》と言い張る。 そのあざとさこそ「・ベイティング」の典型であろう。 『』のヒットに遅ればせながら便乗した感がアリアリと伝わってくるが、『』が「ラブ」と明確に自己規定しているのに対し、 女性同士の関係性を描く実写ドラマは、いまだに《友達以上恋人未満》で足踏みしているようだ。 マンガの分野では、女性同士の「恋愛」をポジティブに描く「百合作品」などけっして珍しくないのに、実写のドラマや映画(さらには文芸)はが変わろうとする最中にも新時代を迎える兆しが見えないのは、どうしたことだろう。 両者間の非対称は、「百合」という概念がすでに浸透・認知されているマンガ業界とは異なり、女性同士の恋愛(を明示または暗示する表象)を、未だにセンセーショナルなネタとしてしか扱えないドラマ業界の旧態依然とした体質を浮き彫りにしているかのようだ。 そして何よりも 《イイ男がいたらみんなで共有するくらいあってもいいんじゃないかと思います。 》というのコメントからは、 女性同士の連帯を肯定するというより、そこに男(である自分)が混ざりたいという意識がである。 なお、で今週金曜日(4月19日)から放映される連続ドラマ『ミストレス~女たちの秘密~』では、演じる者の既婚女性がに恋をするという筋書きで、そのの役をが演じるのだという。 むしろこちらのほうが期待できそう? herfinalchapter.

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