人民 による 人民 の ため の 政治 意味。 リンカーンのゲティスバーグ演説

実は超不評だった「人民の、人民による、人民の為の政治」演説|大山敬義 / バトンズCEO / ProPicker|note

人民 による 人民 の ため の 政治 意味

2005. 14 今日は非常に簡単な言葉ですが、実は奥が深い「 人民」「 市民」「 国民」という概念について説明していきます。 あるときは「市民の社会」、あるときは「国民の代表」、あるときは「全人民の……」これらはなにが違うのでしょうか。 1ページ目 【「人民の人民による……」なぜ「国民」「市民」ではない?】 2ページ目 3ページ目 【「人民の人民による……」なぜ「国民」「市民」ではない?】 私、ツジのプロフィールからはじまったこの疑問 私のプロフィールを見ると、始めに「市民」と書いてあるわけです。 で、「法令により出生をもって日本国籍保有」となってるわけですね。 どこにも嘘は書いてないわけですが、「意味がわからん」という人も結構いるわけです。 さきに本音を言うと……「わたしは一市民」他に答えようがないため ほんとのところを先にいうと、私はいろんな仕事をしているので、「ご職業は?」と聞かれて困ることが多いのですね。 本当にいろいろやっているので。 こういう場合、「自由業」と書いてもいいのでしょうが、たとえば三省堂さんの辞書から引用すると「時間や雇用契約にしばられない職業」となっているわけで……かならずしもそういうものに拘束されているわけでもないし、「自由業」というのはどうも複数の仕事の総称というわけでもないらしい。 かのレオナルド=ダ=ヴィンチも困ったことでしょう。 彼は絵画を書いてばかりしていたわけではありません。 建築もやったし、力学や解剖学などの研究もやってます。 ご存じの方は彼が書いた「人力ヘリコプターの設計図」を思い起こすでしょう。 いつしか、ダ=ヴィンチは「万能人」といわれるようになるわけです。 いつしか、他のルネサンスの芸術家たちもそうよばれるようになるわけですが、ダ=ヴィンチはまさに「万能人」とよばれるにふさわしい功績を残しました。 しかし、若輩浅学の私が、しかも私自身のことを「万能人」というのは気が引けるので、「一市民」という意味で「市民」と書いたのでした。 これが本当のところで、はい終り、でもいいのですが、せっかくですから、「市民」と「国民」、そして他にもよく使われる「人民」という言葉の意味を、お話しておきましょう。 人は「国民」として生まれるわけではない 人は、人として生まれるのです。 当たり前のようですが、非常に重要なことです。 つまり、「国民」として生まれるわけではないということです。 え……と思う方もいらっしゃるでしょう。 しかし、実際には、胎児には人間としての権利能力は一部認められる(権利が「推定される」)ことはあっても、胎児であるときから「国民」としての権利を持つ、あるいはそうみなされているわけではありません。 日本の民法では胎児の相続能力の規定があります。 しかし、これは「私法」における権利能力であって、公法上の「国民」としての権利能力を与えたものではありません。 公法上の規定は、たとえば日本の場合、以下のような形です。 国籍法第2条 子は、次の場合には、日本国民とする。 一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。 二 出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつたとき。 三 日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないとき。 逆ではありません。 同時に「2つの国籍を持って生まれる」ことはありうる? こういうこともあります。 出生をもって、「2つの国の国民となる」人もいるのです。 原則的に考えれば、「国民」は、どこか1つの国の国民になることであって、2つ以上の国の国民になることなど、ありえません。 1国家だけのメンバー、それが「国民」という意味ですから。 しかし、日本のように「 血統主義=日本国民の血統を持てば原則日本国民」という国もあれば、アメリカ合衆国のように「 出生国主義=アメリカで生まれればアメリカ合衆国民」という国もあります。 ここで問題が起こります。 アメリカに駐在している日本国民の商社マンAさんご夫妻。 もちろんともに日本国民。 ご夫人がご懐妊され、無事出生しました。 ……さて、この子は日本国民として生まれたのでしょうか、それともアメリカ国民として生まれたのでしょうか? いずれもノーです。 日本国民は同時にアメリカ国民にはなれないのが原則だからです。 それが「国民」という概念だからです(もっとも、これではいろいろ不都合も多いので、実際には便宜上一定期間までは日米の二重国籍を許し、その後公民権を得る年代までに国籍を「選択」するようになっています)。 このことから考えると、「国民として生まれる」という言葉の矛盾が、浮かび上がってきます。 人は出生後、なんらかの法作用によって「国民になる」のです。 さて、ここでみなさんに問題を……じっくり考えてください ……なぜか今回はみなさんを深い思考の闇の中に誘っているような気分です。 「わかりやすい政治」なのに。 いや、ここを乗り越えていただけると、一気にわかりやすくなるので、辛抱して下さい。 さて、1つみなさんに課題をご提供します。 なぜ、かのアメリカ大統領・ リンカーンは、かのゲティスバーグの地において「人民の人民による人民のための政治」といい、「国民の国民による国民のための政治」とはいわなかったのでしょうか。 訳の問題ではありません。 この言葉の原語は " government of the people, by the people, for the people. "「people」は人間、人民、民衆という意味ですね。 国民ならば「nation」を使うはずです。 皆さんが混乱している間に第2問です。 イギリス名誉革命、アメリカ独立革命、フランス革命など17~18世紀の一連の民主化革命は「 市民革命」といわれます。 「国民革命」といわれることがありません。 なぜ、名誉革命・アメリカ独立革命・フランス革命は「市民革命」とよばれ、「国民革命」とはよばれないのでしょうか? ……さあ、30分位画面の前で唸ってみて下さい。 その間に私は次のページを書いておきますので……。

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実は超不評だった「人民の、人民による、人民の為の政治」演説|大山敬義 / バトンズCEO / ProPicker|note

人民 による 人民 の ため の 政治 意味

日本語の「国民」は英語で「National(国籍を持つ人)」と「Nation(国家に対する義務・権利を有する人)」の二つの意味が有るそうです。 中国語では「国家」になりますが、英語の「Nation」も「国家」の意味が有るので当然かもしれません。 英語の「Nation」は日本語で「国民」とも「国家」とも訳しますが、中国語の「国民」は「Bingで翻訳」すると日本語での意味では、何故か「国立」になります。 日本人同士でさえ言葉の行き違いが生じるのに、外国人との会話は更に複雑になり誤解も大きくなります。 日本語の「人民」は英語で「People(人々)」、中国語でも「人(人民)」です。 そこで、日本語で言う「国民」の意味(定義)ですが、英語の「Nation」に近く、「国に属し、納税の義務と権利を有する人」とします。 「納税の義務」だけだと、ただ取られっぱなしを意味しますが、「納税の権利」があると云う事は「意見を主張できる」事も意味します。 アメリカが、奴隷制などを巡って国を二分して戦ったとされる南北戦争の最中に、「人民の、人民による、人民のための政治」というフレーズで有名な「ゲティスバーグ演説」が行われました。 この演説の中に「・・・戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけである。 ・・・」との一節があります。 南北戦争は「奴隷制の否定」を唱えた北部が勝ったとされていますが、北部にも「奴隷制」を支持する州もあり、当時は「奴隷」には人権も無く決して「国民」と言える存在ではありませんでした。 そこで、リンカーンが何故「国民」ではなく「人民」と言ったのかが分かります。 「人民」には「国民」と「国民ではない人」が含まれていると云う事です。 但し、ここで言う「国民では無い人」は「非国民」ではなく「国民としての権利を持たない人」と云う意味です。 つまり「人民」とは「権利の有無に拘わらず、国に属する人。 」と云う意味になります。 「中華人民共和国」もその国家体制を見れば「人民」が相応しい言い方だと判ります。 リンカーン演説の「・・・戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、・・・」は、自分が信じる「自由の為には戦争も辞さない」、或いは「戦争が自由の精神を育む」と解釈できます。 正に、中国共産党の革命時の言い方そのものです。 今でも、習近平は戦争の準備をしながら、自由貿易を主張しています。 「自分の自由」の為に戦う米中は双子の兄弟のようです。 この反省からか、アメリカの「People(人民)」は、最近になって自らを「Citizen(市民)」と名乗る人が増えたようです。 「市民」には「国家に管理されない(されたくない)人」の意味が有るそうですが、これは あくまでも「自称市民」なので本来の「市民」とは関係ありません。 その土地に所縁の無い「自称市民」は日本にも増え始めているようです。 日本には「国民」しかいないとは思いますが、若しかしたら本来の「非国民」を意味する「市民」や「人民」がいるかもしれません。

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リンカーンの「人民の人民による人民のための政府」も誤訳ですね。

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ジョージ・ワシントンからドナルド・トランプまで、アメリカは45代の大統領を輩出している。 その中でもっとも評価されている大統領のひとりがエイブラハム・リンカーンだ。 リンカーンはアメリカ分裂という史上最大の危機に直面し、史上最悪の戦争を戦わなければならなかった。 しかしその局面で世界に確固たる威容を示し、アメリカのあるべき姿を見せつけた。 20世紀の覇権国家アメリカの礎は、このときリンカーンによって築かれたと言っても過言ではない。 今回はこの言葉の真意を、リンカーンの偉業とともに紐解いていこう。 農民から大統領へ!リンカーンのアメリカン・ドリーム 1809年、リンカーンはケンタッキー州の森の丸太小屋で、父トーマスと母ナンシーのもとに生まれた。 父は開拓民だったが生活は厳しく、よりよい土地を求めて転々とする日々を送っていた。 両親は字を書くこともできなかったが、敬虔なキリスト教徒で、道徳的に厳しくしつけられたという。 少年時代、ほとんど学校に通うことはなかったが、読書が好きで多くの知識を独学で身につけた。 農家の生活に限界を感じたリンカーンは22歳で親元を離れ、イリノイ州に拠点を移す。 いくつかの職を経て友人と雑貨商を立ち上げるが、まもなく倒産。 1832年にはじめて州の議員選挙に立候補するが、こちらも落選。 そしてまた職を転々とするなど、落ち着きのない生活を送っていた。 1834年、州議員選挙にて初当選を果たす。 36年には独学で弁護士資格を取得し、やがて法律事務所を立ち上げた。 46年にはホイッグ党から出馬して下院議員に選出され、ついに国政に進出する。 この頃、アメリカはメキシコ侵略を進め、メキシコの半分を支配下に置いていた(米墨戦争)。 リンカーンはこうした侵略行為を厳しく非難し、南部と西部で広がりつつあった奴隷制にも反対した。 しかし、リンカーンのこうした政策は大衆の支持を得られず失脚してしまう。 1852年に奴隷の悲惨な生活を描いたストウ夫人の『』がベストセラーになると、アメリカを二分する大論争が巻き起こる。 奴隷制反対の動きが活発化する一方で、黒人はアメリカの国民ではないと結論づける最高裁判決(ドレッド・スコット判決)が成立するなど奴隷制を擁護する動きも加速した。 アメリカ分裂の危機を前に、リンカーンは1856年に共和党入りし、奴隷制反対・国家統一の論陣を張り、注目を浴びる。 58年に民主党のスティーブン・ダグラスとの間で繰り広げられた7回にわたる討論会は全米の注目を浴び、その名を広めた。 1861年3月、ついに第16代大統領に就任するが、これに反発した南部諸州はアメリカ連合国の独立を宣言。 南北戦争が勃発すると、リンカーンは最高司令官として北軍の指揮を執った。 1863年1月1日、奴隷解放宣言が発効。 解放された奴隷を中心に黒人部隊を組織して反攻を進め、63年7月には北軍のグラント将軍が南軍のリー将軍を破って形成の逆転に成功する。 同月のゲティスバーグ演説で自由・平等・民主主義というアメリカの精神を確認し、その堅守を誓った。 1864年11月、圧倒的支持のもとで大統領に再選。 翌年4月9日にリー将軍が降伏して事実上、南北戦争に勝利した。 しかし、そのわずか5日後の14日、ワシントンで観劇中に狙撃され、56年の生涯を閉じた。 南北対立の原因と南部「独立」のロジック 南北戦争は独立後、アメリカ本土で起こった唯一の戦争であり、最大の犠牲者を出した戦争だ。 同じ国を作り上げてきた者同士でどうしてこのような凄惨な戦争が勃発したのだろう?.

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