この項目では、のについて説明しています。 の意味については「」をご覧ください。 その他の用法については「」をご覧ください。 「 イエスタデイ」 の 初出アルバム『』 US-1965 UK-1976 リリース UK LP "Help! " 1965年 US Single UK EP "Yesterday" UK Single 録音 1965年、 時間 25 stereo version 2分9秒 monaural version 2分33秒 "The Beatles Anthology 2" 7th track 2分42秒 "The Beatles Anthology 2" 11th track チャート最高順位• 週間1位 (アメリカ、)• 「」 B面• 「 イエスタデイ」• 「」 ライブ映像 - 「 イエスタデイ」 (: Yesterday)はの・の楽曲。 に発売された5枚目の『』 B面6曲目 に収録されている。 名義はだがが単独で作詞作曲。 はポール。 をバックにしたアコースティック・バラードをビートルズ名義で初めて発売した曲であり、数あるビートルズ・ナンバーの中でも人気の高い作品のひとつである。 世界中のミュージシャンに数多くカヴァーされており、ビートルズ活動時点で既に1,000を超えるカヴァー音源が存在し、正確なカバー数は把握困難である。 「世界で最も多くカヴァーされた曲」としてに認定されている。 調べによる「にのテレビやラジオで最もオンエアされた100曲」のランキングでは、700万回以上のオンエアで3位にランクインされた。 英国BBC4がに放送したドキュメンタリー番組 「ザ・リッチエスト・ソングス・イン・ザ・ワールド」にて音楽史上最も稼いだ10曲を選出しイエスタデイは第4位にランクしている。 の英国ラジオ2の世論調査において最高のベストソングにランク。 翌にローリングストーンと共同のグレイテスト・ポップソング100において第1位にランク。 また、では13位にランクされている。 「バンドがスリーコードやのメロディにとらわれない作曲を行なった」「ロックバンドがを使用した」と評価される。 ビートルズは、この試みの走りとなり、次第にアーティスト集団として見られるようになっていった。 この曲は、現在では「」と共に主に日本の中学校・高等学校の音楽の教科書に採用され教材になっている。 本作については「そうね。 『イエスタデイ』のことは誰でも知ってるんじゃない。 『イエスタデイ』ではぼくもさんざん誉められたな。 もちろん、あれはポールの歌で、ポールの秘蔵っ子さ。 よくできてるよ。 ビューティフルだよ。 でもぼくが作っときゃよかったとは、1度も思ったことはないね」と語った。 作詞作曲の経緯 [ ] ポール及びビートルズの伝記によれば、当時のガールフレンドであると家族が暮らすウェンポール・ストリートにあるポールの部屋で、家で睡眠中に夢の中で流れたメロディを基に作曲したという。 ポールは起床後、メロディを忘れないようにするために急いでを探してスタジオで完成させた。 この時のことをポールは、「あまりに自然に浮かんできたものだから、誰かの曲のメロディなんじゃないかと思って皆に聞かせて回ったけど、誰もこのメロディを知らないみたいだったから、僕のオリジナル曲だと認識した。 」と述べている。 」と記憶しており、ジョンは「何ヶ月も前」と記憶していた。 ジョンによると「ポールは曲のほとんどを書き上げていたんだけど、僕らはどうしても曲名が決められなかった。 そしてある朝ポールが目覚めたら、曲もタイトルも仕上がっていたんだ。 お伽話みたいだけど、これが事実なんだ。 」と語っている。 歌詞の内容から「自分の元を黙って離れて行った恋人を歌った曲」と解釈されていたが、ポールは「僕が14歳の時に乳癌で死去した母への想いを歌った曲」と2001年に述べている。 2010年に『』にゲスト出演した際、司会のと原曲の「Scrambled Egg」をデュエットで披露した。 歌詞はポールがベジタリアンであることを反映したものに変更されている。 その音源はファロンの2012年のアルバム『 ()』に収録された。 レコーディング・編曲 [ ] 本作のレコーディングは、ポールの23歳の誕生日の4日前であるに開始された。 ポールは、ギターのチューニングを全弦1音下げでレコーディング。 2テイク録音されたのち第2テイクが採用され、にがオーバー・ダビングされた。 とを担当したポール以外、他のビートルズのメンバー3人はレコーディングに参加していないが、スタジオには同席している。 本作に対し、は「この曲にを合せるのは難しい」と発言し、ジョンとは「もう一本ギターを追加するのも無意味だと思う」と発言した。 ここでジョージ・マーティンは仮でポールに弾き語りをさせることを提案。 プレイバックを聴いたあとにポールが「僕のソロ曲になるの?」と訊いて、メンバーが「僕らが何かを足す必要はなさそうだ。 」と答えた。 弦楽四重奏のアレンジは、プロデューサーのによるものである。 ポールは最初、ストリングスのアレンジを「みたいなことはお断りだ」と述べていたが、「それじゃあカルテットでどう? 」というマーティンの提案を受容して完成させた。 2度目のサビで第1フレーズと第2フレーズの間にチェロが「ドーミbードーシbーラ」と奏するアレンジと、第3コーラスでヴァイオリンが高音域でラの持続音を奏するアレンジはポールのアイデアである。 に発売された『』には、第1テイクとにで開催されたライブでのライブ音源が収録されている。 ライブ演奏 [ ] この曲がビートルズのコンサートで演奏に際して、2種類のアレンジが存在している。 レコードに倣ってストリングスの演奏に合わせて、ポールがひとりでアコースティック・ギターでの弾き語り形式。 ストリングスは、テープ再生か生演奏の場合で分かれ、稀にポールがで伴奏することもあった。 メンバー全員でのバンド形式。 バンド形式の演奏では、ポールは通常通りヴォーカルとを担当し、スタジオ音源でポールが弾いたギター部分はが演奏し、はストリングスの部分をギターで演奏した。 なお、スタジオ・ヴァージョンがギターが一音下げのチューニングになっているので、コンサートでは逆に一音上げでの演奏になっている からまでの公演において、ポールが「イエスタデイ」を歌いだすと、それまでの観客の歓声が急に止んだ。 ビートルズの公演では異例なことで、ジョンも「クラシックコンサートのステージに急に立ったみたいで、緊張した」と述べている。 ポールも「日本のファンはマナーを守って僕らの曲を聴いてくれるので好感が持てる。 になったきっかけだ」と述べている。 ウイングス時代は一人でエレアコを演奏し、ストリングス部分はサポートのホーン隊が演奏した。 ウイングス解散後のコンサートでもギターを一人で演奏しているがストリングスはキーボードで演奏されている。 ポールのソロ・コンサートでは主にアンコールで演奏されており、90年代のツアーではやのエレアコを使用していたが、2002年のツアーからは、この曲のレコーディングで実際に使用した・テキサンを使って演奏している。 の日本公演では「のに捧げたい」と前置きし歌っている。 ポールは、本作をそのキャリアを通じて、の定番としている。 近年では、ポールと一緒に観客が大合唱する様子が見られる。 ミキシング [ ] モノラル・ミックスはステレオ・ヴァージョンに比較し全体的にエコーが抑えられているが、1番の"something wrong, now I long"の箇所にのみステレオ・ヴァージョン以上に深いエコーがかけられている。 の部分が風に聴こえるが、スタジオ内のモニター用スピーカーからの音でダブルトラックではない。 のCD化の際にリミックスされ、ポールのボーカルとギター、ストリングスの演奏を完全に左右に振り分けた。 - 、• トニー・ギルバート -• () - ヴァイオリン• ケネス・エセックス -• ピーター・ホーリング、フランシスコ・ガバロー -• - 、ストリングス編曲• - シングル盤 [ ] ビートルズ「イエスタデイ」のシングル盤に対して、が授与したのレコード 「イエスタデイ」の盤はにで発売された。 本作は英国ではにアルバム『ヘルプ! 』において発表済みではあったが、米国キャピトル編集盤 『』(1965年発売)には「イエスタデイ」は収録されなかった。 アメリカではに新曲扱いのシングル盤(B面は「」 )。 付のより4週連続で1位を獲得し、4週連続で1位を獲得し、11週にわたってチャートインし、5週間以内で100万枚以上の売り上げを記録。 誌では3週連続第1位を獲得。 日本でもアメリカと同じカップリングのシングル盤は販売されたが、A面は「アクト・ナチュラリー」。 ではビートルズの活動中にはシングル・カットはなされなかったが、4曲入り『イエスタデイ』においてカット発売され、他国への輸出専用盤として『ディジー・ミス・リジー/イエスタデイ』のシングル盤が製造されている。 ビートルズ解散後の、「」をB面にして、英国内販売用にもシングル・カットされた。 このシングル盤はで最高8位を獲得した。 なお日本ではこちらのシングル盤も販売されている。 EP『イエスタデイ』• 『』- 第1テイクとライヴ音源を収録。 『』- イントロに「」のギターフレーズを加えたリミックス・バージョンを収録。 ポール・マッカートニーによるセルフカバー [ ]• 『』 カヴァー [ ] イギリスでは、マット・モンローのヴァージョンが全英8位、のヴァージョンが全英36位をそれぞれ記録している。 1967年には、のヴァージョンもシングル販売され、ビルボード誌では最高第25位、全英最高第44位をそれぞれ記録している。 その他、や、、、、、など、音楽ジャンルを問わず今でもカバーされ続けている。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 演奏前後のメンバーの話も含むので演奏時間は更に短い。 演奏時間の出典は『』のインデックス。 アメリカでは未収録で、1965年にシングルで発売されたのち、に発売されたアルバム『』に収録された• 同日には、同じくポール作の「」や「」のレコーディングも行なわれた。 但し、日本公演では6月30日のみ半音下げのチューニングだったため、半音上げでの演奏になっている• 但し、これは日本だけの現象ではなかったようで、イギリスやアメリカ等の他の国でのテレビ出演時にも、ポールが「イエスタディ」の演奏を始めると観客の声が全く無くなり、静かに聞いている映像が複数残されている• ・・・・・・・・・ではアメリカと同じ「アクト・ナチュラリー」をB面として、・・・・では「」のB面として、では「」をB面として、・では「」のB面として、シングルカットされている。 出典 [ ]• Hall, Claude 1965-10-30. Billboard. Gorlinski, Gini ed. 2010. The 100 Most Influential Musicians of All Time. New York, NY: Britannica Educational Publishing. 275. 2019年4月13日閲覧。 Hoffmann, Frank 1983. The Cash Box Singles Charts, 1950—1981. 32—34• 『日経BPムック 大人のロック! 特別編集 ザ・ビートルズ 世界制覇50年』、2015年、33頁。 BMI. com. 1999年12月13日. 2020年4月16日閲覧。 ジャパンミュージックネットワーク. 2013年1月4日. 2020年4月16日閲覧。 RockOnTheNet. com. 2020年4月16日閲覧。 Penske Media Corporation 2007年. 2020年3月5日閲覧。 『PLAYBOYインタビュー ジョン・レノン』、1981年、94頁。 2005. A Hard Day's Write: The Stories Behind Every Beatles Song 3rd ed. New York: Harper Paperbacks. Cross, Craig 2005. The Beatles: Day-by-Day, Song-by-Song, Record-by-Record. Lincoln, NE: iUniverse, Inc.. 464-465. uDiscover. 2019年11月5日. 2020年3月4日閲覧。 rockinon. com. 2013年9月27日. 2019年7月15日閲覧。 Raphael Brion 2010年12月10日. EATER Vox Media. 2020年3月4日閲覧。 Zink Media, Inc.. 2020年3月4日閲覧。 booklet. London:. 31796。 The Beatles Recording Sessions. 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次のこの曲の歌詞はポール・マッカートニーが作ってます。 先頭から。 深い歌詞といえばジョン・レノンというイメージが強いけれど、ポールもなかなかどうして、すごく深い歌詞の曲がたくさんあります。 「far away」は「すごく遠く」という意味。 ファーラウェー。 「as though」は「as if」と同じ表現で、「まるで~かのようだ」という意味。 「believe in」は「~を信じる」という、受験英語に必須のイディオムですね。 虫食い問題でよく出るんですよ。 toとかonとかatじゃないですからね。 inですよー。 子供さんに教えてあげてください。 「believe in」でセットですから。 My father believes in Santa Claus. (俺のオヤジはサンタクロースを信じてる) こういう使い方をします。 しないか。 Bメロの歌詞も好きだなぁ。 僕には分からない。 彼女は言おうとしなかった) 「had to」は「~しなければならなかった」。 「have to」の過去形ですね。 「have to」は「~する必要がある」「~しなければならない」。 mustと同じですね(ニュアンスは少し違いますけど)。 「would」は「will」の過去形。 ここでのwillは未来を表す使い方ではなく、 人の意志や気持ちを表す時のwillです。 その過去形のwouldなので、「~するつもりがなかった」「~しようとしなかった」という感じ。 なんだか学習塾の授業みたいなエントリーになってきてますが、たまにはクソ真面目に英文法の解説をするときもあります。 I said something wrong Now I long for yesterday (僕は何か間違ったことを言った。 そして今、僕は昨日が恋しい) 「long for」は、このブログでも何度か登場してます。 長いという意味のlongではなく、「切望する、恋こがれる、懐かしがる」という意味のlongです。 これも「long for」という風にセットでよく使われますので、覚えていて損ナシ。 Bメロ後のAメロ。 Yesterday love was such an easy game to play (昨日、愛とはたやすいゲームだった) Now I need a place to hide away (今、僕は隠れる場所が欲しい) Oh I believe in yesterday (ああ僕は昨日を信じている) 「easy game」だけでも「簡単なお遊び」という意味になりますが、後ろに「to play」と続けてるのは、その後の歌詞「away」「yesterday」と韻を踏ませるため。 全部「エイ」という発音で韻を踏んでます。 恋のゲームだから、日本風に言うと「火遊び」ですか。 オレに触るとヤケドするぜ的な。 この曲での「昨日を信じる」ってのは、要するに荒井由美(ユーミン)の「 あの日にかえりたい」と同じコンセプトなんですよ。 昨日に戻れたらどれほどイイか、って感じですね。 この曲に関する余談・エピソード この曲は当初シングルカットの予定もなく、ただのアルバム収録曲でした。 基本的にロックンロールで売ってたバンドが、 初めて弦楽四重奏団とポールのギターだけの演奏で録音した異質な楽曲なので、ビートルズとしてはある意味「チャレンジ」だったんだと思います。 それもあってシングルの予定が当初はなかったんじゃないかと。 ところがライブで披露するうちに評価がどんどん高まり、後にシングルで発表されています。 アメリカや日本では1965年にシングルでリリースされてますが、本国イギリスでシングルがリリースされたのはビートルズ解散から6年後の1976年。 曲を作ったのはポール。 寝ている時に夢の中でメロディーと歌詞が浮かんだ、とポール本人は言ってます。 いつかどこかで聴いたことのある「誰かの曲」なんじゃないかと思い、周囲の人々に聞いたら「そんな曲知らない」とみんな言うので、これはボクが生み出したメロディーなんだな、ラッキー、って思ったんだとか。 ただ、作った当初の歌詞は、 Scrambled Eggs, oh my baby how I love your legs? (愛しのスクランブルエッグちゃん、キミの脚はなんてカワイイんだい) という内容で、曲のタイトルも当初は「スクランブルエッグ」だった、ってのは有名な話。 そんなタイトルだったら音楽の教科書に載らなかったかもね。 この曲のレコーディングに、ポール以外のメンバー(ジョン、ジョージ、リンゴ)は参加していません。 ポールと、プロデューサーのジョージ・マーティン、そしてゲスト参加した弦楽四重奏団、これだけ。 ジョージ・マーティンはビートルズを担当する前にクラシックのジャンルも扱っていたため、ポールの作った原曲を聴いてクラシック調のアレンジを提案したけれど、ポールは当初それを拒否。 そこで折衷案としてシンプルな弦楽四重奏をマーティンが提案し、ポールが了承。 レコーディング中にチェロのアレンジをポールが提案するなど、最終的にはポール自身もノッた状態で完成したようです。 90年代後半以降、ポールはクラシック作品もリリースしてますし、元々クラシックの才能もあったんでしょうね。 ライブでは、レコーディング時と同様にポール一人で弾き語りする時もあったり、他の曲と同じくメンバー全員で演奏したり、いろいろパターンがあったみたいです。 1966年の日本武道館公演では、ポールはアコースティック・ギターではなくベースを弾き、ジョンとジョージがギター、リンゴもドラムを叩くという全員参加バージョンで披露しています。 単に他の3人が引っ込むスペースがなかったからなんだろうな。 ビートルズ解散後、ポールとジョンの仲は険悪になり、互いのソロ楽曲で中傷合戦を繰り広げます。 発端は、ポールが1971年にリリースしたソロアルバム『ラム』に収録した「トゥ・メニー・ピープル(Too Many People)」という曲。 ビートルズの解散直前、むしろジョン以上にポールとの仲が険悪だったジョージ・ハリスンもレコーディングに参加。 歌詞の中で「イエスタデイ」も オチョクリの対象として登場してます。 それが消え去った今、オマエはただの「アナザー・デイ」だ) 「アナザー・デイ」というのは、1971年にポールが初めてソロでリリースしたシングル曲。 長年ずっと親や兄弟以上に親しく、片時も離れず一緒に過ごした仲間だっただけに、いったんコジれるとヤヤコシイんですね。 ちなみにジョンとポールは70年代終わりにはプライベートで和解してたと、ジョンが亡くなる直前のインタビュー記事を編集した「ジョン・レノンPlayboyインタビュー」という本でジョン自身が語ってます。 (おそらくもう廃刊でしょうね).
次の65年に発表されたビートルズの「Yesterday」は20世紀を代表するになりました。 今では考えられないことですが当時のビートルズは保守的な論客による格好の攻撃の的。 毎日、「ビートルズはただの騒音で聴くに堪えない」と中傷されていました。 そんな保守論壇を黙らせたが「Yesterday」です。 弦楽四重奏を加えた美しい伴奏とポール・マッカートニーの甘い歌唱。 「Yesterday」はこれまでのロック・のイメージを転倒させました。 ビートルズにとってこの曲を含む「ヘルプ! 4人は」は中期への準備期間。 このの後の「ラバーソウル」はさらに芸術性を高めてゆきます。 「Yesterday」はビートルズにとって踏切地点。 この頃を境にビートルズは大衆的ロック・から芸術集団へと次元を飛び越えてゆくのです。 レコーディングにも他のは携わっていません。 弦楽四重奏のスコアを書いたのはプロデューサーのジョージ・マーティンです。 でこそ他のも演奏に加わりますが録音はポールとジョージ・マーティンの仕事でした。 日本武道館公演でも「Yesterday」は演奏されています。 悲鳴を上げ続けていた観客が静かに曲を聴いてくれたことにポールは感激して親日家になります。 一方で日本やアジア諸国の客席の静まり返り方に嫌気が差しては活動をやめた。 そんな説もあります。 どちらの説もあまり説得力はなく話半分で聴いたほうが良さそうです。 ジョン・レノンはソロ時代に「イマジン」を書いたときに「Yesterday」について語ったといいます。 「 オレにも『Yesterday』のような曲が生まれた」 著名なエピソードですがジョンは一方でビートルズ時代にこんなこともいっています。 「 別にオレが『Yesterday』作らなかったことを後悔なんかしてないよ」 斯様にビートルズの数々の神話はヴァリエーションが豊富です。 どのエピソードを信じていいかわからなくなります。 そんなエピソードのうちでも「Yesterday」はポールの母親に宛てた曲というものがあります。 実際にポール自身が「MOJO」誌のインタビューで語ったことです。 しかしポールは「 自分でもそのことに長年気が付かなかった」と添えています。 「 心理分析家のいい材料になるのでは?」と語るのです。 それでは実際のをしながらこの謎に迫りましょう。
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