枕草子 ありがたき もの 現代 語 訳。 雨のうちはへ降る頃

『枕草子』の現代語訳:145

枕草子 ありがたき もの 現代 語 訳

現代語訳 めったにないもの。 舅にほめられる婿。 また、姑に思われるお嫁さん。 毛がよく抜ける銀の毛抜き。 主人のことを悪く言わない従者。 少しも癖のない(人)。 容姿や気立て、態度が秀でており、世の中を過ごす間に、少しも欠点のない人。 同じところに(宮仕えして)住む人で、互いに気兼ねして、ほんの少しの油断もなく心づかいしていると思う人が、最後まで(隙を人に)見られないということはめったにない。 物語や説話集などを書き写すのに、本に墨をつけないこと(もめったにない)。 価値のある本などのときには大変注意して書くのだが、必ず汚らしくなってしまうようだ。 男女(の仲)については言うまでもないが、女同士でも、約束を固くして親しく付き合っている人で、最後まで仲の良い人というのは、めったにない。

次の

枕草子の原文内容と現代語訳|清少納言の生涯

枕草子 ありがたき もの 現代 語 訳

与謝野晶子のものは、角川文庫にはいっています。 これの欠点は訳者が歌人だったため和歌がそのままになっている事です。 それ以外は比較的歯切れのよいしかし女性らしい良い訳書だと思います。 湖月抄本の訳書です。 ---注意。 角川文庫では与謝野晶子の源氏物語を二種類出版していますが、片方は抄訳です。 「全訳」の方を求めて下さい。 又最近迄3冊本だったものを改版して5冊にしています。 古本などを利用する際には気をつけて下さい。 谷崎潤一郎訳は中央公論社です。 文庫に入っています。 国文学者の校閲を経ているので、内容は問題ないと思いますが、最近の文章を読みなれた向きには重いかもしれません。 これも湖月抄本の訳書。 原意に忠実と云うと講談社学術文庫の今泉忠義訳を外す事はできません。 国文の参考書の訳のような感じもしますが、解りやすい訳です。 和歌も口語訳がついています。 元は20冊だったのですが、最近改版して7冊になっています。 首書(かしらがき)本の訳。 それ以外の、窪田空穂訳(改造社・入手困難)、円地文子訳(新潮文庫)、田辺聖子訳(仝上)、橋本治訳(中公文庫)は、窪田訳を除いて作者の創意がはいっていますし、窪田訳は入手困難と云う事で省きます。 玉上琢弥訳。 これは角川文庫の各冊前半が原文、後半が訳文と云うかたちではいっているもの。 独立して読める事を念頭においている。 台本が定家直筆本のあるものはそれを用い、存在しないものは明融臨模本、それも存在しなければ飛鳥井雅康本(大島本)と複雑である。 記者はこれをきちんと読んだ事はないので詳細は記述できない。 瀬戸内寂聴訳。 講談社文庫。 これは読んだ事がないので解りません。 大塚ひかり訳。 ちくま文庫。 刊行中で未完。 書店で見た程度だが、注釈などを利用して解りやすい訳書をつくろうとしている。 小学館本の訳書。 お気に召したものをご利用になればと考えます。 A ベストアンサー なるべく原文に忠実なと云うとお勧めは、 講談社学術文庫の今泉忠義訳でしょう。 底本は首書本です。 kodansha. jsp? (URLはその第一冊です。 この本改版になって冊数がかわっています。 旧版全20冊、新装版全7冊。 古本で求める場合には注意が必要です) あとは角川ソフィア文庫の玉上琢弥訳でしょう。 kadokawa. php? もう少し小説的なものは、与謝野晶子訳です。 これも今は角川ソフィア文庫です。 底本は湖月抄本。 kadokawa. php? 最近改版になり5冊になりました。 少し古いものは3冊ですが、別に「与謝野晶子の源氏物語」と云うものが出ておりこれも3冊なので古本で買う時は注意が必要です。 あと、有名なものは谷崎潤一郎訳(中央公論社、文庫版もあり)、円地文子訳(新潮文庫)、窪田空穂訳(改造社、絶版)、瀬戸内寂聴訳などと色々ありますが煩雑になるので省きます。 なお、まんがの「あさきゆめみし」(講談社・三六判本13冊-版元品切-、文庫版7冊、愛蔵版あり)は最初の部分と雲隠の部分と最後の部分に多少のアレンジがあるものの原作に比較的忠実でしかも最後迄収めています。 いきなり読むと現代語訳でも誰が誰だかわからなくなると云う人が多いですが、まんがで粗筋梗概をあたまに入れてから読むのも良いでしょう。 ちなみに記者は与謝野訳を中心に旧今泉訳で和歌など補って読みました。 「あさきゆめみし」はそのあとで入手したのですが、お勧めです。 なるべく原文に忠実なと云うとお勧めは、 講談社学術文庫の今泉忠義訳でしょう。 底本は首書本です。 kodansha. jsp? (URLはその第一冊です。 この本改版になって冊数がかわっています。 旧版全20冊、新装版全7冊。 古本で求める場合には注意が必要です) あとは角川ソフィア文庫の玉上琢弥訳でしょう。 A ベストアンサー 読み易いが、作者の思いや考えが或る程度入っているものを選ぶか、多少、参考書の口語訳的なところがあっても忠実のものを選ぶかによって違います。 前者では、田辺聖子訳(新潮文庫)、瀬戸内寂聴訳(講談社文庫)、円地文子訳(新潮文庫)あたりでしょう。 国語が苦手では一番良い与謝野晶子訳(角川文庫)と谷崎潤一郎訳(中公文庫)は勧められないですから。 忠実と云う事ならば、 講談社学術文庫-今泉忠義訳。 (現代語訳のみ、新装版は7冊) 角川文庫-玉上 琢弥訳。 (各冊前半は原文。 後半は口語訳。 訳だけでも独立して読めるようにしてある。 10冊) 中学校卒業程度ですと、源氏物語を読む前提知識や有職故事(ゆうそくこじ)の知識も期待できないと思います。 筋書き梗概をしるには漫画で読むのも方法です。 大和和紀「あさきゆめみし」講談社(文庫版7冊)が良いでしょう。 一部若い人に読み易く補作をしたり改変をしていますが全体としては最後迄作を追っています。 A ベストアンサー 世界に誇る日本の古典文学の最高峰、「源氏物語」に挑戦される方々が増えていますね。 四人の口語訳にはそれぞれ特徴があり、選択に迷いますよね。 私の感想を申しますと、谷崎口語訳は原文に忠実で文章の流れが美しいと思います。 与謝野晶子は偉大な歌人だけあって源氏物語の重要な構成を成す和歌に精通していて、私も参考にしました。 円地文子は二人に比べると現代的感覚の訳文ではないかと思います。 瀬戸内寂聴さんは、男女の恋愛を中心にとらえていて、文体も難易度が低く一番読みやすいと思います。 物語は男女の恋愛だけではなく もちろん物語の軸にはなっていますが)平安貴族の雅な世界が満ち溢れたなかに主人公・光源氏を通して、野望と権力、死生観などなど、式部の鋭い観察力、深い洞察力、幅広い審美眼に圧倒されます。 ストーリーを追うだけではなく想像力を全開して読む楽しさと満足感を得たいと思られましたら、先の三方をお薦めします。 全巻読破することよりも、巻ごとに楽しんではいかがでしょうか。 世界に誇る日本の古典文学の最高峰、「源氏物語」に挑戦される方々が増えていますね。 四人の口語訳にはそれぞれ特徴があり、選択に迷いますよね。 私の感想を申しますと、谷崎口語訳は原文に忠実で文章の流れが美しいと思います。 与謝野晶子は偉大な歌人だけあって源氏物語の重要な構成を成す和歌に精通していて、私も参考にしました。 円地文子は二人に比べると現代的感覚の訳文ではないかと思います。 瀬戸内寂聴さんは、男女の恋愛を中心にとらえていて、文体も難易度が低く一番読みやすいと思います。 A ベストアンサー ご希望のような本でしたら、わたしは田辺聖子の「新源氏物語」で決まりだろうと思っています。 とは言っても、別に各種現代語訳を読み比べたわけではなく、それそのものの感想としてでしかありませんが…… あまり捻らず、素直に書いているところが気に入っています。 読みやすいです。 わたしは古典関連は田辺さんによるところが大なので、かなりの贔屓が入っていますけれども。 ちなみに先の方を(勝手に)補足させていただきますが、「源氏がたり」の方は、おそらく講演かカルチャーセンターの講義?を文に起こしたもので、基本は談話です。 面白いですが、物語・小説ではありません。 気軽な解説です。 それから瀬戸内寂聴は「わたしの源氏物語」ですね。 これも解説……というより、源氏関連のエッセイです。 「女人源氏物語」の方は、様々な女たちの一人称(脇役含む)で語られるのが特徴的な話です。 田辺版より捻った形式ではあります。 瀬戸内寂聴は現代語訳として源氏物語を出してますので、王道という意味ではそちらかも。 人の呼び方でかなり混乱した記憶が。 わたしはそれを読んでハマったので、それなりに魅力ある訳だとは思うんですけど。 でも一般的ではないかなあ。 いずれにしても、わたしの一押しは田辺訳ですね。 この人は源氏関連の本を沢山出しているので、そちらの方もどうぞ。 ご希望のような本でしたら、わたしは田辺聖子の「新源氏物語」で決まりだろうと思っています。 とは言っても、別に各種現代語訳を読み比べたわけではなく、それそのものの感想としてでしかありませんが…… あまり捻らず、素直に書いているところが気に入っています。 読みやすいです。 わたしは古典関連は田辺さんによるところが大なので、かなりの贔屓が入っていますけれども。 ちなみに先の方を(勝手に)補足させていただきますが、「源氏がたり」の方は、おそらく講演かカルチャーセンターの講義?を文に起こ... A ベストアンサー あなたがどのような理由で『枕草子』を必要としているかによって回答が変わりますね。 もし趣味で読んでみたいというのであれば、すでに回答されているような角川文庫の「ビギナーズクラッシクス」版や、清川妙氏『美しきもの 枕草子』(小学館)といった抄録本がいいです。 しかし、何らかの学習に使うのであれば原文を読まなくては始まりません。 この場合、現代語訳がついているからといって安易に小学館の古典文学全集本を使ってしまうと・・・これは底本が「能因本」というあまり現在ではメジャーでないものなので、本文が「みんなが知っている」三巻本系統とは異なっていますから注意。 新編古典文学全集は三巻本系統本文ですから、こちらのほうがいいでしょう。 また、全訳はありませんが、かなりの部分に現代語の注がついている新潮日本古典集成の『枕草子』上下は、萩谷朴氏の自信作ですし、橋本治氏や酒井順子氏(『枕草子 REMIX』の底本となっています。 なお、田辺聖子氏の『春はあけぼの 枕草子』は小説ですので、原文そのままではありませんし、田辺氏の想像をかなり含んでいますので、あくまで小説として楽しむべきものでしょう。 あなたがどのような理由で『枕草子』を必要としているかによって回答が変わりますね。 もし趣味で読んでみたいというのであれば、すでに回答されているような角川文庫の「ビギナーズクラッシクス」版や、清川妙氏『美しきもの 枕草子』(小学館)といった抄録本がいいです。 しかし、何らかの学習に使うのであれば原文を読まなくては始まりません。 この場合、現代語訳がついているからといって安易に小学館の古典文学全集本を使ってしまうと・・・これは底本が「能因本」というあまり現在ではメジャーでないものな... A ベストアンサー 「平家物語」と一口に云いますが、元々「平曲」と云われ琵琶法師が語ったものを筆紙に留めたものとされているので、版によってゆれがあります。 「源平盛衰(じょうすい)記」も異本の一つされています。 又「源氏物語」と異なり国史に基づいているので、史実も鑑みながら自己の小説として展開されている方もいらっしゃいます。 その高名な例は吉川英治の「新平家物語」でしょう。 wikipedia. kodansha. jsp? これには口語訳が入っています。 shogakukan. ) あとは、むかし河出書房から刊出されていた現代語訳のシリーズの一部が河出文庫に入っています。 平家は戦前の芥川賞作家が担当しています。 文庫は現行なようです。 kawade. 「今昔物語」如く平凡社の東洋文庫にあるなど例もありますが。 (但し、版元品切が多い)よく言われるようの国文の古典は大体全集に入っています。 角川ソフィア文庫に入っているものも現代語訳を収めているものが多いのですが「平家物語」はそれがありません。 上記以外となると中々難しいのですが、個々にあたると意外のものがあります。 (絶版や稀数本もありますが…) 絶版本に福音館のものがあります。 高等学校の生徒向けだったのですが、「平家物語(上・下)」「枕草子」「徒然草」などを全訳で収めていました。 所謂袖珍本と云う大きさでした。 「源氏物語」は2冊で中絶でした。 Webで全訳を展開しようとしているところがあります。 html ご参考にならば幸甚です。 「平家物語」と一口に云いますが、元々「平曲」と云われ琵琶法師が語ったものを筆紙に留めたものとされているので、版によってゆれがあります。 「源平盛衰(じょうすい)記」も異本の一つされています。 又「源氏物語」と異なり国史に基づいているので、史実も鑑みながら自己の小説として展開されている方もいらっしゃいます。 その高名な例は吉川英治の「新平家物語」でしょう。 wikipedia. A ベストアンサー たしかに、平安時代には、格調高い文学作品としてというより「長大な恋愛もの」、今でいえばハーレクインロマンスのような読まれ方をしていた面があると思います。 古典なので勉強して読まねば!という人はいなくて、「源氏と朧月夜はどうなるの!?どきどき」とか「薫大好き!」みたいな読み方が多かったのでは、と私は想像しております。 そんな長大な物語が、現代まで(つまり千年も)読み継がれていることに価値があるし、それだけの魅力ある作品であることは間違いないでしょう。 もちろん、女性が書いた初めての長編小説であることも歴史的意義があります。 純粋に物語としての魅力をあげると、 ・膨大な登場人物一人ひとりの書き分けが出来ていて、魅力ある様々な 人物を創造している。 なんせ、源氏占い(クイズに答えると、「登場人物の誰か」という 診断ができる)というのがあるほどですから。 (最近となえられ始めた説ですが、それぞれの人物に合わせて 和歌のうまい、へたのレベルも書き分けられてるらしいです) ・光源氏という人物(ヒーロー)の創造。 (在原業平につぐアイドル?を女性の手でつくった) どんなに評判が悪くっても、日本人みんな「光の君」というと 知ってる、というのはすごいこと。 好き嫌いは別として。 ・長い年代にわたる一大ロマン小説の構成 桐壺から宇治十帖まで、親子3代にわたる長編ロマンというのが 千年前に描かれていたことはすごい! 付録の家系図なんか読むとくらくらしますね。 人物多くて。 古典としての価値は ・当時の風俗・習慣・考え方(仏教の思想など)を垣間見る ことができる。 ・膨大な数の和歌(登場人物が作ったとされている)が載っている。 ・古文の味わい。 ・当時の都(京都)の様子をしのぶことができる。 (今でも嵯峨野・宇治に行き、源氏ツアーが楽しめます) 結局、ひとつの小説作品として考えると、好き・嫌いは分かれるでしょうし、 光源氏を良いと思うか否か、でも評価は分かれるでしょうね。 でも、女の子の面白がる理由の一つはやはり、光が好きか、または、やはり時代は違っても人の恋愛話は面白い、ということではないでしょうか・・・。 たしかに、平安時代には、格調高い文学作品としてというより「長大な恋愛もの」、今でいえばハーレクインロマンスのような読まれ方をしていた面があると思います。 古典なので勉強して読まねば!という人はいなくて、「源氏と朧月夜はどうなるの!?どきどき」とか「薫大好き!」みたいな読み方が多かったのでは、と私は想像しております。 そんな長大な物語が、現代まで(つまり千年も)読み継がれていることに価値があるし、それだけの魅力ある作品であることは間違いないでしょう。 もちろん、女性が書いた... A ベストアンサー 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義 右派リバタリアン で、それ以後を新保守主義 ネオコン といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン 左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法 戦争など過激な改革を許容する を執ると言う主義 です。 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで 高福祉政策 」などが有ります。 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。 そして変える方向 変えない方向 が自由か統制かで分類できます。 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。 自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...

次の

大大大至急!!今日中にお願いします!枕草子 第二八六段、うちとくまじきも...

枕草子 ありがたき もの 現代 語 訳

枕草子とは 枕草子が書かれたのは平安時代の中期、1001年 長保3年 頃。 約300の章段から成り、大きく分けて内容は下記の3種類に分類されます。 「川は」など、特定のテーマに沿って関連するものを書いた 類聚的章段• 宮中での経験を書いた 日記的章段• 思ったことや考えを書いた 随想的章段 清少納言の生涯 枕草子の作者、清少納言が生まれたのは966年頃。 あまり身分の高くない受領階級の娘として生まれました。 歌人として活躍していた家系で、父親は後撰和歌集の撰者でもある清原元輔。 清少納言もその文才を受け継いだのです。 16歳頃、清少納言は橘則光と結婚し、翌年に則長を生みます。 そして993年、清少納言が30歳くらいの時に一条天皇の妃である 中宮定子に仕えるため、宮中に出仕しました。 定子と清少納言の仲は非常に良く、当時貴重だった 紙を定子に貰った事が枕草子執筆のきっかけになります。 密かに書いていた枕草子でしたが、左中将の源経房が訪れた時にこの本を借り、それを周囲の人間にも読ませた事から世間に広まっていきました。 枕草子執筆のきっかけとなった定子でしたが、清少納言に紙を渡した数年後、24歳の若さで亡くなってしまいます。 定子が枕草子の全編を読むことが出来たのかは、わかっていません。 枕草子は、清少納言が宮仕えをしていた7年間の出来事や考えたことを書いた随筆です。 実は、定子が上昇気流だったのは清少納言の出仕から1年程の間でした。 父を亡くし、兄が流罪になるなど、その後は定子も清少納言も惨めな経験も多かったのです。 しかし、枕草子にはそういった辛い出来事などは書かれていません。 そういった事も踏まえて読んでみると、また違った味わいが出てくると思います。 ちなみに清少納言は当時としては長命で、60歳程まで生きたとされています。 枕草子の内容 この章では、枕草子の原文と現代語訳を抜粋してご紹介します。 冒頭文 第一段:原文 春はあけぼの。 やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。 夏は夜。 月の頃はさらなり、闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。 また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。 雨など降るも、をかし。 秋は夕暮れ。 夕日のさして、山の端いと近くなりたるに、烏(からす)の、寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。 まいて、雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。 日入りはてて、風の音、虫の音など、はた、言ふべきにあらず。 冬は早朝 つとめて。 雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。 霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶(ひおけ)の火も、白き灰がちになりて、わろし。 現代語訳 春はほのぼのと夜が明けるときが素敵。 だんだんとあたりが白んで、山のすぐ上の空がほんのりと明るくなって、淡い紫に染まった雲が細くたなびいている様子が良い。 夏は夜。 月が出ていればもちろん、闇夜でも、蛍がいっぱい飛び交っている様子。 また、ほんの一つ二つ、ほのかに光っていくのも良い。 雨の降るのもまた良い。 秋は夕暮れ。 夕日が赤々と射して、今にも山の稜線に沈もうという頃、カラスがねぐらへ帰ろうと、三つ四つ、二つ三つなど思い思いに急ぐのさえ、しみじみと心にしみる。 まして、カリなどで列を連ねて渡っていくのが遥か遠くに小さく見えるのは面白い。 すっかり日が落ちてしまって、風の音、虫の音などが様々に奏でるのは、もう言葉に尽くせない。 冬は早朝。 雪が降り積もっているのはもちろん、霜が真っ白に降りているのも、またそうでなくても、はりつめたように寒い朝、火などを大急ぎでおこして炭火を部屋から部屋へ運んでまわるのも、いかにも冬の朝らしい。 昼になってだんだん寒さが緩むと火鉢の炭火も白く灰をかぶってしまって間の抜けた感じだ。 すさまじきもの 第二二段:原文 すさまじきもの。 昼吠ゆる犬。 春の網代。 三、四月の紅梅の衣。 牛死にたる牛飼ひ。 稚児亡くなりたる産屋。 火おこさぬ火桶、炭櫃 すびつ。 博士のうち続きに女子うませたる。 方違にゆきたるにあるじせぬ所。 まして節分などはいとすさまじ。 現代語訳 似合わなくて期待はずれで、気持ちがさめてしまうもの。 昼に吠える犬。 春まで残っている網代。 三、四月 今の四、五月 の紅梅がさねの着物。 牛の死んでしまった牛飼い。 赤ん坊の亡くなってしまった産室。 火をおこさない火鉢、いろり。 学者の家に続いて女の子ばかり生まれたの。 方違え 陰陽道で災いを避ける為に方向を変えてから目的地に行くこと に行ったのにご馳走をしない家。 まして節分など特別な日は、ほんとうに期待はずれだ。 心ときめきするもの 第二六段:原文 心ときめきするもの。 雀の子飼ひ。 稚児遊ばする所の前渡る。 よき薫き物たきて、一人臥 ふ したる。 唐鏡の少し暗き見たる。 よき男の車とどめて、案内問はせたる。 頭洗ひ、化粧じて、香ばしう染みたる衣など着たる。 ことに見る人なき所にても、心のうちはなほいとをかし。 待つ人などのある夜、雨の音、風の吹きゆるがすも、ふと驚かる。 現代語訳 心がときめくもの。 スズメの子を飼う。 赤ん坊を遊ばせている所の前を通る。 良い香をたいて、一人で横になっている時。 舶来の鏡が少し曇ったのを覗き込んだ時。 身分の高そうな男が牛車を止めて、供の者に何か尋ねさせているの。 髪を洗い、お化粧をして、香りをよくたきこんで染み込ませた着物などを着た時。 別に見る人もない所でも、心の中ははずんでとても素敵だ。 待っている男のある夜、雨の音、風が吹き、がたがた音がするのも、はっと胸が騒ぐ。 過ぎにし方恋しきもの 第五九段:原文 河は。 飛鳥川、淵瀬も定めなく、いかならむと、あはれなり。 大井川。 音無川。 七瀬川。 耳敏川、またも何事をさくじり聞きけむと、をかし。 玉星川。 細谷川。 五貫川、沢田川などは、催馬楽 さいばら などの思ははするなるべし。 名取川、いかなる名を取りたるならむと、聞かまほし。 吉野川。 天の河原、「棚機つ女に宿借らむ」と、業平が詠みたるも、をかし。 現代語訳 川は。 飛鳥川、昨日は深かったところが今日は浅瀬になっていると、歌では無常そのもののように詠まれているが、どんな川なのかあわれに思われる。 大井川、音無川、七瀬川。 耳敏川。 また、いった何ごとをりこうぶって聞いたのだろうと思うとおかしい。 玉星川。 細谷川。 五貫川・沢田川などは、催馬楽 =宮廷の雅楽 などを思い浮かべる。 名取川、どんな名を取ったのだろうと聞きたくなる。 吉野川。 天の河原、「七夕の織姫に宿を借りよう」と在原業平が歌に詠んだのも、面白い。 わりなくしぶしぶに、起きがたげなるを、強ひてそそのかし、「明け過ぎぬ。 あな見苦し」など言はれて、うち嘆く気色も、げに飽かずもの憂くもあらむかし、と見ゆ。 指貫なども、居ながら着もやらず、まづさし寄りて、夜言ひつることの名残、女の耳に言ひ入れて、なにわざすともなきやうなれど、帯など結ふやうなり。 格子押し上げ、妻戸ある所は、やがてもろともに率て行きて、昼のほどのおぼつかなからむことなども言ひ出でにすべり出でなむは、見送られて、名残もをかしかりなむ。 思ひいで所ありて、いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫の腰こそこそとかはは結ひ、直衣、袍、狩衣も、袖かいまくりて、よろづさし入れ、帯いとしたたかに結ひ果てて、つい居て、鳥帽子の緒、きと強げに結ひ入れて、かいすふる音して、扇、畳紙など、昨夜枕上に置きしかど、おのづから引かれ散りにけるを求むるに、暗ければ、いかでかは見えむ、「いづら、いづら」と叩きわたし、見いでて、扇ふたふたと使ひ、懐紙さし入れて、「まかりなむ」とばかりこそ言ふらめ。 現代語訳 男というもの、やはり、明け方の別れ際の姿にこそ、そのセンスと真情が問われるというもの。 しかたなくしぶしぶと、いかにも起きたくなさそうなのを、女に無理にせきたてられ、「もうすっかり明るくなってしまったわ。 世間体が悪い」などと言われ、ちょっとため息なんかついているのは、本当にもっと一緒にいたいのだろうと思わせる。 指貫袴なども座ったままではこうともせず、また女にくっついて、夕べの甘いことばの続きを女の耳にささやき、そのうちさりげなく帯など結ぶ様子ではある。 格子を押し上げて、妻戸 =両開きの扉 の所まで女を連れていき、今日の昼間会えない間、どんなに気がかりで不安だろうかなどとつぶやきながらそっと出て行く。 そんな別れ方なら、女も自然にその後姿を、いつまでも名残惜しげに見送ることだろう。 何か急に思い出したようにさっさと起き出して、ばたばたと指貫袴をはいてひもをごそごそ締め、直衣や狩衣なども袖をまくりあげてたくし込み、帯を固く結んで座り直し、烏帽子のひもをきっときつそうに結び、それをきちっとかぶり直す音がする。 扇・懐紙など、夕べ枕元に置いたのが自然にあちこち散らばってしまったのを探すのだが、暗いので見つからない。 「どこだ、どこだ」と手探りでたたきまわり、やっと見つけ出してほっとして扇ではたはたあおぎ、懐紙を突っ込んで、「それじゃ、帰るとするか」などと言う。 ありがたきもの 第七二段:原文 ありがたきもの。 舅に褒めらるる壻。 また姑に思はるる嫁の君。 毛のよく抜くる銀の毛抜き。 主そしらぬ人従者。 つゆの癖なき。 かたち・心・ありさますぐれ、世にふるほど、いささかのきずなき人。 同じ所に住む人の、かたみに恥ぢかはし、いささかの暇なく用意したりと思ふが、遂に見えぬこそかたけれ。 物語・集など書き写すに、本に墨つけぬ。 よき草紙などは、いみじう心して書けど、必ずこそ汚げになるめれ。 男・女をば言はじ、女どちも、契り深くて語らふ人の、末まで仲よき事、かたし。 現代語訳 めったにないもの。 舅にほめられる婿。 また、姑にほめられるお嫁さん。 毛がよく抜ける銀の毛抜き。 主人の悪口を言わない使用人。 全然欠点のない人。 顔立ち・心・ふるまいも優れていて、ずっと世間で人付き合いをしてきて、ほんの少しの非難も受けない人。 同じ仕事場で働いている人で、互いに礼をつくし、少しの油断もなく気を遣い合っている人が、最後まで本当のところを見せないままというのもめったにない。 物語や和歌集などを書き写す時、元の本に墨を付けないこと。 上等な本などはとても気を付けて写すのだけれど、必ずといっていいほど汚してしまうようだ。 男と女とはいうまい、女同士でも、関係が深くて親しくしている人で、最後まで仲が良いことはめったにない。 あさましきもの 第九三段:原文 あさましきもの。 指櫛 さしぐし すりて磨くほどに、物に突きさへて折れたる心地。 車のうち返りたる。 さるおほのかなる物は、所せくやあらむと思ひしに、ただ夢の心地して、あさましうあへなし。 人のために恥づかしうあしき事、つつみもなくいひいたる。 かならず来なむと思ふ人を、夜一夜起き明かし待ちて、暁がたに、いささかうち忘れて寝入りにけるに、烏のいと近く、かかと鳴くに、うち見あげたれば、昼になりにける、いみじうあさまし。 見すまじき人に、ほかへ持て行く文見せたる。 むげに知らず見ぬことを、人のさし向かひて、争はすべくもあらず言ひたる。 ものうちこぼしたる心地、いとあさまし。 現代語訳 呆然としてしまうもの。 指櫛をこすって磨くうち、物にぶつかって折ってしまった時の気持ち。 牛車がひっくり返ったの。 あんなに大きなものはどっしりしていると思っていたのに、ただ夢のような気がして、唖然としてあっけない思いだ。 当人にとっては恥ずかしく具合の悪いことを、遠慮もなく言っているの。 絶対来ると思う男を、一晩中まんじりともせず起きて待っていて、明け方にふと忘れて寝込んでしまい、カラスがすぐそばでカアカア鳴くので、ちょっと見上げたら昼時になってしまっていた、なんてことだと呆れ返ってしまう。 見せてはいけない人に、他へ持って行く手紙を見せてしまったの。 こちらがまるっきり知らず見もしないことを、人が、ひざ詰めで反論もできないぐらいに言うの。 何かをひっくり返してこぼした時の気持ち、本当にがっかりだ。 胸つぶるるもの 第一四五段:原文 胸つぶるるもの。 競馬見る。 元結よる。 親などの心地あしとて、例ならぬ気色なる。 まして、世の中などさわがしきころ、よろづの事おぼえず。 また、物言はぬ児の泣き入りて、乳も飲まず、乳母の抱くにも止まで、久しき。 例の所ならぬ所にて、殊に又いちじるからぬ人の声聞きつけたるは道理 ことわり 、異人 ことひと などの、その上などいふにも、まづこそつぶるれ。 いみじう憎き人の来たるにも、またつぶる。 あやしくつぶれがちなるものは、胸こそあれ。 昨夜来始めたる人の、今朝の文の遅きは、人のためにさへ、つぶる。 現代語訳 はらはらどきどきするもの。 競馬見物。 元結をよる時。 親などが具合が悪いといって普段と違う様子の時。 まして、世間で伝染病が流行っていると聞けば、もう何も手につかない。 また、口の聞けない赤ん坊が泣くばかりで乳も飲まず、乳母が抱いてもずっと泣き止まない時。 思いがけない所で、特にそれも、公でない恋人の声を聞きつけた時は当然のこと、他の人が、その噂などをしても、たちまちドキドキする。 ひどく嫌な人が来た時もまたドキドキ。 変にドキドキ縮みっぱなしなのが心臓というもの。 昨夜通い始めた男の今朝の手紙が遅いのは、人ごとでもはらはらする。 うつくしきもの 第一四六段:原文 うつくしきもの。 瓜に書きたる児の顏。 雀の子の、鼠なきするに、をどりくる。 二つ三つばかりなる児の、急ぎて這ひくる道に、いと小さき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。 頭は尼そぎなる児の、目に髮のおほへるを、かきはやらで、うち傾きて、物など見たるも、うつくし。 大きにはあらぬ殿上童の、装束きたてられて歩くも、うつくし。 をかしげなる児の、あからさまに抱きて遊ばしうつくしむ程に、かいつきて寝たる、いとらうたし。 雛の調度。 蓮のうき葉のいと小さきを、池よりとりあげたる。 葵のいと小さき。 何も何も、小さき物は、皆うつくし。 いみじう白く肥えたる児の二つばかりなるが、二藍の薄物など、衣長にて、襷結ひたるが這ひ出でたるも、また、短きが袖がちなる着て歩くも、皆うつくし。 八つ九つ、十ばかりなどの男子の、声は幼げにて書読みたる、いとうつくし。 鶏の雛の、足高に白うをかしげに、衣みじかなるさまして、ひよひよとかしかましう鳴きて、人の後・前に立ちて歩くも、をかし。 また、親の、ともに連れて立ちて走るも、皆うつくし。 雁の子。 瑠璃の壺。 現代語訳 かわいらしいもの。 ウリに描いた子どもの顔。 スズメの子がチュッチュッというと跳ねて来る。 二つか三つの幼児が、急いで這ってくる途中に、ほんの小さなごみがあったのをめざとく見つけて、ふっくらと小さな指でつまんで、大人などに見せているしぐさ。 おかっぱ頭の子どもが、目に前髪がかかるのをかき上げないで、ちょっと頭をかしげてものを見たりしているしぐさ。 それほど大きくはない公卿の子息が、美しい衣装を着せられて歩く姿。 きれいな赤ん坊が、ちょっと抱いてあやしてかわいがっているうちに、抱きついて寝てしまったようす。 人形遊びの道具。 ハスの浮き葉のとても小さなのを、池の中から取り上げたの。 アオイのとても小さいの。 小さいものはみんな可愛らしい。 たいそう色白な太った幼児で、二つばかりのが、二藍の薄物の長いのを着て、袖をタスキに結んで這い出して来たのも、また、丈は短いが袖ばかり目立つのを着て歩きまわるのも、みな可愛い。 八つか九つ、十くらいの少年が、子どもっぽい高い声で本を読んでいるのも。 ニワトリの雛が、足長く、白く愛らしく、裾をからげたような格好で、ぴよぴようるさく鳴いて、人の後先に立って歩くのも面白い。 また、親鳥が一緒に連れて走るのもみな、可愛らしい。 カルガモの卵。 瑠璃の壺。 ただ過ぎに過ぐるもの.

次の