大学入試改革 英語。 忘れちゃいけない大学入試改革の議論。英語の民間試験に批判的な委員も検討会議に復帰。今後の行方は?

大学入試「英語民間試験」への批判に改革のキーマンが大反論

大学入試改革 英語

2020年、中学受験は大きく変わることはない!? 来年の4月、2020年度から始まる大学入試改革。 「明治以来の大改革」と喧伝され、一時は「従来の進学校が凋落する」とか「中学受験なんて意味がなくなる」などと騒がれましたが、実施時期が近づくにつれて迷走を続けてきたのはご存じの通り。 大学入試センター試験に代わって始まる大学入学共通テストの目玉は、「数学と国語の記述式問題」「英語の民間試験」でしたが、英語民間試験の活用が見送られたのに続き、つい最近、国語と数学の記述式問題の導入も延期が決まりました。 2020年度大学入試改革の売りともいえる2つの方式が消えてしまったことになります。 2020年度の大学入試改革は、大学教育改革、高校教育改革とともに、「高大接続改革」の三本柱のひとつとして提案されました。 この教育改革で、「ドミノ倒しのように高校以下の教育を変えていこうという思惑があった」のですが、英語民間試験や国語、数学の記述式問題の延期に代表されるように、混迷の度を深めています。 総論としてはおおむね歓迎されたプランでしたが、実際にどのような試験をどういった方法で実施するかという各論の部分入ると、大学や高校などの教育関係者の反対が高まり、そのたびに弥縫策として改善案が示され、また混乱するということを続けてきたのです。 以前からおおたさんは、著書や講演で、教育制度も大学入試も「大きく変わることはない」と持論を展開していました。 その理由について懇切丁寧に解説。 これから中学受験を志す親子に向けて、いま、教育界に起きている変化の本質を的確に把握してもらうと同時に、今後の中学受験を読み解く上で必要となる情報リテラシーを身につけてもらう目的で執筆されたのが本書です。 大学入試改革はブラックジョーク 本書の章立ては、以下のような構成になっています。 第1章 2020年度大学入試改革のあらまし 第2章 大学からも高校からも聞こえる不協和音 第3章 中学受験の志望校選びへの影響 第4章 中学入試に表れた新しい出題傾向 第5章 いま親に必要な「中学受験情報リテラシー」 第6章 中学受験勉強の新しいカタチ 第1章と第2章で大学入試改革の現状と将来への展望を解説したあと、では、これから中学受験をひかえている親子はどのような対策をすべきか。 中学入試の出題傾向の変化や新しい時代の志望校選びのポイント、さらには今後、中学受験勉強に起こり得る変化や親としての心構えなどについて述べるという構成です。 大学入試改革について、たいていの人は正確な内容を知り得ないでしょう。 メディアも扇情的な言葉で不安をあおる傾向があります。 「改革」の議論が時系列でまとめられ、それに対する解説を読むと、著者が第3章冒頭で「現在の大学入試改革はあらぬ方向に進んでいる」と述べている意味がよくわかります。 世の中の変化に合わせ、知識偏重の教育からアクティブラーニングへ、主体性・多様性・協調性や思考力・判断力・表現力を重視する教育へ、といった目的は良くても、それを実現するための具体的な対策案が複雑で、しかも世の中の変化に合っていないと感じます。 センター試験で、一応は安定している受験環境を劇的に変化させ、それぞれ教育方針や歴史が違う全国の高校や大学に納得してもらおうということ自体に無理がありそう。 そうした「改革」の現状に対し、本書の「はじめに」で著者はこんなふうに述べています。 大学入試改革を先取りしている私立中高一貫校 中学受験にも影響を与える大学入試改革が「ブラックジョーク」では、新しい時代に中学受験を迎える親子にとって、ゆゆしき問題ではあります。 2024年度には、大学入試改革がさらに推し進められ、さらなる混乱が起こることも考えられます。 しかし、第3章と第4章を読むと、それほど心配する必要はなさそうです。 確かにこれから中学受験を目指す親子は、混乱の影響を受けるかもしれませんが、「改革」が迷走を続けているだけに、お題目通りには実現しそうにないからです。 しかも、大学入試改革の議論が始まってからというもの、中学受験の出題傾向が、急速に変わっているのです。 たとえば大学入試改革では「合教科・科目型」「総合型」のテストを実施するという青写真が描かれていますが、著者によると、中学入試においてはすでに首都圏の約半数の学校で実施されているとのこと。 しかも、名門校と呼ばれる学校ほど対応が早く、すでに教育横断型のアクティブ・ラーニングを行っている学校が多いからです。 また、この5年間で思考力型入試や適性検査入試といわれる新しい中学受験が急激に増えています。 第一の理由は、公立の中高一貫校の人気が高まり、惜しくも不合格になった受験生の受け皿として適性検査型の入試を始めたところ、学力的にも高い能力を持った生徒が集まったことにあると、著者はみています。 もうひとつの背景が大学入試改革の議論です。 「学力」を広くとらえなおして生徒を評価しようとする動きに連動するかたちで広がり、効果的なアクティブ・ラーニングの研究も進みました。 すると、これまで実力を発揮できなかった生徒が輝き出すことに教師たちが気づく。 だったらその手法を入試に応用してみようというということで、「四教科・二教科入試だけでなく、さまざまな角度から受験生に光を当てるための多様な入試が発明された」のです。 こうした動きについて、第4章の最後で著者はこう記しています。 「政府主導の大学入試改革自体は怪しげな方向に進んでいるが、そのもともとの理念と時代の変化を正確に捉えた私立中高一貫校は、小回りの良さを活かし、各々の判断で、あるべき授業の姿と入試の姿をすでに具現してしまった」 「中学受験改革」が大学入試改革を先取りしてしまったというわけです。 間接的に大学入試改革がもたらした、副次的な効果と言えるでしょう。 大学入試改革など恐れる必要はない 第5章で偏差値の読み方や東大合格者ランキング一覧表の利用方法など、新たな時代に中学受験をするときに親として知っておかなければならない基礎知識を解説。 そして、最後の第6章で、「これから中学受験勉強に起こり得る新たな変化」へと移ります。 ここでの結論は、「大学入試改革など恐れることはない」。 2020年度に引き続き2024年度にも改革が予定されており、混乱がずっと続くことはほぼ間違いなさそうですが、「大学入試の実態自体はそれほど変化しない」というのが著者の確信にも近い意見です。 そうであるならば、大学入試改革などに振り回されないことが大切になってくるでしょう。 中学受験、高校受験を取り巻く環境も、親世代とは大きく異なっています。 国立大学の付属校の人気がきわめて高くなり、公立の中高一貫校で高校からの入試を廃止するところが増加。 その一方、私立の中高一貫校で高校からの募集を開始するところも出現。 また地元の大学と高校が提携し、高大一貫教育を先取りするような動きも始まりました。 試験方法も多様化しています。 大学入試改革に先んじて、中高の教育が多様化しつつあるのです。 こうした時代の変化の中で、中学受験の志望校を選ぶときに大切なことは何か。 おおたさんは第3章の最後で次のように述べています。 「これからの時代の中学受験志望校選びの鉄則は、学校としてはしっかりと根を張り、不動を保ちながら、個々の教員の裁量と自由度が大きく、時代の変化には個々の教員レベルでそのつど小回り良く変化・対応するような学校を選ぶことだ。 国がすすめる大学入試改革の混乱など、ものともしない強さがあるからです。 むろん、それ以外の学校がダメというわけではありません。 入試方法や教育方法が多様化しているのですから、子どもと学力や性格との相性を考えて、状況の変化を活かすべきでしょう。 これから中学受験を予定している親子に向けた、著者のメッセージを紹介して、この項を終わりたいと思います。 「励ます意味を込めて言いたい。 どんな学校に進むことになろうとも、いま、中学受験勉強をしていることは、何よりもの大学入試改革対策であり、それどころか、社会人基礎力にもなるのだから」 おおたとしまさ著、祥伝社新書、860円+税 2020年度に大学入試改革が始まります。 さらに、2024年度には、「大学入学共通テスト」の複数回実施を含めて、改革を一歩進める案も検討されていました。 大胆な入試改革により、当初は「学力観が大きく変わる」「いままでの受験勉強が通用しなくなる」「従来の有名進学校が凋落する」などと騒がれましたが、実際のところは、どうなのでしょう。 数々の教育現場を取材してきた気鋭の教育ジャーナリストであり、エデュナビでもおなじみの、おおたとしまささんが、大学入試改革の議論の流れの中から、今後、変化する部分と変化しない部分を大胆に予測したのが本書です。 同時に、中学受験をひかえた親子に対し、志望校選びの注意点や中学入試出題傾向の変化のほか、中学受験生の親として押さえておくべき心構えや志望校選びの要点をアドバイスします。 おおたとしまさ さん 教育ジャーナリスト。 1973年東京生まれ。 麻布中学・麻布高等学校卒業、東京外国語大学英米語学科中退、上智大学英語学科卒業。 株式会社リクルートから独立後、数々の育児誌・教育誌の編集にかかわる。 教育や育児の現場を丹念に取材し、斬新な切り口で考察する筆致に定評がある。 心理カウンセラーの資格、中高の教員免許を持ち、私立小学校での教員経験もある。 著書は『名門校とは何か?』 朝日新書 、『ルポ塾歴社会』 幻冬舎新書 、『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか? 』(祥伝社新書)など60冊以上。

次の

大学入試英語ポータルサイト:文部科学省

大学入試改革 英語

日本の大学入試制度は今、困難に直面している。 今春の入試は新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、国公立大の一部で後期日程試験が中止された。 昨年末には2021年から予定されていた大学入学共通テスト(新センター試験)への「記述式問題」と「民間の英語試験」の導入が、野党や世論などの反対もあり見送られ、白紙に戻された。 しかし、さまざまな仕事がAIで置き換えられていく未来の社会を生きる若者たちに、思考力や判断力、表現力、そして、英語のコミュニケーション能力を入試で問うべきとする改革の理念に反対する人はほとんどいない。 共通テストへの導入による入試の全体改革が頓挫した今、各大学は個別に入試改革を遂行することが求められている。 東京大と慶應大の両大学で教授を務める鈴木寛氏は、文科相補佐官だった時代(〜2018年10月)に大学入試改革を推進してきた。 共通テスト改革が頓挫した後、初めて実施された2020年の大学入試。 これまでとどう変わり、変わらなかったのか、鈴木氏に振り返ってもらった。 鈴木氏:今年は綱渡り中の綱渡りでした。 いや、一部の入試は中止になったのですから、綱渡りではなく綱から落ちています。 国公立の二次試験は前期も後期も2月下旬〜3月上旬に実施されているので、ほとんど強行突破で、入試会場で感染が広がった可能性さえあります。 私は前々から「1月〜3月というインフルエンザがもっとも流行る時期になぜ一発試験で合否を決めるのか」という問題提起をしてきました。 大学入試改革に対しては、「記述式は採点のブレが大きい」とか、「民間試験は受験機会に差が出る」といった批判がありましたが、インフルエンザに罹ってしまった子は1年間の努力が水の泡になり、流行っている地域と流行っていない地域でもまた、地域格差が生まれます。 新型コロナでは差が出るどころか、受験機会そのものが失われた。 受験生にとってはとんでもないことで、免疫力の弱い生徒にしわよせがくる。 これも不公平ではないのでしょうか。 鈴木氏:昔から秋田の国際教養大学は英語の民間試験を活用していましたが、今年は千葉大学や金沢大学、鹿児島大学、九州工業大学、山口大学、大阪教育大学、兵庫県立大学、福井大学などの国公立約20校と、上智大学、早稲田大学、明治大学、立教大学、中央大学、法政大学、学習院大学、関西大学、立命館大学など約100校が、全学部もしくは一部の学部で、英語の民間試験を利用しました。 利用するというのは、入試の英語を民間試験で代用したり、あるいは、民間試験の得点を加算したりするということです。 京都工芸繊維大学は、「ダビンチ(AO)入試」という独自の選抜方式を採用していて、コンピュータを使ったスピーキングとライティングのテストを実施しています。 民間試験の利用ではなく、独自に英語4技能の試験を実施していて立派だと思います。 しかし、国公立の約9割が英語4技能の試験を実施していない。 私立は4割が導入しているので、国公立より進んでいますが、6割が未導入です。 入試改革批判に対する反動で、むしろ後退してしまった感があります。 英語4技能を実施しない大学は、国際的人材の育成には関心がないとみなさざるをえなくなります。 現に、理系の学生などで、才能・能力はあるのに、英語での発表や質疑に苦手意識があるばっかりに、その才能・能力が活かされていない若者が多数存在しています。 鈴木氏:だから、最近は、東大を蹴って、海外大学にいく優秀な高校生が増えています。 95%以上が一般入試を経ている東大生の英語4技能の力は、一般入試入学が半分の慶應SFCの学生に比べて、遥かに劣っています。 東大も、民間試験を使うのがいやならば、京都工芸繊維大のように独自で4技能試験を実施すべきです。 東大も矛盾していて、東大のHPには、アドミッション・ポリシー(大学の入学者受け入れ方針)のなかで「英語4技能を身につけるべき、しかし、スピーキングの試験は技術的な課題があって実施していない」と書いてある。 今の教授陣のマンパワーでスピーキングの試験を独自に実施するのが大変なのはわかりますが、技術的な課題があってできないのなら、民間試験を吟味して選んで使えばいいのです。 現に、東大の大学院入試や東大の学部でも留学生や帰国生の入試には民間試験を利用しています。 おかしな話です。 千葉大学などは、民間試験をしっかり利用し始めました。 強豪校がひしめく関東で競争にさらされていて、生き残るために必死で考えて、英語4技能を極めて重視した改革を行っているのです。 東大との差異をどう出していくかを考えて改革をしている。 金沢大も京大とどうすれば差異を出せるか考えている。 東大や京大のやっていないことをやろうという姿勢は評価すべきです。 千葉大や金沢大はもともと優秀な大学ですけれど、実業界は、各大学の中味をよくみて、これらの大学の人材をもっと注目すべきだと思います。 鈴木氏:共通テストへの記述式導入は、当初は80文字書かせる設問を導入し、いずれ100文字、120文字へと増やしていく計画でしたが、先送りされ、導入は未定になりました。 それで、各大学が個別にやるということになったわけですが、結局、今年の入試を見る限り、ほとんど変わっていません。 まだすべての問題を入手したわけではありませんが、国公立68校では、81文字以上書かせる設問はおおよそ8割くらいが出しています。 大学入試改革は国公立二次試験も対象で、国立大学協会(国大協)が3年前に記述式を導入すると決めて8割で実施されるようになりました。 これは大学入試改革の成果です。 一方、私立大はどうか。 著作権等の問題で、まだ約70校分しか入試問題を入手していませんが、約4割が実施したというものの、81文字以上書かせる設問はその内の2割でした。 つまり、全体のおおよそ1割に過ぎない。 他の9割は実施していない、もしくはやったふりをした大学が多かった。 実施した大学でも、日本にありがちな「目的と手段の取り違え」が起きていて、とにかく書かせればいいというものが多かったように思います。 勘違いしている人が多いのですが、マークシートではないからといって、抜き出し(引用)問題や、空欄補助(穴埋め)問題などは、意図している記述式とは呼びません。 例文中の文章を引用するだけのような問題ではなく、書いてあることを咀嚼して、自分の知識と合わせて頭で再構成して表現することを求めるのが記述式問題で、思考・判断・表現を問うものです。 すべての入試問題を見たわけではないので、漏れがあるかもしれませんが、私立のなかで記述式と呼べるような設問で、それなりの分量をしっかり書かせているのは、関東では1000文字の小論文を課している慶應と、早稲田、それから津田塾くらいでしょう。 関西にも何校かあります。 今年、早稲田は文学部で100字、法学部・政経学部で180字の記述式問題を出しました。 今まで記述式問題のなかった文化構想学部でも記述式の出題がありました。 津田塾の場合は以前から記述・論述問題を出しています。 学芸学部国際関係学科の国語では、最大で200文字書かせる良問を出しています。 ちゃんと受験生に考えさせ、表現させる問題です。 記述式の採点は大変ですが、津田塾は受験者数がそれほど多くないのと、やはり教員陣が充実していて出題能力、採点能力があるからできるのです。 文字量が多くなるほど採点が難しくなり、受験者数が多い大学だと大変な作業になります。 国公立ではすべての大学が二次試験で記述式を導入するという方針になったときに、多くの私立は受験者数の規模が大きく実施が難しいので、日本私立大学協会から「記述式は共通テストで実施してほしい」と要望されて共通テストで導入することになったのですが、本来は個別にやるべきことなのです。 今年の入試で、改めて私立は個別に実施するのが難しいということが明らかになりました。 今後、私立大はどうするのでしょうか。 ぜひ、本格的な論述試験を、各私立大学も導入していただきたいと思います。 * * * 大学入試は、その大学がどんな学生を求めているかを映し出す鏡である。 私立大のなかには受験者数が多くて処理しきれないために、マークシート100%の入試を実施している大学がまだまだ多いが、他大学が記述式を導入していけば、論述力や表現力を磨いた受験生は他大学に流れていく。 大学格差を広げる要因にもなりうるかもしれない。

次の

【大学入試改革】2020年度からの大学受験、英語4技能試験のしくみと基礎知識【大学入学共通テスト】

大学入試改革 英語

ある学長の話 まず大学入試改革をする目的ですが、私がある大学の説明会に行ったとき、そこの大学の学長さんが話していた内容が関係していると思います。 それはこんな話でした。 (かなり前の話なので、細かい点は違っているかもしれませんが、大筋こういういうものだったということでご承知ください) 今の世界はグローバル化が進んでいます。 グローバル化には2点の特徴があります。 一つ目はすぐ世界に広まるということ。 言葉にしろ物にしろ、発表すればインターネットを使って全世界に広がっていく。 二つ目はランキング化されるということ。 それまで地元相手の商売でよかったものが、インターネットによって実はもっと安く品質の良いものが世界にはあることが分かってしまうため、世界との闘いになってしまう。 ではそういう世の中で活躍していく人材をどう育てていくのかというと、エリート教育になります。 その他の学生には通常通りです。 ただトップ層が成長しているのを見て、それに触発されてがんばってくれるのではないかという風に考えています。 私としてはけっこう衝撃的な話でした。 この話を聞いた当時、大学入試改革の話はまだありませんでしたが、アマゾンやグーグル、アップルなどグローバル企業が日本に進出してくるのに対して、日本企業は後手に回っている状況でした。 そのために日本の教育はどうあるべきかという話の中で、先ほどの話があったように思います。 国際バカロレアについて またそれと同時期だったとおもいますが、立命館宇治高校の説明会に参加しました。 立命館宇治高校ではIBコースというものがあります。 IBとは国際バカロレアのことで、世界のトップ大学が認める国際カリキュラムです。 ホームページによるとこういう内容です。 国際バカロレアは、全人教育に通ずる教育といえます。 国際社会の一員として、異文化に対する理解力と寛容性を持ち、自覚と責任ある人格形成を行うこと、又、思考力・表現力に重点を置いた高い知的水準の達成を目標に掲げています。 そのレベルの高さやバランスの取れた教育は、イギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学、アメリカのハーバード大学やマサチューセッツ工科大学など、世界の名門大学でも認められています。 具体的なイメージは難しいのですが、一般的な高校で通常行われている授業とは違いますね。 そしてその世界水準の教育を立命館宇治高校はやっているとのことです。 アクティブラーニングについて それからしばらくして、大学入試改革や高大連携の話が出てきたように感じます。 色々な高校の説明会でアクティブラーニングの話が出てくるようになりました。 先生が一方的に授業をするのではなく、生徒たちがテーマを決めて自分自身で調べて、それを発表するという形式の授業です。 先生が授業する形式では生徒の中に理解として残るのは半分もないが、自分で調べて人に教えるとそれが80にもなるとか、チームでやることによって協調性やリーダーシップが身につくなどいろいろないい面が謳われています。 いいことずくめですが、実際のアクティブラーニングの授業を見てみると、まぁグダグダです。 始まったばかりですから、ここから洗練されていくのではないかとも思いますが・・・ 大学入試改革について そこから文部科学省から大学入試改革について、その目的が、 「グローバル化の進展や人工知能技術をはじめとする技術革新などに伴い、社会構造も急速に、かつ大きく変革しており、予見の困難な時代の中で新たな価値を創造していく力を育てることが必要です」 と発表されました。 最初に書いた大学の学長の話とも少しリンクしますね。 また各高校がアクティブラーニングを導入していったのも、そういうことでしょう。 それで具体的に大学入試はどうなるのかというと、ざっくり言うと2点ありまして、「記述式問題の導入」と「英語4技能の評価」です。 私としてはこれが先ほどの入試改革の目的と、かみ合っているのいないのか疑問です。 特に英語に関しては目的から考えると二の次じゃないのかと思います。 また話を聞いていると、文科省の発表を受けた後も、今までやってきたことは間違っていない、変わらずやっていくだけだ、という高校が多くありました。 記述問題が多くなろうと結局は基礎力が大切だから、やり方は変えません、ということです。 ただ高校が変わらなければこの入試改革の意味はなかったということになりますよね。 いや、最初の学長の話からすると、変わるべき高校は上位校だけで、そもそも中・下位校にとっては、この大学入試改革は関係ない話なのかもしれません。 今後の展開はどうなるのか? 私が最初に大学入試改革という話を聞いて思ったのは、いよいよ日本でも「飛び級」ができるのか、ということです。 高1や高2、さらに言えば中学生が大学入学共通テストを受けて、それで大学に入学できるというシステムができるのではないかと思ったのです。 ですが、実際はそんな話はありませんでした。 しかし飛び級のシステムはいつか実現するのではないかと私は思います。 あるいは国際バカロレアのような試験になるのではないかと思いましたが、今のところそうではありません。 ただ、これは今後その方向に向かっていくのだろうとは思います。 しかしそれが本当に良いのか? バカロレアはいわば国際エリートを育てようという教育です。 日本人全員がエリートになれるかといえば、それは無理でしょう。 リーダーシップを発揮して引っ張っていく人がいれば、その人の指示をきちんとこなしていく人も必要です。 あるいは外国人労働者を受け入れるので、その人たちを使うリーダーを育成するという考え方でしょうか。 これまでの日本教育は指示をきちんとこなしていく人を育てる教育だったかもしれません。 そして今回の大学入試改革を通じて文科省が目指しているのは、リーダーシップを発揮できる人間を育てる教育のように感じます。 理想は学力別のクラス分けのように、本人の適正に応じてバカロレア型と従来型の授業に分けることだと思います。 しかしそうするとどの様にどの段階でその適正を見極めるのかという問題があります。 方法としてはとりあえず全員にバカロレア型の授業を受けさせることになるかと思います。 そしてそこで脱落していく人達を従来型授業で受け入れていくという形になるでしょうか。 時期は早ければ早いほど良いです。 すると小学校(あるいは幼稚園?)からになるのでしょうか。 そこから学年が上がるにつれて、バカロレアのふるいにかけられていくのです。 今までのものが甘く見えるほど、恐ろしいほどの学歴社会の到来を予感させます。 またそれを防ぐためにも多様な価値観や選択肢を用意する必要があります。 まとめ まず、そもそも大学入試改革の目的はアマゾンのジェフ・ベゾスやマイクロソフトのビル・ゲイツ、アップルのスティーブ・ジョブズのような人材が出てきやすい社会を作ることです。 そのための教育として従来型の教育ではなく、国際バカロレア型の教育を目指したのだと思います。 「記述式問題の導入」と「英語4技能の評価」はそのさわりに過ぎず、今後もどんどん変化していくでしょう。 またバカロレア型の授業についていけない人はでてきますので、その人たちの受け皿となる多様な価値観が必要と考えます。 個人的には従来型の教育で埋もれてしまっていた人たちがこの大学入試改革で認められるようになる反面、与えられた問題をしっかりこなしていくことができる人が、この大学入試改革によって切り捨てられないことを願っています。

次の