Contents• マハラジャの歴史を少々。 マハラジャは、1980年代に一時社会現象にまでなったディスコで、流行りすぎて当時の社長だった成田勝さんは歌手デビューまで果たしています・・・。 1980年代の終わりには、六本木トゥーリアで照明が落下する事故などもあり、マハラジャ人気は落ちていきます。 1990年代に入ると今度はボディコンの女性がお立ち台でジュリ扇と呼ばれていた扇子を振り回して踊るジュリアナ東京が若者の間で大人気となります。 ジュリアナ東京のボディコンの女性がジュリ扇を振り回して踊る姿は今でもバブル時代の象徴のようにテレビで使われることが多いですが、実際にジュリアナ東京が流行ったのはバブルが弾けた後。 バブル世代に人気だったのはマハラジャの方と言われています。 そんなマハラジャは、1980年代の終わりにマハラジャのブームが終わったかに見えましたが、ジュリアナ東京が人気となったことで連鎖的にマハラジャも復活します。 ジュリアナ東京は1994年に閉店しましたが、マハラジャはもう少し続いていましたが、1997年にはマハラジャの社会現象を引き起こしたと言われている麻布十番マハラジャが閉店となり最後まで営業を続けていた横浜マハラジャが1998年に閉店となり一旦マハラジャブームは完全に終わりを告げました。 マハラジャ六本木の年齢層は? 1990年代後半に一度完全にブームが去ったマハラジャですが、2000年代になると何度か新店舗がオープンするなどまたマハラジャブームが到来かと思われましたが、すぐに閉店となり以前のようなブームになることはありませんでした。 しかし、2010年に再度オープンしたマハラジャ六本木は徐々に以前のマハラジャブームの時に踊っていた世代が戻ってくることで密かに人気が復活してきているよでうです。 それでは、マハラジャ六本木に来る人の年齢層はどれくらいなのでしょうか? マハラジャ六本木がオープンした時は、以前のマハラジャブームの時に踊りに来ていた40代、50代が多かったようですが最近は、当時のマハラジャで踊っていた母親が娘を連れてきたり、マハラジャを知らない20代の女性がグループで来ることもあるそうです。 ということなので、 マハラジャ六本木の年齢層は、バブル世代やそれより少し若い40代〜50代だけでなく20代の若い女性もいるようです。 Sponsored Links マハラジャ六本木に行く時の服装は? マハラジャというと、以前はボディコンの女性が多かったですが、マハラジャ六本木に行く時の服装はどんな格好がよいのでしょうか? マハラジャ六本木のドレスコードは一応「カジュアル、フォーマル」となっているので、以前ほど厳しくはないようですが、 カジュアルすぎる格好で行くと周りから浮いてしまう可能性があるので注意しましょう。 女性の場合は、ヒールを履いたり、服装も普段よりもセクシー目。 男性の場合は、Tシャツで行く人もいるようですね〜。 ちなみに、マハラジャ六本木に入ることができない可能性のあるNGな服装は• サンダル• 半ズボン• マハラジャが社会現象となっていた時に、成田勝さんはテレビやマスコミでも取り上げられるようになり歌手デビューまで果たします。 しかも、オリコンランキングで30位台に入るなどそこそこ売れていたようです。 成田勝さんは、もともと歌手を目指して上京して一時は平尾昌晃さんに師事し歌の勉強をしていた時期もあったようなので、歌手として実力は元々あったのかもしれませんね〜。 成田勝さんの印象が強かったためか、今のマハラジャ六本木も成田勝さんがオーナー社長をしていると思っている人も多いようですが、現在は、千葉県船橋市で建設会社を経営している片山康生さんがオーナー社長となっています。 マツコ会議の潜入取材で特集された話題の人や場所についての記事一覧 Sponsored Links.
次の全3階建ての建物、ディスコ、イタリアンレストラン、ウェディングが合体。 マハラジャはバブル期と呼ばれた1980年代〜1990年代、日本全国に展開した高級ディスコチェーンでした。 日本全国に作られたお店も一度は全て閉店するも六本木、梅田、そして今年11月10日 木 に名古屋で復活。 でお伝えしていた通り、1階のダンスフロアスペース以外にもゆっくりと食事が楽しめるようにイタリアンレストランが2階にオープン予定(この日お話を聞いたところ12月頃になるとの事でした)。 さらに同じ2階にはウェディングも出来るようにとチャペルが用意されていました。 3階にはテラス席で外の風景を楽しむ事が出来るスーパーVIPルームの他にキッズルームやウェディング用のメイクルームが用意されておりました。 最初はスタッフに説明を受けながら見学。 3階に上がっていきなり目に飛び込んで来たのはウェディングドレス。 ウェディングも出来る設備がある事をPR。 納屋橋の街並みをテラス席で眺めながら食事を楽しむ事が出来る贅沢なスーパーVIPルーム 2階のチャペルルームは結婚式場だった建物の名残。 こちらで式を挙げた多くのご夫婦にとってもこうして二人の愛を誓った場所が残っているのは嬉しいのではないでしょうか。 2階の大きなフロアは披露宴会場としても使えるそうです。 こちらが12月頃にイタリアンレストランとしてオープンする計画となっております。 広く踊りやすいダンスフロア。 テーブル席を多く設けゆっくり楽しめるスペースに。 期待のダンスフロアはバブル期のマハラジャのような金色や鏡に囲まれたスペースではなく石や木のレリーフが施された壁に包まれ、天井からは巨大なシャンデリアが光り輝く当時とは異なるラグジュアリーなスペースとなっておりました。 またダンスフロアは広く踊りやすいサイズ。 フロア前方にはDJブースが配置され、後方にはマハラジャのシンボル『真鍮の象牙』がそびえ立っておりました。 このダンスフロアを囲むように段差無くテーブル席が多く置かれておりテーブル席からダンスフロアに戻りやすい環境となっておりました。 1階のフロアに入ると薄暗いフロアにマハラジャのロゴが液晶ビジョンに映し出されておりました。 スポットライトがフロアを照らし始め名古屋に伝説の店が蘇る瞬間を多くの人が見守っておりました。 閉店から20年の歴史の間に当時はLPレコードだった音源もCDを経て今はPCを使ったDJへと変化 マハラジャのシンボルとなる真鍮の象牙。 再びこの象牙を見られる日が来る事をここに訪れた誰もが願っていただろう。 ダンスフロア入口に設けられたバーカウンター。 メインのバーカウンターはダンスフロア後方にありキッチンカウンタータイプでした。 サブのバーカウンターから眺める事が出来るウォーターガーデンは時折フロア内の熱気を逃がすために扉が開けられその時だけ出ることが出来ました。 懐かしのディスコチューンがフロアに流れ出すと次々とダンスフロアに人が集まり始めました。 お立ち台に上がる女性も出始め当時の光景が一つ一つ蘇る。 夜の社交場の復活で「懐かしい!」「久しぶり!」の声も。 時間も遅くなり始めディスコ世代の人達が仕事を終えお店に駆けつける時間になるとフロアはさらに多くの人で賑わうようになってきた。 そんな中で「わー!懐かしい!」「ちょっと!久しぶり!元気だった?」というまるで同窓会のような会話もチラホラ。 ダンスフロア脇には可動式の壁がありウォーターガーデンとの間に通路とテーブル席が設けられておりました。 この可動壁から漏れるライトの光がまた幻想的 フロアに人が多く集まってきた時にダンスフロア前方に酒樽が設置。 玉木社長による鏡割りが行われ祝い酒が振る舞われました マハラジャ大阪から訪れたゲストDJとしてCHUCKY氏が登場。 過去に名古屋のクラブでDJを務めた事もありフロアのボルテージも増してきました ライトの光を全身で浴びるお立ち台の女性。 バブル期を彷彿とさせる衣装の女性がさらにフロアを盛り上げました。 カメラを向けると絶好のタイミングでキュートなポーズを取ってくださった笑顔の素敵な女性。 ありがとうございます。 JULIANA時代の曲もかかり当時の代表曲『TOKYO,GO! お立ち台に上がる事でフロアを大きく盛り上げる存在感のある方も次から次へと登場 まばゆいミラーボールの光に包まれるフロア。 この綺羅びやかなスポットがオープンまであと1日。 [特別追加]あの伝説メニューがついに復活! 2017年1月19日 木 、2階に翌日オープンするイタリアンレストラン AMOREの 取材に伺った際に待望の新メニューが12月に復活していたとの情報をいただきました。 そのメニューとは… はちみつトースト!!!!!!!!!!!!!! バブル期のMAHARAJAが誕生させた伝説のデザートで 「数え切れないほど食べた!」という方もいらっしゃるのでは? MAHARAJA NAGOYAオープン後にはちみつトーストを懐かしむ人達の声が届いたのか MAHARAJA玉木社長からメニューに加えるよう話があったそうです。 バブル期当時、年齢が足りずMAHARAJAには行けなかった私。 AMORE取材時にも関わらずやや興奮気味でいると 営業部長さんから「作りましょうか?」とのありがたいお言葉。 特別追加編としてレセプションパーティー記事に追加させていただきました。 MAP.
次の先日、名古屋に マハラジャが復活したという報道がありましたね。 約20年ぶりだそうですが、 マハラジャと言えばバブル期を代表するディスコでございます。 いや~懐かしいですね。 ・・・ってわしは行ったことがございません。 ただ当然ながら マハラジャの名前ぐらいは知っていますし当時の熱狂ぶりも耳にしておりました! それと個人的に気になったのは名古屋に マハラジャを復活させた社長さんです。 そこで今回は マハラジャと仕掛け人の社長さん、ニュースの特集で久々にお姿を拝見した関口房郎氏のことアップしてみました! 追記 残念ながら名古屋の マハラジャは閉店してしまいましたね・・ 社長さんも2019年の9月に亡くなられたとのこと。 運営会社も破産してしまったようです。 やはり大箱はもう無理なのかな?これも時代の流れですかね。 伝説のディスコ「マハラジャ」について わしも大学1年~3年ぐらいまでは当時のにもそれなりに行っておりました。 でもその当時は当然ながら マハラジャはありませんでした。 いつ頃名古屋に出来たのかと思って検索してみたら、86年の終わり頃のようですね。 わしはその頃には就職して東京におりましたので行けるはずがありませんな。 当然ながら東京にもあったわけですが、わしらの世代だとディスコと言うのはせいぜい21~22歳ぐらいまでというイメージがありましたからね。 もちろん名古屋にもおっさんが多いディスコとか社会人中心のディスコとかもありましたけどどちらかと言わないまでもごく一部でした。 ですので特に行きたいとも思いませんでした。 ただ今となっては下の画像のようなワンレン、ソバージュでボディコンのおねーちゃんたちがお立ち台で踊る姿を見ておけば良かったと後悔しております。 しかし今さらながら マハラジャって凄かったようですな。 全盛期は全国に系列店も含めて68店舗もあったそうです。 名古屋にも全部で7店舗もあったとのこと。 そこで毎夜のように、饗宴が繰り広げられていた訳ですからね。 まさにバブルの象徴であり社会現象ですよね。 思えばこの頃が日本のピークだったかも知れません。 わしも当時はこの先は良くなるものと信じ込んで生きておりました。 まさかその後、こんな惨めな人生を歩むなんて思ってもみませんでした。 マハラジャ復活の仕掛け人の社長 そんな マハラジャも時代の変化や流れには勝てず、どんどん閉店してしまいます。 名古屋でも90年代の終わり頃に閉店したみたいですね。 それを今回復活させた仕掛け人は 玉木邦甫社長という方ですね。 わしは存じ上げませんでしたがなんと! 御年80歳とのこと。 2年前の2014年には マハラジャ大阪も復活させておられますね。 マハラジャは元々は大阪がスタートだったようですが、その1号店の経営陣の1人だった方だそうです。 それにしても 80歳でこの事業意欲は凄いですね。 最ももうお金とか物欲とかその他の欲とかが意欲の元ではないんでしょうね。 今回の復活でテレビのニュースなどにも取り上げてられていますが、インタビューで 「もう一度中高年に元気になってもらいたい」と仰っておられました。 「音楽に合わせて踊るのは自然なこと。 若い方から中高年まで世代を問わず楽しめる場所を作りたい」と言うような趣旨のご発言もありました。 また新店舗は元は結婚式場だったようですが、上のフロアはそのまま残っているとのこと。 あとバリアフリーだそうです。 これも時代の流れですね。 しかし 80歳の方が引退なんてしないでこれだけ頑張っておられるんですからね。 わしも意気消沈している場合じゃありませんな。 玉木社長には元気を頂きました。 マハラジャ名古屋の成功を心から祈念致します。 機会があればマハラジャ名古屋に行ってみたい! それとわしも機会があれば行ってみたいです。 youtubeにも2014年にオープンした マハラジャ大阪や マハラジャ名古屋のプレオープンのイベントの様子がアップされています。 それを見ると流れている曲は70年代、80年代の曲が中心みたいですからね。 アース・ウインド&ファイアーとかね。 90年前後でもアースの曲が流行っていたんですかね。 それなら先日行ったの時に、ケバいおばさんが多かったのもうなづけます。 また客層も若い方もいますが40代、50代の方が多そうな感じでした。 考えてみれば90年に20歳だった方も今年46歳ですからね。 それも当然ですね。 関口房朗氏をやっとかめにテレビで見た! それから東海テレビの マハラジャのニュースの特集を見ていたら、懐かしい人が少し出て来ました。 名古屋弁で言うと 「やっとかめ」でございます。 どなたかと言いますとメイテックとベンチャーセーフネットの創業者の 関口房朗さんです。 関口さんは経営者だけでなく、馬主でも成功されてフサイチという冠名の競走馬も一時はたくさんいましたよね。 馬主としては日本とアメリカのダービーを勝つという快挙を達成しておられます。 またタレント活動のようなこともされていてテレビにもよく出演されていました。 ニュースでもやっていましたがメイテック時代は マハラジャで入社式とかもやっていましたね。 F3000に岩城滉一さんをドライバーとして起用して参戦したり、フェラーリを社員に貸し出すなんてこともしてました。 「あの当時は少しやりすぎたね」と仰っておられましたが。 その後、どういう理由かはわかりませんが資金がショートして競走馬も手放されました。 そして表舞台からも姿を消してしまいましたよね。 でも考えてみると2社も上場させるなんて凄いですね。 他にはTHKの寺町博氏ぐらいしかいないのではないでしょうか。 ただ自分が創業した会社を2度も追われるように去ることなったようです。 失礼ながら、やはり何か問題があるのでしょうね。 それでもわしは氏の著書も何冊か読みましたし結構ファンでございました。 ですので久しぶりにお元気そうなお姿を拝見できてうれしかったです。 現在も名古屋在住なんですかねえ。 たださすがにお年を召されたという印象はありましたが何とかもう1度、復活して欲しいです! でもさすがに厳しいかも知れませんね。 まとめ 今回はバブル期を中心に一世を風靡した伝説でのディスコのチェーン、 マハラジャと名古屋に復活させた社長さんのことを中心に記事にしてみました! しかし80歳になってもこの事業意欲は凄いと思います。 もう事業と言うより別の何かみたいな感じなのかも知れません。 でもそれなりにお客さんでいっぱいになって、名古屋の名所みたいになればいいですね!それと機会があれば是非とも一度行ってみたいです。 追記 残念ながら閉店となってしまいました。 でも80歳を超えてからの社長さんのチャレンジは素晴らしかったと思います。 私ではとてもマネ出来ません。 ただもうディスコは過去のものなのでしょうか・・.
次の