「バイバーイありがとーさぁっよおならー」という耳に残りやすいこのフレーズ。 元は男が歌う失恋の歌です。 「あんたちょっといーいおんなーだぁったよー そのぶんーズルいおーんーなーだーねっ」と続くことから分かるように、女に対しての未練を歌う曲。 「ズルい女」という表現で未練を強調します。 ひらがなとカタカナで歌い方を示すと分かりますが、音のリズムの取り方がやや変則的。 「さぁっよおならー」と歌うことにより、耳に残りやすくなる工夫が施されています。 サビ以外の歌詞も基本男の未練。 しかし、これを華原朋美が歌うと、華原朋美のズルい女感が増します。 華原朋美は、90年代半ばに小室哲哉のプロデュースでヒットを飛ばします。 小室哲哉の彼女だった華原朋美は、まさに立場を利用したとも言えるズルい女。 しかし歌唱力と愛嬌があったので、 ズルい女でありつつ「いい女」でもあったのです。 そんな華原朋美は小室哲哉と別れて以降、次第にメディア露出も減少。 一時期は精神を病んで入院します。 2010年代に入ってようやく復活し、人前でも再び歌うようになりました。 ここ最近では小室哲哉や過去の男の話をし過ぎるズルい女になっています。 それがある意味売りでもある華原。 「ずっとこんな日が続けばと 思うほど 愛してたのに」 この歌詞に、きっと華原朋美は共感しています。 なぜなら華原朋美ほどの歌唱力があっても、ずっと栄光の日々を続けることは出来ていないから。 華原朋美がこの曲を歌うのは、自虐の意味もあり、つんくの文化の継承でもあり、90年代を再評価したい思いでもあり、 何よりズルいと言われても復活したい気持ちの表れなのです。 TEXT:改訂木魚(じゃぶけん東京本部).
次の「バイバーイありがとーさぁっよおならー」という耳に残りやすいこのフレーズ。 元は男が歌う失恋の歌です。 「あんたちょっといーいおんなーだぁったよー そのぶんーズルいおーんーなーだーねっ」と続くことから分かるように、女に対しての未練を歌う曲。 「ズルい女」という表現で未練を強調します。 ひらがなとカタカナで歌い方を示すと分かりますが、音のリズムの取り方がやや変則的。 「さぁっよおならー」と歌うことにより、耳に残りやすくなる工夫が施されています。 サビ以外の歌詞も基本男の未練。 しかし、これを華原朋美が歌うと、華原朋美のズルい女感が増します。 華原朋美は、90年代半ばに小室哲哉のプロデュースでヒットを飛ばします。 小室哲哉の彼女だった華原朋美は、まさに立場を利用したとも言えるズルい女。 しかし歌唱力と愛嬌があったので、 ズルい女でありつつ「いい女」でもあったのです。 そんな華原朋美は小室哲哉と別れて以降、次第にメディア露出も減少。 一時期は精神を病んで入院します。 2010年代に入ってようやく復活し、人前でも再び歌うようになりました。 ここ最近では小室哲哉や過去の男の話をし過ぎるズルい女になっています。 それがある意味売りでもある華原。 「ずっとこんな日が続けばと 思うほど 愛してたのに」 この歌詞に、きっと華原朋美は共感しています。 なぜなら華原朋美ほどの歌唱力があっても、ずっと栄光の日々を続けることは出来ていないから。 華原朋美がこの曲を歌うのは、自虐の意味もあり、つんくの文化の継承でもあり、90年代を再評価したい思いでもあり、 何よりズルいと言われても復活したい気持ちの表れなのです。 TEXT:改訂木魚(じゃぶけん東京本部).
次のシャ乱Qが放つ永遠の魅力 シャ乱Qは「休憩」と称して、2000年に活動無期限休止を発表します。 社会現象を巻き起こすほどのヒットを飛ばした彼らについて知れば知るほど、彼らの確かな才能と、バンドに対する真っ直ぐな姿勢が伝わってきます。 ベーシストのしゅうは、1998年に脱退しました。 アイドル「ハロープロジェクト」の総合プロデューサーとしても有名ですよね。 「モーニング娘。 」をはじめ、多くのヒットグループ、アイドル歌手を生み出し、日本のアイドル史に大きな功績を残しました。 2014年3月6日、喉頭癌を患っていたことを公表、手術に成功し一時は回復しました。 しかし翌年に再発してしまい、声帯を摘出したことを明らかにしています。 その後は、習得がとても難しい食道発声のトレーニングを重ね、今では少しずつ声が出せるようになっているようです。 さまざまな音楽から影響を受けており、幅広いジャンルの歌手に楽曲提供も行っています。 他にも、アーティストのプロデュースやPVの企画・撮影を手掛けるなど、多彩な才能の持ち主です。 シャ乱Qのヒット曲の中には、まこと作詞の楽曲は多いです。 かつては人気音楽番組「堂本兄弟」で堂本ブラザーズバンドのメンバーをつとめ、テレビでもドラム演奏を披露し続けていました。 2006年に「たいせー」から現在の名前に改名しました。 シャ乱Qが結成からヒットに至るまで 画像引用元 旧メンバーしゅうを含め、1988年、メンバーが近畿大学在学中に結成されました。 関西で活動するインディーズバンドたちを集めて大阪城公園で路上ライブをするなど、メジャーデビュー前から先陣を切って精力的に活動していたようです。 アマチュアバンドを募ってコンテストを開催する、当時の人気番組「BSヤングバトル」でグランプリを獲得したことをきっかけに、彼らは全国に注目されるようになります。 メジャーデビュー時には、いくつもの芸能事務所が彼らの争奪戦を繰り広げたほど、才能あふれる注目のバンドだったのです。 最終的には、株式会社アップフロントエージェンシーに所属が決まり、メジャーデビューします。 しかし、その後ヒットに至るまでには時間がかかったそうです。 デビューから2年後の1994年、この曲がヒットしなければ終わりにしようとリリースした『上・京・物・語』が12万枚以上の売り上げを達成、同年に発表した『シングルベッド』はロングセラーの名曲となりました。 シャ乱Qの楽曲でおすすめの曲3選 シャ乱Qは、2001年4月4日、インターネット上のファン投票によって収録曲を決めたベストアルバム『BEST OF HISTORY』をリリースしました。 そのアルバムにも収録された、シャ乱Qを知る上では欠かせない3曲を、厳選して紹介します。 「シングルベッド」 1994年10月21日に、6枚目のシングルとしてリリースされました。 シャ乱Q史上初めてミリオンセラーとなったシングルでもあり、オリコンチャートの100位以内に54週も登場し続けました。 さらにこの楽曲は、21位枚目のシングルとしてセルフカバーされています。 結成25周年の2013年7月17日にリリースされました。 オリジナル版と違って、タイトルに「」が付けられ、原曲よりも半音下げられて収録されています。 「いいわけ」 1996年4月24日に、10枚目のシングルとしてリリースされました。 人気ドラマ「Age,35 恋しくて」の主題歌にも起用され、メンバーも出演した映画「シャ乱Qの演歌の花道」では、歌手の尾藤イサオが演歌バージョンを披露しました。 ザテレビジョンドラマアカデミー賞では主題歌賞を受賞、さらに日本レコード大賞の最優秀作品賞と編曲賞の2つを受賞しています。 イントロのキメからサビの歌までが特に話題になり、日本人なら誰もが知ってる超有名フレーズとなりました。 カラオケランキングでも常に上位にランクインするなど、今もなおたくさんのファンに歌い継がれている1曲です。 「ズルい女」 1995年5月3日にリリースされた7枚目のシングル曲です。 フジテレビのバラエティ番組「今田耕司のシブヤ系うらりんご」のエンディングテーマにも起用されました。 『ズルい女』はmisonoや華原朋美など、著名な女性シンガーにもカバーされている楽曲です。 全日本有線放送大賞でグランプリを、日本有線大賞でポップス部門の有線音楽優秀賞と最多リクエスト歌手賞を、日本レコード大賞にて優秀作品賞と編曲賞を受賞しました。 紅白歌合戦に初めて出演したのも、この楽曲がきっかけです。 145万枚以上のミリオンヒットを記録し、その後も別バージョンがCM曲やバラエティ番組で使用されるなど、愛され続けています。 ホーンセクションの音色が目立つフレーズが印象的な1曲です。 Bメロで聴こえるクラリネットを、はたけが吹いていたことでも話題になりました。 輝き続けるシャ乱Qの音楽と才能に注目! 今後も語り継がれるであろう伝説のバンド「シャ乱Q」は、メンバー全員が最高の音楽家であり最高のパフォーマンスを見せてくれます。 だからこそ、変わりゆく音楽シーンの中でも、永遠の魅力を放っているのでしょう。 音楽好きならば「シャ乱Q」は絶対に知っておきたいバンドの1つ。 数々の名曲を生み出した「シャ乱Q」の音楽に、ぜひ、注目してください。 TEXT imahashimiwa.
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