タイトルからも岩井俊二の劇場映画デビュー作『Love Letter』の変奏であることは明らかで、『Love Letter』だけでなく、さまざまな岩井俊二作品のモチーフが随所で引用されている。 岩井俊二という人の作劇はかなり特殊で、これを本人以外がやっていたらパクリと言われるのがオチだろう。 しかしさすがは本家の岩井俊二。 どう転んでも「似てる」ことなど承知の上で、入り組んだ構成をより複雑に、とんでもなく複雑にアレンジしていて、ラディカルと言っていいほど野心的な作品に仕上がっている。 群像劇、と言えなくもないのだが、とにかく主人公がバトンレースのように交代していくこの方式は、「映画とはこういう風に進むもの」という先入観をハナから否定している。 思えば『Love Letter』のラストシーンも従来の映画的な結末から飛躍したもので、あれから25年を経てもなお、岩井俊二は自らが生み出したジャンルを更新しようとしているのだろう。 全編どこを切ってもあふれてくる岩井汁。 それでいてどこか新しい。 集大成のようで、現在進行形の映画作家の凄みを感じた。 岩井俊二は主要作を見ていますがとくに思い入れはありません。 が、岩井俊二にかかってくる形容詞がわからないわけではありません。 この設定が、まったく呑めず、骨がつっかえたまま進む映画でした。 おさななじみ、同窓というものは10年20年30年経っていてさえ、明確なおもかげを残しているものです。 解らないはずがないのです。 強引すぎます。 裕里が乙坂に出会うには、もっとちがう方法があったと思うのです。 いや、ちょっと待ってくださいよ。 まず姉妹は、双子の外見設定を持っていません。 ありえなさすぎます。 ましてや仲多賀井高校は田舎の高校です。 年子ならたいていの生徒が妹を知っているはずです。 むろん、創作なのでありえなくてもいい世界です。 ただ、映画はあるていどリアルな質感をしています。 ありえないことが、気にならないファンタスティック映画ではなく、現実に寄せてくる映画です。 だから、気になるのです。 この飛躍を受け容れられないことは、個人的な岩井俊二観でもあります。 美咲が負った運命にも苛烈な飛躍があります。 でも映画はきれいです。 なにしろ俯瞰の粒立ち。 ぐっーとパンする佳景の気持ちよさ。 青葉城からの眺望を堪能することができます。 ドローンさまさまです。 しかし見進めるうちに、勘違いに気づきました。 おもいすごしかもしれませんが、岩井俊二をはじめて解った気になりました。 ファンタジーなのです。 米仏合作の恋愛オムニバス映画New York, I Love You(2009)を個人的な野心を持って見ました。 これは楽しい試みでしたが、当たりませんでした。 わたしが岩井俊二がなにか解っていなかったからです。 いまおもえば岩井俊二が担当したオーランドブルームとクリスティーナリッチのパートには、むしろ露骨なほど、岩井俊二があらわれていました。 会わない男女のやりとりです。 てがみはありませんが、会わずにやりとりしていくうちに、うちとけ、恋愛感情にむすびつく話です。 あきらかに独自性のあるパートでした。 恋愛譚オムニバスなので会える結末でしたが、ラストレターで解った岩井俊二は、いわば永遠に会えないけれど感応している恋愛です。 ただし、個人的に「距離や時間で会えない恋愛」の作家として知っているのは新海誠なのです。 映画を見る人が、感じる現象のひとつに、にわとりとたまごがあると思います。 岩井俊二を知っていて、その世界観を知っているつもりです。 これは、とても重要な現象だと思います。 それに異論はありません。 その傘下で影響を受けたクリエイターが二次創作し、二次に影響を受けて三次創作され、・・・四次五次と、新しい世代ごとに原初の魂は薄まっていきます。 魂は薄まっていきますが、観衆としては、本家本元より、その影響下でつくられたもののほうが、面白い。 影響を受けた映画が、古典でない監督は、たいてい優れた映画監督ではありません。 わたしが才能があると感じる映画監督が、影響を受けた映画として挙げるのは、たいていプリミティブ(原始的)な創始者です。 長いこと、それが不思議でした。 なぜなら、わたしが才能を感じる映画は、その創始よりも、もっと複雑な心象を語り得ているからです。 創始よりも、ずっと面白いからです。 それは、当然といえば当然の進化ですが、このロジックを知らないと、古典を楽しむことができません。 古くて評価の高い映画が、なぜ評価が高いのかを知るには、その二次三次四次を、度外する必要があります。 われわれは、そこから派生した、数多くのもっと面白いものを知っているからです。 もちろん映画をどう見るかは当人の自由ですが、これが映画のにわとりとたまごです。 どっちが先か考えます。 しかし、二次三次四次とて、それが本物になってしまうと、煎じ物ではなくなります。 新海誠を見た者にとって、そこが創始に変わるのです。 『~中略。 そのなかでも、とりわけスタージョンの影響が強いのはサミュエル・R・ディレーニイである。 ある意味でどこか完成しきっていないようなもどかしさを残すスタージョンの世界が、もしもひとりで成長していってバランスのとれた宝石になっていったとしたら、それはおそらくディレーニイの諸篇に非常に酷似したものになるにちがいない。 作中人物の口を借りて、彼みずからがスタージョンを賛美する『エンパイア・スター』はもとより、「流れガラス」や「スター・ピット」に見え隠れする色調は、スタージョン以上にスタージョンらしさがでている。 』 (ハヤカワ文庫版シオドア・スタージョン著、矢野徹訳「人間以上」の水鏡子のあとがきより) 小説でも映画でも音楽でも、知らずのうちに、わたしたちはこのことを、多く体験しているはずです。 元祖がいて、その元祖からの脈を経て、世代ごとに、わたしたちが熱中するクリエイターがいるはずです。 たとえばジョーダンピールはスパイクリー以上に洗練された手口でスパイクリーのようなことを語っています。 長く映画を見ていると、そのことに気づきます。 往々にして、後発のほうが、ずっと器用なのです。 才能を感じる映画監督が『ある意味でどこか完成しきっていないようなもどかしさを残す』古典を偏重していることがあります。 なるほどファンタジーなのであれば、前述したありえなさが気になりません。 やっと岩井俊二が解りました。 幼少時と現在がパラレルになっています。 森七菜が印象的でした。 密かに寄せる恋心が伝わること、と同時に、感傷へおちいるところを天真爛漫でぱっと回避します。 むしろ広瀬すずが大人びて見えます。 森七菜には演技の気配がなく、若さが見せる刹那の輝きをとらえていたと思います。 そのリリカルは岩井俊二の独壇場でした。 多くの人々が感じる岩井俊二はそのような少女のリリシズムです。 個人的にはそこに感興しませんが、おそらく多くの観衆が岩井俊二をそのように解釈しているはずです。 これはラッキーな誤謬でもありましたが、もとより映画をどう楽しむかは各々の勝手です。 ですが、それは岩井俊二の枝葉に過ぎません。 この映画をさらに楽しむなら、前でも後でもかまいませんが、ラブレター(1995)を見ることです。 混濁する人物相関と思い出。 主人公は死者です。 おもえば最初からファンタジーの作家でした。 『ある意味でどこか完成しきっていないようなもどかしさを残』していますが、ラブレターが原初でした。 そして25年の時をへだてて、かんぜんに一貫している岩井俊二を知ることができます。 手紙っていいな。 アナログっていいな。 次届く手紙や、来週放送される連ドラの続きが気になって仕方がなかった、あのそわそわ囃し立てられる感覚が恋しい… そんなノスタルジーに浸らせてくれる作品。 だけどちゃんと今の時代を鋭く、だけども優しくあぶり出す作品。 テクノロジーの進化、とりわけインターネットやスマホにより便利になった世の中。 世界中の情報は秒で手の中に入れられる。 でも実際に近くにいる人、いてほしい人の気持ちはそんな簡単に測れるものではない。 結局本当に大切なものは失ってからじゃないと気づけない。 と学習していても、また同じことを繰り返している。 それが人間。 『Love Letter』と同じく、ふとしたきっかけで送り合うことになる手紙のすれ違いが生む、関わる人たちの運命的な人生の交錯。 それが絶妙にもどかしく、甘酸っぱく、ほろ苦く、微笑ましい。 その巡り合わせだけでも十分ドラマになると思った矢先、その過去に隠された出来事が展開を動かしていく。 最後まで心をぐるぐる動かされながら、ラストにはしっかりじんわりと目頭と胸を熱く締めつけてくれる。 そして慰めと希望を与えてくれる。 そんな温かい映画だ。 それこそ『Love Letter』や『打ち上げ花火〜』『PicNic』『スワロウテイル』など独自の世界観でヒット作を生み出していた頃からしばらく離れてしまっていたが、天才・岩井俊二は健在だ。 今年19本目。 0で今日レビューを拝見しましたので、この映画館最終日に滑り込みで行けました。 前から行きたかった作品。 内容は複雑に絡み合った人間関係が好きです。 最初の方は「これどうなっているんだろう」と頭を回転させながら、簡単には内容が理解出来ない作品を好みます。 正に今作がその映画。 福山雅治が「マチネの終わりに」が凄い良かったので、今作はどんな演技を見せてくれるんだろうと、特別な演技でした。 実は好き程ではない俳優さんだったんですが、「マチネ」から完全に好きな俳優になりました。 松たか子さんも流石。 アカデミー賞でアナ雪2の歌唱をしたのも記憶に新しいですが、やはり演技で魅せます。 広瀬すず、森七菜も本当に良かった。 泣くのが鉄板の映画だと思っていましたが、やはり涙が頬を伝いました。 ネタバレ! クリックして本文を読む 手紙がつなぐ人生の きらめきと儚さを 体験する話でした。 光が織り成す美しいシーンと ノスタルジックな世界観の ストーリーで 直ぐに作品に吸い込まれました。 中年になっても あの頃に繋がろうとする 鏡史朗の思いが、 少しあぶなくみえたり、 純粋に見えたりですが 遠い過去の人に とらわれてしまったり、 何気ない誰かの言葉が その人の 人生を決めることは 本当にあることです。 鏡史朗が小説家になったように。 だけど 幸せに暮らせず 深みにはまった話には 他人事には 思えませんでした。 そう、これも本当にあるし。 この作品が凄いと 思ったのは、 時間軸のつなぎの妙で 無限の可能性を感じたあの頃を 切り取り わずか数時間に 表現してしまう凄さかな。 もし、 ああしていたら という思いを 観る人を誘うようです。 誰もがもつ 大切な時間の引き出しを 開いてくれます。 おすすめ。 ネタバレ! クリックして本文を読む 全体的に何処か昔懐かしい感じがする映画。 今はあまりされてはいない手紙のやり取りで、そんなに多くは語ることはないが、鏡史郎と美咲の関係と裕理の切ない恋が懐かしく、そして悲しく描かれた作品であった。 運命の出会いであったかもしれない二人に何があったのか?そこも多くは語られない所が見ている側に様々な想像をさせる。 なんとも言えない気持ちにさせる内容でした。 見終わって、思った事は映像から感じる安心感と様々な想像を掻き立てる悲しみを合わせ持った映画という印象。 主人公の何処か日常の自分に本当は満足していなくて、少し現実から離れる事が出来る手紙のやり取りの中から様々な感情を想像させる。 松たか子の演技力は見事でした。 福山雅治、神木隆之介に関しては非常似ているって印象を受けるほど、お互いの役にリンクし合っている所も一つの見所であると思う。 また若い二人の女優広瀬すずと森七菜は共に一人二役の難しい役をこなしていた。 広瀬すずは最早一流と言われる女優、凛として堂々とした役と何処か物悲しく、幼さの残る役回りを見事に演じ分けていたのは流石。 森七菜の自然な振る舞いで自由奔放に演じている様に見える演技は大器の片鱗を覗かせる。 この二人を非常に美しく撮っている岩井俊二監督は先見の明ありだと思う。 また豊川悦司や中山美穂を出演させるあたりもさすが岩井監督。 様々な思いを感じる事が出来、岩井俊二監督ファンならずとも懐かしさを感じ、見る側が想像を掻き立てる素晴らしい映画。 今この時代だからこそ見ておきたい作品の一つと言っても過言では無い。
次のC 2020「ラストレター」製作委員会 透明なロマンティシズムに裏打ちされながら青春の繊細な光と闇を優しくも厳しく描出し続ける映像作家・岩井俊二監督。 彼の作品群でもっともポピユラーなのは、中山美穂主演の1995年作品『Love Letter』かなとは思われます。 そしておよそ四半世紀経った2020年、あたかも『Love Letter』を彷彿させられつつも、さらなる意欲で臨んだ珠玉のラブストーリーが、岩井監督自身のメガホンで世に放たれました…… 《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街432》 その名も『ラストレター』。 25年前の若き日に『Love Letter』を見て感銘を受けた今の大人たちに、そしてこれから大人になろうとする若者たちに向けて発せられた必見の秀作なのです。 亡き姉と間違えられた妹が 始める不可思議な文通 『ラストレター』はある夏の日、一人の女性・未咲の葬儀から始まります。 妹の裕里(松たか子)はそのとき、若き日の未咲の面影を残す忘れ形見の鮎美(広瀬すず)から、未咲宛ての高校同窓会の案内と、未咲が鮎美に残した手紙の存在を知らされました。 姉の死を伝えるために同窓会の会場へ赴いた裕里でしたが、何とそこで姉と間違えられてしまい、ついにはスピーチまでさせられる始末。 実は未咲と同じ高校に通っていた裕里は、そこで初恋の先輩・鏡史郎(福山雅治)にも再会しますが、彼からも姉と勘違いされ、まもなくして手紙が寄せられてしまいます。 思わず裕里は未咲のふりをして返事を出し、かくして両者の不可思議な文通が始まるのですが、その中の1通を鮎美が受け取ったことで、裕里の娘・颯香(森七菜)と一緒に興味本位で、未咲のふりをして鏡史郎に返事を出したことから、さらに事態は錯綜し始めていきます。 しかし、それは同時に高校時代の未咲(広瀬すず)と裕里(森七菜)、そして鏡史郎(神木隆之介)との関係性を改めて切なくもノスタルジックに思い起こしていくことになっていくのでした……。 増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。 映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画レビュー・コーナー『戯画日誌』を連載中。 近著に『映画よ憤怒の河を渉れ 映画監督佐藤純彌』(DU BOOKS刊)がある。
次のC 2020「ラストレター」製作委員会 透明なロマンティシズムに裏打ちされながら青春の繊細な光と闇を優しくも厳しく描出し続ける映像作家・岩井俊二監督。 彼の作品群でもっともポピユラーなのは、中山美穂主演の1995年作品『Love Letter』かなとは思われます。 そしておよそ四半世紀経った2020年、あたかも『Love Letter』を彷彿させられつつも、さらなる意欲で臨んだ珠玉のラブストーリーが、岩井監督自身のメガホンで世に放たれました…… 《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街432》 その名も『ラストレター』。 25年前の若き日に『Love Letter』を見て感銘を受けた今の大人たちに、そしてこれから大人になろうとする若者たちに向けて発せられた必見の秀作なのです。 亡き姉と間違えられた妹が 始める不可思議な文通 『ラストレター』はある夏の日、一人の女性・未咲の葬儀から始まります。 妹の裕里(松たか子)はそのとき、若き日の未咲の面影を残す忘れ形見の鮎美(広瀬すず)から、未咲宛ての高校同窓会の案内と、未咲が鮎美に残した手紙の存在を知らされました。 姉の死を伝えるために同窓会の会場へ赴いた裕里でしたが、何とそこで姉と間違えられてしまい、ついにはスピーチまでさせられる始末。 実は未咲と同じ高校に通っていた裕里は、そこで初恋の先輩・鏡史郎(福山雅治)にも再会しますが、彼からも姉と勘違いされ、まもなくして手紙が寄せられてしまいます。 思わず裕里は未咲のふりをして返事を出し、かくして両者の不可思議な文通が始まるのですが、その中の1通を鮎美が受け取ったことで、裕里の娘・颯香(森七菜)と一緒に興味本位で、未咲のふりをして鏡史郎に返事を出したことから、さらに事態は錯綜し始めていきます。 しかし、それは同時に高校時代の未咲(広瀬すず)と裕里(森七菜)、そして鏡史郎(神木隆之介)との関係性を改めて切なくもノスタルジックに思い起こしていくことになっていくのでした……。 増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。 映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画レビュー・コーナー『戯画日誌』を連載中。 近著に『映画よ憤怒の河を渉れ 映画監督佐藤純彌』(DU BOOKS刊)がある。
次の