Contents• 子供は何人?ダウン症? 子供に人数は合計6人です。 いしだ壱成さんの元妻で元タレントの 三宅えみさんと結婚。 連れ子が一人います。 谷原さんとの間にできたのは5人ですが、初めての子は 2007年10月に長女。 2009年4月に次女。 2010年10月に次男。 2012年2月に三男。 2015年4月に三女と3男3女ですね。 子供たちの年齢は(2017年) 長男が14歳の中学2年生・ 長女が10歳の小学4年生・ 次女が8歳の小学3年生・ 次男が7歳の小学1年生・ 三男が5歳の年長さん・ 三女が2歳となります。 すごい!妊娠育児の繰り返しを6回もできた三宅さんが本当にすごいと思います。 しかし、上手いこと産まれましたね。 6人も産める体力と経済力がとても羨ましいですね。 子沢山で幸せそうです。 ダウン症というキーワードがありますが、事実確認はされていません。 小学校と幼稚園は? 芸能人の子供と言えば 私立!と思われがちですが、芸能人という職業は明日の保証がありません。 そういった不安がある事から子供たちはみな 公立の学校に通っているそうです。 全員私立だと考えると教育費だけで 最低1億5000万円かかるそうですからかなり難しいですよね。 谷原さんの年収は2億円と言われていますが、いつまで稼ぎ続けられるかわからない不安は大きいですね。 でも、家は豪華です。 推定6億と言われる自宅を建設されました。 敷地は220坪で地下1階、地上2階の作りだそうです。 子供たちのお世話も率先しているようで、自転車で幼稚園の送り迎えや運動会などの行事も積極的に参加。 学校で必要なものはミシンで手作りするスーパーイクメン!これだけ子供のお世話をしてくれる旦那さまなら6人産んでも安心かも。 この夫婦理想! 嫁との馴れ初め 二人の出会いは 「救命病棟24時」での共演。 三宅えみさんは、 いしだ壱成さんと2003年から2006年1月まで結婚していました。 いしださんとは2006年1月に離婚。 翌年2007年3月に谷原さんと結婚。 共演からずっとちょこちょこ連絡を取り合う仲だったそうです。 谷原さんの当時の会見が話題になりました。 次に産まれてくる子との関係もありますし。 間違ったことをしたら、注意しますし、自分の子かどうかに関係なくわけ隔てなく考えたいですね。 分け隔てなくする為に子供をたくさん作ったのでは?と勘ぐってしまうのは私だけ?しかし、相当相性が良くないとこれだけの子宝には恵まれません。 今では夫婦協力し合って子育てに奮闘されています。 大変そうですがとても幸せそうです。 体に気を付けてこれからも変わりなく幸せな家庭を築いてほしいですね。
次の特別支援学校へ見学にいったときの様子、感想と、 娘の現状を書きたいと思う。 2学期になって、 特別支援学校のオープンスクールの案内をいただいので、 休んで連れていくことにした。 通常クラスで、たいていみんな高校へいく子ばかりの中にいるので、 自分も行くものと思っているところがある。 でも、 「高校行けなかったら、支援学校に行ってください。 」と 常々言っていた。 「高校は無理!」発言もした。 実際、支援学校へ行ってみたら、 一部の側面だけを見て、楽しそうという。 プールがあった。 体育館があった。 ハロウィンの飾りをつくっていた。 外で土運びみたいなことをしていた。 私が1人の先生にいろいろと話をお聞きしたので、 そこで、 「高校になったら、来てくれるんやね。 」 とやさしく声をかけてもらった。 市内には支援学校が2か所あって、住所で行く学校が決められている。 だから、行くとなったらここと決まっている。 一手にひきうけているので生徒の能力の幅もかなり広いと感じる。 特別支援学校。 行きはじめたら、 それなり馴染んで、楽しんで通うのではとも思う。 しかし問題点も感じる。 感じる問題点。 幼稚園から一緒の子もいれば、 小学校から一緒の子、 中学校で一緒になった子もいる。 幼・小から一緒の子たちは、 わが子のことをよく知っている。 中学校ではじめて一緒になった子は、 どうかといえば、 それなりに穏やかに対応してくれている様子。 逆に優しかったりする。 2学年、3クラス100名足らず。 落ち着いた学年で、 不登校の生徒は何人かいるようだが、 今のところ大きな問題もない。 中学入学時、 勉強は話にならなかったけれど、 本人はみんなと同じクラスにいたがったし、 みんなといることは、 勉強以外の学びがすごく大きいのではないかと考え、 通常学級を選択している。 小さな問題は起こしつつ、 本人は登校拒否にもならず、 学校へ行っている。 しかし、当然、 彼女にとって、授業は難しい。 もちろん、テストはとても難しい。 テストを受けない検討もしたが、 本人がみんなと受けるというので、 受け続けたが、 1年後半から、テストに向かう態度が悪く、 裏に手紙を書いたり、 絵をかいたりした。 提出課題にむかう気持ちもないようなので、 2年に進級した1学期の中間テストは休ませた。 また期末から受けるというので、 受けるなら、 落書き禁止、できるところを探してテストに向かう という約束をした。 しかししかし、 約束したからと言ってテストができるわけでもなく、 テストのための覚える勉強を頑張る様子もなく、 (私がかかわるのを嫌がる) それなのに、 みんな高校へ行くので 私も高校へ行くと言っていた。 高校は、勉強をしたいと思う人がいくのだ。 とは話している。 考えずにやれる作業は意外と好きだ。 単語を書くとか、書き写すとか・・・ でも、考える、頭を使うことがはいってくると、 逃げ腰になる。 支援学校見学後、 担任に行ってもいいと言ったので、 2学期期末は受けない、 もしくは簡単なテストに変えてもらおうと思った。 思ったのに、受けるでと言って受けた。 点数もとれないし、 提出課題もままならないのに・・・ さてどう進めていったらよいのか、悩み中。 もうすぐ三者面談。
次のホーホー 作:信田静香 これは、当時小学4年生だった静香さんが書いた詩です。 ハートネットTVでは、第19回NHKハート展に入選したこの作品とともに、静香さんとそのご家族をご紹介しました。 「ホーホー」という詩は、京都御所の森にひそむフクロウの詩です。 深夜、鳴き声だけは聞こえますが、姿が見えません。 静香さんは、そのフクロウの気持ちを描こうとしました。 母親の知美さんは、初めて生まれた子どもに障害があるとわかったときには、頭の中が真っ白になって、泣き暮らしたと言います。 しかし、障害のある子どもの幼児期の重要性について思い至ったら、「泣いてなんかいられない」と、ダウン症に関する専門書を次々に読んで、子育てに邁進しました。 母 知美さん しかし、専門書が与えてくれた知識はかならずしも自分たちの子どもには当てはまらないことが多くありました。 2歳までにできると書かれていることが、3歳を過ぎてもできない、そんな戸惑いやあせりから、書物の知識だけに頼っていてはいけないと悟りました。 「専門書の知識はもちろん参考になりましたけど、結局子育てのバイブルはありませんでした」(知美さん) 信田さん夫婦にとって、のんびりとふつうの子育てができないと思っていた当初は、大きなプレッシャーがありました。 そんな二人を支えてくれたのは、大阪医科大学附属病院の「タンポポ教室」というダウン症児専門の赤ちゃん体操教室で知り合った先輩お母さんたちでした。 アドバイスされたダウン症児の子育てのコツや日常生活の過ごし方は夫婦にとって大いに参考になりました。 そして、一人ひとりの育ちに違いがあって当たり前、ゆっくりでもささやかでも成長の喜びは味わえることを学んでいきました。 しかし、そのゆっくりとした成長によって、お座りやハイハイ、ひとり立ちや発語の様子をじっくりと味わうことができ、障害のある赤ちゃんならではの子育ての楽しさがあることがわかってきました。 「悲しみが喜びに、不安が希望へと」変化していったと言います。 ある療育の専門家からは、「知能を高めるのは難しいのですが、社会性を伸ばしたり、心を育てることで、豊かな生活を送ることができます」と言われて、家庭での日常が、そこで味わう幸せがすべて静香さんの成長の糧になることに気づき、子育ての方針が決まったと言います。 妻の知美さんは、かつて見たダウン症の子どもが家族でボードゲームをやっている写真が忘れられません。 「いつか、こんな素敵な日がやってくるに違いない」、それを励みにがんばろうと思いました。 父親の敏宏さん 背後に飾ってある2枚の絵は静香さんが描いたフクロウの絵 「社会的弱者に対する差別や偏見は、未熟な社会のものであって、文明の発展とともに解消されていくと考えがちです。 しかし、近代社会では、高度な教育が行われ、高い技能や知識を身につけないと生きていくのが難しい。 そのために素朴な社会では居場所のあった人たちが、以前よりも排除されるということが起こります。 実は、文明そのものが生み出す差別や偏見というものもあるのです。 私たちはそのことも自覚した上で、誰もが安心して暮らせる社会をつくっていかなければなりません。 静香の目線で社会を見るようになって、私のものの見方も深まっていると感じます」(敏宏さん).
次の