福島県白河市は中央通り南部に位置する、かつて奥州山関の一つとされる「白河の関」があった場所でみちのくの玄関口として有名な地です。 奥州の名城と呼ばれた白河小峰城は、1369年に築城し慶応4年に戊辰戦争白河口の戦いで陥落。 現在は、江戸時代の絵図を基に、三重櫓と前御門が忠実に木造で復元されています。 また、享和元年に12代白河藩主松平定信が湿地帯に堤を築いて造られた南湖公園は、大正13年に国の史跡名勝となっています。 今回紹介する白河ラーメンの元祖は「とら食堂」のご主人が編み出したスタイルだそうです。 手打ちの、こしがある幅広ちぢれ麺が特徴で、オーソドックスな澄んだしょうゆスープにからんで絶妙な風味を描くラーメンとなります。 現在は、白河ラーメンを受け継いだお店が市内に100軒以上あります。 職人気質のご主人たちが、日々おいしさを追求し、白河ラーメン文化を発展させ続けています。 地元の人たちに愛され続けている白河ラーメンですが、最近は評判が広がり、県内外からお客さんが訪れるようになりました。 強烈な味ではないけれど、思い出す度にまた食べたくなり、リピーターもどんどん増えている白河ラーメンをご紹介していきます。
次の福島県白河市は中央通り南部に位置する、かつて奥州山関の一つとされる「白河の関」があった場所でみちのくの玄関口として有名な地です。 奥州の名城と呼ばれた白河小峰城は、1369年に築城し慶応4年に戊辰戦争白河口の戦いで陥落。 現在は、江戸時代の絵図を基に、三重櫓と前御門が忠実に木造で復元されています。 また、享和元年に12代白河藩主松平定信が湿地帯に堤を築いて造られた南湖公園は、大正13年に国の史跡名勝となっています。 今回紹介する白河ラーメンの元祖は「とら食堂」のご主人が編み出したスタイルだそうです。 手打ちの、こしがある幅広ちぢれ麺が特徴で、オーソドックスな澄んだしょうゆスープにからんで絶妙な風味を描くラーメンとなります。 現在は、白河ラーメンを受け継いだお店が市内に100軒以上あります。 職人気質のご主人たちが、日々おいしさを追求し、白河ラーメン文化を発展させ続けています。 地元の人たちに愛され続けている白河ラーメンですが、最近は評判が広がり、県内外からお客さんが訪れるようになりました。 強烈な味ではないけれど、思い出す度にまた食べたくなり、リピーターもどんどん増えている白河ラーメンをご紹介していきます。
次の甲子温泉は、西郷村と下郷町との境にそびえる甲子岳の山麓、阿武隈川の源流域にある一軒宿のお湯です。 発見されたのが今から500年も前のことで、その年が「きのえね」にあたっていたことから甲子温泉と名前がつけられました。 徳川幕府の老中ともなり、名君として知られた白河藩主の松平定信は、「白河に到りて甲子の山見ざらんは孔子の門をすぎて堂に入らざるごとし、甲子の山に到着りて楓を見ざんらは、堂にはいりて室に入らざるがごとし」として甲子温泉を大変気に入っていたそうです。 甲子温泉の阿武隈川の下流にあるのが新甲子温泉。 新甲子温泉は、甲子温泉からお湯をひいている新しい温泉です。 森の中にある自然に囲まれた絶景の温泉で、とても人気があります。 白河というと年間に様々な行事がありますが、その中でも最も有名なのが、「白河だるま市」 です。 白河だるま市は、毎年2月11日に開かれ、白河地方に春を告げる行事ときて親しまれています。 白河だるま市の歴史は、大変古く、今から約500年前、当時の白河城主の結城政朝がお城の大手門の前で、お正月の縁起物をうる花市をひらかせたのが、その始まりと伝えられています。 だるま市でうられるだるまは、眉毛は鶴、ひげは亀をあらわしており、それに松竹梅もかかれており、大変気品があるだるまとも言われています。 白河だるま市では、だるまの他にも縁起物や造花なども売られ、各地から10数万人にあるのがが訪れます。 白河のおみやげとしても喜ばれる縁起物です。
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