若い頃は? 由香里さんは、幼い頃から腎臓が弱く、入退院を繰り返していたのですが、 そのため、薬の副作用で髪の毛が染めたように赤くなってしまっており、 さらには、父親が俳優のさんということで、 中学に入ると、不良に目をつけられ、生意気だとイジメられます。 そして、そのことがきっかけとなり、13歳で暴走族グループに加わり、 万引き、シンナーを吸うなどの非行を繰り返すようになるのですが、 その後、更生しようとしていた矢先の1982年、 父親の隆信さんが、そんな由香里さんとのやりとりをネタにした、 ノンフィクション 「積木くずし-親と子の二百日戦争」を出版すると、 当時、社会問題となっていた非行を、著名な俳優の家庭環境として、 描いたことが大きな反響を呼んで、300万部を超える大ベストセラーに。 また、その後は、テレビドラマ化、映画化、舞台化されるのですが、 特に、1983年から放送されたテレビドラマ、 「積木くずし-親と子の二百日戦争」が高視聴率を記録したことから、 由香里さんは、たちまち、注目の的となったのでした。 テレビドラマ「積木くずし〜親と子の200日戦争〜」より。 (左から)高部知子さん、さん、さん。 トルエンで少年鑑別所~覚せい剤取締法違反で少年院へ ただ、この大ヒットと、由香里さんへの注目は、 由香里さんには、「さらしものにされた」と感じ、 人生を終わらされた と、自暴自棄になっていったそうで、 1983年、15歳の時には、歌舞伎町を一人でうろついているところを、 私服警官に補導されると、由香里さんの持ち物からトルエン(シンナー)が発見。 由香里さんが、 トルエンを買ってボーイフレンドの家に行くつもりだった。 と、トルエンを遊びで使うことを認められたことから、 「毒物及び劇物取締法違反」で逮捕されると、 取り調べでは、 トルエンを吸うことは悪いことだとわかっていますが、 両親が講演などで留守がちだったから、自分は好きなことをした。 と語られたそうで、その後、 3ヶ月間、 「少年鑑別所」に入れられると、 1985年には、 「覚せい剤取締法違反」で再び逮捕され、 「初等少年院」に4ヶ月間収監されてしまったのでした。 ちなみに、これらの出来事が一斉にマスコミに報道されると、 「積木くずし」のヒットで教育関連の講演に引っ張りだことなっていた、 お父さんの隆信さんは、激しいバッシングの対象になり、 さん主役で制作予定だった、テレビドラマ 「積木くずし」の続編も、 制作が中止されています。 「穂積由里」名義で女優デビュー~ヌード写真集も それでも、由香里さんは再び更生し、1986年には、 「穂積由里」名義でテレビドラマ 「妻たちの課外授業」で女優デビュー。 1987年には、ヌード写真集も出されるのですが、 1990年7月と8月には、 再び、 「覚せい剤取締法違反」で逮捕。 その後は、1991年に 「娘の積木くずし」を出版。 1992年には、東村山市に、 ナイトクラブ 「積木の家」を開店されたようですが、 その後はどうされていたのか定かではありません。 (一時はアメリカに留学されていたこともあったそうで、 そこで知り合われた男性と結婚されるも、間もなく離婚されていたようです。 ) Sponsored Link 死因は?実母から生体腎移植を受けていた! そして、最終的には、父・隆信さんとその再婚相手とともに同居し、 知人のスナックの手伝いを経て、「介護ヘルパー」として働き始めた矢先の、 2003年8月18日、隆信夫妻と同居する都内マンションの自室で、 「多臓器不全」のため、他界されたのでした。 (幼い頃から腎臓が悪かった由香里さんは、2000年には 「腎不全」で入院され、 同年秋には、実母(2001年死去)からの提供で、 「生体腎移植」を、 受けられていました。 ) さて、いかがでしたでしょうか。 もともとは、ご両親ともとても仲が良かったにもかかわらず、 病気や親の仕事のせいで、いじめられ、そこから逃れる為に、 非行に走ってしまった由香里さんですが、 最大の不幸は、誰にでもある思春期の葛藤や家庭内の問題を、 親によって世間にさらされ、時代の寵児に祭り上げられてしまったことでしょう。 今となっては、由香里さんが 「積木くずし」の大ヒットを、 どう感じていたのかは分かりませんが、 素直でおとなしい性格ながら、とても明るくて我慢強く、 病気の苦しみをほとんど人に話されなかったことや、 晩年、父・隆信さんの元に戻られていること、 介護ヘルパーとして働かれていたことから、 本当は包み込むような優しさのある人だったのでしょうね。 由香里さんのご冥福をお祈りいたします。
次の穂積隆信が死去 俳優として活躍し過去には実の娘由香里の非行 を実話として著書を出版した 『積み木くずし』でも 知られる俳優 穂積隆信氏。 彼が 2018年10月19日胆のうガンの為亡くなられた。 享年87歳。 俳優として活躍する傍ら実の娘由香里が思春期に 非行に走ると言う実話を元に発行されたドラマ 「積み木くずし」はノンフィクションとしてドラマも 映画も大ヒット。 これがドラマです・・・凄かったです。 後から実話である 事に更にビビった記憶がハッキリ残っています・・ 当時センセーショナルな話題となり昭和40年代 生まれの人ならば誰もが知るドラマとなり著書も 大ヒットとなっている。 主演の高知知子さんも迫真の演技でした・・・演技じゃないみたいな・・・ だが、当時のドラマを知る私達も知らない壮絶な 人生はまだ、この 娘由香里の非行で始まったばかり。 穂積隆信氏の壮絶過ぎる人生は娘も嫁もそして金さえも 手元から全て溶けるように無くなってしまう事となる。 穂積隆信が死去で発覚した現在娘も死去 穂積隆信氏の存在は、懐かしいながらも彼の死去の 知らせと画像やドラマ名を見て思い出すだろう昭和40年 から50年生まれの人は多いはずです。 私もそんな中の一人でしたが当然穂積さんが胆のうガンで 87歳の人生を全うした中で思い付くのはあの当時のドラマ の根源となった 娘由香里さんの存在です。 彼女は今一体どんな生活を送られているのか? 年齢から言っても家庭を持って子供を持って その子供もかなり大きな子供がいても可笑しくない はず・・・ そう単純に思いつつ調べたところショッキングな事実が。 もう娘由香里さんはとっくにこの世にはいないとの事実が! 穂積由香里の短命過ぎる人生 「積み木くずし」のモデルとなった穂積隆信氏の娘 由香里さんは1967年12月16日の現存していたら現在 51歳の女性です。 静岡県で誕生し、既に幼少の頃から俳優として 活躍されていた 父穂積隆信氏の娘であった事から 幼少からかなりイジメにあっていたと言います。 そんな背景から彼女なりのイジメをする人物への 抵抗だったのか ある日突然非行に走る事となる。 それは両親や学校への反抗となって非行に走る 娘由香里との葛藤を描いた著書として父親が 1982年 『積み木くずし』を発行。 約300万部売れる爆発的大ヒットとなりその後 ドラマや映画にもなるこの主人公由香里だが彼女に とっては この著書やドラマ映画によって自分の人生は 晒しものになったと被害者意識を持つ事になる・・・ このわずか1年後の1983年に毒物及び劇物取締法違反 のトルエン所持で逮捕。 その後も 覚せい剤で2度逮捕されている。 その後1986年に女優として芸能界デビューもするも 鳴かず飛ばずで、その後アメリカに渡米して欧米人と 結婚し離婚。 帰国後はナイトクラブ 「積み木の家」を経営するなど 飲食店経営を行ったり知人のスナックを手伝ったり 飲酒量が多かったのが祟り 20代で腎臓を患い、2000年に 腎不全となり入院するほどに。 実の母親美千子から2001年生体腎移植を受けるも 2003年8月18日わずか35歳の若さで多臓器不全となり 亡くなっていた。 この時既に実の両親は離婚し実の父隆信氏と その再婚相手の義理母と暮らしており、しかも二人は 俳優の舞台の仕事の為自宅を明けており、帰宅した 両親が由香里の死亡を発見する。 死後から数日がたっていた。 Sponsored Link 穂積隆信の嫁美千子の裏切り この穂積隆信の家庭は娘由香里の積み木くずしに よって破綻したかと思いきや異様な同著書の 大ヒットによるドラマ化と映画化で 多額の印税が 穂積家に入る事となる。 それに比例するように穂積隆信の俳優としての 活動も忙しさを極め、その事で妻美千子は一人 孤独を感じるようになる。 それに目を付けたのが 自称会計士を名乗る男です。 この男によって穂積隆信のノンフィクション小説 「積み木くずし」の印税総額 3億ともいわれる多額の 金を持ち逃げされたと言うのです。 家を空けがちで俳優業に精を出していた夫穂積隆信 に変わり資産管理をしていた妻美千子に上手くすり寄り 金を引き出させ、家族の象徴でもあった 「積み木くずし」 の印税3億はその悪徳会計士によって持ち逃げされたのです。 当然この持ち逃げ行為によって夫婦は1987年離婚。 想像できるかと思いますが妻の美千子が騙されたのは その悪徳会計士による手練手管で気持ちも心も全て 騙され、 二人は駆け落ち。 当然金目当てだった男は金がきっちり手に入った事で 美千子など用無し。 男と別れた後の口座に残された金はわずか 2万円 だったと言われています。 その後破局した美千子はその後赤坂でママとして クラブ経営を始めるも当然上手く行くはずもなく 直ぐに閉店。 結局2001年8月に自宅のアパートで首を切って 亡くなられています。 恐らく同年に娘由香里さんに生体腎移植をした 後に自ら命を絶たれたようです・・・ 晩年の彼女は生活保護を受けて3畳一間のアパート で一人暮らしだったそうです・・・ また一説にはこの穂積隆信と妻美千子との一人娘 由香里は穂積隆信の娘ではなかったともいわれており あれ程溺愛した娘との血縁関係までが破綻するべく 噂まで浮上した穂積隆信の心境はいかなる心境だったの でしょう。 Sponsored Link 穂積隆信家の 「積み木くずし」を是非見てみませんか? シャレにならない 娘由香里の大変貌と両親の苦悩に 娘のどんどん非行の世界に足を踏み入れる様と両親に 対する歪んだ反抗が凄まじくて当時まだ子供だった私 は見てはいけないモノを見てしまった感が満載のドラマ& 映画でした。 とにかくド迫力満点! 凄まじい娘由香里の反抗期はテレビの前で家族が 固まって見ていた記憶です。 リアリティある映画を是非 U-NEXTの31日間無料視聴で ご覧になってくださいね。 凄まじいですよ。 冗談みたいな本当の話って感じです。 汗 おわりに 穂積隆信の壮絶過ぎる人生の幕が閉じたことと、彼が胆のうガンで亡くなられた事によって明らかとなった娘の早すぎる死とその母親の壮絶な夫婦の裏切りと最後の死。 あまりにも波乱に満ちた穂積隆信の人生に同情を覚えつつも、人の人生はいかなる時もどうなるのかは分からないモノなのかもしれないのだと改めて思わざる得ない事実を知ってしまった心境です。 今は亡き娘由香里さんとあの世ではどうか平穏な親子として出会える事を祈りながら穂積家のご冥福を祈りたいと思います。
次の解説 非行に走った娘とそれを更生させようとする両親との凄まじい闘いを描く。 超ベストセラーとなった穂積隆信原作の同名ノンフィクションの映画化で、脚本は「北斎漫画」の新藤兼人、監督は「伊賀忍法帖」の斎藤光正、撮影は田端金重がそれぞれ担当。 1983年製作/111分/日本 原題:Domino 配給:東宝 ストーリー 穂波由布子は中学2年生。 彼女は幼児時代に腹部腫瘍の大手術を受け、その後遺症で体が弱く髪が赤かった。 その髪の色が不良女生徒グループの気に障り、凄まじい乱闘の果てに由布子の体と心は傷ついた。 家の貯金通帳から十万円を引き出した由布子は、親友の笹原明子と連れだって家出する。 由布子の父・高介と母・美知江は互いに責任をなすりつけた。 二日後、渋谷署に補導された由布子は、その日から学校へ行かなくなった。 高介は学校が悪いと言って新しい学校を捜し始める。 彼は名の知れた個性派俳優で生活は派手で女好きだった。 夏休み由布子は明子と一緒に高介の母・たか子のいる土肥に遊びに行きたいと言い出した。 土肥から帰った由布子は別人のようなしゃべり方をするようになり、家を空けることが多くなった。 高介と美知江はワラにもすがる思いで警視庁の門をくぐる。 少年一課心理鑑別技師・竹田は二人に「子どもと話し合いをしてはいけない」、「交換条件を出してはいけない」など第一の課題を示した。 この日から高介と美知江の竹田の指示に従う必死の生活が始まった。 竹田が二人に与えた第二の課題は「一切お金を渡すな」ということだった。 「ゼニを出せ」と叫んで襲いかかる由布子に美知江は無抵抗で耐えた。 竹田が第三の課題「門限を決め十時までに帰らなかったら鍵を開けるな」を課した。 高介はそれを由布子に告げるが彼女は門限を破った。 「開けろ」とドアを蹴り暴れる由布子。 しかし二人はドアを開けず、あきらめ果てた由布子は歩き去った。 夜明け近くに戻って来た由布子を美知江は謝らせて家の中に入れる。 由布子は「誰のせいでこんな風になったと思うのか」と高介に愛人のことを問いつめた。 次の日、遊んでいた由布子は急に空しさを感じ帰宅する。 そして、学校に行きたいと言いだした。 登校した日の夜、由布子は電話で何者かに呼び出され出かけた。 見知らぬ少年に行先を知らされた高介が駆けつけると、由布子は不良たちに凄絶なリンチをうけていた。 止めに入った高介も襲われた。 夜が明け、傷だらけになった二人が家路を急いでいた。
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