混雑率は130%くらい! 京成本線の混雑率は最大で130%というが、これは立っている場合でもスマホの操作がらくらくできるレベルである。 人と人が接するということもない。 ドア付近の人でも降りる乗客のために停車駅についたらいったん降りるという必要もあまりない程度である。 満員電車が多い首都圏の私鉄各線と比べるとラッシュの混雑度はかなり緩い。 速達列車として快特と通勤特急が朝の時間帯は運転されているが、こちらはやや混雑する。 通過駅が多く設定されているということで、長い距離を移動する乗客がこれらに集中する。 各駅停車と比べると乗車率はやや高い傾向にある。 公式の発表は存在しないが、体感的には150%くらいには達すると感じる。 人と人が接するほどではないものの、空間に余裕がないのは確か。 京成上野方面に行く電車と押上線を経由して都営浅草線へ直通する列車の2パターンがあるが、どちらも変わりなく混雑する。 片方だけが空いているということはまったくといっていいほどない。 朝ラッシュの時間帯別の混雑度 <京成高砂駅にて調査> 時間帯 混雑度 時間帯 混雑度 6:00-6:30 2 8:30-9:00 4 6:30-7:00 3 9:00-9:30 4 7:00-7:30 4 9:30-10:00 4 7:30-8:00 5 10:00-10:30 3 8:00-8:30 5 10:30-11:00 3 参照: 京成本線の朝ラッシュのピークは7:30~8:30までである。 概ね7~9時が広範囲の通勤ラッシュに該当する。 他のJR・私鉄各線と基本的には同じと考えてよい。 東京をはじめとする首都圏の私鉄としては混雑率は小さい方に分類される。 都心から放射状に延びる私鉄の主幹路線としては最も低い数値になる。 <時間帯別の混み具合のまとめ>• 6時台=ガラガラ• 7時台前半=やや混み合う• 7時台後半=朝ラッシュがスタート• 8時台前半=ピークの真っ最中• 8時台後半=ピークは終了へ• 9時台=徐々に混雑解消 本格的に朝の通勤ラッシュがスタートするのはあくまでも7:00頃である。 混雑が解消されたと実感するのは9時過ぎになってからだろう。 それでも9時台はまだまだ朝ラッシュの影響は残る。 昼間の静けさがやってくるのは10時台に入ってからとなる。 次に混雑が激しくなるのは夕方の17時以降の帰宅ラッシュになってからとなる。 朝とは逆方向が混み合う。 同じく首都圏では混み具合は緩やかな方。 6時台はまだ空いているが 早朝に当たる6時台ならまだ満員電車というほどではない。 遠距離通勤をしている人は早くも電車に乗る時間になるかもしれないが、それはあくまでも少数派。 まだまだ余裕が見られる。 ただし、それでも立っている乗客は多い。 座席はすでに満席になっていることが多い。 特に通過駅の設定がある優等列車は座れるのは不可能に近い区間がほとんど。 京成本線は途中駅で降りていく人がそうはいない。 回転率が悪いため、一度座れなかったら京成線内では座れないだろう。 7時台はもう満員 7時台になるとどこの路線でもいよいよ朝ラッシュがスタートする。 ピークこそは8時頃が主役だが、7時台でも前半から満員電車の要件は満たす。 都心部でも京成本線以外の路線に乗り換える通勤客は所要時間が長くなるため、7時台にはすでに京成本線の電車に乗っている。 通勤特急・快速特急はドア付近ではやや窮屈感を感じる。 他の人と接したり、スマホの操作が困難なほどではないが、最混雑区間ではリュックは背負ったまま乗るのは難しい。 各駅停車には余裕が見られる。 東京都内の部分は確かに混み合うものの、千葉県内はちょっと混んでいる程度である。 8時台は朝ラッシュのピーク 8時頃は京成本線の1日の混雑のピークに達する。 混み具合の目安は以下のようになる。 <8時の京成本線の混み具合の目安>• ドア付近はやや窮屈感• スマホの操作はドア付近でも可能• 車内奥は新聞・雑誌を読める• 通勤特急・快速特急に集中 ちょうど9時出勤の人が通勤手段として京成本線を使い、千葉方面から都心部へ向かう人が殺到する時間帯に当たる。 ドア付近はやや窮屈感がある。 スマホの操作が困難なほどではないが、使用するのを戸惑うほどのレベルではある。 特に通勤特急・快速特急は混雑が集中しやすい。 いずれの種別でも、車内奥なら全員が吊革または手すりにつかまれる。 一方のドア付近はそれが難しく、電車の揺れに対して自分の足で我慢するしかない状態にもなる。 区間・種別ごとの混雑状況 京成本線の区間および種別ごと混雑状況は、まず上りと下りで全く異なる。 <参考元:、(日本民鉄協会)、(千葉県)> 上り列車は満員電車になるほど乗車率が高い一方、下り列車は基本的に空いている。 今回は平日ダイヤの種別と混み具合を基準にする。 快速特急・通勤特急に乗客が偏っている。 快速特急が最も通過駅が多いことや、都営浅草線へ直通する列車でもあることから、最も混雑が激しい。 その次に混むのが通勤特急。 こちらは日暮里駅・京成上野駅へ向かう。 都営浅草線方面へ向かう京成押上線系統よりも空いているが、同じく優等列車ということで乗客が殺到しやすい。 各駅停車はそれほど混雑しない。 優等列車と緩急接続する駅では大量に乗客が降りていく。 座れるチャンスがたくさんやってくる一方、所要時間が長くなるため長距離利用者には全く向いていない。 快速と各駅停車は全線にわたって満員電車にはならない。 特急は京成押上線と合流する青砥駅から大量の乗客が乗ってくる。 京成船橋駅辺りまではやや満員電車になる。 ただし、上りのように窮屈感はない。 ドア付近でも他の乗客と接するほどの混み具合ではない。 スマホの操作も問題なく行える。 リュックも背負って乗れる区間が多く、青砥~京成船橋の間は微妙といったところである。 なぜあまり混まない? 快特と通勤特急の乗車率がやや高いとはいえ、それでも他路線と比べると緩やかなことには変わりない。 京成本線の混雑があまり激しくない理由としては、並行して走る路線が複数ある点が挙げられる。 京成本線は全線に渡ってJR総武線及び総武本線と並行している。 近距離利用の場合は電車特定区間を適用しているJR東日本の方が京成電鉄よりも運賃が安い。 同じくらいの距離であっても京成の方が高い。 また、所要時間についても圧倒的にJRの方が早い。 京成本線はカーブが非常に多く、電車は物理的にあまりスピードが出せない。 しかも駅が多いことから、こまめに停車する。 直線が長くて線形が良く、しかも駅間距離が長いJR総武線とは対照的な環境となっている。 どうしても総武線の方がメリットが大きい。 さらに、京成本線は一部区間で東葉高速鉄道線と東京メトロ東西線、北総線、都営新宿線とも並行している。 東葉高速鉄道や北総線は運賃が超高いということで避ける人が多い。 とはいえ、所要時間ではいずれも京成本線より早い。 新しい鉄道路線ということで、直線の部分が多くスピードが出せる。 しかも、値段が割高ということで朝や夕方でも空いている。 こうした事情から、京成本線を使わずに他の鉄道路線を使う人が一定の数は存在する。 この結果として、京成本線は他の主要路線よりも空いているというわけだ。 他の路線の混雑状況 接続駅 路線 成田空港 JR成田線 勝田台 京成津田沼 京成千葉線、 京成船橋 、 京成八幡 (本八幡駅) 京成高砂 <押上線、方面へ分岐>、 京成関屋 (牛田駅) 町屋 日暮里 、、、 上野 山手線、京浜東北線 、、、常磐線快速 、、 <押上> <へ直通> >>.
次の路線の識別色は青系 から東方の千葉県、、成田市方面を結ぶ京成電鉄の基幹路線であり、の主要幹線の一つである。 東京通勤輸送のほか、京成電鉄草創期からの目的地であり、毎年で300万人近い人出がある参詣客輸送も特徴として挙げられる。 輸送については、その主たる需要の受け皿を(成田スカイアクセス線)に移行させつつも、多様なニーズに応える選択肢の一つとしてその役割を担っている。 を介して方面(・・)と、を介してとそれぞれを行い、またと直通する列車がある。 正式名は単に「本線」であるが、成田スカイアクセス線開業後は、京成線内でも社名を冠した「 京成本線(英称: Keisei Main Line)」の名で案内されるようになった(路線図 ・駅の標識 ・車体表示)。 路線識別色は系。 一部の地図などでは「京成成田線」と表記されたり、京成上野 - 青砥間が「上野線」、京成成田 - 成田空港間が「空港線」 (あくまでも成田空港線としての呼称ではない)と呼ばれる場合があるが、いずれも通称であり正式名称ではない。 分岐点の信号機の進路識別標識には線名(本線)ではなく方面・方面略称( 成田、 成等)が記載され、の際は「上野線」「成田線」などと呼ばれる。 路線データ [ ]• 管轄・路線距離(営業キロ):全長69. 3km• 京成電鉄():• 京成上野 - 駒井野信号場間 67. 2km• 京成電鉄()・成田空港高速鉄道():• 駒井野信号場 - 成田空港間 2. 1km• 京成成田 - 駒井野信号場間 6. 0kmは、空港第2ビル - 成田空港間 1. 0kmはとの重複区間。 :1435mm• 駅数:42駅(起終点駅含む)• 区間:空港第2ビル - 成田空港間 1. 0km• 区間:京成上野 - 青砥間、京成高砂 - 空港第2ビル間 67. 1km• 区間:青砥 - 京成高砂間 1. 2km• 区間:全線電化(1500V)• :自動閉塞式• 所在駅:、、• 保安装置:• に直通するとも勝田台駅()- (押上線を経由して直通)間で競合しており、こちらにも運賃では勝るものの所要時間などで劣っている。 そのため勝田台駅で乗降し東葉高速線を利用する乗客なども多い。 2008年度における勝田台駅の1日の平均乗降客数は日暮里駅についで5位となっている。 都営浅草線直通は近年では1998年の羽田空港駅(現在の)開業以降、京急線発着の列車が主流となり、浅草線の終着駅である発着の列車はラッシュ時以外は大幅に減少していたが、成田スカイアクセス線開業後のダイヤでは日中の西馬込発着列車が増発された。 快速特急・特急・通勤特急の全列車と快速の大半は利用率が比較的高いために、8両編成で運転される。 普通列車は、ホーム有効長が6両分しかない駅 本線は京成中山駅と海神駅の2駅のみ があるため、京成上野駅 - 京成高砂駅間と宗吾参道駅 - 成田空港駅間(・東成田方面芝山鉄道線芝山千代田駅間を含めて)は一部が8両編成だが、それをのぞき全列車が6両または4両編成で運転される。 かつては4両編成が多かったが、近年は4両編成の・の廃止減少および6両編成のの増備により、6両編成で運転する列車が増えている。 2010年7月17日以降は京成高砂駅 - 空港第2ビル駅間の経路が成田スカイアクセス線経由と本線経由の2系統となったため、「成田スカイアクセス線・北総線経由」「京成本線・船橋経由」という案内でルートの区別を図っている。 現在、日中のダイヤは成田スカイアクセス線経由の「スカイライナー」が60分サイクル、一般列車が40分サイクルとなっていて、両者を組み合わせたダイヤパターンで運行されている。 運行本数 [ ] (令和元年)現在のダイヤで日中 40分あたりの運行本数は、以下のようになっている。 なお、空港第2ビル - 成田空港間のと青砥 - 京成高砂間のからの直通列車は、営業上京成本線と分離されているが、線路は共用となっているのでまとめて記す。 これらはそれぞれ独立したである。 これらの列車の緩急行選別装置の番号対照表の番号は「8」であり、「その他」と表記されている。 成田スカイアクセス系統• - 東京都心部と成田空港を結ぶ列車として、京成上野駅 - 成田空港駅間に運行されている。 京成上野駅 - 京成高砂駅間は本線(当線)、京成高砂駅 - 成田空港駅間は成田スカイアクセス線を経由する。 本線系統• - いわゆる的に運行される列車。 「モーニングライナー」は朝上りに、「イブニングライナー」は夕方下りに、それぞれ運行される。 運行区間はいずれも全区間本線経由で京成上野駅 - 京成成田駅・成田空港駅間。 - 初詣客などのための臨時列車。 全区間本線経由で京成上野駅 - 京成成田駅間を運行。 一般列車 [ ] 以下は、運賃以外の料金不要列車である。 また、ここでは本線青砥駅以西(日暮里・京成上野方面)あるいは京成高砂駅以南(津田沼方面)のどちらも経由しない列車(押上線 - 北総線・成田空港線(成田スカイアクセス線)、押上線 - 京成高砂駅発着)については詳述しない。 それらについては「」・「」・「」を参照。 快速特急 [ ] は、一般車両による最上位速達列車。 のダイヤ改正から運行。 2006年12月改正前の朝夕の特急の運行形態を引き継ぎ、朝方は上り方面、夕方・夜間は下り方面へ、2019年10月26日のダイヤ改正からは日中も運行される。 ただし、運行形態は、平日と休日では以下のように大きく変化する。 上り : 主に、朝は押上線・都営浅草線を介して都営浅草線西馬込あるいは京急線方面に、日中は京成上野方面に運行される。 下り : 主に、夕方・夜間は京急線発あるいは都営浅草線西馬込発で都営浅草線・押上線を経由して、日中は発で・着となる(には2本だけ、京成成田駅から乗り入れる)。 土曜・休日• 上り : 主に京成上野方面に運行される。 下り : 全列車が京成上野駅 - 京成成田駅・成田空港駅・芝山鉄道線芝山千代田駅間にのみ運転され、押上線からの乗り入れはない。 現行ダイヤでは以下の運行パターンがある。 京成上野駅 - 京成成田駅・成田空港駅・芝山鉄道線芝山千代田駅• 日中はまたは京成高砂駅で日中は経由羽田空港発着列車(アクセス特急)と、で成田空港発着列車 快速 と接続• 都営線西馬込駅 - 京成成田駅・成田空港駅・芝山鉄道線芝山千代田駅• 都営線北行は快速特急、南行は普通で運転される。 京急線羽田空港 - 京成成田駅・成田空港駅・芝山鉄道線芝山千代田駅• 京急線内はエアポート快特、快特、エアポート急行で、都営線北行は快速特急、エアポート快特で、都営線南行はエアポート快特、急行で運転されている。 2002年10月14日より2014年11月7日までの平日には発京成成田(運転開始当初は成田空港)行き(京急線内特急)という、3社間で最長距離の列車が1本運転されていた(都営車の運用)。 なお、2010年7月11日までには土休日のみ朝方に成田空港行き(通常とは逆方向に運行される列車)が1本あったが、この列車は羽田空港駅(現在の)始発であり、京急線・都営浅草線を含めて全区間で種別が快特(エアポート快特を含む)であり、なおかつ両空港を乗り換えなしで結んでいる数少ない列車であった。 また土休日夕方にも成田空港駅 - 羽田空港駅間の列車が存在した(京成線内は快速特急、都営線内・京急線内はエアポート快特となる列車もあった)。 原則として京成電鉄の車両が主体の運用だが、都営線直通列車はラッシュ時を中心に都営地下鉄の車両が入ることがある。 また上記の京急線京急蒲田駅より南を始発とする列車は、原則都営地下鉄の車両での運用となっていた。 当初はにあわせて種別を「快特」と定めたが、読みが「かい とく」であるため、後述の「」(かい そく)との区別がつきにくく、誤乗防止のため、より、駅構内および車内のアナウンスが「快速特急」に変更された。 のダイヤ改正よりすべての案内上の名称が「快速特急」に改められ、現在は駅の発車案内や車両の方向幕の表示もごく一部(1・2番線)をのぞき「快速特急」に統一された。 種別カラーは京急と同様の緑色。 ただし、フルカラーのが導入されていない駅などにおいては赤色で表示する場合もある。 緩急行選別装置の番号対照表の番号は「7」であり、こちらは引き続き「快特」と表記されている。 「」も参照 2010年7月17日に開業した成田空港線(成田スカイアクセス線)経由の一般車両による最上位速達列車(快速特急と経路は違うが同等)。 日中は押上線方面との直通列車のみであるが、日中以外の時間帯に京成上野駅発着での設定がある。 京成電鉄・京急の車両による運用で、通常京成車の運用には・(3052 - 3056編成 編成)が限定的に使用される。 種別カラーは、それまで「通勤特急」が使用していたオレンジ色が使用されている。 ただし、フルカラーLEDの発車案内板が導入されていない駅などにおいては赤色で表示する場合もある。 フルカラーLED装備の京成車は本線特急と区別するため、行先と交互に経由路線を表示する。 青砥駅での接続 右:京成本線 特急 行 左: 行 特急は、一般車両による速達列車。 日中における京成上野駅 - 成田空港駅間を本線経由で結ぶ唯一の列車である。 スカイライナーとの区別のため、一部構内放送や車内放送では「普通特急」と呼ばれる場合がある。 1991年3月19日のダイヤ改正による停車駅変更に伴い2代目通勤特急と本線において停車駅が全く同じになったため種別順位では2006年12月のダイヤ改正で「快速特急」が登場するまでは最上位速達列車であった。 京成上野駅 - 成田空港駅間の所要時間は最速71分(1時間11分)で、日中は約40分間隔で運転されている。 現行ダイヤでは以下の運行パターンがある。 京成上野駅 - 成田空港駅• または京成高砂駅で日中は経由羽田空港発着列車(アクセス特急もしくは押上線快速特急)と、それ以外の時間帯は横浜方面快特・特急と接続。 日中は京成成田駅で始発の東成田線・芝山鉄道線芝山千代田行に接続。 朝ラッシュ時は下り、夕ラッシュ時は上り、日中は上下線で運行されている。 京成上野発芝山鉄道芝山千代田行き• 土休日深夜1本のみ設定されている。 成田空港駅発西馬込行き• 平日夕方に1本のみ設定されている。 都営線内は普通で運転されている。 成田空港駅発羽田空港行き• 平日夕方に1本設定されている。 都営線内は急行で、京急線内はエアポート急行で運転されている。 都営線西馬込駅発京成成田駅・成田空港駅・芝山鉄道線芝山千代田行き• 都営線北行は特急で運転される。 京急線羽田空港発京成成田駅・成田空港駅・芝山鉄道線芝山千代田行き• 京急線内はエアポート快特、エアポート急行で、都営線北行は特急、エアポート快特で運転されている。 京成上野駅 - 京成佐倉駅間では快特と同じ停車駅で、2006年12月10日のダイヤ改正で京成佐倉駅 - 成田空港駅間が各駅停車化され、特急停車駅が4つ追加された。 所要時間はダイヤ改正前の京成成田駅における3 - 4分の停車時間を短縮したため所要時間は従前と同等となっている。 京成佐倉駅 - 成田空港駅間の各駅停車化はこの改正で日中の発の快速(改正より西馬込駅発着)が京成佐倉行きとなったためで、乗り入れる種別が特急しかなくなった京成佐倉駅 - 成田空港駅間の日中において、特急が各駅停車の役割も担うこととなったからである。 2006年12月9日までは日中時間帯に半数近くがでスカイライナーの通過待ちがあったが、翌10日より、日中の通過待ちがなくなった。 2010年5月16日より、日中の上野方面はでスカイライナーの通過待ちを行っていた。 同年7月17日のダイヤ改正よりスカイライナーが成田スカイアクセス線経由となり、それ以降は上下列車とも3本中1本がでシティライナーの通過待ちを行っていた。 なお、過去(成田スカイアクセス線開通以前)には朝夕ラッシュ時に京成高砂駅・・八千代台駅・・宗吾参道駅・のいずれかの駅でスカイライナーの通過待ちを行っていた。 を介してに乗り入れを開始するより従前の急行を格上げする形で運行を開始した。 なお、これ以前は座席指定制のが唯一の特急列車であった(不定期をのぞく)。 種別カラーは赤色(各社局共通)。 停車駅の変遷(京成上野駅 - 京成成田駅間のみ掲載)• (特急の運行開始時)• 京成上野駅 - 日暮里駅 - 青砥駅 - 京成高砂駅 - 京成八幡駅 - 東中山駅 - 京成船橋駅 - 谷津遊園駅(現・谷津駅) - 京成津田沼駅 - 八千代台駅 - 京成佐倉駅 - 京成成田駅• 従前の急行を改称する形で設定。 同時に京成八幡駅が停車駅に加えられ、初代急行が停車していた町屋駅・堀切菖蒲園駅は通過とされた(従前の準急を改称して同時に設定された2代目急行は停車)。 - 京成小岩駅と勝田台駅が停車駅に加えられる。 - 谷津駅が通過駅となる。 - 京成小岩駅と東中山駅が通過駅となる• 但し、東中山駅はでの開催日(中でも特に混雑する競走 開催日)に限り、一部臨時停車する。 - 大佐倉駅 - 公津の杜駅の各駅が停車駅に加えられる。 上記のアクセス特急・特急の緩急行選別装置の番号対照表の番号は「6」であり、「特急」と表記されている。 京成本線経由 特急(経由路線表示) 通勤特急 [ ] 通勤特急は、のダイヤ改正で再び運行を開始した列車種別(3代目、)。 京成上野駅・京成高砂駅 - 勝田台駅間では快特・特急と同じ停車駅、勝田台駅 - 成田空港駅間で各駅停車となる。 現行ダイヤでは以下の運行パターンがある。 成田空港駅、京成成田駅、芝山鉄道芝山千代田駅発京成上野行き• 平日朝上り、全日上り深夜に運転されている。 都営線西馬込駅 - 京成佐倉駅、京成成田駅、成田空港駅、芝山鉄道芝山千代田駅• 平日上りは朝1本、下りは平日夜に運転されている。 上りの都営線内は普通で運転されている。 羽田空港発京成成田駅、成田空港駅、芝山鉄道芝山千代田駅• 平日夜で運転されている。 京急線内はエアポート急行、エアポート快特で、都営線内はエアポート快特、通勤特急で運転されている。 なお、のダイヤ改正により、夜間上りにも1本運行されている。 これは通勤客を主たる対象としたものではなく、勝田台駅 - 成田空港駅間が各駅停車である種別特性を利用したものである。 他の通勤特急は土曜・休日には運行しないが、この列車1本のみ、土曜・休日にも運行している。 までの平日朝の下りでは京成上野発成田空港行き1本が運行されていた。 種別カラーは空色。 ただし、フルカラーLEDの発車案内板が導入されていない駅などにおいては赤色で表示する場合もある。 成田スカイアクセス線開業以前はオレンジ色だった。 緩急行選別装置の番号対照表の番号は「5」である。 京成成田および芝山千代田始発の「通勤特急」京成上野行き(8両編成)4本に対して、平日朝ラッシュ時の時間帯にが設定されている。 設定位置は進行方向最後尾車両(8両目)で、設定区間は京成上野までの全区間。 設定対象列車の最後尾車両には「女性専用車」案内シールが貼られる。 成田空港始発の列車には設定されていない。 すべて自社車両で運行するが、から夜間の京成成田行きの1本が都営地下鉄の車両による運用となった。 都営地下鉄の車両による「通勤特急」の運用は7年ぶりの復活であったが、のダイヤ改正で自社車両の運用に戻された。 快速 [ ] 「」も参照 快速は、のダイヤ改正で運行を開始した、主に都営地下鉄浅草線直通を担う準速達列車である。 この快速は通勤特急と同じく3代目にあたる。 それ以前に運行されていたよりも停車駅が少ない。 本線では、急行がかつて停車していた町屋駅・千住大橋駅(2010年のダイヤ改正で千住大橋駅が停車駅となった)・堀切菖蒲園駅・国府台駅・市川真間駅・谷津駅は通過とした。 これにより京成上野駅 - 京成津田沼駅間では特急などとの停車駅の違いは京成小岩駅・東中山駅・船橋競馬場駅だけになり、ほぼ特急などと同等の所要時間となった。 上位速達列車の追い抜きも京成上野駅 - 京成津田沼駅間ではほとんど見られなくなった。 京成津田沼駅 - 成田空港駅間で各駅停車となる。 登場当初は押上線・都営地下鉄浅草線を介しての方面への直通(京急線内は快特運転)に充てられ、都営地下鉄の車両と京成電鉄の車両が主体の運用で、わずかにかつての羽田空港駅 - 成田空港駅間の直通特急であったの名残で京急の車両による運用も存在する。 現行ダイヤでは以下の運行パターンがある。 京成上野駅、京成高砂駅 - 京成高砂駅、京成佐倉駅、宗吾参道駅、京成成田駅、東成田駅、成田空港駅、芝山鉄道線芝山千代田駅• 京成高砂発着の一部列車は都営車・京急車で運転される。 都営線西馬込駅 - 京成佐倉駅、京成成田駅、成田空港駅、芝山鉄道線芝山千代田駅• 都営線南行は普通で運転される。 一部列車は都営車・京急車で運転される。 京急線羽田空港 - 京成佐倉駅、宗吾参道駅、京成成田駅• 京急線、都営線南行内はエアポート快特、エアポート急行(都営線内急行)で運転される。 平日朝下り1本・夜間上り1本、土休日夜間上り1本は、押上線普通として運行される。 京急線三崎口駅・羽田空港駅 -( 押上線普通)- 京成高砂駅 - 京成佐倉駅・京成成田駅• 下り平日朝3本、上り全日夜間1本のみ• 京急線内は特急・エアポート急行で、都営線南行は急行で、都営線北行・押上線は普通で運行される。 都営線西馬込駅 -( 押上線普通)- 京成高砂駅 - 京成佐倉駅・京成成田駅・成田空港駅・芝山鉄道線芝山千代田駅• 下り全日朝2本、上り平日夕夜間3本・土休日夜間2本のみ• 都営線・押上線内は普通で運行される。 朝一部の京成佐倉方面行きは京急線エアポート急行で都営線・押上線普通(押上線内では「普通 京成高砂」と案内)として運行される。 京急線・都営線内では、京成本線内を快速として続行運転する旨は案内されていない。 また、夜間一部の西馬込行き・羽田空港行きは南行押上線普通、都営線・京急線エアポート急行(都営線内急行、芝山鉄道線・京成本線内は「快速 京成高砂」と案内)として運転される。 京成高砂駅で行先・種別の変更を行う。 本線内で押上線普通として続行運転する旨は案内されていない。 京急線三崎口駅・浦賀駅 - 京成佐倉駅・成田空港駅• 平日上り夕方1本三崎口行きのみ運転。 ただし、2017年10月28日以降は土休日朝下りに浦賀始発として運転される。 2019年10月28日以降は三崎口行きは成田空港始発として運転される。 京急線内は特急で運転される。 京急線浦賀駅 - 京成高砂駅• 平日朝上り1本のみ設定されている。 列車番号は 885H。 京急線内は特急として運転される。 2013年10月26日のダイヤ改正までは、都営地下鉄浅草線より列車種別がとなる上り(押上・羽田空港行き)列車について、種別幕を「(飛行機マーク)快速」として他の快速とは案内を分けていた。 ただし、停車駅や正式な列車種別名は同じ「快速」であり、駅の時刻表では同じピンク色の文字で表記している駅もあった。 また、(飛行機マーク)は都営線内での停車駅の差異を案内するためのものであるため、下り成田空港行きの列車に使用されることはなかった。 2006年12月10日のダイヤ改正からは、日中のみ羽田空港駅 - 京成佐倉駅間での運転となり、京成佐倉駅到着後、反対側の番線に成田空港駅発着の特急列車に連絡するダイヤになった。 そのため、一部の京成佐倉行き列車の方向幕には「 (成田空港方面)佐倉」と表示されていた。 また、平日朝の一部と夜間に京成上野駅 - 京成高砂駅間の区間運転列車が新設された。 夜間に運転される京成上野駅 - 京成高砂駅間の区間運転列車は青砥駅で都営地下鉄浅草線からの直通列車に接続する。 2010年7月17日のダイヤ改正からは、京成上野駅発着列車がに停車し、普通列車との接続が図られている。 また、日中の羽田空港駅 - 京成佐倉駅間の快速(京急線内エアポート快特)と西馬込駅 - 京成高砂駅間の普通・急行の種別・行き先が変更され、快速は西馬込駅 - 京成佐倉駅間での運行とし、泉岳寺駅で同駅折り返しの京急線・方面快特に接続する形態に改められた。 またエアポート快速は早朝の宗吾参道発羽田空港行き1本のみ(京急線内エアポート快特)となった。 また、京成線急行の廃止を受け、平日に北総線で運行される急行のほぼ全列車については、京成線内種別が快速となった(その後2012年10月21日改正で全列車が京成線内快速となったが2015年12月7日のダイヤ改正で北総線直通急行は京成線内普通になった)。 なお、この改正で京急の車両による運用は平日数本の京成高砂駅 - 都営線間の列車のみとなったが、2015年12月7日ダイヤ改正で平日1本のみ京成佐倉発三崎口行き(京急線内特急)が設定され、2010年7月16日以来の京成高砂以東の定期列車が設定された。 このほかにも京成高砂発京成佐倉行きの1本、平日のみ西馬込駅 - 京成佐倉駅間の1往復についても京急の車両による運用で設定された。 京急車におけるこれらの京成高砂以東本線運用はアクセス特急同様に原則として600形と新1000形10次車以降に限定されているが、ダイヤ乱れ等が発生した場合は1500形・新1000形9次車以前の車両が代走で入線することがある。 種別カラーはピンク色。 ただし、フルカラーLEDの発車案内板や行先表示器が導入されていない駅や車両などにおいては赤色・緑色で表示する場合もある。 また、エアポート快速はフルカラーLEDの場合緑地に白字で表示される。 緩急行選別装置の番号対照表の番号は「4」である。 京急車による快速 普通 [ ] 普通列車は各駅に停車する。 現行ダイヤでは以下の運行パターンがある。 本線系統• 京成上野駅 - 京成津田沼駅・• 日中を中心に大半を占めている。 京成上野駅 - 京成大和田駅、京成佐倉駅• 大和田駅発着は平日、京成佐倉駅発着は土休日の夕方に設定されている。 京成上野駅、京成津田沼駅 - 京成高砂駅、宗吾参道駅• 入出庫の関係で朝・夜を中心に運転される。 京成上野駅、京成津田沼駅、宗吾参道駅、京成成田駅 - 京成成田駅、成田空港駅、東成田駅、芝山鉄道線芝山千代田駅• 朝・夜に多く運転されている。 京成上野駅 - 千葉中央駅、ちはら台駅• 夜を中心に運転されているが、朝の運転も設定されている。 京成臼井駅 - 京成津田沼駅• 夜に1本のみ設定されている。 都営浅草線乗り入れ系統 押上線および青砥駅で普通高砂行きとして案内され、京成高砂から快速として運行される列車については「」を参照• 都営線西馬込駅、京急線品川駅 - 京成高砂駅、北総線印西牧の原駅、印旛日本医大駅• 朝・夕を中心に運転されている。 京急線三崎口駅、三浦海岸駅(着のみ)、京急久里浜駅、神奈川新町駅 - 京成高砂駅、北総線印西牧の原駅、印旛日本医大駅• 北総線内は急行、普通で、都営線北行は普通で、都営線南行、京急線内は快特、特急で運転される。 京急線羽田空港 - 京成高砂駅、印西牧の原駅、印旛日本医大駅• 都営線北行、北総線内は普通で、都営線南行、京急線内はエアポート快特、快特、エアポート急行(都営線内は急行)で運転される。 押上駅 - 京成高砂駅、印西牧の原駅、印旛日本医大駅• による 高砂始発都営線・京急線直通普通 ( 行) 本線系統は基本的に6両編成の運用である。 これは京成高砂駅 - 京成津田沼駅間の普通停車駅のとのホームが6両以下のためである。 同区間を含まない普通列車は8両で運転されるケースも多い。 たとえば、から京成高砂駅まで乗り入れる方面・と、羽田空港 - 北総線直通列車はほぼ8両編成で走る。 このほか、出入庫など間合い運用の都合上、京成上野駅 - 京成高砂駅間・宗吾参道駅 - 成田空港駅・芝山千代田駅間の一部の普通では8両での運転となる。 2007年12月2日のダイヤ修正から土休日昼間の京成上野駅 - 京成津田沼駅間の普通が6両編成化された。 臨時列車としてで佐倉・印旛沼国際花火大会(現・佐倉市民花火大会)が行われる時には京成臼井発行き(過去には津田沼行きも)普通が8両編成で走る。 近年は停車が4両編成に限定されていたが廃止されたことや6両編成のの増備、4両編成の・の営業運転終了、4両編成で運行される直通列車の廃止などにより、6両編成の列車が増加傾向にある。 4両編成運転については、2018年12月のダイヤ改正で宗吾参道駅 - 芝山千代田駅間のみに限定され、京成上野駅発着では4両編成の定期列車が消滅、京成高砂駅 - 宗吾参道駅間については、金町線運用絡みの回送で走行する以外は定期列車に充当されなくなった。 なお、が1982年2月に廃止後、朝の上り列車に成田寄り1両を指定して行商専用車が設定され、末期には京成上野行き普通1本に残存していたが2013年3月をもって廃止された。 快速が京成佐倉駅発着になった2007年以降の正月期間や1月上旬には日中を中心に一部の京成臼井行き列車が京成成田行きとして延長運転される。 種別表示は「普通」であるが、駅放送や車内放送では基本的に「各駅停車」と案内する。 種別カラーは黒色。 ただし、フルカラーLEDの発車案内板や行先表示器が導入されていない駅や車両などにおいてはオレンジ色で表示する場合もある。 緩急行選別装置の番号対照表の番号は「1」である。 過去の列車種別 [ ] 急行 [ ] 本線系統急行 [ ] のダイヤ改正の前までは、京成本線・押上線で急行が運転されていた。 停車駅は現在の快速の停車駅と、・(2010年7月17日からは快速停車)・・・・であり、朝晩は主に上野直通、日中は主に押上線方面直通であり、下り列車で成田空港に乗り入れる列車は少なく、主に止まりか行がほとんどであった。 2002年のダイヤ改正で、本線内のみの急行は快速に置き換えられて廃止となった。 1968年11月10日の改正で、それ以前の上野系統の初代急行は特急に格上げされ、同改正でに代って2代目急行が新設された。 初代通勤特急廃止の1974年12月16日までは2002年10月12日改正前よりも停車駅は少なく、上野系統と浅草線直通系統で一部停車駅が異なっていた。 急行表示板も2種類あり、前者は逆台形に「急行」表示、後者は丸地に「急」表示であった。 なお頃には丸に2本の線入りの「急」表示のものも存在した。 押上線系統急行 [ ] 京成3000形電車による急行・西馬込行 本線系統急行(前節参照)が廃止された2002年10月12日ダイヤ改正以降のは、 - 押上線 - の系統のみで、京成線内ではからまでの運転となった。 平日の夜を中心に北総線へ直通する列車もあった。 停車駅は、押上・曳舟・立石・青砥・高砂となっていた。 2010年7月17日の開業に伴うダイヤ改正に伴い、廃止が決定され、京成線全体でも急行が廃止されることになった。 なお、北総線内の急行はこの改正以降も存続し、当該列車は都営浅草線・京成線内を快速または普通として運転し、京成高砂駅で種別変更する形を取っていたが2012年10月21日のダイヤ改正をもって北総線内急行は都営浅草線・京成線内を快速として運転し、2015年12月5日のダイヤ改正以降は、都営浅草線・京成線内を普通として運転している。 種別カラーは各者共通の青色。 ただし、フルカラーLEDの発車案内板や行先表示器が導入されていない駅や車両などにおいては赤色や緑色で表示する場合もある。 1983年10月1日ダイヤ改正で都営浅草線車両による急行がまで乗り入れるようになった際には、誤乗防止の観点から前面貫通扉に内側から「急行」の表示を吸盤で貼付けていた。 都営車の乗り入れは、後に東成田まで拡大されたが、1998年11月18日ダイヤ改正時に急行表示板は廃止された。 緩急行選別装置の番号対照表の番号は末期には「3」(快速設定前は「4」)であった。 エアポート特急 [ ] 2002年まで(エアポート特急を含む)は京成線内では「」として運転され羽田空港方面・成田空港方面とも「(飛行機マーク)特急」と表示されていたが、これ以外に京成上野駅 - 成田空港駅間の特急も「(飛行機マーク)特急」とされており、京成線内のほとんどの特急が「(飛行機マーク)特急」となっていた(ただし、案内上は都営線内で速達運転をするエアポート特急を除き単に「特急」と読まれていた)。 単に飛行機マークのない「特急」とされたのは都営浅草線西馬込 - 成田空港間の特急(都営線内は各駅に停車)と京成佐倉止まりなど主に成田空港発着でない特急のみであった。 この飛行機マーク付きの特急は青砥駅・京成高砂駅発着であったおよびエアポート快特に接続する京成上野駅 - 京成高砂駅間の特急列車にも適用された。 通勤特急(初代・2代) [ ] 後半 - と、より(以下2代目)のダイヤ改正まで運行されていた。 初代の通勤特急の投入当時の停車駅は、2006年12月9日までの特急停車駅に、および、を加えたものであった。 しかし、初代は列車種別整理のため「特急」に統合される形で廃止された。 この時の種別板は丸に青縁取りで「特急」であった(特急種別板との相違点は青縁取りの有無。 無い方が特急種別板)。 1985年10月19日に通勤ラッシュ時の都営浅草線への速達化を図るため、通勤特急が再登場した。 再登場時の特急停車駅はすでに初代通勤特急の停車駅と同じであったため、2代目通勤特急は京成小岩駅・東中山駅・京成曳舟駅・京成立石駅は通過となった。 に京成本線内の特急の停車駅が現在の快速特急のものになり、「特急」は上野方面直通、2代目「通勤特急」は押上線・都営浅草線方面直通で運行(通勤ラッシュ時のみ)されていた。 1998年11月18日の京急線開業に伴うダイヤ改正で、通勤ラッシュ時以外にも押上線・都営浅草線・京急線直通の特急が運行されるようになった。 この時に押上線に定められていた特急停車駅から京成曳舟駅・京成立石駅が外され、「通勤特急」と種別を区別する意義がなくなったことから通勤特急という名前から"通勤"の文字が消えて「特急」に統合され、この2代目「通勤特急」は消滅した。 通勤急行(旧称:通勤準急) [ ] 後半 - に朝晩通勤ラッシュ時に上野系統で運行された種別。 当初は通勤準急という名称であったが、1968年11月に準急が廃止され急行の停車駅が増えたために通勤急行に改称された。 停車駅は2002年10月12日改正前の急行停車駅から谷津遊園(現・谷津)とセンター競馬場前(現・船橋競馬場)をのぞいた設定であった。 初代通勤特急同様、列車種別整理のため急行に統合され消滅。 種別板は通勤準急時代は菱に縦書きで「準急」(文字は横書きの種別板も存在。 行は行先表示板に設定がなかったため例外として種別板に併記)通勤急行格上げ後は菱に「通急」。 快速(初代・2代) [ ] 初代快速は前半頃に京成上野駅 - 京成成田駅間で夕方への移行期に運行されていた。 種別板は菱に「快速」。 2代目快速は頃 - に日中に京成上野 - 千葉系統で運行された種別。 停車駅は京成上野・日暮里・町屋・堀切菖蒲園・青砥(この間各駅停車)京成津田沼・京成幕張・京成稲毛・みどり台・国鉄千葉駅前(現京成千葉)・京成千葉(現千葉中央)。 列車種別整理のため普通に格下げ。 種別板は楕円に横書きの「快速」 準急 [ ] 1968年11月9日まで運転された種別。 停車駅は京成上野・日暮里・町屋・堀切菖蒲園・青砥・京成高砂・市川真間・京成八幡・東中山・京成船橋・センター競馬場前(現船橋競馬場)から先終点までの各駅。 急行の停車駅増加により消滅。 種別板は丸に「準急」。 緩急行選別装置の番号対照表の番号は「2」であった。 歴史 [ ] 開業時は、起点がではなく、現のだった。 後に、の所有する免許を取得し、開業時に起点が現在の京成上野駅方面へ変更された。 (大正元年) (押上 - )曲金(現在の京成高砂) - 伊予田(現在の江戸川)間が開業。 軌間1372mm。 (大正2年) 曲金駅を高砂駅(現在の京成高砂駅)に改称。 (大正3年)• 江戸川 - 市川新田(現在の市川真間)間が開業。 市川駅(元の伊予田駅)を江戸川駅に改称。 市川鴻の台駅を市川駅(現在の国府台駅)に改称。 (大正4年)11月3日 市川新田 - 中山(現在の京成中山)間が開業。 (大正5年)• 菅野駅開業。 6月 市川新田駅を市川真間駅に改称。 中山 - 船橋(現在の京成船橋)間が開業。 (大正8年) 海神駅開業。 (大正10年)• 市川駅を市川国府台駅に改称。 船橋 - 津田沼(現在の京成津田沼)間が開業。 (大正15年)• 津田沼 - 酒々井(現在の京成酒々井)間が開業。 酒々井 - 成田花咲町(仮)間が開業。 (昭和2年) 花輪駅(現在の船橋競馬場駅)開業。 (昭和3年)• 志津駅開業。 宗吾駅(現在の宗吾参道駅)開業。 青砥駅開業。 (昭和5年) 成田花咲町(仮) - 成田(現在の京成成田)間が開業。 成田花咲町(仮)駅廃止。 (昭和6年)• 以下の駅を「京成」を冠した駅名に改称。 高砂駅、中山駅、船橋駅、花輪駅、津田沼駅、大久保駅、大和田駅、臼井駅、佐倉駅、酒々井駅、成田駅• 日暮里 - 青砥間が開業。 (昭和7年) 京成小岩駅開業。 (昭和8年) 上野公園(現在の京成上野) - 日暮里間が開業。 (昭和9年) 道灌山通駅開業。 (昭和10年)• 西千住駅開業。 中山鬼越駅(現在の鬼越駅)開業。 (臨)中山競馬場駅開業。 (昭和11年) 谷津海岸駅を谷津遊園駅に改称。 (昭和14年) 谷津遊園駅を谷津海岸駅に改称。 (昭和17年)• 八幡駅廃止。 11月1日 新八幡駅を京成八幡駅に改称。 (昭和18年)• 中山鬼越駅を鬼越駅に改称。 10月 寛永寺坂駅、道灌山通駅、西千住駅が休止。 (昭和19年) 上野公園(現在の京成上野) - 京成成田間を本線、押上 - 青砥間を押上線とする。 (昭和20年)• 全線をによる軌道からによる鉄道に変更。 上野公園 - 日暮里間が休止。 上野公園 - 日暮里間が営業再開。 (昭和21年)11月1日 寛永寺坂駅営業再開。 (昭和22年)• 休止していた日暮里 - 新三河島間の道灌山通駅、町屋 - 千住大橋間の西千住駅廃止。 8月21日 寛永寺坂駅休止。 (昭和23年)4月1日 市川国府台駅を国府台駅に、谷津海岸駅を谷津遊園駅に改称。 (昭和25年) 京成花輪駅を船橋競馬場駅に改称。 (昭和26年) 宗吾駅を宗吾参道駅に改称。 (昭和28年)• 休止していた博物館動物園 - 日暮里間の寛永寺坂駅廃止。 5月1日 上野公園駅を京成上野駅に改称。 (臨)中山競馬場駅を常設駅とし、東中山駅開業。 (昭和31年) 八千代台駅開業。 (昭和34年)• 宗吾参道 - 京成成田間を標準軌(1435mm軌間)に改軌。 鹿島川専用乗継場 - 宗吾参道間を標準軌に改軌。 京成臼井 - 京成佐倉間に開設。 京成大和田 - 鹿島川専用乗継場間を標準軌に改軌。 鹿島川専用乗継場廃止。 10月25日 京成津田沼 - 京成大和田間を標準軌に改軌。 東中山 - 京成津田沼間を標準軌に改軌。 京成高砂 - 東中山間を標準軌に改軌。 お花茶屋 - 京成高砂間を標準軌に改軌。 日暮里 - お花茶屋間を標準軌に改軌。 京成上野 - 日暮里間を標準軌に改軌し、標準軌化完成。 (昭和38年) 船橋競馬場駅をセンター競馬場前駅に改称。 (昭和43年)5月1日 勝田台駅開業。 (昭和45年) お花茶屋 - 青砥間のと交差する地点が高架化。 (昭和48年)• 京成上野 - 日暮里間が休止。 京成上野駅改装工事(1976年7月完成)のため。 京成上野 - 日暮里間が営業再開。 12月30日 スカイライナー運行開始。 (昭和53年) 京成成田 - 成田空港(現在の東成田)間が開業。 (昭和57年)11月1日 ユーカリが丘駅開業。 (昭和59年) 谷津遊園駅を谷津駅に改称。 (昭和60年) 青砥 - 京成高砂間複々線化。 (昭和62年)4月1日 葛飾駅を京成西船駅に、センター競馬場前駅を船橋競馬場駅に改称。 (平成3年) 駒井野分岐点 - 成田空港間が開業。 京成成田 - 東成田(旧・成田空港)を東成田線とする(京成成田 - 駒井野分岐点間は本線と重複)。 (平成4年) 空港第2ビル駅開業。 (平成6年)4月1日 宗吾参道 - 京成成田間を経路変更。 公津の杜駅開業。 (平成9年)4月1日 京成上野 - 日暮里間の博物館動物園駅が休止。 (平成16年)4月1日 博物館動物園駅が廃止。 (平成18年) 海神 - 船橋競馬場間の複線高架完成。 京成船橋駅・大神宮下駅が上下とも高架化。 (平成21年)• 日暮里駅下り線が高架化されホームが上下線別に分離(上りは1階、下りは3階)。 駒井野信号場 - 空港第2ビル間複線化。 (平成22年)• 7月5日 金町線京成高砂駅付近の高架化に伴うダイヤ改正により、本線と金町線の直通運転が廃止。 7月17日 成田スカイアクセス線開業に伴うダイヤ改正により、本線の運転系統が見直される。 スカイライナー・京急空港線発着の直通列車の大半が成田スカイアクセス線経由となり、本線からの都営浅草線直通列車の大半が西馬込発着に変更される。 押上線方面の急行が廃止、シティライナーとアクセス特急が新設され、従前スカイライナーが停車していた京成船橋駅・京成成田駅はシティライナーの停車駅となる。 また、千住大橋駅が快速の停車駅に、青砥駅がシティライナーの停車駅となる。 (平成23年)• ()が発生。 都営地下鉄浅草線・京急線・北総鉄道北総線・芝山鉄道線との相互直通運転およびスカイライナー・シティライナー・イブニングライナーの運転が休止。 3月12日 運行再開。 ただし、京急線・ - 間の閉鎖に伴い、同線への直通運転は中止(13日より再開)。 またユーカリが丘 - 京成臼井間で線路の変形が確認されたため、応急処置を施した上、同区間を徐行運転。 のため、がを実施。 これに伴い、この日から都営地下鉄浅草線・京急線・北総鉄道北総線・芝山鉄道線との相互直通運転およびスカイライナー・シティライナー・モーニングライナー・イブニングライナーの運転が休止。 3月 京急線・都営地下鉄・北総鉄道北総線との相互直通運転を再開。 3月16日 スカイライナー・モーニングライナー・イブニングライナーの運転を再開。 3月11日の地震の余震とみられる巨大地震が発生したため、スカイライナー・モーニングライナー・イブニングライナーの運転が休止(翌日運行再開)。 9月10日 シティライナーの運転を京成上野 - 京成成田間で再開。 12月23日 ユーカリが丘 - 京成臼井間の徐行運転が解除され、すべての一般列車の運転を再開。 (平成25年)• 10月16日 - 台風26号の影響で、京成成田駅1番線脇で土砂崩れ発生。 宗吾参道 - 成田空港・芝山千代田間が終日運転見合わせとなる。 2014年(平成26年)• 6月7日 京成高砂 - 八千代台間が1号ATSからC-ATSに更新され、全線がC-ATSに。 当路線は - で(JR東日本)と競合している。 この区間では総武線が所要時間・行先等で圧倒的に有利であり、都心から京成船橋以東へ向かう乗客は総武線との乗り換えに適した京成船橋駅から乗車することが多い。 また、青砥以西のアクセスもに直通するが便利であり、の乗降人員はとを合算した乗降人員よりも多く、運行頻度も多い。 そのため、都心側のターミナル駅である日暮里駅手前よりも、郊外側のターミナル駅である京成船橋駅手前のほうがラッシュ時の輸送人員が多く、混雑率も高い。 しかし1996年にが開業して以西が競合路線となった後は、最混雑区間のピーク1時間あたりの輸送人員が3万人を割り込んだ。 その後はの動きが強まり、輸送人員の減少と混雑率の低下が続いている。 2018年度の一日平均通過人員は青砥 - 京成高砂間が263,706人であり、この区間が京成線全線で最も通過人員が多い。 青砥駅で押上線に、京成高砂駅で北総線に分岐するが、それぞれの路線に直通しているためこの区間は運行密度が非常に高く、京成線唯一の複々線区間となっている。 次いで一日平均通過人員が多いのは京成津田沼 - 京成大久保間であり、203,720人である。 京成船橋 - 京成津田沼間の各駅は一日平均通過人員が19万人を越えており、都心に最も近い京成上野 - 青砥間の各駅よりも通過人員は多い。 日暮里 - 青砥間の一日平均通過人員は15万人程度、京成高砂 - 京成八幡間の一日平均通過人員は13万人程度、京成八幡 - 京成船橋間の一日平均通過人員は14万人程度でそれぞれ横ばいである。 京成津田沼駅より東側に進むにつれて一日平均通過人員は漸減するが、成田空港のアクセス路線であることから郊外側も一定の需要があり、公津の杜 - 京成成田間の一日平均通過人員は55,630人である。 京成上野駅から60km程度離れているが、この区間の通過人員は京成上野 - 日暮里間の50,819人よりも多い。 最も一日平均通過人員が少ないのは空港第2ビル - 成田空港間で、14,396人である。 近年の輸送実績を下表に記す。 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。 「 京成」を冠する駅名(15駅)は、原則として「京成」を省いた駅名(略称)で案内している(アナウンス・・ ・・方面表記・運賃表 )。 かつてはにおいても「京成」の省略を行っていたが、2019年頃よりこれを取りやめた。 :駅名標を除く• :駅名標を除く• :駅名標を除く。 2019年9月以前の路線図においても「京成」が省略されていなかった。 のとの混同を避けるためである。 :2019年に設置された駅名標を除く。 :「臼井」ではなく「うすい」とになる。 ・(しろい)との混同を避ける目的を兼ねる。 シティライナーは2016年3月現在、定期列車としての運行はない。 普通列車は各駅に停車する(表では省略)。 1 2. 3 3. 9 4. 6 5. 4 7. 5 8. 1 9. 6 11. 2 12. 8 14. 2 15. 7 16. 9 17. 9 18. 9 19. 0 20. 7 20. 8 21. 6 22. 4 23. 5 25. 3 26. 8 27. 0 28. 5 29. 4 32. 9 34. 6 36. 1 38. 6 40. 8 42. 1 43. 5 45. 3 51. 0 53. 0 55. 0 57. 6 58. 6 61. 1 68. 0 69. (はくぶつかんどうぶつえんえき、現・京成上野 - 日暮里間、1933年12月10日開業、1997年4月1日休止、2004年4月1日廃止)• (かんえいじさかえき、現・京成上野 - 日暮里間、1933年12月10日開業、1943年10月1日休止、1946年11月1日再開、1947年8月21日休止、1953年2月23日廃止)• (どうかんやまどおりえき、現・日暮里 - 新三河島間、1934年4月18日開業、1943年10月1日休止、1947年2月28日廃止)• (にしせんじゅえき、現・町屋 - 千住大橋間、1935年6月1日開業、1943年10月1日休止、1947年2月28日廃止)• 八幡駅(やわたえき、現・京成八幡 - 鬼越間、1915年11月3日開業、1942年8月15日廃止。 現・京成八幡駅は新八幡駅が1942年11月1日に改称したもの)• 成田花咲町駅(なりたはなさきちょうえき、現・公津の杜 - 京成成田間、1926年12月24日開業、1930年4月25日廃止) 主要駅の乗降客数 [ ] 乗降客数は2014年度のものである。 ()内の数字は京成線全線での順位。 京成上野 43,363人(9)• 日暮里 95,301人(3)• 青砥 46,501人(7)• 京成高砂 96,669人(2、北総線との連絡人員を含む)• 京成八幡 32,222人(12)• 京成船橋 92,109人(4)• 京成津田沼 56,213人(5、新京成線との連絡人員を含む)• 八千代台 45,792人(8)• 勝田台 53,652人(6)• 京成佐倉 19,003人(26)• 京成成田 34,871人(11)• 空港第2ビル 21,111人(22)• 成田空港 21,432人(19) 沿線風景 [ ] 京成上野 - 青砥 [ ] 青砥駅 - 京成高砂駅間の複々線区間 地下駅のを出ると、の下を左右にカーブしながら進む。 途中、、の跡がある。 34のでを抜けると左に急カーブしながら、、()・、を跨いでに入る、下り線はそのまま高架ホームにつながる。 同駅は(成田空港線)対応の改築工事が終了し、下り線ホームが高架化された。 上り線は日暮里駅地上ホームから急勾配を上ってJR線を乗り越しトンネルに入る。 日暮里を出ると右カーブしながら常磐線を乗り越し、次いで上のの下をくぐり、高架を進む。 途中、でを、でを跨ぐ。 を渡り、に入った先で一旦地上に降りるが、再び高架となって()上のとなる。 橋は南に200m程の所にある。 高架の常磐線、、を、さらに高い高架で越え、左手にが並行するとで、細い道を挟んで東武のがある。 東武伊勢崎線を乗り越し、を鉄橋で越えてに入り、をくぐると右カーブし、の先で地上に降りるが、の先で再び高架になり、()を越える。 方面は3階、・方面は2階である。 青砥 - 京成八幡 [ ] を出ると、次の京成高砂駅までである。 朝夕は、ほぼ同じタイミングで駅を出て、同じタイミングで駅に着くため、列車の隣を常にもう片方の列車が走る。 この列車は、青砥駅で上野方面と、方面に分かれる。 両駅間は、かつて複線であった時代でも上り方向に1時間当り最大36本もの列車が運行された高密度運転区間である。 南側に引き上げ線を見つつ、上下線の高低差を縮小しながらを越え、さらに4線が並んだあたりでを越える。 ここまでの区間は、高架が高い位置なので非常に見晴らしがよい。 ホームは狭い2面4線という構造である。 ホーム成田寄りはすぐ横が踏切で、としてからも名指しされて問題視されている。 なお、当面の対策として金町線のみ高架化された。 金町線が左に逸れ、進路を南東に取りつつ高砂車庫沿いに進むと北総線が高架となってこちらも左に逸れていく。 ここからまでは直線となる。 を越えるとに入り、京成小岩駅に入る。 緩いカーブを過ぎて、次の手前で高架となりを渡るとに入る。 このカーブ付近でJRが接近し、ここから並行区間に入る。 千葉県に入ると、沿線には下総台地と低地、そしてその間の崖面が多くなる。 の先で地上に戻り、内の住宅密集地を走る。 左カーブ上にあるは2面4線の待避駅である。 JRは南側、()を渡った先にある。 これより先、暫く千葉街道とJR総武本線とほぼ並行して東へ進む。 次の付近では、地下にとが通っている。 そのままほぼ直線で進むととなる。 島式ホーム1本の駅で、南側に隣接してのがある。 京成八幡 - 京成船橋 [ ] 八幡駅を出て船橋までは、カーブと高低差の多い線形となる。 を渡ると少し先にがあり、その先で()と平面交差するが、ここを含めて付近の道路は立体交差化されていない。 手前でに入る。 次のは、2面4線の駅で、周辺施設として、が北に1. 5km程の所にある。 競馬場に通じる道路をくぐり、下り勾配の先がであるが、JRからは500m程離れている。 駅の東でが高い高架橋で跨いでいる。 を過ぎると地面が低くなって盛土の上を進み、船橋市街との高架橋を遠くに望みつつ、右カーブしながらJRを越える。 左カーブしながら高架を駆け上がり、のに着く。 シティライナーの停車駅で、乗降客数も多い京成を代表する駅の一つである。 京成船橋 - 京成津田沼 [ ] 京成船橋駅を出ると、に接近したのち、右カーブで南に一旦進路をとる。 付近で、今度は左カーブし、()に沿って走るようになる。 高架が終わり地上に降りると、2面4線のである。 ()の陸橋をくぐってに入り、付近で左カーブすると進路がほぼ真東となる。 上下線の間に折り返し線が割り込み、左からが合流し、踏切を越えるとと分岐するとなる。 と併せると3面6線の規模である。 京成津田沼 - 八千代台 [ ] 京成津田沼駅を出ると千葉線が左に分かれ、本線は右手にを見ながら右、続いて大きく左にカーブを描き、内陸部へと入っていく。 先ほど分かれた千葉線やJR総武線の線路をくぐると掘割による線路が続く。 やがて右にカーブを切りに着く。 京成大久保駅からまではほぼ直線であり、その後は左カーブとその先しばしの間内(作新台、長作町)を走るが、まもなく内に入り、に着く。 八千代台は日本で最初に住宅団地ができた場所として知られ、現在でも同市の中で最も人口密度が高い密集した住宅地が広がる。 ここから付近までは千葉市との境界付近を走行する。 八千代台 - 京成佐倉 [ ] 八千代台駅を出ると住宅街の中を走り、大きく右にカーブするとに到着。 ここはかつて八千代市の中心部であった場所である。 大和田駅を出ると付近まではとほぼ併走するようになる。 を渡り、その後をくぐり、に到着。 勝田台駅は周辺に多くの中学校や高等学校があり、またと連絡しているために非常に乗降客数の多い駅である。 勝田台駅を出ると、すぐにに入る。 直線が続いたあと、左にカーブを描き、その途中にあるに到着。 志津駅を出た後は小さいS字カーブを描いてに到着する。 ユーカリが丘駅との間は掘割の線路がほぼ半分を占めるが、両駅のちょうど中間付近には田園地帯が広がっている。 臼井の住宅街の間に入ると左にカーブを描き、まもなくに到着。 京成臼井駅を出て、始発列車のための待避線の先にあるかつての旧駅跡からは、しばらく国道296号と併走する。 国道と分かれると、左側にはが見えるようになり、田園地帯も広がっている。 その後右に急カーブを描き、を中心とした「佐倉ふるさと広場」の横を通過する。 急カーブを超えると左側の田園地帯とは対照的に、右側には住宅街が広がる。 広いロータリーのような広場が見えるが、ここはかつて「江原台駅(仮称)」が建設される予定だった場所(詳細はの項目を参照)。 その後左にカーブを曲がると佐倉市の中心街が見え、に到着する。 京成佐倉 - 京成成田 [ ] 京成佐倉駅を出ると右手に住宅街、左手にゴルフ場を見ながら走る。 左にカーブし、を過ぎると再び田園地帯となる。 その先を大きく左にカーブすると酒々井町中心部に入り、に到着する。 京成酒々井駅を出ると再び田園地帯となり、右手に京成電鉄の車両基地である宗吾基地が見えてくるとである。 宗吾参道駅を出てトンネルをくぐるとニュータウンの中の掘割の中を進む。 次のはホームの半分がトンネルとなっている。 トンネルを抜け、しばらく続く掘割が終わるとJR成田線をくぐりながら大きく左右にカーブする。 右手に成田市役所が見えてくると間もなくに到着する。 へは同駅西口から表参道につながっている。 京成成田 - 成田空港 [ ] を出るとしばらくは高架線で、の市街地を過ぎると掘割による線路となる。 市街地と成田空港の間は森林・農村地帯が続く。 空港が近づくとを通過して左へ分岐する。 直進方向はである。 これはもともと東成田線が先に建設されたためである。 分岐してまもなく地下のトンネルに入り、と合流、と併走しに着く。 空港第2ビル駅から終着のまでは単線区間となり成田空港駅に到着する。 構想・計画 [ ] 青砥駅 - 江戸川駅間において、東京都は(鉄道高架化)の事業化を検討している。 では、京成成田駅 - 東成田駅・空港第2ビル駅間の同市吉倉地区に開院したと共に、(仮称)吉倉駅の新設を含めたまちづくり事業構想がある。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 京成電鉄の京成高砂 - 成田空港間には、当路線のほかにを経由する(成田スカイアクセス線)がある。 例 - - 京成成田駅あるいは成田駅の定期乗車券の場合、JR単独の方が安価である。 参考に有料列車以外の最速達列車を利用した場合の所要時間を記す。 成田空港駅 - 成田駅 JR線11分、京成線9分 成田駅 - 船橋駅 JR線46分、京成線34分 勝田台駅 - 西船橋駅・京成西船駅 東葉高速線21分、京成線22分 船橋駅 - 本八幡駅・京成八幡駅 JR線8分、京成線6分 船橋駅 - 日暮里駅 JR線39分、京成線24分• 3050形は新造時は全車がアクセス線使用を前提とした独自の外観デザインをもっていたが、2019年に本線経由との誤乗防止を図る目的で3100形と類似したデザインへの変更が行われた。 しかしながら、3051編成のみ通常の京成色への変更がなされ、以降アクセス特急の運用には基本的に入らなくなった。 中山競馬場でのGI開催は、・・と、2017年にGIIから昇格したの4つ。 同年9月に前にが開店。 当時のシンボルマークを急行表示板にあしらった。 ただしについては、2019年9月頃より行き先表示の「京成」の省略を取りやめた。 日中時間帯は通過。 上野駅またはまで山手線を利用して乗り換えとなる。 出典 [ ]• 178• 2015年6月1日, at the. 『』1970年8月号• 京成時刻表vol. 25 97ページ、165ページ• 『』第49巻第3号、、1999年3月、 83頁。 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳 3号 関東1』新潮社、2008年、p. - 朝日新聞デジタル、2013年10月16日8時50分• 京成電鉄株式会社 2014年6月7日. 2014年6月10日閲覧。 国土交通省. 4 2019年7月18日. 2019年7月20日閲覧。 関東交通広告協議会. 2019年11月11日閲覧。 「都市交通年報」各年度版• - 千葉県• 神奈川県 1987年9月. 2015年1月13日時点のよりアーカイブ。 2015年5月10日閲覧。 - 京成電鉄• - 葛飾区• 建設工業新聞. 2018年10月1日. 2018年10月1日閲覧。 2019年12月26日. 2019年12月26日閲覧。 建設通信新聞Digital. 日刊建設通信新聞社 2020年4月13日. 2020年4月22日閲覧。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。
次の1949年5月16日上場 略称 京成 本社所在地 〒272-8510 (専用郵便番号) 三丁目3番1号 設立 (42年) (京成電気軌道株式会社) 事業内容 、など 代表者 兼 代表取締役 兼社長 小林敏也 資本金 368億300万円 発行済株式総数 1億7,241万1,185株 (2019年3月31日現在 ) 売上高 連結:2615億5300万円 単独:853億7300万円 (2019年3月期 ) 営業利益 連結:316億800万円 単独:196億8500万円 (2019年3月期 ) 純利益 連結:404億4800万円 単独:179億2900万円 (2019年3月期 ) 純資産 連結:4029億100万円 単独:1838億6200万円 (2019年3月31日現在 ) 総資産 連結:8530億2500万円 単独:5392億4400万円 (2019年3月31日現在 ) 従業員数 連結:9240人 単独:1665人 (2019年3月31日現在 ) 決算期 会計監査人 主要株主 (信託口) 9. , Ltd. )は、に本社を置く。 と千葉県にを有するの一つであり、を構成する中核企業である。 略称は 京成(けいせい)。 社名は起終点のである東京の「京」との「成」に由来する。 1部企業であり、構成銘柄の一社である。 に属し、の会員企業であるため、ルーツであるをとしている。 概要 鉄道業を本業とし、事業も展開している。 また、鉄道、バス、タクシーなどのを運営する、、、、、などの親会社でもあり、などを運営するの筆頭でもある(参照)。 は「 いろんな笑顔を結びたい」。 かつての社名は京成電気軌道で、当時の英語略称は「K. また、に発売していたでの符号は KSであった。 路線全体の駅数は3月末現在、69駅 (京成高砂を除く京成の列車が停車するとのとなる4駅 を含む)ある。 社紋・グループマーク 社紋は1909年(明治42年)の会社創立とともに初代社長となるによって考案された。 京成の「京」を円形に図案化し、チームワークの重要性や路線延長の将来性を象徴したものである。 1964年(昭和39年)改正の新社紋は旧社紋の基本的な図形を踏襲しているが、線をより太くすることで力強い印象を与えている。 2001年(平成13年)に制定された京成グループのグループマークは「ベストマナー向上推進運動(BMK推進運動)」の一環として、グループの一体感とイメージアップを目的に導入されたものである。 青(ライナーブルー)はグループの将来性と社会への貢献を、赤(ライナーレッド)は情熱と向上心を表している。 なお、京成グループの中には新京成電鉄や、傘下に再編される前の京成直系のタクシー各社等、京成電鉄の社紋をアレンジした社紋を持つ会社もある。 ただし、新京成電鉄とかつての佐倉交通(現・京成タクシー佐倉)の社紋はどちらも京成の社紋の中心にSが入っているがSの形状が異なる。 (参考)新京成電鉄社紋 歴史 会社設立から成田延伸まで 日本の鉄道会社は、有名な・への客輸送を目的として設立されたケースが少なくない。 もから多くの参拝客を集めており、1897年(30年)にを起点として(初代)が開業すると、多くの参拝者が利用した。 その後、に入ると全国的にブームが起きる中で、とを直結する電気鉄道が3者競願で計画されたが、後に3者は合同しに - 成田町間をによって出願。 に押上 - 成田・宮小路 - 佐倉停車場についてを得て、に 京成電気軌道株式会社を設立した。 後の経済不況のなかで株式募集は難航したといわれている。 に第一期工事として押上 - 市川(仮・現西方)・曲金(現・) - 間を着工し、翌に開業した(なお、この時市川へはで連絡していた)。 また、これに先立つ同年には(柴又 - 間)を買収。 すなわち、京成最初の営業路線はであった。 に改築が完成した柴又 - 金町間を開業させ、以後に江戸川 - 市川新田(現・)間、11月3日に市川新田 - 間、には中山 - 間と延伸を繰り返した。 船橋から先はまず県都・を目指すこととし、船橋 - 千葉間が開業。 当時のは現在のの位置にあって、の中心部にはの千葉駅よりも近く、(昭和10年)に省線がされるまでは利用客数で圧倒的優位に立っていた。 10月には本来の目的地・成田への延伸に着手。 翌に - 間、には酒々井 - 成田花咲町(仮駅)間を開業し、ここに東京と成田までが結ばれることとなった。 なお、成田の駅の位置を巡っては新勝寺門前により近いところへの設置を画策して成田電気軌道(旧・)を買収(1925年)してその線路を接続する案もあったが、成田山門前の商店街の猛反発に折れ、(昭和5年)に現在の位置にを設置した。 都心延伸から終戦まで 東京側のターミナルとなっていた押上は、京成開業後発展していたものの、都心へはの乗り換えを必要とし、押上 - 間の路線延長を計画した。 しかし京成に隣接するが隅田川を越えて浅草花川戸地区への路線延長を計画すると京成側でも、これを計画して東武との競願になった。 そして、(昭和3年)9月に京成は自社に有利になるよう東京市議に働きかけ、不正資金供与発展したが発覚して、社長・専務ら会社幹部が逮捕される事態となり、結果的に浅草延伸は断念に追い込まれた。 その後、 - に鉄道敷設免許を有していたを東武との競合の末に(昭和5年)に吸収合併、その免許を利用する形で翌(昭和6年)に - 間、(昭和8年)に日暮里 - 間を開業。 念願であった都心延伸を果たした。 また日暮里 - 上野間は下のとなったが、これは東京のとしては初のケースとなった。 この頃、1928年(昭和3年)には(向島 - 白鬚間)を開業した。 を渡ってで(現在の)と結ぶ計画もあったが、上野延伸と引き換えの形で(昭和11年)に廃止された。 また、(昭和2年)には(京成花輪 - 谷津遊園地間)を開業したが、後にからの道路が開通したために1931年に休止、(昭和9年)に廃止されている。 創業時から兼業として電灯電力供給事業、その後バス事業や土地分譲、の開設などが行われていたが、での経営不振の打開策として、から千葉県及びの一部の電灯電力供給事業を譲受すべく交渉。 1934年(昭和9年)に当事者同士での契約調印がなされたが、監督官庁のが認可しなかったため不成立に終わった。 しかし、資金・人材の手当は済んでいたこともあり、ここから積極的な兼業展開を展開することとなる。 1936年(昭和11年)にはに畜産加工工場を設立して「京成ハム」「京成ソーセージ」などの商品名で・製造販売や「京成シミトール」()などといったを直営で販売(大手私鉄本体が食品業・薬品事業を行ったのはこの社だけであると思われる)。 (昭和13年)にはを設立、を系列化。 (昭和18年)には開発鉄道を設立した。 これ以外にも、百貨店経営や株式会社(の前身)への出資(筆頭株主であった)などが行われていた。 その後、が近付くに連れ、(昭和17年)には電灯電力供給事業を株式会社に譲渡。 またの下で以南のエリアの統合中核企業とされたが、系列下にあったは東武に、城東電気軌道はに統合されたためバス会社の統合のみが行われた。 この時総武鉄道(2代)を喪失したことが戦後を設立する動機になったといわれている。 併せて千葉県下の(2代)・・が京成の資本系列下に入り、戦後千葉県下全域に事業を拡大する基盤を得ることとなった。 戦時中特筆することとしては、日暮里 - 上野公園間が当時ののを受けたことであろう。 戦争末期が激しくなってきたことに伴い、運輸省の先として上野公園下の地下トンネルに目を付けられたのだったが、ほとんど機能しないまま間もなく終戦を迎えることとなる。 また、終戦直前の(昭和20年)には、社名を 京成電鉄株式会社に改めている。 戦後から高度経済成長期まで (昭和42年)からまで使用された東京都墨田区押上の旧本社ビル(2013年5月6日) 、沿線のにあった施設が軍隊解散とともに民間施設に転用された。 中でも千葉・津田沼にはが設置され、演習線が津田沼を起点に千葉・松戸に延びていた。 この演習線跡地に目を付けた京成電鉄は仮称・下総電鉄を設立して、 GHQ ・への払い下げ交渉を開始した。 との激しい競合の末に(昭和21年)3月に転用許可を、8月には路線免許を獲得。 10月には正式にを創立して新線開業を押し進めることとなった。 また、交通統制が緩んだこの時期に東京の電鉄各社は都心延伸の免許申請を行った。 しかし、電鉄各社や、との利害が輻輳し、京成でも(昭和25年)8月に押上 - 間の免許申請を行ったものの、(昭和32年)6月に運輸省ので「地下鉄網の建設・運営は『営団』『東京都』が担当」「各電鉄は地下鉄に」の方針が決定される。 京成・京急・都の3者での協議の結果、軌間は1435mmに決定。 そのため、京成電鉄では全線を11工程13工区に分けてを実施、運転を継続したまま(昭和34年)夜から朝までの50日間にわたって工事を行った。 また、同年2月には押上駅の地下移設工事に着工し、翌(昭和35年)に現在の新駅が営業開始、予定の12月1日より3日遅れの午後より1号線押上 - の開業によって初の郊外電車 - 地下鉄の相互乗り入れが行われることとなった。 にあった千葉市は、戦後都市により抜本的なが行われたが、この時に・京成電鉄の路線変更および両者の千葉駅の移転も行われることとなった。 が現在地に移転(仮)開業したのは(昭和33年)である。 1960年(昭和35年)前後には千葉・茨城県下の交通各社を系列下に収めるべく、1959年(昭和34年)5月に、11月には(以上2社は後の)、1960年(昭和35年)11月には(の傘下に)の各鉄道や周辺バス会社を傘下に収めていった。 同じ頃には兼業部門の拡充を再開。 流通部門ではの開業(1963年)やの設立、不動産部門では(1960年)や(1971年・不動産部の独立)、谷津遊園の拡充やの設立などが行われた。 成田空港乗り入れと経営危機から再建まで に入ると、1969年の延伸や1972年の総武本線東京 - 津田沼間複々線()開業といった競合路線の新設や輸送力の増強によって旅客を奪われるようになり、交通事業での収益を上げることが難しくなっていった。 このため、収益源を兼業部門に求める傾向がますます強くなり、特に沿線を離れた・での土地買収・開発を押し進めていった。 具体的には、(1962年(昭和37年))での長距離バス進出(新橋 - 日立)、いわき貨物自動車(1962年系列化)・に改称、1964年系列化)での陸送部門での関与、さらにはへも資本参加している。 また、のとして新線建設を目的とした会社に相次いで出資した。 (1972年(昭和47年)。 現:北総鉄道)、(1973年。 1998年解散、現を経営)、遅れて(1981年(昭和56年))がそれである。 そして、へのアクセスを目指して(昭和43年)12月に新線免許を申請した。 しかし、運輸省と(ともに当時)が空港ターミナルビル地下への乗り入れを拒否した(当時予定されていたとの兼ね合いもあった)。 結局、第1・第2ターミナルビルの中間に駅を設置(空港通勤者の交通機関という位置付けとされた)することとなり、(昭和45年)11月に着工、突貫工事により11月には建設工事を終了し、2月には習熟運転も始まった。 しかし、反対運動による開港の延期(さらには)で6年あまり営業できない期間が続いた。 都心側でも、京成上野駅の改良工事が1973年6月から7月まで行われた。 こういった大型投資を繰り広げている最中にに見舞われた。 (昭和52年)度決算ではついに無配に転落。 空港新線が開業できなかったことも一因としてあるが、とりわけ積極的な土地投資が裏目に出て、土地評価額の下落と金利負担が経営を圧迫、ついには累積赤字が(昭和55年)度上半期で133億円、(昭和58年)度下半期で281億円に達した。 この時、京成線の廃止までも検討していた。 また、同年3月にはからも脱退(再建後の1990年4月に復帰)し、の賃上げ交渉も独自に行うなど、なりふり構わぬ経営再建を図った。 このため、前半まではによる単独のが頻発することもあったが、傘下のがの招致に成功したことや、策が功を奏して経営が好転した。 (昭和63年)度上半期に12年ぶりの経常利益を計上 、度上半期には累積赤字を解消。 下半期には株式配当も復活し、ようやく経営危機からの復活を果たすこととなった。 再建から発展へ 1980年代後半以降、成田空港のアクセスを巡っては、開港後も駅の立地の悪さから離れた場所で苦戦を強いられ、投資が回収できない状態が続いた。 しかし、高速道路の渋滞によりの遅延が慢性化するようになったため、(昭和63年)になって建設に対して真剣に検討が行われた。 この結果、(平成3年)に(JR東日本)と共同でのより空港に近い成田空港駅への乗り入れが実現し、利便性が向上した (旧来の成田空港駅は東成田駅に名称変更 )。 に入り、鉄道部門では新型車両の導入や駅員の大量募集といった積極経営を行っている。 駅員募集は毎年のように行われており、数多くの人数を受け入れている。 また、の動きが活発化する中で、高い資産価値を持つに対して簿価の小さい京成電鉄が親会社となっていることへの懸念が指摘されており、4月に株式のに対する防衛策の導入を発表した。 そして、(平成22年)には(成田空港線)が開業した。 日暮里 - 間を経由で最速36分で結ぶことになり、成田空港へのアクセスの利便性がさらに向上した (後述のの節も参照)。 また、同日からは京成線各駅と・で一斉にを導入した。 京成電鉄では「京成」を示す「KS」と2桁の数字の組み合わせで駅を識別する。 ただし、すでにとして開業済みの新柴又 - 印旛日本医大間は京成としての駅ナンバリングの対象からは除外され、はの駅ナンバリングとして付与されている「A20」と京成の駅ナンバリングとして付与される「KS45」を併記している。 また、乗り入れ先のうちは導入されていなかったが4年後の2014年2月23日に導入された。 なお京急は3か月遅れの(開業日)に導入している。 当時は、東京メトロ以外の大手私鉄が全線全駅で駅ナンバリングを導入するのは京成電鉄が初めてであった。 京成電鉄が導入する以前に大手私鉄他社では、東京メトロのほか、が2006年にのみに導入していた程度であった。 東京都墨田区押上にある本社の老朽化に伴い 、に本社を千葉県に移転した。 新社屋は・の両駅前の再開発地区(八幡三丁目2番1号の旧・京成百貨店跡地)に建設された。 (42年) - 京成電気軌道創立。 (元年)• - を買収。 - - 市川(仮)間、曲金(現・) - 間開業。 (大正2年) - 金町線全通。 旧帝釈人車軌道を改築。 (大正3年) - - 市川新田(現・)間開業。 (大正4年)11月3日 - - 中山間開業。 (大正5年) - 中山 - 間開業。 (大正10年) - 船橋 - 千葉間開業。 千葉線全通。 (大正14年)9月 を買収。 (大正15年)• - - 間開業。 - 酒々井 - 間開業。 (2年) - 谷津支線開業。 (昭和3年)• 3月 津田沼 - 成田花咲町間 をのぞく全線の架線電圧を600Vから1200Vに昇圧。 これにより、全線の架線電圧が1200Vとなる。 - 白鬚線開業。 - 発覚。 (昭和5年)• - 成田花咲町 - 間開業。 押上 - 成田間全通。 10月21日 - を吸収合併。 (昭和6年)• - 谷津支線休止(1934年6月22日廃止)• - - 間開業。 (昭和8年) - 日暮里 - 上野公園(現・)間開業。 (昭和11年) - 白鬚線廃止。 (昭和20年)• - 全線をに基づく軌道からに基づく鉄道に変更。 - 日暮里 - 上野公園運転休止。 運輸省疎開のためトンネルが地下指令室として接収された。 - 京成電鉄に社名変更。 - 接収解除により日暮里 - 上野公園間運転再開。 (昭和26年) - 津田沼以西の全線の架線電圧を1500Vに昇圧(1952年7月10日全線昇圧)。 (昭和33年) - 新千葉 - 千葉間路線変更。 、現在地に移転仮開業(正式開業は)。 (昭和34年) - 全線を11区間に分けてを1372mmから1435mm()に順次変更。 (昭和35年) 押上 - 間でとの開始。 日本初の公営地下鉄との相互直通運転。 (昭和42年)• 本社を上野から押上に集約移転する。 6両編成運転を開始する。 5両編成以上での運転開始は、大手私鉄では最も遅かった。 (昭和48年)• - 京成上野駅改良工事に伴い、日暮里 - 上野間運休(1976年7月14日竣工)。 - を使用した「特急」を京成上野 - 京成成田間で運行開始。 (昭和53年) - 成田 - 成田空港(初代、現・)間開業。 運行開始。 (3年)• - 駒井野分岐部 - 現・成田空港間開業。 空港ターミナルビル乗り入れを開始。 - - 間開業により4者相互乗り入れ開始。 (平成4年) - - 間開業。 直通運転開始。 (平成5年)9月1日 - 駅構内を終日禁煙とする。 (平成6年)11月22日 - スカイライナーの累計乗客数が5000万人に到達。 (平成4年) - 自動車営業部成東営業所を分社化し、「ちばフラワーバス」として営業を開始。 (平成10年)• - バス共通カードを一部で導入開始。 10月1日 - 千葉急行電鉄の路線を引き継ぎとする。 - 成田空港 - 間でエアポート特急の直通運転を開始。 (平成11年) - ベビーカーの利用を解禁。 (平成12年) - 共通乗車カード導入。 (平成14年)10月27日 - 東成田 - 芝山千代田間開業。 東成田線との直通運転開始。 (平成15年)10月1日 - バス部門を分社化。 (平成18年)• 12月10日 新京成電鉄から千葉線への乗り入れ再開。 「」運転開始。 - と業務提携。 (平成19年)• - を導入開始。 同時にとの相互利用と京成カード(PASMO連帯クレジットカード)の発行を開始。 - スカイライナーの累計乗客数が1億人に到達。 10月1日 を運用開始。 (平成20年) - PASMOの普及に伴い、この日の終電をもって共通乗車カードパスネットの発行・発売を終了。 には自動改札機での使用も終了。 (平成21年)6月30日 - 創立100周年。 記念としての一部編成を懐かしの塗装に復刻する企画が行われ、塗装が同日に、塗装がに、ファイヤーオレンジ塗装がに復活した。 (平成22年)• 7月17日• (成田スカイアクセス)開業。 同じくモーニングライナー・イブニングライナーをスカイライナーと同じくAE形(2代)での運行を開始。 これまでのスカイライナー車両AE100形を用いたシティライナー運行開始。 京成電鉄・のグループ2社と芝山鉄道でを一斉導入。 車内LED・LCDでの案内表示は、開業に伴う京急の駅ナンバリング導入に合わせて10月21日より開始。 制服をがデザインしたものにリニューアルする。 (平成25年)• - 開始により、京成線で・・・・・・・が利用可能になる。 - 本社を千葉県(前)に移転。 本店の登記も同地に移転。 (平成27年) - 旧本社跡地に「押上ビル」を開設。 (平成29年) - と提携し、京成カード(オリコ)の会員募集を開始。 これにより、京成カードはおよびオリコの2社からの発行という形態となる。 (平成30年)• - の()と連携協定締結。 翌よりのラッピング列車運行を発表。 - - の影響とみられる送電線からの出火で停電が発生。 これにより、10月3日と4日は本線と千葉線で運休。 さらに、10月5日は全営業路線で運休し 、終日運転を見合わせた区間もあった。 10月6日の始発から復旧。 歴代社長• 第2代• 第3代• 第4代• 第5代 - 歴代社長中最長在任期間(1958年 - 1979年までの21年)であった。 第6代 - 元運輸次官。 初の外部招聘者。 経営再建を成功させた。 第7代 - 佐藤とともに経営再建にあたった。 第8代• 第9代• 第10代 - 成田スカイアクセス線開業準備などにあたった。 相談役• 第11代• 第12代 鉄道事業 路線 現有路線 2010年7月17日時点で次の7線区 152. 3 km を有する。 : - 間 69. 3 km• : () - 間 1. 1 km (キロ程は本線と重複する京成成田駅 - 駒井野分岐部間 6. 0 km をのぞく。 京成の時刻表上では本線扱い)• : - 間 5. 7 km• : - 間 2. 5 km• : - 間 12. 9 km• :千葉中央駅 - 10. 9 km• (成田スカイアクセス):京成高砂駅 - 成田空港駅間 49. 9 km (うち京成高砂駅 - 印旛日本医大駅間はと共用。 キロ程は本線と重複する本線接続点〈空港第2ビル駅構内扱い〉 - 空港第2ビル駅 - 成田空港駅間 1. 5 km をのぞく) 路線図(クリックで拡大) 本線のうち、駒井野分岐部 - 成田空港間 2. 1 km は、()が線路・施設などを保有しており、京成電鉄はを行っている。 本線の海神 - 船橋競馬場間にて高架化工事が進められ、より海神 - 船橋競馬場間の上り線、より同下り線がそれぞれ高架化。 押上線では、押上 - 八広間が2015年8月22日に高架化工事が完了した。 2017年現在、押上線の四ツ木 - 青砥間で高架化工事が行われている。 本線の青砥 - 京成上野間はの免許を買収してその免許を利用して敷設したものだが、元々上野には押上から浅草を経て行く計画だった。 しかし、先にに対し浅草延伸が認められたため、焦った京成は有力者を巻き込んだを引き起こしてしまい、この計画は頓挫した。 仕方なくとの接続を目指して白鬚線を建設するなどしたが、会社合併を持ち掛けた筑波高速度電気鉄道からの話に乗る形で、やや遠回りではあるが現行の日暮里経由の経路で上野乗り入れを果たした。 その他の筑波高速の免許線については「もし、戦争がなかったら筑波にも延伸する予定」と社史などに書かれているが、実際には戦前に免許が放棄されている(現在のにおけるの存在も問題ではある)。 京成上野駅付近のトンネルは当時であったの下を通過することから、にまでかけられた。 「成田スカイアクセス」の愛称がある成田空港線は、北総鉄道北総線を延長する形で印旛日本医大駅からまでの新線がの手によって建設され、2010年7月17日から京成電鉄が京成高砂駅を除いて・・成田高速鉄道アクセス・成田空港高速鉄道の各社から線路と施設を借受け、第2種鉄道事業者として列車の運行を行っている。 同線を使用した場合の空港第2ビル - 間の所要時間は、で36分、特別料金不要ので59分としている。 これにより路線総延長も150 kmを超え、関東大手私鉄(東京メトロを含む)での総延長順位はを抜いて第4位となった。 成田空港線のうち北総鉄道北総線との共用区間である京成高砂駅 - 印旛日本医大駅間を成田空港線の列車として京成乗務員が運転する場合は京成側の運転規定が適用され、北総線の列車として北総鉄道の乗務員が運転する場合は北総鉄道の運転規定が適用される。 廃止路線• :向島駅 - 白鬚駅間 1. 4 km - 1928年4月7日開業、1936年1月27日廃止。 駅は向島・長浦・京成玉の井・白鬚の4駅。 :京成花輪駅(現・) - 谷津遊園地駅間 1. 1 km - 1927年8月21日開業、1931年休止、1934年廃止。 途中駅は未設置。 未成線• 谷津遊園 - 船橋ヘルスセンター間 1. 7 km :九十九里鉄道の車両・施設を使用する予定だった。 千葉寺 - 東陽町間:『京成電鉄55年史』に記載。 後にがほぼ同じルートで構想の一環としてを計画した。 ()は、当初この新線の沿線開発の一環として誘致するとされていた。 ちはら台駅 - 間:千葉急行電鉄から路線を引き継いだ際に、同時に事業免許も引き継いだが、凍結状態となっている。 着工期限は(令和11年)。 : - 間 2. 3 km• : - 筑波山駅間 65. 2 km• 梅島線: - 間 3. 7 km• 松戸線: - 間 6. 3 km 直通運転 相互直通運転 以下の路線と相互が行われている。 5者の異なる事業者間で直通運転を行っている。 経由で押上線と• (都営浅草線経由で)・・・• 経由で・・• 経由でと 京成の車両は1999年から2018年までの間、からすべて空港線に入るため、同駅より南側のを渡ってに入る定期運用はない(1991年から1995年までの間、平日夜にまで乗り入れたことがあった。 また、京急蒲田駅が完全高架化される2012年まではによるで運行される時のみ、まで運転される運用が存在した)。 2018年12月8日のダイヤ改正で再び京成車両(成田スカイアクセス線対応車のみ)の神奈川県乗り入れ運用が平日夜のみ再開される。 片乗り入れによる直通運転 以下の路線でによる直通運転が行われている。 経由でと かつて新京成線が全線開通した中頃にも直通運転が行われていた(当時は相互乗り入れ)が、その後廃止されていた(ただし1960年代後半に京成千葉線内急行で臨時での設定があった)。 しばらく直通運転は行われていなかったが、のダイヤ改正から千葉線への乗り入れが新京成車両の片乗り入れにより再開された。 ほとんどの駅(京成幕張本郷 - 新千葉)のホームの有効長が6両分しかないので8両編成は乗り入れなかった。 現時点では新京成車両の千原線への乗り入れや京成車両の新京成線への乗り入れ運転は行っていない。 「京成・新京成直通車両規格」に準拠した車両のみ入線可能である。 改軌工事 8月、(現・)が「東京およびその周辺における都市交通に関する第1次答申」を策定する。 この答申は東京のターミナル駅における混雑の緩和を狙ったもので、11のを整備し、一部での相互直通運転を行うというものだった。 この「相互直通運転」の対象となったのは都営地下鉄1号線(現・)および京成電鉄・京急である。 これにより3者による規格統一に向けての議論が行われるが、規格統一の際に浮かび上がった大きな難題がの違いである。 当時、京成電鉄は軌間1372mmの「(偏軌)」、それに対して京急は軌間1435mmのを採用していたが、相互直通運転に際して当然ながら統一する必要があった。 ともに運転頻度の高い路線だが、車両数の少ない京成電鉄が対策をとることとなった。 この時1372mmと1435mmのやとする案も挙がったが、車輪やレール同士の干渉など物理的な問題により 結局全線の方針となった。 まず、(昭和34年)春にをレールの外側に仮打ちする準備工事を実施、改軌工事のスムーズ化を図った。 改軌のテストも合わせて同年 - に同じ1372mmの軌間であったの改軌を実施し、この成果を見て改軌工事計画を立案した。 すでに京成線は通勤路線として機能しており1日の運休も許されず、また動員できる作業員も限りがあるため、一夜で全車両と線路全線を改軌することもできないことから、全線をいくつかの工区に分けて順次改軌を行い、旅客は2つの軌間が共存する駅で乗り継ぎさせることにした。 しかし一夜に工事できる距離は限られているため、駅間隔の長い区間では既設の駅で乗り継ぎさせることができず、京成臼井 - 京成佐倉間には仮駅となるを建設した。 そして同年 - に改軌工事を行うこととした。 改軌工事の工程は、• 1959年10月9日・:千葉線 - 京成千葉(現・)間 8. 8 km• 1959年・:本線 - 間 4. 2 km、千葉線 - 京成幕張間 4. 0 km• 1959年・:本線 鹿島川専用乗継場(一般には京成臼井 - 京成佐倉間仮駅と案内されていた) - 宗吾参道間 8. 0 km• 1959年・:本線 - 鹿島川専用乗継場間 10. 5 km• 1959年・:本線 京成津田沼 - 京成大和田間 9. 0 km• 1959年・:本線 - 京成津田沼間 8. 1 km• 1959年・:本線 - 東中山間 8. 9 km• 1959年・:押上線 - 間(全線) 5. 7 km• 1959年・:本線 - 京成高砂間 2. 8 km、金町線 京成高砂 - 間(全線) 2. 5 km• 1959年・:本線 - お花茶屋間 7. 8 km• 1959年11月30日・12月1日:本線 - 日暮里間 2. 1 km となっており、1工程終了後最低2日以上の準備期間を設けて行うというものであった。 準備が整った10月9日に改軌の第1工程となる千葉線京成幕張 - 京成千葉間の改軌を開始、翌10日に予定通りに終了し、同区間で最新鋭のによる始発列車が運転された。 その後工事は順調に進み、11月30日に最終11工区の京成上野 - 日暮里間の改軌を予定より2日前倒しして終了、これをもって京成線全線の改軌が終了した。 これと並行して、京成電鉄は軌間1372mmの旧型車両の改軌と東武の協力を得ての地下化も行い、の地下化をもってすべて終了した。 に都営浅草線 - 押上間が開業し、浅草橋 - 東中山間で日本初の民鉄・地下鉄の相互直通運転が開始された。 線路施設 10月時点で、京成では手動式が3か所設置されていた。 このうち、船橋1号踏切は高架化工事に伴う同年11月の上り線切り替え時に自動化された。 残る高砂1号・2号踏切もを受けた安全対策の一環として自動化が行われることとなり、2号踏切が2006年に、1号踏切がに自動化された。 列車種別 詳細は「」を参照 有料のとして、一般列車の特急より上格の列車である「スカイライナー」をから運行している(乗り入れは同空港が開港した翌日のから)。 その後同列車は1985年10月19日から朝夕はそれぞれ「モーニングライナー」「イブニングライナー」と名称と料金体系を変え、でのに相当する通勤輸送も行っている。 2010年7月17日から「スカイライナー」は成田空港線(成田スカイアクセス)経由に変更となり 、従来のスカイライナーは「シティライナー」に改称された。 その後「シティライナー」は成田空港駅への乗り入れをやめ、2014年11月8日から定期運行は土休日1日1往復のみとなっていたが、2015年12月5日のダイヤ改正にて定期運行が廃止された。 普通列車は、路線図や発車案内装置においては普通と案内されるが、駅の案内放送などによってはと案内される。 2002年10月12日のダイヤ改正より、高砂以東の「急行」を廃止し、「快速」を新設するなど、種別の再編を実施した。 2006年12月10日のダイヤ改正より特急停車駅が大幅に見直され、佐倉 - (一部芝山千代田)間が各駅停車となり、早朝・夕夜間に従来の特急停車駅と同じである「快特」が新設された。 しかし、快特の登場により「快速(カイソク)」と「快特(カイトク)」の発音が似ており、誤乗を招くという問題が発生したため、2007年8月16日より一部案内において快特を「快速特急」と案内するよう変更され、その後案内表記も「快速特急」に統一された。 空港アクセス列車であるが、快特も特急も英略は京急と同じく「Limited Express」である。 2010年7月17日のダイヤ改正より、急行が廃止され、新たに「アクセス特急」が設定された。 行先表示• 「京成」が頭につく駅名を表示する際、「京成」を省略して表示する(例として、は「成田」と表示)。 直通先のや京急においても同様に京成線内の駅名を案内する際は「京成」を省く(京急に関しては、自社線内の「京急」を冠する駅は「京急」を省かないが、京成線内の駅名に関しては京成電鉄の案内と同様に「京成」を省く)。 京成車・北総車の行先表示や駅での行先表示では、「京急」が頭につく駅名の表示も「京急」を省略して表示する(例として、は「蒲田」と表示)。 行は「うすい」、行は「()芝山」と表示する。 浅草線内をとして運行するアクセス特急や快速については、種別文字の前に飛行機マークを表示していたが、2013年10月の改正で中止された。 行は「羽田空港」と表示する(都営浅草線および同駅を管轄する京急も同様に案内する)。 車内のLEDなどの表示は、羽田空港( KK16 ・ KK17 )・成田空港( KS41 ・ KS42 )共に2駅分の駅番号を同時に表示する。 エアポート急行(京急線内) 羽田空港行 種別色• スカイライナー:紺色• モーニング・イブニングライナー:藤色• シティライナー:紫• アクセス特急:橙• 特急:赤• 通勤特急:水色• 快速:桃色• 普通:黒• 急行:青(京成線内では廃止されているが、北総線・都営浅草線南行・京急線のエアポート急行で使用) 時刻表等の印刷物では上記の通りだが、旧型のLED表示機での表現ができない色などは一部上記と違う色で表示されることがある。 車両 乗り入れ列車は、以降の一般車全形式がである「都営1号線直通車両規格」準拠となっている。 (車掌台)側にはを設けないのが特徴である。 途中駅での分割・併合は行われないので、固定編成が大多数を占める。 形式呼称は小田急、京急などと同様に「…系(けい)」ではなく「…形(がた)」を使用する(初代3000形からまでの1号線直通規格普通鋼製通勤車、いわゆる「」を総称して3000系と呼ぶことがあるが、あくまでも通称である)。 保守・管理上からは統一する方が望ましいが、これはにおいても継続されている。 また3000系列および3500形は全電動車編成であるが、このうち3221以降のと・3500形以降についてはコスト削減を目的に、主電動機を75kWから100kWに出力アップして2両あたり8台から6台に減らしており(1. 5M-0. 5Tユニット、6M車と呼ばれる。 2両あたりの合計出力は従来の8M車と同じ)、京成の車の特徴となっている。 このため、一般列車用車両の運用は、編成両数だけでなく、「京急に入線できるか否か」・「成田スカイアクセスに速度面で入線できるか」も要素の一つである。 一方、京成線内のみの運用となる有料特急用のは京成初のボルスタレス台車装備車となった。 台車の色は3700形以前の車両でで塗装されていたが、2月デビューの3000形以降はグレー塗装とし、3700形以前の在籍車両も2003年7月 - 2007年4月の全般検査・重要部検査時にの塗装に変更した。 車両番号は前面、側面のみでなく妻面にも表記されている。 妻面への番号表記はとともに数少ない事例である。 編成番号は京急と同様、3000形・AE形を除き、・方先頭車の車号で呼称する。 は8両編成の浦賀方3両目に設定されている (京急車のみ7両目にも設定)。 ではやの車両も検査することがある。 現在、営業用車両582両を保有する(事業用車・休止車両・保留車等をのぞく)。 各系列の詳細、使用線区、運用などについては、それぞれの記事を参照のこと。 2018年現在、新京成電鉄を除く他社へ譲渡された車両はほとんどなく 、民間に売却されて保存されている車両はない。 関東地方の大手私鉄で唯一、4扉車の使用と10両編成の列車の運行をしたことが無い。 初代3000形などでは、車体側面に「Keisei」のステンレス切り抜き文字が貼り付けられていた。 同じロゴは新本社ビルや京成カードでも見られる。 現有車両• 有料特急専用車両• :3代目スカイライナー用車両。 度から製造。 車両デザインは。 京成では1600形更新車以来の製となる。 成田空港線(成田スカイアクセス)が開通した2010年7月17日より「スカイライナー」・「モーニングライナー」・「イブニングライナー」用として運用を開始。 一般列車用• :2019年10月26日より投入された。 京成グループ標準車両。 京急線乗り入れ可能・成田スカイアクセス対応。 大きな荷物を持った乗客を考慮し、一部跳ね上げシートを持つ。 1次車は50番台の番号が付与される。 :京成グループ標準車両。 京急線乗り入れ可能。 京成車の約半分を占める。 :2010年より順次導入された成田スカイアクセス用車両。 :主力車両。 3編成を北総鉄道、1編成を千葉ニュータウン鉄道にリースしている。 京急線乗り入れ可能・成田スカイアクセス対応。 :車は京急線乗り入れ不可・成田スカイアクセス非対応。 化改造車は4両編成で、京急線乗り入れ可能であり、車両牽引にも使用される。 :AE形(初代)の機器流用車。 京急線乗り入れ可能・成田スカイアクセス非対応。 :1編成を芝山鉄道にリースしている。 現存車両は更新改造車のみ。 京急線乗り入れ可能・成田スカイアクセス非対応。 3500形(更新車) (市川真間駅) 廃車・転出 特急専用車• :初代開運号。 :2代目開運号。 末期には2両が試作アルミカーに更新され、残り1両はタイプの車体に載せ替えられた。 :正式形式名は「AE車」。 初代スカイライナー。 1989年以降の消滅形式• :京急旧1000形。 :最初の都営浅草線乗り入れ用車両。 :改軌と同時に登場した車両。 :末期には6両が千葉急行電鉄で運用された後2両が京成に復帰。 :一部に3代目開運号用のボックスシート車両があった。 :同上。 開運号用車両のみ3150形に合わせて片開き扉。 3221号からは6M車。 (電動ホッパ車)• 事業用車(土運車)• 事業用車(電動貨車)• 事業用車(長物車)• 事業用車(無蓋車)• :京急線乗り入れ可能(ただし定期運用はない)・成田スカイアクセス非対応。 2編成を北総鉄道にリース。 2009年に会社創立100周年記念事業として、3編成がそれぞれ往年の塗装色である・・ファィアーオレンジ塗装(新赤電)となったが、2013年2月から3月にかけて各編成とも営業運転を終了した。 2015年2月28日をもってすべての運用を終了した。 :2代目スカイライナー用車両。 成田スカイアクセス非対応で、2010年7月17日からは「シティライナー」として運用。 一部編成は2010年7月17日のダイヤ改正で運用離脱し、2015年11月29日限りですべての定期運用を終了、翌2016年2月28日をもって退役した。 3500形(未更新車) (京成高砂 - 柴又間) 1988年以前消滅形式 新造の200形から新造の220形までは扉配置が左右対称ではなく点対称という特徴のあるデザインであった。 扉を左右非対称に配置することで混雑の均等化を狙ったといわれている。 また、後半頃まではに移った車両が多かった。 なお、旧型車は形式が多種多岐にわたるが車体サイズや性能から便宜的に以下のように分類される。 :1912年の開業時から1927年の1200V昇圧時まで使用された。 20形関連 (15メートル級の木造車で、車体長は100形と同じ)• :一部は200形と同様の非対称の半鋼製車体を新造し、また、一部は新京成に譲渡された。 宗吾車両基地に本形式の台車が保存されている。 33形関連 (製造当初13メートル級の木造車)• :全車が戦前に鋼体化され300形となった。 :40・43は戦前に鋼体化され300形となった。 :新京成電鉄への移籍後に全金属車体に更新した。 100形関連• :昭和40から50年代に掛けて新京成電鉄に移籍し、主力として使用された。 :製造当時は制御車だった。 新京成電鉄への移籍後に全金属車体に更新した。 :左右非対称ボディや関東では当時屈指の高速性能で有名な戦前の代表車両。 京成での運行終了後は新京成電鉄に移籍し、1990年まで使用された。 :製造当初は制御車であった。 京成では1980年まで使用され、最後の吊掛駆動の営業車であった。 :京成での新製車と新京成で他形式から編入された車両の2グループからなる。 :2扉クロスシートで、製造当初は制御車であった。 :17m戦災国電の復旧車。 210形の制御車としても使用された。 :戦後初の新車。 :いわゆる車両で、末尾2両のみ新京成電鉄に譲渡された。 後に2両は試作アルミカーに改造、700形と同性能になった。 このほか、新京成独自の形式として(200・500形の電装解除)、(新京成初の自社発注車、旧性能)があった。 :704-2203は京成初の新性能車で、末期は行商専用車として使用された。 :京成初の量産新性能車。 更新されずに短命に終わった。 事業用車• :木造電動貨車。 :電気機関車。 このほかにもある。 製造メーカー 車両は2016年11月現在、(日本車両、日車)、、東急車輛の後身のの3社で製造されている。 日本車両との関係は戦前から続いている。 1972年以前は前身の蕨工場でも製造が行われていた。 日車製の車両は日車豊川製作所から上を仮台車を装着した上でされ、総合車両製作所横浜事業所に搬入されの台車に取り換え、から都営浅草線経由でされる。 ただしAE形(2代目)の日車製は、から陸送の上搬入されているが、総合車両製は直接陸送されている。 総合車両製作所との関係は、旧東急車輛が(昭和43年)に合併したに端を発する。 帝国車輛が 梅鉢車輛と呼ばれていた戦前は、京成が梅鉢車輛の親会社だった時代もあり、戦後資本関係を解消した後も取引を続けてきた(「」「」を参照)。 1960年代以前は東京都江東区に工場があったでも製造されていたが、(旧・川崎車輛)との合併に伴い発注残を川崎重工業()に引き継ぎ、(昭和54年)納車の3500形3576編成を最後に取引を打ち切った(「」「」を参照) なお3400形の一部には、旧津田沼工場や宗吾工場で車両の改造・更新を請け負っていたの製造名義が今でも見られる。 車両基地 「」を参照 運賃 大人普通旅客(千原線・成田空港線除く。 小児半額・端数は利用時は1円単位で切り捨て、切符購入時は10円単位で切り上げ)。 2019年10月1日改定。 キロ程 運賃(円) キロ程 運賃(円) ICカード 切符購入 ICカード 切符購入 初乗り3 km 136 140 36 - 40 km 545 550 4 - 5 km 157 160 41 - 45 km 608 610 6 - 10 km 189 190 46 - 50 km 671 680 11 - 15 km 262 270 51 - 55 km 733 740 16 - 20 km 325 330 56 - 60 km 786 790 21 - 25 km 377 380 61 - 65 km 849 850 26 - 30 km 440 440 66 - 70 km 902 910 31 - 35 km 492 500• 加算運賃• 公津の杜以西各駅(京成成田は後述の特定運賃) - 空港第2ビル・成田空港間:140円を加算• 京成成田以西各駅・空港第2ビル・成田空港 - 東成田間:70円を加算 空港第2ビル・成田空港 - 東成田間の運賃は京成成田 - 駒井野分岐部間のキロ数(片道6 km)を含めないで算出する。 特定運賃 以下の区間は上表・に関係なく特定運賃が定められている。 京成成田 - 空港第2ビル・成田空港間:262円(切符は270円)• 空港第2ビル - 成田空港間:並行するJRと同額の147円(切符は150円)。 八広 - 菅野間:189円(切符は190円)• 八広 - 谷津間:325円(切符は330円)• 八広 - ユーカリが丘間:492円(切符は500円)• 幕張本郷 - 千葉中央間で10 kmを超える場合:231円(切符は240円) 千原線 大人普通旅客運賃(千原線)(単位:円)。 2019年10月1日改定。 上側は利用時の運賃、下側は切符購入時の運賃である。 小児は半額で、端数はICカード利用時は1円単位で切り捨て、切符購入時は10円単位で切り上げ。 千葉中央 189 251 314 325 367 190 千葉寺 189 251 293 325 260 190 大森台 251 251 293 320 260 260 学園前 189 251 330 300 260 190 おゆみ野 189 370 330 300 260 190 ちはら台 千原線の運賃は別途定められている。 千原線と他線の駅との間の運賃は千原線の運賃額と他線の千葉中央駅までの運賃を合算する。 ただし、谷津 - 京成千葉の各駅(千葉中央駅から15km以内270円までの駅)と千原線の駅との間には合算額から以下の額の割引がある。 京成千葉 - 千葉寺・大森台:50円• 京成千葉 - 学園前・おゆみ野・ちはら台:70円• それ以外の区間:40円 成田空港線 大人普通旅客(成田空港線。 小児半額・端数はICカード利用時は1円単位で切り捨て、切符購入時は10円単位で切り上げ)。 2019年10月1日改定。 括弧内は京成高砂 - 印旛日本医大の各駅間相互発着時。 キロ程 運賃(円) キロ程 運賃(円) ICカード 切符購入 ICカード 切符購入 初乗り3 km 210 203 210 210 24 - 26 km 796 773 800 780 4 - 5 km 314 309 320 310 27 - 29 km 828 806 830 810 6 - 7 km 388 376 390 380 30 - 33 km 859 837 860 840 8 - 9 km 462 449 470 450 34 - 37 km 891 900 10 - 11 km 524 513 530 520 38 - 41 km 922 930 12 - 14 km 597 580 600 580 42 - 45 km 953 960 15 - 17 km 660 643 660 650 46 - 49 km 974 980 18 - 20 km 712 696 720 700 50 - 52 km 995 1000 21 - 23 km 765 742 770 750 成田空港線(成田スカイアクセス)にも別途運賃が定められており 、成田空港線と他線の駅との間の運賃は乗車経路に応じて成田空港線の運賃額と他線の運賃を合算して算出する。 京成高砂経由の場合は同駅で区切って、成田湯川以西各駅 - 空港第2ビル - 京成成田以西各駅・東成田間の運賃については、京成本線と成田空港線との接続点 - 空港第2ビル間のキロ数(片道0. 5km)を含めず、接続点で区切って算出する。 京成高砂 - 空港第2ビル間では、経由路線と運賃が2種類(成田スカイアクセス経由と、京成本線経由)存在することになる。 そのため、空港第2ビル駅と成田空港駅のホームを京成本線専用ホームと成田スカイアクセス専用ホームに分け、両駅の京成本線コンコースに中間改札を設置してルートの特定と運賃の算定を行っている。 成田空港線において、京成は京成高砂 - 印旛日本医大の各駅相互間の乗車券を発売しない。 詳細は「」を参照。 「」も参照 乗継割引• (お花茶屋駅 - 江戸川駅)・(京成立石駅)・(全線)と経由で(新柴又駅)との間を乗車する場合は、各社大人運賃で10円(合計20円)の割引。 京成本線(船橋競馬場駅 - 実籾駅)・(京成幕張本郷駅 - 検見川駅)と経由で(習志野駅 - 新津田沼駅)との間を乗車する場合は、各社大人運賃で10円(合計20円)の割引。 入場券 京成電鉄の特徴として、の価格が駅によって異なることがある(小児半額・端数は10円単位で切り上げ)。 2019年10月1日改定。 駅名 入場券の料金 下記以外の各駅 140 各駅 190 210 研修所 の近くに京成研修所があり、乗務員の養成などの研修を行っている。 自社の電車の教習を行うほか、有料で他社の電車運転士の養成も受託しており、新京成電鉄や北総鉄道など京成グループの運転士も養成している。 従って京成グループの運転士は一度他社(京成)の施設および電車と線路を使って教習を受けるということになる。 自社で研修所を持たない鉄道会社も多いため、他社で教習を受けることは珍しくない。 車掌や駅員も同様に現地で研修を実施している。 所内には3500形と3700形のが存在する。 なお、以前はの運転士養成も受託していたが、同社が委託先を変更したため、現在は受託していない。 また、ここ最近では舞浜リゾートラインのほかにからも委託を受けて乗務員養成(車掌および運転士)を行っている(2016年7月時点で委託生は3人目)。 乗降人員上位20駅• 乗降人員は京成電鉄の駅のもの。 は前年度に比較した増( )減( )増減なし( )を表す。 2 1 216,517 の直通人員含む。 連絡人員は195,421人。 2 106,281 2. 0 2 104,223 東京都 の直通人員含む。 連絡人員は68,914人。 3 105,128 1. 5 3 103,528 東京都 4 94,318 0. 2 4 94,507 5 60,416 1. 4 5 59,560 千葉県 の直通人員含む。 連絡人員は34,141人。 6 54,008 0. 4 6 53,800 千葉県 7 51,372 2. 0 7 50,364 東京都葛飾区 8 50,818 3. 6 8 49,028 東京都 9 46,867 0. 1 9 46,843 千葉県八千代市 10 39,477 1. 6 10 38,856 東京都葛飾区 11 37,472 1. 5 11 36,924 千葉県 12 36,280 2. 0 12 35,584 千葉県 13 35,043 1. 0 13 34,705 千葉県習志野市 14 33,781 2. 9 14 33,442 東京都葛飾区 15 30,397 7. 6 15 28,239 千葉県成田市 16 29,174 3. 5 16 28,197 17 27,000 8. 7 19 24,837 千葉県成田市 18 25,681 0. 8 17 25,881 東京都葛飾区 19 25,583 1. 2 18 25,279 東京都 20 24,631 0. 5 20 24,514 千葉県習志野市 不動産事業• 自社路線沿線を中心に住宅分譲を行っている(最近ではを中心としたなど)。 自社所有のビルの賃貸業も行っている(京成上野駅前の(元)など)。 労働組合 有価証券報告書によれば、労働組合の状況は以下の通り。 名称 上部組織 京成電鉄労働組合 主要グループ会社 詳細は「」を参照 主にを中心にバスやタクシーなどの交通、観光関係の事業を展開しているグループ会社が多い。 2003年10月1日には事業が分社化されてとして再出発した。 このほか、流通業を営むコミュニティー京成では「笑がおの湯」を千葉県内で2店舗展開している。 京成電鉄がである OLC の株式時価総額が京成電鉄を上回っているため、京成電鉄を買収することでオリエンタルランドの経営権を手にすることができることから、敵対的買収のリスクを抱えることを回避するため、買収防衛策を取り入れた。 なお、2005年7月になっての()「プリヴェチューリッヒ企業再生グループ」(現・)が筆頭株主となった。 2006年3月10日、OLCと京成電鉄は業務提携及び資本提携の強化を発表。 また同関係を強固なものにするため、OLCは6日までに京成電鉄の普通株式を約1千万株(発行済み普通株式の約3. これは、株式を持ち合うことにより上記のプリヴェなどによる企業から京成を経由してのOLCへの経営支配力を弱めることが目的とされている。 特記事項 この節にはが含まれているおそれがあります。 問題箇所をしして、記事の改善にご協力ください。 議論はを参照してください。 ( 2009年10月) 「京成」を冠する駅名の扱い• 列挙すると、、、、、、、、、、、、、、、(以上本線)、、(以上押上線)、(金町線)、、、、(以上千葉線)の計22駅がある。 営業エリア圏内、圏外を問わず、同じ駅名または似た駅名が存在する、あるいは存在したという共通点がある。 ただし一部例外があり、については以前より「京成津田沼」とや路線図に書かれていた(方向幕や駅・車両の案内表示器は保有の車両を除き「津田沼」とだけ表示)。 他にも、や、の駅名標では「京成」が省略されていないが、車内放送などでは「京成」が省略されていた。 乗り入れ先の他社路線でも、基本的に「京成」を省いて案内するが、扱いが異なる。 京浜急行電鉄や都営浅草線では、多くが「京成」を省いて案内しているが、駅の時刻表や路線図の一部では「京成」が冠されている場合がある。 北総鉄道では、駅名標や路線図では「京成」を省いているが、駅の案内放送や発車標では「京成」を冠して案内している(例:上野行きの場合「京成上野」と表示・案内される)。 しかしながら、近年この傾向に変化が見られる。 まず、京成津田沼駅を除き「京成」を省略していた路線図が、2019年頃より全駅で省略しない表記に切り替えられた。 さらに、2020年1月より通勤車両の行き先表示が順次京成を省略しないものに取り替えられている。 この更新では、他社の社名を冠した駅名の省略も取りやめられた。 さらに、2020年3月29日より導入された車内自動放送でも、京成の省略は行われていない。 駅入口の駅名表示では、かつては近くに同名駅がある場合(例:上野・船橋)に「京成」が冠され、無い場合(例:立石)は「京成」が冠されていなかった。 ただし、2013年以降の新案内サインでは、同名駅が無い場合でも「京成」が冠される場合がある一方で、これまで「京成」が冠されていた駅の駅名標が「京成」を冠さない物に取り替えられる場合 があり、この法則は必ずしも当てはまらなくなっている。 「京成電鉄京成立石駅」と記載された入口の駅名表示• 関屋・高砂・大和田・立石の各駅は、同名駅が同都県内ではないので混同される恐れはない。 上野・八幡()・船橋・成田・金町・幕張本郷・幕張・千葉の各駅は、同名(または括弧内)のJR、地下鉄、モノレールの駅と近接していて徒歩で乗り換えが可能である。 幕張を除く各駅を接続駅とする定期券が発売されている(あり)。 幕張本郷は京成を冠さない日暮里・空港第2ビル・成田空港・東松戸などと同じく、JRの駅と完全に同一駅舎である。 小岩・中山()・西船()・津田沼・佐倉・酒々井・曳舟・稲毛の各駅は、同名駅(または括弧内の駅)での他社線への乗り換えに時間がかかる。 徒歩5分から10分程度の距離にある小岩・西船・中山・曳舟・稲毛が振替輸送で使われる程度で、その他の駅については徒歩では20分以上要し連絡はバスに頼らざるを得ないため乗り換えには使われない。 なお、異名のとしては関屋がのと至近距離にあるため乗り換えが可能であり、両駅の近辺に限られるが連絡乗車券も発売されている。 中山は、に同名のが存在する。 八幡はかつて「新八幡駅」という駅名で、隣駅に「八幡駅」があったが、1942年8月に八幡駅が新八幡駅に統合され、同年11月に新八幡駅が現在の京成八幡駅に改称している。 大久保は京成の乗り入れる東京都にあり、本線京成船橋駅と船橋駅で連絡しているJR東日本にが存在する(ただしこの駅はに所在し、京成の路線は同区には乗り入れない)。 臼井は、京成がを行なっているのと混同されないよう、同駅は長らく「うすい」と平仮名で表記してきたが、「京成」の省略を取りやめた掲示類では正式名称である「京成臼井」と表記されるようになった。 旅客向け案内• に関する詳細な案内がなされている。 通勤用車両の車内には、成田空港を発着する各の一覧表が掲示されている。 成田空港は航空会社などによって旅客ターミナルが異なり、第2・第3ターミナル、第1ターミナルは、それぞれ、と下車駅が違うため、混乱を防ぐために貼付されたものである。 スカイライナーでは・での自動放送が導入され、2006年4月29日より一部の特急列車でも、英語の簡易自動放送が行われている。 より、を使った車内自動放送を全線で開始した。 車掌が車両の放送装置と接続したタブレットを操作して放送を流す。 この放送は、乗り入れ他社の車両でも流せるようになっている。 2010年7月に成田スカイアクセス線開業と同時に駅の案内サインの更新も行われ、4か国語(日・英・中(簡体または繁体)・韓)の案内表示の更新、のの導入が行われた。 英語での案内放送が導入されている駅もある。 列車および車両 行商専用車の窓に運行時のみ貼付されたステッカー• 原則として、とが同一行路でペアを組み乗務する。 京成電鉄ではの人のためにまで「」を運転していた。 かつては行商専用列車が数往復していて、一部に押上発着もあったが、末期は上り普通列車1本(第732列車、7:46芝山千代田発・9:52京成上野着 )のみで、6両編成の最後尾の1両を専用車に充て、この車両には一般の旅客は乗車できなかった。 ただし、稀に行商組合で定められた休日のみ、当該時刻の列車であっても一般客に開放された。 運用は6両固定すべてが入り、最新の3000形も「行商専用車」の札を横窓に下げ、5両目と6両目の間の貫通扉にも札を下げていた。 2020年4月時点で同様の目的を持った車両として、で鮮魚の行商人専用に車両を貸し切っているが運行されている。 2005年5月より平日上りの通勤特急の成田寄り1両にを設定した。 鉄道施設内の商業撮影 京成電鉄は日本ので初めてや・のを鉄道施設内で行うことを認めた会社である。 その後や関連会社のでも実施され、同社の方が登場機会が多くなった。 元官僚などとの関係 経営危機に陥った1970年代後半に、(現在の)出身の佐藤光夫が社長に、出身の村田倉夫が副社長にそれぞれ外部招聘で就任し、それ以来ごく最近まで運輸省のOBや銀行出身者が経営に参画し、事実上の国家管理・銀行管理となっていた(厳密には国家管理・銀行管理ではない)。 これは、不動産投資の失敗や後の不況、成田空港関連の先行投資負担(及び開港の遅れによる損失)が重なって破綻寸前に追い込まれたためである。 上野の京成百貨店が撤退したことやを閉園したのもこの影響である。 佐藤・村田のリーダーシップのもとで京成はなりふり構わぬ徹底した経営再建を推し進め、その努力は1989年度の累積赤字一掃・復配により結実した。 広報誌 京成電鉄では、『京成らいん』という広報小冊子を毎月発行しており、京成電鉄各路線のすべての駅において専用スタンドに置かれている。 に「京成文化」という題名で創刊、その後1月号に「京成ライン」に改称、4月号から「京成らいん」と改題。 当初は有料で販売していた が、現在は無料配布している。 2008年2・3月号で通巻第600号を数えている。 沿線案内や京成グループ各社のPRだけではなく、京成沿線にゆかりのある有名人・文化人などのインタビューコーナーもある。 また、2015年12・2016年1月号では初めて関西大手私鉄のとの間で初詣スポットの相互PR記事が掲載された(京成側は近鉄の広報誌「近鉄ニュース」2016年1月号で成田山新勝寺を紹介した)。 なお、京成電鉄ホームページからも最新号および(ただし過去7号まで)を形式で閲覧することができる。 競馬 では、三大都市圏の5場において観客輸送を担う鉄道事業者が特別競走に賞を出しているが、京成もの観客輸送をJR東日本とともに担っているため、と(共に競走)に社杯を提供している。 中山競馬場の最寄り駅はである。 特に・といったの時は特急が臨時停車することもある。 一方、のでは1997年に南関東重賞 G3 「」を創設、社杯提供を受け冠名が取られた。 のみ「 京成盃スカイライナースプリント」という競走名で施行されたが、翌2007年より競走名を「京成盃グランドマイラーズ」に戻され、現在も競走として施行されている。 船橋競馬場の最寄り駅はである。 船橋競馬においても休日開催などで多客となった時には特急が臨時停車することもある。 スマートフォン向けアプリ 2019年3月26日より、スマートフォン向け「京成アプリ」の配信を開始した。 同時に首都圏の鉄道会社の公式スマートフォンアプリの列車走行位置・時刻表機能の連携に参加している。 さらに、同年5月20日13時からは新京成電鉄が運用している「新京成アプリ」との列車走行位置機能の連携を開始した。 提携など 輸送関係• - 京成電鉄沿線における新規事業展開やへのゲスト輸送力のさらなる拡大、その他両社グループ会社双方の協力による事業展開を模索する業務提携。 - 京成電鉄側は、子会社において近畿日本ツーリストの旅行商品を主要商品と位置づけ、同商品の増売に取り組んでいる。 近畿日本ツーリスト側は、主に京成電鉄の成田空港アクセスにおいて鉄道・バス・タクシーの利用促進を図る施策を検討している 京成カード(自社発行のクレジットカード)関係• - 京成カード(オリコ)の発行および業務に関しての提携を行っている。 - 京成カード MUFG の発行および業務に関しての提携を行っている。 - 千葉銀行の取引実績により発生するポイント「リーフポイント」を京成カードのポイントサービス「京成グループポイント」に、交換することができる業務提携をしている。 - 京成カード所有者に対して、三井住友信託銀行の取引実績により「京成グループポイント」が発生するほか、住宅ローン金利優遇特典を提供する業務提携をしている。 - 「京成グループポイント」を「楽天スーパーポイント」に交換することができる業務提携をしている。 脚注 [] 注釈• 「京成電鉄成田空港線の上限運賃認可と実施運賃について」によると 、北総線のみの各駅から成田湯川・空港第2ビル・成田空港の各駅までは、印旛日本医大を境にそれぞれの運賃を別計算した上で、当路線と同額になるように乗継割引を設定することが明記されたため、北総線のみの各駅が京成電鉄(成田空港線)と共用化されていないことが確定している。 では(昭和6年)3月31日に(現)が、では(昭和8年)6月17日にが地下乗り入れを果たしている。 当時の略称は「京浜」だが「京急」で統一。 成田空港建設中から、開港、そして鉄道乗り入れ後も度々などによって線路や会社関係者宅や関係施設に爆弾が仕掛けられることがあった。 に入ってからはほとんど見られなくなっている。 近畿日本鉄道は2015年に全路線に導入路線を拡大している。 東京都内を走る関東の大手民鉄が東京都外に本社を構える例としては京成のほか、のがある。 開業当初から1200Vであった。 これにより、旧()にも京成の路線が存在することになった。 また、帝都高速度交通営団を除く関東大手私鉄の路線総延長キロ数がを抜き第4位となった• この開業により、路線総延長キロ数が関東大手私鉄ではを抜き第3位(2004年に大手私鉄に認定されたを含むと第4位)となった。 は当初導入していなかったが、2月23日から導入された。 とでは定期列車だけで10種別体制であり、では大手私鉄で最も列車種別数が多い11種別が設定されている。 1947年に火災で焼失したモニ7をに譲渡した例があるが、台車は他車の部品を流用、車体は新製している。 このほか、廃車発生品のがに売却され、の冷房改造に際して流用された例もある。 電装機器を東洋電機製造製で統一している点は、の例と同様である。 は含まない。 路線図では2019年以前から省略を取りやめていた。 京成幕張本郷駅ホームの駅名標など。 第175期有価証券報告書• - 日本民営鉄道協会、2015年6月15日閲覧• SUBWAY 日本地下鉄協会報 第204号. 46-47. 2018年10月5日閲覧。 京成電鉄. 2018年10月5日閲覧。 千葉日報 千葉日報社 : p. 1988年11月21日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 1989年11月26日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 1990年2月27日• 朝日新聞 朝日新聞社 : p. 1991年3月19日• 千葉日報 千葉日報社 : pp. 1,14. 1991年3月20日• 朝日新聞 朝日新聞社 : p. 1990年12月22日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 1,15-16. 2010年7月18日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 2010年7月18日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 2013年9月18日• 朝日新聞 朝日新聞社 : p. 1992年4月2日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 1993年8月22日• 毎日新聞 毎日新聞社 : p. 1993年8月20日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 1994年11月23日• 毎日新聞 毎日新聞社 : p. 1994年11月24日• 読売新聞 読売新聞社 : p. 1995年5月10日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 1998年3月28日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 1998年9月12日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 1998年9月23日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 1998年11月19日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 1998年12月24日• 千葉日報 千葉日報社 : pp. 1,14. 2002年10月27日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 2003年9月30日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 2006年12月12日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 2006年11月10日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 2007年12月27日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 2007年8月1日• 交通新聞社 : p. 2007年10月2日• 千葉日報 千葉日報社 : p. 2015年12月2日• 「」 - 株式会社オリエントコーポレーション、2017年3月1日• 2018-05-31,• - 千葉日報オンライン、2018年10月5日• - 朝日新聞デジタル、2018年10月5日• 103• - 鉄道プレスネット、2020年4月9日、2020年4月16日閲覧。 『鉄道ファン』2004年7月号、交友社、pp. 190-191• 191• 『鉄道ファン』2004年7月号、交友社、p. 193• 「京浜急行の先頭電動車編成について」『』1998年7月臨時増刊号(通巻656号)掲載による。 railf. 2012年6月12日閲覧。 京成電鉄. 2020年2月12日閲覧。 PDF プレスリリース , 京成電鉄, 2019年4月11日 , 2019年4月11日閲覧。 PDF プレスリリース , 京成電鉄, 2019年10月10日 , 2019年10月11日閲覧。 「」 - railf. jp(交友社『鉄道ファン』)、2013年2月19日• - 北総鉄道、2019年9月5日• www. keisei. 2019年11月30日閲覧。 - 京成電鉄、2017年6月29日。 - 京成電鉄、2020年3月24日• 京成時刻表vol. 26 75ページ• 京成らいん 2008年2・3月号• - 京成電鉄、2019年3月19日• - 京成電鉄、2019年3月25日• 京成電鉄 2019年5月16日. 2020年1月21日閲覧。 広報資料・プレスリリースなど一次資料• PDF プレスリリース , 京成電鉄, 2010年2月19日 , の2010年3月31日時点におけるアーカイブ。 , 2015年6月15日閲覧。 - 京成電鉄、2010年6月25日。 - 京成電鉄、2013年8月30日。 - 京成電鉄、2015年10月22日• 京成電鉄. 2012年6月12日閲覧。 -京成電鉄ニュースリリース、2013年3月12日• 京成電鉄 2010年2月19日. 2010年3月31日時点の [ ]よりアーカイブ。 2016年9月17日閲覧。 - 京成電鉄• - 京成電鉄、2019年6月20日閲覧 参考文献• 『ちばの鉄道一世紀』• 京成電鉄『京成電鉄85年のあゆみ』• PHP研究所『京成電鉄のひみつ』• 戎光祥出版『京成検定 1・2・3級』 関連項目• - テレビ・ラジオの提供番組で放送されたCMソング• - 京成OB• - 車両が作中に何度も登場し、博物館動物園駅や柴又駅等も登場。 - 京成も撮影に協力し、路線が作中によく登場してきた。 - 東武鉄道とともにドラマの中でを渡るシーンなどがよく登場していた。 - ドラマ『鉄道むすめ〜Girls be ambitious! 〜』1話・2話にて、京成の成田空港駅が舞台となった。 - オーナーのが京成に在籍していた縁から1947年まで出資しており、筆頭株主であった。 ただし、京成は株を保有していたのみに過ぎず、球団経営には一切関与していなかった。 - 過去のスポンサー番組。 - 過去のスポンサー番組。 - 過去のスポンサー番組。 - 過去のスポンサー番組。 外部リンク ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。 に関連するメディアがあります。 ウィキニュースに関連記事があります。
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