質問一覧• 紫式部" これより前の文はなんとか出来たのですが、この5行が分からないので品詞分解を教えていただきたいです。 自分の中でその風景のイメージ? 説明が下手ですいません… などができ解くことができていた のですが 詩や評論になるとどうしても内容が掴めません。 答え合わせをするときに詩独特の表現や特に無名草子を初めてといたときは... 心ばへぞ、いと憎き。 父宮を はじめ、おほぢの僧にいたるまで、思はしからぬ人々なり。 継母などの心ばへ、さるべき仲なれど、 さばか りになりぬる人のために、いとさしもやはあるべき。 関係などが全く掴めませんでした。 これはある女房がその仕えてた女性についての言い合い?と捉えて良 いのでしょうか 枕草子の話題が出ていたのですがこれは誰かが清少納言か中宮定子の話をしていたと捉えて良いのでしょうか?... 枕草子に返す返す申して侍るめれば、ことあたらしく申すに及ばねど、なほいとめでたきことなり。 はるかなるせかいにかき離れていくとせあひ見ぬ人なれど、文というものだに見つればただいまさし向かいたる心地して、なかなかうち... 「一番簡単な漢字である「一」という字さえ書けない様子」。 紫式部が謙虚に奥ゆかしく、人前では漢文の知識をひけらかさなかった、 ということを言っている。
次の言葉の受け手である聞き手を敬っている。 話し手からの敬意。 どの敬語も、その敬語を実質的に使った人間からの敬意である。 総じて、あまりにも度が過ぎてしまった人が、そのままでいらっしゃる例は、 ありがたき わざ に こそ あ めれ。 ありがたき=ク活用の形容詞「有り難し」の連体形、めったにない、珍しい わざ=名詞、こと、事の次第。 おこなひ、動作、しわざ、仕事。 仏事、法事、法会 に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形 こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。 係り結び。 係助詞「こそ」を受けて已然形となっている。 係り結び。 視覚的なこと(見たこと)を根拠にする推定の助動詞である。 めったにないことであるようだ。 桧垣 ひがき の子、清少納言は、一条院の位の御時、 中関白 なかのくわんぱく 、世を しら せ 給ひ ける初め、 しら=ラ行四段動詞「知る/領る(しる)」の未然形、治める。 領有する。 知る、認識する。 せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。 直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。 「給ひ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である中の関白を敬っている。 話し手からの敬意。 給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の連用形、尊敬語 ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形 桧垣の子である、清少納言は、一条院の在位の御代、中の関白(=藤原道隆)が、世の中を治めていらっしゃった初め、 皇太后宮の 時めか せ 給ふ盛りに 候ひ 給ひて、 時めか=カ行四段動詞「時めく」の未然形、時流に乗って栄える、もてはやされる。 (天皇の)寵愛を受ける。 せ=尊敬の助動詞「す」の連用形、接続は未然形。 直後に尊敬語が来ていないときは「使役」だが、尊敬語が来ているときは文脈判断。 「給ふ」と合わせて二重敬語となっており、動作の主体である皇太后宮(=中宮定子)を敬っている。 話し手からの敬意。 給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の連体形、尊敬語。 候ひ=ハ行四段動詞「候ふ(さぶらふ)」の連用形、謙譲語。 お仕え申し上げる、お仕えする。 動作の対象である皇太后宮(=中宮定子)を敬っている。 話し手からの敬意。 給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の連用形、尊敬語。 動作の主体である清少納言を敬っている。 話し手からの敬意。 皇太后宮 こうたいごうぐう (= 中宮 ちゅうぐう 定子 ていし )が帝の 寵愛 ちょうあい を受けていらっしゃる全盛期にお仕えになって、 人より優なる者と おぼしめさ れ たり けるほどのことどもは、 おぼしめさ=サ行四段動詞「思し召す(おぼしめす)」の未然形、「思ふ」の尊敬語。 動作の主体である皇太后宮(=中宮定子)を敬っている。 れ=受身の助動詞「る」の連用形、接続は未然形。 「る」には「受身・尊敬・自発・可能」の四つの意味があるがここは文脈判断。 たり=存続の助動詞「たり」の連用形、接続は連用形 ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形 (清少納言が中宮定子に)他の人より優れている者と思われなさっていた頃のことなどは、 『枕草子』といふものに、自ら書きあらはして 侍れ ば、こまかに 申すに及ば ず。 侍れ=補助動詞ラ変「侍り(はべり)」の連体形、丁寧語。 言葉の受け手である聞き手を敬っている。 話し手からの敬意。 申す=サ行四段動詞「申す」の連体形、「言ふ」の謙譲語。 動作の対象である聞き手を敬っている。 話し手からの敬意。 ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形 『枕草子』というものに、自分で書き表しておりますので、詳しく申し上げるには及びません。 歌詠みの 方 かた こそ 、 元輔 もとすけ が娘 にて、 さばかり なり けるほどよりは、 こそ=強調の係助詞。 結びは已然形となるが、係り結びの消滅が起こっている。 おそらく本来の結びは「に」の部分であるが、接続助詞「て」が来ているため、結びの部分が消滅してしまっている。 これを「係り結びの消滅(流れ)」と言う。 に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形。 本来ならば係助詞「こそ」の結びとなるはずだが、接続助詞「て」が付いているせいで『係り結びの消滅』が起こっている。 さばかり=副詞、それほど、そのくらい。 それほどまでに。 「さ」と「ばかり」がくっついたもの。 「さ」は副詞で、「そう、そのように」などの意味がある。 なり=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形。 ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形 歌を詠む方面では、(清原)元輔の娘であって、それほど(優れた歌人の娘)であったにしては、 すぐれ ざり けると か やと おぼゆる。 ざり=打消の助動詞「ず」の連用形、接続は未然形 ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形 か=疑問の係助詞、結びは連体形となる。 や=疑問の係助詞、結びは連体形となる。 おぼゆる=ヤ行下二段動詞「思ゆ(おぼゆ)」の連体形。 係助詞「か」・「や」のどちらかを受けて連体形となっている。 係り結び。 「ゆ」には受身・自発・可能の意味が含まれており、ここでは「自発」の意味で使われている。 訳:「(自然と)思われて」 優れていなかったのかと思われます。 『 後 ご 拾遺 しふゐ 』などにも、 むげに少なう入りて 侍る めり。 むげに=ナリ活用の形容動詞「無下なり(むげなり)」の連用形、言いようもなくひどい、どうしようもない 侍る=補助動詞ラ変「侍り」の連体形、丁寧語。 言葉の受け手である聞き手を敬っている。 話し手からの敬意。 めり=婉曲の助動詞「めり」の終止形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。 視覚的なこと(見たこと)を根拠にする推定の助動詞である。 婉曲とは遠回しな表現。 「~のような」と言った感じで訳す。 『後拾遺和歌集』などにも、ひどく少なく入っているようです。 みづからも思ひ知りて、 申し請ひて、 さやうのことには交じり 侍ら ざり ける に や。 申し=サ行四段動詞「申す」の連用形、「言ふ」の謙譲語。 動作の対象である皇太后宮(=中宮定子)を敬っている。 話し手からの敬意。 さやう=ナリ活用の形容動詞「さやうなり」の語幹。 そのよう、その通りだ。 形容動詞の語幹+格助詞「の」=連体修飾語 侍ら=補助動詞ラ変「侍り」の未然形、丁寧語。 言葉の受け手である聞き手を敬っている。 話し手からの敬意。 ざり=打消の助動詞「ず」の連用形、接続は未然形 ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形 に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形 や=疑問の係助詞 自分でも(和歌の才能がないことが)分かっていて、(中宮定子に)お願いして、そのような(和歌に関する)ことには関わらなかったのでしょうか。 さら では、いと いみじかり けるもの に こそ あ めれ。 さら=ラ変動詞「然り(さり)」の未然形、そうである で=打消の接続助詞、接続は未然形。 いみじかり=シク活用の形容詞「いみじ」の連用形、(いい意味でも悪い意味でも)程度がひどい、甚だしい、とても ける=過去の助動詞「けり」の連体形、接続は連用形 に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形 こそ=強調の係助詞、結びは已然形となる。 係り結び。 係助詞「こそ」を受けて已然形となっている。 係り結び。 視覚的なこと(見たこと)を根拠にする推定の助動詞である。 そうでなくては、(入集された和歌が)たいそうひどく少なかったものであるようだ。 続きはこちら 問題はこちら -.
次のめったにないことであるようだ。 桧垣 ひがき の子、清少納言は、一条院の位の御時、 中関白 なかのくわんぱく 、世をしらせ給ひける初め 、 桧垣の子である、清少納言は、一条院の在位の御代、中の関白(=藤原道隆)が、世の中を治めていらっしゃった初め、 皇太后宮の時めかせ給ふ盛りに候ひ給ひて、 皇太后宮 こうたいごうぐう (= 中宮 ちゅうぐう 定子 ていし )が帝の 寵愛 ちょうあい を受けていらっしゃる全盛期にお仕えになって、 人より優なる者とおぼしめされたりけるほどのことどもは、 (清少納言が中宮定子に)他の人より優れている者と思われなさっていた頃のことなどは、 『枕草子』といふものに、自ら書きあらはして侍れば、こまかに申すに及ばず。 『枕草子』というものに、自分で書き表しておりますので、詳しく申し上げるには及びません。 歌詠みの 方 かた こそ、 元輔 もとすけ が娘にて、さばかりなりけるほどよりは、 歌を詠む方面では、(清原)元輔の娘であって、それほど(優れた歌人の娘)であったにしては、 すぐれざりけるとかやとおぼゆる。 優れていなかったのかと思われます。 『 後 ご 拾遺 しふゐ 』などにも、むげに少なう入りて侍るめり。 『後拾遺和歌集』などにも、ひどく少なく入っているようです。 みづからも思ひ知りて、申し請ひて、さやうのことには交じり侍らざりけるにや。 自分でも(和歌の才能がないことが)分かっていて、(中宮定子に)お願いして、そのような(和歌に関する)ことには関わらなかったのでしょうか。 さらでは、いといみじかりけるものにこそあめれ。 そうでなくては、(入集された和歌が)たいそうひどく少なかったものであるようだ。 (2) その『枕草子』こそ、心のほど見えて、いとをかしう侍れ。 その『枕草子』は、(清少納言の)心の様子が分かり、たいそう趣深いです。 「身の毛もよだつほどと」と訳しておけば無難である。 関白殿失せさせ給ひ、 (中宮定子の父である)関白殿(=藤原の道隆)がお亡くなりになり、 内 うちの 大臣 おとど 流さ れ給ひ など せし ほどの衰へを ば 、 (兄の)内大臣(=藤原伊周)が(筑紫へ)流されなされたりなどした頃の衰退については、 かけても言ひ出でぬほどのいみじき心ばせなりけむ人の、 少しも言葉に出さないほどのすばらしい心づかいであったような人だが、 はかばかしきよすがなどもなかりけるにや。 頼もしい縁者などもなかったのであろうか。 乳母 めのと の子 なりける 者に 具し て、遥かなる田舎に まかり て住み ける に、 乳母の子であった者に連れ立って、(都から)遠い田舎に下って住んでいたが、 襖 あを などいふもの干しに、外に出づとて、『昔の 直衣 なほし 姿こそ忘られね。 』と独りごちけるを、 襖などというものを干しに、外に出ようとして、『昔(宮廷にいた頃)の直衣姿が忘れられない。 』と独り言を言ったのを、 見侍りければ、 (ある人が)見ましたところ、 あやしの衣着て、つづりといふもの帽子にして侍りけるこそ、いとあはれなれ。 粗末な衣を着て、布きれをつなぎ合わせたものを帽子にしておりましたのは、たいへん気の毒でありました。 まことに、いかに昔恋しかりけむ。 」 本当に、どれほど昔が恋しかったのでしょう。 」 解説・品詞分解はこちら -.
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