私はアスリートとしてたくさんの結果を残してきましたが、 一方では、喘息の対処や怪我によるリハビリの毎日で、 医療はなくてはならない存在でした。 病気や身体の変化を受け入れ、 それを解決する方法を模索する日々でもありました。 その結果、今は誰よりも病気や身体の悩みを身近に考えるようになりました。 大介護時代に入った現在、 健康の大切さや身体の悩みを少しでも一緒に解決したいという思いで、 リボンリハビリセンターを開設しました。 地域にとって、皆様にとって悩みを共に解決する方法を考える 一番身近な介護施設でありたいと考えており、 今ある最高のリハビリテーション環境をご用意いたしました。 日本の最高の医療機関・研究機関と連携し、 常に最新のリハビリ技術を提供し、予防と身体的悩みに対応します。 そして、皆様のこれからの人生の 最良のパートナーとしてあり続けたいと考えております。 高齢化社会をむかえ、リハビリテーションに対するニーズがますます高まっています。 ご高齢になりますとしばしば呼吸器系や心臓などの疾患をおもちになりますし、また腰痛などの身体的苦痛があるようなケースも多いとおもいます。 自分は義父が札幌出身でよく墓参などに参りますが、その札幌の地に、長野五輪金メダリストの清水さんがリハビリ施設をオープンされるとお聞きし、大変に注目しておりました。 清水さんは呼吸器の代表的な病気である気管支喘息(ぜんそく)をおもちで、これと戦いながら金メダルをとられたことは、わたしども呼吸器を専門とする医師の誰もが知る事実です。 また腰痛にも常に苦しめられ、これを克服して、長年にわたりトップアスリートとして活躍されてこられたのです。 実は清水さんには自分が教授職をしております埼玉医大にお越しいただき、特別講義をしていただいたこともあります。 その求道者的に理想を追い求める真摯さと、そして誠実なお人柄を、よく存じております。 私ごとですが自分も喘息患者であります。 そして清水さんとはレベルが違いますがスケート競技をやっており(アイスホッケーのGK)、しばしば骨折や疼痛にも悩まされていました。 リハビリなどで体を動かしていくに際して、こういった身体的苦痛がどれだけ苦労のたねになるかは知っているつもりですし、もし自分がリハビリを受ける状況になったならば、このような問題を理解してくれる施設でお世話になりたいともおもいます。 そうした点で、呼吸器の疾患や腰痛を克服されて長年頑張ってこられた清水さんの開設されるリハビリセンターは、われわれ医療者からみますと、良心的で、かつ質が高い施設になるであろうと予想できます。 患者さんやご家族が求めるリハビリ施設としての実質性が期待できるとおもいます。 自分にとってもゆかりのある札幌の地で、リハビリを必要とするさまざまなひとたちと、ご家族にとって、リボンリハビリセンターにおおいに活躍してほしいものと願います。 この施設を推薦させていただきます。
次の燕市のスポーツ指導者講習会で講演する元スピードスケート選手の清水宏保さん 清水さんは北海道帯広市出身で北海道千歳リハビリテーション大学客員教授。 1998年の長野五輪のスピードスケート500mで金メダル、1000mでも銅メダルを獲得。 02年のソルトレークシティー五輪では500mで銀メダルを獲得し、国内で個人で五輪の金、銀、銅のメダルを獲得しているのは清水さんだけだ。 10年に現役を引退すると大学院で医療経営を学び、弘前大学大学院で医学博士の取得を目指す一方、札幌市内で株式会社two. seven(ツーセブン)の代表取締役を務め、テレビ出演や講演活動も行っている。 講演では冒頭、清水さんが長野五輪で金メダルを獲得したときの映像を上映し、続いて清水さんが入場した。 映像に記録されたスピードスケートのぴっちりしたスーツを着た清水さんとは打って変わって、アースカラーのスーツにネクタイ、遠近両用めがね。 銀メダルを参加者に回して見てもらいながら講演を進めた。 持参した銀メダル 講演のテーマは「夢をあきらめないで〜スポーツを通じての人間力の可能性〜」。 清水さんは13年に20坪の整骨院から始め、通所介護施設や訪問看護ステーション、スポーツジムなどを経営。 ことし10月には通所介護施設に併設して50床、50部屋のサービス付き高齢者住宅を建設することを話した。 なぜスケート選手を育てないのかと言われることがあるが、「違う人生で何かを築きあげていきたい」、「スポーツ選手が悩むのは次の人生。 セカンドキャリア」で、「自分のやってきたスポーツをただの経験で終わらせることなく、その経験を次の人生で生かせるらえような人生設計をいちアスリートとして成功してみたい」と思った。 「(アスリートの)セカンドキャリアを構築したいという思いであえて事業をやっている。 こういったなかで将来的に日本スケート連盟とかにスポーンサーできたり、やめた選手がぼくの会社に入ってくれたりしたらいいなと思う」と夢を語った。 立ち見も出る人気 初めての五輪出場だった94年のリレハンメル五輪では、五輪の出場しか考えてなく、五輪の空気にのまれて心も体も準備ができず「ぼろ負け」だった。 長野五輪に向けて気持ちを切り替え、会場に行ったら観客席に行って自分のレースをイメージしてからウォーミングアップに入るようにし、もうひとりの自分をつくりながら、アスリートにも、観客にも、監督にもなって多角的な目線を感覚的にもつようになり、いろんなことをやって4年後の長野五輪で金メダルを取ることができた。 プレッシャーは楽しむものとも言われるが、清水さんの考えは「プレッシャーは乗り越えることでサプリメントになる」、「プレッシャーに慣れていくしかないという覚悟がぼくを成長させてくれた」と話した。 現役時代も今も意識しているのは、目標設定、改善、危機感の3つだけとし、それぞれについて話を進めていった。 スポーツ指導者講習会とあるように指導者が主な対象だったが、指導者の出席は一握りで、多くは清水さんのファンで、長野五輪で清水さんが金メダル獲得に心を躍らせた人たち。 立ち見が出るほどの人気で目を輝かせて聞き入っていた。
次のシミズ・ヒロヤス。 スピードスケート選手。 長野冬季五輪500m金メダリスト。 161cm、70kg。 3月10日、ソルトレークシティーで行われたスピードスケートの世界距離別選手権男子500m2回目で、清水宏保(NEC)が34秒32の世界新記録をマーク。 2回の合計タイム1分8秒96で、4季連続5回目の優勝。 これまでの世界記録はカナダのウォザースプーンの34秒63だったが、今回の世界新はこのタイムを一気に0秒31短縮したもの。 02年のソルトレークシティー冬季五輪に向けて新たな飛躍が期待される。 74年、北海道帯広市生まれ。 白樺学園高校-日大-三協精機-NEC。 3歳でスケートをはじめ、小柄な身体で外国選手と対等に戦うために、低い姿勢から細かくピッチを刻む独特の「弾丸スタート」を身につけた。 91年、国体、高校総体で、1000m、1500mの2冠。 93年、初の海外遠征大会となったW杯バゼルガディピネ大会男子500mで36秒82の自己ベストで優勝。 94年のリレハンメル冬季五輪、500m5位、1500m19位。 95年、W杯種目別500mで総合優勝。 96年W杯カルガリー大会500mで35秒39の世界新で優勝。 97年、スラップスケートに変えて以後、98年の長野冬季五輪では、500mで日本スケート史上初の金メダル、1000mでも銅メダルを獲得。 同年のカルガリー世界種目別選手権で、史上初めて35秒の壁を破る34秒82の世界新を記録したが、その後、ウォザースプーンにこの記録を破られていた。
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