04 父親と母親 2019年10月11日更新 南房総 みなみぼうそう の実家に滞在した残りの日々、私たちは毎日、ふだんは誰もいない実家のあちこちを片付けては掃除し、水拭きをし、窓を開け放って風を通した。 母が施設に入って以来ひとりで暮らしていた父は、私たちが思う以上に目も耳も手足も衰えていたのだろう。 溜まりに溜まって放置されていた汚れは、ちょっとやそっと雑巾掛けをしたところで簡単には落ちなかったけれど、不要なものを一つずつ処分し、大事に取っておきたいものを整理して並べ、父が定年直後の二年をかけて分厚い一枚板に彫った『最後の 晩餐 ばんさん 』を磨いたりなどしているうちに、家の中に漂う空気は徐々に 清 すが しくなっていった。 幸い、お天気には恵まれていた。 桜のつぼみが日に日にふくらみ、布団や洗濯ものはさっぱりとよく乾く。 背の君が家の周りの草刈りをする間、相変わらず風邪気味の私はパソコンに向かって書きものをし、洗濯機がピーピー音をたてれば立っていって、洗いあがったシーツやタオルや作業着を干した。 そうして毎日、午後には二人して母に会いに行った。 もう何度目かでしみじみ思う。 背の君がいてくれて助かった。 一昨年、父を訪ねてみたら床に倒れて亡くなっていたあの時も、去年、愛猫の〈もみじ〉を闘病の末に 看取 みと ることとなった十ヶ月間も、彼がそばで支えてくれなかったら自分はどうなっていたかわからないと何度も思ったものだけれど、今回は、そういう心強さともまたちょっと異なるありがたさだった。 だってふつうは、と思ってみる。 親との別れがもうすぐそこに迫っているとわかっている時、ふつうは、もっと悲しい気持ちになるものなんじゃないだろうか。 ふつうの娘なら、母親との限りある時間を惜しむ気持ちになるんじゃないだろうか。 いま人生を終えようとしているのが父であったなら、私だってきっとそうなっていたはずだ。 でも、いかんせん、母親に対しては何も感じないのだ。 恨みも、憎しみも、恐怖も、もうほとんど残っていないはずなのに、人生の最晩年にある母の顔を見てもさっぱり感情が動かない。 ここ一年ほどでようやく、笑っている彼女を〈かわいい〉と思える瞬間がほんの何度かあった。 それだって、娘である私をまったく覚えていない母が、どこかよそのおばあちゃんみたいだったおかげであって、母が母のままだったならあり得ないことだ。 施設に会いに行けば、優しくせざるを得ない。 隣に座って言葉をかけたり、食事の介助をしたりしながらもやっぱり気持ちは動かなくて、そのぶん、自分の中の偽善と向き合わなくてはならない。 子どもの頃からどうしても気持ち悪くてさわれなかった母の入れ歯に、今でもやっぱりさわれない自分。 シミと 皺 しわ だらけの手や顔に触れる寸前、ぐっ、と腹に力をためて何かを飛び越さなくてはならない自分。 そうしていちいち思いきって手を握り、薄くて冷たい皮膚をおそるおそる撫でたりしながら、思うのだ。 (さて……どうしたもんかなあ) 心境を表す言葉としては、それがいちばん近い。 現実的な責任の所在はともかく感情の上では、何もかもがひとごとみたいな感じだった。 そんなふうだったから、もし私ひとりで実家に滞在していたとしたら、こんなに頻繁に母の顔を見に行くことはしなかったと思う。 「こっちにおる時ぐらい毎日会いに行ったろや」 と、背の君がしごくもっともなことを言って私を引っぱって行ってくれなかったら、一週間の滞在の間に、たぶん最初と最後の二回くらいしか施設を訪れなかったんじゃないか。 「いや、それもようわかるねん。 俺もおんなじやったからな」 と彼は言うのだった。 ちょうど私と母の間にあったような感情の行き違いが、彼と父親の間にもかつてあった。 父親が長く入院していた間、弟や娘を車に乗せて連れて行くことはしても、自分自身は一度も見舞わなかったらしい。 あのとき何をおいても行くべきだった、と、彼が言うのを聞いたことはないし、たぶん今だってそんなふうには思っていないだろうけれど、だからといって後悔が少しもないわけではない。 ちなみにその、彼の父親であるヤスオというのが、私の母であるキミコの、年の離れた末弟にあたる。 顔も性格もよく似た二人だが、不思議なことに、私は、叔父である〈ヤスオにいちゃん〉からめっぽう愛してもらった記憶しかないし、背の君もまた〈キミコおばちゃん〉には可愛がられた思い出しかないという。 自身の子どもだと上手く愛せないところまで含めて、似たもの 姉弟 きようだい だった。 「親父がまだ生きとって、おばちゃんもハッキリしとったら、俺ら、こういうことにはなられへんかったかも知れんなあ」 今でもお互いの間でよく話題にのぼるのがそれだ。 私たち 従姉弟 いとこ 同士が一緒に暮らすのを、いちばん血の濃いあの二人は決して許してくれなかったに違いない。 残りの親戚はといえば、うちの父親や兄貴や、彼の母親や娘をはじめ、誰もかれも最初は驚き呆れたものの、それでもまあなし崩しといった感じで受け容れてくれた。 数年前までなら信じられないくらい頻繁に親戚同士が行き来するようになっている現状を、今では喜んでくれてもいるようだ。 南房総 千倉 ちくら の実家に一週間滞在し、 「次は五月のゴールデンウィークに来るからな、それまで元気でおりや。 ええな、ほんま頼むで」 キミコさんにそう言い含めて出発した私と背の君は、 軽井沢 かるいざわ の家へはまっすぐ帰らず、東京と神奈川の 境 さか い目あたりに住んでいる我が兄夫婦の家に立ち寄ったのだった。 とある頼みごとをするために。
次の6月4日の日経文化欄の村山由佳の「願わくは花のもとにて」を読んだ。 「ねがはくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ」西行法師 紙面を見た瞬間、この西行の和歌を連想して読み始めた。 だが、違っていた。 母が認知症で施設に入ってから一人暮らしの父は、今年の桜の頃に逝った。 報らせるとじりじりと待たせるので、急の訪問でびっくりさせようと目論んだ。 実家まで30分の処で電話したが出ない。 初めての嫌な予感がして急いで実家が見えて来た時、その入り口にほころび始めた桜を見上げた。 「もしかしてこれから毎年春が来るたびに、こんなたまらない思いで桜を見上げることになるんだろうか」と思いが脳裏を横切った。 後から調べてわかったことだけど、父が倒れて亡くなったのは実家に駆け付ける2時間ほどの前だった。 誰もが「きっと、お父さんがあなたを呼んだんだよ」と慰めてくれた。 父の孤独が労しい。 葬儀には施設のご協力を得て母も出席した。 長年連れ添った夫のお葬儀だと言う事がわからない母は、みんなが自分のために集まったくれたのだと思って上機嫌だった。 棺の蓋を閉める間際、車椅子をそばに寄せると、母はのんびりした口調で言った。 「これ、誰や? え、お父ちゃん? そうか、せっかく寝たはんねやったら、起こしたげるわけにもいかんわなあ」 そのとたん・・・・こらえ続けていた涙が溢れて止まらなくなった。 いつにまにか随分小さくなってしまった母に顔を寄せて、私は泣いた。 「ほんまやな、お母ちゃん、ほんまにその通りや。 お父ちゃん、ゆっくり寝かしといたげような」 この文章を読んで、私は涙が溢れ出た。 遠隔地に嫁いでいる次女が、久方振りに帰郷した。 私の母は、次女に手を引かれて高所から降りる時、 「まぁー、何処のどなたか知りませんが、ご親切に有難うございます。 」 と言った。 次女は私の姉だが、母が哀れで涙したと言っていた。 母は83歳で逝ったが、俗に「電気が、切れたり付いたり」する軽い認知症だった。 村山さんが父の死際に合えなかったと同様に、私も母の死際に会えなかった。 母と同居の実兄さえも間に合わない心筋梗塞だったから、致し方ない。 ただ、6人兄弟姉妹の末っ子だった私は、特に可愛がってもらったから残念だった。 今、私は事情があって、遠隔地にいる一人娘と絶縁状態にある。 その上に、昨年11月下旬に妻は、脳梗塞で倒れた。 3カ月のリハビリを終えて退院してから2カ月、5月1日に転倒して大腿骨骨折で入院している。 これも最低3ヵ月の入院予定だが私が一番恐れていることは、妻の認知症である。 お陰様で妻は友人知人が多く病院は賑やかだが、村山さんの母のように何時認知が訪れるかは予想できない。 「車椅子を押すのは、厭わない。 健全な会話が出来る状態であって欲しい。 」 昨年妻が脳梗塞で倒れた時、この言葉は、友人知人等関係者に言った言葉である。 娘との最悪の関係にある中、老夫婦の生活には、今後共如何なる災難があるかも知れない。 そんなことで、村山さんの事情を読んで、人間の生活には喜怒哀楽は付きものと思いながらも、悲観的になり涙が溢れて止まらなかった。
次の天皇陛下が退位なさるのをこの目で見るのは初めてだなあと思ったら、譲位はなんと二〇二年ぶりだった。 前回は文化十四年(一八一七年)だそうだ。 凄 すご い。 何が凄いといって、それだけの長い時を経てなお、 古 いにしえ の時代と同じ儀式を執り行うことができるというのが凄い。 そして現代に生きる私たちは文明の利器のおかげで、その歴史的瞬間をリアルタイムで目に焼き付けることができるのだ。 凄すぎる。 ……などと興奮していたのに、残念ながら〈リアルタイムで〉は 叶 かな わなかった。 平成最後の四月三十日、まさにその日の朝に、背の君の娘夫婦が初めて 軽井沢 かるいざわ へ遊びにやってきたからだ。 そんならみんなでゆっくり 観 み ればよかったじゃないかと思われるだろうが、これにはちょっとした事情があった。 父親から「チー」の愛称で呼ばれる彼女は、動物が大好きなのにかなり敏感なアレルギーを持っていて、毛のはえた生きものはもちろんのこと、部屋の中に牛の毛皮の敷物が敷いてあるだけでもクシャミが止まらなくなる。 あらかじめ薬は服用してきたものの、生きた猫のいる、しかも五匹もいる我が家で、はたして無事でいられるかどうかは正直言って賭けみたいな状況だったのだ。 しかも、 「たぶん行くって前から言うてたやーん」 と、はっきり? 聞かされたのが前日だったので(まあそういうキャラである)、背の君はぶつぶつ文句を言いながらもこまめに立ち働き、家じゅうに掃除機と雑巾をかけまくり、娘夫婦の寝る部屋はとくに念入りに掃除し、布団を干し、 埃 ほこり を払い、枕カバーやシーツは全部新しく掛け替え……と 獅子奮迅 ししふんじん の大活躍だった。 「あのな、お前ら、ここがどこかわかっとんか。 軽井沢やぞ」 朝六時過ぎ、予定よりだいぶ早く無事到着した二人を前に、背の君は仏頂面で説教をした。 「よりにもよって、一年でいちばん混む連休めがけてわざわざ来んでええっちゅうのや、ほんまにもー」 「す、すんません」 と夫のフウヤくんが恐縮する。 いちばんの常識人はたぶん彼だ。 「えー、せやかて会いたかってんもーん」 チーちゃんがあっけらかんと笑って答える。 「しょっちゅう 会 お うとるやろがい」 「おとーさんやないわ、猫にやん」 父親が大阪へ帰省するたびに見せるスマホの画像や、NHKの「ネコメンタリー」などで我が家の猫たちとさんざん親しんできた彼女は、中でもとくに〈 銀次 ぎんじ 〉のファンになったらしい。 姿はそこそこ立派なのにオツムのネジはゆるい、そのあたりのギャップがいいのかもしれない。 薬が効いたか、それとも父の愛あふれる大掃除の成果か、幸いなことにアレルギー反応はほとんど現れずに済んでいるようで、若い新婚夫婦は猫たちとの触れ合いをきゃっきゃきゃっきゃと堪能し、もういいんじゃないかというくらい沢山の写真やビデオを撮影し、寝起きする部屋へ行く前にはお互いの服に付いた毛を粘着テープのコロコロで始末し合って、見ているこちらがくすぐったくなるくらい仲良く過ごしていた。 〈銀次〉〈 青磁 せいじ 〉〈サスケ〉〈 楓 かえで 〉の四匹は、一階の一部と二階とを好き勝手にうろついているけれど、身重の〈お 絹 きぬ 〉だけは一階の奥、私たちの寝室兼リビングから出ることがない。 彼女のお 腹 なか はたっぷりと大きく重たくふくらんで、猫を飼ったことのない若者二人が見ても、いよいよお産が近いとわかるくらいだった。 「もしかしたら、お前らのおる間に生まれるかわからんな」と背の君。 「いつまでおる気か知らんけど」 「えっとあの、よろしければ五月三日くらいまでは、おらさしてもらいます」 フウヤくんが答える。 丁寧に言おうとするあまりちょっと文法がおかしいあたりが彼らしい。 「産む時って、前もってわかるもんなん?」 とチーちゃん。 「さあのう。 何時間か前からなんも食えへんようなるっちゅう話やけど」 「あとは、安心して産める場所を探してうろうろし始めるよ」と私は言った。 「物陰とか、暗がりとか」 「由佳ちゃんは、猫のお産、見たことあるんやね」 「うん。 〈もみじ〉が生まれてくる時にね」 おおかた二十年前のあの晩は、母猫の〈 真珠 しんじゆ 〉がわざわざ私を起こしに来た。 ふだんは決して足を踏み入れない寝室に入ってきて枕元に飛び乗り、そろそろ産むけどいいのね、と教えてくれたのだ。 「お絹ちゃんも、教えてくれなあかんのんよ」 「せやで。 それと、僕らがおる間に産んでくれなあかんで」 しゃがんで言い聞かせる若夫婦にはさまれて、お絹はそのつど〈うん?〉〈うん〉と、わかったようなわからないような返事をしながら機嫌良く喉を鳴らしていた。 みんながお風呂を済ませて「おやすみ」を言い合った夜遅く、私はツイッターに、お絹が〈むふーん〉と満足げな表情をしている画像を添えてこう 呟 つぶや いた。 お絹さんは、産気づくどころか本日もモリモリ召し上がりましたので、しかも平成は残すところ一時間を切りましたので、お子らは令和生まれとなることがほぼ確定いたしました。 ……なにその得意げなお顔。 それが、三十日の晩のこと。 お皿に出しておいたキャットフードは、翌朝起きた時、一粒も減っていなかった。 連載中• ひきこもり小説家のSF(すこし・ふしぎ)な日常 毎月第1・第3木曜日更新 最終更新日 2020年7月2日• 注目のパフェ評論家による魅惑のパフェ・コラム 毎月第2・4木曜日更新 最終更新日 2020年6月25日• 虚構が暴く、「可能世界=現実」の衝撃 Illustration: maegamimami 毎月更新 最終更新日 2020年6月25日• 偏屈上等、一期一会の食物語 毎月第2・4水曜日更新 最終更新日 2020年6月24日• 僕たちはなぜ、水曜日に働くことをやめたのか 毎月1回/水曜日更新 最終更新日 2020年6月17日• 猫はいちばん身近で、いちばん謎。 実話ベースの絵日記ストーリー 毎月第1・3火曜日 最終更新日 2020年6月16日• アラカン・スタイリスト、新しい「ババア 道 どう 」をゆく! 毎月2回/水曜日更新 最終更新日 2020年6月3日• 「ぼっち」風味。 著者初のエッセイ連載!• 名画誕生の秘密を人間関係から解説。 イラストたっぷり美術コラム 毎月第2・第4木曜日更新 最終更新日 2019年9月12日•
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