端午の節句にちまきが食べられるようになった由来は? 端午の節句にちなんだ食べ物はいくつかありますが、「ちまき」も代表的ですよね。 実際、端午の節句が近づいてくると、お店でもちまきがいっぱい店頭に出されます。 端午の節句にちまきを食べる意味を、分からず買っていた方も多いのでは? せっかく端午の節句にちまきを食べるなら、ちまきの由来も知っておきましょう! 【ちまきの由来】 ちまきという料理は、端午の節句とともに、中国から伝わりました。 そもそもどうしてちまきが中国で食べられるようになったかというと、中国の故事がきっかけです。 国王の側近だった「くつげん」という詩人は、祖国を思う正義感で慕われていましたが、陰謀によって国から追放されてしまいます。 そして最後は川に身投げして命を絶つのです。 その身投げした日が5月5日でした。 くつげんの死を悲しんだ多くの人は、5月5日に竹筒に餅米を入れ、川に投げて弔いました。 しかしくつげんの手元に届くまでに、こうりゅうという名前の龍にとられてしまいます。 そこで、龍が苦手な「れんじゅ」という葉っぱで餅米をくるみ、邪気を追い払う五色の糸で縛って川へ流しました。 その餅米は、無事くつげんの手元に届くようになりました。 その後中国では、5月5日にちまきを作って厄除けする慣習ができました。 この伝統が日本にも伝わったというわけです。 ちまきはもともとは、偉大な詩人を弔うためのものだったのですね! 端午の節句につきものなのはちまき?柏餅?地域によって変わる節句菓子! 端午の節句には、ちまきだけでなく柏餅も登場してきます。 しかし、地域によってもちまきを食べるところと、 柏餅を食べるところと分かれるようです。 関東と関西では、葉っぱにくるむ内容が違っているのですね。 関西ではおこわを包みますが、 関東では柏の葉でお餅をくるみ、和菓子として食べます。 【関東でよく食べられる柏餅の由来】 カシワの葉でお餅をくるんだ柏餅は、徳川九代将軍だった家重から、十代目将軍・家治の頃、江戸で誕生しました。 カシワの葉は新芽が育つまで古い葉が落ちない事から、「子孫繁栄」という縁起かつぎとして、よく使われるようになりました。 また、古くから柏の木は神が宿る神聖な木と考えられていました。 そのため、宮中でたびたび料理の器代わりに使われていました。 【関西でよく食べられるちまきの由来】 中国では、くつげんが亡くなった5月5日にちまきを食べ、厄除けする風習がありましたね。 その習慣が日本にも伝わり、5月5日にちまきを食べるようになったのです。 どうしてちまきは関西でよく食べられるのかというと、中国から日本に伝わった時の都が、関西にあったからという説があります。 その時の名残で、今も関西の人は端午の節句にちまきを選ぶのでしょう。 また、カシワの木はあまり関西になかったことからも、関西では柏餅よりちまき派になったという説もあります。 【ちまきという名前の由来】 なぜ「ちまき」と呼ばれるようになったかというと、昔は「チガヤ」という名前の葉で 米を包んでいました。 チガヤはススキに似た植物です。 もとはチガヤの葉っぱに米を包んでいたため、「チガヤ巻き」だったのですが、発音が次第に「ちまき」に変わっていったのです。 関西では端午の節句に柏餅を食べるのが主流ですが、一方で関東では、ちまきを食べる人が多いのですね! お子さんのいるご家庭では、柏餅やちまきを食べる意味をぜひお話してみてください。
次のそのため、孫の成長を祝うイベントの際、お祝いの品を準備して、子どもの様子や孫の成長を確認しに行くようになったのだそうです。 関西では、この風習が残っており、五月人形をはじめその他お土産などは、お嫁さんやお婿さんのご両親が受け持つことが多いようです。 一方関東では、男の子は嫁ぎ先の跡取りなので、名を継がせるために、嫁ぎ先で全てを準備するということが多いですね。 「張り子の虎」と「食べ物」については、次項で説明しますね。 端午の節句に張り子の虎を飾るもの? 「 張り子の虎」と聞いて、どんなものか想像できますでしょうか。 関東の方だと、知らないという人の方が多いのではないでしょうか。 東北地方の方だと、「 赤べこ」と同じものといえば、『あ~、あれね!』とイメージ出来ると思います。 「張り子の虎」というのは、首の部分が上下に左右に振り子のように動く張り子の虎人形のことなんですね。 では何故、関西地方では、張り子の虎を端午の節句に贈るのでしょうか。 その由来についてご紹介していきましょう! 中国の神話において、「 四神 しじん 」と呼ばれる霊獣 青龍、朱雀、 白虎、玄武 がいます。 その中でも「龍」と「虎」は強いイメージがあり、神様、王様として崇拝されてきました。 その一つである「虎王崇拝」が日本に伝わり、日本の王様 将軍など の住まい 襖、屏風、掛け軸など に虎が描かれるようになりました。 童話の一つである「 屏風の虎」もご存知の方も多いですよね。 室町時代、将軍である足利義満に「一休さん」という小僧さんが城に呼ばれ、『屏風に描かれた「虎」を捕まえてみよ。 』というお話です。 当時、都があったのは京都です。 そのため京都を中心とし関西に「虎王崇拝」が広がっていくことになります。 そして時代が流れ、江戸時代になると「端午の節句」が日本各地で行われるようになります。 江戸時代の末期に、九州から始まった「 コレラ」という疫病が大阪で流行し、小さな子どもをはじめ、多くの方が亡くなりました。 このコレラは、これまでの疫病とは違う高い死亡率でした。 このため、一日に千里を走るとされた虎のイメージから「 虎列刺」、「 虎烈刺」という漢字が当てられました。 この疫病であるコレラに効いたと言われているのが「 虎頭殺鬼雄黄圓 ことうさっきうおうえん 」という丸薬です。 スポンサードリンク この丸薬とともに、病名にも当てられた「虎」の張り子をお守りとして渡されるようになりました。 このようにして、虎の強いイメージと疫病から守ってくれたこと、そして魔除けの意味から、端午の節句のときに、「張り子の虎」を贈るようになったのですね。 このため魔除けや厄払いの意味があります。 端午の節句のちまきはお菓子なの?それともご飯? 端午の節句の時に食べるものといったら、関東では、柏の葉っぱに包まれた甘い餡子が入った白いお餅である「 柏餅」ですよね。 でも関西では、もち米やうるち米の粉を笹の葉などで包み、藺草 いぐさ で固く縛り、蒸して作った「 粽 ちまき 」です。 中国から節句が日本 平安時代の頃 に伝わったとき、粽も一緒に伝えられ、都があった近畿で広まり、やがて全国へと広がっていきました。 その後江戸時代になり、端午の節句のお祝いの際、縁起の良い「 柏の葉」で包んだお餅が、江戸の武家に重宝されるようになりました。 この「柏の木」ですが、西日本ではあまり自生せず、少なかったということもあり、関西では広がらなかったのです。 その為、 江戸時代以降において、関東では「 柏餅」、関西では「 粽」が定着し、親しまれるようになりました。 これを人間に例え、「子どもが産まれるまで親は死なない」という意味になり、「家系が途絶えない」という縁起に結びつけ、武家に重宝されていました。 ちなみに、関東で「ちまき」というと「 中華ちまき」を想像する人が多いのではないでしょうか。 「中華ちまき」は、もち米に豚肉や筍、椎茸などを混ぜ、甘辛く味付けしたものを、笹の葉や竹の皮で巻いて藺草 いぐさ で縛り、蒸し上げたものです。 お菓子というよりは、ご飯ですね。 そのため、関東の方が関西に行き、「ちまき」を頼んで、笹の葉をめくってみたら、中身が白いのでビックリします! 逆もまた然りですが・・・。 端午の節句は関東関西で何が違う? まとめ 今回は、「端午の節句において関東と関西での違い、張り子の虎やちまき」についての情報をお裾分け致しました。 如何でしたでしょうか? 男の子を祝う端午の節句、同じお祝いをするのに地域によって、考え方や食べ物などが違うんですよね。
次の端午の節句にちまきが食べられるようになった由来は? 端午の節句にちなんだ食べ物はいくつかありますが、「ちまき」も代表的ですよね。 実際、端午の節句が近づいてくると、お店でもちまきがいっぱい店頭に出されます。 端午の節句にちまきを食べる意味を、分からず買っていた方も多いのでは? せっかく端午の節句にちまきを食べるなら、ちまきの由来も知っておきましょう! 【ちまきの由来】 ちまきという料理は、端午の節句とともに、中国から伝わりました。 そもそもどうしてちまきが中国で食べられるようになったかというと、中国の故事がきっかけです。 国王の側近だった「くつげん」という詩人は、祖国を思う正義感で慕われていましたが、陰謀によって国から追放されてしまいます。 そして最後は川に身投げして命を絶つのです。 その身投げした日が5月5日でした。 くつげんの死を悲しんだ多くの人は、5月5日に竹筒に餅米を入れ、川に投げて弔いました。 しかしくつげんの手元に届くまでに、こうりゅうという名前の龍にとられてしまいます。 そこで、龍が苦手な「れんじゅ」という葉っぱで餅米をくるみ、邪気を追い払う五色の糸で縛って川へ流しました。 その餅米は、無事くつげんの手元に届くようになりました。 その後中国では、5月5日にちまきを作って厄除けする慣習ができました。 この伝統が日本にも伝わったというわけです。 ちまきはもともとは、偉大な詩人を弔うためのものだったのですね! 端午の節句につきものなのはちまき?柏餅?地域によって変わる節句菓子! 端午の節句には、ちまきだけでなく柏餅も登場してきます。 しかし、地域によってもちまきを食べるところと、 柏餅を食べるところと分かれるようです。 関東と関西では、葉っぱにくるむ内容が違っているのですね。 関西ではおこわを包みますが、 関東では柏の葉でお餅をくるみ、和菓子として食べます。 【関東でよく食べられる柏餅の由来】 カシワの葉でお餅をくるんだ柏餅は、徳川九代将軍だった家重から、十代目将軍・家治の頃、江戸で誕生しました。 カシワの葉は新芽が育つまで古い葉が落ちない事から、「子孫繁栄」という縁起かつぎとして、よく使われるようになりました。 また、古くから柏の木は神が宿る神聖な木と考えられていました。 そのため、宮中でたびたび料理の器代わりに使われていました。 【関西でよく食べられるちまきの由来】 中国では、くつげんが亡くなった5月5日にちまきを食べ、厄除けする風習がありましたね。 その習慣が日本にも伝わり、5月5日にちまきを食べるようになったのです。 どうしてちまきは関西でよく食べられるのかというと、中国から日本に伝わった時の都が、関西にあったからという説があります。 その時の名残で、今も関西の人は端午の節句にちまきを選ぶのでしょう。 また、カシワの木はあまり関西になかったことからも、関西では柏餅よりちまき派になったという説もあります。 【ちまきという名前の由来】 なぜ「ちまき」と呼ばれるようになったかというと、昔は「チガヤ」という名前の葉で 米を包んでいました。 チガヤはススキに似た植物です。 もとはチガヤの葉っぱに米を包んでいたため、「チガヤ巻き」だったのですが、発音が次第に「ちまき」に変わっていったのです。 関西では端午の節句に柏餅を食べるのが主流ですが、一方で関東では、ちまきを食べる人が多いのですね! お子さんのいるご家庭では、柏餅やちまきを食べる意味をぜひお話してみてください。
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