事務所の「お家騒動」によってマスコミから大バッシングされ、一時はテレビ出演どころか新曲も出せない窮地に陥った小林幸子(65)。 そんな「どん底」から復活した小林の胸に響いたのは、サブちゃんこと北島三郎の言葉だった。 小林幸子の短期集通連載の第4回は、苦境を脱して初めて気付いたことについて、総括する。 * * * 振り返ってみると、人生、本当にいい時ばかりじゃありませんよね。 でも、辛いことのほうが多かったかと聞かれれば、絶対にそうではありません。 もちろん、泣きたいこともありました。 でもそんな中にも、楽しいことは必ずあるものなんです。 逆に言えば、周りから幸せそうに見えていたって、当の本人には辛いことだってある。 皆さんもそうじゃないでしょうか。 10年近く前の事務所トラブルの時も、「辛くなかった」と言えば、正直、嘘になります。 スタッフの退社をめぐり、一時、マスコミから激しいバッシングを受けるなど、ちょっとした騒動になりました。 マスコミの風当たりは強く、所属していたレコード会社からの新曲リリースも保留となりました。 「CDを出せない」というのは、歌手にとって死亡宣告を受けたようなものですから、その時は絶望のどん底。 にっちもさっちもいかなくなりました。 それでも、さだ兄(さだまさし)に新曲を作ってもらったり、インディーズレーベルを立ち上げたりと、何とかこの窮地を脱することができました。 4年振りのことでした。 その時、オヤジさんから(北島三郎さんのことをこう呼ばせてもらっているのですが)こう言われたんです。 「なあ、幸子。 いろんなことがあったけど、この3年間は道草してたと思え。 道草ってなあ、楽しいぞ」 本当にそうだよなァ。 オヤジさんの言葉は、胸に染みました。 『おもいで酒』が200万枚を超えるヒットになって以降、私は舗装された高速道路を無自覚に走ってきました。 そしてここから見える風景だけがすべてだと思っていました。 でも、突然、高速道路から降りることを余儀なくされてしまい、私は未舗装のデコボコ道を進まざるを得なくなりました。 ハンドルを握るのも大変。 寄り道に回り道、時間もかかります。 ところが、ふと冷静になって周囲の風景を眺めてみると、これが素敵なんです。 えっ、こんな美しい場所があったの? と、この年になって知った。 高速道路を降りなければ気づかなかったことです。 たしかにお膳立てされた高速道路は走りやすいし、時間もかからないけれど、目に入る景色はいつも一緒。 安定しているけれど、驚きはありません。 下の道は、デコボコだけれど、驚きの連続でした。 そして何より、「自分で切り拓いていく」という面白さがありました。 しかも、この寄り道のおかげで、私はたくさんの人に出会えたし、たくさんの経験ができた。 オヤジさんはわかっていた。 人生の寄り道や道草が、決して無駄じゃないことを。 「ひとつ、いつもと違う角を曲がればそれはもう旅の始まり」。 これは尊敬する永六輔さんの言葉。 ようやく、この言葉の意味を実感しています。 高速道路を走っていれば、角はありません。 高速を降りたことで、私は初めて角を見つけた。 角を自由に曲がる面白さを発見した。 で、曲がってみる。 寄り道です。 でもここから新しい旅が始まる。
次の事務所社長の解任騒動からご難続きの小林幸子。 今度は所属レコード会社の契約解除でいよいよ歌手活動にも黄信号がともっている。 「愚か者~! 」と周囲に言われかねない封印過去の裏には事務所スタッフとの愛憎渦巻く禍根があったというのだ。 「35年前に構図がそっくり」 小林幸子(58)を巡るゴタゴタはいよいよ、最終局面を迎えつつあるようだ。 6月になって、和解金として総額6000万円を小林側が支払うことで、一件落着したはずだった。 芸能記者が明かす。 「6月発売予定だった新曲『絆坂』は、『何が絆だ』と内外から反感を買い発売を延期。 本人は『34年連続紅白出場を何としても目指したいの』と、インディーズからCDを出すと意気込んでいる。 そこで、17年間所属したレコード会社『日本コロムビア』との契約の解除を申し出たのが真相です。 ただ、前途はかなり厳しいですね」 今回のお家騒動の背景には、前社長のSさんと昨年11月に、小林と結婚した8歳年下の医療系会社社長のH氏との確執が原因と言われている。 2人は衣装の費用の金額などを巡って対立。 ところが、小林が完全に夫のHさんに肩入れしたことで事態が悪化した。 そして、さるベテランの音楽関係者は、今回の騒動が「あの時とダブって見える」と言って、声を潜めてこう語るのだ。 「小林は、自分がホレ込むととことん尽くすところがある。 実は、35年前にも当時所属していた事務所のマネジャーだったA氏に入れ込むあまり、『ヌードになったら売れる』とそそのかされ、ヌードを披露したことがあった。 ホレ込んだ相手に翻弄されるあたりは、今回の騒動の構図とまるでそっくりですよ」 ここに1冊の週刊誌がある。 1977年6月13日号の「平凡パンチ」こそ、小林が23歳でヌードグラビアを公開した雑誌だ。 ヌードグラビアは全部で4ページ。 だが、表紙での扱いは、登場する4人のグラビア女性の中でも3番手。 さっそく、問題のグラビアを見ていこう。
次の歌手の小林幸子(58)が個人事務所の女性社長らを解雇した騒動の端緒が、小林の夫で医療関連会社社長の林明男氏(49)と女性社長の口論だったことが5日、分かった。 昨年9月の結婚会見をめぐって意見が対立して以降、折り合いを欠き、NHK紅白歌合戦の衣装代をめぐり衝突。 女性社長らが事実上の解雇通告を受けたという。 小林はこの日「(騒動が)大きくなってただただ驚いている」とコメントした。 渦中の小林自身が「ただただ驚くばかり」と困惑している。 スポニチ本紙の取材では、解雇の最大のきっかけになったのは2月3日。 小林と林氏が新婚旅行でウィーンにたつ直前、林氏が女性社長と会い、紅白歌合戦の衣装代について「なぜこんなに高いのか」と問題提起した。 女性社長が衣装代の内訳を説明すると、林氏は「ロボットやクレーンの会社を知っている。 僕ならもっと安くできる」と主張。 「今年から自分が衣装を作る」と言ったという。 女性社長は「口出ししないで」と拒否し、小林氏と感情的な口論に発展。 その後、夫妻が新婚旅行から帰国した同9日、小林が社長、女性専務に事実上の解雇通告を言い渡したという。 これ以降は双方が弁護士を立て、直接話し合う場は持たれていない。 あくまで口げんかから始まった騒動なだけに、音楽関係者は「幸子と社長は演歌界でも評判のコンビだっただけに、なんとか仲直りできないものか」と復縁を願っている。
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