絵本作家、イラストレーターとして活躍中のヨシタケシンスケさん。 発売したばかりの新作は、大人のためのイラストエッセイ『欲が出ました』(新潮社)です。 このエッセイのもとになっているのは、ヨシタケさんが普段から持ち歩き、思ったことをかきとめるスケッチ帳。 このスケッチ帳から絵本のアイデアが生まれることも多いんだとか。 そんな大切なスケッチ帳から、選りすぐりのイラストをエッセイで解説した今作。 今回は、その第二章「親子そろって、欲が出ました」の一部を特別に公開します。 次男は 次男は、とにかく甘いものを食べるのが好きなので、事あるごとにお菓子をたべていいかっていう、許可をもらいに来るんですよ。 ハイチュウたべていい? ハイチュウたべていい?って。 さっき、たべたじゃんっていうのに、それでも、一回一回交渉しに来る。 勝手にこっそりたべたりしないのが、律儀なところで、毎回ちゃんと許可を得ようとする。 承認欲ですかね。 そこが面白くて描きました。 大きなものを持つと 大きなものを持つと人は(主に子ども)ちょっと興奮する。 特にちっちゃい子がそうなんだけど、何か長ーい棒とか持つと、おおーってなりますよね。 体がぶるんぶるんとして、大きいものを持つのって楽しいんですよ。 運動会で、校庭に自分の椅子を持って行ってくださいと言われたときに、椅子持って歩くのもちょっとわくわくするでしょう。 普段持たないものを持つと、興奮しませんか。 大きな机を二人で両端持って動かしたりするのも、ちょっと楽しかったりする。 待って待ってとか、一回置こう一回置こうとか、声を掛け合ったりして。 ああいうやり取りって、何かいい。 一人でもできるけど、人が二人いて、いいなって思う瞬間がたまにあります。 二人でシーツをたたんだりすると、ああ、やっぱり二人って便利だわって思う。 大きなものを運ぶときに反対側を持ってもらうと、すごい! 人って最高! みたいに嬉しい。 何も愛だ、恋だ言わなくても、シーツをたたむためだけで、二人で暮らしてもいいんじゃないか。 夫婦が一緒にいる理由は、大きなものがたたみやすいってだけで、十何年連れ添ってもいいわけですよ。 そんな人間の体の仕組みから、愛を取り戻すって方法もないわけじゃないな、という思いもあります。 話が予想外の所へ来ました。 やさしくそーっとひっぱると ズズズズ。 やさしくそーっとひっぱると、しっぽのもちぬしの正体を見ることができる。 らんぼうにひっぱると、しっぽはきれちゃうけど。 ちょっと絵本っぽいでしょう。 こういう始まりっていいなと思って。 ここまでしか描いてないんですけど。 よーく見ると、この世界のいろんなところに、しっぽが出ている。 普段、僕が、どんどんスケッチを描きためてるのって、まさにこういうことなんじゃないかなと。 その気になって探すと、いろんなところに面白いもの、何か世界の秘密みたいなものが、転がってるんですね。 塀の隙間だったり、サラリーマンのおじさんのYシャツの端っこだったりとかに。 それをらんぼうにひっぱると、ただそれだけで終わってしまう話なんだけど、よーく考えてひっぱると、何でこの人こんな服着てるんだろうとか、何であの人はあの後ろ髪の長さでいいと思ったんだろうとか、アイデアのかけらになる。 何でこの子は何回言っても忘れ物しちゃうんだろうみたいな、小さい小さいことの中に、その人らしさだったり、人間らしさだったり、世界の秘密や、人類の癖みたいなものってあるはずで、そういうしっぽを一個ずつそーっとひっぱって、こいつのしっぽだったんだみたいなことを、見つけてみたいんです。 しっぽってこういうところにあるんだぜとか、こういうふうにひっぱると怒るんだぜとか。 一個ずつ集めていけたら僕は面白いし、俺こういう新しいしっぽ見つけたんだけど、すごい長かったのにひっぱったら結構本体がちっちゃくてがっかりしたよ、みたいなことを、みんなで寄せ集めて、しっぽ図鑑を作って楽しんでいけたら、平和だなあと。 幸せのなり方とか、つらいことの忘れ方みたいなことも、多分そういういろんなしっぽの先についてるんじゃないでしょうか。 それはほっとくと、しっぽでしかないけれども、実際は大きなものの一部であり。 じゃあ、そのしっぽからそれぞれが何を読み取るか。 それを丁寧に手繰り寄せるのは自分だし、その本体から何を読み取るかも、自分のセンスだったり努力だったりする。 でも、何度もひっぱってると、そのうちうまくなるんです。 俺、こういうのが好きなんだとか、こういうことが許せないんだとか、これをやってると楽しいんだみたいなことが案外わかってくる。 しっぽ探しは、いつでも始められるし、いつでもやめられるし。 で、そこからその人にとって面白いと思うものが見つけられるよというのが、とても救いのある楽しいことなんじゃないでしょうか。 * * * 続きは絶賛発売中の『欲が出ました』でお楽しみください。 外部サイト.
次の今回紹介するのは、が投稿した『』という動画です。 投稿者メッセージ(動画説明文より) 何だか知らんがとにかくヨシ! 折り紙で折られた現場猫が、すばらしい再現度です。 後ろ姿もプリティです。 じわじわと人気が広がっている現場猫。 ヘルメットをかぶり、真面目に指さし確認をしているとは言いがたいポーズで「ヨシ!」というのが特徴です。 これを折り紙にした人が現れました。 複雑な折り図のとおりに折ると、ツルの折り途中を複雑にしたような菱形ができあがります。 そこから折り進めると、足ができ、腕ができ、現場猫が次第に浮かび上がってきます。 躍動感ある現場猫が完成しました。 折り方は非常に難しく、常人には理解しがたいレベルですが、動画には「なるほどわからんヨシ!」「とにかく完成ヨシ!」と現場猫らしいコメントが寄せられています。
次の「感染者を出してはいけない」雰囲気感じた 「本当に不謹慎ではありますが・・・『ほっとした』というのが正直なところです。 感染者第一号が岩手在住の両親だったらどうしようと思っていました」 大阪市に住む女性は記者の取材に、こう答えた。 5月15日に岩手県の達増拓也知事が「第1号になっても県はその人を責めない」、「コロナかもと思ったら相談してほしい」と呼びかけたこと。 だが女性は、「そうは言っても『感染者を出してはいけない』というぴりっとした雰囲気は感じていた。 これで『感染者ゼロ』という精神的な重荷から解放されると思った」と話した。 女性は毎年お盆に帰省している。 ツイッターには「岩手に帰省しやすくなるね」という意見があるが、と尋ねると「そう考える人もいるだろうなと思うが、高齢の親にうつしたくないので私は帰省しない」と話した。 いつも車で帰るため「県外ナンバーが親の家に駐車すること」を避けたいのもあるという。 「近所にどう受け止められるかわかりません。 私は一時的に帰るだけですが、両親は地域に根ざして生きていくわけです。 同じ年代のお友達と日頃親しくしていることを思うと、娘の私が水を差すわけにいきません」 もう「コロナは他人事」じゃない 岩手県で感染者が出たという報道に、「特に驚きや、心理的なつっかえが取れることはなかった」と話すのは、現在東京都在住の男性。 「そもそも感染者ゼロは一切信じておらず、たまたま検査結果陽性の人が出ないだけで、感染者は他県と同様にいると考えていた」ためだ。 帰省したい気持ちは強くなっているが、7月に東京の感染者が増加したタイミングで諦め、岩手の実家の家族にも伝えていた。 「今は我慢の時期」ととらえている。 「実家の家族とは頻繁にやりとりをしています。 一番気にしたのは感染者が近所の人かどうか。 両親には『見舞いに行けないから、とにかく体を大事にしてほしい』ことと、『外出は最小限にし続けるよう』お願いしています」 岩手に住んでいる人たちの気持ちも聞いた。 40代女性は「『感染者ゼロ唯一の県』というプレッシャーはありましたが『コロナは他人事』感も持っていたので、そうではなくなった事で恐怖を感じます」と、ウイルスの感染リスクがにわかに現実味を帯びたことへの不安を吐露した。 もう一人、30代女性は「とうとう出たか、と思った。 (感染者ゼロ唯一の県だったことについて)プレッシャーはなかったがある種の誇りみたいなものは感じていたので、残念だった」と明かした。 東京在住の兄がいるが「今年は帰省しないのではないか」と話した。
次の