村上綾一 [理数系専門塾エルカミノ代表] 学生時代から大手学習塾で御三家中学(開成・麻布・武蔵)コースを担当し、その後、フリー講師に転身。 複数の塾で御三家指導を行う一方で、教材制作の打診を受け、個人事務所をかまえる。 学習塾として開業したわけではないが、「空いている時間でうちの子を見ていただけませんか」という依頼が殺到。 埼玉や千葉から電車に乗って通ってくる小学生まで現れたことをきっかけに、2006年、理数系専門塾エルカミノを設立する。 御三家中学、筑波大学附属駒場中学、灘中学などの難関中学に、多くの教え子を合格させる。 御三家中学については、受験者の約7割が合格するという驚異的な実績を叩き出す(一般的な学習塾の合格率は約2~3割)。 その結果、「中学受験にどう向き合うか」「算数ができる子の育て方」などのテーマで年間20~30回の講演を行うようになり、3000人以上の母親と接してきた。 塾では、長時間の詰め込み学習や課題漬けといった「お膳立てされた勉強」を廃し、子どもの自主性、学習への意欲を育てることに重きを置いている。 モットーは、「子ども一人一人の心の中にある学習意欲を引き出せば、必ず伸びる」。 「自分から勉強する子」が育つお母さんの習慣 「どうしたら、うちの子は勉強するようになりますか?」「休みの日はゲームばかりしているんです」。 こんな悩みをすべて解決! 「勉強好きで、自立し、意欲的に生きる子ども」のお母さんはここが違った! 少人数制学習塾の代表を務め、多くの教え子を難関中学に送り出した著者が語る! 3000人を超えるお母さんを見てきてわかったこととは? 子どもの学習意欲の育て方、しつけと勉強、家庭での学習ポイント、科目別勉強法を徹底解説! 「素直な子に育ってほしい」。 子どもに対して、多くの親がこのような思いを持っていると思います。 しかし、親のちょっとしたひと言で、素直どころか、子どもはひねくれて育ってしまうのです。 その原因と対策をお伝えします。 「ちゃかす子」と「素直な子」。 あなたの子どもはどちらですか? 毎年たくさんの子どもと接していると、何か言うとすぐに「ちゃかす子」と、いろいろなことに興味を示す「素直な子」という2種類に分かれることに気づきます。 言うまでもなく、 勉強ができ、そして人間としてぐんぐん成長していくのは「素直な子」のほうです。 ところが、子ども社会の中で人気者になるのは、みんなを笑わせる「ちゃかす子」のほうです。 とても悩ましい問題だと思います。 例えば算数の授業の中で、私が「中学へ行くと、整数でも小数でも分数でもない、まったく新しい『ルート』っていうのを使うんだよ」と言うと、 何にでも興味を示す子は「それってどんな数字?」「どうやって使うの?」などの反応を示します。 一方、何でもちゃかしたいタイプの子は 「それって入試に出るんですか?」「今、教わらなくてもいいんじゃないですか?」と少しふざけて言うことで、先生の揚げ足を取ろうとします。 そして、そんなツッコミに周囲が笑う、という展開です。
次のスポンサーリンク ひねくれ者の特徴 プライドが高い ひねくれ者と呼ばれる人はなぜひねくれているのでしょうか。 それはひとえにプライドが高いからだと言えるでしょう。 自分に対して自信があり、自己評価も高いがゆえに少しでもそのプライドは傷つけられると相手に対して攻撃的になってしまうのです。 さらにプライドが高く攻撃的なだけであれば、ひねくれているとは言えませんが、ひねくれ者というのはそのプライドをくすぐられるような褒め方をされても、それを素直に受け取りません。 この点こそがひねくれ者の特徴と言えるでしょう。 せっかく褒めているのにそれを額面どおりに受け取らず疑ってかかったり、その言葉の裏の意味を探ったりしてしまうのですから、これでは周囲からひねくれ者と評価されても仕方ありませんよね。 ではなぜ褒められたことを素直に喜べないのでしょう。 それは本当はプライドが高いのに周囲に知られないよう、あえて卑屈な言動をしたり、自虐的になったりするからです。 素直に喜ぶことは自分のプライドが許さず、だからといってそのプライドをかなぐり捨てることは出来ないがゆえに、自己評価は高いのに自虐的といったちぐはぐな言動をしてしまうのです。 [参考記事]• スポンサーリンク 素直に気持ちを言えない ひねくれ者とは周囲が予想する反応と真逆の反応をしてしまう人の事を指しますよね。 ですからひねくれ者とは、いわゆる自分の気持ちに素直じゃない人ということができます。 たとえば褒められたときにはそれを頭から否定してまったく喜ばなかったり、周囲が楽しんでいるときに一人だけ冷めた態度を崩さなかったりなど、一事が万事その調子で、とにかく周りとは違う言動をしてしまうのです。 より分かりやすい例で言うと、恋愛で甘えたいのに逆に冷たい態度を取ってしまう、会いたいのに自ら会いに行こうとはしないというのもひねくれ者の特徴的な言動ですよね。 そしてこのように素直じゃない反応ばかりしているうちに、自分でも何をどうしたいのか分からなくなったり、自分の本音を持て余したりというようなことになってしまいます。 つまりひねくれ者とは見方を変えれば、世渡り下手で不器用な人というようなことになるかもしれません。 素直になればもう少し世の中を上手に渡っていけるはずなのに、それが分かっていても素直になれないのですから周りからかわいげがないなといった評価を受けることが多くなりがちです。 [参考記事]• 周囲を見下している ひねくれ者は素直になれない自分にコンプレックスを抱いていることが多々あります。 ですがそれを素直に認めることをせず、周囲を見下すことで自分のプライドを誇示しようとする傾向にあるのです。 人が他人を見下すのはそうすることによって、自分を優位に置けると考えているからです。 普通なら努力することで優位に立とうとするものですが、ひねくれ者は自分が努力しようとはせず、周囲を下に置くことによって自分の立ち位置を確保するのです。 また他にも自分より他人が優れていると感じたときに起こる嫉妬心からその相手を見下したり、絶対に負けを認めたくないがゆえに負け惜しみで他人を見下すといったこともあります。 このようにひねくれ者というのは自分と他人とを比べ、少しでも自分が優位に立つために周囲を見下すのが主な特徴の一つです。 ただし自分が他人から見下されるのはとても嫌います。 ましてや自分の欠点を人から指摘されようものなら、たちまち攻撃的な性格が表に表れてきます。 これは自分に がために傲慢な態度を取ることで、大きく見せようとするからです。 それが周りから見れば信頼できないひねくれ者と映ってしまうのです。 スポンサーリンク 本音や本性を晒さない ひねくれ者は、素直になることができないという場合もあれば、自分の本音や本性を見せることに怯えていることもあります。 そこには、人からどう思われるのかを恐れている気持ちがあり、晒すことによって弱みを握られると感じている人が多いのです。 本当は辛い、悲しいと思うことがあっても、ひねくれ者はそれを他者に見せることをせず、ひねくれた視点から意見を言ってしまいます。 実際には「言いたい」「言ってしまって楽になりたい」という本音を持っているのに、それを見せてしまえば相手に弱点を見られたことになり、自分の立場が危うくなる、もしくは軽蔑されたり引かれたりすると感じていることが考えられます。 そのため、相手に気付いてもらいたいと心では思っているケースは多いもの。 自分の口から「こうしたい」「こう思ってる」と言うことには抵抗があるものの、相手に「こういうことかな?」「きっとこう思ってるはず」と察してもらうことを望んでいます。 そしてくみ取ってくれた人や気持ちを察してくれた人に対して、距離が縮まったような、分かり合えたような気持ちを持ちます。 自分の本音や本性は晒さない、でも分かって欲しいという都合良い思いを、ひねくれ者は持っているのです。 「ありがとう」が苦手 ひねくれ者は、とにかく感謝を示したり言葉にすることが苦手という特徴を持っています。 そこで「ありがとう」と素直に受け取れば自分の長所として喜ぶことができるのに、ひねくれ者は喜ぶことができず、むしろ嫌味で言われたと間違った捉え方をする人もいます。 ひねくれ者は、育った環境から周りの人たちから、「褒められる」ということに慣れていません。 否定されて育った、いつも「もっと頑張れ」と言われてきた、認められることがなかったという中で成長してきた人は、褒められることに慣れていないためについ抵抗してしまうのです。 「きっと本心では違うことを思ってるはず」とひねくれてしまうのは、それだけ認めてもらえる環境になかったから。 「よく頑張ったね」と言われることにすら慣れておらず、常に上を目指すように指示されてきたり、努力をなかったことにされた環境が影響していると言えます。 ひねくれ者は、人として大事な「ありがとう」を言えず、人間関係においても苦労することが多いのが特徴です。 スポンサーリンク 自分に自信がない ひねくれ者に多い特徴は、自分への自信がないという特徴です。 一見、強く見せていたり、人を馬鹿にしたような発言をすることが多いひねくれ者ですが、元を辿れば自分に自信がないことによる、周りへのあてつけなのです。 感謝の気持ちを表現できない、言えないのもこの自信のなさから来ていることもあるでしょう。 褒められたり嬉しい言葉をかけてもらったのに、「どうせ自分なんか」という気持ちの方が強く、喜ぶことができないのも、元々自分は「ダメな人」「できない人」と思っているからでしょう。 ひねくれた目線で物事を見てしまうのは、自分に対してとても低い評価をしているからです。 ただ、ひねくれ者にだって意地やプライドはあり、低い評価は自分でしても、周りからされたくないという意思を持っている為、周りには「強そうな人」に見せているのでしょう。 「自分なんかが」「どうせ」と口癖にしてしまう人も多く、ひねくれた目線で見ることがその人なりの防衛であることもあります。 底辺を見ること、最悪なケースを想像すること、斜めから見ることで、悪いことやショックなことが起こっても、それに打ち勝つメンタルを保つために、ひねくれているというパターンもあります。 自分に自信が持てないからこそ、ひねくれた目線で見て、免疫を付けようとしていることも考えられるでしょう。 [参考記事]• ひねくれ者になっても良いことはない いかがでしょうか。 ひねくれたくなる気持ちは誰しもが持っているものです。 しかし、その気持ちに従ってひねくれ者になってしまうのはあまり良いことではないでしょう。 一時的なものであれば、すぐに改善できますが、それが普通になってしまい、周りからも「ひねくれ者」だと認識されてしまったら大変です。 あなた自身の気持ちもどんどん落ちていくはずですし、周りからも疎まれる存在になります。 それがさらにあなた自身をひねくれ者にしていくでしょう。 こうして先のことまで考えるとひねくれることにメリットは一つもありません。 そのメンタルに飲まれないように、抗うことがとても大切な予防策といえるでしょう。 また、もしあなたの仕事が上手くいっていなかったり、職場での悩みがあるのであれば「」もあわせて読んでみましょう。 きっと今までの悩みや問題が一瞬で解決できるキッカケをつかむことができるはずですよ。
次の第一者や第二者の意味 「第一者」と 「第二者」という言葉ですが、結論から言うと この2つの言葉は存在しません。 もちろん 「第三者」という言葉は存在しており、 「その件について当事者ではない者をいう」という法律用語です。 ではなぜ「第一者」「第二者」という言葉が生まれたのか。 ちなみに「第三者」は、当事者が2人を超える場合であっても、第四者、第五者…と言うように 数字を増やして用いることはないそうです。 関係者が何人いても、その件に関係していない人は 「第三者」で大丈夫です。 しかし「第一者 二者 監査」という言葉はある 先ほど「第一者」と「第二者」という言葉はないと述べましたが、 『第一者監査』『第二者監査』という言葉は存在するんです。 『第一者監査』の意味とは、 自社による、自社のマネジメントシステムの監査です。 そして『第二者監査』の意味とは、契約の相手側(購入者)の組織が 供給者側の組織を監査することです。 そのように、 「第一者」「第二者」の類語をまとめましたのでぜひご参考にしてください。 言葉の引き出しを増やすのにぜひお役立てください。 まとめ 第一者や第二者の意味と類語を調査し、存在している言葉なのかもご紹介しました。 「第一者」と「第二者」という言葉ですが、 この2つの言葉は存在しないことが分かりました。 もちろん「第三者」という言葉は存在しており、意味は「その件について当事者ではない者をいう」という法律用語です。 第一者や第二者の類語もご紹介しましたので、ぜひ役立てください。
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