ある が まま に 生きる。 あるがままに生きるとは|よくわかる森田療法より

森進一 あるがままに生きる 歌詞

ある が まま に 生きる

これは色んな言い方ができると思いますが、2つ例文を挙げてみました。 一つ目は、「これが私です」という意味の文。 他の誰でもない、これが私という人間です、ということで、 私らしく、私の思うように生きていきます、というニュアンスが伝わります。 二つ目は、私が私であること(その在り方)が好きです、となりますが、 こちらもやはり、ありのままの私でいるのが好き、ということですね。 I see your true colors shining through. というサビの部分は、 「あなたの本当の色が輝いて見える」というのが直訳ですが、 true colorsとは、あなたらしさ、そのままのあなたという意味です。 こういった表現やフレーズは、洋楽の歌詞に良く出てくるので、参考になりますよ。 しかし、上記は他人にアドバイスする場面で使います。 自分を対象に「ありのままに行きたい」と言うならば:「I need to be true to myself」。 例文: I need to be true to myself and find a job I am passionate about. (情熱的になれる仕事を見つけて、自分に正直に生きなければならない) ジュリアン.

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森進一 あるがままに生きる 歌詞

ある が まま に 生きる

「東大話法」批判の安冨歩教授が 五年の歳月をかけて取り組んだ渾身の「老子」新訳! 斬新な解釈が大反響を呼び、中国語や韓国語にも翻訳された『超訳 論語』。 その著者・安冨歩東京大学東洋文化研究所教授が、今度は『老子』に挑んだ。 五年の歳月をかけ、数多く存在するテキストの吟味と綿密な解釈とを経たうえで、 可能な限りわかりやすく現代語訳したものが本書『老子の教え あるがままに生きる』だ。 二千数百年前に書かれた『老子』という書物は、具体的な人名や地名がまったく現れない、 抽象的な議論に終始した内容であるにもかかわらず、長い年月にわたって東アジアの人々の思考の指針であり続けてきた。 それはこの書物の内容の深さと広さとの証明である。 また、欧米の知識人の興味を強く惹きつけ、そのキーワードである「道 タオ 」という言葉は広く流通している。 世界全体を見渡せば、『老子』は『論語』よりもはるかに広く読まれ、大きな影響を与えているのだ。 『老子』がこれほど広く深い影響を与えた理由は、その抽象論が、単なる思考の遊戯ではなく、生きるための実践的意味を持っているからだ。 その言葉を理解するための手掛かりは、本の中にではなく、私たちの生活の中にある。 読者が、老子の言葉を手助けとして日々の困難を乗り越え、 それらの経験によって言葉の意味を感じ取る、という過程が積み重ねられ、『老子』は二千数百年にわたって読まれてきた。 『老子』の思想の根幹は、その動的な世界観にある。 つまり、世界のいかなるものも、動かないものとしてではなく、生まれ、変化し、滅ぶものとして理解する。 そしてそれを、固定した動かし得ないものと思い込んでしまうことの危険性を、さまざまな角度から指摘し、粘り強く繰り返し、叱咤激励する。 一度言われたらわかるようなことではなく、繰り返しさとされなければ、私たちの中に入ってこないからである。 そうすることで読む者は、ここに込められた知恵を、生活の中で把握し豊かに生きる道を見出すことができるようになるのである。 安冨 歩 やすとみ・あゆみ:あゆむ、も可 東京大学東洋文化研究所教授。 1963年生まれ。 京都大学経済学部卒業後、株式会社住友銀行勤務。 京都大学大学院経済学研究科修士課程修了。 京都大学人文科学研究所助手、名古屋大学情報文化学部助教授、東京大学大学院総合文化研究科・情報学環助教授を経て現職。 著書に『超訳 論語』 ディスカヴァー 、『あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。

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ありのままに生きるって英語でなんて言うの?

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森田療法とは? 森田正馬とは? 森田正馬(1874-1938) 1903年に東京帝国大学を卒業後、精神医学を志し精神療法を研究。 東京慈恵会医科大学の初代精神科教授でもある。 森田が精神科医を目指したのは、森田自身が幼少の頃から病弱で、死の恐怖を感じたり、悪夢に悩まされたりし、神経症やパニック発作に苦しんだから。 森田療法とは? 森田療法とは、森田正馬が自らの神経症体験から生み出した独自の精神療法。 森田療法をはじめた時代背景は以下のとおり。 当時、都会では神経衰弱の人が増えていました。 第一次世界大戦後の経済発展や、急激な近代化で社会が急変し、価値観の変化や労働の重圧に耐えられず、心を病む人も増えていたのです。 当時は、工業の近代化により心を病む人が多かった、そして現代は情報化により心を病む人が多いのではないだろうか? 神経衰弱で悩む人達のために、森田の自宅を開放したところから森田療法がはじまった。 森田療法は、森田が自宅を開放し、患者の数十人を滞在させ、共に暮らし作業や患者同士の交流によって治療を行うことから始まった。 共同生活の中で自らの「とらわれ」に気づき、無心の行動で「とらわれ」から脱出する治療法で、妻の協力も大きく貢献したと伝えられている。 認知行動療法と森田療法の違いは? 精神療法で有名なのが西洋の「認知行動療法」と東洋の「森田療法」。 では、「認知行動療法」と「森田療法」はなにが違うのだろうか? 認知行動療法は、不安や症状の原因は考え方の歪みだとし、それを探してコントロールする。 一方、森田療法は 森田療法は、不安は不安としてそのまま置いておき、原因探しはしないのが最大の違いです。 不安感情を例に考えてみると、 「認知行動療法」では、不安を作り出している「認知の歪み」にアプローチし、認知を変えることで不安を消そうとする。 一方「森田療法」では、不安は人間誰にでもある自然なものであり、不安を消そうとするのではなく、まずは、不安があることをあるがまま受け入れよるところからはじめようとする。 しかし、どうして不安を受け入れることで不安を消せるのだろうか? 不安を排除することばかりに目が向き、逆に不安が増すという悪循環に陥っているのです。 不安になることを拒み、不安を消そうとすればするほど、より不安感は増加する。 この状態を森田療法では「とらわれの機制」と呼ぶ。 ただ、 「認知行動療法」にしても「森田療法」にしても、本当の目的は「その人がその人らしく生きられるようにすること」にある。 森田療法の成果への道のりとは? 森田療法と聞くと「すべてをあるがまま受け入れる」というイメージがある。 しかし、あるがまますべてを受け入れてたのでは、現実は何も変わらないのでは?という疑問が、私にはあった。 例えば、自転車に乗れない子供がいるとする。 その子が、自転車に乗るのが不安で、その不安を「あるがまま受け入れていた」のでは、その子はずっと自転車に乗れないままになる。 もしかしたら、みなさんにも「あるがまま受け入れること」=「今を維持すること」というイメージがあるのではないだろうか? しかし、「あるがまま受け入れる」のは最初の1歩であり、 森田療法の本質は「すべてを受け入れながら行動を起していくこと」にある。 本書では森田療法の流れを下記5つのステップで紹介している。 1.悪循環の明確化 不安や緊張に目を向け、そうすることで余計に不安になり緊張が増すという悪循環をはっきりと自覚することが第一歩です。 例えば、「自転車に乗りたい」と思った子供が「自転車で転ぶかも・・・」、「迷子になるかも・・・」と考えると心は不安に感じる。 このとき不安なことばかりに意識を向けると「自転車そのものが恐く」感じてしまう。 しかし、不安を感じる本質は「自転車に乗りたい」という望みがあるからであり、望みがあるから「自転車で転ぶかも」ということに不安を感じていること。 目的(望み)があるから、それに対しての感情(不安)を抱く。 このような考え方を森田療法では「気分本意」から「目的本意」と表わす。 裏にある生の欲望を建設的な行動によって発揮していくことが悪循環脱出のキーポイントだと考えます。 2.感情はそのままに 囚われの悪循環に気づいたら、まず今ある感情をそのままに置くことから始めます。 「自転車に乗りたい」と望むから「自転車で転ぶかも」と不安を感じる。 このとき、気分本意で不安を消すことを優先するならば、自転車に乗ることをあきらめれば、不安を消せる。 しかし、不安が消えると同時に希望も一緒に消えてしまう。 森田療法では「 自転車に乗りたい」と望むのであれば「自転車で転ぶかも」という不安を一緒に受け入れることをすすめている。 森田正馬は不安という感情はあって当たり前の感情であると説き、それを「不安常住」という言葉で表しました。 不安とは人間誰もが抱く感情であること、しかも、自分ができないことにチャレンジするのだから、不安を感じてしまうのは自然なこと。 3.行動優先であると知る 不安はそのままに、結果を生む行動を起こすことを勧めます。 「自転車に乗りたい」と望み「自転車で転んでしまうかも・・・」と不安におびえていても現実はなにも変わらない。 本当に「自転車に乗りたい」と望むのであれば、「自転車で転んでしまうかも・・・」という不安を受け入れたうえで、自転車に乗れるようになる練習をはじめること。 はじめて自転車の練習をするとき、誰もが「転ぶかも・・・」と不安に感じる。 しかし、不安にばかり意識していると自転車の練習がおろそかになり、結果として必ず転ぶ。 練習をはじめたら自転車に乗れるようになった「自分になりきる」こと。 できない自分、弱い自分で良いではないか、現実の自分になりきることが大切で、逃げ出さないことが解決につながる。 今の自分になりきることしか、人にはできないと知ることです。 そうすることで雑念があるがままの自分としてはばたけるのです。 4.生の欲望を再発見する 行動に伴う結果や達成感でより良い状況になります。 医師は患者がどう生きたいのか、何が望みなのかを聞き出し、そのためにもっと行動を起こすことを促します。 患者は、堂々巡りで抜け出し、行動によって結果が得られた経験から、さらなる生の欲望を見つけ出してきます 何度も痛い思いをしても諦めずに自転車に乗る練習をすれば、やがて誰もが自転車に乗れるようになる。 自分ひとりで自転車に乗れるようになれば、痛い思いも忘れて「自転車に乗ってどこかに行ってみたい」という新たな気持ちになるもの。 この「どこかに行ってみたい」という気持ちが、森田療法で言う「生の欲望」になる。 不安や症状の裏側にあるよりよく生きたい健康でありたいといった願望に光を当て実現していく事は森田療法の根幹です。 こうした願望を森田療法では「生の欲望」と呼び、不安があっても行動に踏み出すための最大の原動力としています。 不安におびえてしまうのは、安心して生きたいという願望があるから。 安心して生きたいという願望を持ちながら、今を不安におびえて生きてしまうのはもったいない。 であるならば、いかにして自分は安心した状態を作り出せるのか?を考え、心が安定できるように、自らの足で何かの行動を踏み出す必要がある。 第一に、不安や症状を排除しようと考える「はからい」をやめ、たとえ不快でもそのままにしておくことから始めます。 それよりも、その裏にある生の欲望を建設的な行動によって発揮していくことが悪循環脱出のキーポイントだと考えます。 5.行動が習慣化する 行動が結果を生むことを積み重ね、よりよく生きるためには、悩んだり苦しんだりしながらでも行動することだと体得してきます。 子供が自転車に乗れるようになれば、もう「自転車に乗れない」ことで悩むことはなくなる。 そして、乗れることが当たり前になってしまえば、そのことで悩んでいたことすらも忘れてしまうもの。 森田は「外相整えば、内相おのずから熟す」と述べていますが、これは外相つまり行動を整えれば、内相すなわち気分や感情がついてくるという意味です。 行動に移す前に考えすぎることやめ、なんでもいいから手をつけて行動を起こし作業をしながら考えていくと良い結果が生まれると言っているのです。 問題を前にして考えてばかりいると及び腰になり、できないかもしれないと結果について思いを巡らせたりしますが、素早く行動することがとらわれから脱却するための1番の方法です。 人間は誰でも不安や恐れを抱くもの。 そのうえで、何かを成し遂げる人と不安におびえる人の違いはどこにあるのだろうか? それは、不安や恐れに対して1歩を踏み出せる勇気があるかどうかの違い。 不安や恐れを消そうとするのではなく、不安や恐れを受け入れることで、不安の反対にある希望に気づき、そのうえで勇気を出して少しずつ希望に向けた1歩を踏み出すこと。 これが、森田療法の本質ではないだろうか。 「弱さ」や「できない」ことが問題なのではなく、より良く生きる行動を最優先して悪循環から脱却することこそが問題の解決に繋がると信じて希望を持って生きることが治療の指針です。 まとめ 森田療法は「不安や恐れなどの感情をありのまま受け入れることで、苦しみを軽減する療法だと、お恥ずかしながら私は思っていました。 しかし、「よくわかる森田療法|心の自然治癒力を高める」本を読んで、森田療法の本質は「すべて受け入れた上で行動をしていくこと」にあることに気づき、大変勉強になりました。 薄い本ですが、森田療法で必要なポイントがとてもわかりやすくまとめられており、これから森田療法を学びたい方はもちろん、不安症で悩まれている方、ストレスを抱えている方にも、大変参考になると思います。 森田正馬が森田療法をはじめた時代背景と現代がどこか似ていると感じます。 だからこそ、森田療法のような療法がこれからの時代に必要になるのではないでしょうか? ここまでお読みいただき、ありがとうございました。 今回のオススメの本.

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