SOLDOUT!? 商品名の下に【SOLD OUT】の文字が!いつの間に発売されてたの!?もう売り切れ!?もしかして予約限定発売だったの!?と混乱。 (@@) でも違うページでは【一時停止中】と表示が違っていました。 どういうことでしょう? 困った時のTwitter 最初に見つけたのは、主役の風祭将を演じた中村嘉惟人さんのツイート。 楽しみに待ってくださって方、すみません。 【舞台ホイッスル!DVD】 ご予約頂きました商品に関しまして発送致しました! 商品完成までお時間頂き申し訳ございませんでした。 今週中にお手元にお届けできますのでそれ以降届かない場合等お手数ですが下記お問い合わせまでお願い致します。 info whistlestage. com — 舞台『ホイッスル!』公式 whistlestage それで実際に届いたと写真付きでツイートしてる人がいる。 こんなことになるなら、会場で予約しておくんだったー!改定前が一体どんなDVDなのか見てみたかったです。 TOT でも改定前のDVD届いた人はこの発表ショックですよね。 改定前のDVDを受け取った人にも、改定版が送られるそうですが、そのことも一緒に発表した方が絶対良かったです。 あと、今回のことで製作委員会が赤字にならないかちょっと心配。 もしかして 21日発送された人がDVD見て何か見つけて公式に連絡したのかな?それなら24日に発売延期発表も日数的には合いますね。 あくまで予想ですが。 終わりに 実際の舞台はとても良かったです。 私は全然急いでないので、時間がかかっても一番ベストなDVDを作って欲しいな~と思います。 あと、渋沢役の鮎川さんのツイートが可愛かったのでご紹介。 克朗でした… 樋口先生ごめんなさい TT 100回ノートに書きます。。 名前を間違えるのは良くないけど、この字は間違えやすいですよね。 前に間違えて『カツアキ』って読んでた人もいましたし。 はっきりと書かれていませんが、要約すると改訂版のDVDは発売されません、ってことでしょうか? 3月から何も音沙汰がないので変だとは思ってたんですよ。 樋口先生からの発表はありましたが、このまま劇団から何も発表が無いのは異常なので劇団からの発表も待ちたいです。 (舞台に関しては、原作者では無く劇団の責任なので。 ) なんとかDVDの発売だけはして欲しいです。 発売しない理由がさっぱりわからない。 悲しすぎて吐きそう・・・。
次の7公演観劇しました。 悪いと思ったところを書きます。 エンターテイメント作品を生業とする一方で、人の持つ欠点、コンプレックスを表現することで、役者のエネルギーを生み出す。 脚本ではオリジナルの世界観を作り、そこから年表を作り上げ、作り上げた世界の歴史背景を社会的、心理学的に分析した上で、 そこに存在するであろう人物を想像し動かしていき、説明を省いていく方法を用いた脚本を書くことが特徴。 ある意味で分かりやすい作品を執筆するが、その裏に隠された社会背景、 人間の心理を徹底的に分析し追求する演出を用いる為、解釈を想像させる作品を作る事が多い。 大正浪漫探偵譚シリーズは大きな反響を呼び、満を持しての新作を書き上げ、また新たな鈴木茉美の世界を作り上げている。 現在、多くの演出依頼を受けている人気演出家に成長を遂げているが、基本的に座内の演出/脚本のみに活動を留めている。 それは極度の人見知りである事と、気難しさを自覚している為、座内での演出/脚本しか出来ないと自粛している為である。 最近では、斬新な演出でスポーツ舞台の新たな名作を作り出したと評された 舞台「BREAK THROUGH-壁をつき破れ-」の演出/脚本として参加し成功を収めた。 代表作品として、大正浪漫探偵譚シリーズ、JYUKAI-DENシリーズ等がある。 基本的に膨大な長さの歴史を作って新作を書き上げる事が多いため主人公を中心としたシリーズ化というスタイルの脚本が多くなっている。 90年代のの自己紹介感やばいよ。 ものすごく悪い。 え??主宰ですよね????ベテラン俳優とか色々ひっぱってきて主宰がそれ???????わりとこの話を解釈するのに大事なセリフ言うんだけど滑舌悪いだけじゃなくて、ヘタクソな役者にありがちな声を張ってセリフを言う時ただ怒鳴ってるようにしか見えない現象起きてる。 勘弁してくれよマジで。 公演前のアメスタでこの人に対して名指しで次は滑舌直してねみたいなコメントがあって、「えっこんなとこでそれ言うの!?」って思ったけど、そりゃ言いたくもなるわ。 そうだったら同情するけどこっちも金払ってるからそれなりのもの見せてほしい。 クライマックスで、問題をずっと1人で抱え込んでたAに対してBが「もういろんな奴のこと考えなくていい。 お前はどうしたい?それがなんであろうと俺はお前の味方だ」的なことを言うんだけど、まあその大事なセリフの棒読み加減ときたら…。 AもAで棒。 思い入れとかなんもないの?って思った。 思い入れあってあれだったらマジでやばいよ…なんであれを見てみんな泣いてるのか全く理解できない。 あそこで感動できたらまだ評価違ったかもしれないけど本当にひどかったんで無理ですね。 驚くほど毎公演寝た。 途中からもはや条件反射になってたと思うけど気を失うほど眠くなるんだよ。 話それたけど、シーンぶつ切れでいろんなキャラ同士にスポット当てるから、主人公の影が薄くて全然印象に残っていない。 「俺が俺を信じるから戦う」というセリフはすごく主人公らしかったけど、それまでの2時間の間にそのセリフを裏付けるシーンがない。 大楽見てて、シーンのぶつ切れ具合が少年漫画の「来週に続く」みたいだなと思った。 あと大阪公演マイクなかったのかな?声小さすぎて全然セリフ聞こえなくてなんで今誰もセリフ言ってないの???ってなった。 結果的にはぴどりに金落としちゃったし本気で買わなきゃ良かった。 てかホイッスル舞台化してる時点でだろって思ったんだけど舞台化の詳しい経緯しらねーから違ったらすいません。 ホイッスルの公式サイト見に行ったけどこちらも90年代同人サイトくさいデザイン。 遅えんだよ。 だいたい、スタンプカード4回か5回くらいの時点で希望のキャスト聞かれてんだよ。 だったら在庫切れ起こさないようにその時点でカウントしとけよ。 何のために聞いたのか意味が分かんねえよ。 上記の4人以外の役者の演技と殺陣とアクションと音楽と時間通りに開演するところは本当に素晴らしかったですよ。 後出し特典はまあ死ねよと思ったけど、チケ全然売れてなかったからこんなもんかなと。 こちとらはっぴぃはっぴぃどりーみんぐという制作会社にこれ以上金を払いたくないという強い気持ちに全身が支配されてんだよふざけんな。 zyuru.
次の2020年3月27日はある意味において、日本の戦後演劇の第一幕が降りた日だったのだと思う。 僕は日生劇場で三浦春馬と生田絵梨花が主演するミュージカル、『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』の昼公演の入場列に並んでいた。 並ぶ、と言っても観客と観客の距離は慎重に空けられ、ロビーでは観客の体温を計測する機器がスピードガンのように入場者に向けられていた。 観客の全員がアルコール消毒液で入場前に手の消毒を求められたが、それに不満を言うものはなかった。 だが僕が激しい競争の末にどうにか手に入れることができた金曜日の昼のチケットは、その前日に東京公演の千秋楽に変わることが突然アナウンスされた。 そのたった1日前、3月24日に東京五輪の延期が発表されるまでの作られた楽観ムードとはまるで一変した、仮面を脱ぎ捨てたように強い「要請」だった。 メディアも一斉にそれにならい、「三連休で国民の気が緩んだ、このままでは大変なことになる」と、五輪延期まではなぜかほとんど言及のなかった都市封鎖、緊急事態の可能性がほのめかされた。 「感染症のリスク」という烙印を押された演劇 それは日生劇場だけで起きたことではなかった。 関西の宝塚から下北沢の小劇場まで、あらゆる演劇公演が次々と公演自粛に追い込まれた。 サラリーマン社会を支える満員電車がそのまま継続する一方、「週末」「夜」「不要不急」に属すると見なされた業種や文化が自粛要請の標的となった。 「感染が広がったらどうする気だ」「人殺し」というSNSの非難は、平日に都心に向け出勤する膨大な駅の人波の矛盾を埋め合わせるように、企業社会からはみ出した自営業者や演劇人たちに向けられた。 そのたった2ヶ月前まで、演劇の未来は輝いているように思えた。 のん、能年玲奈や草彅剛と言った地上波テレビから遠ざかった、しかし才能ある役者たちが舞台に立ち、また阿部サダヲや宮藤官九郎という小劇場出身の才能が大河ドラマに上り詰めた。 新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』では伝統芸能と漫画文化が融合した新しい表現が生まれ、2・5次元と呼ばれるアニメやゲーム原作の舞台が圧倒的な興行力を見せていた。 だがその未来は、新しい感染症によって瞬く間に変わってしまった。 生きた人間が声の限りに舞台の上でエネルギーをぶつける演劇の醍醐味は、そのまま感染症のリスクとして致命的な烙印を押された。 演劇は一転して「人を殺すもの」として社会から指弾される存在となっていた。 3月27日の日生劇場はというと…… 2020年3月27日、日生劇場で上演された『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』の公演は、実を言えば満席ではなかった。 先行予約から落選が続発し、当日券の電話回線がパンクして繋がらないほどの人気公演にいくぶんの空席があった理由は、感染を警戒してチケットをキャンセルした観客の存在、そして恐らくはそのキャンセル分を再度当日券に回すことを避け、少しでも劇場の密度を下げて安全性を保とうとする公演側の配慮を感じさせた。 三浦春馬や生田絵梨花をはじめとするキャストたちの演技には、本来なら2ヶ月数十公演を演じるはずだったエネルギーをたった8日で終わる公演に燃やし尽くそうとするような切迫感が満ちていた。 おそらく彼らは、この状況で一度幕が降りてしまえば、東京公演だけではなく地方公演までも上演が困難になること、この日がこの舞台を演じる最後の日になる可能性が高いことを予感していたのではないかと思う。 そして実際に、『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』は二度とその幕を開けることなく、全公演がキャンセルとなったのだ。 生田絵梨花の大きな転機となったであろう舞台 乃木坂46に所属する生田絵梨花は、10歳から音楽と舞台に魅了され、多くのキャリアを積んできた女優だ。 『ロミオ&ジュリエット』『モーツァルト!』『レ・ミゼラブル』などの大舞台を重ね、2018年度の菊田一夫演劇賞を受賞した彼女は、時にその生真面目さと受けた教育の厳格さを映すように、あまりに正しく、教科書通りに演じすぎると観客に評されることもあった。 だがこの舞台でスワローを演じた生田絵梨花には、アメリカの信仰篤い田舎町で育ったヒロインの抑圧と葛藤を表現する情熱と能動性が溢れていた。 『キャッツ』『オペラ座の怪人』を生み出したアンドリュー・ロイド=ウェバーらによって、生田絵梨花が生まれる1年前に作られた名高いウエストエンドのミュージカルは、まるでこの日の彼女のために当て書きされたように役と演者の魂がシンクロしていた。 それは日本を代表する演出家の一人である白井晃の手腕なのかもしれない。 あるいは、昨年に生田絵梨花が演じた舞台、『キレイ』からずっと彼女の中で起きはじめた化学変化が花開く瞬間だったのかもしれない。 「もっと野性的に、猫のように動いて」と『キレイ』の演出家松尾スズキに求められ、私生活でも形を崩して座ってみた、と語る生田絵梨花の演じるスワローには、「こう演じなくてはならない」という100点満点の責任感を、「こう演じたい、演じてみたい」というしなやかな情熱と欲望が半歩だけ追い越すような瞬間があった。 それは昨年「演技については永遠に悩むのだと思う」とインタビューで語った彼女に訪れた変化と飛躍の季節であり、全公演を演じていれば、おそらくは女優として生田絵梨花の代表作と呼ばれ、大きな転機となるはずの舞台だった。 だがその舞台は、たった8日間11公演、限られた観客の前のみで幕を閉じた。 舞台の公式アカウントには公演を批判する書き込み 「ザ・マン」、ただ「その男」と劇中で呼ばれる主人公を演じた三浦春馬は、この戯曲のテーマと同じように、社会の中の鋭い視線の中で主演を務めることになった。 自粛要請から休校要請の解除が語られ始めた時期に他の舞台と歩調を合わせてこの舞台が幕を開けた時、SNSの舞台の公式アカウントには公演を非難する書き込みが相次いだ。 信仰心の強い田舎町に流れてきた謎の男は脱獄した殺人犯なのか、それとも少女スワローが信じるようにキリストなのか、という『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』のテーマは、「演劇は人を救うものか、それとも人を殺すものか」という問いかけとして舞台に投げ返されているように見えた。 演劇はこの国に戻ってくるのだろうか。 時が経つにつれ、この新型感染症は最初に多くの人が考えていたような、夏になり暖かくなればインフルエンザのように収束するものではないということが明らかになりつつある。 感染拡大による自粛要請だけでなく、ロックダウンがもたらす巨大な経済的被害や、それなりに経済的利益で繋がっていた米中という超大国がなりふり構わず互いを非難しあう国際的断絶が始まっている。 世界はもう元に戻れないかもしれない。 国家の強い統制と、貧富の差に分断される新しい世界に演劇の戻ってくる場所があるのか、誰もまだ答えることができない。 年明けに三浦春馬が経験したSNS上の炎上 主演の三浦春馬はこの新型感染症が本格化する前、1月に小さなSNS炎上を経験した。 「どの業界、職種でも、叩くだけ叩き、本人達の気力を奪っていく。 皆んなが間違いを犯さない訳じゃないと思う。 国力を高めるために、少しだけ戒める為に憤りだけじゃなく、立ち直る言葉を国民全員で紡ぎ出せないのか…」というTwitterの書き込みは、ある人々には既婚俳優のスキャンダルを擁護していると捉えられたが、別の人々には「国力」というその言葉選びから、彼が与党の政権スキャンダルを擁護しているのではないか、彼は「右派」なのではないかという解釈も生んだ。 その後、新感染症の拡大にともない政治的な分断は激しさを増していく。 三浦春馬はSNS上ではそれ以上の説明を重ねず、真意は今もわからない。 あるいは彼の中にはある種の「愛国的」な感情があるのかもしれない。 だが、僕があの日に日生劇場で見た三浦春馬は、国家の自粛要請が生み出す「早く公演を中止しろ」「そもそも幕を開けるべきではなかった」という世論の風に反する形で舞台に立っていた。 終演後のカーテンコールで主演として観客に公演の打ち切りを説明する彼の言葉には、少しでも不用意な発言をすれば「公衆衛生に反した」と公演そのものが指弾されかねない、鋭い刃の上を歩くような緊張感があった。 カーテンコールでキャスト一人一人に気を配り、小学生の子役にまで「君はこの昼公演が東京のラストになってしまったから」と挨拶の場を与えようと心を砕く三浦春馬が、この国の中枢部で、自粛要請で困窮する貧困層の問題に冷たく他人事のような答えを返す人々と同じ側にいるようには思えなかった。 その後4月に出版されたエッセイ集「日本製」の中で47都道府県を回り、沖縄で伝統芸能に、福島で農業復興への試みに、広島で『ヒロシマを語り継ぐ教師の会』から被爆の記憶と反戦の思いに耳を傾ける三浦春馬は、かき消される小さな声を聴き取ろうとする繊細で生真面目な青年に見えた。 舞台や大衆が生田絵梨花にもたらしたもの あるいはそれは僕の願望にすぎないのかもしれない。 舞台『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』で、少女スワローが三浦春馬演じる「その男」をキリストだと信じようとするように、分断する世界の中で、演劇という文化が富裕層の膝の上で遊ぶ愛玩犬ではなく、「人々の側」にいてほしいという期待なのかもしれない。 名高い音楽プロデューサーを遠戚に持つ生田絵梨花はドイツのデュッセルドルフに生まれ、中学3年生の時にグランドピアノを買い与えられ、自宅の防音室で練習を許された。 経済的に分類するなら紛れもなく富裕層の階層に生まれた彼女は、本来なら大衆と交わらない道を歩いていたのかもしれない。 しかし彼女は15歳から所属したアイドルグループで、出会うはずのない多くの他者と出会った。 弟の学費を稼ぐために芸能界に入り、目的を果たすと引退し二度と戻らなかった友人や、外国籍の母を持ち小学校から不登校を経験した仲間、そして『レ・ミゼラブル』で演じたコゼットや『キレイ』で演じた暗い地下室で忌まわしい記憶と共に育った少女ケガレの魂、そうした他者との交わりは生田絵梨花に何をもたらしたのだろうか。 ウイルスが単純に宿主を殺すだけの存在ではなく、時には生命情報を変え、進化に影響を与えるという仮説のように、成長の季節を迎えた生田絵梨花の声と演技に、僕はその変化の向こうにある彼女の魂について考えていた。 いつか来る演劇文化の「復活の日」 この状況下で演劇を守ろう、とする試みも始まっている。 4月24日には演劇プロデューサーの松田誠氏により、舞台専門プラットフォーム『シアターコンプレックス』が立ち上がった。 舞台公演の映像配信や今後の舞台のライブ配信、独自番組の制作によって演劇界を支援しようというプロジェクトで、5月1日からクラウドファンディングも開始される。 それはいつか来る演劇文化の『復活の日』に向けた生存戦略のひとつだ。 あの3月27日以来、東京近郊の劇場で大きな公演は行われていない。 演劇がもう一度、この国に戻ってくる日のことを、『ホイッスル・ダウン・ザ・ウインド』最後の舞台の観劇以来、僕はずっと考えている。 貧富の差に分断された社会に、生きた肉体を持つ役者たちがもう一度、自由と安全の矛盾の中で舞台に立つことができる日のことを。 三浦春馬はあの日、最後の舞台挨拶で「この産業はとても血の通った仕事だと自負している」と語っていた。 彼が演じたザ・マン、ただ「その男」と呼ばれる正体不明の男は、閉塞した田舎町で魂の救済を求める少女スワローに答えようとキリストを演じ始める。 ウエストエンドでロングランを重ねた名作戯曲、罪人がキリストの代わりになる物語は、「演じる」という人類の古い行為そのものについての寓話であるように僕には思えた。 三浦春馬や生田絵梨花たちが舞台に戻る日、変わってしまった新しい世界に演劇が戻り、この国に新しい舞台の第二幕が上がる日を僕は待っている。 僕がこの国で見た最後の舞台、それでもあなたは殺人者ではなく人を救う存在になりえるはずだ、と「ザ・マン=その男」に訴えるスワロー、生田絵梨花の、演劇そのものに対する問いかけのような声を記憶の中で思い返しながら。 (CDB).
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