自分 で 自分 の 首 を しめる。 自分で自分の首を絞める 類義語

首を絞めるのが癖になって…倒れてしまいました

自分 で 自分 の 首 を しめる

自分で自分の首をしめるの言い換えや別の言い方。 ・意義素類語自らの行動によって自分を苦しい状況にすること自分で自分を追い込む ・ 自分を追い込む ・ 自分を追い詰める ・ 自業自得に陥る ・ 自業自得になる ・ 自滅する ・ 自爆する ・ 自分で自分 類義語: 自分で自分の首をしめるとは 自分で自分の首を絞めるの言い換えや別の言い方。 自分でも気がつかない 慣用句? 「自分の首を自分で締める」の身近な例を教えてください。 経験例でなくてもいいです。 牛や豚はどのようにして絞められるの? 普段自分が食べている肉がどのような工程を経て手元に来ているか興味があり、質問させていただきました。 「絞める」を「締める」と書くのは誤りではないが、このことわざの場合は「絞める」が一般的。 【類義】 粘綿で首を絞める/真綿で喉を締める/綿にて首をしむるが如し 【対義】 - 【英語】 To be hanged on a fair gallows. (美しい絞首台で縛り首にされる) 自分(じぶん)の類語やシソーラス。 [英] self; oneself[使い方]〔自分〕 自分のことは、自分で決めろ〔自分自身〕 自分自身を大切にしなければならない〔自己〕 自己の生き方を考える 自己満足 自己流〔己〕 己の考えに固執する[使い分け]【1】「自分 私は最近、自分の首を締めることがあります。 そのことで質問です。 前に本で自分の首を自分で締めて死ぬという話を見ました。 제 손으로 무덤을 파서 재미있어? 経験例でなくてもいいです。 こんばんは。 最近、それにピッタリの経験をしましたので、話さずにおれなくなりました。 「自分で自分の首を絞める」の身近な例を二つばかり。 今回ご紹介する言葉は、ことわざの「鬼の首を取ったよう」です。 言葉の意味・使い方・由来・類義語・対義語・英語訳についてわかりやすく解説します。 弟子:「結婚するということは、自分で自分 便利さを追い求めることは、 尋章摘句 、地球環境を破壊し、いずれ自分で自分の首を絞めることになります。 尋章摘句 というように、自分に与えられた仕事だけを考えるのではなく、全体を考えて仕事をし 自分で自分の首を絞めている韓国 ただ、この2つの台風も、国民が貧しくなったのも、全て南朝鮮が蒔いた種なんですね。 自分で蒔いて、諸外国に感謝もせず搾取ばかりしていたから、その実を自分で刈り取らなければならなくなったのです。 意 味: 自分が行ったことのために自分自身が苦しむことのたとえ。 読 み: わがかたなでくびきる 解 説: 出 典: 英 訳: 用 例: 類義語: 自縄自縛/我が脛に鎌/我が手で首を絞める 対義語: 運命 わ 「締める」と「絞める」の意味の違い 【締める】固く結ぶ 【絞める】首をしめる 「締める」と「絞める」は、どちらもシメルと読む異字同訓語です。 「締める」は、ひもなどを固く結ぶ、ゆるまないようにするという意味です。 自分の都合のいいようにしか考えがいかず言動を繰り返してしまったり、最後は自分の首を絞めてしまわないよう心がけていきたいですね。 この記事では意味の捉え方で評価の変わる「明哲保身」の意味や英語・類義語、使い方を例文を用いてご紹介して 今回ご紹介する言葉は、ことわざの「鬼の首を取ったよう」です。 言葉の意味・使い方・由来・類義語・対義語・英語訳についてわかりやすく解説します。 ネックは、ボトルネックの同義語とされ、弱点・障害の2つの意味合いを持ちます。 ネックが指し示す事柄が人や物の特性である場合は、ネックは弱点という意味です。 またネックが指し示す事柄が、スムーズな進行の妨げとなる場合、障害という意味合いを持ちます。 得隴望蜀【とくろうぼうしょく】の意味と使い方の例文(語源由来・類義語) これ以上便利になったら、人間が働く場所がなくなって、自分で自分の首を絞めることになると思うんだけど・・・。 便利さを追い求めることは、 尋章摘句 、地球環境を破壊し、いずれ自分で自分の首を絞めることになります。 尋章摘句 というように、自分に与えられた仕事だけを考えるのではなく、全体を考えて仕事をし 慣用句?「自分の首を自分で締める」の身近な例を教えてください。 経験例でなくてもいいです。 車に関する質問ならGoo知恵袋。 あなたの質問に50万人以上のユーザーが回答を寄せてくれます。 あなたの疑問と同じような質問や、あなたの疑問を解決するような回答がないか探してみましょう。 人は自分で「苦しみ」を創りだしています。 それは自分で首を絞めているのと同じです。 それなのに、どうして私はこんなに苦しんだろう? と言っています。 あなた自分で自分の首を絞めてますよ~ と言っても、 自分で首を締めながら、 そんなことはない! [類義語] 宝の持ち腐れ スポンサードリンク. Vol. この週一番の. 忙しさだろう. 明日が忙しいのなら [意味] 先延ばしにしようとしても, その後にそれをする時間があるとは限らない. 発音ガイド: 自分の首を絞める の発音の仕方を日本語のネイティブ話者の発音から学びましょう。 自分の首を絞める の 「首になる」の例文. その取引の失敗で、会社に多大な損失を与えた責任で、 首にな った。 売り上げが低迷して、その店舗の閉鎖が決まり、従業員は全員 首になる 予定だ。 ; 社長と意見が合わなくて喧嘩になり 首にな った彼は、今、自分の会社を立ち上げ、社長として成功して幸せそうにし ただし、これは自分に完璧を求める「裏返し」のため、完璧主義がますます強化されるスパイラルに陥ります。 つまり、他人を許せない態度は、自分で自分の首を絞める悪癖なのです。 世の中は、白か黒かという「二択の評価基準」で成り立っていません。 「身から出た錆」という言葉をご存知でしょうか。 「身から出た錆だよ」「身から出た錆だと思う」などと使います。 日常会話でも比較的使うことが多いので、見聞きしたことがある人がほとんどだと思います。 では、「身から出た錆」と聞いてどのようなイメージをしますか。 「頭の上の蠅を追え」は、 人の世話を焼くよりも、まずは自分のことをきちんとするべきだという教え です。 誰かのそばで飛んでいる蠅の心配をする前に、自分の頭の上を飛んでいる蠅を追い払うべきだということを表しています。 自分で自分の首を絞めている事に気づいていないんですよね。 で、気づいたら自分の周りに誰もいない、みたいな。 私は2016年にうつ病になって過去の自分と向き合っていて、 「俺、こういう事してたかも・・・」と思うようになりました。 一般的に広く使われている「締める」、特にしめ殺すという意味で使われる「絞める」、あき間をふさぐという意味のある「閉める」、そして占有すると同義語の「占める」がありました。 それぞれの意味を正しく理解し、上手に使い分けましょう。 【解説】【解説】自分の刀を使って自分の首を切るように、自分自身がやったことで苦しむこと。 【類義語】自縄自縛。 慣用句?「自分の首を自分で締める」の身近な例を教えてください。 経験例でなくてもいいです。 車に関する質問ならGoo知恵袋。 あなたの質問に50万人以上のユーザーが回答を寄せてくれます。 あなたの疑問と同じような質問や、あなたの疑問を解決するような回答がないか探してみましょう。 正しくない可能性があります。 ご了承の上、お読み下さい。 )昨晩は、韓国の高校生からと思われるメールを紹介させて頂きました。 韓国の高校生も考える『韓国の問題点』というものについて考えてみたいと思います。 自己顕示欲が強い人の中には本当の自分を見られたくなく、等身大以上の自分の存在をアピールしようする人もいます。 虚栄を張る心理として自分の弱みを見せると周りの人が自分の元から去ってしまうという恐怖や不安が考えられます。 仕事を上手にこなすことができる人には、職場の中でも一目置かれる存在でしょう。 自分もどのようにすれば、仕事が上手にスムーズにこなすことができるのだろうと悩んでしまう人も少なくありません。 仕事を上手にこなすコツ9選と仕事を上手にこなす人の特徴4つをご紹介します。 太い首の夢は仕事運・金運・健康運の上昇を暗示し細い首の夢はあなたが疲れ気味であり地位も不安定で経済的にピンチに陥ることを暗示しています。 また首がない夢や首を切られる夢はあなたのミスや悪い噂によりピンチに追い込まれることを、自分の首を拾う夢や自分の首をくっつける夢は 知識のある人は片寄った考えをしてしまい、他が見えなくなるということを言っています。 そしてこの「一辺倒」は、中国の政治家毛沢東(もうたくとう)が論文で使用し、日本でも様々なシーンで使用することが多くなりました。 投稿ナビゲーション.

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「たらしめる」の意味と使い方・類語・用法と言い換え方法

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どうも私は自分で自分の首を絞める傾向があるようです。 うまく言えませんが、損な性格と言うか、 冷静に考えれば後々苦労するのは自分なのにいつのまにか行動がそうなっています。 対人関係はそれが顕著な気が。 自信がないからか、仲良くなりたいのにどうしても疎遠になるようになってしまって。 自分は何がしたいんだろう。 対人だけでなく、本当何もかも損な性格なんです。 不器用すぎるというか。 治す努力はしているつもりです。 まだ足りないのでしょうか。 生きていける気がしないのは、これがかなりあるからだと思い始めました。 自分は究極のマゾで、自分を不利な状況に追い込んで悲劇のヒロインをきどっているのかと思うと、気持ち悪くて自分を殺したくなります。 こんなこと、聞いたところで知らねえよって感じですよね。 すみません。 でも、私が自分の首を絞める行動を無意識にとっているのは、なぜなんでしょうか。 自分が嫌いだからそうするのか、不利な状況にいる自分が好きなのか。 もし好きだとしたら耐えられません。 そんなうぬぼれた奴はもっとも嫌いなタイプなのに、それが自分なんて。 もしそうなら受け止められません。 補足延々と考えてしまって疲れました。 まさに自分で自分を疲れさせて、バカですよね。 何も手につかなくて無駄な時間を過ごしてる自分は、やっぱり死ぬべきではないでしょうか。 人間関係路を上手く築けない人は自分自身と上手く付き合えない 傾向があるように思います。 自分と上手く付き合えないということは自分自身を自分の手で 成長をさせることが出来ないということです。 だから、どちらかといえば自分で出来ないと思えることは 他人任せにしがちになることで他人が離れていってしまう ようになっているのだと思います。 いまの状況から抜け出したいと思うのならば、まずは自分で 色々なことが出来るように少しでもしていくことです。 もちろん他人の助けを借りることも必要でしょう。 でも目的は自分が出来るようになるための助けをしてもらうことで 何から何までやってもらうことではありません。 そうやって、自分を成長させていけば自分一人でどうにか出来る と少しくらいは思えるようになるでしょう。 そして、一人でも大丈夫だとおもえるようになれば、たとえ他人から 見放されるようなことがあったとしても何も怖くないはずです。 頼りになる自分がいることはとても心強いはずです。 だから他人の思惑を考えることなく人との付き合いも出来るように なるのです。 問題があったらいつでも一人に戻れるのですから。 すべての人間に完成された人なんて一人もいません 多かれ少なかれ長所短所はあります あなたにもきっと、素晴らしい点があるはずです 反省する事も大事な事ですが 人間生まれてきた以上楽しい人生を送るべきです そのためにはプラス思考は欠かせないと思います マイナス思考では人生暗く、せつなく、悲しいです 結婚する相手もマイナスの欠点が気に入って ゴールインするわけではなく プラスの良い点が気に入って信頼するわけだし 良い点も悪い点もすべて見てもらえばいいのです これが僕でース、これが私でース でいいと思います 素直な自分になること、作り上げる事もなく 自然体でいいじゃないですか 人を思いやる心 を大事にして くよくよせず 頑張って生きてください.

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自分で自分の首を絞める: 100万人の中国語

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その悪影響は数字で出ている。 9%と14カ月連続のマイナス。 同11月の鉱工業生産指数は2013年4月の水準に落ち込んだ。 同じく11月の倒産件数は3カ月連続の増加、特に飲食店の倒産は年間最多ペースだという。 20年度当初予算案は、歳出規模が102. 6兆円である。 マスコミ各社は、これを放漫財政などと批判するが、間違っている。 この歳出規模は前年度比1. 2%程度の増額に過ぎない上に、消費増税によって家計に2~3兆円程度の恒久的な負担を課したのだから、令和元年度補正予算4・3兆円を含めても、積極財政にはほど遠い。 そもそも、昨年話題となったMMT(現代貨幣理論)が示すように、日本の財政破綻があり得ない以上、財政赤字の評価は、その規模ではなく、インフレ率で判断すべきものだ。 すなわち、デフレ・ディスインフレである以上、日本の財政支出の規模は、少なすぎると評価しなければならない。 MMTと聞いただけで、「インフレが高進して制御できなくなる」などと紋切り型の反応をする論者が後を絶たない。 かかる批判の愚劣さについては、すでに書いたので繰り返さない(本誌19年8月号『消費増税も量的緩和も愚の骨頂』)。 ここで問いたいのは「20年もデフレから脱却できない国が、国内外で景気が悪化している時に、消費増税をすべきであるなどという経済理論が、いったい、どこにあるのか」ということだ。 経済学通ぶって、MMTを「トンデモ理論」扱いしたければ、それでも結構。 しかし、MMTに批判的なクルーグマン、サマーズ、ブランシャールといった主流派経済学者ですら、デフレ下での消費増税を批判し、財政赤字の拡大を提言しているのである。 つまり、デフレ下の増税などというものは、わざわざMMTを持ち出すまでもなく、教科書的な経済学においてもあり得ないのだ。 それを正当化する理論があるとしたら、それこそ「トンデモ理論」の類いであろう。 しかも、デフレ下での消費増税が消費の減退とデフレをさらに悪化させることを、我が国は1997年と14年の2回にわたって、実証している。 景気が悪化すれば税収も減少するから、結局、財政健全化は達成できないことも、学習済みだ。 この上、さらに増税すれば何が起こるかは明らかなはずだ。 しかも、繰り返すが、昨年は国内外ともに景気は後退していた。 それにもかかわらず、日本の政界・官界・財界そしてマスメディアの大半は、財政赤字の削減や消費増税を疑うことなく、むしろ正論と思い込んで支持した。 特に、消費増税によって大きな打撃を被るはずの経済界は、消費増税を強力に支持した。 自殺行為としか言いようがない。 このような政策判断が平然と行われたという異様さに、私は恐怖すら覚える。 野心にとり憑かれた井上準之助蔵相 Photo:Jiji Press 国内外が不況であるにもかかわらず、緊縮財政を断行するという愚行の記録は、日本の近代史にもある。 最悪の例は、昭和初期に、民政党の浜口雄幸内閣の下で、井上準之助蔵相が断行した「金(輸出)解禁」である。 「金解禁」とは、第一次世界大戦を契機に離脱していた金本位制への復帰を指す。 金本位制とは、自国通貨を固定レートで金と交換することを約束する制度である。 金本位制下の国は、一定量の金準備を必要とする。 したがって、例えば、財政支出の拡大が輸入増を通じて国際収支の悪化をもたらすと、金準備が不足してしまうので、財政支出を制限して輸入を減らさなければならない。 こうして金解禁(金本位制復帰)は、財政規律を強制したのである。 当時、金本位制は、言わば文明の根幹をなす基本的な制度と信じられており、大戦後の欧米諸国も、順次、金本位制への復帰を果たしていた。 こうした潮流の中で、日本も金本位制への復帰を目指していた。 しかし、当時の日本は、27年の金融恐慌の爪痕がまだ残っており、為替レートも低位の状態であった。 このため、金本位制への復帰は見送られてきたのである。 だが、井上蔵相は、金解禁の断行へと邁進した。 彼の論理は、こうだった。 政府が財政を緊縮し、国民も消費を節約すれば物価が下がり、輸入も減る。 そうすれば、為替レートが上昇する。 そういう準備を行った上で、金解禁を実施すれば、問題ない。 これは、当時の主流派経済学の教科書通りの論理ではある。 しかし、要は、金解禁の準備のために、デフレ政策を行うというのである。 そんなことをすれば大不況になるのは当然であった。 しかも、もっとまずいことに、金解禁実施の直前の29年10月、世界恐慌の端緒となったニューヨーク株式市場の大暴落が起きていたのである。 それにもかかわらず、30年1月、金解禁は断行された。 その結果、金が大量に流出し、世界恐慌の影響が日本を直撃し、昭和恐慌が勃発した。 しかし、井上蔵相は、緊縮財政を強硬に押し通した。 翌31年9月18日には満州事変が勃発し、さらに、その直後には、金本位制の守護者であったイギリスが金本位制から離脱した。 それでもなお、井上は路線変更を拒み続けた。 結局、31年12月に民政党政権(第二次若槻礼次郎内閣)が倒れ、政友会の犬養毅内閣が誕生したことで、緊縮財政路線は終わった。 そして、蔵相高橋是清の下で、金輸出再禁止が実行され、「高橋財政」と呼ばれるケインズ主義的な積極財政政策が行われた。 この高橋財政が昭和恐慌からの脱出を実現したのは、周知の通りである。 しかし、井上は、下野した民政党の筆頭総務としての立場から、高橋による金輸出再禁止を攻撃し続けたのであった。 後知恵で考えるならば、国内外ともに不況というタイミングで、緊縮財政を行った井上の政策は愚行と言うほかない。 しかし、浜口内閣が金解禁を掲げた時、それに反対する声は、財界、学界そしてマスメディアにおいても、少数だった。 当時、金本位制は、欧米諸国においても、文明の根幹をなす制度であると固く信じられていたからだ。 当時の主流派経済学においても、金本位制は疑うべからざる仕組みであり、それに異を唱える経済学者は、日本のみならず海外でも、異端であった。 こうした当時の知的・政治的環境の下において、大勢が金解禁に傾いたのも無理はなかった。 しかし、注目すべきは、かかる状況においても金解禁に反対し、緊縮財政の危険性を理論的に理解していた者が少数とは言え、存在したという重要な事実である。 「緊縮財政」に松下幸之助の嘆き 最も有名なのは、言うまでもなく、高橋是清である。 高橋がケインズ主義的な「高橋財政」を行ったのは、ケインズの主著『雇用・利子・貨幣の一般理論』が刊行される前のことだった。 高橋は、ケインズの理論を知らずして、ケインズと同じ理解に達していたのである。 例えば、高橋の次の言葉は、ケインズ経済学の有効需要の原理や乗数効果を先取りしたものとして、後世の研究者を驚かせたものである。 〈緊縮といふ問題を論ずるに当つては、先づ国の経済と個人経済との区別を明かにせねばならぬ。 (中略)更に一層砕けて言ふならば、仮にある人が待合へ行つて、芸者を招んだり、贅沢な料理を食べたりして二千円を費消したとする。 (中略)即ち今この人が待合へ行くことを止めて、二千円を節約したとすれば、この人個人にとりては二千円の貯蓄が出来、銀行の預金が増えるであらうが、その金の効果は二千円を出ない。 しかるに、この人が待合で使つたとすれば、その金は転々して、農、工、商、漁業者等の手に移り、それが又諸般産業の上に、二十倍にも、三十倍にもなつて働く。 ゆゑに、個人経済から云へば、二千円の節約をする事は、その人にとつて、誠に結構であるが、国の経済から云へば、同一の金が二十倍にも三十倍にもなつて働くのであるから、むしろその方が望ましい訳である。 茲が個人経済と、国の経済との異つて居るところである〉 高橋は、この洞察を経済理論からではなく、自身の豊富な実務経験から得たのであろう。 だが、このような発想は高橋だけのものではなかった。 政友会の大物政治家三土忠造も『経済非常時の正視』(1930年)の中で、緊縮財政が消費の減退とデフレを招くメカニズムを正確に示していた。 〈先づ政府が一番大きな消費者であり、次は地方公共団体である。 この大なる消費者が急に財政を緊縮して事業の中止又は繰延を行ひ、物資の購入を激減し、事業に従事する多数の人々の収入を杜絶する結果として、生産者及商人に大影響を及ぼし、これ等の人々の購買力を減退せしめることは明かである。 又政府の奨励に従つて多数国民が消費を節約することになれば、これが生産者及販売者の利益を減少せしめることも云ふを俟たない。 即ち国家及び公共団体並びに多数国民が急に消費を減少するだけでも、経済上に相当大なる打撃を与へ、不景気を招来することは初めより明かであるが、それよりも更に不景気を深刻ならしめるものは、之に依つて起る所の物価先安見越である。 (中略)苟も常識あるものは如何なる品物でも今買ふよりも後になつて買ふ方が利益であると云ふ打算をする。 かくの如くにして物価先安見越が強くなつて来れば、一般に差当り止むを得ざるものゝ外は購入を見送る気味に一致する〉 実務家のセンスから、ケインズと同じ洞察に達したのは、高橋や三土のような政治家だけではない。 かの松下幸之助も、当時、こう考えていたという。 〈緊縮政策もここまでくると、自分で自分の首をしめるがごとくことさらに不景気を造っている(中略)物を使った上にも使ってこそ、新たなる生産が起り、進歩となって不景気が解消され、国民には生気がみなぎり、国力が充実されて繁栄日本の姿が実現するのだ。 それにはかかる政策はことごとくその反対の結果を招来するものである。 私のような学理を知らない者にとっては不思議でならなかった〉 「学理を知らない」松下が訝しんだ緊縮政策を断行した井上は、エリート中のエリートであった。 二高で高山樗牛と首席を争い、東大法学部に進み、卒業後は日本銀行に入り異例の昇進を遂げる。 19年日銀総裁、23年には大蔵大臣、27年から28年にかけては再び日銀総裁を務めた。 しかし、この経歴から明らかなように、井上もまた豊富な経験をもつ実務家であった。 しかも奇妙なことに、彼は29年夏に民政党に入党する直前までは、金解禁は「肺病患者にマラソン競走をさせるようなものだ」と述べていたのである。 それが、民政党政権で蔵相となるや、突然、金解禁論者の最右翼に豹変し、少なくとも公式には、死ぬまで自説を改めなかった。 なぜ、井上はこのような頑迷な姿勢を貫いたのか。 「怨念」吸い上げるポピュリスト勢力 井上は、浜口内閣の蔵相に任命され、金解禁を政策課題として与えられた際、かつて誰も為し得なかった金解禁を実現して、歴史に名を刻みたいという野心にとり憑かれたのだ。 そして、その政治的野心が、冷静な情勢判断を妨げたのである。 金解禁後、その失敗が明らかとなったが、失敗を認めることは政治的敗北を認めることに等しい。 批判の声が高まれば高まるほど、井上はますます己の立場に固執せざるを得なくなるというディレンマに追い込まれた(中村隆英『昭和恐慌と経済政策』)。 しかし、井上が自らの政治生命を守ることに執着したせいで、国民、特に中小企業と農民層が絶望的な困窮に追い込まれた。 既存の支配層に絶望した彼らは、過激な右翼思想へと引き込まれていった。 井上の緊縮財政がもたらした危機がファシズムを生み、日本を軍国主義へと駆り立てたのだ(長幸男『昭和恐慌:日本ファシズム前夜』)。 これと同じことが、この令和の時代にも繰り返されようとしている。 なぜ、景気後退にもかかわらず、消費増税は断行され、財政健全化路線が続くのか。 おそらく、2012年の消費税増税法案の成立を推進・支持したエリートたちは、金解禁に邁進した井上のように、「先人が成し得なかった悲願の消費増税を自らの手で実現する」という政治的野心に駆り立てられたに違いない。 それなのに、今さら景気後退を理由に、消費増税の凍結や積極財政に転じるなどということは、あり得ない。 それは、彼らの政治的な敗北を意味する。 その結果、国民がどうなろうと知ったことではない。 不況の理由など、他に探せばいくらでも見つかる。 こんな調子で、内外の景気後退期に消費増税を行うという愚行が粛々と行われたということではないか。 さらに残念なことに、平成・令和の時代には、高橋是清や三土忠造のような政治家も、松下幸之助のような企業人も、全くと言っていいほど現れなかった。 それどころか、経団連や経済同友会は、さらなる消費増税を求めている始末である。 松下が言った通り「自分で自分の首をしめるがごとくことさらに不景気を造っている」のだ。 現代の財界人は、かつて松下がもっていたような実践感覚をすっかり失ってしまったようだ。 日本が長期停滞から抜け出せず、没落の一途をたどっているのも当然である。 その結果、苦境に陥った中低所得者層や若年層は、エリート層に対して強い不信を抱くようになるだろう。 そして、彼らの怨恨を吸い上げるポピュリスト勢力が必ず台頭する。 こうして、日本の政治も経済も混迷に陥って収拾がつかなくなるだろう。 その兆候は、すでに表れているのではないか。 現代人は、戦前の支配層の弱さや愚かさを反省したり、嘲笑したりするのを好むが、自分たちもいつか来た道を歩んでいることをもっと自覚した方がよい。 著者プロフィール 中野剛志(なかのたけし) 評論家 1971年、神奈川県生まれ。 元・京都大学工学研究科大学院准教授。 専門は政治経済思想。 1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。 2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。 2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。 主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(ともに集英社新書)、『国力論』(以文社)、『国力とは何か』(講談社現代新書)、『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)、『官僚の反逆』(幻冬舎新書)などがある。

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