プロフィール Profile 「結婚式を、もっと手軽に」を合言葉に、「手が届く」非日常空間を、たくさんの新郎新婦に届けることが私のミッションです。 4人兄弟姉妹の長女として京都府宇治市にて育ちました。 高校は理系の進学クラス、大学も理系の大学でした。 ブライダルとはまったく関係がない経歴なため、本人もしばしば忘れそうになるのですが 笑 、最終学歴は京都にある国立大学大学院です。 癌治療関連の研究で試験管を振る毎日でした。 部活動については、高校時代はアーチェリー部、大学ではオーケストラ部でヴァイオリン奏者でした。 両方とも初心者で入部し、1から練習して頑張りました。 新卒で入った会社は東京・有楽町に本社を構える食品会社。 本社の商品開発部に配属されて丸4年、開発業務を行いました。 当時、市場調査という名のもとに、たくさんのレストランを食べ歩いた経験で舌を十分に肥やしたことが、今のウェディングでの料理の味チェックにしっかりと活きています^^ そして、テレビで偶然、ウェディングプランナーの仕事を追いかける番組を観たことがきっかけでウェディングプランナーを志し都内のプロデュース会社に転職。 非常にタフな会社でしたが、ここでの経験によって、どんな場所でも結婚式の会場につくり上げられる力が身につきました。 とても感謝しています。 その後、引越しを機に埼玉にあるゲストハウスに転職。 業務内容は同じウェディングプロデュースですが、2年目からはマネージャーとして、担当のお客様を持たずに全体の管理や採用などを担当しました。 管理職だったので、当時の私がウェディングを担当できたのは、別のプランナースタッフにクレームをされたお客様のみでしたが、そのお客様にしっかりと寄り添い、向き合い、常に私のできるベストを心がけ続けることで、多くの大好きなお客様に出会うことができました! そんな経験を積む中、会社勤務のプランナーとして現場を見るにつけ、真に新郎新婦さんのためのウェディングが業界でできていないこと、式場でのプランニングでは新郎新婦さんにベストな提案ができないことがストレスとなりました。 10年、20年先の、これからのウェディングを作っていくために、また、上にご紹介した私のミッションを実現させるためには独立が良いと判断。 2010年にMarriage Link を創立することにいたしました。 ちなみに趣味は車の運転(マニュアル車の運転できます)と温泉。 最近頑張っているのはゴルフです。 ここまでお読みいただき、ありがとうございました! 伊藤 綾乃.
次の地下アイドル:伊藤綾乃が解雇で脱退 伊藤さんの解雇について、所属事務所である「ONE COLOR」は次のように明かしています。 「東京での交通が便利」 「タダ宿」 「芸能活動にメリットあるから」 などの非情な発言を繰り返し、 スタッフの気持ちを利用していました。 (本人が弊社タレントにそう話していたのを複数確認しています) このスタッフは処分を受けました。 契約内容にも、 もちろん関係者及びファンとのプライベートな接点は禁止しています。 同様に彼女が 熱心に通っている宗教の勧誘も何度も複数人が受けており、 両事案の相談を複数タレントから受けておりました。 上記の通り、伊藤さんはスタッフと私的に関係を持った上に、マルチ商法や宗教の勧誘を行っていたのです。 当初、これらの内容は全て伏せられており、彼女の解雇についても 「契約違反」とだけ説明されていました。 しかし、一連の騒動を伊藤さんが自身のTwitterで暴露してしまったのです。 ちなみに、伊藤さんが解雇された理由は上記の2点だけではありませんでした。 実は、第三者に対して 「名義貸し」を斡旋しており、そこから利益を得ていたのです。 タレントから更に別の相談を受けました。 その内容は伊藤綾乃が 「携帯の名義貸し」をさせてギャラを払うなどの 商売及び 斡旋をしているということでした。 この事実を知り、 すぐに 警察への相談をし、 今後警察の指導に従っていくこととなりました。 上記の通り、「名義貸し」に関しては警察沙汰にまで発展していたのです。 現在のところ、なぜ伊藤さんが「名義貸し」を行っていたのかは不明です。 しかし、事務所としては 「犯罪に加担している可能性」を否定できないため、解雇に踏み切ったというわけです。
次の私はいたって普通の変人のようです。 学生のときまでは、かなり真面目に生きてきたと思います。 宿題もためずにコツコツやるし、何かをするときは計画を立てて、きちんと、きちんと。 きっちりやらないと認めてもらえないと思っていたのかもしれません。 でも、常に「こんなのつまらない」「不真面目に生きたい」と心が訴えているのが分かりました。 2018年の4月にここにやってきました。 初めての景色ばかりで、相変わらず「真面目から抜け出せない私はただ必死に目の前のやるべきことと向き合おうとしました。 面白いひとがたくさんいて、自分はなんてつまらないんだと日々感じていました。 しかし数か月経って、先輩や同期にあることをよく言われるようになりました。 「変人だよね」「面白いね」 何てことだ、と思いました。 私があれほど嫌がっていた自分の「普通」が私でないひとからすれば「変」だったのです。 私には、私の何が「変」なのかまだよく分かりません。 でも、世の中であれほどみんなが模索する個性というものは、自分なりに精一杯生きるだけで十分獲得できるものなのだなぁと、何となく感じて何となく力が抜けました。 どんな将来を描けばよいのか、そこには誰がいるのか、分からなくて見えなくて、毎日不安で、でもやるしかない。 とは思うけどなかなかベッドから起き上がれない。 こんなの普通のことなのですね。 みんなが嫌う人や物が好き、あのひとがつまらないと思うものが自分には面白い。 これも普通のことです。 私は「普通とは違うものを描きたい」と思ってこの業界を目指し始めましたが、普通でないものなんて無くて、ほんとうは全てが誰かにとっての普通なのだということに働き始めてから気づきました。 そう考えると、「誰かにとっての普通」を知らない人に伝えたり、普通を「見たことのないような形で」切り取ることが大事だと分かります。 私の普通の人生はここに来てやっと始まった気がします。 これからどんな風に面白く見せていこうか、考えてもがいてみようと思います。 自分のことがよく分からなくても、大丈夫です。 ここにいるひとたちは、みんなあなたを面白がってくれます。 もがいているひとを、踏み台にするなり何なりしてください。 もちろん一緒にもがきたいひとも。 待ってます。
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