浄土真宗の御本尊についてご教示お願いします。 今、実家は真宗興正派のお寺さんに来て頂いてます。 御本尊には寂如、本願寺、方便法身尊形と書いて(判)あります。 元々は浄土真宗本願寺派であったようです。 真宗興正派の住職にお経をあげて頂いていますが、浄土真宗本願寺派の御本尊で問題はないのでしょうか? 恥ずかしい話、いままで本願寺派と思い込んでいましたので、自分の家は浄土真宗ということしか頭にありませんでした。 最近、身近でお葬式があったこともあり、気になって自分のお寺の派を調べると本願寺派ではなく興正派となっておりましたので、以前からそうだったのかとひとり納得しておりました。 また、母に御本尊の話をしたところ『仏壇を買ったら付いていた』なんていう返事だったので、御本尊を見てみるとなんと前述の本願寺からお迎えした御本尊だったのです。 戦争で焼け出されたので、引っ越してお願いしたお寺が興正派であったと想像されます。 また、私は結婚して別に住んでおり、将来は実家の仏壇は私が引き継ぐのですが、それまでの間、今の家に御本尊をお迎えして念仏をとなえたいのです。 その場合、本願寺さんからお迎えはできないのでしょうか? 浄土真宗本願寺派は組織が大きいので(小さいところがダメという意味ではないです)門徒のほしいものが揃っているのです。 きく・いちょう等の御本尊のことです。 単刀直入にお世話になっている住職に聞けばいいのですが、お寺関係の方から見て分かり切った事であるなら住職に聞かないでおきます。 どうかご教示をお願いいたします。 補足ご教示ありがとうございます。 お礼申し上げます。 寂如上人の時代をお聞きして驚いています。 私の家は分家で時代もありませんし、御本尊もどう見てもその時代のものではありません。 文字もなにか判のようなものを押した感じです。 後の時代に寂如上人の名を御本尊に入れることはあるのでしょうか、疑問です。 寂如上人の箇所はなにか他にも文字がありましたので実家へ行った際に確認いたします。 shamosikaさんと同様に本願寺派(西本願寺)の者です。 結論から言って、そのご本尊が本当に寂如上人ご下付のご本尊さまなら、そのままでまったく問題はありません。 寂如上人は、1662年(寛文2年)に12歳で本願寺第十四代の法灯をご継職されました。 その後、ご逝去されるまで宗主としての63年在職という歴代宗主の中もっとも長期に在職されています。 北山御坊の創設や、江戸・大坂・金沢・岐阜などの御坊(別院)を拡大・再興され、本山においては現存の経蔵(転輪蔵)を建立されました。 大谷本廟の「明著堂」や、総門に掲げられている「龍谷山」の額は上人の筆です。 ご往生は1725年(享保10年)7月8日、75歳でした。 なぜ?上記のようなことを書いたかというと、そもそも「真宗興正派」は、1876年(明治9年)に真宗興正派として独立しています。 つまり、そのご本尊の寂如上人の時代に真宗興正派さんはまだ無いのです。 興正派本山の興正寺は、明治9年までは西本願寺の脇門跡です。 つまり明治9年までは浄土真宗本願寺派の末寺筆頭だったのです(ですから現在も共通点が多いです)。 一般の末寺も、興正派の独立時に本願寺派で興正寺の末寺だった寺院が本願寺派から興正派に移っただけです。 ですから、ご縁の興正派寺院さんも古い寺院なら元は本願寺派のはずです。 『仏壇を買ったら付いていた』というのもおかしな話ですし、そもそもお母様が購入の仏壇ならお仏壇購入時とご本尊の時代が合わないと思いますので、本物なら先祖からの以前の仏壇で安置していたものを遷座したものです。 (途中の時代で、ご本尊のご修復や表装交換などを行っていると思います) 戦後の転居で、手次寺院を変更し、近所の興正派寺院さんにお願いしたらしいですが、今後はどちらでも良いです。 当然に元々は本願寺派のご門徒様なのですから、現在お住まいの家に西本願寺からきく・いちょう等の御本尊をお迎えし、ご給仕申し上げることで何らの問題はありません。 真宗の各派は地域性もあるので、転居すれば、手次寺院を真宗10派の他派さんにお願いすることになるのは何ら問題はありません。 同じ御同朋。 御同行で、同じ親鸞聖人の、また阿弥陀仏のご門徒でしかありません。 所属の派が異なることは浄土真宗では何らの問題は無く、しいて言えばクラス分けで1組~10組まで運動会ではちまきの色が異なるようなことだけです。 同じ同級生であることに変わりはありません。 合掌 (補足を拝見し) 御本尊を見ればはっきりしますし(町版は印刷、本山のは繪表所で絵師による手書きなので・)、表装を見てもはっきりします。 また裏書の印を見てもはっきりしますが、そのご本尊は、ある意味タチの悪い町版(仏具店等が模して印刷したもの)だと思います。 寂如上人の時代にご本尊裏書は既に真っ黒で墨文字の判別も容易に出来ないのが通常ですから、実は、そう簡単に読めるわけが無いと思っていました。 町版がすべて悪いとか偽物のご本尊だとまでは申し上げませんが、裏書きまで模造して本山からのように見せかけているのは悪質です。 実はたまにあります。 一番多いのは、「本願寺 寺務光尊」という町版です。 あとは「方便法身尊影」と尊形ではないものや、さまざまです。 お母さまの言う『仏壇を買ったら付いていた』というのが本当のところでしょう。 どこかの仏具屋さんが、古い御本尊の裏書を見て模造したのだと思います。 たぶん、脇掛けも違うと思います。 現在も本願寺の年間4万幅(内、絵像は12000幅)のご本尊・脇掛けを繪表所の絵所25軒約60名、表具所15軒40~50名で、一つ一つ手書き手作りで作成しております。 ですから、本山のご本尊は修復(お帰り・お出まし)が可能なのです。 今回、はっきりわかって良かったと思いますよ。 なお、町版に気がついても言わないご住職もいますし、そのような知識が無く気がつかない僧侶もいます。 その上で、今までのことは気にせずに、ご実家の御本尊を含めて今後を考えましょう。 寂如上人時代にお下げ渡されたご本尊であるかどうかは・・・見た目にはやはり黒ずみ具合、痛みの度合いで判断できるでしょう。 150年前の大谷派門主期の絵像ご本尊を拝見したことがありますが・・・煤けきって黒ずみ・・・近寄ってやっと阿弥陀仏のお姿だと判別できるくらいでした。 となれば、寂如上人時代からお仏壇に御安置し毎日、灯とお香を焚いてきたとすれば・・・相当、黒ずんでいるはずです。 質問文から若干感じていたのですが・・・もしかして、寂如上人期の絵像ご本尊を元にした印刷の可能性が捨て切れません。 つまり、仏具仏壇店で作られ 印刷され 、出された絵像ご本尊という可能性も推測してしまいます。 本願寺派で考える「ご本山にてお下げ渡す」絵像ご本尊とは違うのかも知れません。 多分、真相は<<母に御本尊の話をしたところ『仏壇を買ったら付いていた>>というから推測する通りでしょう。 因みに申しますと、阿弥陀仏のお姿、その尊い名はお仏壇の「おまけ」的なものではなく、阿弥陀仏のお姿、その尊い名のご本尊こそ中心・要となります。 極端なことを言えば「阿弥陀仏のお姿、その尊い名のご本尊を要として、おまけと言える方がお仏壇」とも極論出来ます。 少なくとも、敬いをもち手を合わせ亡き方を通して教えに出遇うべき『お姿』を「おまけ」とは言って欲しくなのですが・・・。 興正寺と興正寺派の歴史については下記をどうぞ 興正寺さんは元をただせば仏光寺 仏光寺派 です。 仏光寺法主経豪上人(後の蓮教)の頃に本願寺蓮如上人のご化導を受け、本願寺に帰依されています。 その後本願寺派から分れ興正寺派を立てられました。 かなり古い=すすけ黒ずんだ雰囲気が有るご本尊にありますか?・・・それなりに綺麗だとすると寂如上人時代の絵像本尊を元に書き写された 印刷・コピー という事が考えられます。 もし古びた感があれば・・・本当の寂如上人時代にお下げ渡された絵像本尊でしょう。 寂如上人期がどれほどか・・・・ご在世はナント!! ・・・慶安4年(1651年)~ 享保10年7月8日(1725年8月15日)の西本願寺14世ご門主様です。 ご在世ご活躍の頃を1700年と想定し、その頃にご下附された絵像本尊とすれば・・・311年の年月を渡られたご本尊さまになります。 寂如上人は歴代西本願寺ご門主でも特にご活躍されたお一人になので、数多く署名の有るご本尊や自筆と言われる名号本尊を残されました。 真宗興正派の歴史遍歴として、十分にあり得ますが・・・実際にそうした実例を聞くのは初めてです。 驚きます。 ここ知恵袋では数多くの真宗に関しての質問が掲示されますが・・・西本願寺御門主の署名があるご本尊をご安置された真宗興正派門信徒様のお話を聞くとは驚きです。 決して、デタラメ・適当にkhoshoinさんの御先祖が求めて、本願寺派のご本尊をお迎えしてしまった訳ではないでしょう。 そうした事例は本願寺派と興正派以外だと・・・少ないでしょうね。 派は異なっても同じ摂取不捨の尊いお姿を現わされた「方便法身」の阿弥陀如来さま・・・その絵像ご本尊です。 当方の当地においては本願寺派御門徒に属されているご家庭お仏壇でもご本尊様が過去の大谷派ご門主落款 朱印 が入っている=御先祖の時代に大谷派ご下附でのご本尊をご安置された本願寺派ご門徒さんが実際にいらっしゃいます。 そういう時代遍歴があってのことです。
次の浄土真宗の正しい御本尊は? 親鸞会の主張 御本尊は「名号にせよ」と教示なされた親鸞聖人に背いて、本願寺は木像を本尊としているのは、重大な誤りである。 本願寺の反論 親鸞聖人も蓮如上人も、お名号をお書きになって本尊とせられました。 けれども絵像や木像をご安置してはいけないとか「本尊はお名号にせよ」とはおっしゃっていないのです。 事実、形像を礼拝の対象とされた例もあります。 ご絵像・お木像にも、それぞれ意趣があるのです。 だから、本願寺では「本尊は必ずお名号でなければならぬ」と固執は致しません。 どちらがウソか 親鸞会は、かねてから浄土真宗の正しい御本尊は名号でなければならぬ ことをお聖教や、その他の根拠を挙げて主張し、木像や絵像を御本尊としている現今の本願寺や末寺の重大な誤りを強く指摘し続けてまいりました。 ところが、本願寺は、真実の広まりを黙視できなくなったので、 親鸞会に反論してまいりました。 その反論では、親鸞聖人も蓮如上人も生涯名号のみを御本尊となされた事実をどうすることもできず、 「親鸞聖人も蓮如上人も名号を御本尊とされました 」 と、その事実を認めたのは一歩前進で一応評価できますが、なお、 「浄土真宗の御本尊は名号でもよし、絵像でもよし、木像でもよし、本願寺はそれらに固執いたしません」 と、現今の本願寺や末寺が本尊としている木像も誤りではないのだと強弁しております。 御本尊とは根本に尊ぶべきもの 言うまでもなく御本尊とは、読んで字のごとく、根本に尊ぶべきものであり、宗教、特に仏教にとっては最も重要な意味を持つものであることは、何人も認めるところであります。 されば浄土真宗の御本尊は、名号でも、絵像でも、木像でも、どちらでもよいというようないい加減なものでもなければ、時代によって変わったり、人に応じて替えたりするものでは断じてありません。 事実、親鸞聖人も蓮如上人も名号しか御本尊として礼拝しておられず、私たちにも名号を御本尊とせよと教え勧められました。 にもかかわらず、本願寺の反論は、 「親鸞聖人や蓮如上人は、木像や絵像ではいけないとか、必ず名号でなければいけないとは申していられません」 と、なおも己の邪道を押し通そうとしております。 それではお尋ねしたい。 親鸞聖人や蓮如上人が、 「真宗の御本尊は名号でもよし、絵像でもよし、木像でもよし、同じことだから一つに固執せず、どれでもよろしい」 と、どこにおっしゃっていられるのか。 その根拠を教えていただきましょう。 本願寺の言い分が正しいとするならば もし、本願寺の言うように、親鸞聖人や蓮如上人が、名号でもよし、絵像でもよし、木像でもよし、一つに固執してはいけないと教えられたのが正しいとすれば、『改邪鈔』に、 「親鸞聖人は木像や絵像を本尊とせず、必ず名号を本尊とせられた」 と書かれてありますが、覚如上人はウソを書かれたことになります。 また、存覚上人の 『弁述名体鈔』にも、 「親鸞聖人はいつも名号を本尊となされた」 ことが書いてありますが、これもウソになります。 また、慈俊の 『慕帰絵詞』第4巻には、 「親鸞聖人は木像や絵像を本尊とせず名号ばかりを本尊としていられた」 と記してありますが、これもウソッパチになります。 いずれも名号のみを御本尊とせられたと記録されているからです。 また、親鸞聖人がそれまで寺院などで本尊としていた弥陀三尊の絵図などを、すべて捨て去り、ただ名号を御本尊となされた、その重大な意味も全く踏みにじられてしまいます。 蓮如上人の教えがナンセンスになります それだけではありません。 蓮如上人のご教示にも明らかに違反することになります。 蓮如上人は、『御一代記聞書』に、 「他流では、名号よりは絵像、絵像よりは木像というなり。 真宗においては、木像よりは絵像、絵像よりは名号というなり」 とおっしゃって、浄土真宗の正しい御本尊は名号であることを明示なされています。 この蓮如上人のお言葉は、 本願寺の主張するように、名号も絵像も木像も、どれでも同じことだと言うことでしょうか。 だから、どれを本尊にしてもよろしい、という意味なのでしょうか。 もし、そのように 本願寺が解釈しているとすれば、現今の本願寺は、易しい文章の解読力まで失ってしまったといわなければなりません。 言うまでもなくこれは、他流の者たちの教える本尊と、親鸞聖人の勧められた御本尊との相違をハッキリさせるために蓮如上人が、比較対照してご教示になったもので、同じく阿弥陀如来を本尊としている浄土門の人でも、木像を本尊としている者は他流であり、浄土真宗は名号を本尊とすべきであることを教えられたものであることは明々白々であります。 なぜ本願寺は木像に固執するのか 本願寺はまた、名号でも絵像でも木像でも同じだから固執いたしませんといいながら、本願寺をはじめ2万を数える末寺は、みな木像を本尊としているものばかりですが、これは明らかに、木像本尊に固執している証拠ではありませんか。 言っていることと、行っていることが矛盾しています。 「さよなら親鸞会」のサイトをつくった僧侶・瓜生崇氏自身の寺も、本尊は木像です。 最も重要な本尊が親鸞聖人の教えと異なっていては、浄土真宗を語る資格はありません。 まずは、自分自身が真宗の教えを1から学びなおすべきでしょう。 彼の所属する真宗大谷派は、京都に本山のある東本願寺のことです。 すでに、「浄土真宗」から「浄土」を削り、ただ「真宗」とかたっているように、真宗大谷派は死後の浄土を認めません。 この世と死後の二度救われる二益法門が親鸞聖人の教えです。 このことを蓮如上人は、『御文章』に次のように教えておられます。 問うていわく、 「正定と滅度とは、一益と心得べきか、また二益と心得べきや」 答えていわく、 「一念発起のかたは正定聚なり。 これは穢土の益なり。 つぎに滅度は浄土にて得べき益にてあるなりと心得べきなり。 されば、二益なりと思うべきものなり」 (1帖目4通) 「弥陀の救いは一度でしょうか、二度あるのでしょうか」と問いを出し、 「この世は、弥勒菩薩と同格(正定聚)に救い摂られ、死ぬと同時に弥陀の浄土で、無上のさとり(滅度)が得られる。 弥陀の救いは二度(二益)ある」 と答えられていることでも明らかです。 聖人の教えに違反し、死後の救いを認めない大谷派は浄土真宗ではなく、もはや外道に成り下がっているのです。 姿かたちは衣を着て、一応、僧侶の格好はしていますが、本願寺僧侶の語る言葉のどこにも聖人の教えはありません。 瓜生氏が住職を務める玄照寺(滋賀県東近江市)の門徒も、親鸞聖人の教えでないことを聞かされている被害者です。 御門徒は、親鸞聖人の教えを求めて、聞きに集まっているのです。 聖人の教えでないことを話し、お布施だけはちゃっかり受け取る、ということでは搾取であり、詐欺でしょう。 社会常識を逸脱した行為によって、自宅が家宅捜索を受けた事実を、悪びれた様子もなく公言している者に、仏のみ教えが説けるのでしょうか。 親鸞聖人、蓮如上人の悲嘆の声が聞こえてきます。 衣を着て、袈裟かけて、『正信偈』をあげてはいても、正しい教えを説かないから、門徒の信用を失い、門徒が離れ、悲鳴をあげている寺院の惨憺たる現状は、メディアでもたびたび報道されているとおりです。 本願寺再起の道はただ一つ。 正しい御本尊は御名号であることを明らかになされた親鸞聖人のみ教えをよくよく知り、教えにしたがう以外にありません。 浄土真宗 親鸞会は、生涯名号のみを御本尊とし、真宗の正しい御本尊は名号であることを教え、名号本尊を固く守られた親鸞聖人や蓮如上人に順って、御本尊は名号でなければならぬと守ります。 親鸞聖人が何とおっしゃっていようと、蓮如上人が何と教えてあろうと、お聖教に何と書いてあろうとどうでもよろしい、ありがたいと思うものを本尊にすればよいのだ、と横車を押されるのならば、どれだけ大きな伽藍があっても、もはや浄土真宗ではないのです。 浄土真宗の正しいご本尊は?•
次の浄土真宗の御本尊は「阿弥陀如来」「阿弥陀仏」です。 それ以外の仏さまは安置しません。 御本尊が画かれた「御絵像」を最近ではお仏壇屋さんで求める方が多いようですが、本来は御本尊は脇掛と一緒に、お寺にお願いして、本山からお受けするものです。 脇掛とは、御本尊の両脇にお掛けするものです。 向かって右は「歸命盡十方無碍光如来(十字名號)」をお掛けした場合は、左には「南無不可思議光如来(九字名號)」をお掛けします。 また向かって右に親鸞聖人の御影をお掛けした場合は、左に蓮如上人の御影を安置します。 「仏壇屋で買う御本尊と本山でお受けする御本尊はどう違うのか?」 本山でお渡しするものには、次のように必ずお裏書きがあり、当代御法主(現在は26世大谷光見御法主台下=聞如上人)の落款があります。 方便法身尊形• 大谷本願寺 釋聞如(法主印) お仏壇は「亡くなった家族やご先祖を祀る場所」と思っておられる方が多いようですが、浄土真宗においては、それだけの意味でお仏壇を置くわけではありません、お仏壇の正面には必ず阿弥陀さまが安置され、まわりには綺麗なお飾りがありますが、その様子は阿弥陀さまの世界「極楽浄土」をあらわしています。 自分の家族やご先祖が、阿弥陀さまのお導きで仏とならせて頂いたことへ日々感謝申し上げたいという心が、家庭にお仏壇を置く主な理由ではないでしょうか。 人間は誰も一人で生まれてきたものはいません。 互いに支え合って生きている私たちですから、家族が元気であればなおさら感謝の心を持ちたいものです。 お仏壇は誰かが亡くなってから買うものではないのです。 かつては、お仏壇を安置する仏間を中心にして家の設計が行われたと聞きますが、今はその逆のケースも多いようです。 住宅事情など、やむを得ない理由があるにせよ、家族みんなが集まるお仏壇であって欲しいものです。 お仏壇の場所や向きにはきまりはありません。 浄土真宗の仏さまは阿弥陀如来で、お浄土は西方極楽浄土です。 かつては、お仏壇を東向きに置き、西方に向かってお参りをした方が多くいらっしゃったと聞きます。 浄土往生を強く願い、西方の極楽に思いをはせたのでしょう。 確かに阿弥陀如来は極楽浄土の主ですが、仏さまは自由自在で、いつでも、どこでも、どなたにでも、はるか彼方にいながら、すぐ側にいらっしゃるのです。 お仏壇をどの向きに置こうとも、仏さまは常に私たちを見守って下さいます。 向きや場所が問題なのではなく、家族みんながお参りすることが重要です。 もちろん、湿気の強いところや常に日陰の場所では、お仏壇も痛みやすいし、せっかくお供えした花もすぐ枯れてしまいますから、適度に日があたり、目の行き届く場所がいいでしょう。 浄土真宗では、本来、お位牌は用いません。 お位牌は本来仏教の風習ではありませんでしたが、中国の儒教の習俗が仏教の風習と混同し日本に伝えられて今に至っているようです。 浄土真宗の教えとは簡単に言えば、我々凡夫は仏さまの導きにより、浄土に往生し仏となる、というものです。 「お位牌に魂が宿り、それを供養していく」という教えではないのです。 そのような意味から浄土真宗では、位牌を使用いたしませんし、「お位牌の魂入れ」などもいたしません。 ですが、やはり「何か対象がないとお参りしにくい」というのが正直なところかも知れません。 ですから本山では、法名軸や過去帳をすすめています。 葬儀等で使っている白木のお位牌は一時的な仮りのものです。 忌明けなどが終わり一段落ついたら、お寺に相談してお焚き上げしてもらいましょう。 法名は法名軸や過去帳に書き写し(お寺にご相談ください)お仏壇に安置しましょう。 浄土真宗では魂を入れ替えるということはいたしません。 よくお仏壇を新しくしたので、「魂の入れ替え」をして欲しいとか、古いお位牌から新しいお位牌に「魂の入れ替え」をして欲しいと言われることがありますが、浄土真宗ではそのようなことは行いません。 というのは、浄土真宗の教えでは亡くなった方はすぐに仏さまの導きにより浄土に往生し仏となるからです。 仏となった方の魂が現世に残る、霊として現れるという考えは、浄土真宗の教えにそぐわないのです。 お仏壇や御本尊を新しいものに替える時に「おあたまし」をします。 これは改めることを指しています。 決して魂の入れ替えをしているのではなく、 改めて、仏さまとのご縁を喜び、感謝するお勤めなのです。 浄土真宗お東における焼香作法をお答えします。 焼香机の前に進み、合掌せずにご本尊を仰ぎます。 香盒 香入れ の蓋を開けて、香盒の右隣に置きます。 お香を二撮(二回)香炉にくべます。 焼香後、香盒の蓋はそのままにし、お香の乱れを指先で直し、合掌します。 合掌をしたまま「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えて礼拝し、その後席に戻ります。 浄土真宗お東以外の宗派の方は、各宗派の作法でお焼香して頂いてかまいません。 お焼香は前の人がしたことをマネするのではなく、自分の家の宗派の作法をするようにしましょう。 「戒名」とは戒律を守って生活する人つまり、受戒を受けた人に与えられる名前です。 「法名」とは仏法に帰依した人に与えられる名前です。 いわゆる戒律のない浄土真宗では「戒名」とはいわず、「法名」を用います。 「法」という字は「万人に平等に与えられ、効力を発揮するもの」という意味があります。 仏さまの教え、願いは、万人に平等に与えられるものなので、それを「仏法」といいます。 浄土真宗の御本尊・阿弥陀如来は全ての人を救うと願われ、おはたらき頂いている仏さまです。 その仏さまの導きを喜び、心から帰依して頂く名前が「法名」なのです。 「法名」は生前におかみそりを受けて頂くものです。 ですから、決して亡くなった人の名前ではありません。 仏弟子の名前です。 本来、院号法名は宗門に多大な功績があった人に、その功労をたたえて寺院から贈られるものです。 近年では一定の懇志金を納め宗門護持に協力したという事で寺院から贈られています。 浄土真宗では、法名が長いから特にエライとか、功徳があるということは申しません。 親鸞聖人の法名ですら、釋親鸞。 これだけです。 阿弥陀如来は、だれでも平等に救うと願われ、はたらいて下さっている仏さまです。 そこには、世俗の評価、価値は入ってこないのです。 ですから法名の種類に位はないのです。 法名を頂くことによって、自分自身の人生を仏とともに歩むものと実感し、より明るく充実した生活となることを願います。 なお、法名を頂く方が女性の場合、釋の後に「尼」の一字が入ります。 また、浄土真宗では法名の下に、居士・大姉・信士・信女・位・霊位・不退転などはつけません。 「殺生してはいけない」というのは、お釈迦さまが生きていらっしゃった頃からある戒律の一つで、その昔には、不殺生の厳しい修行をされた弟子もいたようです。 ですが、私たちが殺生をしないで生活していくのは難しいわけです。 他の命を頂かずには、一日だって生きていくことはできません。 ではお釈迦さまはなぜ不殺生を説かれたのでしょうか。 それは、必要以上のものをむやみに殺生してはいけないということです。 ライオンは肉食ですが、おなかがいっぱいの時は目の前を草食動物が通りすぎても、襲ったりしません。 必要以上のものを欲しがるのは、私たち人間だけのようです。 私達が生きていく上で、他の命を頂いていることを忘れてはいけません。 それをしっかりと受けとめ、心より「いただきます」と申したいものです。
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